9. a.
2026 / 03 / 25 ( Wed )

 青よりも灰寄りの淡い色彩の空から、雲が引いて日の光が染み込んでいく。
 待ち合わせの時間にはすっかり晴れているかもしれない。そう考えながら、シェリーはショートブーツを履いた足をのんびり動かした。
 クリスマスまであと一週間も残っていないからか、町中は浮足立っている。リースやリボン、ストッキング型のライトをつけた街頭を通り過ぎる。毎年恒例の冬祭りイベントや「ナットクラッカー」「メサイア(ヘンデル)」公演を報せる煌びやかなポスターも、見ていて飽きない。

 あちこちに、土曜日の午後のショッピングに繰り出す家族連れが散見される。きっとクリスマス直前セールやらプレゼント探しやらサンタとの記念撮影やらで忙しいのだろう。しばらくとんでもなく寒かったのが急に気温が少し上がったからか、ここぞとばかりに人出が多い。

 人波の間を縫い、いくつかの交差点を渡った。やがて公園の端のベンチに腰を掛けて、シェリーは上空に向けて息を吐いた。一応これでも白かったが、やはり今日は体感そこまで寒くない。マフラーを緩め、ダッフルコートの前を開ける。
 結果、首元がひんやりと寒くなった。

(早まったかな)
 冬に散髪なんてするものではなかったか。先日、背中を悠々と流れていた頭髪を、うなじがあらわになるくらいに短くしてきたのである。今までなかった前髪も作ってもらえた。
 文字通り、軽くなった。心も体も。今までの見えない束縛を断ち切る意味もあった。人生で髪がこんなに短かったことなんて、きっと幼児だった頃にしかない。解放感と不安がどちらもすぐそこにあった。

 それはそれとして首が寒い。
 かと思ったら、くしゃっとした紙の音とともに、暖かいものが耳に押し当てられた。焼きたてのパンみたいな香ばしい匂いがする。

「よ」
 右隣を見上げると、アレクス・リクターがいつものトレンチコートを着て、手袋なしの手で白い菓子袋を二つ指に挟んで差し出していた。袋には見覚えのあるマークがプリントされている。
「プレッツェルだ」
「サワークリームオニオンかハニーマスタード。どっちにする?」
 男は出会い頭に問いかけて、ベンチに腰を下ろした。珍しくタバコの匂いがしない。

「ハニーマスタードがいいな」
「ほい」
 菓子袋を片方渡される。しばらく互いにプレッツェルにかぶりついた。時々リクターは足元に群がる鳩を煩わしそうに蹴っているが、鳩たちはすんでのところで逃げるので、ひとつも攻撃が当たらない。
 そういえば違うのはタバコの匂いだけではない、とシェリーは気づく。

「あれ、香水変えた?」
「変えたっつーか、元々好きなやつ三、四種類でローテーションしてんだよ」
「へえ」
「そういやおまえはこれといってつけてないんだな。今度選んでやろうか」
「お願いしようかな」

「おう」
 以前と違って、どんなに小さなことでも、未来の話をするのはもう辛くなかった。
(私の人生にできるだけ長くこの人がいるといいな)
 再会してひと月と少ししか経たないのに、ごく自然にそう願うようになっていた。最近ではほぼ毎日のように会っているし、互いの家にもちょくちょく泊まる。

「オレも切るかな、髪」
「いいと思うよ。ほかの髪型も似合いそう」
「長いのが好きっつーわけでもねえし」
「そうなんだ?」
「昔はクソ親父に刈り上げにさせられてたからな。解放された後のささやかな反抗で伸ばしっぱなしにして、そのままな。結んでないとすぐ邪魔になる。おまえはどこで切ってきた?」

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