7. f.
2026 / 03 / 05 ( Thu )
「捨てられた子犬みたいな顔してた奴が数日後に『もう大丈夫』つったところで、それを鵜呑みにしていいほどの信頼関係があるか? オレとおまえに」
「え……? わ、かんないよ」
 シェリーはこうして責められながらも、リクターが心配してくれたのだと言うことは、なんとなく感じ取っていた。

「いつからここに居た?」
「三十分に満たないかな……一度家に帰ってからまた出て……車の手配して」
 それにしても寒い。降雪は止みつつあったが、冷えてきたため言葉を発しづらい。顎が震えて、舌もうまく回らない。
 リクターはベンチの正面に周り込み、軽く雪を払ってから、座った。

「気が済むまでいればいいって、最初に言っただろ。それで気は済んだのか」
「…………」
 しばらく、何も告げることができなかった。自分の奥深くで渦巻く本音を言語化するには、まだ心の準備が足りない。
 手元から視線を上げず、十数秒経ってから、言葉を繋いだ。

「何日も居座っちゃって、やっぱりよくないなって。迷惑をかける前に出ていこうと思ったの。そうすべきだと思ったから」
「自己完結してんじゃねえ。オレは一度でも『出て行け』と言ったか」
 リクターの返答は刺々しい。

「言ってない……でも」
「おまえがオレの迷惑を語るな。再会して一週間も経ってないのに、話し合わずに相手の視点から推し量ろうってのが無理な話なんだよ」
「い、いちいち正論だね」

「思い込みだけで大胆な決断すんなっつーんだよ。危なっかしいったらありゃしねえ」
 反論できなかった。
 言いたい放題だな、という不快感と、こういう風に怒る人だったんだ、という奇妙な感心が同時に沸き起こっていた。
 男は腕を組んで、黒い手袋に覆われた指で軽く腕を叩いている。湖を見ているのだろうか、その横顔は真剣そうだった。

「で? 出て行った後はどうする気だったんだ」
 目が合った。横顔を盗み見ていたことはバレてしまったに違いない。
 どぎまぎしながら、シェリーはこれから身辺整理をするつもりだと話した。
「ふーん。ひとりでか」
「どうだろう、落ち着いたら一度叔父さん……お母さんの弟さんに連絡しようかなって。手伝ってくれるかはまだわからないけど……」
 長いため息が聴こえた。

「勝手に消えんなって言ったのに」
 ――ん?
 話が見えない。と同時に、ちらりと古い記憶が呼び覚まされかけた。いつ、そんなことを言われたのか。思い出そうとして考え込んで、別の疑問が沸いた。
「あの、どうやって私の居場所がわかったの? それも結構、追いつくのが早かったような」
 リクターはフンと鼻を鳴らした。

「物覚えはいい方だっつっただろ。ここが気になってたって会話があったから、もしかしてと思って写真の束を漁ったら、ちょうど一枚なくなってるのに気付いたまでだ」
「うん。言ってたね」
 物覚えが良いと、最初から言っていた。そして、これでひとつ合点が行った。
「あなたは――あの時の約束も憶えていたんだね」

「おう、『死にたくなったら会いに来い』だろ。果たしに来たのはそっちだったけどな」
 今日初めて聴く柔らかな声。白い吐息の向こうに、珍しく柔らかな表情が浮かんでいる。
 ――そうか。この人は憶えていたから、再会したときからそういう風に受け取って、受け入れたんだ。だからきっと、手首の傷にも目ざとく気付いた。

(かなわないなぁ)
 恥ずかしさを感じたと同時に、頼ってよかった、という安心感があった。
「んで重ねて訊くけど。本当にもう大丈夫なのか」
「だって……ダメだよ」
「どうすべきかとかじゃなくて、おまえ自身はどうしたいのかまだ聞いてないって話」
 射貫くような双眸に、シェリーはもう一度「ダメだよ」と呟いた。

「あなたの傍は居心地が良すぎる。私の願いは、きっと呪いになる」
 言い終わらないうちに男が素早く立ち上がった。
 ――ガンッ!
 突然の衝撃に、小さく悲鳴を上げて怯んだ。
 ベンチの足を蹴られたのである。

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