27.a.
2013 / 10 / 25 ( Fri ) 「ひとりが好きなの?」
母にそう訊ねられた時、首を傾げたのを覚えている。確か、林の中の樹を登って回って、数時間も家に帰らなかった日のことだった。探しに来てくれた母は、怒っているのか呆れているのか、どちらとも言えない微妙な顔をしていた。 ――気が付けばいつも誰かが傍に居たし、でも逆にふと気が付けば一人になっていたこともある。特に意識していなかった、独りが好きか嫌いかなんて。 「わからないのね」 答えずに居たら、母が納得したように呟いた。 ふと、興味深い物を見つけたのか、母は近くの樹の枝から何かを摘まんだ。 「手を出しなさい、ゲズゥ」 言われた通りに両の掌を上にして差し出した。母はそこに、柔らかい毛の生えた何かを落とした。 小さな命が、掌の上で身をよじり、這い出す。緑色に黒い斑点のついた細い体にゲズゥの視線は釘付けになった。 「芋虫、かわいいでしょう」 「くすぐったい」 粘着質な虫の足の裏が、手の皮膚をひっかけては放す。 「この子は大人になったら空を飛べるのよ。でも今は小さくて足も遅いから、簡単に食べられたり潰されたりしてしまうわ」 その話を聞いて訳もわからず胸がもやもやした。当時はまだ「かわいそう」という言葉を知らなかったのだと思う。 「そうなってしまっては悲しいけれど。でもね、一瞬でもいい。この世に生きるというのは素晴らしいことなの。生を、世界を経験する奇跡は、何にも代えられないわ。いつか終わりが来るとしてもね」 「すばらしいって、なに?」 「とてもすごいとか、ステキって意味よ」 母はどこか得意げに笑った。 「私は生きている歓びを誰かと分かち合えるのが、一番素晴らしいことだと思うわ」 「よく、わかんない……」 話の内容についていけなくなって、とりあえずゲズゥは芋虫を樹の枝に戻した。 「いつかわかればいいのよ。さあ、帰りましょう。呼んでるわ」 そう言った母の視線の先に、銀髪を風になびかせて走り寄って来る小さな子供が居た。子供は「にーちゃー」と叫んでいたかもしれない。 「走ったら転ぶわよー」 口元に右手を添えた母が楽しそうに言うと、数秒後、その通りのことが起きた。 子供の後ろについてきていた女性は困ったように微笑んだ。 _______ 河沿いの都イマリナ=タユスは、大帝国ディーナジャーヤの属国であるヌンディーク公国の、最も人口の多い町と言われている。 貿易が盛んであり、帝国や近隣諸国からの船が毎日のように入港する。大勢の商人たちが陸や河を通って行き来し、その上、数百年の歴史と文化を誇る町ゆえに観光に訪れる人間も多い。 (大通りに出れば歩く必要が無い、とも言われているのよね) 呆けて立っていれば押し寄せる人の波に流されるからである。ミスリア・ノイラートは今まさに、それを身をもって体感していた。 (どうしよう) 焦燥感ばかりが募る。全方位を人に囲まれている所為で、身長の低いミスリアの視界は相当に限られている。 ――袖を握っていたはずなのに。忙しなく歩き回る商人にぶつけられたり横切られたりしている内に、離してしまったのだ。 (あんなに目立つのに見失うなんて) どっちへ行けばいいのかわからないまま足を竦ませていると、次々と人がぶつかってきた。香草や陶器、ワインや木材など、商品と思しき物の匂いが通り過ぎる。 ミスリアには土地勘が皆無である。今から地図を買ったところで、よく考えたら落ち合う場所を決めていた訳でもないから、役には立たない。 「きゃ!」 突然、前方から歩いてきた人の肘が肩に当たり、尻餅ついた。こんな場所では落ち着いて考え事もできない……。 「ゴメンゴメン、大丈夫?」 涼やかで透明な、少年か青年の美声がした。彼はこれまでミスリアにぶつかってきた人たちと違ってそのまま去ったりせずに、象牙色の手を差し伸べてきた。手首周りのいくつもの鉄の腕輪が朝日を反射させて輝いている。 「は、はい、すみません」 声の主を見上げた途端、ミスリアは開いた口が塞がらなくなった。 |
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