7. g.
2026 / 03 / 11 ( Wed ) 「おまえは! オレをロボットか何かと勘違いしてんのか!」
「え!? なんで」 「昔馴染みが現れて、そんでいきなり消えて、何も感じないような奴だって。そう思ってんのか。そりゃあオレの周りは薄情な人間ばっかだったけど、そこまで染まっちゃいねえよ」 「ち、違うよ。薄情だなんて絶対に思ってない」 むしろ今も昔も、面倒見のいいお兄さんだと思っている――こんなグダグダな自分の相手もしてくれるくらいには。 (烈火のごとく怒ってる……どうして……?) 抱えていた頭を上げて、シェリーは正面の男を見上げた。いつの間にフードを被り直して、片手で引っ張るようにして固定している。 髪と影がかかっていて顔がよく見えない。 「こっちだって、居心地が良かったんだよ」 風と水の音の合間を縫うように。彼は、とても静かに語った。 「オレはおまえにコーヒーを淹れるのも、一緒に飯作ったりクソ映画を観たりするのも、楽しい。だから」 ――行くなよ。 その一言が脳に染み渡った瞬間、喉の奥にぐっと何かがつかえた。目に涙がにじむのがわかる。 「実際のところ、どうしたいんだよ」 「私、は……」 ごくりと生唾を飲み込む。言葉にできるだろうか。今なら、本心を。もう一度息を吐いて、吸い込んだ。 「本当は、この生活が楽しいよ。離れるのは嫌……だよ。隣でテレビ観たりごはんを食べるのが好きだし、一緒に洗濯物を畳む時間も好き。冷蔵庫に残った肉も作りたい、栄養バランスのいいものを食べさせたい……それであなたにも、贅肉つけてほしい」 「…………贅肉?」 「本心だよ」 「ハッ、なんだそれ」 そういうたまに漏れるちょっとした笑い声も、ついでに寝息も、実は好きだ。でも恥ずかしいので、さすがにここまでは言えない。 「戻ろうぜ。詳しい話はそれからだ」 彼は親指で駐車場を差した。 シェリーが必死の覚悟で言語化した想いを、リクターは一笑に付した。けれどそれを腹立たしいと感じずに、どこか安堵してしまう。 引かれなかった。それどころかどうしてこうも、受け入れてくれるのか。何事もなかったかのように、話を繋いでくれるのか。 「あの車レンタル? どこ社?」 問われて、シェリーは黒と黄色のロゴの某有名レンタカー会社の名を答えた。一日だけ借りる予定だったので、保険プランは取っていない。 「ここから五分の距離に支店があるぞ。返しに行くなら付き合う」 「今返却したら私、足が無くなるけど」 「帰り乗せてってやるから」 「えー……」 荷物はもう自宅にあるし、色々と面倒では――言い訳を考えている間に手首を掴まれたので、シェリーは結局言われるがままにした。彼が力を加減したのか、本気で振りほどこうと思えばできただろう。 流されたと言えばそれまでだが、満更でもなさそうだと言われれば、それもその通りだったのである。 * 「ありがとうございました! またのご利用お待ちしております」 「はい、また」 他愛ない挨拶を交わして、シェリーはレンタカー会社の店舗を後にする。自動ドアが開くと、ぶわっと冷気が皮膚に当たる。慌てて手袋を付けなおし、足元に注意を払う。 駐車場までの歩道は丁寧に雪かきがされていた。店員の頑張りに内心で敬意を払いながら、電柱の近くでたむろしているトレンチコートの男を探す。 リクターは片手に開閉式の携帯電話を手にしていた。通話を終えたばかりのようで、端末を耳から離し、パタンと閉じた。 「フリップフォンだ。携帯電話、持ってるんだね。使用料高くない?」 「借りモンだよ。出先で連絡つくように、上司に持たされてる」 「へえ。それで同僚の人と話してたの」 「そんなとこ。顔出せって言われたのに行かないことにしたから、せめてあれこれの進捗は聞いとこうかと」 「…………ごめ」 言葉半ばに鼻を摘まま摘ままれた。皮膚に、冷えた革の感触が擦れる。 「無事だったから、いい」 鼻を解放された後にシェリーは頷いた。 無言で、大きな背中についていく。 リクターの車は本人が宣言した通りにやや旧そうなモデルの、ハッチバックだった。独り身なのにこうも広いのは機材を運ぶためだろうか。 「眠かったら寝ていいぞ。どうせ、道中は大して見るもんないだろ」 「わかった」 車体の右側の助手席に乗り込んでシートベルトを締めた。カーシートの生地はあまり座り心地がよくなかったが、席を倒して、精一杯くつろげるようにする。 「一本いいか」 「あ……うん。どうぞ」 「おまえ、オレをストレスを感じない人種とでも思ってる? そんなわけねえし」 男はタバコの箱を振って、早口でまくしたてた。火をつける手付きにも、苛立ちが滲んでいる。 (私、何も言ってないのに) 無意識に疑問符を飛ばしたのだろうか。そういえばタバコを吸う人は、極度のストレスを感じるといつも以上に吸いたくなると聞いた気がする。 (……それだけ心配してくれたのかな……。自惚れかな) 煙たくならないように窓が少しだけ開いている。冷気が入り込んで寒いが、シェリーは言及しないでおいた。 「あのね」 リクターが吸い殻の処理をしている間に、声をかける。 「んん」 「迎えに来てくれて、ありがとう」 「おうよ」 エンジンがつく音を聴いた途端、どうしようもなく眠くなった。あの嗅ぎ慣れてしまった香水とタバコの匂いが、車内に充満している。ごうごうと暖房がうるさいのも、しばらくして気にならなくなった。 鼓膜の奥に湖の音が残っている。 たとえ体勢がよくなくても、きっと穏やかな眠りにつけそうだと、そんな予感がした。 残りが微妙な長さだったので一気に出しました。 |
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