10.h.
2012 / 03 / 23 ( Fri )
「 では帰ってこなかった子供というのは……」
 ミスリアはおそるおそる訊いた。
「帰ってくるのが遅れて、戻ったら全部終わった後だった」
 ゲズゥはふいっと目を逸らした。
 
「二、三日留まって……魔物には一匹も出くわさなかったが……?」
 問いかけるように語尾が跳ね上がる。
 そこから、「再会」する機会はあったはずなのにそうならなかったのは何故か、という問いかけも含まれていたのを読み取った。
 
「亡くなった方が数日経ってから魔物として蘇るのは……割とよくあることです……」
 消え入るような声で答えたら、その後しばらく沈黙が続いた。起き上がろうともがく魔物の娘を、無言で見張っているだけの沈黙。
 
「あの、お母様のご遺体は……」
 確認しましたか、と訊こうとして、ミスリアは両手を握り合わせた。魔物は死んだ人間、つまり肉体から流離した魂をもとにしている。死したことが確実ならば、あの魔物の正体もより確たるものとなる。
 
 残酷な質問であることは重々承知している。けれどもゲズゥは確かに昨日、「自分の手で村人を埋めた」と自ら告白している。それならば、或いは――。
 
「見てない。村が半分以上焼け崩れて探しようも無かったからな。父親は、確かに死体を見つけたが、母のは、ない」
 体の向きを変えず、目だけを動かして、彼は答えた。話しながら次第に言葉が重くなっていくようだ。思い返すだけで相当気力を要するのだろう。
 
 その時、魔物が雄たけびをあげた。怒りが大気を震わせる。
 娘の腹部が歪に膨らんだ。横腹から更に腕を二本、脚を二本ずつ生やし、蜘蛛のような形になって身を起こした。無数の人面が体中に浮かび上がっている。
 
「さがれ!」
 ゲズゥがそう叫んだので、ミスリアは安全な場所を求めて後退った。
 彼は跳躍してきた蜘蛛を一度かわし、再び取っ組み合いになった。
 
(お母様があんなになってしまうなんて)
 残念ながら、話し合うことは難しい。言語能力の崩壊は勿論、彼女は己が数時間前に何をしていたのかすら記憶に無いぐらい、意識が混濁している。祭の日から既に十二年経っていることを、理解できるとは到底思えない。
 
 何とか彼女に言葉を届ける術は無いものかと、ミスリアは懸命に模索した。垣間見た記憶を辿って、ヒントを探す。
 
(あれ? 回想の中の彼女は確か両目とも黒かったよね?)
 今の状況に関係のない、別のことを思い出した。
 
 つまりゲズゥの母親は「呪いの眼」を持っていなかったのだ。一方で、薔薇をくれた男性の方はどうだったろうか。よくよく思い返してみれば、あの人の瞳は左右対称ではなかった気がする。更に思い返してみれば目元とかゲズゥに似ていた気がしてきた。
 
(あの人がお父様なら、ゲズゥの左目は父親譲り?)
 気にはなるけど、明らかに問い質している場合ではなかった。
 
 蜘蛛となった魔物が体格で勝り、ゲズゥを地面に組み伏せた。美しかった顔もでこぼこと変形してしまっている。真っ直ぐだった白髪は、一本一本が別の命を吹き込まれたみたいに、うねうね蠢いている。
 
 魔物は赤ん坊の頭を丸呑みできそうなぐらいに口を開けた。
 そうしてゲズゥの左肩から一口の肉を食いちぎった。彼は苦痛に耐えるが如く、歯を食いしばった。暴れようにも、両手両足が拘束されている。
 
 口に含んだ肉を飲み込むと、魔物は恍惚にとろけそうな表情になった。口元からよだれが垂れているのに、どういうわけか、あの酸は彼女自身にとっては無害らしい。
 よだれと一緒に、赤い液が垂れている。
 
 こんなになっても、彼女の内なる心の悲しい叫びはミスリアに聴こえていた。
 いくら食べようとも満たされることの無い虚しさ。空腹の所為じゃないのに、魔物たちはそれを自覚できない。
 
 もう余計なことを一切考えずに、ミスリアは動いた。
 
_______
 
 数秒間、頭の中が真っ白になった。
 肉を食いちぎられ、傷口に酸が塗り込まれた状態で何かを考えていられたらそれこそ異常かもしれない。
 
 すぐ近くに血塗れ(まみれ)の顔がある。
 自分はここで死ぬのだろうか、とゲズゥは麻痺した頭で漠然と思った。生を与えてくれたそもそもの源である母がそう望むのなら致し方ない、とも思う。長い間苦しめてしまったことを深く深く後悔した。
 
 魔物は片手を構えた。そのまま腹を刺されるのに備えて目を閉じたが――
 
「ダメです!」
 少女の声がしたと同時に、魔物の動きが止まった。
 
 目を開けると、聖女が後ろから魔物を抱きすくめているのが見えた。

拍手[3回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:35:01 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.g.
2012 / 03 / 21 ( Wed )
 魔物が四つん這いになり、倒れた聖女に近づいている。この展開はまずい。
 
 とりあえず駆け寄った。魔物の娘に斬りかかろうと構える。
 振り上げた腕が、空中で止まった。己の意思からではない。剣も合わせて茨に巻き取られ、身動きが取れないからだ。
 
 娘が、こっちのことはお構いなしに聖女の片手を持ち上げている。かじりつく気だろう。
 ゲズゥは舌打ちした。剣を離し、強引に腕を前へ引いて奪い返す。無数の棘が腕に刺さっているので、あっという間に右腕は赤い線だらけになった。
 
 そのままの勢いで、魔物の娘に体当たりした。
 
_______
 
 ゆっくりと目を開けた。
 視界も頭もぼんやりして、どこにいるのか感覚があやふやだ。もう一度目を瞑り、開けなおした。雨の止みかけた空には、白に近い灰色の、薄い雲がいくつも浮かんでいた。
 
 自分が誰なのか見失いかけて、焦りを覚える。とにかく急いで起き上がった。
 
「いたっ」
 何か重くて硬いものが胸元にぶつかってきた。それを視線で辿ると、銀色のチェーンで首にかかっているものだと知る。ペンダントに、そっと触れる。ひんやりとしていた。十字にも似た独特の形を指先でなぞると、自分が何者なのか徐々に思い出せてきた。
 
(そう、私は「彼女」の記憶に触れようとして――)
 ミスリアはこれまでの経緯を、順を追って脳内で再生した。救うために、対話しようと試みたことを。
 
 獣の怒声のような音に思考を遮られた。ミスリアは素早く顔を上げた。目の前で誰かが激しく取っ組み合っている。転がり、殴り合い、引っかきあい……。
 違う。よくみれば殴っているのは一方で、引っかいたり噛み付いたりしているのがまた別の一方だ。
 
 冷や水を浴びたかのような衝撃で、何が起こっているのか飲み込めた。
 
 ゲズゥが白髪の魔物に頭突きを喰らわせる。魔物は仰け反り、例の強烈に酸性な痰を吐いた。ゲズゥはそれを避けると、肘で娘の頭を殴った。二人はそうやって何度も攻撃の応酬を繰り返す。
 何か手助けはできないかと思ったはいいが、出たのは質問だった。
 
「……ゲズゥ! 黒髪黒目で、右目に泣き黒子がある女性に心当たりはありますか!?」
 意識が遠のいていた間に垣間見えた記憶を思った。
 返事は無かったが、彼は呪いの左目でミスリアを一瞥した。
 
「おそらくはその人の正体です! 彼女は長く存在し続けたのでいろんな人を取り込んでいますが、たくさんの記憶の中で一番強い想いは、子供に会いたいという願いでした! 祭の日に出かけて、いつまでも待っても帰ってこない子を!」
 取っ組み合いは尚も続いた。二人は見る見るうちに傷が増える。ミスリアは無力な自分が悔しくなった。
 
 魂を繋ぐ歌の効果はまだ残っている。しかし、魔物の方の意識が混濁しすぎているため、これ以上記憶を覗けないし、呼びかけても届きそうにない。
 
(祭の日に……村が襲撃されて……燃え上がって……)
 断片的に拾えた記憶は、人一人を発狂させるには十分なものだった。実際には、複数の人間の記憶を合わせて視たようなものだが。
 
 それが過去の出来事で、自分の身に起きたことではないのだと、幾度となく自分に言い聞かせて、ミスリアは震えを制御した。悪夢から覚めたような後味の悪さは残る。背中を丸めて、自分で自分を抱きしめた。
 
 ――彼女は絶望に沈みながらも、死ぬ間際までただただ子を想い続けたのだ。
 
 娘の横腹をゲズゥが蹴り飛ばした。娘は数ヤード吹っ飛び、地面に転がる。
 彼は片膝つくと、父親の形見である大剣を振り返り、次に無表情にミスリアを見上げた。
 
「………………母だ」
 驚きのあまり、ミスリアは声が出なかった。
 
「それは、俺の母親の、特徴だ」

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

12:01:20 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.f.
2012 / 03 / 18 ( Sun )
 家の玄関の前に、花を飾っていた。明るい日差しの下、小鳥の囀りを聴きながらの作業だ。
 林檎の花を使ってストリーマーをつくり、ドアに垂らす。余った花を、長い指で器用に編んでわっかにした。完成するとしゃがんだ。
 
「はい、出来上がり」
 十にも満たない歳の女の子の頭にわっかを飾ってあげた。
「わぁ、ありがとー!」
 満面に笑顔を浮かべ、女の子は走り去った。とても暖かい気持ちで見守った。
 
「お疲れ。この村も数日で見違えたな」
 背後から声をかけられて、立ち上がる。心地良い具合に低い声だった。
 振り返るとそこには、三十代半ばぐらいの背の高い男性がいた。一見、厳つい印象を受ける。オールバックにまとめた黒い髪に、角ばった高い頬骨。二重瞼の切れ長の目が、性格の鋭さを表しているようだった。肩には、赤茶色の鷹が停まっている。
 
「ええ、午後からのお祭に間に合いそうでよかったわ。今年は外からのお客様もいらっしゃることだし」
 そう返事をすると、男性は笑みを浮かべた。目元が優しくなって厳つい印象も大分和らぐ。
「始まるのはまだ二時間後だ。今のうちに休憩するといい」
 
 男性の提案に頷いて、次に俯き、ため息をついた。
 
「どうした? お前がため息とは珍しいな」
「それがね……」
 顔を上げて、再び目を合わせた。
 
「あの子を一人でお使いに行かせたの。不安だわ」
「アレなら大丈夫だろう。道草を食わないか心配だが」
「そうでしょうけど、やっぱり大人を付き添わせるべきだったわ。直前になってから足りないものがわかるのだからダメね」
「気にするな。きっとすぐに帰ってくる」
 
 男性はそう言って一本の花を取り出した。背に隠していた手に持っていたらしい。
 
「そういえば、お前の好きな黄色い薔薇が咲いてるのを見つけた。今年最初の一本だろうな」
 鮮やかな黄色の花弁から甘い香りが漂う。
「薔薇が好きというより、花言葉が好きなだけよ」
 くすくすと笑う。
 
「ああ、『誇り』だったか」
 懐から長いナイフを取り出し、男性は薔薇の茎を短く切った。それを手に取り、こちらの顔に近づける。
 
「よく似合う。……鏡がなくて残念だな」
「いいわよ、ナイフを見せて」
 手を伸ばした。
 
 ナイフを手渡され、そこに映る姿を確かめる。
 髪に挿した鮮やかな薔薇が、自分の黒い髪に冴えていた。
 
「こっちにしようかしら」
 花を右の耳へと移した。
 もう一度姿を確認すると、今度は泣き黒子のある右目の隣に黄色い花があった。
 
「うん、素敵だわ。ありがとうね」
 お礼を言って、ナイフを男性に返した。
 
_______
 
 この少女が本当に人間なのか、たまに疑問に思うことがある。
 
 聖女の全身から淡い金色の光が発せられる場面をチラチラ横目で見つつ、ゲズゥは訝しんだ。
 最初に聖女が歌を獺に使った時、あまり注意して聴いていなかったが、今なら歌自体に催眠効果のような何かがあるとわかる。それは聖気に触れて感じた夢心地に似ていた。
 
 こっちの腕の中に居て聖女が聖気を展開させる時が、ゲズゥには特に変だった。
 抱え上げた瞬間は確かに相応の質量を感じたのに、聖気を展開した途端に曖昧になる。腕の中にいるモノは少女の姿をした別種の何かではないかと、この世のモノではない何かではないかと、根拠も無く疑ってしまう。
 
 はっきりと軽くなるのを感じるとか、そういうのではない。自分の腕と腕に触れている聖女との境に、自信を失くすのである。まったくもって不可解な話だった。
 
「ギャアアアアアアッ!」
 後ろからの威嚇の声に応じて、ゲズゥは横に半回転し、剣を振り下ろした。ザックリと、複数の薔薇の魔物を裂いた。
 
 キリが無いと思っていた当初より敵の数は減っている。聖女に気を取られて、核の魔物が新しい薔薇を創造していないからだ。倒した後の魔物らが二度目に立ち上がることは無い。
 
 不意に、聖女の声を聴いた。音量があまりにも小さくて何を言っているのかまではうまく拾えない。ひとつ宙返りをして、ゲズゥは魔物の攻撃をかわしながら体の向きを変えた。
 
 着地した途端、聖女が倒れるのを見た。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

10:21:27 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.e.
2012 / 03 / 17 ( Sat )
「彼女と対話をしてみます。ただ……」
 視線を外して、聖女は魔物を向き直った。
「対象に近付かなければ魂を繋ぐ歌も効果がありません」
 
「ああ」
 なるほど、つまりは近付く手伝いから始めるべきだということか。
 
 ゲズゥは大きくなった花たちを見た。大きくはなっても、足が無い。警戒すべき要素は噛まれることと、あの酸性の唾液、あとは中心の娘の行動のみ。いや、あの顎や茨が剣を受け止められる可能性も考えるべきか。
 半円を描いて二人を囲む五匹のうち、端の二匹が揃って口を開いた。垂れたよだれが地面の草を溶かす。
 
 それぞれの口の中は、どこまでも真っ暗な空洞である。どう見ても胃やその他の消化器官は無いのに、喰らった物は果たしてどこへ行くのか。他の人間をもとにした魔物同様に、食べた分だけ吸収して自分の一部にするのだろうか。
 
 ――生死がかかっている場面で、無駄な思考だ。
 
 花が聖女をめがけて飛び掛ってきたため、跳んで避けた。一緒に伸びてきた茨を切り払う。
 目の端で、他にも巨大化し始めた魔物の個体をとらえた。あまり悠長にやっている場合ではなさそうだと、ゲズゥは判断した。
 
「道が開いたら、走れ」
 聖女を下ろしてそう言った。聖女は前を見据えて頷いた。
 
 剣を両手で構え直し、ゲズゥが一歩前へ出る。
 目線と同じ高さに黄色い花があった。生き物と異なる存在とはいえ、口しかない頭部というのは向かっていて妙な気分になる。せめて眼球などあって欲しい。
 
 左から二番目の薔薇が牙をむき出し、身を乗り出す。それに対してゲズゥは手首を翻しては剣を上へ振り上げた。顎ごと花が半分に割られる。続いてゲズゥは右へ一歩跳んだ。刃の向きを変えて、振り下ろす力で横へ薙いだ。
 
 片手よりも両手を使う方が、剣圧の威力も鋭さも倍に跳ね上がる。彼はその調子で、夢中になってどんどん切り伏せていった。
 気がつけば、傍から聖女がいなくなっている。
 
 戦いながら体の向きを調整して、視界の中からその姿を見つけ出した。確かに聖女は魔物の娘の近くまで辿りつけている。
 そこまで見届けると、今のうちに周囲の魍魎をまとめて倒すべく、ゲズゥは身を構えなおした。
 
_______
 
 聖女ミスリア・ノイラートは、濡れて顔にくっついた髪を、指でそっと払った。ワンピースの裾は小型の薔薇の魔物に喰われてあちこち欠けている。何度か足首にも噛み付かれそうになり、振り払っているうちに靴も失われ、今や裸足で走っている。
 
 十歩先に、美しい娘が佇んでいた。雨粒も弾く象牙色の素肌が、青白い光に包まれている。両手から糸を出し、その糸が離れた場所の薔薇たちに生気を与えている。厄介な能力だが、こうしている状態では多分、ミスリアを直接攻撃する手段が残っていないはず。
 ミスリアを注視する娘の瞳は、黒かった。どこかで見たことのあるような色だ。魔物は警戒するように低く唸った。
 
「失礼します」
 足を止めて、ミスリアは腹部に軽く手を置いた。大きく息を吸い込む。
 
 そうして、魂を繋ぐ歌の冒頭部分を歌い出した。喉が渇いていて、あまり綺麗に声が出ない。雨の音にかき消されない様に必死である。
 しかし娘の反応を引き出すには十分だった。
 魔物の黒曜石にも似た瞳が潤んだ。くしゃくしゃに表情を歪め、またしても涙する。
 
 頭の中に声が響いた。
 
『――どこ……? あの子は、どこなの……? どうして、帰ってきてくれないの? こんなに、待ってるのに――』
 
 
 歌い終わる前にも、記憶の断片が映像になって流れ込んできた。いつも以上に物凄い重圧だった。耳鳴りのようなもので頭が割れそうだ。こめかみを押さえたけど、あまり効果は無い。
 
「たった一人のお子さんを……ずっと探しているそうです……」
 
 何とかそう囁いた後、ミスリアの意識は黒い波に飲み込まれた。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

08:32:51 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.d.
2012 / 03 / 14 ( Wed )
 雨がほんの少し勢いを増した。晴れかけた霧がまた濃くなりつつある。
 
 ――ポツリ。
 手を伸ばせば届く距離の花に一滴、また一滴と雨が当たる。外側の花びらが震え、雨水は重なった花びらの間をすり抜けて消えた。
 
 ゲズゥが斜め後ろへと左腕を差し出した。肩をそのままに、頭だけ振り返って聖女を一瞥する。
 察して、聖女はぴくっと身体を震わせては目を泳がせた。ゲズゥの腕を見やり、百は超えた数の薔薇の魔物の群を見やり、最終的にため息をついてから歩み寄ってきた。
 
 少女を抱え上げて間もなく、薔薇が何本か、二人に噛み付こうと身を乗り出す。
 ゲズゥは右腕だけで大剣を振るった。斜め横に薙いで、一度にいくつかの花を棘だらけの茎から切り離した。実はこの剣は見た目ほど重くないのだが、それでも重力に合わせて振り下ろすのが一番やりやすい。
 
 他の花たちが頭を左右に揺らしている。植物らしく地面に根付いているためか、傍目にはそれほどの脅威に見えない。とはいえ、これらがある限りは白髪の娘に近づけないのが厄介だ。走り抜けようと思っても、文字通り茨の道だ。
 
 ここは道を切り開くのが適切だろう。
 ゲズゥは剣を振り下ろした。生じた圧力が大気を切り裂き、剣から一直線に伸びて魍魎たちを裂いた。大量の花びらが宙を舞う。
 
 すぐさま走り出し、何度か剣で周りを一掃した。核たる魔物との距離を半分ほど縮めた途端、娘が立ち上がった。ゲズゥは反射的に動きを止めた。
 
 娘がゆったりと白い手を持ち上げる。曲がった手首を優雅に起こし、手のひらを地面に平行に広げた。おそらくはあの糸が来る。聖女もそう直感したのか、ゲズゥの首に回した腕に力を込めた。
 予想通り、娘の爪の下から無数の糸が伸びた。まだ50フィート(15.2m)以上は離れているのに、糸は重力に屈することなく、鉄線みたくピンと張った状態で攻めてくる。
 
 跳んで避けようにも茨でまともな足場が無い。先ずはしゃがんでかわした。次にタイミングを見計らって横へ回り、剣で糸を切り落とした。的への軌道から外れて、糸の先がバラバラに散る。たとえ糸が己の身体から伸びた物でも、流石に一本一本を先端まで細かく操作できないらしい。
 
 ――再び前へ進もうと、一歩踏み出した瞬間。
 右のふくらはぎに激痛が走り、思わずゲズゥは鋭く息を吸った。
 見れば、薔薇の魔物の一匹がしっかりと噛み付いている。簡単に振り落とせそうに無い。
 
「その魔物の唾液も酸性です!」
 一瞬、聖女が何を叫んだのかわからなかった。が、花の牙に触れている部分のズボンが溶け、最初の痛みとまた別の――皮膚が焼け落ちるような――感覚から、理解した。
 
 理解したからには剣を構えた。膝を曲げて脚を上げ、柄近くの鋸歯部分を使って、花を削ぎ落とす。自分の皮膚も多少巻き込んで削いでしまったが、この際知ったことではない。
 切り落とされた花はしばらく痛がるように暴れた。
 
「……糸が……」
 呟きに、ゲズゥは顔を上げた。横顔だけからでも聖女が青ざめているのがわかる。
 
 聖女の視線を辿ると、白い糸に巻きつかれたいくつかの薔薇があった。それらは見る間にどんどん大きくなっている。まるで糸を通じて、核の魔物から養分を注いでもらっているかのようだ。この糸はさっき襲ってきた同じ物が的を変えた結果であろう。
 
 人間と同じ大きさに達した五匹の薔薇の先を見据えると、静かに緑色の涙を流しながら笑う、全裸の娘が目に入った。
 
「聖女」
「……? はい?」
 意外そうな返事が返ってきた。呼ばれたことに対して驚いているのだろう。
 
「あの女を救ってやってくれ」
 ゲズゥは左腕の中の少女を見上げて、頼んだ。
 
 改めて頼まなくても、聖女は最初からそのつもりだったろう。それでも言わずにいられないのは、同胞であった者に対する、情からだ。
 
 聖女がゲズゥを見下ろす。
 大きな茶色の瞳と目が合った。聖女は何度か瞬いた。
 
「わかりました」
 少女の目からは既に怯えの色が完全に消え失せ、代わりに確固たる決意が浮き上がっていた。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:24:40 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.c.
2012 / 03 / 12 ( Mon )
「……別に、お前がそこまで気にかける必要は無い」
 すぐにゲズゥは話を切り替えたので、真相を聞きだせなかった。少なくとも他に生き残りがいたとしても、行動を共にしていないのは明らかだ。
 
 ゲズゥは壁から離れ、物置部屋へ入っていった。ミスリアもなんとなく部屋の入り口までついて行った。
 狭い部屋にて彼は昨晩手にした巨大な剣を、包帯みたいなもので黙々と巻き始める。刀身はいつの間にか綺麗に磨かれ、研がれている。
 
 見る者を圧倒する剣だった。大き過ぎて、持ち歩くだけでも一苦労しそうである。何せ、長い柄部分を除いても、刃はミスリアの身長とそう変わらない長さだ。
 
 ゲズゥは物置のどこから掘り出したのか、肩に斜めにかけて背負うタイプの革製の鞘を調整している。剣の横長い鍔(つば)の真下にはめて、引っ掛けるようにして支える形だ。普通にまっすぐ伸びた大剣だったならばいざ知らず、曲がった剣なので一思いに抜くことができない。
 
「特注で鞘を作ってもらった方が良さそうですね」
 といっても一体どういう鞘なら収められるのか、イメージできない。
 
 昔はあった、と呟きながら、ゲズゥは袖の長いシャツの上にベストを羽織った。剣ごと鞘を背にかけて、立ち上がる。あまりの重量に肩に食い込むかと思えば、ベストを隔てているので案外大丈夫そうだ。
 
「……支度しろ。行くぞ」
 彼は無表情にミスリアを見下ろした。
「は、はい」
 わずかばかりゲズゥの独特な双眸に見とれたが、ミスリアは我に返って、言葉の意味を理解した。
 
 身を翻すと、背後から声が聴こえた。
 
「柳の下に剣を埋めたのは、魔物の仕業だ」
 半ば独り言のようにゲズゥは断言した。
 
_______
 
 ひたすら慟哭していた娘が、俄かに静まった。
 ぎゅるん、と魔物は首だけを後ろへ回転させ、目を見開いて辺りを凝視する。それは実際の人間の肉体構造だと不可能な動きであり、不気味だった。もっとも、全身から青白い光を立ち上らせている時点で既に人間とは異質な存在である。
 
 柳の樹を中心に半径100ヤード(91.4m)以上は草しかない野原で、身を隠す術が無い。すぐに見つかった。
 こっちが音を立てたわけではないから、臭いに気付いたのだろう。
 
 ゲズゥは剣を鞘から取り出し、包帯を素早く解いた。下がっていろ、と言ったら、聖女はそっと袖を離して従った。
 
 魔物が険しい顔で叫んだ。大気を震わせ、耳を劈(つんざ)くような怒声だった。白い髪を逆立たせ、手の爪を地面に立てる。
 何が起こるのかまったくわからなくて、ゲズゥはとりあえず両手で剣を構えた。
 
 数秒後に、振動が足を伝わった。
 
 褪せた野原から次々と何か別の植物が芽吹いて湧き上がっている。瞬く間にそれは蕾をつけ、明るい黄色の花を咲かせた。一本一本が、人間の子供ぐらいの大きさだ。野原は花の黄色に満ちた。
 
「薔薇!?」
 聖女が驚きの声を上げたのと同時に、ゲズゥの目の前の薔薇の花が頭を垂らし、ぱかりと横に裂けた。裂け目から見事な牙が見える。
 
 顎(あぎと)を持った花など、まず魍魎の類とみて間違いないだろう。ただ、いつもの魔物の腐臭ではなく薔薇の香りが漂うことに多少の違和感を覚える。

拍手[3回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:42:29 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.b.
2012 / 03 / 08 ( Thu )
「……村の跡地」
 頭から手を離し、億劫そうにゲズゥは発話した。
「はい」
 
 ふと、彼が故郷のことを口に出して「忌み地」と一度も呼んでいないことに気がついて、ミスリアは申し訳ない気分になった。なんて不吉で不名誉な呼び方だろう。
 後で謝るべきかも知れない。カイルにも伝えておこう。
 
「跡地がどうしたんですか?」
「封印とやらに、広げなくても通れそうな穴を見つけた。昨日走ってたついでだ」
 
「え……」
 ミスリアは今しがた言われた内容を脳内で整理する。人が中には入れそうな一方で、中に居た人間と変わらない大きさの魔物も出てこれるということ……?
 
「あの中は昼間でも魔物が闊歩してるんじゃないのか」
 ゲズゥが静かに付け足した。ちなみに午後になったばかりの時刻である。
 
「可能性はありますね」
 
 根拠は、封印の中の草の色。水分が足りて陽光が足りないのは、光だけを遮る何かの存在があるからだ。しかし封印の中の空は広く、建物も無く、木々がすべて枯れているので木の葉が草の栄養を横取りしているなんて道理も成り立たない。ならば、陽光を遮るものは何なのか?
 
 おそらくは瘴気があまりに濃すぎて光が行き届くのを邪魔をしていると考えられる。人の目に見えようが見えまいが、瘴気にはそういう特性もある。薄い雲や膜みたいなものだ。
 それより重要なのは、何故ゲズゥが今その話を持ち出したのかである。まさか、魔物が封印から逃れて近くの人々を脅かすことを心配していまい。
 
「…………聖人と司祭は当分戻らない。今のうちに行って……」
 彼は文を途中で区切って、言い終わらなかった。言葉に詰まっているようだった。ぼんやりと遠くを見つめる目になった。
 
(戦力的に二人が居てくれた方が楽そうなのにどうして敢えて居ない時を狙うの? 魔物と相対してる内に見られたり聴かれたくない展開になるって予想しているとか? 一人で感傷に浸りたいとか?)
 悶々と考えたってどれも推測に過ぎない。
 
 ミスリアはゲズゥの横顔をじっと見上げた。黒曜石を思わせる右目がひどく空虚に見えた。
 
 目の前にいる人の心を汲んでやれないことを、急にもどかしく感じる。下手なことを言って傷つけたくはないけれど、黙り込んでいたって分かり合うことは益々不可能だ。
 分かり合える保障なんて勿論どこにも無いけれど。
 
 ミスリアは拳を握って、小さく一歩を踏み出した。
 
「すみません、」
 そう話を切り出したら、ゲズゥが顔を上げた。解せないものを見定める風に目を細め、頭の角度を僅かに変えてミスリアの方へ耳を寄せてくる。不意に距離が近づいたので心臓が勝手にドキッと大きく鳴った。
 
「……何を思っているのか口に出してくれないとわかりようがありません。でも、話したくないのなら無理に話さなくていいです。私はできれば聞きたいんですが……ごめんなさい……うまく言えなくて」
 ミスリアは耳が赤くなるのを感じた。
 
 かけるべき言葉がわからないから正直な気持ちを話そうとしたはいいけど、恥ずかしい。
 どうしてこんな流れになった? そう、彼が村の跡地に行きたそうにしているから。でもよく考えてみれば、ミスリアが誘われたわけでもない。一人で行ってくるから大人しく待っていろ、と言う話だったら、随分と余計な口を挟んでいることになる。それでも止められない。
 
「私は同じ体験をしたことがないので貴方が何を感じているのかわかりません。たったひとり取り残される気持ちなんて……」
 語尾へ向けて段々と声が沈んだ。
 
 親類縁者が全員いなくなっただけでもひどいのに、ゲズゥはどこへ行っても呪われた一族の生き残りとして迫害され続けてきたのだ。七歳の孤児にとってこの世間がどれほど生きづらかったのか、容易に想像がつく。
 だからといってその後に彼が重ねた罪を正当化するつもりは無いが――本当に、十二年前に何があったと言うのだろう。
 
「厳密に言えば、ひとりじゃないんだがな」
 返ってきたのはほとんど聞き取れないような呟きだった。聞き間違いかと疑うほどに。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

12:55:13 | 小説 | コメント(0) | page top↑
10.a.
2012 / 03 / 07 ( Wed )
 姿を認識する前に咽び泣きを聴いた。
 しかし周囲に霧がかかっていて、視界がはっきりしない。
 淀んだ空気に混じって仄かに甘い香りが漂う。花の香り――これは、薔薇?

 一歩踏み進んでから、耳を澄ました。咽び泣きが続く中、他には虫や鳥やリスの鳴き声一つしない。曇った空から時折、水滴が零れ落ちる。雨粒は音を立てないほどに小さい。
 十秒待って、また一歩踏み出す。
 泣き声は止まない。この分なら、気づかれていない。

 また一歩踏み出そうとした途端、突風が通り抜けた。
 霧が少し晴れかける。
 己の視界が改善されたのと同時に相手に見つかるのではないかと危惧して、咄嗟に身をかがめる。すぐに杞憂とわかった。

 白髪の娘は両手で顔を覆い、丸まって横になっている。傍らには黒い柳の木が娘を守るようにそびえ立つ。
 一直線に近づかず、ゆるりと遠回りに輪を描いて背後に回る。

 娘はむくりと起き上がった。
 応じて、足を止める。身構えた。
 が、娘は妙な動きを見せずに、座り込んだままだ。肩にかかった真っ直ぐな白い髪が、はらり、と首筋を伝う。

 小さな背を丸めて、娘は更に嗚咽を漏らした。それは次第に号泣に変わる。
 聴く者の胸をすら引き裂きそうな悲痛な声だった。一体何がそんなに悲しいのか、真面目に考えてしまう。 

 娘はこちらに聴き取れるような言葉を発していない。それでも確かに何かを訴えようと一糸纏わぬ身体を激しく揺らしている。ちらっと見えた横顔からは、運命を恨むような、何かを切望するような、悔しげな表情が窺えた。

 何を、誰に、訴える? 
 無意識に想像してみた。

 瞬間、脳裏を過ぎった責める声には覚えがあるようでなかった―― 

「……どうして貴方だけいなかったの! どうして一緒に苦しんでくれなかったのよ! どうして、どうして私たちばかりこんな目に遭ったの――」


 袖が引っ張られる感覚によって引き戻された。現実を認識しなおすために二、三度瞬く。
 そう、ただの幻聴である。おかしな超能力を微塵も持たない自分に、人語をはっきり喋れない魔物の心の声など聞き取れやしないのだ。

 ゲズゥ・スディルは、傍らの少女を見下ろした。聖女ミスリアは水色のワンピースを身に纏い、栗色の髪をポニーテールにまとめている。茶色の瞳は戸惑いに見開かれ、ゲズゥの袖を握る小さな手が微かに震えている。 

_______ 

 今より三十分前。

 ミスリア・ノイラートはここ数日お世話になり続けている教会の主を、玄関から送り出していた。 

「用事が済めばすぐ戻ってまいります。私も甥も空けてばかりですみません」
 神父アーヴォスが頭を下げる。この歳で頭髪が耳近くしか残ってないのは遺伝、それとも外的要因があるのかしら、などと失礼なことをミスリアは思った。 

「いいえ。お気になさらず、気をつけていってらっしゃいませ」
 微笑んで一礼した。
 ちょっとした手荷物だけを持って、神父アーヴォスは町へ出かける。教会にとっての正式な休みの日は一週間のはじめの赤期日であり、それゆえにカイルも買出しに行ったのだろう。

 ミスリアが玄関の短い階段に立って後姿を見送っていたら、背後から声がした。

「聖女」
 振り返るとゲズゥが腕を組んで廊下の壁に寄りかかっていた。
 教会の中に戻り、はい、と返事をしかけてやめた。ミスリアは表情を曇らせた。 

「あの、できればミスリアって名前で呼んでいただきたいのですが……」 
「…………」 
 いくら待っても反応が無い。

(いいもん言ってみただけだもん。くだらない提案ですみませんね)
 すねたのを隠す為に背を向ける。扉を引いて閉じた。
 再び廊下を向き直ると、驚くことにゲズゥは微動だにせずにまだそこにいた。 

「もしかして、私に何かご用があったのですか?」
 今更ながらその可能性に思い至る。何となく思い返せば、いつも用事があってゲズゥを探しに行くのはミスリアばかりで、その逆はあまりなかった気がする。

 ゲズゥは一度息を吸い込み、漆黒の髪の毛を乱暴にかき乱した。
 彼の初めて見る仕草だったので、ミスリアは三秒ぐらい唖然とした。開いた口を閉じて、次の言葉が紡がれるのを待った。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

00:38:50 | 小説 | コメント(0) | page top↑
09.e.
2012 / 03 / 02 ( Fri )
 誰の話なのかすぐに思い当たってミスリアはあからさまに嫌そうな顔をした。別段、カイル自身に非があるわけでもないのに一歩後退る。
 ゲズゥは思い出そうとしてか一度目線を右上に泳がせ、次にジュースを飲み干した。

「……笑いながら俺を刺した女か」
 さも大したことない縁であるかのように彼は無機質にその言葉を連ねた。
「うんまあ、その人で間違いないよ」
 カイルは小さく笑ってキッチンカウンターでジュースを二人分、ティンカップに注いだ。掃除をし出した時に着替えた、簡素な水色のシャツの袖を捲り上げる。

「彼女――シューリマ・セェレテ卿は第三王子派の中でも特に過激だよ。あの時は教団を引き合いに出して追い払ったけど、今後も気をつけた方がいいね。買出しは僕だけで行くよ」
「はい……」
 ジュースの入ったカップを受け取り、ミスリアはゲズゥの右隣の席に座った。

 教団との関係が薄い国であるゆえに、ミョレンの王位争いの概要をミスリアは詳しく聞いていない。中でも、王のいない状態で後継者がどのようにして決まるのかなどどうにも思い至らない。そこに長い間、政を放置していい理由が果たしてあるのか。
 国民が現在の体制に不満を抱くのは当然といえる。一方で、今朝の典礼で会ったやたら明るい人々は政府の存在を丸ごと忘れようとしてる風にも見えた。

「忌み地の浄化が済んだら発つでしょ? 引き止めて悪いね」
 カイルも椅子を引き、テーブルに向かって座る。
「引き止めただなんて、そんなこと無いです。私にとっても貴重な経験になります」
 かぶりを振った。よかった、と笑ってカイルはカップからジュースを一口飲む。

 ミスリアが隣のゲズゥを一瞥する。
 彼は肘をテーブルにつき、顎を手の甲に乗せて支え、またしてもどこを見てるのかわからない目を、ガラス張りのドアの向こうの中庭へ向けていた。外はもう薄暗い。

 「呪いの眼」の一族の村と最も関係が深いゲズゥが、一連の展開をどう思っているのか尚不明である。最初は足取りが重そうだったのに途中から走り出したり、ずっと口が堅いのかと思えばサラッと恐ろしい過去を語ったり、一体どういう気持ちでいるのだろう。本人にすら把握し切れてないのかもしれない。変わり果てた故郷がその目にどう映る?

(本当は向き合いたいのかしら)
 どんな人間にとってもそれは勇気の要る行為だった。嫌な出来事や記憶であればあるほど、苦難だ。特に子供の頃の記憶なんて、古過ぎてそれこそ強い感情と結びついたエピソードしか残らない。

「ところでミスリア、最初の巡礼地の位置は確認した?」
 カイルの問いかけにはっとして、ミスリアが右を向く。
「はい、確か山脈を越えた先の町にあるんですよね」

「うん。ミョレンを西に抜けないといけないし、まだ先は長いね」
 他国の内情に巻き込まれてうっかり足止め食わないように、とカイルはやんわり忠告してくれた。

 ミスリアは頷いて、両手で包んだカップの中をじっと見つめた。黄金色で半透明な液体の表面が揺れる。

 わかっている。これは巡礼地までの単なる通過点に過ぎない。

 始まったばかりのこの旅の最終目的は聖獣を眠りから蘇らせることだ。決して世直しの旅ではないし、自分なんかにそんな大それた真似が出来るなどと自惚れていない。ミョレン国の民がどういう生活をしていようと、少女一人に手伝えることなど限られている。
 少なくとも頭の中ではそういう理屈で片付けていた。

「………………山脈……」
 ぼそっとゲズゥが呟いた。他にも何か声を出していたが、聞き取れなかった。
「はい?」
 ミスリアが訊き返しても、ゲズゥはテーブルの上の燭台を眺めるだけで返事をしない。

 短い沈黙の後、カイルがまたジュースを飲んだ。ミスリアも真似をする。
 酸味の強いアップルサイダーと違った爽やかな口当たりと味わいがあって面白い。これは近頃アルシュント大陸各地で流行り出した、加熱殺菌法や濾過の結果だろう。

「ジュース美味しい? 隣町からのお客様の差し入れだって」
「はい、甘くていい香りです。この季節に林檎って珍しいですね。秋が収穫期だったはずでは」

「巨大な地下保管庫があるんだよ。いい感じに冷えるから色んな食べ物が季節遅れで食べられるよ。林檎は果物の中でも冷やしたり乾かしたりすれば特に日持ちがいい」
 なるほどそういうやり方があったとは知らなかった、とミスリアは納得した。

 ふとカイルが腕時計を見た。

「僕はあの兄妹の様子を見てくる。君たちも夜更かししないようにね」
 ゲズゥの肩を一度ぽんと叩いてから、カイルは廊下の方へ歩き出した。と思ったら、ぴたっと止まって振り返った。

「そういえば『現代思想』の最終巻が出たけど、読んだ?」
 カイルの話題転換の唐突さにそろそろ慣れてきているとはいえ、これはまた一段とわけがわからない。確か有名なノンフィクションの本のタイトルだったか……。

「いえ、そのシリーズは私には難しすぎて読んでません……」
 タイトルからして、そんなコアな本を理解できるほどミスリアは哲学の勉学に励んでいない。

「教会の書斎に全六巻揃ってるから暇を見つけて目を通してみるといいよ。今は叔父上が使ってて書斎に入れないけどね」
 手をひらひら振りながら、カイルはダイニングエリアを去った。

 理解できないから読んでいないといってるのに何故か彼は強引に勧める。
 ミスリアは首を傾げた。今のやり取りは一体何だったのだろう。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

15:52:06 | 小説 | コメント(0) | page top↑
09.d.
2012 / 02 / 29 ( Wed )
「会ってみて、イメージと全然違ったのは認めるよ。そこはミスリアの見込んだ通りだね」
 どっちみち調査報告書の類から誰かの人間性を読み取ろうなど無理だったのだ。
 カイルサィートは立ち上がり、背伸びをした。

「そう思いますか?」
 ミスリアは何故か訝しげだ。
「彼が君の身の安全……というより命、を守り抜くだろうことに関しては心配してないよ。ほかに心配事は色々あるけどね」

 そのほかの心配事を口にすべきかどうか決めかねて、カイルサィートは隣の椅子に座る少女の反応をうかがった。
 ミスリアは椅子の端を両手で軽く掴んで、首をかしげただけだった。思い当たる節が無いようだ。

(教団内で育った女の子ってどうしても異性に対して警戒が足りないな)

 本当に誰も指摘してやらなかったのだろうか。その場にいなかったのだからわからない。
 ミスリアがようやく上の方にこの案件を持ちかけた頃は自分も仕事で忙しかったし、まともに別れを言う間もなく道が分かたれた。

(教皇猊下が許可を出したからいいのかな……いやでもあの人はちょっとアレだからね……)
 カイルサィートは一人でうんうん頷きながら腕を組んだ。

「そこら辺、君はどうなの?」
 背後に向けて問うた。
 返ってきたのは冷淡な声だった。

「幼女に欲情するほど女に不自由した人生を送っていない」
 にべもなく彼は言う。

 ほんの数分前に、ゲズゥ・スディルが音一つ立てずに近づいてきたことにカイルサィートはどことなく気づいていた。たまたま彼が目にも留まらないような小枝を踏んだからであるが、ミスリアにはそれが聴こえなかったらしい。背もたれに寄りかかって、彼女は振り返った。

「あれ、お帰りなさい……って、十四歳は幼女じゃありません!」
 最初は驚いて挨拶しだしたのが、言われたことを思い出して怒りを覚えた、といったところだろうか。彼女にしては珍しくぷりぷりした。

「欲情してくれなくて結構です。そういうのは恋人相手にするものでしょう」
 言葉の意味を真に理解しているのか怪しいな、とカイルサィートは思った。

 ゲズゥは首をならすだけでそれ以上何も言わない。
 彼は袖なしの黒いシャツと膝上までのズボンに、裸足という身軽そうな格好をしている。濃い色の肌を、汗が幾筋も伝う。

「それはそうとどこ行ってたの?」
「……走ってた」
 ゲズゥは裾を使って顔を雑に拭いている。

 ――なるほど、活発で何よりなこと。汗の量や服の汚れや足の細かい生傷から見て、一体何時間走っていたのやら。羨ましい体力だ。
 対するカイルサィートは剣の稽古をあまり定期的にこなさず、筋力も鍛えていない。純粋に感心した。たとえ実際は運動していたのではなく、どこかの様子見や情報収集やその他の可能性が真実であっても。

 夜の訪れも近いので庭の片付けを始める。ミスリアがテーブルの上から食器や容器を中へと運ぶ。ゲズゥと二人残されたカイルサィートは、テーブルの一端に立った。持ち上げるのを手伝うように頼むと、無言でゲズゥは応じた。
 二人の間に頭一個分に近い身長差がある。それを持ち上げる高さを調整して巧くカバーした。庭から出て玄関を回り、テーブルを教会の中の物置へ収めた。

「さてと。今晩は子供たちを泊めるし、ゆっくり休息しよう。明日は買出しに隣町に出向くと思う。また忌み地へ入るなら明日以降だね」
 掃除も終わり、食器も洗い終わった頃にカイルサィートは言った。隣でミスリアは皿を拭い、テーブルに向かってゲズゥは風呂上がりに林檎ジュースを飲んでいる。

「君たちは……どうしようかなぁ」
「と言いますと?」
 最後の一皿を拭き終わって、ミスリアがそれをカイルサィートに手渡す。

「湖の町に関わらない方がいいって言ったの、理由はいくつかあるんだけど」
 カイルサィートは渡された皿を頭上のキャビネットの中にしまった。

「たとえば国境で会った女騎士さん。あそこも彼女の管轄内でね、また会ったらややこしいことになりそうだな……」
 女騎士の下品な笑い声を思い出して、やれやれ、とカイルサィートは大げさにため息をついた。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:52:57 | 小説 | コメント(0) | page top↑
09.c.
2012 / 02 / 28 ( Tue )
 その時、二人の子供が不安げに歩み寄ってきた。揃って薄茶色のくるくる巻き毛をした兄妹だ。

「あの、聖人さま」
 十歳ぐらいの兄がおそるおそる声をかける。その背に、やや火照った様子の妹が隠れる。
「どうしたの?」
 カイルは子供たちに柔らかく笑いかけた。

 一人喋りだした兄によると、妹がこの頃風邪っぽくて困っているという話だった。親は畑仕事で忙しく、医者を呼ぶお金も無いとか。ここの教会に来ればどんな病気も無料で治せる聖人に会えるという噂を聞きつけて、典礼の日に合わせて離れた村から訪ねてきたらしい。

「遠路はるばる頑張ったね。いいよ。ちょっと、じっとしててね」
 すぐにカイルは聖気を展開した。妹の額にそっと手をかざし、暖かい金色の光の帯で包む。妹はやがてまどろみ、目を閉じた。五、六歳ぐらいの女の子の小さな体をカイルは腕で支えた。

「もう大丈夫。中で少し寝かせようか」
「あ、ありがとう! ありがとう、聖人さま!」
 妹を腕に抱えたカイルの後を追って、兄の方は小走りになる。

 微笑みながらミスリアは三人を見送った。

「すみません、聖女さま」
 いつの間にか横に来ていた、猫背で細目の中年女性が申し訳なさそうに言う。まっすぐな金と銀の入り混じった髪を後頭部の上のほうにだんごにまとめている。

「こんにちは。何でしょう?」
「実は膝の調子が悪くて……みてはもらえませんか」

 ミスリアは快くその頼みに応じた。
 女性の膝を治したら、またいつの間にか治してほしい怪我があるという誰かが現れた。その後もまた誰かが治してほしい箇所があると申し出て、あっという間に列が出来上がっていた。

 戻ってきたカイルも参戦して、気がつけば二人は日が傾くまで治癒を施し続けた。
 最後の一人が帰ったところで、二人はパティオの椅子に深く腰を掛けた。テーブルの上のお菓子や飲み物はほとんどなくなっている。神父アーヴォスは教会の中に入って、中庭は今や無人だ。

「いつもこんなことをするんですか……?」
 すっかり疲弊しきってミスリアが訊く。
「そんないつもってわけじゃないけど、割とね、ふとした流れでこうなることもあるよ」
 カイルが木版を使って汗ばんだ顔をパタパタと扇いでいる。確かに今日は外が晴れて暖かかったので、長袖の白装束を身に纏っていた彼には暑いだろう。ミスリアだって長袖なので暑い。

「昨日の今日で疲れてるよね、ごめん」
「カイルが謝ることじゃありませんよ。楽しかったです」
 頬にくっついた髪と白ヴェールを手でどけて、ミスリアは笑ってみせた。
「それはよかった」

 なんとなく二人は黙って空を見上げた。
 薄紫と茜の織り成す見事な色合いに、感嘆するほかない。明るいのに空には影がかかっているように見えて、不可思議な光景だった。

「…………最近考えたのだけど」
 カイルは視線を空に向けたまま、静かに発話した。
「はい?」

「戸籍や出生証明書という制度はまだこの大陸では主流じゃないんだよね」
「そうですね」
 あまりに突然の話題に、ミスリアは驚かない振りをして相槌を打った。視線は同じく空に注がれたままである。

「僕らの生きる社会では、よほど名の知れた人物が被害者でなければ政府が『殺人』として罪を咎めることもないね」
「そう、ですね……?」
 話についていける自信をなくして、ミスリアの語尾がひね上がる。

「『天下の大罪人』はね」
 しばらく誰も使わなかったその単語にミスリアは絶句した。
「確認されてるだけで犯した殺人は二十五件、証拠不十分とされているのが十八件。知られていないだけで他にもあるだろうね。小国ひとつ滅ぼしたって噂もあるし」

「それはただの噂でしょう!」
 知らずミスリアは声を上げていた。近くでたむろしていた雀たちが驚いて飛び去る。
「うん。でも、これは考慮すべきことだと思う……」
 カイルのほっそりした輪郭が陽を浴びてほんのり赤い。琥珀色の真剣な瞳が鮮やかだ。

「名の知れた人物とは簡単に言えば誰が浮かぶ?」
「え……重要な役割の人間や、上流階級とかですか」
 平民以下と違って、貴族の出である人間は赤子が一人欠けても大事になる。

「そう。さて、彼が暴挙の限りを尽くした相手は果たしてお貴族様や将軍ばかりだろうか。平民や庶民、または奴隷階級になら悪事を働いたか、否か? 特定な人物にのみ非道であったのか? 現時点では情報が足りないからどうとも言えない。でも、それらの事実が何であるかによって彼の人格はまったく別の解釈を要すると思わない?」
 そこでカイルはにっこり笑った。

(まったく別の解釈って何だろう?)
 ミスリアは頭を抱えて考えたが、難しくてわからなかった。

 聖人・聖女としての実力とは無関係に、自分よりカイルの方が頭がいいとは常々実感していたことである。いや、自分の方が至らないだけなのだろうが。
 考えようとしても、頭が益々こんがらがるだけだった。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

15:13:41 | 小説 | コメント(0) | page top↑
09.b.
2012 / 02 / 26 ( Sun )
 演壇の前に神父アーヴォスが立ったので、聖堂は静まりつつある。
 神父は暖かい笑顔で両手を広げ、挨拶の言葉を並べた。それが済むと演台の上で本を開き、創世記の一節の解釈を朗読し出した。

「神々が訪れる以前の大陸は岩だけのただの荒野でした。『固体』や『液体』や『気体』という性質こそ存在したものの、物質がそれらの間を自然に行き来することはなかったのです。

 太陽、月、星の動きなどが大陸に影響をもたらすこともありませんでした。
 『時間』や『進化』といったいわば直線的な変化も存在しなかったのです。時はただ延々と輪の上を走り続けるのみでした。

 ある時どこからかまったく新しい存在――神々が、大陸を訪れました。数は判然としません。彼らはそれぞれ別個の存在だったかもしれませんし、皆どこかしら繋がって連なっていたかもしれません。神々は普遍的な大陸にて精神体しか持たなかったのですが、それでも世界の有り様に作用する強大な霊力を有していました。
 
 彼らは大陸に『水』そして『空気』を賜り、『はじまり』と『おわり』という概念をも具現化しました。
 すぐさま大陸は変わりました。

 いつしか命が芽吹き、進化という道のりをたどり始めました。微細なる生物から始まり、植物や動物へと分岐しました。

 そうして人間なる種が世に現れてまもなく、神々は地上を去ることを決めたのです。彼らは過程を見納めたことに満足したのかもしれません。次なる大陸を潤しに向かったのかもしれません。
 何であれ神々は次々と天へ昇り、我々人間には想像もつかないような別の世界へと旅立ったのでしょう。

 しかし神々は地上を見捨てられたのではありません。
 
 天には、神々へと続く『道』が残っています。それは生きた者の肉眼に捉えられないような道です。更には肉体の死を経て人間もまたその道を目指せるように、神々は地上に聖獣を遺されました。

 世界の清浄化をして下さるだけでなく、ちっぽけな私たち人間の魂を神々の元へと導いてくださるのもまた、大いなる聖獣なのです」

 神父アーヴォスは演台の上でそっと本を閉じた。
 典礼の始め方において、司祭がどんな話をするのかはそれぞれの自由であった。今日は聖獣が創世記に登場する辺りまでらしい。

「偉大なるその存在を今ここで讃えましょう――」

 讃美歌の合唱が始まった。毎週ボランティアで何人か、ローテーションでそれをリードするのである。黒い服を着た五人が一列に並び、一章目を歌う。

 皆がベンチの背の物入れから、小さな薄い本を出してそれを開く。ミスリアもカイルも、讃美歌集を開かなくても暗唱できるので動かない。
 ハープの音だけを伴奏に、声が重なる。

 天井の絵画から、かの聖獣が見守っているような錯覚を覚えた。

 聖堂の中に居る百五十人近くの人間が、讃美歌を通して一体になる。

 ミスリアは目を閉じて、その感覚に身をゆだねた。

_______

 典礼も終わって、人々が中庭でくつろいでいる。
 パティオには飲み物やお菓子が用意されたテーブルがある。そのテーブルを囲って人々が立ち話をしている。

 ミスリアとカイルは群れから外れた木陰で、談笑していた。

「そういえば護衛の彼は? 朝から見ないけど」
 林檎ジュースの入ったティンカップを口元から離して、カイルが訊ねる。

「……どこかの樹の上じゃないでしょうか」
 知り合って数日、彼が昼寝と木が好きということだけはわかった。
 加えて護衛としてあまりミスリアから離れないという点を守る気もあるらしく、罪人という身分でひとり無一文でうろついたりしないぐらいの常識も持ち合わせているのは間違いない。

 ふーん、とカイルは一口ジュースを飲んだ。そういえばさ、と話題を変える。

「昨夜は驚いたよ。今までもあんな感じで密着してきたの?」
 カイルは何かを抱え上げる動作をパントマイムした。その意味を理解して、ミスリアが青ざめる。
「み、密着……!? あれは私の足が遅いからああしたほうが効率がよくて……確かに、何度か運んでもらってますが、そんなわけじゃ――」

「そうなの? 何度か抱き上げてもらってるんだ?」
 カイルがくすくす笑った。
「からかわないでください……」

 体格差を思えばどちらかというと大人が子供を腕に抱くようなものだった。それでも実際は青年と少女なのでまったく無害な行為ということにもならない。

(考えないようにしてたのに……)
 ミスリアは苦笑した。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

03:55:55 | 小説 | コメント(0) | page top↑
09.a.
2012 / 02 / 24 ( Fri )
 聖堂を挟む両側の大きな窓から差し込む朝日に負けず劣らず、集う人々の雰囲気は明るい。一、二週間ぶりの再会を喜んで人々は言葉や握手や抱擁を交わす。一度席に落ち着いた者も、知り合いの姿を見かければ大声出してまた立ち上がる。

 どこの教会も紫期日なら、このくらい賑わうのが当然だ。

 皆、こぎれいに髪型や服装を整えている。女性ならパステルカラーの生地にフリルのついたドレス等が華やかで、男性なら金色ボタンの並ぶ高い襟のシャツが目に付く。とはいえ行き過ぎた煌びやかさはなく、謙虚な格好をした者ばかりである。
 ミョレン国に階級があるなら、今この場にいる誰もが庶民に違いない。多少無作法にも見えるが、堅苦しい礼節よりただ体温の交換を目的とした挨拶には好感が持てた。

 聞いた話では、大半以上の参拝者は湖を囲った隣町から来ているらしい。ほかは、近隣の集落や小さい村からわざわざ典礼のために通う人間がほとんどだ。彼らは自分たちの教会が無かったり、司祭以上の位を持った人間が町からいなくなったりしたのが理由でここまで来ることになる。思えばヴィールヴ=ハイス教団は万年人手不足であった。

 決して豊かとはいえない暮らしの中で、彼らにとって典礼は精一杯働いた一週間を労わる特別な潤いだ。同時に、これからの一週間を迎えるための元気付けでもあった。
 たとえ国政があやしかろうが疫病が流行ろうが、神の愛と慈悲を信じる民ならば健気に通い続けるものだ。いや、むしろ不穏な世の中だからこそ祈祷したいのだろう。

 まだ始まるまでいくらか時間がある。
 正装した可愛い子供の兄弟が通路を走りぬけ、間もなくして最前列に座した母親に叱責を受ける。

 入り口付近に立つ聖女ミスリア・ノイラートは、その様子に自然と頬を緩ませた。たくさんの人のざわめきを意識からやんわりと除去しながら、もう一度聖堂を見渡す。

 身廊の右側。前から五列目の真ん中辺りに、その姿を見つけた。祭壇に近づきすぎず、さりとて離れすぎず。その列には、通路側に若そうな夫婦が一組座っているが、他には亜麻色の後ろ頭の青年一人しかいない。
 どうしてか、そこだけ空気が違うように思えた。

 青年は紙の束の上に、白い羽根ペンを滑らせている。右手ではなく左手を使って左から右へと字を連ねるのは苦労しそうなものだが、青年は難なく書いてみせていた。

「聖女さま、おはようございます!」
 中年男性にすれ違いざまに礼をされた。男性式の、片腕を腰近くで折って前にお辞儀をする形である。
「おはようございます」
 ミスリアは笑顔を浮かべて礼を返した。女性式の、両手でスカートを広げる形だ。

 既に本日八度目である。聖女の純白の衣装は人の注意を引きやすく、また、こんな地域に聖女が姿を見せるのも滅多に無いのか、珍しがって話しかけてくる人は多い。その都度なんとか深く訊き込まれないようにのらりくらりとかわしている。

 人と人の間を抜けて、ミスリアは五列目まで歩み寄った。

「カイル」
 自分と似通った白装束を着た彼に声をかけた。
「ああ、おはよう、ミスリア」
 まるでそれが定まったひとつの流れだったみたいに、聖人カイルサィート・デューセは右手でサッと紙束を半分に折って祈祷書の中に挟み、左手で羽根ペンをインクボトルにさしてボトルごと床に置いて仕舞い、そして頭を振り向けた。

「隣座る?」
 いつもの笑顔だった。優しげな目元や琥珀色の澄んだ瞳からは、何かを隠そうとしている心の翳りが表れていない。
 気にはなるけど、ミスリアは友人に追究しないことを選んだ。誘われたままに彼の隣に腰をかける。

「そういうところ変わりませんね」
 少し笑い、首を横に傾げた。
「ん? どういうところ?」
 カイルが話しながら口元を吊り上げる。
 う~ん、と口に手を当てて考え込んでからミスリアが答える。

「ほどよく人と距離を取っているところでしょうか」
 彼が選んだ座席について言っていた。それから、知り合いも多いだろうに誰とも会話せず、誰をも近寄らせなかった点か。
 書く作業を進めるためにたまたま今日はそうだったのかもしれない。しかしミスリアの記憶の中のカイルも、いつも程よい席を取っていたのだった。

「ああ、そういうことね」
 すぐに思い当たって、カイルがゆっくり頷く。

「ミスリアも昔からそんな感じだったよ? 他人と一線画したみたいな接し方」
「う……」
 言い当てられて、ミスリアは口ごもった。

「まあだからこそ、僕らは友達になれたんだっけね」
 やはりカイルは爽やかに笑うのであった。釣られてミスリアも笑う。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:31:49 | 小説 | コメント(0) | page top↑
08.h.
2012 / 02 / 21 ( Tue )
 見晴らしのいい場所を去ってから、再び魍魎が襲ってきた。足の遅いミスリアを気遣って、カイルが合わせてくれる。
 自分の剣を手放したカイルはゲズゥから長剣を譲ってもらっている。そのゲズゥはというと、ミスリアの聖気がいくらか残る大きな剣らしきものを振るっている。先頭を走って文字通り道を切り開いていた。

 カイルの導くままほころびへ進んだ。近づくと、自動的に出口が広がる。
 三人は入った時と逆の順番にそれを走り抜けた。

_______

「ご無事でしたか!」
 向こう側に転がり出て、ゲズゥは最初にその声を聴いた。松明の明かりが有難い。
「助かったよ叔父上」
 司祭が外から出口を広げたらしい。続けざまに呪文を唱え、魔物が逃げ出さないようにほころびを縮小している。

「大丈夫ですか?」
 聖人の手を借りて聖女が立ち上がった。よく見れば二人とも白装束が汚れて所々破れ、至る所にかすり傷などを負っている。
 質問には直接答えないで、ゲズゥは憮然として呟いた。

「あの女……俺の左眼を見て『仲間』とはっきり言った」
 途切れ途切れのシャスヴォル語から、その単語だけ拾えた。それが何を示唆するか、彼には当然わかっていた。人に似て非なるかの存在と自分には、縁(ゆかり)がある……。
 ふいに頬や首周りのやけどが痛いようなかゆいような気がして、爪でそれを掻いた。

「あ、引っかいちゃだめです!」
 駆け寄り、聖女が手を伸ばして聖気を展開した。合わせてゲズゥが身をかがめる。

「仲間、ね……。心の声から、僕に読み取れたのは『ニオイ』ってひとことだけだったんだけど。ミスリアはどう?」
 考え込むようにして、聖人が顎に手を当てた。

「私には……」
 やけどの治癒を終えて聖女は聖人を向き直り、こめかみを押さえる。
「確か彼女はこう言いました――」

『懐かしいにおいがするお前は誰じゃ?』


 聖女の言葉の意味を反芻する。

「つまり……核たる魔物がスディル氏を憶えていると?」
 作業を終えた司祭も会話の輪に加わった。
「あんな女なぞ知らん」
 ゲズゥは短く吐き捨てた。

「そりゃあ生前と同じ姿で魔物になる方が稀だよ。人間を喰らう内にまた姿かたちが変わるし、喰らう人間がなくなると、他の魔物を取り込んだりするからね。『彼女』は僕が前に遭遇した時とまた姿が変わっていたよ」

 聖人は豊かな手の動きを織り交ぜて説明した。
 以前遭遇したことがあるのに攻撃手段や弱点を知らなかったのはそういう理由があるからだとか。

「私には生前の姿まではわかりませんでした」
 聖女が申し訳なさそうに言う。
「もう一度行って魂を繋いでみれば視えるよきっと。とりあえずはあの糸と酸に警戒しなきゃならないってわかっただけでも収穫だよ」
「魂を繋ぐ歌ですか……魔物は一体だけでしたか? 他に何か――」

 段々話についていけなくなって、ゲズゥは聖職者らの会話に興味が失せた。背を向け、手元の大剣に目を向けた。なおも汚れて刀身などは見えないが、大体の形はわかる。
 柳の幹の背後にこの柄を見てもしやと思った。たとえ何年経ってもゲズゥがこれを見違えるはずがない。

「それ、何だったんですか?」
 聖女がそっと歩み寄って、大剣をじっと見つめている。

「……父親の形見」
 特に隠す理由もみつからないので、サラッと言った。
「え!?」
 一同が一緒になって驚く。ゲズゥはただ頷いた。

 平均的な成人男性とほぼ同等な身長の大剣は、地面に垂直に立たすとゲズゥにとっての肩ぐらいの高さに並ぶ。全体の軸は直線ではなく曲線にあり、刃が緩やかに湾曲した刀である。柄から先へと幅が徐々に太くなると思えば、先っぽは締まってとがる。先だけは鉤(かぎ)にも似ていた。柄近くの刃と反対側の刀背部分は峰みたいな鋸歯(きょし)状になっている。
 
 父親の思い出には、いつもこの剣があった。父は常にこれを背負い、これを使って闘った。仲間内の稽古でも、外敵を斬り捨てる時でも。
 本来ならば成人した際に譲り受ける約束を交わしていた。結局は村が滅びた事情によりそれはかなわなくなり、剣自体どうなったのか不明に終わった。

 まさかこうして手に取る日が来るとは予想だにしなかった。
 それに関しても、疑問は多くある。が、もう遅い時刻だ。

 さっさと帰路につこうと歩き出したら、他の三人も倣った。

拍手[2回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

14:37:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
08.g.
2012 / 02 / 19 ( Sun )
 下手に動ける場面ではなかった。もっともミスリアは目の前の魔物に底知れない恐怖を抱いてか、全身が硬直している。
 魔物の白髪からのぞく象牙の素肌に、苦しげな人面が浮かんでは埋もれた。
 ゲズゥは身じろぎ一つしない。おそらくそれが正解だろう。

(急な動きは危険だし、反撃の機会をじっと待っているのよねきっと)
 魔物はぎょろりと目を見開き、更にゲズゥに顔を近づけた。それこそ鼻と鼻がぶつかり合う距離に。再びふくよかな唇を動かしたが、今度は声を発した。

「マ……ナツ……イ、ニ イ……オ……タ レ シ ヤ……」
 言葉を紡ごうとしているのは明らかだった。

「シャスヴォルの国語かな……『呪いの眼』の一族は自分の言語を持たなかったはず」
 カイルが小声で言う。

 ミスリアもカイルもシャスヴォルの言語には詳しくない。こういう場合は、魔物の内なる心の声を探れば実際に発音している言葉と合わせて解することが可能だ。感情に基づいた内なる思考は言葉という殻を持たず、直接触れさえすれば大方読み取れるからである。

 魔物は続けて声を発したが、やはり途切れ途切れだった。ゲズゥはただ瞬いた。
 返答が無いことにしびれを切らしたのか、魔物が身を引き、怒ったように叫ぶ。もっときつく糸を締めた。反射的にゲズゥが左手をあげてそれを掴んだが、首が更に絞まるのを止められない。

(どうすればいいの――)
 焦りが募る。

「ミスリア、落ち着いて。僕に考えがある」
 カイルが声を低くして耳打ちしてきた。
「え……」
 ミスリアは少しだけ顔を横に動かしてカイルの方へ耳を寄せた。目線の先はゲズゥと魔物を捉えたままだ。

「彼が右手に持っているものに、聖気をまとわせるんだ」
 指を指す代わりにカイルは顎を少しだけ動かした。確かにゲズゥの右手は突出した長い物を掴んだままだった。心なしかそれは、先ほどよりも土から突き出ている気がする。

「でも」
 それが何なのかミスリアにはまだわからない以前に、聖気を無生物に付着させるのは容易ではなかった。対象物と自分の縁が深ければ深いほどやりやすく、そして静止状態の対象物に直接触れていなければならないことなどと、成功させるには条件がある。

「大丈夫、君なら……ううん、君だからこそできるよ」
 カイルは励ますようにミスリアの背中を軽く叩いた。

 首を絞めるのに飽きたのか、魔物は蛇のような形の舌を出した。酸がべっとりとついたその舌で、ゲズゥの鎖骨辺りを舐め始める。またあの嫌な音がして、全身に鳥肌が立つ。

 ミスリアは疑問を捨てた。カイルを信じよう。
 ペンダントを握りつつ両手を組み合わせ、地面に膝をついて眼を瞑り、祈る姿勢を取る。謳うように言葉を紡いだ。

 正体のわからないあの長い棒にも似た物に意識を集中させる。
 数秒後に両目を開いたら、棒は見事な金色の帯に包まれていた。ミスリアは地面に両手を着いた。なんとかできたけど、やはりこれは疲れる。

 魔物はいつしか動きを止め、呆然とこちらを見ている。左手に剣を携えてカイルがミスリアを庇うように立ちふさがった。
 二人めがけて糸が伸びる。それを一本漏らさずカイルが巧く剣にのみ巻きつかせた。

 その隙を待っていたゲズゥが、右腕に力を込めた。瞬間、引き締まった腕の筋肉にいくつかの筋が浮かび上がる。彼は一気に土の中から長い物を引きずり出し、頭上にて両手で構えた。聖気をまとったそれを魔物めがけて振り下ろす。

 咄嗟に白髪をクッションに使って、女は斬撃を逃れた。同時にゲズゥを拘束していた糸が切れる。白い糸と髪が舞う。一部は銀色の素粒子となって浮上している。魔物は木の枝の上へ引き返し、その様をうっとりと見つめている。
 土まみれの棒を持ったまま、あっという間にゲズゥはミスリアたちのところまで移動した。時々咳をしている。

「こっち。入った箇所よりも近いほころびがあるよ」
 三人は走り出した。白髪の魔物が追ってくる様子は無い。

拍手[1回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

03:13:03 | 小説 | コメント(0) | page top↑
前ページ| ホーム |次ページ