13.b.
2012 / 06 / 12 ( Tue ) しばらくして衣服の擦れる音がした。静まるのを待ってから、視線を戻す。
幸いゲズゥはズボンを穿き終えたようで、上半身だけ夜風に晒している。デッキに脱ぎ捨ててあった服を淡々と拾い集め、肌に付着した水をシャツで雑に拭っている。タオルを使えばいいのに、と思ったけど言わない。
ミスリアは風に揺れる水面を黙って眺めることにした。
静かな夜だった。結界に覆われていないこの町ではなかなか味わえない、魔物の騒がない夜。主にここ数日での魔物狩り師たちの働きのおかげである。勿論、ミスリアも討伐の手助けをしてきた。数が減った今では、余計な聖気の気配が遠くの魔物を惹きつけないように注意を払っている。
ラサヴァを初めて訪れてから一週間半ほど経った。
諸々の騒ぎの後始末を手伝いつつ、ルセナンの料理屋を手伝ったり、図書館や評判の菓子屋へ寄ってみたりと、ちょっとした観光もしている。
本来の目的を思えば進んだ方がいいのに、ついカイルに気を遣ってしまう。それに、彼も近いうちにこの町を発つそうなので、途中まで一緒に行く約束をした。
ゲズゥはというとずっと、意見一つ漏らさずに見守っていた。何も言わないのは肯定の意か、それとも関与したくないだけか。護衛らしくほとんど行動を供にしてくれるけど、付かず離れずの距離で数歩後ろを歩く形だ。
(でも……なんとなくだけど、何も言わないからって何も考えてないわけじゃない、気がする)
むしろ彼が呆然と遠くを見つめるのは、色々と物思いに耽っているからだと思う。日頃、何を考えているのかものすごく知りたい。
「あと一人って何? なんか意味深だね」
爽やかな青年の声にはっとなって、ミスリアは後ろを振り向いた。
ミスリアにとってのたった一人の友人、カイルサィート・デューセが宿屋の庭からデッキに踏み出している。ゲズゥは問いかけを無視すると決めたようで、無言を保った。
「カイル。今晩は魔物討伐の予定は無いはずでは」
深夜にどうして起きているの、という意味合いで訊いた。けれどもカイルが近付くにつれて彼の服装が目に入り、的外れな質問であるとわかった。
彼は寝巻きとも取れるような無地の大きめなシャツとズボンに、上着を羽織っているというだけのラフな格好だ。とても今から出かける風には見えない。
「うん、知ってるよ。風に当たりに来ただけ」
カイルは笑って、隣に腰掛けている。やはり夢見が悪くて目が覚めたのだろうか、などと考えた。
「そんな薄着じゃ冷えるよ」
彼は自分が着ていた上着を脱ぎ、ミスリアのキャミソールワンピースの上にかけた。
「ありがとうございます」
上着に残る温もりを素直に受け取った。
「で、そういう君らは何してるの? 水泳の特訓?」
シャツを使って髪を乾かす半裸のゲズゥに対して、カイルは不思議そうに首を傾げている。
「私は眠れなくて……」
ミスリアの返答にカイルは「そっかー」と頷いたかと思えば――いきなり上半身を後ろに倒して、デッキに仰向けになった。片腕で顔を覆っているので表情が見えない。
「え、どうしたんですか?」
心配で友人の顔を覗き込む。もしや相当に疲れが溜まっている?
確か今日は、午後からの役人たちの集まりにカイルも出席していたはずだ。ミスリアは部外者だし、聖女として慰問の仕事もあったので参加していない。その会議が半日以上にも及ぶ長さだったらしいのはルセナンの妻に聞いている。
「あーあ、おうちに帰りたいな」
彼にしては珍しく子供っぽい言い回しに、ミスリアは伸ばしていた手を止めた。
カイルは五年前に一番近しい家族を失っている。直後に父とは疎遠同然になり、そして今度は、叔父とは二度と会えない流れになっている。もうすぐ二人で暮らしていた教会をも離れる。
教団の思い出では集中的に修行ばっかりしていたから、あそこはおうちって雰囲気でもない。 彼の帰りたい家はどこにも残っていない。だからこそ、この一言は重い。
(私は両親ともに息災だけど、どっちかといえばあの家にはあまり帰りたくないし……)
これでは友人の気持ちを汲んでやれない。
「ごめん。君らに言うことじゃないね」
カイルは特にゲズゥに気遣わしげな視線を向けた。そのゲズゥは視線を返さないで、腕の柔軟をしている。
「謝らないでください」
「僕がもっと早く気付いて、行動に移していれば叔父上を止めることくらい出来たかもしれないけど。それを言えば『全部私の咎なのに、君は真面目すぎる』って返されそうだなって思った」
「……お父様にはお会いできそうに無いんですか?」
「無理だよ、多分。父上は僕に会いたくないはずだから」
カイルは腕を組んで枕代わりにした。
「どうしてですか、ご自分のお子さんなのに。残った家族を大事にしたいと思うでしょう?」
「それは違うよ」
目を閉じて、カイルは静かに告げた。どういう意味なのか、ミスリアにはわからない。
「つまり……」
「残った人間を見ると失った家族がどんなだったか思い出すから、会いたくないんだろう」
言いかけたカイルを、ゲズゥの低い声が遮った。 |
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