15.d.
2012 / 09 / 03 ( Mon )
「ところで聖女様」
「は、はい。何でしょう」
 ツェレネに話しかけられ、ミスリアは視線を移した。
「デザートは、何が食べたいですか!?」
 青く澄んだ瞳がぐいっと近づいて来る。それがとてつもなく重要な問題であるかのように、彼女は興奮している。

「え、えーと」
 ミスリアは自分よりも背の高い美少女に気圧されていた。
 間近で見るツェレネは羨ましいくらいに可愛い。顔のパーツは形もバランスもよく、小顔で輪郭は柔らかい。鮮やかな赤い髪が色白の肌に冴え、長い睫毛まで綺麗な赤だ。

「たとえばパイとブレッドプディングのどちらがいいでしょう」
「で、ではブレッドプディングでお願いします」
「はい、すぐできますからね!」
 満面の笑顔でツェレネは請け負い、足軽に台所へ向かった。ミスリアが食器の片付けや洗い物を手伝おうとすると、客人は何もしなくて良いと家主は言う。

 そう言われれば仕方ないので、ミスリアは玄関先に出た。そこのベンチ型ブランコにそっと腰掛ける。ぎぃい、と木製ベンチの軋む音が響いた。
 昼間よりも空は晴れ、星の煌きが見えつつある。湿気が多いのか、ベンチがどことなくべた付いている気がする。
 薄闇の中には四角い家と、道を行き交う人間の姿があった。

(魔物は現れていないようだけど……)
 胸騒ぎはおさまらない。やはり長老の次男に問い質した方が良かったのだろうか。何故、魔物狩り師が一人も居ないのかを。
 ミスリアはブランコの鎖に手をかけ、ゆったりとベンチを揺らした。キィ、キィ、と鎖の軋む音がする。

 右を見上げれば、ゲズゥがいつの間にか隣に来ていた。
 彼は手に持った皿一杯の食べ物をみるみるうちに食べ尽くしていった。
 何だか緊張感が無い――そう思った途端、目が合った。

「羨ましそうに、あの娘を見ていたな」
 静かに彼は言った。食べ終わった皿を地面に置いている。
 その言葉に、ミスリアの心が揺れる。

 「そんなことありません」と否定するべきか、「よくわかりましたね」と肯定するべきか。
 嘘のつけないミスリアは、諦めて頷いた。
 さて、ツェレネの何が一番羨ましいのか絞ると――あの容姿も、家族も、確かに羨ましいけれど。

「……夢、を追っているのが素敵だなぁと思います。眩しいくらいに」
 同じように静かな声で、ミスリアは本心を語った。
「…………」
 ゲズゥの黒い右目は探るように細められている。こちらとしても何故か目を逸らせない。

(そう思う私が変なの?)
 ミスリアには夢と言えるような夢は無い。顔を輝かせて他人に話せるような、そんなモノは。
 今の自分を形成しているのは美しい未来への期待などではなく、たった一つの果たさねばならない目標だ。使命と呼んでいいのかすらわからない。当然、果たした後のことも考えていない。

 しばらく、二人は無言で見詰め合った。
 ふと、ゲズゥは何かに気付いたように目を見開き、頭を巡らせた。
 思わずその視線の先を辿ると、そこには人影があった。足音が静かだったせいか、存在に気付けなかった。

「こんばんは」
 人影は軽く会釈をした。声変わりを経ても、まだ少年っぽさの残る声だ。
「こんばんは」
 ミスリアはベンチに座ったまま、礼を返した。

 少年は通り過ぎるのかと思いきや、どういうわけか彼は一直線に歩み寄ってくる。
 玄関の灯りに映し出された顔はゲズゥよりも年下の十七か十八くらいに見える。長袖のシャツに革のベストを着ている。
 彼もまた、広場では会わなかった人間だ。

「確か、旅の聖女さんっすよね。自分はトリスティオと言います」
 少年はもう一度会釈した。肩には弓を、背には矢筒を持っている。
 平均的な成人男性より背が低く、多分ツェレネと同じか少し高いくらいだろう。
「はい。ミスリア・ノイラートと申します」
 ブランコから降りて、ミスリアはスカートを広げる礼をした。

「彼は私の護衛を務めるスディル氏です」
 ゲズゥをも紹介し、ミスリアは振り返った。
 するとゲズゥは無表情に、トリスティオと名乗った少年を眺めている。

(何か興味を引くものを見つけたのかしら?)

「……なるほど、よろしくっす」
 一方でトリスティオは食い入るようにゲズゥを見上げている。
「なんか、メチャクチャ強そうっすね」
 独り言とも感想とも言えないような呟きを漏らした。ゲズゥの体格を見ているのか、装備を見ているのか、それとも雰囲気からそう感じているのかは判断できない。

「そうですね」
 うまい返し方が思い付かないので、ミスリアは無難に笑って答える。
「トリスティオさんはこの家に何か御用があるのですか? 皆、中に居ますけど」
「あー、いえ。巡回のついでに顔見せようかなーと思ってただけっす」

「巡回ですか?」
 何か重要なことを聞いたような気がして、ミスリアは訊き返した。答えが聞ける前に、玄関の扉が開いた。
「デザートできましたよ! せっかくですし外で食べますか――って、トリス、やっほー!」
 エプロン姿のツェレネは、トリスティオの姿を認めるなり空いた手をぶんぶんと振った。

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