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27.f.
2013 / 11 / 28 ( Thu )
(……自分の足で立とうとしない人間に厳しいのは、彼自身が乗り越えた問題だから?)
 ふとそう思った。
 そして「僕ら」と言った以上、彼らは過去に一緒に生活していたのだろうか。
(飛躍しすぎかしら。二人ともそれぞれに同じ風に生きていたってだけかもしれないし)
 訊きたい――でも未だにゲズゥからは不機嫌そうな波動が発せられている。今は諦めるべきだとミスリアは判断した。

 やがてリーデンは一階建ての建物の前で足を止めた。
 人の気配はしない。建物は廃棄されて久しいようで、壊れた扉が開けっ放しになっている。

 ギッ、ギッ、と扉が揺れ軋む音が小さく響く。
 訳もなくミスリアは生唾を飲み込み、忍び足で踏み込んだ。

「ここがリーデンさんのご自宅ですか?」と訊ねると、「違うね。たまに、色々な用途で他人に貸し出している場所の一つだよ。誰も使ってない時に泊まったりするけど」などと微妙に要領を得ない説明が返る。

 そんな建物の中には真っ暗な空間が広がっていた。
 火を灯さずとも外はそこそこ明るい午後の曇り空であり、普通なら全くの闇にはならないはずである。即ち建物には窓一つ無い。
 壊れた扉から伸びる淡い光が、ゆりかごみたいにゆらゆらと優しく揺れている。

「居住空間は地下ね」
 躊躇いなくリーデンはゆりかごから踏み出し、闇に呑みこまれて行った。

(あ、待って)
 呼び止めようと手を伸ばしかける。止まってはくれないだろうとわかっていながら。
 数秒ほど立ち尽くしたが、背後にゲズゥの視線を感じ、仕方なく歩き出した。リーデンの足音を追って慎重に進む。

 ようやく下り階段を見つけて降り始めると同時に、ミスリアは独り言を漏らした。

「全員救えなくとも、たった一人の為にできることがあるなら、私はそれを無駄な試みだとは思いません」
 それはさっきの地上での会話を思っての言葉だった。
「お前はそうだろうな」
 背後から相槌があった。
「でもやっぱり……総てを守ろうと、理想を追い求める人間もこの世界には必要ではないでしょうか」
 ミスリアは教皇猊下と友人のカイルを思い浮かべた。ミスリアの知る中で一番、大きな目的を果たせる人たちだ。町一つの状態を改善することだって、きっとできる。

「偽善だと思いますか?」
「実現できれば偽善の域を出る」
「……そうかもしれませんね」
「目指す気か」

「いいえ、私は一人ずつ向き合うのが精一杯ですよ」
 ミスリアは小さく苦笑した。
「――ああ」
 一瞬、何か違和感を感じた。

(……笑った?)
 振り返った所で暗闇の中からその顔を見出すことはできないし、はっきりと笑い声を聞いたわけでもない。ただ、そんな気がしただけである。
(まさか、ね)
 話を打ち切り、二人は階下まで降りた。

 先に下に着いたリーデンがいつの間にか火を点けている。
 鉛色の、見るからに重そうな、大きな扉の前に出た。扉の取っ手の周りには何か特種な錠が施されているらしい。

「ちょっと待ってねー。ダイヤルを回して五桁の暗証番号を揃えるだけだから」
 とリーデンはにっこり言って、早速錠を外しにかかった。中指だけで手早くダイヤルを弾いている。
 取っ手は六角形の額みたいな物に囲まれ、角に一つずつ錠が位置している。つまりリーデンは五桁の数字を六つ記憶していることになる。

 素直に凄いと思った。長い詩や聖歌は暗記できても、ミスリアは数字にはそこまでの自信が無い――と言っても、これほどまでに厳重な仕掛けも初めて見るけれど。

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23:37:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.e.
2013 / 11 / 23 ( Sat )
 リーデンに先導されて風の通らない路地裏に入った。そこら中に、行き場を持たない汚臭が漂っている。
 ミスリアは足を踏み下ろす度に泥や生ゴミを踏まないよう、注意する必要があった。なのに軽やかに先を行くリーデンのブーツには何故か全く汚れが付かない。

「この先を左に曲がって、更に先で右に曲がったら、一番奥の建物だよ」
 振り返り、美青年は励ますように明るく言った。
 ミスリアは頷きを返した。

 噴水広場からここまでの道、既に何度曲がったのかミスリアには思い出せない。最初こそは覚えようとしたけれど、今となっては完全に方向感覚が麻痺している。それだけ複雑な路地裏だった。しかも大体の建物は似た高さと造りで、平凡な外装をしている。何か一つでも目印になるものを探し求めて視線を彷徨わせるも、徒労に終わりそうである。

(また居る……)
 時々、建物の間に隠されたゴミの山を通ると、その中をガサゴソと潜る人間の姿を見つけた。
 ゴミ山を住処としているのか、別の住処はあってもゴミを漁らなければ生活できないのか、一目見ただけではどちらとも言えない。

 他には、路頭で寝そべる人間を見る。誰もが痩せこけていて、生気が無い。彼らには冬を越せる場所がちゃんとあるのだろうか。
 やるせない気持ちがこみ上げてきて、ミスリアは足を止めかけた。それに気付いて、物を乞う手が伸びる。それまで寝そべっていただけの男性が、身を乗り出している。

 ミスリアは親指を欠いた手を凝視した。自分がこの手に何を与えられるのか、懸命に思索した。

「お前の考えていることはわかるが、無駄だ。都市そのものが対処しないとどうにもならない」
 答えが出ない内に、背後のゲズゥが口火を切った。
「そん、なこと……そうと決まっている訳では……」

「決まってるよ。こういう連中にはいくら渡そうと、お金は酒や娯楽に消える。そうでなければ自ら収入源を確保して、衣食住を手にしているはずだからね。この辺だったら最低生活費はめちゃくちゃ安いし、選り好みしなければいくらでも『収入源』は見つかる。浪費癖はどうしようもないけど」

 リーデンが付け加えた。
 これまでと同じ爽やかな話し声なのに、どうしてかゾッとした。

「自分の足で立とうとしない人間に同情する必要は無いよ。そもそも、よほどの大富豪でないと一度に全員を救えないから。そういう町なんだよ。食べ物をあげたって一時の空腹の解決にしかならない」
 リーデンの言い分に対する反論をミスリアは持っていなかった。しばらくして三人はまた歩き出した。

(教会が子供しか引き取らないのは……)
 自分の足で立てない大人を甘やかさない為かな、と一瞬だけ思った。大人ともなれば当然、教会に住み込む人間にはご奉仕という名の労働が義務付けられている。最低限の衣食住を得ても、給料ももらえず、自由にできる時間は少ない。好んでそんな生き方を選ぶ人間はごく僅かだった。

 ヴィールヴ=ハイス教団が無条件に民に食事と宿を与える日は月に一度だけである。
 ただ与えるだけでは、相手に対する配慮が、思いやりが足りないのだろうか。かつて授業ではどう教えていただろうか――。

(……それにしても、リーデンさんの人生観って)
 理由ははっきりしないけれど、ゲズゥのそれとどこか似ている気がした。割り切っている所だろうか。

「んー、懐かしいねー。ずっと昔は僕らもああやって生き延びてたね」
 遠目にゴミ山を漁る人間を見つつ、ふとリーデンが言った。
 ゲズゥは返事こそしなかったが、しばらく目を細めてその方向を見つめていた。

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08:09:38 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.d.
2013 / 11 / 15 ( Fri )
「知らない人間についていくな」
 親が子供に言い聞かせるようなありふれた言葉なのに、彼の低い声が呟くと、極めてシビアに聴こえる。
「すみません。でもせっかく親切にして下さった方にそれは失礼です」
 ミスリアは負けじと言い返してみた。
「親切な人間にこそ警戒しろ」
 そう答えたゲズゥはミスリアではなく隣の青年を見下ろしていた。表情の険しさは増している。

「リーデン」
 意外にもゲズゥの様子には敵意でも警戒でもなく、不機嫌、が表れているように見えた。これまでに見たことの無い表情である。
 どういうことかと憶測をするよりも、ミスリアは二人のやり取りを大人しく見守ることにした。

「う、うん。久しぶり」
 一方で絶世の美青年は唇を噛み締め、笑いを必死に堪えているかのような歪んだ顔になっている。
 そしてついに、堪え切れずに爆笑し出した。何事かと周囲の人間がチラチラとこちらを一瞥する。

「あー、ダメ、もう。保護者っぽい君とか、ナニソレ、面白すぎ。あーはっはっはっは」
 リーデンは仰け反って膝を叩いた。咳き込みそうな勢いで笑っている。
「…………」
 それに対しゲズゥの眉間に更に皴が増える。

(旧知の知り合いだとして、あまり仲が良いとも言えなそうね)
 一方は相手をずっと睨んでいて、もう一方は相手を思いっきり笑い飛ばしているのだから。

「ふー、笑った笑った」
 十数秒ほど経つとリーデンは笑い過ぎで滲み出た涙を指で拭い――打って変わって、企みを含んだ妖しげな笑顔を浮かべた。そういう顔も、息を呑む程魅力的だった。

「で、何の用? 僕を探してたんでしょ? 途中からゴメンねー。気付いたからにはちょっと遊んであげようかなって、あちこちうろついちゃったよ」
「お前は相変わらずだな」
「いいじゃない、それでも君は追いつけたんだし」
「…………」

 話の内容について行けなくなったミスリアは、あることに気が付いた。リーデンのとろける笑顔は、どうやらゲズゥの心を動かすには至らないらしい。「何の用」という質問の答えを、彼はいつまで経っても口にしようとしない。
 そんなゲズゥを放って置いて、リーデンはミスリアの方を向いた。

「とりあえずウチ来る? お茶ぐらい出すから。ゆっくり話でもしようか」
「でも……」
 ミスリアは未だに不機嫌そうなゲズゥを一瞥した。彼は無言のままだったが、何となく、断って欲しい訳ではない気がした。

(この人を探してたのが本当だとするとやっぱりここは受けるべき……よね)
 どう返事をしようか一考する。
 ふと、象牙色の指がミスリアの白い指に絡まってきた。思いがけない温もりに手が硬直した。温かいよりはぬるいと言えるような体温だが、そんなことは今の状況に関係が無い。

「あ、あの――」
「愛らしい女の子に出逢えたからには、もっと一緒に居たいからね」
 狼狽えるミスリアをよそに、リーデンは急に耳打ちする。

 それに伴って爽やかな香りが漂った。森だか石鹸だか洗剤だか、よく思い出せない何かの匂いが、鼻腔を満たす。
 頭がぼうっとする。
 何だか何も考えられない。耳にかかる熱がじわじわと近付いている――

 ――唐突に、熱が消えた。
 視覚が二つの動きを捉えたけれど、動きが速すぎてそれが何であったのか脳はまだ解釈できていない。
 瞬けば、リーデンの長い裾がはためいているのが見えた。

「いきなり蹴りかかるなんてひっどいなぁ。そういう物騒なトコ、何とかなんないの」
「なるか」
「だよねー。今更ねー」
「…………」
「ちょっとした挨拶だってば。怒った? 勘弁してよ、いくら僕でも君の蹴りはそう何度も避けられないからね」

 秋風に弄ばれる髪に片手を添えるリーデン。その他愛ない笑みをミスリアはまだぼうっとする頭で見つめ、何処か浮世離れた存在を観賞しているような不思議な気持ちになった。



果たして読者様の何人が、嫉妬イベントに期待していたのでしょうか…w。
げっさんはちなみに嫉妬してるとかじゃなくて「コイツうぜぇ」が主な感想だと思います。


拍手返事: えではじまる…の人
でんでんでででん~

今作はじめての女たらしではなかろうか

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13:44:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.c.
2013 / 11 / 12 ( Tue )
 そのまま二人は滑らかに人混みの中を通り抜けて行った。というよりも、人々が青年の為に道を開けるのである。しばらく経つと視界は開け、水音が響く場所に出た。

 大きな白い円型の噴水、その中心の魚のオブジェから水が噴き出している。縁に座るのは食べ物を手にした男女のカップルか子連れの家族という組み合わせ、又は一人で誰かを待っているらしい人たちが大多数である。

「さ、ここだよ。本当は冬に備えてそろそろ噴水も停止されるんだけど。まだやってるとはね。寒かったらゴメンね」
 青年は縁の空いてる場所にまずはミスリアを座らせてから、自分も隣に優雅に腰を下ろした。太腿同士が触れる近距離にである。
「ご親切にありがとうございます。もう私は一人で大丈夫です」
 ミスリアは努めて平静に言った。それから、もう少し距離を離そうと身をよじる。

「そう?」
 せっかく離れようとしたのに、青年は自ら顔を近付けてきた。
「は、はい。貴方の貴重なお時間をこれ以上取る訳には……行きませんし……」
「気にしなくていいよー、そんなことは。僕が君の連れに会ってみたいってだけだからね」
 意気揚々と答える青年に対してミスリアは笑みだけを返した。どうあっても彼は付き合う気らしい。

 それからは、静かに広場の人々を見回す時間になった。と言っても、ミスリアはどうにも落ち着いて座っていられなかった。本当にゲズゥが此処に来るのかという不安もあるが、単にこの青年の隣に座っているのが落ち着かないのである。通り過ぎる人々を観察するはずが、逆に皆がこちらに好奇の視線を向けてくる。時折、青年の顔見知りらしい人間が手を振ったりもする。好奇の視線を受ける度に、きっと自分のような小娘がこんな美青年の隣に座っているのがおこがましいのだ、みたいな苦悩がミスリアを苛む。

 サァァ――という噴水の音が背中に当たり、時々水しぶきが後ろ髪に飛びつく。

(早く来ないかな)
 隣の青年の横顔を目に入れると何故かドキドキするので、人混みを眺めるのに疲れた時には、代わりに地面などに視線を注いだ。
(……指輪が)
 青年が右手の小指に宝石をあしらった指輪を付けているのが視界の端に見えた。小さな宝石の複雑な光沢は初めて見るものだ。眺める者の心を奪う輝きである。まるで、持ち主の瞳と同じ――。

「この指輪が珍しい?」
 いきなりの青年の声に、ミスリアは肩を震わせた。
「デマントイド・ガーネットって石だよ。僕の目の色に似ているからって、商人に強引に売り付けられたんだ」
「そうなんですか。綺麗な緑色ですね」

「……んー、やっぱ女の貢物だったかなぁ。自分だと思って大切にして下さいって泣き付かれてさー」
 青年は思い出す素振りを見せた。真剣なのかどうかよくわからない表情だった。
「す、すごく情熱的な方だったんですね」

「あははは。ホントはね、どっかの町で見つけて、気に入ったから適当に買っただけ。その程度の、大して面白くも何とも無い話だよ」
 悪びれずに青年はころころ笑う。

(……この人は何なの)
 次々と嘘を吐かれ、終いには何が本当なのか見失ったというのに、怒る気が起きなかった。
 彼の一挙一動にいちいち動悸がおかしくなる。笑顔を目にする都度に目がくらむ。ミスリアは膝の上で両手を握り合わせ、気をしっかり持とう、と自分に言い聞かせた。

「あ、そういえば名乗ってなかったね。僕はリーデン・ユラス。君は?」
 ふいに顔を覗き込まれ、やはりミスリアはどきりとした。
「私はミスリア・ノイラートと申します。リーデンさん」

「ふうん。かわいい名前だね」青年は目を細めて笑った。「ところでさ、お迎えさん来たみたいだよ。良かったね?」
「えっ」
 リーデンの目を追った。すると二人の正面に、いつの間にか大きな人影が立っていた。

(――!?)
 常に無表情なゲズゥにしては鬼の形相である。
 驚きのあまり、ミスリアは怯んだ。というより純粋に怖い。

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00:41:25 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.b.
2013 / 10 / 31 ( Thu )
 ――絶世の美青年!
 そんな言い回しが許されるなら、まさにこういう人の為に使うべきなのだろう。むしろ、他に何と表現すればいいのかわからなかった。

「まあ、君が転んだのは僕がぶつかったからだよね。謝らなくていいよ」
 青年がとろけるような笑顔を浮かべたせいか、ミスリアは見惚れて返事を返せない。

 歳は十代後半くらいだろうか。明るい緑色の瞳は宝石よりも美しく、長い睫毛に縁取られている。スッと通った鼻筋や艶やかに吊り上がる薄い唇、全ての顔のパーツは絶妙に位置付けられ対照的に並んでいる。

 どちらかといえば繊細な美貌でも、涼しげな目元や輪郭や眉の形など、随所に男らしい凛々しさも表れている。本来ならば女性らしく見えるであろう大きな輪っかの耳飾が、この人の場合は不思議ととても似合っていた。

 ミスリアは自分は人の造形美に執着しない方だと自覚している。けれども、この青年のそれには絶対に無視できない引力があった。周りの人々も、彼の前をすれ違う一瞬だけ、サッサと歩く足をつい止めてしまう。
 人の顔に見惚れて腰を抜かすこともあるのだと、生まれて初めてミスリアは思い知った。

「あの……ええと、いいえ。す、すみません。ジロジロ見られるなんて不快ですよね」
 未だかつてない程しどろもどろと返事をしつつ、目を泳がせつつ、差し出された手を取る。意外とその皮膚はタコや傷やらでざらついていた。
「ううん、別に? 慣れてるよ」
 青年はあっけらかんと答えた。それを聞いて、躊躇いがちに目を合わせた。

(……本当にキレイな人)
 大陸中によく見るプラチナブロンドとは明らかに異なる、銀色に輝く柔らかそうな髪が印象的だ。段の入った髪型で、首筋に沿った襟足の毛先が不揃いに流れている。

(衣服は麻じゃない……見たことの無い生地。華やかだわ)
 青年は、この町に入ってから時々目にするようになった、地方の衣装と思しき珍しい服を着ている。

 光沢を放つベビーブルー色の布地に白と銀糸の刺繍。紺色の詰襟は首元から右脇へと続き、その境目には花の模様みたいな形のボタンが二個、交差している。袖口は広く、手の甲にかかるほど長い。角度によっては腕輪が袖に隠れて見えない。腰を回る紺色の帯からは、掌よりも大きい銀の輪がいくつか下げられている。

 服との統一性が高い装飾品の中に一つだけ、浮いている物があった。
 幾つもの逆三角型の黒曜石――よく見たら中心の一番大きいのは矢じりに似ている――をターコイズのビーズで挟んだネックレスである。本人にとって何か特別な物かな、と何となく思った。

 青年はにこにこ笑いながらミスリアをぐいっと地面から引き上げた。繊細な美貌からは想像付かない力だ。
 ミスリアは感謝を込めて一礼した。その手を、青年は何故か離さない。

「ところでお嬢さんは何か困ってるのかな。顔に書いてあるよ」
「はい?」
「よかったら相談にのるけど?」
 透明な声に、甘やかな笑顔に、ミスリアは抗うことができなかった。抗いたいとも思わない。

「……実は旅の連れとはぐれてしまって」
「どんな人?」
「二十歳ぐらいの、背の高い男の人です。漆黒の髪と瞳と、濃い肌色をしています。顔は端整……だとは思うんですけど、凄く不愛想で……後は、大きな剣を背負ってるはずです」

「ふう、ん。なぁるほどねぇ」
 彼は一体何に納得したのだろう? ミスリアは僅かに首を傾げた。
「ザンネン、僕は見てないな。見てたら、忘れないと思う」
 青年は悪戯っぽく笑った。

「こんな所で大変だねー。向こうの噴水広場で待つのがいいと思うよ。有名な待ち合わせ場所だから、連れの人もその内気付いて目指すんじゃないかな」
「待ち合わせ場所ですか……」

 町の地図を買わなかったのは、何故かゲズゥには必要が無かったからである。訊かなかったけれど、彼はこの町を知っているのかもしれない。だったら、有名な集合スポットも知っていると考えられる。

 ミスリアにはどちらとも判断できない。ゼテミアン公国を出て以来、ゲズゥは何かを探っているような、追っているような曖昧な道筋を進んだ。行き先を最初から決めていなかったのか、何度も方向を改め、やっとイマリナ=タユスに着いたのである。

「うん。こんなとこで人波に揉まれててもしょうがないんじゃない? とりあえず行ってみようね」
 青年はごく自然にミスリアの手を引いた。



補足:この人の着てる服は満州民族衣装にインスパイアされてます。裾が長いです。
あー大陸で一番普及してる織物は麻、ウール、その他、って感じになります。多分。

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11:27:55 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.a.
2013 / 10 / 25 ( Fri )
「ひとりが好きなの?」
 母にそう訊ねられた時、首を傾げたのを覚えている。確か、林の中の樹を登って回って、数時間も家に帰らなかった日のことだった。探しに来てくれた母は、怒っているのか呆れているのか、どちらとも言えない微妙な顔をしていた。

 ――気が付けばいつも誰かが傍に居たし、でも逆にふと気が付けば一人になっていたこともある。特に意識していなかった、独りが好きか嫌いかなんて。

「わからないのね」
 答えずに居たら、母が納得したように呟いた。
 ふと、興味深い物を見つけたのか、母は近くの樹の枝から何かを摘まんだ。

「手を出しなさい、ゲズゥ」
 言われた通りに両の掌を上にして差し出した。母はそこに、柔らかい毛の生えた何かを落とした。
 小さな命が、掌の上で身をよじり、這い出す。緑色に黒い斑点のついた細い体にゲズゥの視線は釘付けになった。

「芋虫、かわいいでしょう」
「くすぐったい」
 粘着質な虫の足の裏が、手の皮膚をひっかけては放す。

「この子は大人になったら空を飛べるのよ。でも今は小さくて足も遅いから、簡単に食べられたり潰されたりしてしまうわ」
 その話を聞いて訳もわからず胸がもやもやした。当時はまだ「かわいそう」という言葉を知らなかったのだと思う。

「そうなってしまっては悲しいけれど。でもね、一瞬でもいい。この世に生きるというのは素晴らしいことなの。生を、世界を経験する奇跡は、何にも代えられないわ。いつか終わりが来るとしてもね」
「すばらしいって、なに?」
「とてもすごいとか、ステキって意味よ」
 母はどこか得意げに笑った。

「私は生きている歓びを誰かと分かち合えるのが、一番素晴らしいことだと思うわ」
「よく、わかんない……」
 話の内容についていけなくなって、とりあえずゲズゥは芋虫を樹の枝に戻した。

「いつかわかればいいのよ。さあ、帰りましょう。呼んでるわ」
 そう言った母の視線の先に、銀髪を風になびかせて走り寄って来る小さな子供が居た。子供は「にーちゃー」と叫んでいたかもしれない。

「走ったら転ぶわよー」
 口元に右手を添えた母が楽しそうに言うと、数秒後、その通りのことが起きた。
 子供の後ろについてきていた女性は困ったように微笑んだ。

_______

 河沿いの都イマリナ=タユスは、大帝国ディーナジャーヤの属国であるヌンディーク公国の、最も人口の多い町と言われている。
 貿易が盛んであり、帝国や近隣諸国からの船が毎日のように入港する。大勢の商人たちが陸や河を通って行き来し、その上、数百年の歴史と文化を誇る町ゆえに観光に訪れる人間も多い。

(大通りに出れば歩く必要が無い、とも言われているのよね)
 呆けて立っていれば押し寄せる人の波に流されるからである。ミスリア・ノイラートは今まさに、それを身をもって体感していた。

(どうしよう)
 焦燥感ばかりが募る。全方位を人に囲まれている所為で、身長の低いミスリアの視界は相当に限られている。
 ――袖を握っていたはずなのに。忙しなく歩き回る商人にぶつけられたり横切られたりしている内に、離してしまったのだ。

(あんなに目立つのに見失うなんて)
 どっちへ行けばいいのかわからないまま足を竦ませていると、次々と人がぶつかってきた。香草や陶器、ワインや木材など、商品と思しき物の匂いが通り過ぎる。

 ミスリアには土地勘が皆無である。今から地図を買ったところで、よく考えたら落ち合う場所を決めていた訳でもないから、役には立たない。

「きゃ!」
 突然、前方から歩いてきた人の肘が肩に当たり、尻餅ついた。こんな場所では落ち着いて考え事もできない……。

「ゴメンゴメン、大丈夫?」
 涼やかで透明な、少年か青年の美声がした。彼はこれまでミスリアにぶつかってきた人たちと違ってそのまま去ったりせずに、象牙色の手を差し伸べてきた。手首周りのいくつもの鉄の腕輪が朝日を反射させて輝いている。

「は、はい、すみません」
 声の主を見上げた途端、ミスリアは開いた口が塞がらなくなった。

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26.k.
2013 / 10 / 12 ( Sat )
「架け橋は下ろしてある。正門から帰りたまえ」
「……それは助かる」
「お互い様だ。私はこれから囚われた奴隷たちを解放し、この城を正して見せる。やることは多い」
 そうか、と答えてゲズゥは一歩歩き出す。

「助けて下さってありがとうございました。再び会う日があれば、その時はまた歌を聴いて下さいますか?」
 すれ違いざまに、ミスリアが設計士に話しかけた。
「ああ、その時は私からも頼む。……二人とも、達者でな」
 設計士が一瞬だけ笑った。
 ゲズゥは頷きを返し、次には走り出していた。

 廊下を進み、城の中心の巨大な階段を降りて架け橋へ出るまでの道のりを、邪魔をする人間は誰一人現れなかった。設計士が手を回したのだろう。
 幅広い架け橋を走り抜けるのにも大して時間がかからなかった。来た時の苦労と比べると、いっそ笑いたくなる。

 橋の向こう側に着いてゲズゥは一旦歩を緩めた。進むべき方向を確認する為と、単に休みたいからだ。
 どこからか梟の鳴き声が聴こえる。

「寒いか」
 夜風が肌を冷やす時期になりつつある。一応訊いて置いた。
「いいえ。上着が温かいです」
 ミスリアはゲズゥの首からぶら下げられたままのペンダントを、左手に取った。空いた右手でゲズゥの左鎖骨にそっと触れ、そこから、微かな聖気の波が広がった。

「どうしてわざわざ……こんな苦労をしてまで、助けて下さったんですか?」
 囁きは夜の静寂を僅かに震えさせた。
「理由に如何ほどの意味がある」
「意味ならあります。私が、貴方を理解したいからです」

 闇の中では、見つめ上げてくる瞳から感情を読み取るのは難しい。きっと真剣な眼差しだと想像した。
 返答を自分の内から掬い上げるまでに、数秒かかった。

「シャスヴォルを抜けた後、お前を殺して行方をくらますのは簡単だった。そうすればしがらみ一つ無く生きられた」
「どうしてそうしなかったんですか?」
「……飽きたから」
 口に出したのはミスリアと出逢った日から度々気にかかっていた問題の答えだと、何かが心に落ちる手応えを覚えた。

「ただ生きる為だけに生きるのには、疲れた」
 村や家族を失った時から、同胞の分まで生きなければならないと、それが己の義務だと無意識に思っていたのかもしれない。
 従兄との約束を淡々と進めながらも自分自身はどう在りたいのか、深く考えたことはあっただろうか。

 ――いや、無い。一日、また一日、「死なずに済んだ」日々を連ねていただけだ。自ら、未来に何かを望んだりはしなかった。

「貴方は本当は、機会さえあれば真っ当に生きたいと願っているのではありませんか」
「――――」
 俄かに息が詰まった。
 その願いが形になりつつあると自覚したのは何時だったろうか。この少女がそれに気付いたのは、何時だ――?

「一緒に、その道を探しませんか」
 澄んだ声がそう囁きかけた途端、言葉では表せない衝撃を受けた。
 こてん、とミスリアはその小さな頭をゲズゥの肩にのせた。柔らかい髪からは汗と埃と、微かな花の香りがした。

 ゲズゥは是とも否とも答えられず、無言で再び走り出した。
 その間ミスリアは黙り込んで、微動だにしない。眠っているのかと思えば、時折見上げられている気配はあった。
 数分の沈黙が続く中。あることを言い出そうかどうか、悶々と迷った。

「……ミスリア」
「はい」
「頼みがある」
 視線を宙に彷徨わせ、続きを言うまでに数秒かける。何度か口を開いて、不発に終わり、深呼吸だけをした。

「遠回りをさせることになるが――」
「構いませんよ」
 返ってきたのは即答だった。
「ゲズゥにとって、そこまで悩むような大切なことなら、私は力になりたいです」

「…………悪い」
「こういう時は、謝罪よりも、嬉しい言葉がありますよ」
 それが何であるのか少し考えて、思い当った。

「ああ――…………ありがとう」
「はい。私の方こそ、助けて下さってありがとうございます」
 あの寝室で再会して以来、初めて安堵したかのように、ミスリアの小さな身体から緊張がほぐれた。

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26.j.
2013 / 10 / 11 ( Fri )
 こういう時にかけるべき言葉が浮かばなかった。
 これが別の人間なら「無事で良かった」か「大丈夫?」を筆頭に、労わる言葉が出てくるだろうに、ゲズゥといえば「やっと見つけた」か「殺してはいないから安心しろ」のどれかを言いそうになっている。

「……存外、そういう格好も似合うな」
 結局舌から転げ落ちたのは、ろくでもない感想だった。
 無駄にだだっ広い寝室の中の無駄にだだっ広いベッドの上で、少女は瞬いた。余程気が抜けているのか、乱れた髪や衣服や姿勢を直そうとしない。

「行くぞ」
 ゲズゥとしてはもう一分たりともこんな埃臭い城にいたくなかった。いつもやるようにミスリアを抱き抱えようと手を伸ばす。
 ところが、ミスリアは小動物並の素早さで距離を取った。

 恐怖に彩られた両目で伸ばされた手を凝視している。ゲズゥもまた、血に穢れた無骨な右手を凝視して、納得した。そうか、今だけは、全世界の男を敵と認識しているのかもしれない。
 ヒビの入った割れ物に似ている、と何故かそう感じた。ぞんざいに扱えば簡単に割れる、儚くて脆い少女。

 まだ羽織っていた借り物の上着を脱いで、ミスリアに被せるように投げつけた。この布で阻めば触れているという意識は減るはず。うまく被せられたはいいが、サイズが大きすぎて体の輪郭が埋もれ、波打つ栗色の髪だけがはみ出した。
 数秒経って、ミスリアがのろのろとベッドから下りた。ゲズゥはその傍らに歩み寄り、剣で手枷を断ち切ってやった。

「待って下さい……私の他にも助けていただきたい女の子が二人……」
「不可能だ」
「え」
「物理的に、三人も抱えてここを出るなど、俺には不可能だ。諦めろ」
 それでなくとも疲労や怪我で機動力は落ちている。ミスリアも察したのか、悔しそうに下唇を噛んだ。

「反乱を起こしそうな人間が居る。女たちも解放してもらえる日が来るだろう。でなければ、時機を見極めて乗じて逃げるって手もある」
「でも、私と同い年か年下に見えました。そこまでできるでしょうか」 
「歳は関係ない。お前だって、それぐらいやる気だったんじゃないのか」

「……ええ、でも、私はそんな人間が居ると、反乱の兆候に気付けませんでした。一人ではどうにもできなかったかもしれません」
 上着の下から小さい手が出て、フードを引き下ろした。その下からミスリアの悲しげな顔が現れる。
「そうだとしても、お前は己を助けられる人間を選び、探しだして、得た。その成果は確かにお前の力によるものだ」

「それは、ご自分のことですか……?」
 か細い問いかけに、ゲズゥは答えなかった。
「……貴方がそう思うのなら、私はきっと貴方が守り続ける価値を見出せる人間であるべきなのでしょう」

「そういう解釈をするところは嫌いじゃない」
 本心からそう言った。すると、始終暗い表情を浮かべていたミスリアが、驚いた顔の後、微かに微笑んだ。
 気が付けばゲズゥは自然と手を差し伸べていた。今度はちゃんと、掌に温もりが重なった。

「侵入者め! ここか! ウペティギ様、ご無事ですか!?」
 ドタバタと弓兵が二人寝室に走り込んできた。
「逃がさんぞ!」
 より扉に近い方の一人が矢を番え、もう一人は短剣を抜いている。腕の中のミスリアが、緊張に身体を強張らせるのがわかった。

「まあ、待て」
 低い声がそう命令したと同時に、矢を番えた兵士が、生唾を飲み込んだ。
「その者たちを見逃してもらおう」
 弓兵が乱暴に前へと押された。背後に現れた設計士が、兵の後ろ首に斧の先端を押さえつけている。兵士といえど、弓兵の薄い鎧では斧の攻撃を無効化できやしない――。
 もう一人の兵士が、短剣を構えたまま、思わぬ展開にオロオロしている。

「貴方にそんな権限があるとでも――?」
「権限など必要ない。私はこの城の正しい在り様を取り戻してみせる。住民の大多数と、ゼテミアン公国の民がそれを望んでいる」
 ブラフなのか、それとも実際に民の意思を聞いてあるのか、これから民の声を集めつつ説得する気なのか、第三者に過ぎないゲズゥには判断できなかった。ただ、設計士が既に一切の迷いを捨てたことだけがわかる。

「の、乗っ取るってことですか!? 城主様が黙ってはいませんよ!」
「黙らせればいいだけの話。ほら、ちょうど今意識が無いな、牢に閉じ込める絶好の機会だ」
 またドタバタと人が入ってきた。設計士の味方なのか、新たに入り込んできた数人の男は城主の体を引きずって去った。

「抵抗が少なければ手荒な真似はしない。安心してくれ」
 兵士たちも拘束され、連れて行かれる。
 一人だけ残った設計士が、ゲズゥたちを向き直った。

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23:46:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.i.
2013 / 10 / 10 ( Thu )
 包み込むような柔らかい感触があまりに気持ちよくて、意識が遠のきそうになる。
 ふかふかのベッドなんていつぶりだろうか。ここしばらくは、野宿か安宿の硬いベッドばかりを体験していた気がする。

「気に入ったか?」
 しゃがれた声が真上から降ってきた。
 ミスリアは手枷付きでベッドに投げつけられたという現状を思い出して、即座に身を撥ねさせた――が、何か重いモノによって体を押さえつけられた。

 それが何であるのかなんて、考えてはいけなかった。人肌の熱も感触も、酒臭い息もくぐもった笑い声も、到底受け入れられるものではない。
 両手に枷をはめられていながらもミスリアは無中で身をよじった。圧迫感からなんとか滑り出て、広すぎる程広いベッドの上を、後退した。

「ぐふふ。逃げられるのも、たまらん。逃げ場など無いのだからな」
 まさにその通りに、ミスリアの小さな背中は羽毛枕に当たった。もうその後ろにはベッドの背板と壁しかない。
 部屋のたった一つの扉の外には相変わらず武装した兵士が控えているだろう。

(やめて、来ないで)
 心の中で繰り返し念じても、懇願がどこかに通じる気配は無い。
 これから自分に何が起こるのか、実際のところ、ミスリアは把握し切れていない。然るべき知識に乏しいからだ。それでも言い得ぬ拒否感が恐怖と相まって腹の奥底で渦を巻いている。

(たすけて――――!)
 知らず、瞳から涙が零れた。
 歪に肥えた手が、ミスリアのスカートをめくろうと伸びる。

「いやあっ」
 その手を蹴ったのは条件反射だった。けれども震える足ではダメージを与えることはかなわず、しかも両の足首を捉えられてしまった。

「ムダだムダだ。さあ、可愛い声で啼け」
「…………!」
 抗いようもない力で強引に股を開かれた瞬間。羞恥ではなく突き刺すような恐怖が全身を支配した。

(たすけて、だれか、おねがい、だれか、)
 声が出ないどころではない。
 溺れる。そう、溺れているように息が出来ない。

 現実から少しでも逃れようと、ミスリアの視線は上へ上へと彷徨った。蝋燭に照らされた天蓋の刺繍が、淡く幻想的で美しい、などとどうでもいい発見をした。

(お姉さま、お母さま、お父さま、カイル、先生方、猊下、イトゥ=エンキさん…………)
 自分と縁のあった人間を、誰でもいいから思い浮かべた。
 どんな絶望に出遭っても嘆いてはならない、と語った優しい声を思い出した。

「つっ!」
 下腹部に冷たく硬く、微かに濡れた何かが触れた。視線を落とすと、ウペティギが、歯を使ってミスリアの下着をスカートごと引きずり下ろそうとしているのが目に入った。

 甲高い悲鳴が部屋の空気を切り裂いた。
 それが自分の声だったと、意外に声がまだ出るのだと、遅れて気が付く。

(たすけて――)
 するり、布が脚の柔肌を擦る。
(ゲズゥ――――――――!)
 崩れそうな心は、ただ、その名に縋るほかなかった。

 いっそショックで失神できればいいのに、不幸なことにミスリアはそういった体質ではなかった。
 ただ、目を瞑って恐ろしい時間が過ぎ去るのを待つしかできない。いずれは過ぎ去るのだと、信じるしかできない……。

 ――ゴヅッ。
 骨が骨を打ったかのような、大きな音がした。
(………え?)
 今度はどんな恐ろしいことが起きたのだろうか、とおそるおそる目を開けると。

 黒曜石のような右目と白地に金色の斑点が散らばった左目、この世に二つと無いであろう瞳の組み合わせと視線がぶつかった。
 二度と会えないと思っていた青年は、相変わらずの無表情で、右膝を城主ウペティギの顔面にめり込ませていた。

 どうやらミスリアが目を瞑っていた間に城主はどうしてか振り返り、そこにやってきたゲズゥが膝から跳び蹴りを食らわせたらしい。
 肥満体が後ろに倒れかかる。しかしゲズゥは続けざまにその脳天に肘鉄を決め、更に体を翻して、城主を蹴飛ばした。ウペティギは、綺麗なラッグに飾られた床に顔を突っ伏した。

「これで何発か殴ったことになるか」
 着地したゲズゥの無感動な呟きが意味するところをミスリアは知らない。それにしても、殴ったのは一発だけで後は蹴ったことになるのではと突っ込んでやりたいけれど、声がまた出なくなっている。

「ぐっ……貴、様……」
「ひっ」
 ウペティギがずるずると起き上がったので、ミスリアは悲鳴を漏らした。元々美しいとは言い難い顔は鼻が折れ、血にまみれている。

「堀の罠をどうやって……あれは人間の反応速度ではどうしようもない、はず。まさか――つまりお主は、戦闘種族、なのだな!」
 いきなりウペティギの声色が明るくなった。一方、ゲズゥは眉間に皴を寄せたようだった。
「前から一人手元に欲しかったのだ! 今やその希少価値は計り知れない! 速さ自慢の『セェレテ』か? それとも瞬発力を強みとする『クレインカ――」

 言い終わることは無かった。ゲズゥの拳が醜い顔にめり込んだからである。城主は今度こそ気絶して倒れた。
 そして寝室に奇妙な静寂が訪れた。

(なにこれ……助かった、のかな……)
 目の前の光景を飲み込めず、この上なく情けない体勢のまま放心する。
 ほどなくして、漆黒の髪と色素の濃い肌が特徴的な青年が、ミスリアを振り返った。

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22:22:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.h.
2013 / 10 / 09 ( Wed )
 会話が途切れ、警鐘の音がより大きく耳に響いた。
 衛兵が何処を探して回っているのか不明だが、あろうことかこの部屋には来ない。入っていく所を誰かに見とがめられたのは確かなのに。やはり闇の中の城ともなると、パッと見ただけではどの窓がどの部屋に繋がるのか、瞬時に判断できないものらしい。

「果たして自由の無い人生に価値があるのか、私は常々考える」
 男は俯き、ぼそりと呟く。対するゲズゥは眉をひそめた。
「お前の悩みは理解できない。お前の手足には枷が無い。十分、自由じゃないのか」

 ゲズゥは昔から生き方を制限されたが、それでも自分の足で何処へでも行けたし、いつでも自分で選んで行動してきた。どんなに絶望的な状況でも、確かにそこには選択肢があった。
 この男はきっと、幾つもの苦しい選択肢の内、より楽な方を選んできたのだろう。結果、己にそぐわない道を行き、それを「不自由」と錯覚している。

「逆らう勇気と、実践する手段が揃えば、お前の望みは叶うはずだ」
「手段、か。まず何より共に抗ってくれる味方が要るな」
 この男は頭の回転が速いらしい。すぐに何かを思い描き始めた。

「何人か、思い当る人間は居るが……恐怖からではなく自主的にウペティギ様についていく人間も大勢いる。そういった性根が腐っている輩は当てにならない」
 そのまま男は考え込む仕草をした。もしかしたら、反乱を起こす筋書を日頃から妄想しているのかもしれない。本当に後は、「勇気」だけである。

 そして、まるでこの沈黙を狙っていたかのように、廊下から足音や喚声が近付き始めた。
 もう悠長に話している暇は無いと察して、ゲズゥは意を決した。

「手を貸せ」
「何を――」
「代わりに城主を何発か殴ってやる。その先はお前が自分で何とかやれ」
「殴っ……いやしかし」

 男は思惑うように廊下とゲズゥを交互に見やった。
 これはもう戦闘も余儀ないか、とゲズゥは大剣の鞘の留め具に手を伸ばしかけ――

「羽織れ!」男は自分の上着を手早く脱いでゲズゥに渡した。「フードは深く被って! あとは、これを床に広げて読み解くふりをしていろ!」
 大人しく言われた通りにしながら、ゲズゥは納得した。床に膝をついていれば体格も目立たないだろう。

 渡された巻物を広げてみると、笑えるぐらいに全く読み解けそうになかった。円や線や三角、それとミミズ腫れみたいな文字がびっしり書かれていて、何かの図案であるのは間違いないが。

「設計士殿! 夜分遅くに申し訳ありません」
 ちょうどその時、兵士が三人、部屋に入ってきた。
「何だ、何かあったのか? さっきから警鐘が煩くて仕事にならん」
 設計士と呼ばれた男は無機質に応じる。

「すみません。侵入者を追っているのですが、何か心当たりはありませんか?」
「私は何も見ても聴いてもいないが」
 キッパリとした返答に、兵士らは落胆に肩を落とした。

「そうですか……おや、そちらの方は? 見慣れませんね」
 問いかけに含まれていたのは不審なものを詮索する厳しさではなく、単なる好奇心だった。よほど設計士は信頼されているらしい。
「新しく入った弟子だ。顔を隠しているのは病で膿が酷いからで、今でこそ治っているが、未だに触れると感染する可能性も否めないと言われている」

「えっ。設計士殿、そんな人間を城に招き入れては城主様のお怒りが……」
 スラスラと並べられた巧みな嘘を、兵士らは鵜呑みにしている。
「この者は聡明で一生懸命で、必ずや我々の役に立つ。貴重な人材を、低劣な差別で弾き出すのはよせ。ウペティギ様は私が説得する」

「は、はい。すみません。では何かあったら教えてください」
「ああ、早く侵入者を見つけたまえ」
 三人の兵士は礼をしてから踵を返し――ふと、三人目だけが立ち止まった。

「お弟子さん、腕に火傷があるようですが、大丈夫ですか……?」
「待て!」
 制止の声も空しく、兵士は上半身を捻ってゲズゥのフードを覗き込んだ。
「あれ? 膿なんてありませんよ」

 嘘を吐いたことが露見するとわかって、設計士の顔に焦燥が走った。
 説明を求めて兵士が振り返る、その隙に。ゲズゥは兵士の後ろ首に強烈な手刀を食らわせた。
 直後、何があったのかと思って不思議そうに他二人の兵士が戻ってきた。

「おい――」
 奴らが大声を上げるよりも早く、ゲズゥはそれぞれを部屋に引き込んでは一撃で気絶させた。その間、設計士は目を見開いて見守っていた。鮮やかだな、の一言だけを漏らして。

「何処へ行けばいい」
 ゲズゥはのびている三人を部屋の隅にさっさと重ねていった。設計士の協力あってか、まだ騒ぎにせずに済みそうである。

「夜宴は早目に切り上げられただろうから、そなたの探す彼女はきっと今……」
 目指すべき場所の位置を聞き、ゲズゥは部屋を飛び出した。
 健闘を祈っている――そう言った設計士の双眸には、ほとばしる熱意だけが映し出されていた。

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22:20:04 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.g.
2013 / 10 / 08 ( Tue )
 窓から部屋の中に飛び込むと、埃臭い室内には先客が居た。三十代前後の、身なりの整った男だ。片目しかない眼鏡をかけ、棚の書物の整理でもしていたのか、両腕一杯に巻物を抱えている。
 男は僅かに身じろぎしただけで恐怖の感情は見せなかった。代わりにその瞳には他のさまざまな感情が複雑に絡み合って映し出されている。

 ――カラン、カラン、カラン。
 責め立てるように警鐘がうるさく鳴り続ける中、二人はなんとなく目を合わせたまま動かなかった。

「あなたが、侵入者か」
 しばらくして、落ち着き払った低い声が問うた。いつもなら黙って無視するところだが、男の濃い灰色の瞳に走ったさまざまな感情に興味が沸いてのことか、ゲズゥはつい返事を返した。
「見ての通りだが」
 窓から城を訪問する客などどう考えても普通は居ない。

「そうか。尋常ならぬ姿だな……返り血か、怪我か」
 男は頷いただけで動じない。むしろ同情しているようだった。
「両方だろうな」
 返り血はアリゲーターや魔物のものである。

 後者については――思えば、魔物の背に短剣を突き刺して、壁を上らせたのだ。進む方向を操る為には何度か魔物を刺し直す必要があった訳で、その過程で「乗り物」が暴れてゲズゥが怪我を負ったのは必然だった。
 城壁に叩きつけられて、左鎖骨まで折った。数々の怪我の中では、これが一番、際立って痛い。立っているのも辛い程に。

「何故? そこまでして……傷を負った時点で諦めて帰ればいいだろう」
 静かな声だが、語尾に向けて責めるように語気が強まった。男は腕の中の巻物を長い長方形テーブルの上に下ろしている。
「奪われたから、取り返すだけだ。取り返すまでは、帰らない」
「大切な人が攫われたのか。それは……すまない」
 ゲズゥは床に片膝を付いた姿勢で、男をじっと見上げた。この男が謝る理由がよくわからない。

「人間が反応できる速度の限界値に設定してあったはずだがな……」
 ブツブツとひとりごちる男もまた、ゲズゥをじっと見下ろしている。その目がなぞる先をなんとなく追ってみた。
「……お前は、あの罠と関係があるのか」
「何故そう思う?」
「罪悪感に満ちた目で、俺の怪我を眺め回している」
 そう指摘してやると、男はグッと歯を噛み締めた。

「そうだ。その通りだ。そなたの火傷や骨折や痣も、あの堀の中で骨となった人々も、みな私の設計した罠のせいだ」
 男はせき止めていた感情がついに溢れたかのように、言葉を次々と吐き出した。

「私の家は代々、この城に仕えて来た。私は幼少の頃からウペティギ様のお父上の提案の元、たくさんの機械を設計した。その多くは、ゼテミアン公国の民の生活を支える為だったり、帝国に輸出する品物だったりと、誇れる仕事ばかりだった!」
 握り拳が力強く壁を殴る。

「それが今はどうだ! 数年前にウペティギ様に代替わりしてからは、くだらない罠を作る毎日……!」
「不満があるなら、本人にぶつけて来ればいいだろう」
 男の言っている意味が、激怒する理由が、ゲズゥには見えなかった。

「そんな――できるはずが無い。先祖に顔向けできなくなる」
「…………父親がどうだったとして、その性質を引き継いでいないのなら、血が繋がっていようがただの別人だ。従う理由には足らない」
 ゲズゥがそう断言すると、男の口元は少しだけ吊り上がった。

「それは、考えようによっては潔い意見だが。私にはしきたりに抗う意志の強さが足りないのだ」
 そう言って、男は力なく頭を振った。肩までの長さの灰茶色の髪が揺れる。

 ゆっくり床から腰を上げつつ、ゲズゥは正面の男の言い分を疑問に思った。
 強い意志の力なら備わっているように見える。足りないのはおそらく、率先して行動する為の自発力か何かだ。こういう人間は後押しさえあれば走り出せるはずである。

「ところで、そなたが探し求めるのはどの女性だ? そういえば今夜は、初めて見る娘が何人か居たな。修道院で学を修めたと言う珍しい少女もいた。歌が上手で、大きな茶色の瞳が印象的な」
 男は最初は少し楽しげに語っていたものの、ふと黙り込んでため息をついた。「このような城に閉じ込められて一生を終えるには、あまりにも惜しい……」

「アイツは、教養があるだけじゃなく、聖女だ」
 話の内容を聞く限り、対象がおそらくミスリアであることは想像が付いた。
「聖女!? しかしそれならそうと、ウペティギ様に伝えていれば――」男は自分の言わんとしていたことに自信を失くしたように、途中で言葉を切った。「いや、聖女だと知れば、ますます手放したがらないだろうな。そういう人だ」

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21:46:14 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.f.
2013 / 10 / 07 ( Mon )
 その言葉を噛み締めるミスリアを、再度呼ばわる声があった。城主ウペティギだ。
「まだか?」
「は、はいっ。ただいま!」
 ミスリアは酒瓶を掴み、早足で貴族たちの元へ戻った。精一杯の作り笑顔で応じ、長椅子の空いた箇所に腰をかけた。すぐ隣の男性に酌をする。

「栗色の! お主、詩を諳(そら)んじられないか」
 何度か酌をする内にウペティギから呼びかけがあった。ミスリアは再び笑顔を作って振り返る。
「詩、と言われますと?」
「そうだな。ゼテミアンやディーナジャーヤの物はわからないだろうから、教典からでいいぞ。創世記でも何でも。それくらい学んだであろう?」
「はい。では創世を詠った詩からの小節を……」

 よく知った詩であるだけに、ミスリアは余裕を持って諳んじることができた。ついでにその間、周囲をよく観察してみた。
 楽師や踊り子はミスリアが詩を諳んじる間もその働きを止めず、音を少し静めているだけである。貴族の男性たちは聞き入る者も居れば酒をあおる者も居たり、各々くつろいで過ごしている。ウペティギなどはうっとりした顔で、酒杯を指の間でくるくるもてあそんでいる。

(……あれ?)
 一人だけ虚ろな目で遠くを見る男性を見つけた。ウペティギの右膝に座る女性の更に向こう側で、つまらなそうに片肘ついている。先ほど会った、「設計士」と呼ばれた人だ。
 ゲズゥもいつも虚ろな目で遠くを見ていたけれど、それとは違う印象がある。

(諦めているような、呆れているような)
 底知れない嫌悪感を押さえ込もうとした結果、虚ろな表情になってしまった――そんな感じがする。
(設計士さんは、無理矢理付き合わされているみたい)

 そういえば彼が先ほど城主に持ってきた案は、「新しい罠」とは遠く無関係なものだった。なんとなく聞き耳を立てていただけだが、設計士は領民の生活をより豊かにする道具を開発したがっていたようだった。それを頑なに拒んだのは城主やその他の貴族たちであって。彼の抗議を遮っては黙らせるように、酒と宴に縛り付けたのである。

 一連のやり取りを聴いたミスリアの中では、設計士の株は上がっていた。
 他はともかく、彼は善人である。その事実をどうにか自分の逃亡に有利につなげられないだろうか――。

 やがてミスリアの諳んじる詩に終わりが来た。すぐさま観衆から拍手があがる。

「お主、気に入ったぞ! 学があって、礼儀正しく控えめで大人しく、容姿も及第点だ。たまにはお主のような娘も良い。今夜はワシの寝室に来い」
 酔いの赤みを帯びたガマガエルに似た顔が、下品な笑みを浮かべた。

「い、いいえ、謹んでご遠慮いたします」
「なに、遠慮するな。ワシは女には優しいぞ」
 
 がははと笑うウペティギの横で、設計士が嫌そうに顔を歪めるのが見えた。
 次いで彼はがばっと長椅子から立ち上がる。

「ウペティギ様。私はお先に失礼します」
「何だと? まだ夜は始まったばかりだぞ、座ったらどうだ」
「いいえ。色々と仕事も溜まっておりますので。また今度お誘いください」
 それ以上の追及を許さず、設計士は衣を翻して去った。それなりの立場があるのだろうか、出入り口を警備する兵士は僅かにたじろいで、彼を止めることはしない。

「まったくつまらぬ男だ。何かあればすぐ『民の為に』などと抜かしおるし。あの優秀な頭脳がなければ、追い出してもいいところだがな」
 設計士が去って数十秒後、ウペティギがそう切り出した。

「そうですよ、ウペティギ様。あんな口うるさい男追い出してしまえばいいでしょう。代わりなんて探せばいくらでも居ますよ」
 貴族の客の一人が口を挟む。
「しかし奴の家は代々我が城に仕えて来たからな。何だかんだでワシに逆らえやしない」
「確かにそうですけどねぇ……」

 突如、警鐘がカランカランと大きく音を立てた。
 浮ついた雰囲気の部屋に一気に緊張感が走る。
 廊下から慌しく誰かが駆け込み――その武装した青年に対し、鬱陶しげにウペティギが声をかけた。

「何事ぞ」
「し、侵入者です!」
「侵入者だと? 罠に任せれば大丈夫だろう」
「いいえ、罠が全て突破されて! 若い男が窓から城内に入っていくのを見た者がいます!」

「そんなこと不可能だ! どうやって壁を上ったというのだ? いや、それより見張りはどうした!」
「す、すみません。油断しました」
 青年は目を泳がせる。

「もういい! とにかくソイツをひっ捕らえよ!」
「はいっ!」
 報告に来た青年が慌ただしく部屋を後にした。

(若い男って、まさか)
 その言葉にミスリアの鼓動は一度だけ、大きく跳ね上がった。
 下手に期待をすれば後でひどくガッカリするかもしれないとわかっていながら、良い方に憶測せずにはいられなかった。

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21:39:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.e.
2013 / 09 / 25 ( Wed )
(もう、こうなったら仕方ない)
 ミスリアは手に持っていた皿をテーブルに下ろして、二人にサッと近付いてしゃがんだ。
 褐色肌に黒髪といった色素の濃い少女と、白い肌に黄金色の髪をした少女。全く似ていないところを考えると、二人は姉妹ではなく同じ家で育った奴隷かもしれない。

「なに、するの」
 色素の薄い方の子から、震えた声が漏れたようだった。驚いてミスリアは少女の橙色の瞳を見つめた。

「よかった、南の共通語が通じるのね。そっちの彼女、兵士に蹴られて怪我をしたでしょう? 痛くなくなるおまじないをするの」
 褐色肌の少女がヒョコヒョコと足を引きずって歩き回る様が、痛々しくてならなかったのだ。何とかしてやりたかった。

「おまじ……? なに?」
「いいから」
 説明する時間が勿体ないからと、ミスリアはそのまま手をかざした。

 アミュレットを身に着けていなくても聖気を練るのは可能である。日頃から幾度となく展開しているのだから、感覚を思い出して再現すればいい。時たまやっているので、要領はよくわかっている。

 一瞬だけ瞑目した。その間に、ミスリアは全神経を集中させた。
 聖気の温かさが腕を通る感覚を思い出し、それを掌から通す時の微かなうずきを思い出す。やがて、密度の高い聖なる因子が、対象へと流れゆく。

 元々聖なる因子とはそこら中に溢れているものである。それらが神々と聖獣の奇跡によって結晶化した状態を「水晶」と呼ぶ。
 聖人や聖女たちはいつも聖気を展開する際、まず水晶を現象の核に据えて、純度の高い聖気を引き出して周囲の因子と共振させる。聖なる因子は引き寄せられ、増殖し、はっきりとした流れを作って対象物へ注がれる。

 今回はアミュレットの水晶が無いので、ミスリアは己の内に在る聖気を引き出して核の役割を果たさせた。聖人・聖女という枠の中でもミスリアは内包している聖気の量が多く、だからこそ成せる業である。
 しばらくして少女の膝周りから、腫れが引いた。

「え? どうやったの?」
「すごい。あたたかいよ、いたくないよ」
 二人の少女がそれぞれ感嘆の声を上げる。

 慌ててミスリアは口元に指を当てた。急な大声を出した所為で注目されたらたまらない。
 が、既に遅かった。

「おい! そこの三人、何をしている! 早くおかわりを運ばんか」
 案の定、兵士から怒声が飛んできた。
「おおう、そうだぞ。もっと近う寄れ」
 しゃがれた声。城主ウペティギから直々に呼ばれている。

(傍で相手をしなきゃならないの? あの媚びたお姉さんたちみたいに)
 嫌悪感が腹からぞわぞわと上がってくる。
(だめ、笑わなきゃ。変な顔で振り向いてはだめ。楽しいことを考えよう……)
 ミスリアは必死で自身にそう言い聞かせた。すると、一つの記憶が何故か色濃く脳裏にチラついた。楽しいと言えるかどうかはわからない。

 まだナキロスに居た頃の話――

「もし教皇猊下にお会いできたら、訊いてみたいことがございました」
「何です? 聖女ミスリア。遠慮なくお訊きなさい」
「どうして、私の案を、許可して下さったんですか」
 ミスリアの質問に対し猊下は顎に手を当てて、ふむ、と頷いた。詳しい説明を言わずとも、この方には伝わったらしい。
「そのことですか。強いて言うなれば……面白そうだったから、でしょうか。あんな特殊な人と知り合える機会なんてそうそうありませんよ。人生何事も経験です」
「ほ、本当にそんな理由で……?」
「ええ。我々人間が生きている間に経験できることはあまりにも少ない。だからこそ他人に出会い、触れ合い、話を聞いて、彼らを通して経験するのですよ。人と関わることは、即ち世界を広げることそのものです」
 そう言って、猊下は目を細めて穏やかに笑った。
「よく覚えておきなさい。彼は貴女の人生にとってプラスとなるかもしれませんし、マイナスとなるかもしれません。けれどそのどちらであっても、それは貴女がた二人の間にのみ生じる縁(えにし)。何があっても、特別な経験であると受け入れ、できる限り学ぶことです。どんな絶望に出遭っても、嘆いてはなりませんよ」

 ――この旅の何もかもが、特別な経験――。

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12:52:46 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.d.
2013 / 09 / 24 ( Tue )
 鉄串の罠よりも発動するのが速い。とはいえこちらの罠も岩に重みを乗せた所為で発動した。試しに、ゲズゥは高く跳び上がってみた。
 すると炎の威力が心なしか弱まったように見えたが、それでも、容易に飛び越えられる高さにはならなかった。一度発動するとしばらくは解除されない設定なのかもしれない。

 実に驚くべき技術力である。そして、驚くべき技術力の無駄遣いである。
 精密な機械を編み出せるのなら、その力を生産的な用途に応用するか、せめて戦場を制圧できる兵器を創るぐらいをすればいいだろうに。己の城を守る為に使っているのを見ると、どうにも城主は臆病な性格に感じられた。罠が多ければ多い程、城主が外出をしない閉鎖的な生活を送っているとも推測できる……。

 そんなことよりも今は、至近距離からの高熱に応じて滲み出る汗が、シャツを濡らしていく。時間が惜しい。ゲズゥはもう一度跳び上がってみた。
 炎を消す術が無いのなら、無理矢理にでも突破するしかない。崖上の町で買ったこのブーツも多少は耐熱性があるだろう。そのまま次の岩めがけて跳んだ――形からして今度は鉄串の罠が来るはずだ。

 着地しても、何も起こらなかった。誤作動だろうか、音もせず、罠も発動しなかった。理由はわからないがこの岩は安全なのだろう。
 ゲズゥはこの機会を利用してズボンに水をかけた。炎の檻を強行突破した際に点火していたからだ。火が移ったのがズボンだけだったのは、運が良かったとしか言えない。何度か水をかけるうちに火はおさまり、しかし皮膚には軽い火傷が残った。

 突然、背筋がざわついた。
 反射的にゲズゥは全身を硬直させる。
 縦長の瞳孔を含んだ黄ばんだ双眸が、闇の中に何組も浮かんでいる。それだけなら良かったが、それらが急速に迫って来ている。アリゲーターは、その巨体からは想像つかないような速さで動く。

 ――戦うか、逃げるか――
 ゲズゥは素早く背中の方へと左手を伸ばした。パチン、と背負っていた剣の鞘の留め具を外す。留め具が外れると、大剣を収める二枚合わせの鞘が、バネを使った仕掛けによってパカリと開いた。

 そして右手で柄を握り、剣を抜いて構える。それとほぼ同時に、黒い塊が一つ、こちらに向かって突進して来た。

 水飛沫が四方に跳ねた。
 ゲズゥは無心に剣を振り落した。すんでの所で襲い掛かるアリゲーターを一刀両断し、かくして水飛沫に大量の血飛沫が混じる。そのさなかに立つゲズゥは勿論、濃厚な血の臭いを浴びた。

 またしても命を落としたのが己ではなく獣の方で良かった。が、そう何度も巧くことが運ぶはずがない。しかも血の臭いでアリゲーターたちは興奮し出している。ゲズゥは残る岩の道を急いで渡った。

 それから更に何度も罠に翻弄され、獣の顎をかわし、数分後には城の外壁に辿り着いた。既にその頃には全身に打撲や火傷を負っている。全くもって面倒臭い堀だ。帰りは何とか架け橋の下ろし方を探すべきだろう。

 石造りの壁に歩み寄り、思わずそこに左手を付いた。
 視線だけ先に壁を上らせると、見張りの兵士らしい人影が幾つか見える。皆、どこかだらけた姿勢である。これならすぐに矢で射殺される予感はしないし、或いは発見されずに壁を上れるかもしれない。

 問題は、壁を上る手段が無い点ではあるが。
 今更ながら、あの曲刀を国境に置いて行くんじゃなかった、とゲズゥは舌打ちした。

「ケタケタケタケタケタ」
 歯を鳴らす音と笑い声が混じったみたいな変な音が頭上からしたかと思えば、何とも形容しがたい腐臭が鼻孔に届いた。
 思えば、堀の罠にかかって死んだ人間は少なくないだろう。それらが魔物と化しても何ら不思議はない。

 随分と長い夜になりそうだ、とゲズゥは疲労を蓄積しつつある身体に対して苦笑した。
 ところが件の魔物の姿を両目で捉えると、意外な作戦を思い付いた。

 アリゲーターなどよりも遥かに巨大な化け物が、ずるずると外壁を伝って降りてきている。蛇のようにも見えるが、所々、不自然な位置に左右非対称に人間の手足が生えている。

 決して俊敏な動きとは言えない。
 こいつは利用できる――そう確信して、ゲズゥは返り血のこびりついた手で剣を構え直した。

_______

「大丈夫。大丈夫だから、そんなに怖がらないで。じっとしてるだけでいいの」
 ミスリアは怯える小さな少女たちに精一杯優しく声をかけたものの、通じた自信は無かった。反応が無いと見ると、今度は北の共通語でもう一度語り掛けた。それでも二人は身を寄せ合うだけで何も応えない。

(困ったわ。この子たちずっと一言も話さないし、周りの会話もわかってる風でも無いから、言葉がわからないって可能性も)
 奴隷だからなのか、まだ幼すぎて共通語を習う機会を与えられなかったからなのか。怯えて声が出ないだけかもしれないけれど、いずれにせよ通じ合うことは明らかに難しい。

(助けてあげたいのに。今しかチャンスが……)
 宴も進んで貴族の男性たちはかなり酔ってきている。音楽や話し声で部屋全体の騒々しさが上がり、兵士の注意も散漫になって来ている今の内。ミスリアは城主に差し出す食べ物皿のおかわりを盛る振りをして、隙を見て少女たちに近付いていた。

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13:50:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.c.
2013 / 09 / 15 ( Sun )
 夜にしては物の輪郭が捉えられるほどに明るい。
 ゲズゥ・スディルは息をひそめて周囲に注意していた。目当ての場所に辿り着けたはいいが、何かが腑に落ちない。

 目と鼻の先に立派な城がある。基盤は四方形で、それぞれの角には円錐型の屋根をした塔がそびえ、城の半径100ヤード(約91.4メートル)以上は空き地がある。空いて見える箇所は堀だと考えるのが妥当だろう。

 見たところこの城には外堡(バービカン)が建設されていなかった。城と外界を隔てるのは堀だけで、城壁や塀のようなものも無い。だからといって護りが脆弱なのかとなると、そうとも言えないだろう。四隅の塔には弓兵が潜んでいるだろうし、堀を渡るには架け橋を内から下ろしてもらう必要がある。

 ――では、その堀を泳いで渡るか?
 100ヤードなど、ゲズゥならば余裕で泳ぎ切れる距離だ。ましてや波や流れの無い水だ、バタ足だけでも充分に行ける。渡り切ったら外壁を登って窓から侵入すればいい。

 そこまで考えていながら、未だに行動には出ずにゲズゥは用心深く堀の外側を回っていた。
 腑に落ちない点は二つある。

 まず、水が汚れているからという理由では説明し切れないような、妙な臭いがする。平たく言えば獣の臭いだ。何かが、堀の中に棲んでいるのは間違いない。
 次に、架け橋の反対側には一定の間隔で岩が突き出ていた。まるで徒歩の侵入者に「こいつを使って渡ってくれ」と誘いかけているかのような不可解な岩の道が、城まで続いている。

 泳ぐにしろ岩を踏むにしろ、どちらにも罠の気配が濃い。こういう場合は空を飛ぶ能力でもあれば楽だったろうに、とぼんやり考えた。

 とりあえずゲズゥは堀の淵まで歩み寄った。水面を覗き込んでも自分の姿がほとんど映らない。暗い上に水が濁りすぎている。が、首にかけた銀色のペンダントだけは、煌めきでその存在を主張していた。

 ミスリアが落とした銀細工のペンダントだ。ポケットに収めていると動き回っている内に落としかねないので、失くさないようにゲズゥはチェーンを結び繋げて身に着けていた。それも始めは麻シャツの下に着けていたのだが、何故か段々と重く感じるようになって、出した。肌に触れれば触れる程重苦しく感じる。何度確かめても質量は変わっていないのに、全く奇妙な話である。

 ゲズゥは意を決し、水の中に入る準備をした。一応いつでも岩の道に飛び移れるように、その近くの場所を選ぶ。それから蛭対策に、ズボンの裾をブーツの中に詰め直し、靴紐を上までしっかり結んだ。最後に、声を殺す為の猿ぐつわも結び直す。

 ――剣は置いて行くべきかもしれない。泳ぐには邪魔だ。
 数秒の間逡巡し、結局背負ったまま踏み入った。短剣だけでは対応し切れない何かが現れると想定して。

 つうっ、と水面にさざ波が広がった。獣の臭いが一層濃くなる。
 足が地に着いても、水位は膝下までしかない。予想していたよりも浅い。ゲズゥはなるべく静かに左足をも水の中に下ろした。そうして数歩進むと、水は腰まで上がり、やがて胸辺りまで来たが、それ以上深くならなかった。

 どこかで急に切れ落ちるのだろうか。ペンダントが濁水に浸るのをチラッと眺めつつ、ゲズゥは慎重に歩を進めた。ずっとこの深さなら泳ぐまでも無いが――。

 ふいに、右足の裏が変な感触を捉えた。これまで踏んでいた土の柔らかさと打って変わって、でこぼことしていて、弾力のある何か。すぐに警戒した。何故なら、踏んだモノが動いた気がしたからだ。

 刹那、雲間から月明かりが射した。
 映し出された水面下の景色に、ゲズゥは目を大きく見開いた。
 いかに水が濁っていようと、見間違えられない。長く黒い塊が無数に重なり合って蠢いている。浅い水に棲む全長10フィート(約3メートル)以上の生き物、となると。

 ――アリゲーター。
 肉は揚げるのが一番美味いとか、本来なら人間を無視するはずの生き物だとか、もっと南の方の沼に棲んでいるはずだとか、そういう考えが同時に過ぎったが、すぐに我に返ってゲズゥは飛び上がった。幸い、噛み付かれる前に逃げられた。

 黒い塊が一斉に動き出すのが見える。さっき食べたリスの残骸を囮に使えるように取って置くべきだった、と後悔しても仕方がない。
 ゲズゥは空中で一回転して、一番近い岩に飛び下りた。

 ガコン、と岩が音を立てて下にずれた。
 それが何を意味するのか――結論を待たずにまたゲズゥは高く跳ぶ。そんな彼を捕えようと飛び上がったアリゲーターの一匹が、獲物をギリギリ逃して顎を噛み合わせた。

 あんなのに捕まったら脚の一本は失うだろう。そう思ったのも束の間。
 水の中から長い棒のようなモノが五、六本、素早く伸びた。棒は岩の上に収束し、アリゲーターを無残に貫き殺した。

 ――そうか、これが、「罠」。
 納得したゲズゥの脳裏に「鉄に貫かれて苦しめ」と高笑いした男の声が蘇る。岩を踏むと串刺しにされる仕組みになっているのか。

 しかし全部の罠がたった今のような速度で発動するならば、生き延びる勝算はある。ゲズゥは先祖から受け継いだ瞬発力に頼って、次から次へと罠が飛び出る前に岩を跳び渡った。間隔がやや長いので跳ぶ疲れは溜まるものの、これも100ヤード程度なら余裕で行ける――。

 距離の半分も進んだ時点で、ふと、ゲズゥはしゃがんだまま足を止めた。
 今しがた乗った岩が他のそれと違う。削り磨かれたように平になっていて、幅が広い。大人が三人、肩を並べて立てるだろう。しかも岩は鉄の輪みたいなものに縁取られている。何かの罠には間違いない。

 ドゴン、とやはり不自然な音がした。
 次に視界が赤と橙に満たされた。信じられないことに、鉄の輪から火柱が立ったのである。中心のゲズゥに火が迫ってくる様子は無いが、数十秒待っても炎の檻は消えない。

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