26.e.
2013 / 09 / 25 ( Wed )
(もう、こうなったら仕方ない)
 ミスリアは手に持っていた皿をテーブルに下ろして、二人にサッと近付いてしゃがんだ。
 褐色肌に黒髪といった色素の濃い少女と、白い肌に黄金色の髪をした少女。全く似ていないところを考えると、二人は姉妹ではなく同じ家で育った奴隷かもしれない。

「なに、するの」
 色素の薄い方の子から、震えた声が漏れたようだった。驚いてミスリアは少女の橙色の瞳を見つめた。

「よかった、南の共通語が通じるのね。そっちの彼女、兵士に蹴られて怪我をしたでしょう? 痛くなくなるおまじないをするの」
 褐色肌の少女がヒョコヒョコと足を引きずって歩き回る様が、痛々しくてならなかったのだ。何とかしてやりたかった。

「おまじ……? なに?」
「いいから」
 説明する時間が勿体ないからと、ミスリアはそのまま手をかざした。

 アミュレットを身に着けていなくても聖気を練るのは可能である。日頃から幾度となく展開しているのだから、感覚を思い出して再現すればいい。時たまやっているので、要領はよくわかっている。

 一瞬だけ瞑目した。その間に、ミスリアは全神経を集中させた。
 聖気の温かさが腕を通る感覚を思い出し、それを掌から通す時の微かなうずきを思い出す。やがて、密度の高い聖なる因子が、対象へと流れゆく。

 元々聖なる因子とはそこら中に溢れているものである。それらが神々と聖獣の奇跡によって結晶化した状態を「水晶」と呼ぶ。
 聖人や聖女たちはいつも聖気を展開する際、まず水晶を現象の核に据えて、純度の高い聖気を引き出して周囲の因子と共振させる。聖なる因子は引き寄せられ、増殖し、はっきりとした流れを作って対象物へ注がれる。

 今回はアミュレットの水晶が無いので、ミスリアは己の内に在る聖気を引き出して核の役割を果たさせた。聖人・聖女という枠の中でもミスリアは内包している聖気の量が多く、だからこそ成せる業である。
 しばらくして少女の膝周りから、腫れが引いた。

「え? どうやったの?」
「すごい。あたたかいよ、いたくないよ」
 二人の少女がそれぞれ感嘆の声を上げる。

 慌ててミスリアは口元に指を当てた。急な大声を出した所為で注目されたらたまらない。
 が、既に遅かった。

「おい! そこの三人、何をしている! 早くおかわりを運ばんか」
 案の定、兵士から怒声が飛んできた。
「おおう、そうだぞ。もっと近う寄れ」
 しゃがれた声。城主ウペティギから直々に呼ばれている。

(傍で相手をしなきゃならないの? あの媚びたお姉さんたちみたいに)
 嫌悪感が腹からぞわぞわと上がってくる。
(だめ、笑わなきゃ。変な顔で振り向いてはだめ。楽しいことを考えよう……)
 ミスリアは必死で自身にそう言い聞かせた。すると、一つの記憶が何故か色濃く脳裏にチラついた。楽しいと言えるかどうかはわからない。

 まだナキロスに居た頃の話――

「もし教皇猊下にお会いできたら、訊いてみたいことがございました」
「何です? 聖女ミスリア。遠慮なくお訊きなさい」
「どうして、私の案を、許可して下さったんですか」
 ミスリアの質問に対し猊下は顎に手を当てて、ふむ、と頷いた。詳しい説明を言わずとも、この方には伝わったらしい。
「そのことですか。強いて言うなれば……面白そうだったから、でしょうか。あんな特殊な人と知り合える機会なんてそうそうありませんよ。人生何事も経験です」
「ほ、本当にそんな理由で……?」
「ええ。我々人間が生きている間に経験できることはあまりにも少ない。だからこそ他人に出会い、触れ合い、話を聞いて、彼らを通して経験するのですよ。人と関わることは、即ち世界を広げることそのものです」
 そう言って、猊下は目を細めて穏やかに笑った。
「よく覚えておきなさい。彼は貴女の人生にとってプラスとなるかもしれませんし、マイナスとなるかもしれません。けれどそのどちらであっても、それは貴女がた二人の間にのみ生じる縁(えにし)。何があっても、特別な経験であると受け入れ、できる限り学ぶことです。どんな絶望に出遭っても、嘆いてはなりませんよ」

 ――この旅の何もかもが、特別な経験――。

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