13.d.
2012 / 06 / 19 ( Tue )
「そうだな」
ルセナンは深く頷いた。
「噂だと、睨んだだけで人を呪い殺す力を持った眼って説もあるぜ。どうなんだろうな? あの兄ちゃん、そんなことしてたか?」
好奇心と畏怖の入り混じった目で、ルセナンが訊く。
「いいえ」
頭を振って否定した。ミスリアの知る限りではゲズゥが睨んだだけで相手がどうこうなるなんて現象は起きていない。だからといって、知らないところでそれをやっていないとは言い切れない。真実であれば末恐ろしい能力だ。
「噂は、あくまで噂に過ぎないでしょう。でも貴重な情報を有難うございました」
信じていないといった具合で、カイルが笑んでいる。もとより、俄かに信じられる話でもない。
「それより僕らもそろそろ出ないと。下手すると置いていかれるかも」
ミスリアにしか聴こえないようにカイルは小声で言った。
「え」
一瞬想像して、硬直した。
「冗談。でも、一人で先に行ったとしても余裕で自分で生活できそうだよね、彼」
カイルがあまりに爽やかに笑うので、ミスリアも釣られて破顔した。
「……では、お話の途中ですが私たちはもう行きます。色々とお世話になりました」
二人は揃って会釈した。
「いや、こちらこそ世話になったな」
「お気をつけて。旅、頑張ってくださいね!」
ルセナン夫婦が会釈を返す。そして明るく手を振って送り出してくれた。
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ラサヴァの町での馬の入手は困難だった。数が少なく、値段が高い。そのため、買ったのは一頭だけである。荷物を背につけて、鞍にはミスリアが乗っている。一人で乗るのに不安そうな顔をしているが、聖人が手綱を引いているので問題無いだろう。
町から伸びる一本の道を、旅装姿の三人と一頭は無言で進んでいる。まもなく町から出るため、道のレンガの舗装が途切れ、前方に続いているのはただの土手道である。
談笑が無いのは気にならないどころか、むしろ理想的だった。
背後の二人は料理屋を出てからずっと何か聞きたそうな様子である。言い出しづらいのだろう、時々こちらに視線を投げかけては口を開き、しかしとて問いを形にすることなくまた目を逸らす。
察していながらも思いっきり無視を決め込んで、ゲズゥは歩を進めた。
彼は多少の荷物を腰に提げ、大剣を背負い、片手の林檎を時々かじりながら程よいペースで歩いていた。いつしか周囲の景色は人間の建てた建築物から大地より伸びた木々に切り替わった。記憶の中の周囲の地理・地形を、実際のそれと比べながら、脳内の地図を書き換えている。
この先には森、丘、岩壁、低い山。ミョレンの国境を抜ければ、視界に収まりきらないような高山が現れ、山脈を成す。
国境を抜ける手前で聖人とは道が分かれるらしい。
そこからの行き先への地図はミスリアが持っているが、地図と方位磁石を読んだだけではあの山脈の抜け方を知ることはできない。最後にあの付近へ行った頃のことを、ゲズゥは思い返した。夜な夜な襲ってくる魔物は当然のこと、獰猛な野生動物が居た気がする。山賊などもおそらくまだあそこで縄を張っているだろう。
「……結局、流行り病騒ぎは、全部の責任をセェレテ卿と某商社に押し付けて円満解決に仕立て上げたみたいだね、町長と役人たちが」
ようやく口火を切った聖人が最初に触れたのはラサヴァの話題だった。
「そうですね」
未だになんと感じればいいのか決めかねているような声で、ミスリアが答える。司祭の名誉は守られたということだ。
「商社の人間は牢入りだったり死刑判決になったりしたけど、セェレテ卿は、数日のうちに公開処刑にされるそうだよ。やっぱり、そうしないと元が騎士だから示しが付かないのかな」
聖人が抑揚の無い声で言うと、ゲズゥはぴたりと足を止めた。
振り向けば、ミスリアが血の気の引いた顔になっていた。鞍を掴む手に力を込めたのか、間接が白んでいる。この少女は、敵の立場だった人間の死を聞いても動揺するのか。
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