8. a.
2026 / 03 / 12 ( Thu )

 頬が撫でられた感触で、目を覚ました。寝ぼけ眼を開けると、呆れまじりの微笑が目に飛び込んでくる。
「起きろ。着いたぞ」
 リクターは車のハンドルの上に腕を組んで頭を休めた。さすがの彼も疲れたのだろうか。少し乱れた濃い茶色の髪が、鼻にかかっている。

「運転ありがとう」
 先ほどのお返しとばかりにシェリーは手を伸ばして、垂れた髪のひと房をそっとどけてやる。
「それくらい、別にいい」
「ね、私さっき昔の夢を見てたみたい。あなたが飴玉で慰めてくれた時のこと」
「飴玉? んなことあったか」

 シェリーは首肯した。夢に見るまで記憶が薄れていただけで、確かにあったのだ。正確なきっかけはもう忘れてしまったが、些細な失敗をして母に無能だと罵られた時のことだった。夜中に窓から入ってきた少年が、泣いているシェリーを気遣って、ポケットから棒についた大きめの飴を取り出して渡してくれた。

 ――ほら。いい加減、泣き止めって。
 ――ロリポップ?
 ――学校の行事でもらった。この前イースターだったろ。それでも食って元気出せよ。
 ――でももう歯磨いちゃったよ。
 ――そんなん一回ぐらいサボったって死にゃしねえって。
 ――これ、あなたが自分で欲しいと思って取っといたんじゃないの?
 ――オレがいいっつってんだからいいんだよ。さっさと受け取れ。
 当時の顛末を話し終えると、現在のリクターは苦笑いをした。

「あったな、そんなことも」
「自分が食べたかったはずなのに私を励ますために譲ってくれたの。優しいのは昔からだね」
 一瞬、何かを言いたそうな表情をして、けれども気が変わったかのように、リクターは顔を逸らした。次いでエンジンを切って、車から出た。

 シェリーにはどうしたのと問い詰められるほどの勇気も――彼の言葉を借りれば「信頼関係」も――ないので、とりあえず自身もカードアを開けることにした。
 ハンドバッグを取り、地面に足を移すのにもたついていたら、いつの間にか視界に男性用のミリタリーブーツと暗い色のジーンズが入り込んでいた。

「その解釈は微妙に違う」
「え?」
「さっきの話――っと、足滑らせないように気を付けろよ」
 手を差し出された。シェリーは素直にそれに自らの手を重ねる。
 互いに断りを入れるでもなく、そのまま手を繋いで慎重に歩いた。

「解釈が違うっていうのは?」
「そんな都合良く飴を持ち歩いてたわけねえだろ。オレは最初から、おまえにやるつもりで持ってたんだよ。もっと言えば、学校から袋いっぱいのイースターエッグとキャンディを持って帰ってきた時点で、何をあげれば喜ぶか考えて……まあ、無難なところに落ち着いたな」
「そうだったんだね。なんであれ、私は嬉しかったよ。甘くて、美味しかった」
「そうかよ」

「お母さんにはいい物食べさせてもらってたし、凝ったお菓子ももらえたけど、キャンディはあんまり食べさせてもらえなかったな」
「ハロウィンの戦利品も取り上げられてた的な?」
「そもそも、トリックオアトリートは本当に小さい頃にモールに行ったきり、その後は全然行かなかったよ」

「おまえんち金あったくせに、変なとこで損してんな」
「今だから言えるけど、私もそう思うよ……」
 振り返れば振り返るほど、わからなくなる。己の中の不足していた部分と、満足していた時間は、どれも真実だったように思う。
 わからないことだらけだけど、もうひとりで考えなくてもいいと思うと、いくらか気が楽だった。

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