16.a.
2012 / 09 / 24 ( Mon )
 山の上から眺める夜明けの色合いはたとえようも無く美しい。感嘆していたら、ちょうど白い鳥の群れが視界を過ぎった。
 澄んだ空気を肺一杯に吸い込むと、未だ昨晩の疲れが癒えない身体にも多少の活気が戻る。
 下へ視線をずらせば濃い緑色が辺りを占め、麓にあるはずの民家を隠している。

 その情景を目に入れたまま、ミスリア・ノイラートは自分の肩より少し長い、茶色の髪を指で梳いた。寝癖の所為かいつも以上にウェーブ髪がしつこく絡まりあっている。梳き終えると、ポニーテールに束ねた。

 ミスリアにしては珍しく、ズボンを履いた旅装姿である。
 アルシュント大陸では女性のズボン姿はあまり受け入れられていない。職業か稼業がそれを必要としているならともかく、淑女は決まってスカートを履くものとされている。
 しかし今は世間の目も無いし、山越えをするからには、動きやすい格好でいなければならない。

 大体の支度を終えたミスリアが振り返ると、ゲズゥ・スディルが同じく旅支度を整えていた。
 彼は父親の形見だという曲がった大剣を丁寧に拭っている。
 青年の整った横顔につい見惚れていたら、その顔が何かに気付いたようにこちらを向いた。

「お、お早うございます」
 ミスリアは本日最初の挨拶をするも、これといって返事は無かった。
 よく見れば、彼の黒い右目はミスリアを捉えていない。眼差しは左後ろへと通り過ぎている。
 その視線の先を追った。

「あ!」
 そこには昨夜会った、トリスティオと名乗った黒い巻き毛の少年が立っていた。相変わらず足音が静かである。
 初めて姿を見かけた時とほとんど変わらない格好で、俯いている。そのためか顔に陰りができて表情が良く見えない。

(って、あれ? 昨日とほとんど変わらないどころか……もしかして着替えてすらいない?)
 泥や返り血やらの痕と思しき汚れの付着した服と弓矢を見て、そんなことを思った。

「あの」
 意を決したように、少年は顔を上げた。
 彼の目の充血具合を見るに、一睡も眠らなかったのではなかろうか。夢すら見ない深い眠りを経たミスリアとしては、妙な罪悪感があった。
 けれども彼は、自分の両足で立っている。昨日の今日だというのに、賞賛すべき精神力だ。

「はい」
 ミスリアはただ一言、返事をした。
「……昨日は助けて下さって、ありがとうございました!」
 一度姿勢を正してから、トリスティオはがばっと頭を下げた。
「え? あ……いえ」
 急なことに、思わずしどろもどろになる。ゲズゥを見やると、彼は無関心そうに大剣の手入れを継続していた。

「なんか昔から何かあると余所者の所為って事になってて、皆はあんなでしたけど、でも助けて頂いた事に変わりありませんから! ちゃんとお礼言わなきゃって思って追ってきました。まだ近くに居てよかった」
「そんな……お気になさらないで下さい。私は無力でした。結局、救えなかった命も……」
 語尾に向けてミスリアの声は沈んでいった。

「いいえ。レネも、他の人たちも、おれが不甲斐ないからああなったんす。聖女さんが気にすることないっすよ」
 ミスリア以上に、トリスティオの声は暗い。
「……おれが子供だった頃はまだ魔物なんて全然少なくて、平和でしたよ。魔物狩り師になりたいって言ったら、バカなこと言ってないで畑を手伝えって大人たちに笑われてたんす。でもレネだけは笑わないで、応援してくれた……」
 懐かしむように、彼の口元が綻んだ。
「そう、だったんですか」
 後に魔物の数も増えて、周りも態度を改めたのだろうことは想像できた。

「生まれ育った場所を、仲間を、やっぱり守りたいって思うから、おれはまだ此処に残って、強くなります。レネの学校を開く夢も、代わりに叶えてやる方法が無いか、探したい。居なくなったなんて……全然そんな風には思えなくて……」
「……はい」
 他に、なんて声をかけてやれば良いのかわからなかった。亡くなった人がいつまでも傍に居る感覚を、ミスリアとて良く知っている。

「トリスティオさん……貴方にこんなことを言って良いのかわかりませんけど」
「なんすか? 遠慮しないでどうぞ」
「私がツェレネさんにあげると言った祈祷書があるんですが、あれを一緒に」
 葬ってあげて欲しい、と言おうとして詰まった。

「そうっすね、きっとその方がアイツも喜ぶっすよ。うちは火葬の風習があるんで燃やすことになりますけど」
 言い終わらなかったが、トリスティオはそれを察した。苦々しい顔をしているのは、遺体の状態を思い出したからなのかもしれない。
「構いません」
 たとえちゃんと供養してもらえても瘴気の濃い場所では魂が魔物に転じることはある。それを心配してのことだ。シャスヴォルの兵隊長にしたようにミスリアが自ら葬式を執り行う訳には行かないから、せめて神々と縁の深い祈祷書を一緒に葬らせる。
 
「聖女さん、一つ訊いていいっすか」
「はい」
 ミスリアは神妙な面持ちになった。トリスティオの森色の瞳が、微かに怨念の炎を宿したからである。

「魔物がいつどこで現れるのかは、予測できないものなんすよね。じゃあ人間は、一体どうすれば後手に回らずに済むんですか?」
「それ、は……」
 責め立てるような目に、ミスリアはたじろいだ。

 問いの答えを、ミスリアは知らない。
 魔物を阻んだり倒したり消滅させる方法は研究されているのに、現れる場所を特定する術は未だに存在しないのだ。ましてや、出現するのを阻止する方法なんて。

 だったら、情報を掻き集めて何とか対策を立てればいいのだろうけど。そこまでは修行で教えられないし、巧いやり方が開発されていないのかもしれない。
 たとえば今考えろと言われても思いつくものではない――

 ふと、友人の声が頭の中で響いた。

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