12.d.
2012 / 05 / 02 ( Wed )
 自分でも驚くほどに心中は凪いでいた。恐怖や焦りが無いのは、しがみつかなければならないものを多く持っていないからだろうか。
 それでもやりたいこと、やらねばならないことならあった。目的を果たすまでは死ねない。
 
「僕はね、本当は正義感が特別強いわけじゃないんだ。目の前で許しがたい行為が繰り広げられていようと、保身のために見て見ぬふりぐらいできるよ。辛いけど、できる」
「突拍子もなくどうしたんですか?」
 ミスリアは縄を解こうとせっせと働く手を止めたかと思えば、また動かした。
 
「それでも助けたいと想う心がある内は、体の方が勝手に動いてしまうのかもしれないね。ごめん。独り言だと思って流して」
 カイルサィートは小さく笑ってごまかした。
 ちょうど手首を縛っていた縄が解けたので、自由になった腕をゆっくり動かしてみる。
 
「私にはよくわかりませんけど、カイルは優しいです」
 それが彼女なりの励ましなのだろう。
「ありがとう」
 ミスリアが差し伸べた手を、カイルサィートは迷わず取った。しばらく使われなかった筋肉を徐々に慣らし、腰を浮かせた。が、そのまま椅子に座り込んだ。三度目の挑戦でやっとうまく立ち上がれた、と思ったら、何かが足に触れた感覚があった。
 
「きゃっ」
 いつの間にか溝鼠が二人の足首辺りに噛り付こうとしている。血の臭いに惹かれたのだろう。そういえば朦朧とした意識の合間にも、噛まれていた記憶がある。今はすっかりミスリアの聖気によってほぼ治っているが。
 
 いきなりナイフが飛んで来た。即座に鼠たちは煩く逃げ惑う。
 いつの間にか戻ってきていたゲズゥが、地面に刺さったナイフを拾った。「当たらないな」みたいなことを呟いている。いなくなってから一分も経っていない。水色のシャツにところどころついている赤い跡が彼自身のではなく返り血であるのは、訊かなくても察しがつく。
 
「溝鼠は焼いても不味い。調味して煮るしかない」
 ナイフを懐に収めながら、ゲズゥはそんなことを口にした。
「食べたことあるんだね」
 つい苦笑を返した。
「溝のは雑食だから不味いんだろう。屋根裏に住んでる鼠の方がましだ」
 
「覚えておくよ。でも食には気を付けないと病気になるよ? まぁ、『菌』とか『病原体』ってのは割と最近に発表された概念だから知らないかもしれないけど、食中毒なら聞いたことあるでしょ?」
 腐った食べ物は勿論、「汚い」食べ物を胃に収めてはならないのは常識だ。溝鼠といえば汚い動物の筆頭ともいえよう。
 カイルサィートの言葉に対して、ゲズゥは首を鳴らした後、軽く頷きを返した。それらのやり取りをやはり苦笑しながらミスリアが隣から見守っていたが、ふと表情が硬くなった。
 
「それでカイル、これですが……」
 ミスリアが取り出した紙束に関しては、見なくても内容を熟知している。カイルサィートはそれを受け取ると、移動しながら話を続けようと提案した。
 
_______
 
 三人は一列になって、来た道を逆に辿っている。闇の濃さは先刻と少しも変わらない。けれども一度経験した道となると、最初に通った時のような得体の知れないものに対する不安を抱かないのだから不思議である。もともとは闇そのものではなく未知への恐怖だったのかもかもしれない。
 
「この人たちは」
 ゲズゥに倒された敵を踏み越え、燭台を持ったカイルが開口した。
「とある商社の関係者でね。詳細を省くけど、彼らが提供していた食材に病原体が紛れ込んでいたんだ。地価貯蔵庫から少し取ってきて、確認した」
 
 それは色々なソースや漬物に使われる材料で、容易には足のつかない手口だった。ここら辺の調査は、「疫学」といった、近年のうちに世に現れた学問を用いたのだという。相変わらずカイルは博識だ、とミスリアはこっそり感心した。
 
「ルセさんはカイルになら犯人や動機の心当たりがあると言っていました。本当ですか?」
「そうだね。まぁ、普通に理に沿って考えただけなんだけど」
「なら利を得た人間か」
 しんがりを歩くゲズゥの低い声が、ミスリアの背後からした。何気に話を聞いていたらしい。
 
「でも疫病なんて、儲かる要素があるとすれば薬を売る人間や医者の方……ですよね?」
 その通り、と言ってカイルが後ろを一度だけ振り返った。
「この商社の人たちは雇われただけ。誰に、が一番の問題だけど、首謀者は別にいる。薬売りがどうなのかまでは知らないけど……」
 
 自覚があるのか無いのか、カイルはどんどん歩くペースを速めている。ミスリアも必死に足を速めた。予想としては、後ろのゲズゥは息が上がることなく余裕で付いてきているはずだ。少なくとも、荒い息遣いなどが聴こえない。
 
「ミスリアは『ヒーローシンドローム』って知ってる?」
 地上へ通じる出入り口から漏れる薄明かりが見えてきた頃、カイルが足を止めた。
「いいえ」
 息を整えてから返事をした。
 
「……簡単に言うと、英雄になりたい願望のあまりに自ら事件を起こすことかな。予め解決法も知っているとか、助けに入るタイミングを見計らったりしてあたかもヒーローであるかのように演じるんだよ」
 つまりは、注目を快感に思う心理、または名誉欲。
 
「そんな理由のために四人死んだんですか……」
「人間が欲に突き動かされるのは当たり前だ」
 ミスリアがため息をつくと、ゲズゥがサラッと断言した。有無を言わせない口調だったからか、何も言い返せなかった。
 
「あれ?」
 出入り口への階段の二段目を片足で踏んで、何故かカイルが中途半端に止まっている。
「どうしたんですか? ここから出るんですよね?」
「う~ん、いや、困ったな。実はここの出入り口は普段鍵がかかってるんだけど」
 
「そうなんですか?」
 だとすると鍵を持っていない限りは使えない。貯蔵庫まで戻らなければならないと思って、ミスリアは肩を落とした。
「……それが、開けっ放しなんだよね」
「え?」
 
 ミスリアは顔を上げた。
 確かに、門が開いている。先ほど通りかかった時は閉まっていたように見えた。
 
「さっきの彼らが閉め忘れたのでは?」
「うーん?」
 何か引っかかっているらしく、カイルは尚も眉根を寄せていたが、結局踏み出した。ミスリアも続く。
 
 カイルが門をくぐるまさにその数瞬前。
 ミスリアは少しだけ後ろを振り返った。上らず、階下でゲズゥが何かの気配を探るように静止している。
 突如彼は飛び上がり、それぞれの手にミスリアとカイルを掴んで投げ飛ばした。
 
(ちょ、何!? 危な――)
 階下で重なる形に着地した。カイルが下敷きになっているのでそれほど痛くは無かったけれど。
 
 階上から、金属と金属のぶつかり合う音がする。

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