14.h.
2012 / 07 / 30 ( Mon )
浮かんだ映像を打ち消すため、ゲズゥは目を開いた。
ちょうどミスリアが地面に膝をついたところだった。
彼女は手のひらを上にして両手を合わせ、聖人が小瓶から垂らす水を受けた。その水を使って手を洗うようにこすり合わせる。
そこで歌が終わった。
「地上での生を終えた器から、魂が穏やかに旅立ちますよう――」
聖人が十字に似た銀細工の首飾りを左手で握り、言葉を紡いだ。先ほどのよくわからない言語と違って、これはシャスヴォルの母国語だ。考えうる理由としては、死した対象と縁深い言語を選んだのだろう。
「清めます」
呼応したのはそっと手を広げたミスリアだ。こちらは南の共通語。
「旅立った魂が聖獣に導かれ、天上の神々へ辿り着けますよう――」
「祈ります」
今度は祈るようにして両手の指を絡め、握り合わせる。
「そうして地上に残された器が、生命の輪に循環できますよう――」
「授けます」
ミスリアは素手で墓石の前の土をどけて小さな窪みを作った。
いつの間にか首飾りを離していた聖人が身を屈め、手のひらから何か小さな物を滑らせた。ちょうど窪みの中へとそれは落ちた。
「どうか、健やかに」
土を戻し、最後にまた水を少しかけてから、二人が同時にそう言った。立ち上がり、互いに向けて軽く礼をする。
それからしばしの間があった。
「終わりましたよ」
振り返り、ミスリアがゲズゥに声をかけた。手ぬぐいで土のついた手を拭いている。
「君も、手伝ってくれてありがとう」
聖人が爽やかに笑う。
ゲズゥは一度頷き、樹から離れて二人に歩み寄った。
「今のは、種か」
「はい。生を終えた肉体が還りやすいように植えるのです。これでこの場からは瘴気が発しにくいようになりました。歌は、死した魂に敬意を表し、天へ昇華するように説得するためのものです」
神妙な面持ちでミスリアが答えた。
「といっても本人の業や穢れが重すぎると、結局は魔物に転じるかもしれないけどね。あくまで可能性を減らす手段であって、絶対ではないよ。でも少なくとも周囲の他の魔物が近寄らなくなる。魔物同士がむやみに絡み合えば最悪、君の故郷のようになりかねないからね」
聖人は服に付いた土を払いつつ言った。植える種は花や木などと、種類は何でも良いらしい。
さて、と呟いて聖人は空を見上げた。雲が減り、日の光が漏れている。
「随分と時間を取られちゃったね。そろそろ行こうか」
「はい」
そうして三人は樹に繋いでいた馬の元へ行き、荷物をまとめて再出発した。
_______
見知った葉っぱを見かけてカイルサィートは一瞬、立ち止まった。
三枚ずつ生えている点や、色、蔦の形などでわかる。
「そこ触らないようにね」
前を歩くゲズゥに注意喚起したが、言い終わる前に彼はそれを避けて進んでいた。先に気付いていたのだろう。
「どうしました?」
馬上からミスリアが訊ねる。
「ツタウルシだよ。触れたらかぶれる」
「あ、知ってます。発疹や皮膚炎になるそうですね」
「葉の油が厄介だな。洗っても洗ってもかゆい」
振り返らずにゲズゥが付け加えた。
と思ったらいきなり、ゲズゥの姿が消えた。カイルサィートは瞬いて、何が起きたのか考えた。
(素早くしゃがんだから消えた風に見えたのかな)
三人が進む道は既に獣道であり、薮に覆われている。長身の彼でもしゃがんでしまえば姿が隠れる。道の側面にはいつしか岩壁が現れ、視界が狭まっている。
カイルサィートは歩み寄って、様子を伺った。
「何かいた? 蛇?」
「……キノコ」
ゲズゥが指差した箇所に視線を落とした。
倒れた樹の幹の影に、確かに茶と白のキノコが群れて生えている。
「こいつは生で食っても美味い」
「なるほど、いいね。でもできれば洗えるといいな」
それが毒キノコであるかは、疑わなかった。カイルサィートの持つ知識の中には無い種だが、ゲズゥの育ちを思えば彼が森の中の食べられる物とそうでない物を見分けられないはずが無い。
「さっきの水は」
「聖水は貴重だからダメですよ」
ミスリアが苦笑した。その返答にゲズゥは肩をすくめた。
仕方なく布で拭くだけにして、歩きながら食べた。パンなどと合わせると生のキノコに含まれる水分で、パンによって乾いた喉が潤う。
先頭のゲズゥが慣れた手つきで道を作っている。短剣を振るい、必要な分だけ藪を払っている。
ザシュッ、と言う枝の斬られる音と足音や衣擦れ以外は、静かだった。前後に人の気配はしない。
「そういえば、ミョレン国だけど」
カイルサィートは雑談をしだした。
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14.g.
2012 / 07 / 22 ( Sun )
言っている意味が通じなかったのか、ミスリアはきょとんとしていた。次に小首をかしげ、次第に複雑そうな表情になった。
「聖獣を……手に入れる……? って、どういう風にして手に入れるんですか?」
腕を組み、ああでもないこうでもないと唸った。イメージできないらしい。
「さぁ。制圧するか、捕まえるか、滅ぼすか何かじゃないか」
とりあえず思いつくままに言ってみた。オルトの考えることなど、昔からわかるようでわからないものだと諦めている。
大きな樹脂の欠片で土を掘る手を止めて、今度は聖人が眉をしかめた。
「途方も無い話だね。聖獣の居場所すら知らないだろうに」
そう言って袖を捲り上げて、聖人は作業を再開した。
死体を埋める為の穴を掘る作業だ。ゲズゥも樹脂の欠片を用いて、土をどけた。あと程なくして大の男が入るような穴になる。
「誰も知らないのか」
「それは少し違うよ。教団が管理してきた重要機密として、知識は断片という形で広く存在している」
聖人の言い方に、謎かけか、とゲズゥは呆れた。
「知っている人がたくさん居るのに本当は誰も知らない、という状態です。情報を繋ぎ合わせないと、北の一体どこに聖獣の安眠地があるのか割り出せないようにしているのですよ」
少し離れた位置に立つミスリアが補足した。
「でしたら私たち聖人聖女さえも最終目的地を知らないのではないかって話になりますけど、進むべき道ならあります。それに偽の情報の中から真実を探し出す方法も」
ミスリアは落ち着いた声でそう言って、遠い何処かを見上げた。実際の曇り空の中にある何かを見つめてはいないのだろう。
聖獣に到達するまでの道のりが、既に途方も無いのだということはなんとなくわかった。
それなのにそんな道に人生を捧げる人間が目の前に居る。付き合おうとしている自分もやはり、おかしいのかも知れない。
穴を掘り終わり、ゲズゥは聖人と協力してその中へと元兵隊長の死体を放り込んだ。聖人の表情は硬く、人がやりたくない作業をあくまで仕事だと割り切ってこなす時の、真剣な顔だった。傍らに立つミスリアはまだ気分が悪そうだが、それでも目を逸らさない。
放り込んでから土をかけ直す作業は、ゲズゥが一人で引き受けた。本音では埋葬してやりたいとは特に思わないが、あの二人が魔物が発生しないようにちゃんと弔いたいと提案したのである。
それに対して、ゲズゥはどういう弔いの儀式なのか見てみたいと興味本位に考えた。
柳の樹の下に埋葬するだけが故郷の村の風習であり、その後の人生でもゲズゥはあまり複雑な葬式に立ち会ったことは無かった。ましてや、聖職者の関わった葬儀など。
聖人がどこからか石を持ってきた。人間の頭ほどの大きさのそれを墓石代わりに置く。
ミスリアは懐から取り出した小瓶を、聖人に渡した。受け取った聖人は地面に片足立ちになり、小瓶の蓋を回して開けた。
透明な水が一滴零れる。
それは不自然なほどゆっくりと垂れ、瓶を離れて落下し、そして石に当たって弾けた。
いつの間にか、折り重なる声が耳を打っていた。
二人が何かを唱えている。正確には歌っている? それもまったく同じ歌という訳ではなく、合唱になるようにそれぞれ音を分担している、ように聴こえる。音楽に通じていないゲズゥにはそういう認識になる。
近くの樹に背中を預け、心地良い音に目を閉じた。
『――多分、俺はそういう目的の為に、生きていない』
つい先ほど自分が口にした言葉を頭の中で反芻する。
どうしてそのように答えたのかは自分でもはっきりとわかっていない。ただ、あの女やオルトについて行っても、きっと変われないと思った。
おそらく、一生に一度だけ与えられた機会。
処刑されるはずだった自分と同じ生き方では、誰も守れやしないのだ。
ゲズゥは自嘲気味に笑った。
――アレはとうの昔に庇護を必要としなくなったというのに、未だに守ってやりたいと思うなど馬鹿げている。
あまりに綺麗な顔が嫌味ったらしく微笑むさまが脳裏に浮かんで、ゲズゥはイライラするようなモヤモヤするような、なんとも言えない心持になった。
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14.f.
2012 / 07 / 17 ( Tue )
まともな王子と知り合っていたなら、もしかしたら違った思い出を共有できたかもしれない。
黄昏の頃に国の未来を憂えていた姿やら、理想の王像を語る輝かしい笑顔やら。勿論そういった人物にゲズゥが縁を持てるはずも無いが。
残念ながら命がけの場面での思い出ばかりだからか、まさかその男がどこかの国の王族だなどとはつゆほども思わなかったわけだ。
「……お前の原動力って一体何だ」
その日は巷の縄張り争いが激化したからと、侵入者の掃除にでかけたのだった。何人かで行動していたはずだが、気が付けば二人しか生き残っていなかった。
夢中で闘っている内に周囲が死屍累々になるなど、ゲズゥにとっては驚くような経験ではなかった。そして彼は味方の立場の人間を守ったり手を貸すのも普段からあまりしないので、一緒に赴いた人間に勝手に死なれることも多かった。
だがオルトは生き延びた。
それまでに何度か関わったことはあっても、記憶に残るような関わり方はしていない。
聞いた話だと奴は騎馬戦に強く、白兵戦だと中の下程度の実力らしい。実際に組んでみてわかった。手ぶらでやり合えば十回に九回は必ずこちらが勝つだろう。
「何だ? お前が私に興味を持つとは珍しい。それどころか、自分から喋り出すとは珍しいな、ゲズゥ。頭でも打ったか?」
オルトは倒れ伏せた人間と死体の間を器用に縫って、金目の物を漁っていた。口元が斜めに釣りあがっている。しゃがんでいるため上目遣いになり、藍色の双眸が挑戦的に光る。
――この男は賢い。そして冷静だ。
周りが乱闘を繰り広げる中で、一人だけ冷めた目で状況を分析し、他人を巧く盾に使って立ち回っていた。息が上がっているようにも見えない。
そんな中、時折見せる愉悦の表情は何だったのか。生き延びる事を最優先する自分とは違う何かを感じて、何故だか気になった。
「別に答えたくないなら構わないが」
ゲズゥは顔に付いた返り血を手のひらで擦り取った。
「答えないとは言っていない。そうだな、私を動かすのは好奇心、いや探究心? それも少し違う。私は、自分の限界を試したいのだ」
立ち上がり、オルトは速やかに次のカモを定めた。
「限界?」
「そうだ。誰もやっていないことをやりたいからと、私の望みはそんなモノではない。誰かが既に果たして居ようが居まいが、私自身にそれが出来るか否かが総てだ。行為自体に、意味は無くてもいい。ただ、出来ると、自分に証明したいのさ」
「……変な望みだな」
「ああ、私もそう思う。それも、楽しいのだから仕方あるまい。で、どうだ? 手始めにこの領域の『頭領』に取って代わりたい。私のささやかなクーデターに手を貸さないか、ゲズゥ・スディル」
その誘いに頷いたのが何故かと後に問われれば、オルトに触発されて「楽しそうだと思ったから」と答えるだろう。楽しさを求めて何かをするのがいつ振りだったか、もう自分にもわからない。
どうかしていた。しかし、後悔は生まれなかった。二人だけで始まったその運動は勢いを増し、数ヶ月後確かにその領域はオルトの所有物になったのである。
「私は答えたから、今度はそっちの番だ。お前の原動力こそ何だ?」
「……」
無意識に左目を押さえた。
ゲズゥはそのまま黙り込んで、いつまでも答えなかった。
_______
「……オルトはああ見えて、周りの競争を面白がっているだけだ。自国の王位など本気で欲していない」
数年も会わずじまいで再会してもすぐに名前が思い出せなかった人間のことを、ゲズゥは淡々と語る。
「…………ラサヴァで、耳打ちされたが」
「はい、覚えています。何を言われたんですか?」
ミスリアが訊ねた。
「あの時あいつは俺に、『聖獣とやらは面白そうだな。手に入れてみようと思う』と言った。『割と本気』なら、そのうち行動に出るだろう」
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14.e.
2012 / 07 / 16 ( Mon )
(大陸を手に入れようだなんて、小国の第三王子に出来るわけが無いわ)
一体彼女は何を血迷った事を言っているのだろう。
呆れて何も感想が出ない。きっとゲズゥだって「くだらない」の一言で一蹴してくれるだろう。
けれども前方に立つ彼は何も言わなかった。しばらく経っても、僅かに首を傾げるだけだ。
徐々に不安が、ミスリアの胸中に広がった。
旧友からの誘い、大陸が手に入るという誘惑。ゲズゥが応じる可能性は完全に否定できない。
もしも彼がそれを望むのならば、引き止める言葉をうまく並べられるだろうか。
もともとなし崩し的にミスリアについてきているような印象はあった。護衛を引き受けてくれた理由は未だに聞き出せていない。
(やめて。おいていかないで――)
今度こそ道が分かれる予感がして、ミスリアは両手をきつく握り合わせた。
ゲズゥの返事を聞き届ける勇気を己の中からかき集める。
「それはお前からの勧誘か」
恐れていた肯定の言葉は無く、ただ無機質な問いがあった。
「……何故?」
「オルトは俺にそんなことは言わない」
ゲズゥは差し伸べられた手を凝視している。
「……何だと?」
明らかにムッとした顔になり、セェレテ卿が不快そうに訊き返した。
「俺の忠誠など、望まない」
「――貴様が殿下を語るな! 名を呼び捨てるな! 知り合ったのが先だったからって調子に乗るなよ!」
途端に、セェレテ卿が怒りに任せて怒鳴りだした。そうしていると、彼女が毛嫌いしていたらしいシャスヴォル国の元兵隊長とどことなく似ている、とミスリアは密かに思った。隣のカイルが反射的に身構える。
対するゲズゥは、興味無さそうに肩をすくめただけである。
「……ならば殿下ご自身の望みであれば、貴様は応えるのか?」
幾分か落ち着いてから、セェレテ卿はもう一度口を開いた。ゲズゥの勧誘にオルトファキテ殿下が関与していなかったことを認めるような発言だ。
「いや、別に」
「何故だ? これほど心躍る話は無いだろう。あのお方が如何に素晴らしいのか、貴様なら知っているはずだ。ついていけば満ち足りた人生を得られる。少数派である我々だからこそ」
セェレテ卿は心外そうに熱弁を振るった。地位やお金で釣る気はないらしく、仕えるべき主君の素晴らしさをひたすら推している。
最後辺りの、「少数派」という単語にのみゲズゥは眉を吊り上げるという反応を示した。
「オルトに不満がある訳じゃない。ただ――」
彼は肩から振り返り、ミスリアを一瞥した。黒曜石を思わせる瞳に、思わず心臓が跳ね上がる。
何かを確かめるような、伺うような視線だった。
「――多分、俺はそういう目的の為に、生きていない」
「世界征服よりも世界を救う為、などとくだらない使命感か? いくら命の恩があっても、仕える人間は選ぶものだ」
それはミスリアが仕えるに値しない人間だと暗に仄めかしているようだった。
こちらとしてはゲズゥを自分に仕えさせるつもりでも無いので、怒る気も起きない。
「誰かに従えというなら、それこそがくだらない。俺の主は、俺だけだ」
彼はキッパリと断言した。
(確か、亡くなったお母様が言っていた……)
聞き覚えのある言葉に、ミスリアは納得した。もしかしたら彼は幼少の頃からそれを守り続けてきたのかもしれない。
何であれ、ゲズゥが申し出を受け入れる気が無いのだとわかって、こっそり安堵する。
反論の代わりに、セェレテ卿がゲズゥを睨んでいる。やがてまた、鼻で笑った。
「なら、損をするのは貴様の方だな」
「そうだな」
何の感情も篭っていない返事。
「ふっ、まあいい。実は殿下から貴様への伝言を預かっている。本来の用事は、こっちだ」
そのためにミスリアたち一行を探し出したのであって、某氏への長らく続いた鬱憤を晴らしたのとゲズゥを勧誘したのはついでらしい。
「伝言?」
「そうさ。『私は割と本気だ』――何の意味かは、自ずと知れるだろうと。私にはさっぱりわからんが」
セェレテ卿は腰に手を当てた。主を全面的に信頼しているのか、隠し事をされても欠片も気にしている風に見えない。
「確かに伝えたぞ。私はこれで去ることにする。死体は放っておけ。また、何処かで会うことがあるかもしれんな」
楽しげに言い捨てると、彼女は現れたのと同じぐらいに迅速にその場をあとにした。
残された三人が、顔を見合わせる。
傍には人間の死体が一体と、草を食む馬が一頭。
なんともいえない沈黙が降りた。その沈黙を最初に破ったのは、カイルだ。
「嵐みたいな人だなぁ……。とりあえず、伝言の意味はわかった?」
どこか好奇心の混じる声色で、彼はゲズゥに問いかけた。
ゲズゥは大きく嘆息した。
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14.d.
2012 / 07 / 11 ( Wed ) 「ははははは! 貴様はずっと前から鬱陶しくてならなかったんだ。お互いに自由の身になれた今だからこそ、こうしてやれたのさ」
聞き覚えのある声は紛れも無く彼女のものだ。返事のできない相手に好き放題言い放っている。
ミスリアはこみ上げてくる感情の名を知らない。何故だか息のし方が思い出せない。
今までで人が死ぬ場面にも、生まれる場面にも、立ち会ったことはある。けれども人があからさまに殺される場面は、初めてだった。
(どうしてあの人は、簡単にそんなことをするの。どうして、笑っているの)
訊ねたところで、どんな返答が返ってきても自分に理解できるとは到底思えない。
(ゲズゥなら、殺した後はどういう反応をするのかしら――)
脈絡も無いことを思った。大分混乱しているらしい。
「セェレテ卿、貴女は近いうちに処刑されると聞いたのですが」
口を挟んだカイルの声は普段よりも低く、警戒に満ちている。
「聖人デューセ、残念だったな。私が死人に見えるか?」
彼女はそうして高笑いをした。
「見えませんね。貴女は魔物ではなく生きた人間です」
冷ややかにカイルが答える。
「ならそこの男の仲間に入れてやってもいいが」
「それはしなくていい」
ゲズゥが何でも無さそうに提案したら、カイルが即座に却下した。
ミスリアは目を瞑り、口から一度大きく深呼吸をする。カイルのシャツを握る手の力を抜いた。今度は鼻だけで深呼吸をする。そうしていくらか気持ちが落ち着いたら、カイルの腕の中から抜け出た。
(よく人がいきなり現れる日だわ)
ため息を飲み込み、ミスリアは倒れた男の首から剣を抜く女性の後姿を捉える。奥歯をかみ締め、目を逸らさずに見届けた。
女性はベージュ色の麻のブラウスに群青色の麻ズボンといった、身軽そうな格好をしている。
顎までの長さの、薄茶色の髪は毛先が微妙に揃っていない。――薄茶色?
彼女はこんな容姿だっただろうか?
くるりと、素早く女性が振り返る。
不敵な笑みをたたえている二十代半ばほどの女性は、紛れも無くシューリマ・セェレテ卿だった。
「化粧か何かでそばかすを誤魔化しているのですか?」
カイルが訊いた。
「まあ、そんなところだ。顔を知る人間なら近づけばすぐにわかるだろうが」――彼女は息絶えた元兵隊長を顎で指し――「遠くからはわかるまい。処刑が済み、人々に忘れ去られるまでは、一番の特徴を潰しておけと殿下のご命令だ。染め粉を手に入れるのには苦労したな」
「処刑が済むというのは、貴女の身代わりに立てられた罪無き別人のことですか?」
己の舌から転がり出た言葉と声の冷淡さに、ミスリア本人さえも驚いた。
「さて、別人ではあるが、罪の有無はどうだろうな。何かしら裏のある人物をついでに私に仕立て上げて消すのかも知れん。殿下ならば一つの石で二羽も三羽も鳥を打ち落とすのが常だ」
セェレテ卿は自慢げに答えた。どうやらオルトファキテ殿下が彼女の解放に手を回したのは間違いないらしい。
「それよりも、私はちょうど貴様に用があったのだ、『天下の大罪人』」
剣で空を切り、セェレテ卿が血に濡れた剣先でゲズゥを指した。といっても、剣先は彼より五歩以上は離れている。
「……貴様、『戦闘種族』だろう?」
楽しそうに彼女は笑う。新しい遊びを見つけた子供のようだ。
聞いた事のない単語に、ミスリアは首を傾げた。カイルを仰ぎ見ても、彼の瞳にも疑問符がちらついている。
ゲズゥは、一見何の反応も表していない。ところが剣の柄を握る右腕に力がこめられるのを、ミスリアはしかと見た。
「剣を交えた時に確信した。私の速さについて来られる人間などそう多くない」
「確信したということは、お前もそうか」
抑揚の無い声でゲズゥが応える。
「ほう? とぼけるな、貴様とて私に気付いただろう。我々は互いに互いを認識できる。まさか『呪いの眼』の末裔に戦闘種族の血筋が混じっているとは思わなかったが」
セェレテ卿が鼻で笑う。
(戦闘種族って、呼び方からして戦いに特化した人間のことかしら?)
アルシュント大陸での「人種」とは――血の繋がりによって遺伝する、身体的な特徴を共有した少数派人間を意味する。それぞれを、共有する特徴で括って「何々種族」と呼ぶが、その分類の仕方は結構おおまかである。どれもが呪いの眼の一族のようなわかりやすい特徴を有している訳ではない。
総ての種族で共通しているのは、どれも少数派であることだけだ。そのため、本人たち以外に存在を知られていなかったり、歴史の流れと共に埋もれることが多い。
「――共に来い」
セェレテ卿の次の発言は意外過ぎるものだった。剣を下ろし、空いた手をゲズゥに差し出している。
ミスリアとカイルは目を瞠った。
「殿下に従え! 貴様の実力なら我々にとっては即戦力となりうる。どうだ、オルトファキテ・キューナ・サスティワ殿下の下でゆくゆくは大陸を手に入れようじゃないか」
「無茶苦茶なことを仰いますね」
苦笑交じりにカイルが呟いた。
「別に貴様らは誘ってないぞ。何処へなりとも行けばいい、私は追わない」
セェレテ卿はカイルに向けて、しっしっ、と追い払うように手を上下に振った。 |
14.c.
2012 / 07 / 07 ( Sat )
「ミスリア、少し下がろう。巻き込まれたら困るからね」
ふいにカイルの声がした。
「でも……」
「心配いらないよ、きっと。この場合、周りが見えてる方に分があると思う。その点、彼は十分に冷静だから」
戦闘に関する知識に乏しいミスリアには、カイルの示す理論に異を唱えられない。引かれるままに、馬を下がらせる。ついでにカイルの手を借りて、馬上から降りた。
鉄と鉄のぶつかる音。傍目にもゲズゥよりも筋力の優れた男が、勢いに任せて剣を弾き飛ばした瞬間だった。
ミスリアが息を呑むのとほぼ同時に、ゲズゥは元兵隊長の懐に踏み込んだ。左手で槍を制し、右肘で腹を押さえ込む。そういえば前にも、似たような展開があった。得物を失うとゲズゥはうろたえるどころかそれを逆に利用するらしい。
元兵隊長にできた隙は、短かった。ゲズゥはその内に飛び上がり、相手の顎に頭突きをくらわせた。見るからにかなり痛そうだ。
「がはっ……!」
元兵隊長は呻いた。
普通ならば衝撃で身動き取れなくなりそうなものの、彼は報復に燃える両目を光らせ、後ろに倒れつつも足で槍の柄を蹴った。
「――!」
ゲズゥは声ともいえない呻き声を漏らした。槍の刃がちょうどこめかみ辺りにぶつかったようである。
血飛沫に驚いて、ミスリアは小さく悲鳴を上げた。
しかし斬られた当人は体勢を崩していない。むしろ、体勢を崩した元兵隊長にすかさず踵落としをくらわせている。
「……あんな早業、初めて見たよ」
呆然と感心を表すカイルに、ミスリアは頷いた。
それでも元兵隊長はよく粘る。鎧を着込んでいない分だけ身軽であり、彼は地面から跳ね上がった。
再度槍による攻撃を繰り出すが、それをゲズゥは淡々と避け続ける。まるで、突かれる位置を先読みしているようだ。
「逃げるな! 貴様、なんぞに! この私が! 敗れていいわけがあるか!」
いっそ彼が瘴気でも吐いているかのように見える。急に背筋が寒くなって、ミスリアは身震いした。
「……そうか」
いつの間にまた相手の背後に回ったゲズゥが、興味無さそうに言う。
これもまた早業だった。瞬く間に、あんなにも図体の大きい元兵隊長が宙を飛んでいる。運が悪いのかゲズゥが狙って投げ飛ばしたのか、彼はそのまま小岩に激突した。多少の土やら草やらが跳ねる。
ゴツッ、という音に思わずミスリアとカイルは顔をしかめた。
元兵隊長は岩を背にぐったりしている。タフな彼も流石に動けないのか、口を半開きにして息も荒い。意識はあるようで、瞳は未だに憎悪に燃えている。
「お疲れ。といっても、彼みたいに憎しみに振り回される方が疲れる気がするけどね」
カイルは爽やかな笑顔を浮かべて、佇むゲズゥに声をかけた。
確かに、元兵隊長がぐったりしているのは身体的なダメージだけが原因とは思えない。彼は父親を失って悲しかったのだろうか。それとも家が没落した事で受けた屈辱の方が、大きかったのだろうか。
「嫌味か」
冷淡な返事が返ってきた。
(そういえば将軍さんを殺したのは憎しみからだって言ってたわ)
ならばゲズゥも憎悪に振り回される感覚を知っているのだろう。カイルの言葉が自分に対する嫌味と受け取るのも不思議ない。
「え? そういうつもりで言ったんじゃないけど……」
困ったようにカイルが苦笑いをする。ゲズゥはそれ以上は何も言わず、弾き飛ばされた大剣の回収に向かっている。本気で気にしていないのかもしれない。
「まあそれはいいか。それよりどうする? このまま置いていくのはひどいし、だからといって治癒を施すのも何だか気が進まないな」
「そうですね……」
「気になるなら、近くの人里に捨ててくればいいだろう」
「……君が言うと、段々それが最善に思えてくるのは何でだろうね」
「無責任です! それでは罪も縁も無い人に厄介ごとを押し付けることになります」
「うん。ここまでの執着心、適当に捨てただけじゃあまた追ってきそうだしね」
「では誰かに身柄を引き渡すべきと?」
「そうだね……。ねえ、ところで耳からものすごい血が出ているよ」
「あっ! 私が治しましょうか」
「ほっといても塞がる」
目前の危険が消え、三人とも緊張を緩めて話をしていたからか。
樹の後ろから滑り出てきた新しい人影への対応が遅れてしまった。
勿論、最初に気付いたのはゲズゥだった。彼が目を細めたことに、次はミスリアが気付いた。あろうことか彼は何の行動にも出なかったので、視線の先を追うだけにした。
人影は元兵隊長の横に立つと、長く細い物を伸ばした。
「シューリマ……セェレテ!? 何故――」
驚愕に彩られた声は、それだけしか言えなかった。すぐに喘ぎ声と、何かおぞましい音が続いた。
何が起きたのか理解した時にはもう終わっていた。
「ミスリア! 見ない方がいい」
カイルに頭を抱き抱えられ、彼の胸に額を押し当てられた。
けれども、既に映像は目に焼き付いている。
シャスヴォル国の元兵隊長の喉元に細い剣が生えていた。
あれでは間違いなく事切れていた。聖気を展開するまでも無い。
ミスリアはカイルのシャツを握り締め、体が震えるのを止めなかった。吐き気を通り越して、頭がぼうっと麻痺している。
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14.b.
2012 / 07 / 03 ( Tue )
一人で追ってきて、一人であとをつけてきたというのなら、凄まじい執念である。
それもそのはず。ゲズゥこそがこの人の、偉大なる将軍だった父親の、仇だと言う。
国境で交わされた会話を思い出してミスリアは吐き気を催した。それを押さえ込むため、口元に手の甲を当てた。
――大丈夫? との、カイルの気遣わしげな目配せに何とか頷く。
「貴様が父上を惨殺してからというもの、我が一家は没落の一途を辿り続けた。公開処刑が決まり、貴様さえ死ねばようやく立て直せると思った――だが貴様は生き延びた。しかも、無事に国外に逃れたという! あれから我が一家がどれほど笑いモノにされてきたのか、わかるまい! 聖女、貴様とて同罪だ!」
元兵隊長は、瞬間的に矛先をミスリアに変えた。長い槍の刃が煌いたのは、恐怖でそう見えたからなのか実際に光を反射していたからなのか、わからない。彼の一突きが届くような距離にいなくとも、ミスリアは体が強張った。
「役職を辞してまで国境を越えたのはひとえに復讐を果たすためだ。今日は逃がさぬ。貴様ら全員の屍を踏み躙るまで、私は止まらない!」
鬼気迫る様子で元兵隊長は叫ぶ。
「言い訳をするなら今のうちだ。したところで、もっと無残に殺してやるとも」
元兵隊長は今度は大きく体を揺らしながら笑った。
もはや彼には常識が残っていないのだろう。「天下の大罪人」はともかくして、聖人や聖女にまで死の脅迫をしていいものではない。
ゲズゥは、つまらなそうにため息をついた。そして元兵隊長の方には目もくれずに、何故かこちらを伺っている。
一度瞬くと、ゲズゥは復讐を唱える男と再び正対した。
「何を言い訳しろと。アレを殺したのは元は従兄との約束がきっかけで、いわば村の仇討ちであっても、結局は俺が自分自身の憎しみに基づいてやったことだ」
そう話すゲズゥが、いつもの無機質な話し方と違ってひどく面倒臭そうなのが印象に残る。
従兄との約束とはどういうことだろう。村の仇討ちだったならば、かの将軍は村を崩壊させた実行犯の一人であったと?
疑問を抱きながらも、ミスリアはゲズゥとのとある会話を思い出していた。
『俺は生きるために必要なら他者を喰らう。生存本能に倣って』
『――今までが全部そうだったとは言わない』
村の仇討ちのため。
それは即ち復讐心と憎しみに駆られて、生きたままの将軍を苦しませて殺したと。親類縁者の復讐のためといってもそれは非道な行いであり、果てしなく間違っている。
(でもそれが人間っぽく思えるのは、どうしてかしら)
何を根拠にそう思うのか自分でもよくわからなくて、ミスリアは首を傾げた。
生き物の命を奪うという行為は、何よりの至悪であるはずなのに。拷問にかけるなど、もってのほかだ。
「黙れ! 下種が――」
元兵隊長は顔を紅潮させて、益々激昂した。
「お前が俺に復讐するのはお前の勝手だ。そこで返り討ちにするのは俺の勝手だ。そうなっても恨むなよ」
あくまでゲズゥは冷静に告げる。
彼は手首を巡らせ弧を描き、剣先を鞍上の男へ向けた。
「……ミスリア、お前は殺すなと言うのだろう」
体の向きを変えずに、ゲズゥは静かに問いかけた。
「はい。お願いします」
ミスリアはできるだけ毅然として答えた。傍らのカイルを瞥見すると、彼は励ますようにただ微笑んだ。
「わかった」
短い返事の後、ゲズゥが地面を蹴る。傍観しているこちらの目では追えないほどに速い。
見事な瞬発力をもってして、彼は相手の背後に回った。樹の幹を足場にしている。
元兵隊長が慌てて槍を回転させるが、ゲズゥは姿勢を低くして槍頭をかわした。次いで飛び出し、大剣の柄で馬の後ろ足を殴った。
白馬が嘶き、咄嗟に逃げ出す。乗り手が振り落とされるのを狙って、ゲズゥが剣を薙いだ。
元兵隊長は槍の柄(え)部分で刃を受け流した。地面に槍を突き立て、それを支えにして後退した。その内に体勢を立て直している。
すぐ後の攻防で彼は勢いを付け、僅かにゲズゥを押している。しきりに何かを叫んだり、吼えたりしながら。
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14.a.
2012 / 06 / 30 ( Sat )
「ミスリア、絶対に聖女になってはだめよ」
彼女は強い口調と硬い表情で言った。自分が、聖女になる目標を嬉々と話した直後だ。
「どうして……?」
そんな反応をされると思っていなかったから、喜んでくれるとばかり思っていたから、ミスリアは悲しくなった。
それが顔と声に出たのだろう。その人は、ミスリアの目線の高さに合うよう膝立ちになった。
優しい手に、そっと両肩を掴まれた。
「ごめんなさい。いつか、あなたにもわかる時が来るわ」
その人は泣きそうな笑顔を浮かべた。見ているこちらが泣きたくなる。
「わからないよ、おねえさま」
「今はそうでしょうね」
姉はそう言って抱きしめてくれた。
「いいからお願いよ。聖女にはならないで。幸せに、なってね」
抱きしめる腕に力が入った。
それでも、ミスリアは是と約束できなかった。
肩に落ちた熱い滴が姉の涙だとわかったのは、もう少し後のことだ。
_______
姉が家を出た日の夢を見るのは、久しぶりだった。昔はもっと頻繁に見たかもしれない。
(まるで聖女になったら幸せにはなれないみたいな口ぶりよね)
今でも姉の言葉の意味が見つからない。
ミスリア・ノイラートは出かける支度を手伝いながらぼんやりそんなことを思った。携帯食の入ったこの荷物を馬につけて最後だ。
今朝も曇天である。
雨が降ろうものなら進みが今より遅くなるので、心配だ。
心配事といえば、昨夜通りかかった気配の話をカイルから聞いている。結界を解いた瞬間に襲って来ないとも限らないので、朝から慎重にもなる。
隣でゲズゥが背中に背負っている剣の柄を片手で握り締めた。警戒に、目を細めている。
「それじゃあ結界を解くけど、準備はいい?」
カイルの問いかけに、ミスリアもゲズゥも頷いた。
短い呪文の後、カイルの手のひらにのった青水晶が淡く光った。次いで、目に見えない隔たりが完全に消えてなくなる。
いきなり物音がして、誰かが凶器を手に飛び掛かるのではないかと身構えた。しかし数分経ってもそんなことは起こらない。
「どうしましょうか」
ミスリアがゲズゥに訊いた。
「気配が無い。とりあえず進むべきだな」
「じゃあ、そうしようか」
カイルも同意し、かくして三人は再び歩き出した。
一時間半ほど進んだら、ちょっとした丘に辿り着いた。丘の上の大きな木の根が歪な形で伸び広がるのを、避けて通るようにとミスリアは馬の手綱を繰る。
あまりに地面と木の根にばかり注意していたからだろうか。右横から現れた影にまったく気が付かなかった。
――ヒュン。
空気が切られる音にはっとして、ミスリアは顔を上げた。
馬が緊張したように嘶き、後退る。
すぐ近くに、銀色に光る平面があった。自分の横顔がおぼろげに映っている。
ミスリアは戦々恐々と、宙に止まったままの大剣の先を視線だけで探った。
すると見事な白馬に跨った、がっしりとした体格の男性が伸ばしかけた腕を引くのが見えた。その腕を阻むために振り下ろされたと思われる大剣の方はまだ動かない。
「…………」
突如現れた三十歳かそこらの男を、ゲズゥが無言で見据えていた。男は舌打ちをして、長い槍を構え直した。
黒いくせ毛と褐色肌。憎しみに支配された眼差しと表情は一度しか見たことが無いけれど、すぐに思い出した。鎧を含まない軽装になっている点だけは以前と違う。
(この人、シャスヴォル国の兵隊長……!)
驚きを顔に出さないように必死に堪えた。
いつの間にか左隣に来ていたカイルを見下ろすと、彼は片手に抜き身の直剣を構えていた。空いた右手でミスリアの乗る馬をそっと宥めている。
「ついにまた、この機会を手にしたぞ」
兵隊長が下唇を舐めた。
以前にも増して、纏う気配は危険な熱を帯びている。
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13.f.
2012 / 06 / 28 ( Thu )
時折弾ける焚き火を見張っていた。
傍らでは、毛布に包まった少女が安らかな寝息を立てている。
(年頃の女の子に、道端での野宿はできればあんまりさせたくないな……)
眠るミスリアになんとなく微笑みかけてから、カイルサィートは正面にいる長身の青年を見上げた。
程よい大きさの石をどこから見つけ出したのか、ゲズゥはその上に座って瞑目している。腕を組み、右足を曲げて踵を左の膝にのせた姿勢だ。瞑想しているのか寝ているのかは知れない。
どちらでも構わない。言いたいことを一方的に言いたいだけなので、カイルサィートは口を開いた。ミスリアを起こしてしまわないよう、小声を用いる。
「ゲズゥ・スディル、或いは『天下の大罪人』。ミスリアは君が『語られているほど凶悪じゃない』と見ているみたいだけど、僕は少し違う解釈をしている。君は背徳に、何も感じないんだ。祖国にすら見捨てられ、何もかもを奪われた境遇――結果として君が人間として何か欠如しているのかもしれないという話を聞いたけど、実際に会ってみてあながち外れていないと思う」
カイルサィートは目を閉じた。自分の言葉の重さは十分に理解している。いっそ、一方的に言い捨てるだけで終わってもいい。
逆上されて殺されるなら、せめてミスリアが逃げ切れるまでの時間は稼ぐ。
「別に君の生き方が間違っているとか、そういうことが言いたいんじゃない」
彼の生き方自体を全て理解できているなんて思わない。まだまだ気になる点は多いし、誰も他の誰かを全て理解できやしない。そんなものは驕りだ。それでも、他人を理解しようと努力をし続けるべきである。
ふと視線を感じた。
目を開けると、色の合わない両目が炎越しにカイルサィートの姿を写していた。といっても黒い右目はともかく、白地に金色の斑点と縦に細長い瞳孔の左目では、写っているものがはっきりとは見えない。
その双眸は威圧的でありながら静かだった。背筋が凍り、微動だにしてはいけないと本能が訴える。
本能とは裏腹に、不思議と頭では恐れることは無いとわかっていた。出会ってからの時間を思い返せば、簡単に納得できる。彼はむやみに暴力を振るわない。
「……ほら、ミスリアって道端の虫の死骸にでも心を痛めるから……危ういと思ったんだ。君が傍にいて、いつかはそういう意味で傷付くんじゃないかと思って」
「遅い」
低い声が短く答えた。返事をくれるとは思わなかったので少しだけ驚く。
「うん。確か、ミスリアが対話していた最中の魔物を君が豪快に斬ったらしいね? まぁ、相手が生きた人間じゃなかっただけ幸いかな。でも、何だろうね、要するに」
カイルサィートは自分の言いたいことをまとめようと、一息ついた。
「僕はミスリアを信じているし彼女の選択を応援するけど、やっぱり君の方からも少しでも気を遣って欲しい。ということを、頼んだところで聞いてもらえなくても、せめて記憶のどこかに留め置いてくれると助かる」
言い終わると、軽く頭を下げた。
しばらくして頭を上げると、ゲズゥは訝しげな顔をしていた。
(何か皮肉を吐きそうな雰囲気だな)
確かにゲズゥは口を開けている。が、彼が何か言う前に森の方から物音がした。
刹那、ゲズゥの顔から表情が消え去った。
残るのは敵を探す獣の瞳だ。
カイルサィートも、己の吐息を静めた。
最初の音がしてから、二人は動かずにただ待ち続けた。
どれほどの間、そうしていたのかはわからない。
はっきりとした音はもうしなかった。草がふみしめられるような、微かな音なら聴いたかもしれない。
やがて、ゲズゥが興味をなくしたように目を伏せ、剣の柄を握っていた右手を開いた。
「通り過ぎたな」
「……そう」
張り詰めていた息を吐き出した。どの道、結界があるのでどんな敵だったとしても簡単に入り込んだりできなかったろうが、だからといって無視できない。
「狐か何かかな。それとも魔物?」
一定のリズムで寝息を立てているミスリアを眺めながら、呟いた。
「人間」
「え? よくわかったね」
彼には音の大きさや間隔か何かで判断できたのだろうか。カイルサィートに聴こえなかったような音か、空気の揺れか、はたまた臭いのひとつでも感じ取った可能性もある。
「ただの勘だ」
返ってきた答えはあっさりとしていた。ただの勘でいいのか。
夜盗やら賊の類を懸念して、カイルサィートは眉をしかめた。何かしら対策を立てるべきかもしれない、と相談を持ちかけようと思った途端。
ゲズゥが道端に生える樹を登り始めたのである。
考えうる理由としては――見晴らしがいいので危険要素をいち早く発見できそうだからか、それとも単に寝るつもりなのではないかと思う。
「三時間したら起こせ。交代する」
頭上から降ってくる声。見張りの話だ。どうやら登った理由は後者の方が当てはまるらしい。眠気に抗う方法なら多く持ち合わせているので、こちらとしては断る理由は無い。
「わかった。お休み」
樹の上に向かって答えた。
不審な気配を、ゲズゥ・スディルが気にしないと決めたのならこちらとて過剰に気にしても仕方ない。
カイルサィートは日記帳と羽ペンを荷物の中から取り出した。
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13.e.
2012 / 06 / 26 ( Tue )
――主のために行ったらしい所業だというのに、最終的にそのせいで主に切られた女。
ゲズゥは不敵な笑みを絶えずたたえていた女騎士に思いを馳せた。滑稽である。
といっても、オルトはいわば海か空のような、広いような深いようなとらえ所の無い男だ。かつて一年以上と行動を共にしただけに、ゲズゥは直感でわかっていた。
「どうだろうな」
「何が、ですか?」
力なくミスリアが訊く。
「……あの女に利用価値を見出す限り、オルトは多分そいつを助ける」
「どうやって?」
ある程度抑制しているとはいえ、聖人の目は興味深々だ。
「顔や背格好が似た人間を代わりに処刑すればいい」
「そんな――」
「あの男はそれくらい何とも思わん」
ますます気分が悪そうなミスリアに構わず、ゲズゥはまた歩き出した。
オルトが女騎士に対して見出した利用価値に関して、あの女と刃を交えた時からゲズゥには密かに思うところもあった。しかしそれを理解できない相手に教えても無益だ。 食べ終わった林檎を森の中へと投げ捨てた。
トスッ、と落ちた瞬間の控えめな音がする。その衝撃か音に驚いたらしい小動物が、ガサガサと逃げ回る音が聴こえる。
そういえば聞きそびれたことがあると思い出して、ゲズゥは歩く速さをゆるめて背後の聖人を振り返った。
「うん? どうしたの」
すぐに気付いて、聖人の方が声をかけてきた。馬上のミスリアもこちらに注目している。
「夜の魔物をどうしのぐ気だ」
ゲズゥはミスリアと聖人の二人に問題提起をした。まさか夜通し移動を続けるつもりは無いだろう。しかも小さな村が点在しているとはいえ道から大分外れてしまうため、宿泊先を探すより野宿の方が手間が少ない。
野生の動物は炎などで近寄らせないなどと対策は立てられるものの、魔物除けに効くのは「結界」といった術だけのようだ。それらの類は専門家こそがどうにかすべき問題である。
そうでなければ、交代で寝ずの番をするしかない。
「カイル、考えがあると言っていましたよね」
ミスリアは聖人の方へ視線を向けた。
「そうだね。例の水晶をまだ持ってる?」
「はい、ここに」
ミスリアは懐から何か小さな袋を取り出した。細い指で引き紐を解いている。
「村の封印が解けた時、空から降ってきた石のようなものを覚えていますか? これがあの時の水晶です」
覚えている。空が歪んだかと思えば一点の石に収まった、という不思議現象。あの時は母を見送った直後であっただけに深く気に留めなかった。
こちらからも見えるように、ミスリアが手のひらを差し出す。
水晶といえば面の多い宝石みたいなものを想像した。ところがミスリアの手のひらにのっている青みがかった透明のそれは飾り物の石みたく、滑らかだった。人の手によって磨かれたものに思える。
ゲズゥは今まで生きた年月の間にさまざまな石を見てきた。見た目で似ているのはガラスの小玉辺りだが、この青水晶は何かが根本的に違う。何がとなるとはっきりとわからない。どうにも教団やら聖気がらみとなると曖昧な感想ばかりになってしまう。しかし、近づいて確かめたいほどでもない。
「これを使って簡易式の結界を練るんだけど。聞く?」
理解できるかどうかあやしいが、いつかは生きるために役に立つ知識となるかもしれないという可能性を検討してから、頷いた。
前を向き直り、歩き出す。背後からゆるやかな馬の蹄の音と聖人の声が続く。
「今は込み入った説明は省くよ。即ち水晶とは、とある何かを別の何かに『繋ぐ』のをより簡単にする、媒体なんだ」
聖人は軽い調子でそう始めた。
端から理解の範疇を超えているが、ゲズゥは何も言わないでおいた。道端の倒木を踏んで、ひとり先頭を黙々と進む。
「村の封印の要だったのはこの水晶で、核の魔物が消えれば封印も解けるように二重に術がかかっていたんだね。封印と魔物という二つの不安定な存在を繋ぐのは難しい。でも如何に高等な術でも既に解けた今では、この水晶は空白状態に戻っている」
「術が書き込まれていない空白状態なので、私たちが新たな術に使えるわけです」
「そういうことだね。水晶が無くても術を練ることは可能だけど、それだと成功しにくいからね。それで、封印と結界の原理については別の機会に話せばいいかな」
「大体わかりましたか?」
遠慮がちにミスリアが問う。
「…………」
振り返って、頷いた。わかったといえばわかった。
でもこの話はもういい、とも思う。
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13.d.
2012 / 06 / 19 ( Tue )
「そうだな」
ルセナンは深く頷いた。
「噂だと、睨んだだけで人を呪い殺す力を持った眼って説もあるぜ。どうなんだろうな? あの兄ちゃん、そんなことしてたか?」
好奇心と畏怖の入り混じった目で、ルセナンが訊く。
「いいえ」
頭を振って否定した。ミスリアの知る限りではゲズゥが睨んだだけで相手がどうこうなるなんて現象は起きていない。だからといって、知らないところでそれをやっていないとは言い切れない。真実であれば末恐ろしい能力だ。
「噂は、あくまで噂に過ぎないでしょう。でも貴重な情報を有難うございました」
信じていないといった具合で、カイルが笑んでいる。もとより、俄かに信じられる話でもない。
「それより僕らもそろそろ出ないと。下手すると置いていかれるかも」
ミスリアにしか聴こえないようにカイルは小声で言った。
「え」
一瞬想像して、硬直した。
「冗談。でも、一人で先に行ったとしても余裕で自分で生活できそうだよね、彼」
カイルがあまりに爽やかに笑うので、ミスリアも釣られて破顔した。
「……では、お話の途中ですが私たちはもう行きます。色々とお世話になりました」
二人は揃って会釈した。
「いや、こちらこそ世話になったな」
「お気をつけて。旅、頑張ってくださいね!」
ルセナン夫婦が会釈を返す。そして明るく手を振って送り出してくれた。
_______
ラサヴァの町での馬の入手は困難だった。数が少なく、値段が高い。そのため、買ったのは一頭だけである。荷物を背につけて、鞍にはミスリアが乗っている。一人で乗るのに不安そうな顔をしているが、聖人が手綱を引いているので問題無いだろう。
町から伸びる一本の道を、旅装姿の三人と一頭は無言で進んでいる。まもなく町から出るため、道のレンガの舗装が途切れ、前方に続いているのはただの土手道である。
談笑が無いのは気にならないどころか、むしろ理想的だった。
背後の二人は料理屋を出てからずっと何か聞きたそうな様子である。言い出しづらいのだろう、時々こちらに視線を投げかけては口を開き、しかしとて問いを形にすることなくまた目を逸らす。
察していながらも思いっきり無視を決め込んで、ゲズゥは歩を進めた。
彼は多少の荷物を腰に提げ、大剣を背負い、片手の林檎を時々かじりながら程よいペースで歩いていた。いつしか周囲の景色は人間の建てた建築物から大地より伸びた木々に切り替わった。記憶の中の周囲の地理・地形を、実際のそれと比べながら、脳内の地図を書き換えている。
この先には森、丘、岩壁、低い山。ミョレンの国境を抜ければ、視界に収まりきらないような高山が現れ、山脈を成す。
国境を抜ける手前で聖人とは道が分かれるらしい。
そこからの行き先への地図はミスリアが持っているが、地図と方位磁石を読んだだけではあの山脈の抜け方を知ることはできない。最後にあの付近へ行った頃のことを、ゲズゥは思い返した。夜な夜な襲ってくる魔物は当然のこと、獰猛な野生動物が居た気がする。山賊などもおそらくまだあそこで縄を張っているだろう。
「……結局、流行り病騒ぎは、全部の責任をセェレテ卿と某商社に押し付けて円満解決に仕立て上げたみたいだね、町長と役人たちが」
ようやく口火を切った聖人が最初に触れたのはラサヴァの話題だった。
「そうですね」
未だになんと感じればいいのか決めかねているような声で、ミスリアが答える。司祭の名誉は守られたということだ。
「商社の人間は牢入りだったり死刑判決になったりしたけど、セェレテ卿は、数日のうちに公開処刑にされるそうだよ。やっぱり、そうしないと元が騎士だから示しが付かないのかな」
聖人が抑揚の無い声で言うと、ゲズゥはぴたりと足を止めた。
振り向けば、ミスリアが血の気の引いた顔になっていた。鞍を掴む手に力を込めたのか、間接が白んでいる。この少女は、敵の立場だった人間の死を聞いても動揺するのか。
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13.c.
2012 / 06 / 15 ( Fri )
思わず、ミスリアは顔をしかめた。その言葉に思い当たる節が無いでもない。
「……そういうことだね、多分」
カイルは目を閉じて同意し、それ以上は何も言わなかった。
ミスリアは両手を握り合わせた。かける言葉が思い付かない。
結果、ぎこちない静寂が広がる。
「……食って寝てればそのうちどうでもよくなる。心がいくら落ちようが体の方は生きるのを諦めたりしない」
そう言い残して、ゲズゥは宿屋の中へ戻っていった。パタン、と裏口の戸が閉まる。
「あれ、もしかして慰めてくれたのかな?」
ゲズゥの姿が見えなくなってから、カイルが訊ねた。
「私にもそのように聞こえました」
「いいアドバイスだったね。ひとまず僕は、寝ることに再挑戦するかな」
カイルは身を起こし、そのまま立ち上がった。
「はい、私も」
ミスリアは差し伸べられた手を取った。
柔らかい風に打たれ続ける湖を、二人はあとにした。
_______
料理屋の夫婦に向けられた憐憫と後悔の眼差しを、ゲズゥは快く受け止めなかった。彼にとっては何の意味を持たないものだからだ。
面倒くさい方向の話だ。
踵を返し――曇天の朝に出発して大丈夫か、崩れないだろうか――などと天気の問題へと思考を切り替えた。
「当時のシャスヴォル政府があんたらの村に何か不穏なことをしようと考えてたって、隣町のオレらは本当はわかってたぜ。何もしなくて、悪かったな……なんて言っても仕方ないか」
今更謝罪しても無意味だということを、役人は理解しているようだった。
「事情に気づいたのはほんの一握りの人間だった。騒ごうものなら、オレらは間違いなくシャスヴォル軍に口封じとして消されたはずだ。みんな、怖かっただけなんだ」
役人は更に話し続ける。
あの日、「呪いの眼」の一族を抹消するつもりでやってきたのはシャスヴォル軍だった。
近隣の村や町の人間は一族をまったく助けようなどとしなかった。こちらがひっそりと隔絶されたように暮らしていたとはいえ、昔から物々交換などの付き合いはあったというのにだ。
そうしてゲズゥは人類に失望したと同時に、納得した。人は、自分以外の誰かを助けたりしない。それが醜いのかというとそうではなく、ただそれが当たり前の在り様なだけで、生き物はいつでも自分のことだけで精一杯だったのだ。
「私たちは『呪いの眼』の一族を嫌ったり怖がったりしなかったわ。本当よ」
役人の妻が必死な声で訴える。
詮無きことだ。誰が何を言おうと時は遡らない。
驚愕の表情を浮かべる聖人と聖女ミスリアの間をすり抜けて、ゲズゥは店から通りへ出た。
_______
(えーと……)
一度も振り返ることなく去っていったゲズゥの後姿を、なんとなく見送った。
(うぅ、気まずい)
ミスリアは知らず後退っていた。目立たない程度にカイルの背中側に回る。
出立の朝だというのに、天気だけでなく旅の先行きもあやしい。
「彼らの村を滅ぼしたのは、自国の軍だったんですね」
沈黙を破ったのは、カイルだった。
「ああ。知らなかったんだな」
「彼は語ってはくれませんでした」
俯き、ミスリアはそう答えた。
「どうしてそうなったのかご存知ですか? 僕なりに考えはありますが」
「さあ……詳しくは知らない。政府が村と『呪いの眼』を危険視してたのだけは間違いないな」
「でも明確な危険性を示す証拠は無いです」
ゲズゥの処刑を止めた日に総統閣下に言ったのと同じ言葉を、ミスリアは繰り返した。
「そうは言っても、人は得体の知れないものを駆除したがるよね。証拠やはっきりとした結果が出るのを待つほどの勇気が無いから、先にどんな不安の種をも潰そうとする。あとになってそれが過ちだったと知ってもね。為政者としてそのやり方が最善なのかどうかは、一概には言えないと思う」
カイルは重いため息をついた。
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13.b.
2012 / 06 / 12 ( Tue ) しばらくして衣服の擦れる音がした。静まるのを待ってから、視線を戻す。
幸いゲズゥはズボンを穿き終えたようで、上半身だけ夜風に晒している。デッキに脱ぎ捨ててあった服を淡々と拾い集め、肌に付着した水をシャツで雑に拭っている。タオルを使えばいいのに、と思ったけど言わない。
ミスリアは風に揺れる水面を黙って眺めることにした。
静かな夜だった。結界に覆われていないこの町ではなかなか味わえない、魔物の騒がない夜。主にここ数日での魔物狩り師たちの働きのおかげである。勿論、ミスリアも討伐の手助けをしてきた。数が減った今では、余計な聖気の気配が遠くの魔物を惹きつけないように注意を払っている。
ラサヴァを初めて訪れてから一週間半ほど経った。
諸々の騒ぎの後始末を手伝いつつ、ルセナンの料理屋を手伝ったり、図書館や評判の菓子屋へ寄ってみたりと、ちょっとした観光もしている。
本来の目的を思えば進んだ方がいいのに、ついカイルに気を遣ってしまう。それに、彼も近いうちにこの町を発つそうなので、途中まで一緒に行く約束をした。
ゲズゥはというとずっと、意見一つ漏らさずに見守っていた。何も言わないのは肯定の意か、それとも関与したくないだけか。護衛らしくほとんど行動を供にしてくれるけど、付かず離れずの距離で数歩後ろを歩く形だ。
(でも……なんとなくだけど、何も言わないからって何も考えてないわけじゃない、気がする)
むしろ彼が呆然と遠くを見つめるのは、色々と物思いに耽っているからだと思う。日頃、何を考えているのかものすごく知りたい。
「あと一人って何? なんか意味深だね」
爽やかな青年の声にはっとなって、ミスリアは後ろを振り向いた。
ミスリアにとってのたった一人の友人、カイルサィート・デューセが宿屋の庭からデッキに踏み出している。ゲズゥは問いかけを無視すると決めたようで、無言を保った。
「カイル。今晩は魔物討伐の予定は無いはずでは」
深夜にどうして起きているの、という意味合いで訊いた。けれどもカイルが近付くにつれて彼の服装が目に入り、的外れな質問であるとわかった。
彼は寝巻きとも取れるような無地の大きめなシャツとズボンに、上着を羽織っているというだけのラフな格好だ。とても今から出かける風には見えない。
「うん、知ってるよ。風に当たりに来ただけ」
カイルは笑って、隣に腰掛けている。やはり夢見が悪くて目が覚めたのだろうか、などと考えた。
「そんな薄着じゃ冷えるよ」
彼は自分が着ていた上着を脱ぎ、ミスリアのキャミソールワンピースの上にかけた。
「ありがとうございます」
上着に残る温もりを素直に受け取った。
「で、そういう君らは何してるの? 水泳の特訓?」
シャツを使って髪を乾かす半裸のゲズゥに対して、カイルは不思議そうに首を傾げている。
「私は眠れなくて……」
ミスリアの返答にカイルは「そっかー」と頷いたかと思えば――いきなり上半身を後ろに倒して、デッキに仰向けになった。片腕で顔を覆っているので表情が見えない。
「え、どうしたんですか?」
心配で友人の顔を覗き込む。もしや相当に疲れが溜まっている?
確か今日は、午後からの役人たちの集まりにカイルも出席していたはずだ。ミスリアは部外者だし、聖女として慰問の仕事もあったので参加していない。その会議が半日以上にも及ぶ長さだったらしいのはルセナンの妻に聞いている。
「あーあ、おうちに帰りたいな」
彼にしては珍しく子供っぽい言い回しに、ミスリアは伸ばしていた手を止めた。
カイルは五年前に一番近しい家族を失っている。直後に父とは疎遠同然になり、そして今度は、叔父とは二度と会えない流れになっている。もうすぐ二人で暮らしていた教会をも離れる。
教団の思い出では集中的に修行ばっかりしていたから、あそこはおうちって雰囲気でもない。 彼の帰りたい家はどこにも残っていない。だからこそ、この一言は重い。
(私は両親ともに息災だけど、どっちかといえばあの家にはあまり帰りたくないし……)
これでは友人の気持ちを汲んでやれない。
「ごめん。君らに言うことじゃないね」
カイルは特にゲズゥに気遣わしげな視線を向けた。そのゲズゥは視線を返さないで、腕の柔軟をしている。
「謝らないでください」
「僕がもっと早く気付いて、行動に移していれば叔父上を止めることくらい出来たかもしれないけど。それを言えば『全部私の咎なのに、君は真面目すぎる』って返されそうだなって思った」
「……お父様にはお会いできそうに無いんですか?」
「無理だよ、多分。父上は僕に会いたくないはずだから」
カイルは腕を組んで枕代わりにした。
「どうしてですか、ご自分のお子さんなのに。残った家族を大事にしたいと思うでしょう?」
「それは違うよ」
目を閉じて、カイルは静かに告げた。どういう意味なのか、ミスリアにはわからない。
「つまり……」
「残った人間を見ると失った家族がどんなだったか思い出すから、会いたくないんだろう」
言いかけたカイルを、ゲズゥの低い声が遮った。 |
13.a.
2012 / 06 / 07 ( Thu )
衝撃は、解放感に似ていた。
泡の音。水の中を落下する時のみに味わう独特の重圧。
人間の体温より遥かに冷たい水に全身を包まれ、芯まで震える。浮上し、水面を突き破って息を吸い込んだ。ひんやりとした空気が肺を満たす。淡水の臭いは割と好きだ。
目を開けたまま、再び夜の湖に潜り込んだ。視界の曇りから察するに、藻で月明かりが湖底まで届きにくいとわかる。小魚が足の指を掠めた。長い水草が左手首に絡みつくのを、右手で剥がした。
暗闇自体は気にならないどころか、むしろ安寧を与えてくれるものに感じられる。
時折、闇の中に浮かび上がる記憶と言う名の映像だけが余計だが。
昔から幾度となく、繰り返し思い出してきた場面の一つがまた脳裏にちらついている。瞼の裏に焼き付く光景を払いたいがためにとにかく体を動かす。
十代半ばの少年が地面に横たわり、血にまみれた手を伸ばしていた。
いつだって、少年の全身を汚す血と煤と体液よりも左の眼窩(がんか)から溢れる赤黒い血ばかりが気になる。
――頼む、――してくれ。――――ったら、かならず――――を―せ――
途切れ途切れに記憶を波打つ、少年の必死な声。
ゲズゥ・スディルは息を止めて二十秒ほど泳いだ。
苦しいのは、息をしていないからではない。彼は柄にも無く悩んでいる。
目が覚めて仕方が無い時は、体を動かすに限る。疲労感だけが確実に深い眠りの世界へ沈ませてくれるからだ。普段はそういう睡眠ばかり取っているので夢すら見ない日が多い。
気分は未だ晴れないが、諦めて水面を目指した。
「眠れないんですか?」
湖から頭を出した途端に、背後から少女の澄んだ声が聴こえた。
振り返るとそこには、デッキの端に腰をかけた聖女ミスリアの姿がある。縁に手をかけ、白い素足をぷらぷら揺らしている。栗色の髪を後頭部で束ね、身に着けている淡い色のワンピースは暗くてよくわからないが橙か黄色だろう。
小柄な少女は僅かに上半身を傾け、湖面を見つめた。手すりに囲われていないデッキだからできることだ。
見たところ、眠れないのは寧ろミスリアの方なのではないかと思う。
ゲズゥは岸に向かってゆるやかに泳いだ。
「……夢を、見ていました。怖いというとそうでもなかったんですが、後味が悪くて目が覚めたんです」
「そうか」
いつもなら相槌を打たなかったかもしれない。今夜はたまたま自分も似たような気分だったからか、つい先を促すような視線を向けた。その意図を受け取って、ミスリアは話を続けた。
「螺旋の階段を、のぼる夢でした。目指す先は雲の上にあって見えないんですけど、そこに欲しいものがあると確信を持って走り続けるんです。でも息が切れるまで走っても、たどり着かなくて。疲れて立ち止まって階下を見ると、幸せそうに笑う人が一杯いて、楽しそうだなって羨ましくなって。引き返して階段をくだるんですけど、今度はどんなに頑張っても下の方へいけないんです。いつの間にか上へも下へも進めないんだって解って、自分だけ取り残されたと解って、階段に座り込んで泣き崩れました」
そこで目が覚めたのだと予想がつく。
ミスリアは両膝を抱き抱えて、膝の頭に顎を乗せた。ワンピースの裾が柔らかい風になびく。
世界に一人取り残される気分なら、ゲズゥには覚えのある感情だった。そんな夢を見るくらいだからミスリアにも何か心当たりがあるのだろう。多少の興味は沸いたが、訊きたいほどでもない。
ゲズゥは岸まで泳いだ。
「夢なら、俺も見た」
居心地悪そうに目を潤ませる少女に、同情したのかもしれない。気がつけばそんなことを呟いていた。
「どんな夢でしたか?」
茶色の瞳には驚きが彩られた。
しかしその質問には答えず、ゲズゥはひとりごちた。
「……約束を果たすまで、あと一人……」
両手を岸にかけ、水の中から上がった。
_______
湖から岸へ上がってきた青年は全裸であった。ミスリア・ノイラートは一瞬遅れて顔を逸らした。
下半身に何か穿いていると思ったから吃驚だ。
「ご、ごめんなさい」
デッキに灯りが灯されていないからおおまかなシルエット以外は何も見えなかった訳だけど、一応直視した形になったので、謝罪せずにはいられない。
視界の端を、細かい傷跡だらけの足が通り抜けた。向こうは気にしている様子は無い。
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2012 / 06 / 01 ( Fri )
「お二人とも何だか辛そうです」
独り言のように小声で、ミスリアは呟いた。カイルと神父アーヴォスのやり取りを指して言っている。
「兄弟、か……」
すると同じく独り言のような小声で、ゲズゥも呟いた。何か後に続くのかと待っても、彼のは本当に独り言らしい。兄弟という単語で何を連想しているのか、表情を見ても想像できない。
「カイルにも、妹さんが居たそうですよ。五つ年下の」
「死んだのか」
グラスの水を飲み干して、ゲズゥは無機質に訊いた。
「……お察しがいいですね。お母様と妹さんはカイルが修道士見習いになって間もない頃、魔物にかかってお亡くなりになっています」
五年ほど前の話で、その時ミスリアはまだ彼と出会っていなかった。
「妹はお前に歳が近いな」
そう言われてみれば確かにそうだ。カイルには妹のように接されたことがほとんど記憶に無いから、常に対等に話してくれたから、意識していなかった。
厨房からまた女性が現れ、「失礼します」と言っていくつかの料理を運んできて手際よく並べている。
「お兄さん、左目の色珍しいですねー」
女性は軽い調子で指摘した。
ミスリアは小さく呻いた。そういえばゲズゥの包帯が外れている。店まで来る道中、誰かに見咎められれば問題になりそうだったけれど、誰ともすれ違わなかった。
今はなき「呪いの眼」の一族が住んでいた村はラサヴァから近い。ルセナンの妻は事情を知っていそうなものの、知らないふりをしているのだろうか。
入り口の扉の軋みによって、短い沈黙が破られる。
「おかえりなさい、アナタ」
夫を迎え入れる彼女の声は明るい。
「おうただいま」
役人ルセナンがカイルたちのテーブルの椅子を引き、腰掛ける。
彼らの分の食事が揃うのを待って、神父アーヴォスは身の上話から静かに語り出した。
_______
兄上は私の憧れでした。
ここよりずっと北の不便な田舎村。生まれつき体の弱かった私を守り、気分が悪くて外に出られない日は私の代わりに駆け回り、いつもたくさんのお土産話を持ってきてくれたので、不自由に思うこともありませんでした。
両親の農園を手伝いながら慎ましく暮らしていた私たちの元に、ある時教団の一味が通りかかりました。慰安の旅を続ける聖人様たちは、聖気を受け賜わり続ければ私も元気になれると、仰ったのです。ならば聖人を目指すと、兄はその時に決心致しました。
自らの足で村を去る姿を羨ましく想いながらも、私は兄上の教団入りを応援しました。
数年後凛々しくなって戻ってきた兄上は、幾月かけて私に完全な健康を取り戻させてくださいました。あの時の感動は何年経っても忘れられません。
私も奇跡の力を望みました。
けれどもどうしてか、兄上にはあっても私には聖気を扱う素質がまったく無かった。
――アーヴォス、気を落とすな。聖人になれなくても他にいくらでもご奉仕をする方法はある。
――そうですね。では私は教役者(きょうえきしゃ)となって社会に貢献します。
受け入れるしかなかった。
私の心にさざなみが立ったのはそれからいくらか後のことでした。
兄上はある魔物討伐の旅にて知り合った魔物狩り師の女性と、恋に落ちたのです。
聖人・聖女に配偶者は許されません。その女性と結婚するために、兄上は聖人の位を返上しました。
どれほど妬ましかったことか!
私がいかに切望しても決して手に入れられない物を、いとも簡単に手放したのです。兄の選択は私には浅はかに見えました。家庭を守りたいという兄上の主張に私は納得できなかった。
ところが五年前。またしても兄上に大きな変化が起きました。そう――カイル、君の母上とリィラのことだよ。気の毒だったね。
義姉上とリィラを失ってから兄上はどこかおかしくなりました。今まで以上に教団に傾倒し、妻と死別したことによって特別に修道司祭への道を進む許可を得たのです。教区司祭である私と違って今後の一生を修道院で過ごすでしょう。私は兄上が同じ司祭になると知って、嬉しいよりも暗い予感しかしませんでした。
そうして数年後。兄上がもうすぐ司教になると聞いた時、私は不公平を嘆きました。何故私は、自分と違ってこれほどまでに才ある兄の後に生まれなければならなかったのか。羨望のあまり、今までに受け取った多くの恩さえ忘れそうでした。
私は、「忌み地」付近への配属を自ら志願しました。
何か大きな手柄を立てたくなったのかもしれません。でも同時に、自分の原点であった故郷みたいな村や町に何かをしてあげたかった。そうすれば心安らげると思ったのです。
自分から問題を起こそうと考えたのは、ある時の偶然に始まりました。
死者の魂が溜まりやすい場所に居て、水晶を誤って壊してしまったのです。封印されていた中の瘴気が解放され、数時間のうちに魔物が溢れると予想がついたので、魔物狩り師を呼びました。予め魔物が出没する位置を知っていたのでうまく彼らを導けました。
その後、彼らと町民が向けてきた感謝や尊敬が、どうしようもなく心地よかったのです。
味を占めるべきではなかった。
それからのことは、カイル、君の想像している通りだと思う。魔物の発生を密かに促してはタイミング良くその場を救う、を繰り返した。
セェレテ卿を誘ったのは、単に彼女が私のしていることに勘付いたからであって、口をつぐんでもらうために巻き込んだことになりますね。せっかく協力者ができたので、新しい手法――流行り病のことです――を試してみました。セェレテ卿はこのやり方がうまく行けば、他の町でも実行して、全て第三王子殿下の手柄に仕立てようと企んでいたようです。
上辺だけでも私が活躍していた姿を、なんとしても兄上に見せ付けてやりたかった。しかし兄上は俗世との縁を切った修道士の身。面会を願っても、手紙を出しても、返事はありませんでした。
叶わないならばと、代わりに私は甥を呼び寄せたのです。憎くも、聖人と成り得た彼を。
カイル、私は君に止めて欲しいとか、助けて欲しいとか、そんなことは考えなかったよ。他の者と同じ尊敬の眼差しを、兄上に似た君の顔に見たかっただけなんだ。
目論見は失敗に終わったけれど。君の表す尊敬は熱っぽくなくて、ただ暖かかった。
でも振り返れば共に暮らした数ヶ月間は、それなりに満ちていたと思う。
_______
叔父が口を閉じ、辺りに重い空気が満ちた。話し終えた本人だけ、やけに穏やかですっきりした顔をしている。
カイルサィートは天井を仰いだ。ちょうど、蜘蛛が視界を通りかかる。
「以上が、貴方の本音ですか。叔父上」
「そうだね」
「……本当に?」
「君は何を疑っているんだい? この期に及んで嘘をついたりしないよ」
叔父の笑い声に偽っている様子は無い。
「さて、それは判断しかねますが。僕は、物の本質を見詰められる人間を目指したいと思います」
天井から目前へと視線を戻した。
「いいんじゃないかな。君なら達成できると思うよ」
本心から言っている風に聴こえる。
「でもオルト王子の言葉を借りると、今は自分の望むように解釈します。叔父上はやっぱり後悔していたから僕を呼んだんです」
カイルサィートはにっこり笑った。
「貴方は言い訳をしませんね。誰かの所為だとは言わずに、始終、自分の気持ちと行動の責任を自分で受け止めようとしています。
結局実害が残ったのは、最後の疫病騒ぎだけでした。それも、もともとは死に至らないはずの病が数人の内で突然変異したもののようですね」
既に調べが付いている。命を落とした最初の四人は体質的に共通点があって、同じ病状でも過去に例の無い結果だ。
「人が死んだのは確かなのだから、その違いにはあまり意味が無いよ」
「それでも叔父上に悪意が無かったことは、教団への報告書には記させていただきます。町長や役人方の結論がどうであっても、教団からの罰は逃れようが無いでしょうけど」
予想としては、残りの一生を閉じられた空間でひたすら償いながら過ごすことになると思う。でももしかしたら報告書の内容次第で多少は罰が軽くなるだろうか。書いたのが対象の甥となると信憑性を疑われるかもしれないけど、試してみるのに害は無い。
「……どうしてかな、君は意外と私に甘い気がする」
「数少ない肉親ですから、普段より若干やさしめですよ。ここ何年かで、僕の誕生日を祝ってくれたのは貴方だけでしたし」
肩をすくめて答えた。ルセナン夫婦が驚いた顔を見せているが、事実なのだから仕方ない。
「なるほどね。…………もう、確実に兄上に会えないな」
「あまり気にしないで下さい。僕だってほぼ五年は会えてませんし、今後も会えそうかあやしいです」
しばしの間、笑い合った。
「すまなかったね、色々と」
叔父は一度深く礼をした。某商社の威嚇という名の暴行についても詫びている。
「いいえ。残念には思いましたけど、もういいです」
カイルサィートは立ち上がった。
続いて立ち上がった、自分とそう変わらない身長の叔父を、肩から抱き寄せる。
「二度と会うことは無いでしょう。でも、どこに居て何をしていても家族である事に変わりありません。どうかお元気で」
「ありがとう。私は悔いるばかりの人生になりそうだけど、君の進む道には幸多からん事をいつも願うよ」
声が微かに震えている。叔父の腕は縛られたままだが、僅かな動きを感じた。自由であったならば、きっと抱き返してくれただろう。
「短い間、お世話になりました。さようなら、アーヴォス叔父上」
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