忍者ブログ
12.j.
2012 / 05 / 29 ( Tue )
 何度か顔を合わせた程度で、もともとそんなに仲は良くなかった。だから名指しで呼び寄せられた時、目には見えない別の意図があるのではないかと真っ先に疑ってしまった。
 敢えて応じることを選んだ。理由は単純である。家族だから、何かしら手助けになれるならと思ったからだ。
 
 四人座れる大きさの四角いテーブルにて、カイルサィートは叔父と向き合い、テーブルの上で両手を組んで様子を伺っている。料理屋の店内は外からの日差しで明るく、それゆえに大分暖かい。
 
「失礼します~。せっかくなんで、藻入りスープでもどうぞ。健康にいいですよ」
 人の良い笑顔を満面に広げて、髪を結い上げた女性が間に入った。丸い盆から底の浅いボウルを下ろしている。
 キュウリをはじめとする調和の取れた香りを発するそれを見下ろす。クリーム色の液体に所々鮮やかな緑が混じっているものだ。
 
「暑いだろうと思って冷やしたスープ持ってきましたよ。昼時だし、食事もされます?」
 同じようにボウルを下ろして、役人ルセナンの妻たる彼女は隣のテーブルに座すミスリアとゲズゥの方に、声をかけている。
 チラリとこちらに問いかけるミスリアの目に、カイルサィートは頷きを返した。
 
「ではお願いします」
 ミスリアが笑顔で受け答えた。注文の内容を細かく話し合ってから、女性が厨房の方に戻った。
 
 ミスリアの向かいに座るゲズゥがすかさずスープに手をつけた。食器などを使わず、ボウルごと空いた片手で持ち上げて啜っている。一方でミスリアは、木製スプーンを駆使して少しずつ口に運んでいる。どちらかというと乳状に近そうなスープだ。
 二人を横目に眺めてカイルサィートは束の間、和んだ。
 
「……少し、僕の話をしましょうか」
 視線を前へ戻し、自分のスープにも手を出してから、そう切り出した。
「――うん?」
 拘束されたままの叔父の前に、ボウルは置かれていなかった。多くを語られなくとも、ルセナンの妻は状況を大方把握したようだ。
 
「聞いてくださるだけで結構ですよ」
「ではそうしようか」
 叔父の揺るがぬ笑顔に、落ち着き払った態度に、カイルサィートはもの悲しくなった。しかしそんな気持ちは顔には出さず、淡々と語り出す。
 
「どうして他の誰かではなく、僕に声をかけたのか、ずっと考えていました」
 定期的に連絡を取っていた訳でもなかったし、こと「忌み地」の浄化に関してカイルサィートは実践経験が少なかった。ミョレン国との縁も浅く、わからないことだらけの人選であった。
 
「本当は、止めて欲しかったのでしょう?」
「何を?」
「……今更ごまかしても、仕方がないと思いますよ」
 叔父ののんびりとした口調に、カイルサィートはため息をついた。
 
 はじめは何も裏が無いことを願いながら、叔父の手伝いをしていた。教会の業務や運営に手を貸し、ラサヴァの町人や他の近隣の村の民を支えた。時には魔物の討伐隊にも加わった。元はあまり親しくなかった叔父の園芸をも手伝ううちに、打ち解けられた。
 それがいつから、歯車が狂いだしたのだろうか。或いは最初からかみ合っていなかったのかも知れない。
 
 何故、いつ、気付けたのかというと、今となってはよくわからない。叔父の頻繁な外出を変に思った頃から? 教会の参拝者との接し方に違和感を覚えたから? 討伐に向かった日にのみ決まって魔物が異常に多く現れるようになってから?
 きっかけはきっと小さな何かだった。気付いた後は、ひたすら執拗に事実を追い求めた。
 
「追い詰められなければ認めないだろうと、本当はどうしてこんなことをしたのか話しはしないだろうと、思いました」
 人の心の澱(おり)は幾重にも巧みに隠されているものだ。浮上させるためにはそれなりの準備がいる。
 
 当面の問題は、相手が追い詰められたと感じるか否かにある。カイルサィートにとっては、この場合は動機を知ることが一番大事だからだ。
 
 今のところまだ叔父の作り笑いに変化は表れない。隣のテーブルの二人はというと、さりげなくこちらの会話に意識を向けている。
 カイルサィートはそこでスープを一口すくって味わった。ヨーグルトをベースにしたさっぱりとした味わいが更なる食欲をそそる。
 
「美味しいです。僕は叔父上の作る鶏がらスープも好きでしたけど」
「もう私よりも君の方が美味しく作れるんじゃないかな」
「かもしれませんね」
 スプーンを置いて、カイルサィートはそっと笑った。思い返せば家事は二人で手分けしたけど、お互いに教え合うことも多かった。もう、その日々も終わったのだと思うと寂しい。
 
「あなたが……」
 一呼吸挟んで、目を合わせた。自分と同じ色の琥珀色の瞳からは、感情が読み取れない。
「……僕を選んだ理由は、父上と関係がありますね」
 そこで初めて、叔父が瞬いた。曇ったように読み取れなかった瞳に異変が表れる。
 
「父は兄弟仲が良いと言っていましたけれど、双方ともに共通した感情でないことは、子供心ながらに知っていましたよ」
「……カイル、君は昔から聡明で鋭い子だったね」
「ありがとうございます」
 叔父の琥珀色の瞳もいつしか物悲しさをたたえていた。

拍手[1回]

PR

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:33:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.i.
2012 / 05 / 23 ( Wed )
 それとも今後同じようにつけこまれないように、教訓として真実を教えるべきか? 人々の美しい思い出を汚していいものだろうか。親族を亡くした者たちは、愛する人たちが死んだ本当の理由を知って、心が晴れるだろうか。病という理不尽な急死を、更なる理不尽な死因と入れ替えて、彼らは救われる? 否、悲しみは深まるのではないか。
 
 きっと教団や神々への信仰心も揺らぐことになる。教団や神々の方針は別問題としても、信仰心は人間の精神を安定させる重要な役割を担う。失えば、この町はこの先どうなる?
 
(頭が爆発しそう……)
 ミスリアは肩を落とした。間違いなく自分は政治の類に向いていない。
(でも神父様の邪な名誉欲は満たされたままだから、やっぱり真実を隠すのは間違ってるんじゃないかしら?)
 悶々と思考を巡らせるけど、答えが出ない。
 
「公にならずとも誰かがこうして追い詰めさえすればそれでいいと、僕は考えていました」
 静かに、カイルが話を続けた。
「叔父上に良心が残っているのなら、一生消えない罪の意識が付いて回ります。良心が残っていないのなら、それこそ止めなければなりません。おそらく似たようなことを、過去にもしたのですから。以前は流行病などではなく、魔物を意図的に呼び寄せるなどしたそうで」
 
「ユカイな神父だな」
 そう言って、王子殿下は空を見上げて笑っている。今の話に笑えるような点は無かったはずなのに。
 この人は苦手だ、とミスリアはなんとなく思った。
 
 その時王子がミスリアと目を合わせたので、考えを読まれたのかと疑って身構えた。同じ威圧的な視線でも、彼の鋭い藍色のそれはゲズゥの空虚な眼差しと違って総てを射抜いている。ミスリアは背筋が凍ったような、内側から溶け始めたような、言い難い気分になった。
 彼は足早に近寄ってきたかと思えば、ゲズゥの隣で止まった。
 
 背を伸ばして身長差を埋め、ゲズゥに何かを耳打ちしている。それが済むとサッと身を引いて離れた。勢いで髪が揺れ、王子の右耳の軟骨にはめられた銀細工のピアスが光って見えた。
 ゲズゥは珍しく表情を動かした。しかめっ面をしている。一体何を言われたのだろう。
 
「聖人、形ある証拠が無くても十分な立場にいる人間が信じれば事足りることもある。私はお前の言い分を受け入れる。この先どうするかは、お前たちで決めろ。私の助力が必要なら町長と話をつけてから乞え」
 王子はカイルに向けてそう伝えた。
 
「私の言い分は? まだ何も弁明していませんが」
「不要だ。人の言葉の真偽ぐらい、見分けられる」
 神父アーヴォスが何気なく訊いても、王子は笑ってあしらった。
 
「タリア」
 呼ばれた馬は素直に歩み寄ってきた。乗り手が鞍を掴み、紺色のマントを翻して飛び乗る。流れるような動きにどことなくゲズゥを重ねてしまう。
 
「悪いが私はそろそろ去る。西部で兄上たちが諍いを起こしているからな。この機会に私はより『王』に近付けるかもしれん。むしろ争う内にほかが全滅してくれれば願ったりというもの」
 二人の兄だけでなく、妹姫なども面倒ごとを起こしていてな、と王子殿下は付け加えた。
 
(カイルが言ってた先王の「条件」が関係あるのかしら。あとで聞いてみよう)
 
「遠方より有難うございました」
 カイルは丁寧に敬礼をした。
「ああ、お前の読み通りだったな。私は旧友に会えそうだと思ったから、わざわざ足を運んだというのも理由の大部分を占めていたが……」
 馬上の人となった王子はゲズゥを一瞥し、次に配下を見下ろした。
 
「そいつはくれてやる。今のうちに捕らえておけ」
「殿下、お見捨てにならないで下さい」
「お前が私に逆らうのか?」
「いいえ! 誓ってそのようなことは致しません」
 セェレテ卿は跪いて主に深く頭を下げた。
 
「なら今は大人しくするんだな。最終的に王都に搬送されれば、或いはまた拾ってやってもいい。父王がお前に与えた騎士の称号と馬はどうしようもないが、命くらいはどうにかなるやもしれん」
「身に余る幸福です……」
 彼女は涙ながらに感謝を表した。
 
 随分な忠誠心だわ、とミスリアはぼんやり思った。見たところ、王家ではなく第三王子個人に心酔しているようである。何がそうさせるのか知りたい気もする。
 
「くくっ、まぁいい。ある意味面白かったぞ」
 王子は手綱を引き、馬の向きを変えた。
「重ねて言うが、人は表面しか――己の望むようにしか物事を見ないし、見たがらない。後始末に関しては町長や他の役人たちとよく話し合うんだな」
 肩から振り返り、王子が付け加えた。
 
「また、縁があればどこかで会うだろう」
 砂埃が舞い、馬蹄の小気味いい音が遠ざかる。ミスリアは思わず咳き込んだ。
 視界がはっきりした頃には王子の姿はもうどこにも無かった。
 
(全体的に、よくわからない人だったわ)
 ミスリアはそういう結論に至った。
 傍らのゲズゥを見上げると、未だに複雑そうな顔をしている。「旧友」という関係は、本当なのだろうかと気になった。
 
「ルセさん、彼女を役所に届けてもらえませんか?」
「いいけどよ。神父さんの方はどうするよ?」
「もう少し話をさせてくださいませんか」
「聖人さんの頼みなら構わんよ。なんなら店使うか? うちのに頼んで開けてもらうといい」
 
「ありがとうございます。そうします」
 さらっと交わされた会話の方へミスリアは注意を向けた。いつの間にか、セェレテ卿も神父アーヴォスも縄に縛られている。二人の縄の続く先を手馴れた様子で手にしているのは役人のルセナンだ。捕らわれた二人は暴れず大人しくしているが、たとえ暴れてもルセナンの腕力から逃れるのは難しいだろう。
 
 神父アーヴォスの縄をゲズゥに持たせ、四人はルセナンの経営する料理屋へ向かった。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

01:21:22 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.h.
2012 / 05 / 18 ( Fri )
 もしかしたら姿かたちが似ているだけの別人だったりするのだろうかと懸念しながら、ミスリアはその人を見た。
 黒装束に身を包んだ中肉中背の男性は頭髪が少なく、耳周りにだけプラチナブロンド色の髪が生えている。雲の影に隠れて顔ははっきり見えない。
 
 さく、さく、と砂利と靴裏が接触する音を聴きつつ、顔がよく見えるまでの距離に男性が近づくのを待った。
 
「おや、皆様おそろいで。騒ぎがすると、角の店の住人が仰っていたので来てみれば……」
 にっこり笑う様も、琥珀色の瞳も、髪と同じ色の整えられた顎鬚も、知っている通りの神父アーヴォス・デューセと相違ない。けれど何か、妙なものを感じた。それが何なのかわかろうとして、ミスリアはつい見入った。
 
(作り笑い……?)
 笑顔の内の、細められた目。いつもの優しげな目元が、ほんの僅かに引きつっている。
 木の上から二人の会話を盗み聞いたあの時から今までに、抑えていたいくつかの疑問が沸き起こった。カイルの、神父アーヴォスに対する言動も思い出す。そう、最初に忌み地に出向いた日にも、欲望の話をした。
 
「叔父上、これは貴方からしてどんな状況に見えますか?」
 カイルが苦々しい表情を浮かべている。
「さて……」
 王子殿下とセェレテ卿を認めて、神父アーヴォスはまず敬礼をした。
 
「オルトファキテ王子殿下、王都からいらしたのですか? ご足労ありがとう存じます」
「ああ、気にするな」
 にやにやと笑いながら王子殿下が軽く礼を返す。すっかり面白いものを観察する目になっている。
 
「それでこれは、どういう状況なんだい?」
 神父はカイルの問いに問いで返した。やはり作り笑いを顔に浮かべて。
「そうですね……」
 カイルはまず目を閉じた。数拍過ぎてから開き、周りを見渡した。その目線を追うように、ミスリアも場に集まっている全員を見渡した。中でもルセナンが一番驚いた顔をしていると気付く。
 
「そこにいるシューリマ・セェレテ卿の悪事の一端に言及していたところです。その件で彼女には共犯者がいたという話になりまして、ちょうど叔父上が現れました」
「だから私が問題の共犯者であると?」
「タイミングよく現れたからといって事件に結びつけるのは安易過ぎますよ。流石にそんなことはしませんって」
 白々しい笑い声で、カイルが答えた。彼のこんな声を聴くのは初めてかもしれない。
 
「ふむ、そもそも何の悪事かな?」
「ラサヴァの疫病騒ぎが仕組まれていたという、信じがたい話です」
「それは確かに信じがたいね」
 本気でそう思っているのか疑いたくなるような、わざとらしい言い方だった。
「…………できれば僕は逆であって欲しかった」
 カイルは深いため息をついた。
 
(いつの間に、何の話になったの?)
 例によってカイルは話題転換が急すぎる。ミスリアだけでなくルセナンも、ついていけていないような顔をしている。セェレテ卿は警戒心むき出しの表情を、王子殿下はにやついた顔を保ったままで、ゲズゥに関しては確認するまでもなく無表情である。
 
「セェレテ卿にそそのかされて道を外しただけならまだ良かった。でも、元は叔父上が提案したのですね。僕を殴りつけて拷問などにかけた彼らが洩らしていましたよ。これが事件に結びつける理由の一つです」
「拷問? 話が見えないな」
「疫病騒ぎの首謀者が叔父上だったと言っているんですよ」
「形ある証拠が存在しないならただの言いがかりだね」
 神父アーヴォスの笑顔は崩れない。
 
「某商社が雇われていた金額も聞きましたので、それを上回る額を出せば買収できるかもしれませんけどね。供述を書かせるなどして」
 一方でカイルの纏う空気が、普段の彼の秋風のように涼しく爽やかなものからは想像もつかないほど、冷ややかになっている。
 ミスリアは両手をそっと握り合わせて、見守るしかできなかった。介入したいとは微塵も思わない。
 
「なぁ、神父さんの反応。甥っ子にひどい容疑をかけられてんのに、ショックを受けるより罪を否定することを優先してる。全然うろたえてないのも変だ。やっぱり事実か」
 ミスリアとゲズゥにのみ聴こえるように、ルセナンが小声で指摘した。
「だろうな。買収より、とっ捕まえて吐かせる方が効率が良さそうだがな。沈黙を守る義理など奴らに無いだろう」
「それは、そうでしょうけど……」
 ゲズゥの提案に、ミスリアは渋々賛同した。
 
「別に僕は、町民のために貴方のしたことを明るみに出そうとか、然るべき罰を受けて欲しいと思っているわけではありませんよ。それは役人方の仕事で」――カイルはちらっとルセナンの方を見やり――「僕はそこまで正義感が強いわけではないんです」
「人は、表面しか見ないものだ。糾弾しても、民は神父の方を選ぶかもしれんな。ものの本質を見つめる人間など稀」
 ふいに口を出したのは、王子殿下だった。
 
「では町民には真実をまったく伝えなくてもいいと?」
 ルセナンが王子殿下に訊ねた。
「神父は異動になったとでも言って、連れ去ればいい。行為自体が間違っていようと、もしも真実が明るみに出ることなく済むなら、人々の心の中に残るのは英雄の思い出だけだ。たとえそいつらの英雄が遠いどこかで牢に入っていようとな」
 
「一理ありますね」
 カイルがそう言うので、ミスリアも考えてみた。確かに、余計な混乱を予防するのは統率者として正しい判断に思える。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

02:31:01 | 小説 | コメント(2) | page top↑
12.g
2012 / 05 / 12 ( Sat )
「よう。悪いな、オレは喧嘩はともかく武術はからっきしなんで隠れさせてもらった。ま、もしさっきの奴らが動くようなら出てくるつもりだったんだ、ホントだぜ」
 にしし、と役人が歯を見せて笑う。
 
「どうも。度々お世話になりますね」
 役人の姿を認めた聖人が、畏まって礼をした。
「それはお互い様さ。無事で良かった」
 役人が礼を返す。
 
 ゲズゥはオルトの方を向き直った。ミョレンの第三王子は腕を組んで馬に寄りかかった状態で、かすかに口元を釣りあがらせている。傍らでは、既に剣を収めた女騎士が警戒した面持ちで控えている。いつでもまた剣を抜けるように柄に片手を置いて。
 
「オルトファキテ殿下」
 今度は自国の王子に向かって、役人が最高級の敬礼をした。
 姿勢を正してオルトが簡略式の礼を返す。どうやら立場が上の者が、下の者を認めたという挨拶になるらしい。
 
「私に書状を送った役人はお前か」
「確かにこのルセナンが殿下に一連の事件をまとめた書状をお送りしました。提案し、書いたのはこちらの方です」
 ゲズゥたちと並んだ役人が、隣の聖人を手のひらで指した。
「ほう」
 
「神父アーヴォス・デューセの甥、聖人カイルサィート・デューセ氏です」
 役人が聖人の紹介をする。ついでにミスリアをも紹介している。
「ああ、神父の名は書状にあったな。林の方の教会の主だったか」
 役人の話を丁寧に聞き、書状にもしっかりと目を通したとわかるオルトの姿勢は、傍から見れば真摯である。国境付近の小さな町にまで気を回す、或いは賢君とも錯覚できる。
 
「甥は、何やら面倒な目に遭ったようだな」
 オルトは聖人を頭から爪先までじろじろと見た。
 ミスリアに大体治されているので目立った外傷は残らないが、破けた服、泥水や血の汚れなどはどうしようもない。元の服の色が真っ白であったがためにこれは目立つ。
「恐れ入ります」
 聖人は爽やかに笑って礼をした。事情を細かく説明する気が無いのは明らかだ。オルトも特に追究しない。
 
「それで? 何故、告訴などの手続きを踏まず、私に直接連絡を取った? 私は王でもなければ王太子でもない、ただの第三王子だ。直訴や王国裁判とも繋がらない」
 オルトは聖人を真っ直ぐ見据えて言う。
「正常に機能しなくなった国だからこそ、正当な手続きでは不足に思えたからです。彼女――シューリマ・セェレテは貴方の信者だそうですので、もしかしたら貴方なら難なく止められると思いました」
 一呼吸置いてから、聖人は揺るぎない口調で応じた。
 
 信者という表現に対して、オルトは「違いない」と言って喉を鳴らして笑った。女騎士が聖人を睨むが、主君が見ているからか口出しをしない。
 オルトを殿下などと呼ばず貴方と呼んだのにはどういう意図があったのか、ゲズゥにはわからない。聖人はミョレンの国民でないから敬称で呼ばなくてもどうということはないが。
 
「私がシューリマを庇う可能性は考えたのか?」
「考慮はしましたけど、僕は先王が貴方がたに出した『条件』を小耳に挟みまして。噂に過ぎませんけれど、賭けてみる気になりました」
 話題に上がった「条件」は次代の王を決める基準か何かのことだろうと思う。
 聖人の言葉に、オルトは口元を右側だけ上に釣り上がらせて笑った。しかし次の瞬間、真剣そうな表情に替わった。
 
「よかろう。その読み通りに動いてやる。コイツは騎士の位を剥奪され、牢に入れられるか最悪処刑されることとなる」
 しばしの沈黙が続いた。
「殿下……!?」
 主が冗談で言っていないと遅れて理解して、女騎士が声を裏返した。
 
「黙れ。お前、国境の警備はどうした?」
 女騎士の動揺も構い無しに、オルトが責めるように問う。声を荒げない代わりに、目元がいくらか険しい。
「……兵士を配備しています」
 女は目に見えて怯んだ。
 
「隊を置いて、統率する長が持ち場を離れてどうする。頭を使おうとしないのは、お前の悪い癖だな」
「申し開きもございません」
 ついさっきまで自信満々だった女が今では泣きそうになっている。
「私には使えない駒など不要だ」
 
 普段から見下したような藍色の瞳が、今は本当に相手を見下ろしている。昔と同じ鋭い目線に更に拍車がかかり、不遜を許さないものとなっている。
 ――なるほど、過去に知っていたあの男を王族にするとこうなるのか。
 否、おそらくはこれが本来の態度で、あの頃のオルトは制御していたのだろう。
 
「……と、この通りコイツは頭脳の面が割と弱い。巧妙な計画を立てられる人種では無いぞ」
 不意に視線を外し、オルトは再び聖人に話しかけた。
「それは……共犯者、が」
 何故か聖人が急に口ごもる。表情が一転して暗い。
 
「ならばちょうどこちらに向かって歩いて来ている奴がそうか?」
 後方からゆったりとした、静かな足音。オルトに言われ、一同がその方を向いた。
 人物が影から人の姿へとはっきりしてくる。
 
「神父様?」
 距離を縮めようと一歩踏み出したのは、無意識のことだろう。半ば反射的に、ゲズゥはミスリアの肩を掴んだ。
「ミスリア」
 驚いて、彼女は体を震わせた。
「近づくな。その男の顔をよく見ろ」
 戸惑いを隠せぬ様子で、ミスリアが歩み寄る男を見上げた。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

01:20:01 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.f.
2012 / 05 / 06 ( Sun )
 王族の知人など居ただろうか。
 名を馴れ馴れしく呼ばれたからには記憶を探ってみた。顔は見えないしそもそも他人の顔など覚えられないゲズゥなので声を頼りに思い出そうと試みる。
 一分ぐらい頑張っても思い当たらない。その間、場は静まり返っていた。
 
「お知り合いですか……?」
 ミスリアが遠慮がちに訊ねる。
「…………」 
 知ってる知らないと言い切るにも、思い出せないのである。
 
「この私を見忘れたとは薄情な男だ」
 男は馬から飛び降りた。わざとらしい優雅さは無く、極めて自然な、流れるような動作だった。どこかで見覚えた気はする。
「お前に馬術を教えてやったと言うのに」
 若干芝居がかった口調で、男は残念そうに嘆いた。
 そのひとことで、何かが脳裏で閃いた。
 
「…………オルト……?」
 が、やはり他人の名前を覚えるのは苦手ゆえ、自信に欠ける。
「いかにも。私がオルトファキテ・キューナ・サスティワ、ミョレン王国第三王位継承者だ」
 思い当たった人物で正解だったようだ。男は黒に近い濃い茶色の前髪を片手でかき上げて微笑した。
 
 顔の造りだけだとおそらく世間一般の目からは美丈夫と呼ぶには一歩及ばない。だが褐色肌の第三王子を包む空気の凄みが、見下したような藍色の双眸が、他者の注目を惹いてやまないだろう。だからこそ顔を隠すのかもしれない。
 
「お前、ミョレンの王子だったのか」
 ゲズゥはほんの僅かに驚いていた。昔は知らずに接していたのだから。
「だったのさ」
「なるほど」
 
 ふーん、とこの上なく興味無さそうにゲズゥは相槌を打った。衝撃も感心も無い。一方で多少の警戒が生まれたが、それを相手に気取られたくない。
 ゲズゥの知るオルトという人物は、常に己の力で築き上げたものだけで勝負に出られるような男だった。たとえば生まれ持った財を徒(いたずら)に貪るような無能な王族とは違う。ならばオルトの性質に王族という強力な背景を加えたら?
 
「かつて私はお前に裏切られて大敗し、結果として居場所を失った。お前にしてみれば最初から味方でいたつもりは毛頭無かったのだろうがな。そんな敗者など、記憶には残らないか?」
 馬にもたれかかり、何気ない調子で過去を語るオルトの様子は懐かしむようで、いっそ楽しそうである。
「そんなことしたの?」
 聖人の爽やかな声が、好奇心に似た何かを帯びている。
 
「知らん」
 無機質に、ゲズゥは答えた。
 実際はよく覚えている。今、その話に移ってもこじれそうなだけだと判断してのことだ。
 
 変わっていないならば――オルトは許していると見せかけて、何食わぬ顔で闇討ちをしかけて来る男だ。
 そんな考えを見透かしたように一層深い笑みを浮かべ、次いでオルトは足元で跪いている女に声をかけた。
 
「シューリマ。そいつらを下がらせろ」
「はっ、ただいま」
 素直に主の命令に従い、女騎士はまだ何の動きも見せていないゴロツキの連中を潔く引かせた。
 ゲズゥは背後のミスリアと聖人を一瞥し、とりあえずは乱闘にならずに済んでよかったと思った。二人は歩み寄り、ゲズゥと並んで立った。
 
「それにしてもどうしてこのタイミングでこんな所に第三王子様が?」
 お互いにしか聴こえない音量で、ミスリアが疑問を口にした。ゲズゥとオルトの関係に関する疑問は保留らしい。
「オレが呼んだのさ」
 建物の柱の傍から体格のいい男が姿を現した。殺気が無かったので放置していた気配だ。
 
「ルセさん!」
 嬉しそうにミスリアが呼びかける。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

16:00:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.e.
2012 / 05 / 05 ( Sat )
 思考が回りきらなくて呆然と門を見上げていた。ゲズゥの姿はもうそこから離れて視野の外に行っている。ただ、戦闘になったことは音だけでも十分に伝わって来る。座り込んでいる場合ではない。
 
「すみません、大丈夫ですか?」
 立ち上がって、ミスリアは下敷きにしてしまった友人に声をかける。
「平気。君軽いしね」
 カイルは何とも無さそうに笑って身を起こし、階上へと顔を向けた。
 
「やり方は乱暴だったけど、助かったよ。僕らは丸腰だし。何気にあの人、強いんだよね」
「それって……」
 険しくなったカイルの視線の先を、ミスリアも意識した。
「行こう」
 
_______
 
 黒い鎧に身を包んだ騎士風の女の攻撃の一つ一つを、ゲズゥは大剣で残らず受け流した。幸いか他には人の気配が無い。
 以前遭遇した時は一方的に刺されて終わったので外見の特徴などまったく印象に残らなかったが、今回は明るい昼間の路地にて相対している。
 女にしてはやや骨格がごつい騎士は身軽な足取りで動き回り、長い金髪をまとめた三つ編みをなびかせている。
 
「くくっ、また会ったな、『天下の大罪人』。あの者らではお前の相手にならなかったか?」
 口元を斜めに吊り上げて女は低く笑った。濁った声だった。
 多分下水道に降りてきた連中のことだろう。ゲズゥは何も答えなかった。
 
 女は突いたり刺したりするのに特化した形の、細長い剣を巧みに操っている。それを薙ぎ払うタイプの大剣で相手にするのは些か効率が悪い。かといってナイフで相手をするのも難しい。
 不意に女が立ち止まった。次にどう出るのか予感がした。
 
 砂利が踏みしめられる音。
 跳んで間合いを詰めてきた女を、ゲズゥは避けることを選んだ。すれ違う瞬間、健康的ともいえる小麦色の顔が近かった。
 一重まぶたで、目じりに向けて細くなるヘーゼル色の瞳には、純粋な快楽が彩られていた。
 
 このような戦いを心から愉しむタイプの連中には今までに何度か会ってきている。今回もこれといった感想を抱かなかった。
 以前、自分がこの女に刺されて倒されたことに対しても、ゲズゥは何の屈辱も逆恨みも感じなかった。過去の敗因は知れている。ならば今の危機を握りつぶすのが最も重要である。戦いながら少しずつ移動し、路地から通りに出た。
 この女は力こそゲズゥに敵わないが、速さは同等かそれ以上である。加えて、騎士らしく動きが洗練されているのが厄介だ。
 
「ちょうど面白くなってきたというのに、邪魔をするなよ?」
 攻撃を続けながら、女は喉を鳴らして笑っている。
「それは貴女が邪魔をせざるをえないような行動を取るから仕方ないでしょう」
 背後から返事を返したのは、地下から上がってきた聖人だった。口調の柔らかさとは裏腹に、普段よりか声音が怒りを帯びている。
 
「あの商社の雇い主は貴女ですね、セェレテ卿」
 質問ではなく断言だった。内容も要点だけの短いものだが、通じた。
「だったらどうした? 貴様らに関係ないだろう。それともラサヴァの町に感情移入でもしたのか、聖人デューセよ」
 女は空いた手のひらを大げさに翻した。言いがかりだ、などととぼける気は無いらしい。
 
「人として非道過ぎる行いです! 関係が無くても見過ごせません」
 聖人の背から、ミスリアが更に非難した。
 しかし人道を説いてもおそらくこの女には無意味だとゲズゥにはわかっていた。こういう輩には心に決まった何かがあって、それの為なら後は総てどうでもいいのである。身に覚えのある話だからこそよく解る。
 
「さすが聖女様は可愛いことを言ってくれる。そうさ、今この場でお前ら三人をまとめて揉み消しても寝覚めが良いぐらいに、私は非道だ」
 女は高笑いをして、指を鳴らす。柱や樽の陰などに隠れていた気配が姿を現した。ゴロツキという形容が最適な連中で、数は十人。聖人に加勢させてもまだ面倒そうな数だった。ミスリアが唾を飲み込むのを聴いた。
 
「私はこの町で遊んでいた。実験、とでも言えばいいのか? うまく行けば成果を殿下へ献上しようと思っている」
 女騎士は剣を構えなおした。殿下とやらが、この女の心に決まった何かなのだろう。
 
 ゲズゥは腰に提げていた短剣を鞘ごと掴んで、背後の聖人へ投げた。何も無いよりはいいだろう。そうして彼もまた剣を構えなおす。体はそのままに、目だけを動かして、状況を細かく把握した。この女を切り伏せた後は、どういう順番でゴロツキとやり合うか検討しなければならない。
 
 まだ誰も動き出さないこの場面で、さてどうしたものかと考えていたら。
 前方から、蹄の音が響いた。
 こげ茶色の巨躯が人を乗せて駆け寄る。
 
 その馬は高く跳躍した。女騎士の頭上をも超えるほどに。
 そうして今にも剣と剣をぶつけ合うはずだったゲズゥと女騎士の間に着地し、文字通り割って入ってきた。馬の長い尾がバサッと音を立てて揺れる。
 
 かろうじて、紺色のマントに包まれているのが男だというのがわかるくらいで、鞍上の人物の顔はここからよく見えない。長い前髪も原因の内である。
 女騎士が素早く跪いた。ということは、これが例の殿下か。ゴロツキらは戸惑いながら、何人かがやはり跪いている。
 
「シューリマ……お前は相変わらず、妙な事ばかりしているそうだな」
 声は普通の青年のものだが、爽やかさや潔さよりも企みを含んでいた。あまり王子らしいとは言い難い。いや、何が王子らしいのかなど基準がゲズゥに解るわけでもない。
「殿下! 私は――」
 頭を深く下げたまま女は何か弁明をしようと口を開き、けれども男が遮った。
 
「その話は後でいい」
 男は馬の向きをこちらへと変えた。馬の熱い吐息を感じる。
「久しいな、ゲズゥ。一、二年ぶりか? お前はあまり変わっていないようだが」
 未だ顔の見えない男の口元が釣り上がった。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:47:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.d.
2012 / 05 / 02 ( Wed )
 自分でも驚くほどに心中は凪いでいた。恐怖や焦りが無いのは、しがみつかなければならないものを多く持っていないからだろうか。
 それでもやりたいこと、やらねばならないことならあった。目的を果たすまでは死ねない。
 
「僕はね、本当は正義感が特別強いわけじゃないんだ。目の前で許しがたい行為が繰り広げられていようと、保身のために見て見ぬふりぐらいできるよ。辛いけど、できる」
「突拍子もなくどうしたんですか?」
 ミスリアは縄を解こうとせっせと働く手を止めたかと思えば、また動かした。
 
「それでも助けたいと想う心がある内は、体の方が勝手に動いてしまうのかもしれないね。ごめん。独り言だと思って流して」
 カイルサィートは小さく笑ってごまかした。
 ちょうど手首を縛っていた縄が解けたので、自由になった腕をゆっくり動かしてみる。
 
「私にはよくわかりませんけど、カイルは優しいです」
 それが彼女なりの励ましなのだろう。
「ありがとう」
 ミスリアが差し伸べた手を、カイルサィートは迷わず取った。しばらく使われなかった筋肉を徐々に慣らし、腰を浮かせた。が、そのまま椅子に座り込んだ。三度目の挑戦でやっとうまく立ち上がれた、と思ったら、何かが足に触れた感覚があった。
 
「きゃっ」
 いつの間にか溝鼠が二人の足首辺りに噛り付こうとしている。血の臭いに惹かれたのだろう。そういえば朦朧とした意識の合間にも、噛まれていた記憶がある。今はすっかりミスリアの聖気によってほぼ治っているが。
 
 いきなりナイフが飛んで来た。即座に鼠たちは煩く逃げ惑う。
 いつの間にか戻ってきていたゲズゥが、地面に刺さったナイフを拾った。「当たらないな」みたいなことを呟いている。いなくなってから一分も経っていない。水色のシャツにところどころついている赤い跡が彼自身のではなく返り血であるのは、訊かなくても察しがつく。
 
「溝鼠は焼いても不味い。調味して煮るしかない」
 ナイフを懐に収めながら、ゲズゥはそんなことを口にした。
「食べたことあるんだね」
 つい苦笑を返した。
「溝のは雑食だから不味いんだろう。屋根裏に住んでる鼠の方がましだ」
 
「覚えておくよ。でも食には気を付けないと病気になるよ? まぁ、『菌』とか『病原体』ってのは割と最近に発表された概念だから知らないかもしれないけど、食中毒なら聞いたことあるでしょ?」
 腐った食べ物は勿論、「汚い」食べ物を胃に収めてはならないのは常識だ。溝鼠といえば汚い動物の筆頭ともいえよう。
 カイルサィートの言葉に対して、ゲズゥは首を鳴らした後、軽く頷きを返した。それらのやり取りをやはり苦笑しながらミスリアが隣から見守っていたが、ふと表情が硬くなった。
 
「それでカイル、これですが……」
 ミスリアが取り出した紙束に関しては、見なくても内容を熟知している。カイルサィートはそれを受け取ると、移動しながら話を続けようと提案した。
 
_______
 
 三人は一列になって、来た道を逆に辿っている。闇の濃さは先刻と少しも変わらない。けれども一度経験した道となると、最初に通った時のような得体の知れないものに対する不安を抱かないのだから不思議である。もともとは闇そのものではなく未知への恐怖だったのかもかもしれない。
 
「この人たちは」
 ゲズゥに倒された敵を踏み越え、燭台を持ったカイルが開口した。
「とある商社の関係者でね。詳細を省くけど、彼らが提供していた食材に病原体が紛れ込んでいたんだ。地価貯蔵庫から少し取ってきて、確認した」
 
 それは色々なソースや漬物に使われる材料で、容易には足のつかない手口だった。ここら辺の調査は、「疫学」といった、近年のうちに世に現れた学問を用いたのだという。相変わらずカイルは博識だ、とミスリアはこっそり感心した。
 
「ルセさんはカイルになら犯人や動機の心当たりがあると言っていました。本当ですか?」
「そうだね。まぁ、普通に理に沿って考えただけなんだけど」
「なら利を得た人間か」
 しんがりを歩くゲズゥの低い声が、ミスリアの背後からした。何気に話を聞いていたらしい。
 
「でも疫病なんて、儲かる要素があるとすれば薬を売る人間や医者の方……ですよね?」
 その通り、と言ってカイルが後ろを一度だけ振り返った。
「この商社の人たちは雇われただけ。誰に、が一番の問題だけど、首謀者は別にいる。薬売りがどうなのかまでは知らないけど……」
 
 自覚があるのか無いのか、カイルはどんどん歩くペースを速めている。ミスリアも必死に足を速めた。予想としては、後ろのゲズゥは息が上がることなく余裕で付いてきているはずだ。少なくとも、荒い息遣いなどが聴こえない。
 
「ミスリアは『ヒーローシンドローム』って知ってる?」
 地上へ通じる出入り口から漏れる薄明かりが見えてきた頃、カイルが足を止めた。
「いいえ」
 息を整えてから返事をした。
 
「……簡単に言うと、英雄になりたい願望のあまりに自ら事件を起こすことかな。予め解決法も知っているとか、助けに入るタイミングを見計らったりしてあたかもヒーローであるかのように演じるんだよ」
 つまりは、注目を快感に思う心理、または名誉欲。
 
「そんな理由のために四人死んだんですか……」
「人間が欲に突き動かされるのは当たり前だ」
 ミスリアがため息をつくと、ゲズゥがサラッと断言した。有無を言わせない口調だったからか、何も言い返せなかった。
 
「あれ?」
 出入り口への階段の二段目を片足で踏んで、何故かカイルが中途半端に止まっている。
「どうしたんですか? ここから出るんですよね?」
「う~ん、いや、困ったな。実はここの出入り口は普段鍵がかかってるんだけど」
 
「そうなんですか?」
 だとすると鍵を持っていない限りは使えない。貯蔵庫まで戻らなければならないと思って、ミスリアは肩を落とした。
「……それが、開けっ放しなんだよね」
「え?」
 
 ミスリアは顔を上げた。
 確かに、門が開いている。先ほど通りかかった時は閉まっていたように見えた。
 
「さっきの彼らが閉め忘れたのでは?」
「うーん?」
 何か引っかかっているらしく、カイルは尚も眉根を寄せていたが、結局踏み出した。ミスリアも続く。
 
 カイルが門をくぐるまさにその数瞬前。
 ミスリアは少しだけ後ろを振り返った。上らず、階下でゲズゥが何かの気配を探るように静止している。
 突如彼は飛び上がり、それぞれの手にミスリアとカイルを掴んで投げ飛ばした。
 
(ちょ、何!? 危な――)
 階下で重なる形に着地した。カイルが下敷きになっているのでそれほど痛くは無かったけれど。
 
 階上から、金属と金属のぶつかり合う音がする。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:18:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.c.
2012 / 04 / 27 ( Fri )
「よかった――」
 ミスリアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。安堵のあまりにか顔をくしゃくしゃに歪め、次いで抱きついてきた。
 
 カイルサィートは己に覆い被さる温もりにどうしてか驚いていた。そういえば抱き締められるというのはこういうものだったな、と再発見した気分だ。軽く抱き合うことは普段から挨拶代わりによくやっているが、抱き締められる圧力とは比べ物にならない。
 素直に心地良い。
 
「心配、かけたね」
 なんとか囁いた。当然、抱き締め返してやりたいところである。しかし両手が椅子の後ろにて縛られているので不可能だ。
 
 身体の治療に専念するあまりにその辺りに気を配る余裕が残らなかったのだろう。ミスリアらしい。
 彼女の後ろに突っ立っているゲズゥが、拘束を解いたらどうた、みたいなことを指摘したそうに目を動かした――ように見えた。といっても目を動かしただけでは背を向けている本人に伝わらない。
 ゲズゥは口を開きかけて、急に目を見開いた。カイルサィートにもすぐにその原因がわかった。
 
 物音がしたのである。複数の、靴の音と話し声と、衣擦れともいえるような音などが近づきつつある。
 ミスリアも音のする方を振り返った。
 
「こんな場所に来る人といえば、清掃員や整備員でなければ、まともな人間……なわけないですよね?」
 震える声でミスリアは呟いた。
「まともでなければただの物好きだ、気にするな。三十秒もあれば終わる」
 ゲズゥはそう言って、燭台をミスリアの足元近くに置き、来た道を逆戻りし始めた。
 
「終わる……?」
 ミスリアは尚も不安そうな顔をしている。
 それでもずっと、聖気は発動されたままだ。おかげで痛みもだるさも大分楽になってきている。
 何度か深呼吸を繰り返してから、カイルサィートは幾分か回復した喉から発話した。
 
「味方でないのは間違いないし、彼に任せればいいよ。狭いから大剣は使えないだろうけど」
「あ、はい、カイルがそう言うなら」
 でも殺しちゃだめですよ! の言葉だけ、ミスリアはゲズゥの背中へ投げかけた。
 
「それで、具合はどうですか?」
 ぱっと明るい笑顔になって、ミスリアが訊ねた。
「随分よくなったよ、ありがとう。もういいんじゃない? 聖気を閉じて」
 同じくらいに明るい笑顔を浮かべて、カイルサィートは応じた。力とは常に温存するものである故、閉じた方がいいと進言した。
 
 意図を汲み取り、ミスリアは忽ち言われた通りにした。
 金色の淡い光がフッと消える瞬間、ミスリアの細く白い左の前腕に包帯が巻かれているという、不自然なものを目で捉えた。
 
「腕、怪我してるの?」
「これですか」
 どういうわけかミスリアが一瞬ぴくりと怯んだ風に見えた。たとえるなら、悪いことをして隠していたのを、親に見つかって問い詰められる寸前の子供を彷彿とさせる。
 
「……えーと、魔物に噛まれ、ました……」
 歯切れの悪い返事を返しながら、視線をさ迷わせている。彼女が嘘をつけない性分であることは重々承知しているから、ありのままの意味で受け取った。魔物にやられたのは事実だろう。
「ああ、もしかして『忌み地』に行ったのかな」
 
「すみません! 浄化はできたんですが……その、勝手な真似をして……神父様やカイルのお仕事でしたのに独断で……」
 俯き、消え入るように言う少女に、カイルサィートはなるべく優しく声をかけた。
 
「謝らないで。浄化できたならそれに越したことは無いから。訊いて欲しくないなら別に訊かないよ?」
 危険の方へと突っ走った点は確かに叱るべきかもしれないが、自分にできなかったことを成し遂げたのだから、むしろ賞賛に値する結果だ。元よりミスリアは、カイルサィートよりも遥かに優れた実力を有している。
 
「縄ほどいてくれたら、治してあげる」
「このくらい平気です! 後でお願いしますね」
 そう言ってミスリアは椅子の後ろに回り込んだ。

 奥の闇の方から、叫び声が上がる。
 
(ドンパチが始まったか……さて、ゲズゥ・スディルは素手でもメチャクチャに強いんだろうなぁ)

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:11:15 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.b.
2012 / 04 / 26 ( Thu )
 彼は何度か蹴る素振りをして鼠を散らせた。
 ミスリアは思わず去り行く鼠の後姿を目で追い、ふと、前方の薄っすらとした明かりに気が付いた。上から差し込んでいるらしいところから、出入り口か排水溝があると予想が付く。
 
 案の定、近付いてみたらそこには地上への出入り口があった。階段を十段上った先の小さな門が、外界との隔たりだ。雨の日であったならば、街中の水が流れ落ちてきただろう。
 扉を構築する鉄格子の大きな隙間から差し込む陽光を浴びて、そういえば地上では昼間だったことを思い出した。この近辺なら蝋燭の明かりが無くても充分に明るい。
 
「地価貯蔵庫へ戻らなくても、ここから出られますね。ルセさんは不審がるかもしれませんけど……」
 一緒に来たはずの人間が忽然と消えてしまったら、それが普通の反応だろう。
「そうだな」
 
 ゲズゥは何を思ったのか、唐突に燭台をミスリアの手から取り上げて、先を歩き出した。こっちがもたもたし過ぎたからしびれを切らしたのだろうか。
 数分歩いたら、また闇に包まれた。こういう時は炎という発明が実に有難い。
 
 ミスリアは少ない明かりを頼って足元にばかり注意を払っていたため、ゲズゥが立ち止まったのを知らずに衝突した。
 
「きゃっ」
 顔面を彼の背中か腰辺りに思いっきりぶつけた。
 鼻の頭をこすり、どうしたんですかと問いかけて、言い終わらなかった。
 蝋燭の炎に照らされた、下水道の汚水の流れを塞き止めるモノを、目の当たりにしたからである。
 
 小さな山みたく積み重なり、蠢く茶色の集合体。鳴き声からそれが多数の溝鼠だとわかった。吐き気を誘う腐臭に、ミスリアは反射的に袖で鼻と口を覆った。口の中にいつの間にか広がっていた苦味をゴクリと飲み込む。
 あの山の下で、何かが今まさに鼠に食べ尽くされんとしているのだろう。人間と同じ大きさの死体が鼠たちの隙間からのぞく。
 
 死体を見下ろすゲズゥの表情に、何ら変化は表れなかった。彼はそれを一瞥した後すぐに目を離し、燭台を前へと掲げて進んだ。
 
「それよりお前が探してたのは、あっちだろう」
 低く冷静な声に促されて、ミスリアは恐る恐るゲズゥに続いた。
 下水道はここらで枝分かれするらしい。分け目の前に、椅子に縛り付けられた人影があった。
 接近して視認しなくてもわかる。
 
「カイル!」
 夢中で駆け寄った。
 何度か呼んでも揺すっても反応が無いので、首の脈を確かめた。脈は弱々しいけれど、間違いなく生きている。それ以上考える前に、ミスリアは聖気を展開した。
 
(なんてひどい……)
 カイルの肌に触れて感じた体温の低さに、ぞっとした。一体どれほどの時間、この状態で居たのだろう。全身に血の乾いたあとが見られる。骨も折られているようだ。
 特定の怪我を集中的に完治させるよりも、ミスリアは全体を治すことにした。
 
_______
 
 暖かい金色の光が俄かに瞼の裏に広がった。
 また夢が始まるかと思ったが、どこか違和感を覚えた。
 
(天へと続く道に辿り着いたのかな?)
 そのようなことをのんびり考えた。天へ、神々へと続く道に辿り着くということは即ち肉体の死を経たことを意味する。
 もしも自分が死んだというのなら、この上なく残念なことだが、仕方ない。
 
(でも多分違う……「あの時」と違う)
 この光は天から降りてきていない。もっと間近な距離から届いている。それも大いなる神々の届け物ではなく、もっと身近な存在が発している光。
 ああそうか、とその正体に思い至った途端、意識が浮上する感覚に引っ張られた。
 
_______
 
 開いた目が霞んでいる上に、辺りがやたら暗い。
 間近に人が居るのはわかる。しかしその姿が見えない。
 此処は一体どこで、自分は何をしていたのか。頭が痛くて思い出せない。
 夢の世界で何かわかったのに、目を開いた所為で向こうに置いてきたような気はする。
 
(そんな風に感じたのは、何度目だろう)
 短い間に何度かあったと思う。それが、少しだけ悔しいような惜しいような。
 
「大丈夫ですか?」
 可憐な少女の声に、カイルサィートは咄嗟に訊き返した。
「リィラ……?」
「!」
 少女が息を呑む気配がした。
 
 そこでようやっと、目がはっきりしてきた。驚きに塗られた大きな茶色の瞳を、どうして妹と間違えられただろうか。
 
「……ミスリア、」
 来てくれると思ったよ有難う、と言葉を続けたかったのに、乾いた喉には名を呼ぶだけが精一杯だった。なので、とりあえず顔中の筋肉を駆使して笑ってみようと試みたが、これがまた痛くて断念した。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:26:54 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.a.
2012 / 04 / 23 ( Mon )
 独りで眠る夜を怖がった頃もあった。
 それまではいつも誰かと一緒だったし、よほど曇っている夜でなければ窓から明かりが入り込んでいた。
 屋内の純粋な闇には、屋外のそれとは違った恐ろしさがあった。
 
 ドアの隙間から毒蛇が入り込むわけが無いのに、結界に守られた地域に魔物が現れるはずも無いのに、目を閉じれば寝てるうちに襲われて二度と目覚めないのだと、どうしてか思い込んでいた。
 
 闇を凝視するうちに、怪物の輪郭が目に映る夜もあった。もちろんそれは錯覚だったが、子供の瞳には錯覚の方が真実に見えた。怪物は自分にしか見えないモノで、大人を呼んでも気のせいだよとあしらわれると思った。そんな時は悲鳴をあげないように、シーツを噛み締めて気が済むまで強く目を瞑った。
 
 ミスリア・ノイラートは九歳くらいの歳で親元を離れ、ヴィールヴ=ハイス教団系統の修道院に移り住んだのである。当時のルームメイトは彼女なりの都合があり、ミスリアより一月遅れて宿舎に入ったゆえ、それまでミスリアは独りで夜に耐え続けた。
 
(他の子たちだって怖かったはずよね)
 独りで眠る夜は誰にだって寂しくて恐ろしいもののはず。そうに違いない、と小さく頷く。
 
 実質的な危険でいうなら、今の暗闇の方が過去のそれを遥かに上回る。
 
 ミスリアは隣のゲズゥ・スディルを仰ぎ見た。背が高くて細身の筋肉質な青年は、燭台を壁から持ち上げてミスリアに差し出している。その表情には、恐怖が欠片も表れていない。
 幼少時になら、彼も闇を恐ろしいと思ったりしたのだろうか。七歳で身寄りを一切失ったというゲズゥは、どうやって眠りについていたのだろう。いつか聞いてみたい。
 
 考えを顔に出したのかもしれない。こちらが呆然と見つめていたら、怪訝そうにゲズゥは目を細めた。ミスリアは目を一度逸らしてから、燭台を受け取った。
 
「明かりを持つ方が先を歩くんですよね?」
 確認のために訊く。
「嫌か」
 
「いいえ」
 先を歩く不安を感じる一方で、ゲズゥに背中側を守ってもらえる方が安心できる。明かりに触れているというのも、いくらか心休まった。頭を横に振って、ミスリアは通路の方へと踏み出した。
 
 最初に歩いている内は、何も無かった。まるで地中から土を抉り取ってそのままトンネルにしたかのようであった。空気は冷たく湿っている。虫が過ぎる音を除いて、鼠の鳴き声一つしない静けさがあった。
 ふいにゲズゥがしゃがんだことに気づき、ミスリアも立ち止まって肩から頭を巡らせた。
 彼は地面についている僅かな血の跡を確認していた。
 
「……この量からだと、重い傷とは思えないな」
「そう、ですか」
 ミスリアはそっと息を吐いた。怪我をしているのが誰であっても、とりあえずは朗報である。友人カイルサィート・デューセであるなら、尚更だった。
 
 二人は再び歩き出し、通常より二倍速いペースで歩を進めている内に水音が耳に入り、そしてトンネルと交差する通路へと出た。こちらは最初のトンネルより広く、大人が五人程度横に並んでいられるほどの横幅がある。
 石造りの壁と地面、通路の真ん中を流れる濁水。これが下水道の一部と考えて、間違い無さそうだ。臭いを嗅がずに済むように、鼻から息をするのをやめて口からだけ呼吸した。
 
「ここからはどう進めばいいんでしょう?」
 当面の選択は右か左に曲がるかである。どちらも同じような闇しか見えない。ミスリアは燭台の蝋の残り分を確かめ、もってあと一時間と推測した。
 
「下流」
 ゲズゥが一言呟いた。
 大抵の下水道は川などと合流するように造られている。川を通じて、汚水が海へと流れ出る仕様だ。下水道を下流へ進めば進むほど川に出る地点へ近付く。
 
「では右ですね」
 どうして下流がいいのか、ミスリアはいちいち問い質さなかった。自分に優れた考えが無いからこそ訊ねたのである。
 そうして進んでいたら、鼠に遭遇した。何匹かが足元を忙しなく走り回っている。ミスリアは長いブーツを履いているので大して気にならないが、ゲズゥはサンダルだ。噛まれる可能性はある。
 
 盗み見るように振り返ったが、ゲズゥは至って平静だった。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

13:00:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
11.h.
2012 / 04 / 17 ( Tue )
「ええ、確かに聖人デューセは数日前にいらしていますね」
 虫眼鏡を用いて、貯蔵庫の管理人が記録を調べている。顔の皺や頭髪の薄さから思うに、初老ぐらいの、小さい男だ。
「彼が何をしに来ていたのか覚えてませんかね?」
 その管理人の机に肩肘ついて、役人が訊いた。机越しに相対する二人の男の体型の違いが面白い。
 
「えーと……特定の食材の仕入れについて聞きたがっていましたよ。最後に入荷したのが何時だとか、どの業者からだったからかとか。目録を確認していたと思います」
「何の食材です?」
「さて、記憶に残っていませんな……」
「そこを何とか思い出して下さいよ」
 
 役人と管理人のやり取りは尚も続いている。ふとゲズゥは傍らのミスリアを見下ろした。返ってきた茶色の眼差しが不安に翳っている。ゲズゥはなんとなく肩をすくめた。
 ここはいわゆる倉庫、食物を保管する施設の中だった。この中の何処かの床に地下貯蔵庫へと続くたった一つの入り口があるはず。
 
 右目だけを動かして、ゲズゥは周囲を見渡した。日持ちしやすい食品や粉末が棚に天井まで積み上げられている。さりげなく一歩下がって、隣の通路を確かめる。踏み台がある以外に注意に値する点は無い。更に下がって、次の通路を見やった。
 一番奥の棚に梯子がかけてある。もっと手前へと視線を移した。
 するとそこの床には開けっ放しの四角い戸があった。使われたばかりで閉め忘れられたのだろう。
 
 倉庫の外には五人もの番人が警備をしていたというのに、皮肉にも、倉庫の中は管理人以外ほぼ無人状態だった。或いは普段はもっと従業員がいるのかもしれないが、そんなことより今日は誰も居ないというのが重要である。
 管理人はまだ役人と話し込んでいる。こちらの動きにまで気を配っていない。
 ゲズゥは元の位置に戻り、ミスリアに耳打ちした。
 
「戸が開いてる。行くなら今だ」
 驚いたのか、ミスリアは一度肩を震わせた。迷っているような表情をしている。
「悠長に構えていていいのか」
「……いいえ。行きましょう」
 
 すぐさま二人で戸へ向かった。地下へ続く古い階段を踏んだ時の音が気がかりだったが、気付かれた様子は無い。
 長い下り階段の先にあるのは地に空いた穴。地上の新月の夜よりも、どこまでも濃い闇だった。
 ついに階段が途切れ、土を踏みしめることになった。湿った臭いが絡みつく。ここまで来れば闇の中へ進むだけである。
 
「暗いですね」
 背中辺りの裾が引っ張られるのを感じた。怖がる少女の声だ。
「そういうものだ」
 躊躇なくゲズゥは一歩踏み出した。
 
 倉庫から漏れる光を頼りに壁を求めて歩き、ポケットから火打石を取り出す。壁の燭台に火を灯した途端、視界が明るくなり、ミスリアが張っていた気を緩める気配を感じた。目を慣らすために数秒じっとしていたら、ガサガサと紙が取り出される音が背後から聴こえた。
 
「カイルの見取り図では左、奥の隅っこ辺りが丸で囲まれてます。何かあるのでしょう」
 従って、件の位置を調べることになった。
 が、いざ近づいて見ると、その隅の棚にはきれいさっぱり何もない。
 ゲズゥはしゃがみ、指先を地面にそっと触れた。土の冷たさをなぞる。
 
「窪みがある。箱か器か何か置かれていたんじゃないのか」
「ここにもともとあった物がなくなっているってことですか?」
 ミスリアは顎に手を当てている。
「では持ち去った人間が……?」
 ブツブツと何かを声に出して考えているようだが、気に留めないで置く。
 
 立ち上がった瞬間、ゲズゥの鼻がよく知った臭いを捉えた。
 つい、顔をしかめる。
 
「どうしました?」
 表情の変化に目ざとく気付いたミスリアが訊ねる。
「……血の臭い」
 その返答に、ミスリアが息を呑んだ。
 実際は血に混じって他にも汚臭がするが、そこまでは口に出さないことにした。
 
 臭気を辿ったら、反対側の入り口から右奥の隅に行き着いた。棚にはみっちりと品物が詰め込まれている。地面の血のあとが目に入った。数滴といった具合だ。
 ゲズゥは棚を両手で掴み、丸ごと前へ引き出して、横へどかせた。
 
「通路……」
 ついてきたミスリアが呟いた。
 棚の後ろから現れたのは狭い筒状の通路である。自分の場合は多少かがんでいないと歩きにくいほどに天井も低い。
 
「おそらく下水道へ繋がっている」
 下水道といえば死体を隠す格好の場所だ、とは言わないでおく。
 
 どうする? と目だけで問うた。
 ミスリアは唇を噛み締めて俯き、しばらく黙り込んでいた。
 その間にゲズゥは頭に巻いていた包帯を解き、左目を解放した。片目だけだとどうしても距離感が掴みにくい。
 
「進みます」
 やがて、重々しい返事があった。
「わかった」
 
 最善の選択だ。聖人がまだ生きている可能性がある以上、本気で救うつもりならば、立ち止まるのはただ愚かだった。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:47:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
11.g.
2012 / 04 / 16 ( Mon )
 そうだとしても、この場合は酒代は自分が払わなければならないのだ。ミスリアは苦笑いを浮かべた。
 そんなミスリアの心の内を感じ取ったように、ルセナンがまた歯を見せて笑った。
 
「聖人カイルさんに免じて、代ならいいぜ」
 彼は琥珀色の液体に満ちたショットグラスをバーカウンターの上に置いた。濃厚なアルコールの臭いが立ち上る。グラスを、ゲズゥが横から手を伸ばして取った。
 
「でも……」
「でもは無しだ。あの人には随分世話になってるしな」
 温かい印象のハスキーボイスがミスリアの言葉を切る。
 カイルにはお世話になっていてもミスリア個人に対してはまだ初対面だから、厚意に値しない気もした。その旨を伝えようと思ったが、口を挟む機会を逃す。
 
「なんていうかな。神父さんが最初連れてきた時は爽やかな兄ちゃんだなぐらいの印象だったが。やれ魔物だ疫病だなんて騒ぎが出てきてさ」
 自分の飲み物をグラスに注ぎながら、ルセナンは口をも動かした。
「役所での対策会議が終わった途端にオレに『腑に落ちない時の顔をしていますね』って声かけてきたんだ。部屋の逆側からよく見てるな、って思ったぜ」
 
「どうしてそんな顔をしていたんですか?」
 ミスリアが訊くと、ルセナンは腕を組んで唸った。
「一口には説明しにくいんだが……」
「なら後に回せ」
 
 小気味いい音を立てて、ショットグラスが再び木製のバーカウンターの上に置かれた。今度は中身がカラだ。
 ゲズゥの無遠慮な発言に対してルセナンは驚きを見せた。一方、ミスリアはそこではっとなった。ルセナンのペースに気を取られていた。
 
「ルセさん。そのカイルなんですが、今どこでどうしているのか存じませんか」
「教会にいるんじゃないのか?」
「いいえ、二日前から姿が見えません」
 ミスリアが事情を端的に話すと、ルセナンは考え込むような顔になった。
 
「そいつは怪しいな……。残念ながらオレにも心当たりは無い。最後に会ったのが先週、聖人さんが病人を癒しに来てた時だからな」
「そうですか……」
「地下貯蔵庫だったら案内できるぜ。今から行くか? 歩きながらお互い情報交換を続けよう」
 
「ではお願いします」
 ミスリアは深々と頭を下げた。カイルがわざわざ見取り図の複製を作るくらい重要な場所だ。何かわかる可能性はある。
 
 ルセナンは革製のベストを羽織り、奥にいるらしい妻に出かけると声をかけ、そうして一行は三人になって店を発った。
 
_______
 
 町の衛生面の管理はオレの仕事の管轄内だからな、と道行きながら役人が言った。どうやら疫病騒ぎは収束へ向かっているらしい。
 役人が聖女ミスリアと会話しているのを、ゲズゥは三歩ほど後ろから観察していた。単に会話に参加するのが面倒だからである。しかし内容は聞いておきたい。
 
「神父アーヴォスさんが上と掛け合うなり聖人さんに治癒を頼んだりしてさ、何だかんだで死人は最初の四人だけだった。罹った人間の数は現時点で二十八人に上っているが」
「発生源は突き止められたのですか?」
 
「いや、まだだ。適切な処方薬が手に入ったため今はそれを病人に届けることが優先されている。けどおかげさまで民は大分安心できた。もうしばらくは、皆必要以上に出歩かないだろうがな」
 教会は別として、と役人が小さく付け加えた。
 どうやらラサヴァの町民は、ことこの件に関しては神父に相当感謝していることもあるからだという。
 
「治療薬があると頼もしいですね」
「それよ」
 役人は人差し指を大げさに振った。
「オレは数年この職に就いてるが、疫病でこんなに早く解決策にたどり着くなんて稀なんだよ。まずは症状をまとめて伝染を食い止め、できれば発生源と病原体の正体を把握して、正しい処方をする。これらはなるべく同時進行だ。たとえ運良く他の段階が早く進んでも、処方薬を必要な分だけ揃えるのは結構大変なんだ」
 
「なるほど、そういうものなんですか」
「ああ。だからあの会議で、既に国府と連絡をつけて薬を充分に取り寄せているって話になった時、腑に落ちなかったんだよ。なのに次の日には本当に騎士団が荷馬車を引いて来るんだもんな」
「荷馬車を引いた騎士に、シューリマ・セェレテ卿はいましたか?」
 途端に声を小さくして、ミスリアが質問した。対する役人は意外そうな表情を浮かべる。
 
「いたぜ。よく知ってるな」
「なんとなく、です……」
「そうか……? まあとにかく、オレは聖人さんと話してる内に、この騒ぎが仕組まれたって結論に至ったわけだ」
 役人も小声になった。ゲズゥは距離を三歩から二歩に縮めて聞き耳を立てている。
 
「犯人やら動機まではオレにはまったく見当付かないが、どうやら聖人さんは心当たりがあったようだな。独自に追うつもりで地下貯蔵庫を調べてたんだと思う。オレは処方薬の方に手を回してたんだがひと段落ついて、あとは病院だけで手が足りるって言い渡されたから休みをもらった。いや、上司に無理やり休めって半ば強制的にな」
「お疲れ様です」
 
「本音を言えば、オレも一緒になって色々嗅ぎ回ってるってバレたから、現場から遠ざけられたんじゃないかとも思う。誰の計らいだか」
 小声で漏らして、役人は苦笑した。
 
 話を聞く限りではかなりありうる話だというのが、ゲズゥの感想だった。
 

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:42:03 | 小説 | コメント(0) | page top↑
11.f.
2012 / 04 / 14 ( Sat )
「ありがとうございます」
 ミスリアはメモを受け取って役所をあとにした。
 
 外で待っていたゲズゥに簡潔に流れを話し、二人はまた歩き出す。
 三つ角を曲がったすぐそこに湖に面した小さな料理屋があった。
 
「ごめんください」
 店に入ると、眩しさにまず目を細めた。オープンテラスが、高く昇りつつある陽を迎え入れている。まだ少し早いが、昼食の時間に近いといえば近い。
 
 屋内に四角いテーブルが四つ、テラスに三つ、カウンターにスツール六席といった規模の店だった。椅子が全部テーブルの上に置かれている。
 
「悪いな、今日は閉業だ。こっちは掃除とか在庫チェックのために来ただけでな」
 カウンターの後ろから男性が姿を現した。
 
 焦げ茶色の髪を首の後ろで一まとめに結び、口や顎の周りに髭を生やしているため傍目ではもっと年上に見えるが、顔立ちからだと三十路半ばに見える。力仕事に適していそうな体つきで、長い袖を捲り上げている。
 
「いいえ、私たちはお客様ではなく――」
 ミスリアはカウンターに近付いた。
「ん?」
 何かに気付いたように、男性が眉根を寄せた。ドンと音を立てて右腕をカウンターに乗せ、身を乗り出して、ミスリアの顔をじっくり覗き込む。
 
「あ、あの……?」
 気圧されて、ミスリアは仰け反った。男性の灰色の瞳が近い。
 
「……栗色のウェーブ髪で清楚な身なりの少女。かわいいが際立った美少女というほどでもなく、どこにでもいる村娘のような平凡な風貌でありながら内から滲み出る品の良さ、大きな茶色の瞳と白いもっちり肌が特徴。そしておそらく背の高い黒髪の男を連れている……てことはあんたが、聖女ミスリア・ノイラートだな?」
 
「……はい、ミスリア・ノイラートは私です」
 反応に困り、ひとまず笑うことにした。
「おー、やっぱり! 聖人さんに聞いたとおりだな。オレはルセナン、ルセでいい。よろしく、ミスリア嬢ちゃん」
 
 ルセナンは、にかっ、と歯が見えるような人の好い笑顔を見せた。次いで手を差し出し、握手を求めた。ミスリアは素直に握手を返した。分厚い手だったが指は長く、文官でも武官でもやっていけそうだなと思った。
 
「お会いできて嬉しいです、ルセさん」
 正直な気持ちだった。名前からしてまさしく探していた人物である。
「その台詞はそのまま返すぜ。まぁ、座りなよ。そっちの兄ちゃんも、何か飲むかい? 最近は流行病のせいで食べ物が信用できなくてな、仕方なくしばらく閉業してるんだが。酒は水より安心できるだろ?」
 
 そういうものだろうか、と不思議に思いながらも、ミスリアはスツールに腰を下ろした。飲み物に関しては断った。
 
「ウィスキー、ショット」
 それだけ言って、ゲズゥがカウンターに歩み寄ってきた。座らず、近くの柱に背をあずけている。おうよー、と軽く返事をしてルセナンが要望に応じる。
 
(昼間から飲むの……!?)
 ミスリアは激しく疑問に思い、しかし異議を唱えていいものか迷った。目だけで訊ねる。ゲズゥは包帯に隠されていない右目を合わせてきたが、何事でもないかのように視線を外した。
 
(何だか雰囲気的に酒豪っぽいもの、大丈夫……よね……)
 
 きっと飲んでも飲まれないタイプの人間なのだろうと、無理やり納得しておいた。行動や判断力や体調に変化さえ現れなければ、大丈夫。更に言えば、ルセナンがグラスにウィスキーを豪快に注いでいるので、ミョレンの法では昼間からの飲酒は禁止されていないのだろう。
 成人式を経たためミスリアも法では飲めるが、聖女としての戒律では儀式目的以外の酒の類は飲めない決まりである。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

06:04:14 | 小説 | コメント(0) | page top↑
11.e.
2012 / 04 / 12 ( Thu )
 とある可能性が脳裏を過ぎった。ミスリアは最初の時系列に戻り、じっくり目を通した。名前と住所の連なりは、病状が確認された日付順に並べられている。三日前の時点で罹った人数は十五人であり、その中で死に至ったのは最初の四人だけである。
 
 更に紙をめくれば、罹った個人の数日間の行動を記した――入った店や行った場所、食べた物や関わった人物など――細かい調査書がどっさりとある。調書の中には多くの情報が解りやすく含まれていた。本当に、誰かに見つけてもらう為に書かれたかのように。
 これらによれば、病が食を通して伝染していることは既に判明しているらしい。あとは発生源を突き止めるだけだったのだろう。ここまでは解る。
 
 一番最後の紙には見取り図のようなものが描かれていた。図のタイトルからして、それがラサヴァの町の地下貯蔵庫であることがわかる。
 紙の隅っこに、黒い色を見つけた。裏側のインクが透けた跡のようだった。紙を裏返すと、小さく一文が書かれていた。ミスリアはその言葉を読み上げた。
 
「――『これは人為的に広められた病である』――」
 
 冷たいものが背筋を撫でたような感覚がした。
 カイルが導き出したこの結論が本当だとしたら、四人以上の人間が死に、十五人以上の人間が病気に苦しんだのが誰かの手によるものだったということになる。
 そして真実をカイルが調べまわっていると、黒幕なる人物にばれたのなら……?
 
「急いだ方がいい」
 背後からゲズゥが淡々と意見を述べた。
「はい。すぐに向かいましょう」
 或いはゲズゥにとってはラサヴァの行く末も、カイルの命さえも、どうでもいいことなのかもしれない。けれども今協力してくれる気になっているのなら、それを最大限に生かすべきだと思う。
 
「まずはカイルの調査に手を貸した人物と会ってみます。その後は地下貯蔵庫へ」
 ミスリアの提案に、ゲズゥは頷いた。
 
_______
 
 町並みをじっくり観察したい欲求を抑制しながら、ミスリアは足早に町の役所へ向かった。その後ろを、少し離れてゲズゥが歩く。彼の容姿や背負っている大剣が目立つのはどうしようもないとして、呪いの眼は包帯で隠している。ミスリアも聖女の衣装ではなく地味なワンピースを着て、髪は右寄りに緩く束ねている。
 
 といっても昼間でありながら誰も外を出歩いていないのでさほど気にすることも無かった。
 
「とりあえずはカイルを探すことを優先しますね。疫病に関してはそうした方が進展しやすいでしょう」
 小声でゲズゥにそう伝えた。
 
 道の交差する地点には必ず看板があるので、すんなり役所へたどり着くことが出来、幸い他の人間と鉢会わずに済んだ。
 赤茶色に塗られた三階建ての建物の中に役所はあった。
 受付にて、ミスリアはとある役人に会いたいと告げた。それはカイルの調書から見つけた名だ。
 
「彼は今日は休みですが」
 受付の机に向かう中年男性が好奇の色を目にちらつかせて応じた。
「ではよろしかったら連絡先か何か教えていただけませんか?」
 にっこり笑って、ミスリアは男性にそう頼んだ。
 
(あまりしつこいと不自然かしら……でも他の役人さんが味方とも限らないし)
 
「そうですね、この時間なら副業の方にいるかと」
 受付の男性は眼鏡をかけると、メモに街中の料理店の名を書き記した。

拍手[3回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:25:42 | 小説 | コメント(0) | page top↑
11.d.
2012 / 04 / 06 ( Fri )
 さっそく教会の中へ戻っても、手がかりを探すべき場所がすぐには思い当たらなかった。
 もともと居住空間が少なく、私物が置かれるようなスペースは寝室のみにある。探っても、これといって変わりはなかった。
 
 そもそも、何を探せばいいのかすらイメージが掴めない。書置き? 何かの地図? 手がかりがあるという仮定からして外れているかもしれない。
 廊下をうろつきながらミスリアは思考を巡らせた。
 
 どんな些細なことでもいい。違和感を感じたような場面が、何か無かったか。わかっているのは、ラサヴァで病が流行りだしたこと以外に、魔物が頻出していること。それ以上の詳細は聞かされていない。
 
(……それよりも、カイル自身の言葉に何か変なところは無かったかしら)
 彼は出かけた朝、普通に朝食を摂って身なりを整えてから教会を後にした。急いでいた様子もなく、普段通りに落ち着いている風だった。
 その前の日は、典礼があった紫期日。一日のほとんどの間ずっと会っていて、色んな話をした。たとえばゲズゥの罪過や、最初の巡礼地について。
 
(あれ?)
 唐突に足を止めて、書斎の方を意識した。
「本のことで何か言っていたような……」
 ひとりごちて、ミスリアが書斎に入る。
 すぐに、古い本特有の匂いが鼻についた。
 
 カーテンに覆われた窓から暖かい日差しが漏れている。本棚にびっしりと詰められた人類が蓄積した知識の一端を、ミスリアは一歩下がって両目に収めた。
 窓の下に位置する机の、右隣の本棚の一番下の段に、「現代思想」を見つけた。カイルが強く勧めたシリーズである。
 
 確かに、最終巻らしい本があった。ほかの巻と比べて一回り分厚い。ミスリアはしゃがんで、それを手に取った。適当にパラパラとページを捲る。これには新しい本特有の匂いがある。
 ふとまた本棚を見やったら、隣の巻に書かれた「4」が目に入った。
 妙である。ミスリアは手に持っている本を裏返し、背の「6」の数字を認めた。ならば、隣の本は五巻であるべきだ。なのに何度見ても本棚には一から四巻までしかない。
 
『教会の書斎に全六巻揃ってるから暇を見つけて目を通してみるといいよ』
 
 彼はそう言った。ならば足りない一冊に何か意味がありそうだ。
 ミスリアは部屋の入り口を見上げた。例によって静かに出現していたゲズゥに、驚かないふりをした。
 
「五巻を探すのを手伝ってください。これと同じフォレストグリーン色のカバーです」
 立ち上がり、本を指しながら頼んだ。字が読めないというゲズゥでも、数字ぐらいはわかるだろう。彼は無言で応じた。
 
(目線の高い人ってこういう時すごく助かるわ……)
 彼が本棚の上まで見回っている様を眺めて、しみじみとそんなことを思った。
 十分余り、二人は書斎の中をくまなく探した。書斎に本が無いとなると、他にどこにあるというのか。
 
(読みかけて手元に置いたとか?)
 寝室と台所と聖堂はさっき余すところなく見てきたばかりで、どこにも「現代思想」の五巻の姿は無かった。
 
「あ!」
 思い出して、ミスリアは大きく声を上げた。その音に、ゲズゥが怪訝そうに振り返る。
「そういえばカイルは、寝る前に読書をする習慣があったんですよ。消灯時間になると読みかけの本をナイトテーブルの引き出しに入れていたんです。大体そこは祈祷書を収める場所なんですが」
 
 ミスリアたちがこの教会で寝泊りし始めてからは、そんな場面を見ていないのでもうしていないかもしれない。教団に居た頃は、早く就寝したがった同室の他の修道士たちに迷惑がられていたと、本人から聞いたことがある。
 
 寝室には、三台の二段ベッドにそれぞれ挟まれて二台のナイトテーブルがあった。ミスリアは引き出しの中から目当ての本を取り出した。
 紙束がはみ出ている。 
 
 四つ折に折られていた紙束を開くと、一番上にあった紙に見覚えがあるような気がした。
 これは、典礼の朝にカイルが隠したものと似ている。一行の長さや空白が箇条書きのように空いているのが一緒だ。ざっと目を通すと、時系列みたいな、何かの記録のようだった。
 
「何だ?」
 ミスリアの肩越しに見ていたゲズゥが、短く訊ねた。
「……よくわかりません」
 
 次の一枚を見ると、表だった。日付、場所、人の名前、などの項目がある。「食べた物」と「症状」という項目に目が行った。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

07:14:56 | 小説 | コメント(0) | page top↑
前ページ| ホーム |次ページ