26.f.
2013 / 10 / 07 ( Mon )
 その言葉を噛み締めるミスリアを、再度呼ばわる声があった。城主ウペティギだ。
「まだか?」
「は、はいっ。ただいま!」
 ミスリアは酒瓶を掴み、早足で貴族たちの元へ戻った。精一杯の作り笑顔で応じ、長椅子の空いた箇所に腰をかけた。すぐ隣の男性に酌をする。

「栗色の! お主、詩を諳(そら)んじられないか」
 何度か酌をする内にウペティギから呼びかけがあった。ミスリアは再び笑顔を作って振り返る。
「詩、と言われますと?」
「そうだな。ゼテミアンやディーナジャーヤの物はわからないだろうから、教典からでいいぞ。創世記でも何でも。それくらい学んだであろう?」
「はい。では創世を詠った詩からの小節を……」

 よく知った詩であるだけに、ミスリアは余裕を持って諳んじることができた。ついでにその間、周囲をよく観察してみた。
 楽師や踊り子はミスリアが詩を諳んじる間もその働きを止めず、音を少し静めているだけである。貴族の男性たちは聞き入る者も居れば酒をあおる者も居たり、各々くつろいで過ごしている。ウペティギなどはうっとりした顔で、酒杯を指の間でくるくるもてあそんでいる。

(……あれ?)
 一人だけ虚ろな目で遠くを見る男性を見つけた。ウペティギの右膝に座る女性の更に向こう側で、つまらなそうに片肘ついている。先ほど会った、「設計士」と呼ばれた人だ。
 ゲズゥもいつも虚ろな目で遠くを見ていたけれど、それとは違う印象がある。

(諦めているような、呆れているような)
 底知れない嫌悪感を押さえ込もうとした結果、虚ろな表情になってしまった――そんな感じがする。
(設計士さんは、無理矢理付き合わされているみたい)

 そういえば彼が先ほど城主に持ってきた案は、「新しい罠」とは遠く無関係なものだった。なんとなく聞き耳を立てていただけだが、設計士は領民の生活をより豊かにする道具を開発したがっていたようだった。それを頑なに拒んだのは城主やその他の貴族たちであって。彼の抗議を遮っては黙らせるように、酒と宴に縛り付けたのである。

 一連のやり取りを聴いたミスリアの中では、設計士の株は上がっていた。
 他はともかく、彼は善人である。その事実をどうにか自分の逃亡に有利につなげられないだろうか――。

 やがてミスリアの諳んじる詩に終わりが来た。すぐさま観衆から拍手があがる。

「お主、気に入ったぞ! 学があって、礼儀正しく控えめで大人しく、容姿も及第点だ。たまにはお主のような娘も良い。今夜はワシの寝室に来い」
 酔いの赤みを帯びたガマガエルに似た顔が、下品な笑みを浮かべた。

「い、いいえ、謹んでご遠慮いたします」
「なに、遠慮するな。ワシは女には優しいぞ」
 
 がははと笑うウペティギの横で、設計士が嫌そうに顔を歪めるのが見えた。
 次いで彼はがばっと長椅子から立ち上がる。

「ウペティギ様。私はお先に失礼します」
「何だと? まだ夜は始まったばかりだぞ、座ったらどうだ」
「いいえ。色々と仕事も溜まっておりますので。また今度お誘いください」
 それ以上の追及を許さず、設計士は衣を翻して去った。それなりの立場があるのだろうか、出入り口を警備する兵士は僅かにたじろいで、彼を止めることはしない。

「まったくつまらぬ男だ。何かあればすぐ『民の為に』などと抜かしおるし。あの優秀な頭脳がなければ、追い出してもいいところだがな」
 設計士が去って数十秒後、ウペティギがそう切り出した。

「そうですよ、ウペティギ様。あんな口うるさい男追い出してしまえばいいでしょう。代わりなんて探せばいくらでも居ますよ」
 貴族の客の一人が口を挟む。
「しかし奴の家は代々我が城に仕えて来たからな。何だかんだでワシに逆らえやしない」
「確かにそうですけどねぇ……」

 突如、警鐘がカランカランと大きく音を立てた。
 浮ついた雰囲気の部屋に一気に緊張感が走る。
 廊下から慌しく誰かが駆け込み――その武装した青年に対し、鬱陶しげにウペティギが声をかけた。

「何事ぞ」
「し、侵入者です!」
「侵入者だと? 罠に任せれば大丈夫だろう」
「いいえ、罠が全て突破されて! 若い男が窓から城内に入っていくのを見た者がいます!」

「そんなこと不可能だ! どうやって壁を上ったというのだ? いや、それより見張りはどうした!」
「す、すみません。油断しました」
 青年は目を泳がせる。

「もういい! とにかくソイツをひっ捕らえよ!」
「はいっ!」
 報告に来た青年が慌ただしく部屋を後にした。

(若い男って、まさか)
 その言葉にミスリアの鼓動は一度だけ、大きく跳ね上がった。
 下手に期待をすれば後でひどくガッカリするかもしれないとわかっていながら、良い方に憶測せずにはいられなかった。

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