α.6.
2018 / 09 / 09 ( Sun )
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 昔々、創造の女神が遥か大きな岩を顕現させた。
 その表面を叩いてできたヒビや溝を塩水で満たし、大地と海をつくりたもうた。楽しくなり、踊り狂った女神の足が触れた箇所を中心に、動植物の実りをゆるす三つの大陸が出来上がった。
 それぞれの大陸の間には海と荒野と容易には超えられない山脈が残った。
 大地にはさまざまな命が芽吹き、人が誕生し、文明や魔法が生まれた。人類は見事に栄えてみせた。
 だがいつからだろうか、文明が行き詰まった。大陸のひとつは激しすぎる戦禍に、草も生えない不毛の土地に成り果てたのである。
 あとの二つの大陸も同じ末路をたどるのではないかと危惧した女神が、ある策を立てた。御身から切り離した精《エーテル》を金魚の形に替え、残る二つの大陸に送り込んだのだ。金魚の精は自らの器たりえる魂を探し出し、その肉体にとりついた。
 金魚たちは、鏡を通したように姿が似ていながら異なる性質の人間を選び、ふたりが出会えるように特殊な方法で道をつないだという。
 金魚の器たちは紆余曲折を経て相手とわかりあい、双方の大陸が手を取り合えるように計らった。それは、ふたりにしかできないことだった。
 人の世はこうして生き永らえた。
 後の世の者はこのことをおぼえていなければならない。リグレファルナの伝説は、教訓である――。

     *

 アイヴォリが知っている限りを語り尽くしても、アイリスとカジオンは「意味不明」「お子様向け」と言って真に受けなかった。運命の乙女だとか世界の流れを変える金魚だとか、そんな眉唾物が自分と関係あるはずがないと、アイリスは頑なに聞き耳を持たない。
(私も半信半疑ではあるかな)
 内容もうろ覚えだ。伝説の中の金魚に憑かれた御使いたちは、強い意思と輝かんばかりのカリスマ性や求心力を持っていたように思う。どれほど甘く見積もっても、自分に到底務まるような使命ではないだろう。
「お父様、お母様。私は生きるだけで精一杯なのに、世界の為に何ができるかしら」
 胸元を見下ろしてひとりごちる。
「セカイとかあんたまだそんなこと言ってんの」
「ひゃあ!」
 背後から声をかけられ、アイヴォリは地面から足の裏が飛び上がるほどに驚いた。声の主は普通にアイリスだったが、今この場にいることの方が意外だった。
「あの、どうしてここに」
 急を要する用事があるのだろうかと身構える。
「あんたが体拭くだけにすっごく時間かかってるなって思ってきてみたんでしょ。まだモタモタと服脱いでたとはね」
「もたもた……」
「さっすがはお貴族サマね、自分で着替えたことないんじゃないのってくらい手際悪いわ」
「うう、そんなこと……肌着とか、自分で着れるとこもある、よ」
 一方で口と同時にアイリスの手がせわしなく動いていた。見ているこちらが混乱しそうなほどだ。彼女はチュニックを脱ぎ捨てるのではなく結び紐のみを解き、襟元を広げて腕や肩をあらわにした。
 ――なるほど、そうやればいいのか!
 アイヴォリが目をみはっている間にアイリスは桶の縁にかかっていた手ぬぐいを取って水に濡らし、顔や首、肩や胸元をさっさと拭ってみせた。右手から左手に手ぬぐいを持ち替えてからも流れるような手際の良さだ。
「なにぼーっとしてんのよ。手伝ってあげようか?」
 願ってもない申し出に、アイヴォリは消え入るような声で「おねがいします」と応じる。請け負うアイリスの笑顔は朗らかそのもので、まるで嫌味がない。それどころか城の召使いの女性らよりもはるかに快く感じる。
 アイリスがすぐ後ろに立った。
「手のかかる妹みたいで面白いわー。ね、アイヴォリってきょうだいいる?」
 背骨に沿って上下に並んだボタンが、ひとつずつ外れていくのを感じる。
「いないわ」
「そか。うちは一応カジが年上だけど、兄っつーより弟みたいな時もあるし、なんだかね」
「ふたりに血のつながりはないんだよね」
 ここぞとばかりに、気になっていた事項を確認した。
 触れてはいけないことを訊いているかもしれないという可能性は視野になかった。そしてどのみちその心配は無用だった。アイリスはよどみなく、平然と答える。
「ないわよー。あたしらは同じ孤児院にいてね、そこがある時ヘンないちゃもんつけに来た奴に取り壊されちゃって。行き場を失くした者同士、一緒に逃げたの」
 衝撃的な事実がこともなげに羅列される。
 肩から衣服がすでにはだけている現状、羞恥心も忘れ、アイヴォリは自分と顔立ちだけ似た少女を振り返って口をパクパクさせた。
「むごい……どうして」
「政治的? な理由があったんじゃないかって誰かが言ってたわ。そーゆーのあたしらにはどーでもいいし。考えても無駄ムダ。下手人はとっくに掴まって処刑されたわ」
「つらく、なかったの……?」
「つらくないわけないでしょーが」後ろ肩をはたかれた。思わぬ衝撃に、背を逸らせる。「でもただ絶望して終わるのは悔しいじゃない。そこまでしてあたしらを消そうとしたヤツらがいたんなら、何が何でも生き延びてやらないと。それが、あたしたちなりの復讐よ」
 復讐という言葉の響きに背筋がゾッとした。アイリスは表情こそ笑っていたが、橙色寄りの赤い双眸が昏く冷たかった。
「そんな大昔の話より、ついこの前、村をつぶした奴らにこそ報復したい気がしないでもないけど。目下、あんたの身柄をどうにかする方が先かな」
「……ありがとう」
「いいってことよ。じゃあ今度はこっちから質問――」アイリスの指先が、アイヴォリの首元をなぞり、鎖骨を伝って、胸元に流れた。くすぐったさに身じろぎする。「あんたさあ、こんなとこに、宝石? 埋め込んでんの」
 ヒュッと息を呑み込んだ。
 確かにアイヴォリの胸元には、表面が滑らかな大きな水晶が埋め込まれている。長年そうしてあったため、肌とひとつ繋ぎに見えるくらいになじんでいた。透き通った柘榴色の奥には、模様のような一文字が浮かんでいる。
 別段、隠さねばならない代物ではないのだが、理由を説明するのが恥ずかしい。けれども興味津々なアイリスをうまくあしらう方法が思い付かず、結局白状した。
「これは魔法を制御する道具。普通は装飾品にして身に着けるものなんだけど、私は体に触れているくらいじゃないと魔力が……すぐ暴走しちゃうから」
 語尾に向かって声が消え入ってしまった。
 元素魔法は、使い手の意思に連動する。制御がきかないのは、つまりアイヴォリ自身の心の未熟さに由来するのだ。自覚あるものの、出会って間もない相手に語るのは気が引ける。
 ところがアイリスの反応は、違う意味でアイヴォリをうずくまらせることになった。
「あそっか、あんた魔法が使えるのね!? 忘れてたわ! 見たいみたい、超みたい!」
 自分とよく似た顔が目を輝かせて迫ってくる。
 アイヴォリは悲鳴を上げて後退した。
 それから騒ぎを聞きつけたカジオンが「おいどーしたよ」と様子を見に来そうになり、アイヴォリはますます狼狽した。こんな姿を異性に晒せるはずがない。
 だと言うのに、アイリスは半裸のままで「なんでもない! 来んな」と怒鳴ってみせた。
 そういうところは兄妹ゆえの距離感だろうか。
 兄弟がいたことのないアイヴォリには、まったく理解ができなかった。



本当はアイリスが全裸で夜盗とやりあう場面も考えてたのですが、没w

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05:06:39 | 小説 | コメント(0) | page top↑
8月はあんまり読みおわったものがないのだけど一応まとめ
2018 / 09 / 05 ( Wed )
8月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:912
ナイス数:33

クマとたぬきクマとたぬき感想
かわいい…ほっこり…さいこう……いきるってすばらしい…すばらしい…。ツイッターで前からたまに読んでたのを単行本化に気付くのに遅れた不覚。これは一生大事に読み返して、人にも貸してあげたいレベルのよさです。ありがとう。
読了日:08月30日 著者:
マグメル深海水族館 2 (BUNCH COMICS)マグメル深海水族館 2 (BUNCH COMICS)感想
新キャラが増えて既存キャラも掘り下げられて、ますます面白い。嵐くんの話、同年代で、立場が違うけど道が交差する友達っていいよね。いつも作中は深海水族館にいるだけに、今回けっこうあった地上描写が新鮮。
読了日:08月10日 著者:椙下聖海
マグメル深海水族館 1 (BUNCH COMICS)マグメル深海水族館 1 (BUNCH COMICS)感想
くらげバンチで読んだときよりも絵がきれい! 話が面白い! キャラに愛着沸いた表情がとてもいい! 動物すごい! 目が離せない! ただしあっという間に読んでしまい、四話のみの収録であることに少々不満を感じたので★4
読了日:08月09日 著者:椙下 聖海
図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)感想
ファンタジーを探してた時に目に入って、試し読みの冒頭部分が性に合ったからの衝動買い。もとは上下巻だったのを四分冊したからか、終わり方にやや唐突感。でも下手に危険を出すより「世界が広がった」というイメージに好感。概念の説明や掛け合いがすらすら読めて面白いのに対し、状況描写がテンポ悪く感じてなかなか進められなかった部分もあったが、新しい指話で距離が縮んだり地下探検したりと、ボーイミーツガールの質は高い。マツリカキリヒトの肉体的生命力の対比が好き。続きに期待。
読了日:08月08日 著者:高田 大介

読書メーター

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23:07:18 | 読書 | コメント(0) | page top↑
華ドラといえば
2018 / 08 / 29 ( Wed )
Dramafeverのアカウント前にも作ったっけーっとなってメール検索したら、なんと今は亡き姉に「Ice fantasy - 幻城」というものを2016年に勧められたことを思い出しました。

数年遅れに観て何になるのかって話ですが、ちょっと不思議な気分なので、ウォッチリストに追加しておきました。姉ちゃんも一緒に観ようぜ~

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10:37:45 | 余談 | コメント(0) | page top↑
2-3. e
2018 / 08 / 27 ( Mon )
「お前の体質をどーにかできるとしたら、あいつだ」あくびを挟みながらののんびりとした答えだった。「なんてったって、ひよりの『  』のシフだからな」
「シフ? なんて言ったの」
 謎の名詞は、濃い異国の響きを伴っていてどうにも聴き取れなかった。「ふぁ」「す」と発音した気はするが、間に「つ」または「T」の音も入っていたような。

「んあー、日本語読みわかんね」
 ナガメはゆみの手の平を引き寄せて、指先でするすると文字をなぞった。くすぐったいが、我慢する。「法術」に続いて「師父」だ。
「それは『ほうじゅつ』かな」
「ほうじゅつ。法術《ふぁっ・すっと》、まじないのことだろ」

「おばあちゃんの術のお師匠さんなんだね。うん、会ってみたい」
 断る理由がないどころか願ってもない話だった。唯美子は厄寄せ体質に関してはまだ実感が持てないが、助けになってくれてもくれなくても、祖母の昔の師だという人に会ってみたい。
「決まりだな」
「そうだね、楽しみになってきた」
 諸々の出来事からの心労も、過去を思い出した衝撃も、少しだけ和らいだ気がした。

(このひとは、ヒトに見えても、人の倫理観や道徳観を持ってない)
 では本能のみのケダモノなのかといえば、それも違う。感情があるし、理性もある。
(信じていいの――)
 脳裏にちらつく血濡れた大蛇は相変わらずだ。
 それでいて、幾度も助けてくれたナガメは、一貫して約束を守ってくれている。祖母に求められて助力したのも事実だろう。

 礼は敢えて言わないことにした。まだ、昔のことを整理しきれていないのだ。
 大きく伸びをして立ち上がった。
 すっかり日は暮れかけて、ハトたちもいつの間にか離れた場所で新しい標的に群がっている。そろそろ帰宅した方がいいだろう。母が待っている。
 それにしてもさっきのは何語なの、ふいに訊ねてみるも、青年は首を傾げるだけだった。

     *

 救命行為というものを遠くから見守っていた。
 ぐったりした少女が大人たちにもみくちゃにされているようにしか見えない。胸を圧迫したり、口や鼻をまさぐったりとわけがわからないが、強引に呼吸をさせているのだと、後に説明を聞いた。

 成人済みの方のニンゲンたちは口々に少女の名を呼んでいる。目を覚ませだの死ぬなだのと、同じセリフの繰り返しで騒がしい。湖畔に居た他のニンゲンまでもが手を貸しに集まっている。
 ――死ぬ
 もしも救命措置が実を結ばなかったならばと、その先にある別れを予感して、ミズチは口元をおかしな形に歪ませた。いつになく明瞭な思念を抱く。

(オワカレはやだなぁ。もうあんな、あれは、やだ)
 無意識に、近くのやぶを掴んで揺さぶり始めた。行き場のない焦燥感を、発散するかのように。
 周りの心配をよそに、少女はやがて目を覚ました。取り囲む大人たちが喚く中、当人はぼんやりとしている。

「おかあさんどうしたの」
「よかった、ゆみ……! よかった!」
「くるしいよおかあさん」
「だから僕は早くこんな町出ていこうとあんなに」
 男親が険しく言い捨てると、女親が噛みつきそうな勢いで反論した。

「こんな町って、あなたの故郷でしょう」
「ここで生まれ育ったからこそ、さっさと出ていくべきだと思っている。過疎っていく一方だし、唯美子まで母さんみたいに変なものが見えてしまうんだから」
「おまえ、全部あたしのせいだって思ってるのかい。言っとくがね、都会に出たって、見えるもんは見えちまうよ」
 オトナたちの言い合いは悪化する。

「なかよくしてよう……」
 涙ぐんだ少女のひと声でなんとかその場は収まった。
 結局、口論はひよりのあの決断に続いた。唯美子の記憶と知識から、枠をはみ出たものたちに関する一切を封印するという決断に。


「そういうわけだから。異論は認めないよ」
「…………ん」
 縁側に座るよう招かれたミズチが、幼児の姿で座布団にあぐらをかいていた。大して美味しくもない醤油せんべいを口の中でもごもごと動かして、ひと思案する。
 ここに来ていいのは今日で最後だと、ひよりに言い渡されたばかりだった。明日からは唯美子の気配が異形のモノに認識されないように不可視の術も施すという。

 ――忘れられる。
 ――見つけることも、できない。
 それがどういうことなのかを、不味いせんべいと共にゆっくりと咀嚼する。

「この前はでも、助かったよ。か弱い人間を傷つけないように立ち回るのは大変だったろ。見直したよ。おまえさん、ほんとうにゆみが大好きなんだね」
「だからそー言ってんじゃん」
 答えた自分の声には抑揚がなかった。
 あのねえ、と女は忌々しげに切り出した。

「今生の別れじゃあないさ。あたしがくたばったら、ゆみのこと頼んだよ。あの子はしっかりしてるつもりでなんか危なっかしいのよ。人外絡みに限らず、厄の方が寄ってくるんだねえ」
「わかってる」
 ボキッ、奥歯に割られたせんべいの音が脳にまで反響したようだった。奥歯は普段ほとんど使わないので、変な感覚だ。

「都合の良いこと言っちゃって、悪いね」
「別に」
 何故とは言えないが、ひよりがこう願い出ることはなんとなく予想できていた。
「最期まで守り抜くつもりで関わることだね。人間は――……もろいんだ」
「わかってるよ、それも」
 ありがとう。安堵したように、ひよりは胸に手を当てた。

「願わくばあたしがいなくなる頃のゆみが、己を取り巻くすべてを受け止める強さを身に着けていることを。今は大人が守ってやるしかなくても。忘れさせることが我々の尽くせる最善、でも」
 和服姿の女は遥か遠くにある月亮を潤んだ眼差しで見つめ、ため息をつく。

「あの子にもいつか選べる時が来る」眼差しは、ミズチへと焦点を合わせた。「ゆみがもう一度全部忘れたいと願うなら、尊重してやってほしいんだ。でももしも関わり続けていたいと願うんなら――よろしく頼むよ」
「ん。頼まれてやる」
 けどそれっていつ? 訊いても、ひよりは肩をすくめる。ニンゲンの時間で十年以上はかかるだろうと言う。

「えー。待ってんの退屈だなー」
「修行の旅にでも出たらどうだい」
「いいなそれ。じゃあアレだ、既存の大型爬虫類とかたっぱしからやり合ってくるか」
「戻る頃にはゆみは水が平気になってるといいね。あれからプールも嫌がってるんだ。水の精であるおまえさんには、きつい話だろ」

「なんだよ。おいらに気ぃつかうとからしくねーな」
「うるさいよ」
 女の笑い声は、夜の空気を静かに震わせた。


 時が経つのは遅いようで早い。
 あれが漆原ひよりと交わした最後の会話だった。その事実をミズチは悲しいとも惜しいとも感じず、「意外にあっけない」とだけ思うのだった。
 十年以上、経っている。唯美子が選ぶ時が迫っていることも明白だ。

 気乗りしない。
 唯美子が公園を去り、ミズチはひとり残って砂場の中で横になっていた。夜までこうしていると通りすがりにホームレスと呼ばれることはわかっているが、別段どうでもいい。

(俺は……選んでもらえないかもしれないのが、)
 思考回路はそこで詰まる。
 ハンカチの結び目をいじって、気を紛らわせてみた。紛れるどころか、もやもやは増すばかりだ。別のことに意を向けるとする。

 何十、何百年前だったか、かつて出逢ったひとりのニンゲンを思い浮かべた。
 ――善意は、心地良い。
 別れは、嫌だ――



(三章につづく)


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06:33:43 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-3. d
2018 / 08 / 22 ( Wed )
 そのまま、数分間動かずに過ごした。
 真向いのベンチの下で、大小さまざまなハトたちが、たい焼きの食べ残しらしきものを激しく取り合っていた。気分が未だに優れない唯美子には、羽根がけたたましく飛び交うさまが目まぐるしい。まじまじとは見たくないものだった。

 けれども蛇は元来肉食であるはずだ。あの鳥はナガメには美味しそうに見えたりするのだろうか、視線がぼうっとそちらに注がれている。

「大体思い出したみてーだな」
 どこか無機質に彼が問いただす。うん、と小声で応じると、それからナガメはぽつぽつと足りない部分を補足してくれた。

「ついてくんなとは言われたけど、ひよりは俺の眷属の姿形を知らなかった。鉄紺・栗川に離れた場所から様子を探らせてたんだ。だから、ひよりが式神を飛ばして助けを求めた時、早くに気付けた」
 式神とは実体の無い霊的存在を使役する呪術らしい。映画や漫画の中ならともかく、それが身近な人間の名と一緒に挙げられるのが不思議だ。

「おばあちゃんが……?」
「あいつはそういう判断に手間取ったりしない。自分の手に負えない事態だってわかった時点で、術を発動したんだろーな」
 それでも呼ばれてから駆け付けるまでに十五分はかかった。

 二匹の獣は、水中で対峙した。ナマズは最初から「ミズチ」と取引をするつもりもなければ追い払う気もなく、徹底的に始末する心積もりだったそうだ。
 状況の不利を覆したのは、ナマズの意識の外にあった、人間の動きだった。

「人質を取られていてもひよりの機転でどうにかなった。あいつが隙を見つけてゆみを助け出して、後は」
「きみが金色のナマズを倒したんだね」
「ん」
 語る過去が尽きたかのように、青年は言葉を続けなかった。
 そよ風が、彼の黒い前髪を無音に揺すっている。

(昔のわたしはあれがナガメの別の姿だってわかってたのかな)
 どうやっても思い出せそうにない。だがその後に何があったのかは、忘れていたのが信じられないくらいに、今でははっきりと思い出せる。
 あの日を境に家族の歯車が合わなくなった。

 転勤を以前から考慮していた父が何日もかけて母と言い合い、環境を変えた方が唯美子の為だとの主張を押し通したことや、引っ越し先の新しい職場になじめなかった母がどんな顔で夜帰ってきたのかなど、鮮明に思い出せる。両親の仲は冷める一方で、別居、離婚、と物事は知らぬうちに展開していった。

 どちらが唯美子を引き取るかでまた、何週間も揉めていたように思う。最終的に父のもとに残ったのにはいくつか決定的な理由があったのだろうが、いずれにせよ家族がバラバラになってしまった。とても、とても悲しかった。

 ちなみに父は唯美子が中学生の時に再婚した。相手に連れ子がおり、急に兄ができた。今ではそれなりに仲は良好で兄夫婦の家に遊びに行くことも少なくないが、当時はずいぶんと戸惑ったものだ――。
 記憶の川を漂い始めて数分。お互い黙り込んでいるのがはた目には変だが、決して嫌な空気ではない。

「ね、責任、感じてたりする」
 急な問いに、ナガメは黒い瞳をぱちくりさせた。
「責任って何の?」
「んーん、やっぱなんでもないや」
 唯美子は所在なげに足をぶらぶらさせる。

 家族というものを、きっと彼はあまり理解できていない。爬虫類には卵生ではなく胎生の種もいれば子を大切に育てる種すらいるらしいが(再会して以来、何度か蛇の生態を検索にかけて知った)ナガメが自責の念に駆られているとは考えにくい。もちろん、責めたいとは思わない。

「でさ、ゆみ。来週末ひま?」
 競うように急な問いが返ってきた。今度はこちらが目を瞬《しばた》かせる番だった。よくわからないままスマホを取り出し、カレンダーアプリを覗いてみる。
「今のところ予定はないよ」
「じゃーちょっと出かけるか」
「え、きみとわたしで?」

「他に誰がいるんだよ。狸野郎のとこ、行こうぜ」
 狸野郎とは、彼が以前に言っていた「やどぬし」を指しているのだろうか。ナガメの交友関係には興味あるものの、またどうして、そんな話が出るのか。
「突拍子のない提案だけど……その心は……?」




長くなったので分割しました。次の記事で三章終わりっす。

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20:55:09 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-3. c
2018 / 08 / 16 ( Thu )
 黄金色の巨大ナマズ。囁くように、キーワードを復唱してみる。
 次いで瞼を下ろし、過去へと連なる記憶の糸を手繰り寄せた。
 すぐには映像が浮かばなかった。
 先によみがえったのは匂いだった。土や泥、瑞々しい草木と、水場特有の香り。それから、音がきた。話し声や虫の音、遠くに響く他の家族が連れた犬の吠え声――。

 水の匂いは、唯美子にナガメを連想させた。たったひとりの友達がこの場に居ないことがつまらなくて、何かにつけて思い出していたのも事実だ。
 大人たちがテントを張ったり食事の準備をする間、唯美子に手伝えることは限られていた。遊んでていいのよと笑顔で母に言い渡され、ひとりうろちょろしていたのをおぼえている。

 旅行中はどんな天気だったのか、日焼け止めを塗ったのかそれとも傘を出したのか、その辺りは思い出せない。視覚情報は依然としておぼろげだ。
 突如、冷水に包まれたような感覚がした。

 追体験だ。察した頃には既に肌が濡れた感触を思い出し、呼吸器官が存在しないプレッシャーにもがき苦しんでいた。
 溺れていた。鼻が反射的に空気を求めて収縮しても、冷酷に流れ込んできたのが水だった。

 パニックに陥るまでに数秒とかからなかった。それからどんな行動をとったのかは詳細におぼえていないが、冷静に対処できていなかったのは間違いない。
 ――直前までの自分に、湖に入る気はなかったはずだ。
 水着は持参していたし、折を見て親の監督のもとに泳ぐつもりはあったのだと思う。でもあれは、そういった意識的に取り組む遊びとはかけ離れた出来事だった。

 溺れた時の記憶は、親に聞かされた話も合わせて、もともと断片的に持っていた。
 欠けているのは、前後である。

(服を着たまま、湖に「落ちた」の?)
 不慮の事故が原因で、今現在に及ぶほどの水泳への苦手意識を植え付けられたというのか。
(でも怖かった。死ぬほど怖かったな、あの時)
 湖の中は緑色によどんで、ほの暗かった。他に何を見たのか――否、その前に、どうして落ちたのか――

 縁におかしなものを見た気がする。黄金色、そうだ、あれは金色だった。たまに雑誌やニュースで観る黄色っぽいものではなく、体中に砂金がひっついているみたいな黄金に光り輝く表面をしていた。
 そこからして既におかしい。水底や岩陰にいるはずのナマズが水面にあがってきたのも、派手な金色をしていたのも不自然だ。言わずもがな、幼い唯美子を丸呑みできそうな大きさであったのもだ。

 けれど最も異様だったのは、見た後のことだ。その魚は巨大なひげを震わせたのだった。まるで伝えたい言葉があるように。案の定、「言葉」が唯美子の神経に届いた。
 ――新たな水の精が現れたんだってぇな。ニンゲンの小娘に取り入って、この近くに住み着いたってぇ話だ。

 ――いまおさかなさんがしゃべったの? みずのせーってなあに?
 ――むすめっこ、おめぇに恨みはねぇ。けどな、ここは昔からおらのナワバリだってぇんだ、勝手な真似されちゃあ困るんでぇ。

 ぽくっ。
 腕にそれが噛みついた音はどこか間が抜けていて、けれども腕が訴えた鋭い痛みが、ことの重大さを知らしめた。悲鳴を上げられるより早く、引きずり込まれた。
 そこから先は、悪夢だった。湖の中心まで連れ込まれ、しかも死なないように時折息継ぎをさせてもらえたのだ。人の目の届かない絶妙な加減で、時折水中に潜ったりなどして。

(あれ? 息をさせて「もらえた」って)
 どうやらあの獣には人質を取るという知恵があったようだ。そうしているうちに溺れて失神したのだろうか。
(ううん、まだある。まだ、思い出せる……)
 欠落した記憶の隙間を飛び越えて。ひとつ、ちらつく場面があった。

 三日月のように反り返り、ぐったりとした黄金色の巨大ナマズ。
 周囲の水に暗く淀んだ帯のようなものがひらひらと舞い広がるさまはひどく不吉で。臓腑をかき乱されたような、気分の悪さが付いて回った。
(血――!?)
 本当に忘れねばならなかったのは果たして何であったのか。じわじわと体力を奪われながら溺れた体験でも、怪物にさらわれたという異常事態でも、なかった。

 己を上回る体格の生き物にまったくひるまず噛みつき、顎の後方に生えた牙で獲物を毒して撃沈させられる化け物がいた。これまた異様に大きく、深緑と黄色の鱗に覆われていた。長くてうねうねしているだけでも唯美子には気持ち悪いのに、胴体には四本の短い足がついていた。
 水中を伝って耳朶に届いた音は、残虐極まりなかったように記憶している。ただの、思い込みかもしれないが。

(全長十メートル……! じゃあ、あれは!)
 ――あの黒く無感動そうな双眸の主は――。
 喰われた加害者《ナマズ》を、かわいそうに感じるべきかどうかはわからない。助けてもらったとはいえ、ナガメの所業を咎めるべきかどうかもわからない。縄張りを侵されていると他者が感じないように事前に防ぐ手もあっただろうに。

(気持ち悪い)
 目を見開き、口元を両手で抑えた。隣の青年は解せないものを見るように訊ねた。
「ものほしそうにこっち見てるけど、どした?」
「物欲しそうじゃなくて、助けてほしいんだよ……!」
「助けてって?」

「た、体調悪いの。見てわからない」
「体温上がってるなー、はわかる」
 彼は背中をさすってくれるわけでも、自販機から飲み物を買ってきてくれるわけでも、手を握ってくれるわけでもなかった。なるほど確かに、労わり方がわからないようだ。
「も、いい……少し静かにしてれば治まるよ」

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12:04:07 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-3. b
2018 / 08 / 12 ( Sun )


 ――次の週は家族旅行に出かけるから絶対に出て来るな。
 そのようにひよりに強く釘をさされ、ミズチはひたすら不満を垂れた。縁側で月明かりに佇む彼女に向かって「なんでー」を連呼する。

「なんでも何もないだろ。家族水入らずの時間に邪魔をされたらたまらないからね。息子と由梨さんはめったに休暇が重ならないんだ。ゆみがかわいいなら、時には距離を置くのも大事だよ」 
 えーあいつらの都合なんて知らんし、とミズチは常のように中庭の芝生の上にあお向けになった。

「絶対について来るんじゃないよ。ただでさえ『枠をはみ出た』おまえさんたちは、幽霊みたいなところがあるんだから」
「ゆーれい? おいらは実体あるぜ」
「じゃなくてね。話題にしたり意識するだけで、呼び寄せちゃうってとこさ」
 ひよりはそう言って、肩にかかる髪をわずらわしそうに払う。

 ミズチは反論できなくて唸った。思い浮かべるだけで縁ができてしまうものと論じるならそれは何も「獣」や幽霊に限った話ではないが、自分たちのような曖昧な存在は、割合それが強く反映されるようではある。
 これと言って、思念を受信したから近寄っているつもりはないのだが。

「ゆみに聞いてないだろ。おまえさんと出会ってからは、ひとりの時でも『変な生き物』を見るようになったそうだよ。目の前を横切ったカブトムシに猫みたいな毛むくじゃらの尻尾がついてたり、下校中に、神話のキメラみたいな大きな影が横を通り過ぎたりとね」
「それがどーしたんだ? いるからみえるんだろ」

「どうしたんだ、だって!? そんなものに何度も出くわして、幼い子の手に負えるわけがないじゃないか。次はもっと危ないものが近付いたらどうするんだい。頭が追いつかないうちは驚いているだけで済むけど、いずれはその場に凍り付くような恐怖にかわる。おまえさんの恐ろしさにも、気づくだろうよ」

 逆さで見る女の面貌は、表情は、大真面目だった。
 ミズチにはひよりの言っている意味が半分ほども伝わらなかった。他の獣にならともかく、唯美子に恐ろしがられる筋合いはないはずだが……。

「いいじゃんか、ゆみはおいらがまもる。そう約束したんだ」
「心意気はじゅうぶんだがね。上位個体に、か弱い生物が守れるかい? 眷属じゃないんだよ、傍にいたっておまえさんの強靭な生命力にあやかることはできないんだ」
 ならば彼女を自身の眷属に迎えれば解決するのではないか――脳裏に一瞬ひらめいた考えを、どこかへ追いやる。前例のない話ではなかったが、それはミズチの望むところではなかった。

「っかー! ねちねちうるさいな。わーったよ、行かなきゃいいんだろ、いかなきゃ」
 結局、保護者の意思に従うことに決める。
「それでよし」
 漆原ひよりは我が意を得たりと胸の前で腕を組んだ。

     *

「待って。まって、ナガメ、わたしその旅行のこと……思い出せそう」
 公園のベンチの上で上体を折り曲げ、深呼吸する。
 例によって話半ばに制止を呼びかけるのは不本意だったが、唯美子は己の埋もれた記憶をもっと精力的に呼び覚ましたかった。むしろ今までこのエピソードが意識に挙がってこなかったのも、亡き祖母の術が未だに効いているからだろうか。

 あれはそう、夏休みの終わりの方にキャンプに行ったのだった。ナガメの話にあった通り、会社勤めの父と看護師である母が休暇を揃えてくれたのである。
 そこで何かが起きた。ここまでは、淀みなく思い出せた。

 しかしここから先は、思い出していいのだろうか。言いしれない不安が喉の奥から立ち上る。
 キャンプ場の敷地内には湖があった。ほとりでバーベキューセットを組み立てる父母や、珍しく洋服に身を包んだ祖母の姿も思い浮かべられる。祖父はどうしても外せない用事があって来なかったはずで、叔父など他の親戚は、父と仲が良くなかったため誘われなかったように思う。

「……あのね、想像から訊いてもいい?」
 スッと背筋を伸ばして座り直した。
「おう」
 隣の青年はベンチの肘かけに頬杖ついて静かにこちらを見つめている。頭上の枝葉の揺れに合わせて、頬に落ちた影が踊った。率直にそれをきれいだと思った。

「意識するだけできみたちが寄ってくるのと、わたしに厄が寄ってくる作用が合わさって、何かとんでもないことが起きたのかな」
 具体的には、そうだ。
 たとえば二度と泳げなくなるまでに溺れたとか。たとえば祖母が唯美子の記憶を一部封じなければ生きようがないと判断するまでの恐ろしいことがあったとか。そして――

「わたしたちが一緒に遊んだのって、たったひと夏の間だったんだね。きみと会わなくなったのもこの家族旅行が境目」
「当たらずとも、遠からず」いつしか感情の抜け落ちた顔になっていたナガメは、そう話を遮った。「黄金色の巨大ナマズって言えば思い出すか?」

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07:05:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2018年7月に読んだ本まとめ
2018 / 08 / 09 ( Thu )
漫画が多いな。読むスピードが全然違うからなw
そう考えると、何時間も何日何か月何年もかけて読む小説は不思議よの。



7月の読書メーター

読んだ本の数:7
読んだページ数:1652
ナイス数:58

殺し愛 (1) (MFコミックス ジーンシリーズ)殺し愛 (1) (MFコミックス ジーンシリーズ)感想
以前から名前だけ知ってたけどウェブ漫画総選挙で試し読みして、クリティカルヒットだったため勢いで全巻購入。控えめに言って最高。危うい駆け引きと距離感の男女が好きな人には絶対に萌える。続刊が楽しみすぎて、これから幾度となく読み返すことだろう。
読了日:07月26日 著者:Fe
イサック(4) (アフタヌーンKC)イサック(4) (アフタヌーンKC)感想
三巻を読んでからしばらく経ってたから人物の相関がちょっと思い出せない…読み返さねば…ゼッタの射撃センスが冴えててうれしい。れんぞーさんのぶっ飛び具合はなぜか逆に安心できた。それにしても、毎度いいところで終わりおる(*´Д`)
読了日:07月22日 著者:DOUBLEーS
遺跡発掘師は笑わない 元寇船の紡ぐ夢 (角川文庫)遺跡発掘師は笑わない 元寇船の紡ぐ夢 (角川文庫)感想
毎度まいど大事件に巻き込まれ過ぎではないかw ツッコミどころは多いけど、今までなかったチームの団結が気分よかった。オークションも面白かった。野郎同士が随所でなかよくしすぎ…いや、何も言うまい。今回、忍ちゃんと黒木が一番輝いてた気がする。続刊どうしようかなぁ、ちょっと興味薄れてきたな…。
読了日:07月16日 著者:桑原 水菜
しゃばけ (新潮文庫)しゃばけ (新潮文庫)感想
スロースターター…? 最初のシーンで、おっ! と引き込まれたのに、日常パートに中だるみを感じなくもない。でも最後はきれいにまとまってて、伏線漏れもなくよくできた物語だと思ったよ。仁吉佐助の活躍が足りない気はしたけど。
読了日:07月13日 著者:畠中 恵
双亡亭壊すべし 1 (少年サンデーコミックス)双亡亭壊すべし 1 (少年サンデーコミックス)感想
この屋敷は一体なんなのだ… 藤田先生の作品はこのわけわからない謎の絡み合いが徐々に晴れていく時の「そうだったのか!」が好き。青一君を見ているだけでも面白い。今後も楽しみである。
読了日:07月10日 著者:藤田 和日郎
水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)感想
ラストシーンがこの物語の狂気…。本作は本格を謳うだけあって、細かい。ヒントも多かったし、過去の事件の犯人と共犯者には割と早い段階で気付いたけど、実行するためのトリックや全体像はおそらく半分も掴めていなかった。一人称パートに感じていた違和感をもっと追究すべきだったか。私は普段あまりミステリを読まない(=必ずしも推理をしながら読んでいるわけではない)のだが、このシリーズは気に入った。
読了日:07月05日 著者:綾辻 行人
ケロケロちゃいむ 全5巻完結(りぼんマスコットコミックス ) [マーケットプレイス コミックセット]ケロケロちゃいむ 全5巻完結(りぼんマスコットコミックス ) [マーケットプレイス コミックセット]感想
電子でみつけて再読。やっぱり面白い。私の中では立川恵のタカマガハラと並んで、少女漫画旅ファンタジーの原点って感じ。衣装とか小物がかわいいし、アオちゃんが後日談で素直に笑ってるのが◎ 本誌で読んだ当時はマホラの話が結構怖かったな…。
読了日:07月02日 著者:藤田 まぐろ

読書メーター

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01:30:38 | 読書 | コメント(0) | page top↑
2-3. a
2018 / 08 / 05 ( Sun )
 帰りの電車の中は思いのほか静かで、端の席にてゆっくりと休息ができた。車両にいる他の人と言えば気持ちよさそうに居眠りしている女性と、動画でも観ているのだろうか、イヤホンをして真剣に横向きのスマホに見入っている男子高生だけである。

 電車の進みは荒っぽくてうるさい。
 隣の青年が物珍しそうに窓の外を眺めていたのは数秒のことで、今では別の場所に意識が集中している。腕の傷はほぼ癒えていたが、気持ちだけ、唯美子はハンカチを巻いてあげたのだった。
 ナガメはそれが気になるようで、結び目を逆の手で弄ったりしながら、話を切り出した。

 厄寄せとは――唯美子が周りの厄を一身に寄せる代わりに場が清まることを言うらしい。厄は形を持ってしまった人の悪意だったり、怪奇現象だったり、単なる不運だったりもする。
 先天的にして、似た傾向を持った親戚は他に確認されていないものだ。
 そこで早々に唯美子は口を挟んだ。

「でもわたしじゃなくて、わたしの周りの人の方がよく危ない目に遭ってた気がするよ?」
「んー、それは解釈の幅っつーか。ゆみに集まろうとした厄が途中で誰かに飛び移ってたみたいな。局所で気絶したり忘れてるだけで、周りじゃなくてお前が一番やばいもんを負わされてたと思うぜ。ひとりの時は他の誰かに移りようがないし。一部はひよりや俺が弾いてたけど」

「そうだったの」
 信じられない、と口の中で呟く。友達が次々と逃げていったのは自分以外の皆が被害を受けたからだと思い込んでいた。ひとりだけ無事だったら、自然と不運はその者のせいにされるのだから。
「ほら、ストーカー男はゆみを変に恨んだだろ」
「理由はあったよ?」

「きっかけはあっても、厄寄せの効果も確かにあった。『寂しそうなマキの相手をした』ってだけなら、省エネ版の俺もその場にいたし」
 そういえばそうだ、と唯美子は納得した。
 がたんごとん。電車がひときわ大きく揺れてから、車掌が次の駅のアナウンスをする。あと数分すれば降りる駅に着く。
「たとえばゆみがおぼえてる子供時代と、吉岡由梨がおぼえてるゆみの子供時代は、だいぶ毛色が違うんじゃねーのか」
 母の名が挙がったので、唯美子は今朝の高級煎茶を飲んでいた時の会話に思考を馳せる。


「お母さんはどうして、わたしがナガメと遊ぶのにそんなに猛反対したの」
「さっきも言ったでしょう。あんな化け物、危険だからよ」
 言葉の内容とは裏腹に、母はどこか歯切れが悪そうに視線を逸らす。
「わたしは、あの子に何度か助けられた記憶もあるけど……」

 それには反応せず、母はお茶を黙々とすすり煎餅をかじる。
 ふと不思議に思う。この人はどこまで知って、どこまで気付いていたのだろうか。祖母と一緒になって、唯美子に隠し事をしていたのだろうか。守るための嘘だったとしても、大人になった今、問い質さねばなるまい。

「お母さんにもおばあちゃんみたいな特別な力、ある?」
「いいえ。漆原――あなたのお父さんも、ひよりさんの才能は受け継がなかったみたい」
「そっか……」
「いいこと? あなたもよ。あなたも、ひよりさんの『才能』を継いでいないわ。つまり多少の変なものが見えても、最悪関わってしまっても、それをどうにかする力も、自分の身を守る力も無いの。それだけはわかってちょうだい」
 こぽぽ。母が急須から湯飲みに茶を注ぐと、微かな湯気が立ち上る。
 そのはかなげな白さを見つめながら、唯美子は近しい家族の真摯な警告を吟味していた。


 ――まもなく〇△、お出口は右側です――
 駅名にハッとなる。降りるよとナガメに目配せすると、彼は既に立ち上がっていた。
 エスカレーターに乗っている間、ポケットから電子音がした。スマホを確認すると、母からのチャットが来ていた。駅から徒歩圏内のデニ〇ズで夕飯にしないかとのことだ。

「い、い、よ、と……お母さんと落ち合うまでまだ時間あるし、公園でもう少し話してかない?」
「おー」
 ナガメが顎が外れそうなほどに大きくあくびをしている。
 なんとなく蛇は夜行性と決めつけていた。この数か月間を振り返ってみると、昼行性かもしれないし、彼はあまり規則的に活動していないようだった。夜行性だとすれば瞳孔が縦長になっているところは見たことがないけれど――

「栗皮ちゃんの人型、眼だけ虫っぽさがあったね。ナガメは擬態でそういう失敗やらかしたりしないの」
「なくもない、っつーか、メインのコレと子供モード以外に変化する時は俺も大体あんな精度になるぜ」
 公園が見えて来た。サッカーボールを追いかける小学生くらいの集団を通り過ぎて、座れるところを探す。
「他の姿もあるの? すごいな。きみが非常識な存在なんだって忘れてたよ」
「まーな。ゆみが聞きたい――思い出したいのって、その先だろ」
 ベンチに腰を下ろすなり、「昔、こんなことがあってな」と彼は語り出した。

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06:33:43 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-2. f
2018 / 07 / 30 ( Mon )
「あの姿だと出ないって言った。この姿は、別」
「とにかく手当てしようよ」
 嘆息して、唯美子は傷口を検《あらた》める。
 三、四センチほど一直線に切れていて結構深そうだ。皮膚が開けた奥から赤い液体が沸き上がっては草の上にぽたぽたとこぼれる。血が苦手ということはないが、じっと見ていると吐き気を催しそうになる。

「ほっといてもふさがるって。敬意を払いたくて、付けたオプションだから」
 腕を奪い返されたはずみで唯美子の爪先が切り傷をかする。瞬間、ナガメは目を眇めて小さく舌打ちした。
「痛いの?」
 質問しても応答は返らない。

(爬虫類って痛覚あったっけ。凝固、するのかな)
 なんとなく彼に血が流れているのだとしたら青か紫色ではないかと思い込んでいた。知らない間に「化け物」という単語にイメージが引っ張られていたのかもしれない。
 蛇に痛覚があっても、果たして蛟ならどうか。まったくの未知だ。だが実際に、傷口は塞がりつつある。

「ありがとうそしてごめんなさい、私のせいで。ゆみこにも迷惑かけるわね」
 傍に立った真希が気まずそうに覗き込んだ。それぞれ「お構いなくー」「気にしないで」と答えた。何かで縛っときましょう、と言って彼女は自らのハンドバッグを漁る。

「ハンカチハンカチ――あ、ねえ。姿がどうとか言ってたのって何の話?」
 唯美子は生唾を呑んだ。うかつだった。動転していて、会話を聞かれる可能性にまで気が回らなかったのだ。
 冷や汗が滲み出る。いきなりの追究、かわせるうまい言葉が思い浮かばない。

 そもそもナガメは己の本性を隠すのにどれほど重きを置いているのか。常に人型に擬態しているものの、要所での態度からはあまり誤魔化す意が無いようにも思う。怪我が超回復しているところもきっと見られている。
 青年を見上げ、表情を窺ってみた。
 彼はにっこり笑って、傷を負っていない方の手をズボンのポケットに入れた。

 しゅり――紙が擦れる微かな音がする。
 次の瞬間、感電したような衝撃を受けた。ナガメがポケットから取り出した長方形の白い紙に、得体のしれない既視感をおぼえたからだ。
 紙は鋭い動きで視界を横切り、真希の額に当てられた。

(わたし、あれ、あのお札を、知ってる)
 札の紙部分が粒子となって霧散する。宙に残った部分、札に描かれた紋様が、額の中へと吸い込まれていった。直後、友人は眠そうに瞬いてその場にへたり込んだ。

 目の錯覚でなければ、今のは何かの術式だ。かつて見た光景と一致するため、理解が及ぶのが早かった。
 都合の悪い情報を対象から抜き取ったり封印する類の呪術だ。
 ナガメがニヤリと笑って口を開いた。

『――その記憶は無い方がいい』
 異なる声音が二つぴったりと重なる。
 無意識に舌から転がり落ちた台詞だった。見えない余韻を辿るように、唯美子は己の唇に指を触れる。
「思い出したんだな」
 背を向けたままで彼は低く呟いた。

「前にもこんなこと、あったんだね」
 知りたい、でも知りたくない。相反した気持ちを処理できずに言葉がわなないた。
「さー」
「どうして濁すの。ほんとは、どっち? きみがわたしを巻き込んでしまうの、それともわたしがきみを巻き込んでいるの」
 大げさな嘆息。振り向いた横顔、その瞳に黄色い環が浮かんでは消えた。

「聞かない方がいいんだけどなー」
「おしえて。おねがい。ナガメはわたしのききたいことに、答えてくれるんじゃなかったの」
 唯美子は頑なに引き下がらなかった。
「わたしの昔の記憶も、きみがそうやって消したの」
 瞬時に失言だと気付いたが、取り消せない。

 赤い舌がちろちろと口腔を出入りする。
 険しい表情と形容するのは違う気がした。表情を、つくっていない。世にあふれる変温動物のそれと似た、冷たい印象を受ける。
 再会してから今日まで、これほどに無表情な彼を見たことがない。

「何か勘違いしてるな。お前の記憶を封じたのも、その判断をしたのも、間違いなく、ひよりだ。俺は、忘れてほしいなんて一瞬も思ったことはない」
「…………うん。そうだよね。ごめんなさい」

 ナガメは地面の男性を肩に担ぎ上げ、真希の腕を掴んで無理やり立たせていた。慌てて唯美子も手伝いに行く。呆然としている真希に軽く肩を貸した。
 交番に向かって歩き出す。

「さっきのな、聞かない方がいいんだけど、どうせ手遅れだよな。端的に言えば『両方』だ」
 しばらくして、ナガメが切り出した。
「巻き込んで巻き込まれて、ってこと?」
「そ。まず、ひよりは『厄寄せ』って呼んでた。ゆみが持って生まれた体質だってさ」
 彼はいつもの調子で笑い、側切歯がひとつ欠けた笑顔を見せた。




普通の生き物のスペックに敬意を払いたい超越者。でもそれは弱きを助けるつもりはなく。
ノブレスオブリージェとかではないw

側切歯!

3話もお付き合いいただけると幸いです。

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22:44:46 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-2. e
2018 / 07 / 28 ( Sat )
「よくやった栗皮」
 振ってかかった声に唯美子は「やっぱり」と額を押さえる。ナガメがのんびりと河川敷を下りて来た。
「きみが変化できるなら、きみの仲間もできると考えるべきだったね」
「精度が低いけどな。ほらこの服、本物の布じゃねーぜ」
 ナガメが我が物顔で少女の袖を引っ張ると、それは奇妙な伸縮性を見せて、伸びるほどに色素が薄くなっていった。布というよりは皮膚に見えなくもない。

「あるじ。もっとほめて」
 男の背を膝で抑えつけたまま、かわいらしい声でねだる少女。声がかわいくても片目複眼の恐ろしさは相変わらずである。
(喋ったー!?)
 唯美子は驚愕したが、顔に出さないよう頑張った。

「おー、すごいすごい。よくゆみを守ってくれたな。変化も前よりできてるぜ」
「えへん」
 ナガメに頭を撫でられて、栗皮少女は大変にうれしそうだ。そこでもやはり、黒光りする複眼だけが表情にそぐわない。
「この虫の目は課題だなー。もういいぜ、戻っても」

 主人のひと言が引き金となったのか、栗皮少女の輪郭が瞬時に揺らいで、その場に崩れた。崩れた跡には抜け殻のようなものが残り、やがてそれも解け落ちた。精度と引き換えに、速く変容できるのだろうか。

 一匹の茶色のトンボが飛び上がり、青い方のトンボと合流する。二匹はナガメが差し出した手の甲にそっと降り立った。何故か、さまになる。
 背にのった少女の体重がなくなっても、男性は草に突っ伏して動かない。気絶しているのか、戦意喪失しているのかは不明だ。

「ミズチさん、足はっやっ……!」
 そこに真希が駆けつけた。ずいぶんと息が荒い。
 彼女にはミズチと名乗ったのかと、唯美子はひそかに安堵した。
「おまえが遅いんだろ、じゃなくてその靴が走りにくいからじゃん」

「わかってるわよそんなこと――あら? その人」
 見覚えがあるのか、真希は眉間に皺を刻みながら、地面に伏した男性をどこで見たのか懸命に思い出そうとする。バッグを手首からぶらんとさげてしゃがみ込み、しばらく唸った。
「真希ちゃんの知ってる人なの」

「なんだろね。それなりに頻繁に見てるような、日常的な風景にいるような――あっ」ぱん! と膝を叩き、素早く立ち上がる。「思い出したわ。あなた、自動販売機を補充してる人じゃないの」
 むくり。胡乱な目をした男性が頭を起こす。背筋が凍るようなまなざしだったが、気付いていないのか、なんでもなさそうに真希が話しかける。

「そうよね。たまにすれ違いざまに挨拶したと思うわ。おぼえてるかしら」
「……ぼえ……る」
「え、なに? 聞こえない」
 真希に訊き返されて、男性は言葉をうまく紡げずに赤面し、目を泳がせる。
「はっきり言ってほしいわね。だいたい何でそんな姿勢にされてんの。まさか……この人が『視線』のもとだったワケ? ゆみこ、何かされたの?」
 射貫くような視線を向けられ、今度は唯美子がどもった。

「え、っと……」
 それだけで察したらしい、友人は激怒して怒鳴る。
「サイッテー! なんてことしてくれてんのよ! 軽蔑するし、警察も呼ばせてもらうわね」
 一切の躊躇なくスマホを取り出した。
 刹那、冷徹な煌きが視界に入った。

 ――刃物!?
 男性が腕を振り上げて飛び上がる。
「おまえのせいで嫌われた! おまえが悪い! つまらない日常にやっとみつけた癒しだったのに! 唯一笑いかけてくれた天使と近付けるチャンスだったのに!」

 刃先が下りてくる――!
 その場に凍り付いて動けない。だが唯美子と男性の間に黒いものが割り込んだ。シワ加工の施されたシャツ、すなわちナガメの背中だ。

「いみわかんね。逆恨みってやつじゃねーの」
 ザシュ、っと耳慣れない音がした。赤い飛沫が飛ぶ――
(え、え)
 呆気に取られたこと数秒、その間にナガメはものの見事に男性を捻じ伏せてみせた。そして、首の後ろを強く殴りつけて気絶させた。

(言ったのに)
 視線の先が一点に吸い付いて離れない。
 青年の前腕を滴るそれは、鮮血ではないのか。唯美子はわなわなと震える手を伸ばし、勢いよく腕をひったくった。
「うぉ。なんだなんだ」
「――血は出ないって言ったのに!」

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12:07:50 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-2. d
2018 / 07 / 22 ( Sun )
「ゆみ、別れるふりして立ち去ってくれ。最低でもお互いの視界から消えるように、離れてな」
 彼はさりげなく近くを飛んでいる大きなトンボを一瞥する。貸してくれるという意図だろうか、栗皮色の雌が進み出た。
「……わかった」

 口先では了解を示し、しかしどこか釈然としない思いで踵を返す。またあとでねー、と手を振る真希が妙に楽しそうに見えた。
 歩道橋を下りて遊歩道を歩く道中、何度かさりげなく振り返ってみた。橋の上の二人は、「初対面」とは思えないほどに、朗らかに談笑している。

(何話してるんだろ)
 ふりだとわかってても変な気分だ。まずナガメが他の人間と関わっているところを滅多に見ない。手すりに背を預けて大笑いしているさまは、いつもの彼の、人類へ無関心そうにしているイメージとは結びつかなかった。
 羨ましいと思った。あそこにいる方が、自分はよかった。ストーカーをおびき寄せる作戦なら真希がひとりで立ち去っても効果があったのでは?

(ううん、だめ。真希ちゃんを危ない目に遭わせちゃ本末転倒だ)
 束の間の負の感情を振り払う。ナガメが人間との交友関係をひろげても、それは彼の勝手であって、唯美子には口出すいわれも独占する権利も当然ながらない。
 足し合わせてたった数ヶ月、構ってもらっただけの仲だ。彼がこれまでに過ごしてきたらしい数百年に関して、自分は何も知らない。

 元祖「善意を向けたくれた人間」についても――
 自転車に乗ったジャージ姿の男子高生数人とすれ違ったところで、我に返る。唯美子は現在地を確認した。

(失敗した。逆側に渡った方が建物の死角に入れたのに)
 こちらは河川敷に連なり、遮蔽物などちょうどいい隠れ場所がない。中途で方向転換するのは不自然だ、いっそのこと川辺まで降りようと歩を速める。小川は浅く、流れも遅々としているため、唯美子は問題なく近付くことができた。

「これだけ離れてればいいのかな、栗皮ちゃん」
 傍らを飛んでいたはずの茶色のトンボに問いかける。ところがナガメの僕《しもべ》だという虫の番《つがい》の片割れはそこにいなかった。
 羽音が聴こえなくなったのはいつからだったか、明確に思い起こせない。

「栗皮ちゃん?」
 周りを見回してもそれらしい影がみつからない。空中にも、草の上にも、水面の上にも。ナガメのところに戻ったのだろうか。
 とりあえず、ここからでは歩道橋が視界の中に入らないことを確かめた。二人の方からももう唯美子の姿は見えないだろう。後はナガメに任せて待つのみだ。

(ひまだなぁ。どこかに座って、電子書籍でも読もうかな)
 急いで家を出たため、じっくりと持ち物を整える余裕がなかった。小型リュックに入っている文庫本は、この前読み終わったきり未だに取り出していないものだ。
 草に覆われた斜面に腰を下ろす。吹き抜ける風が涼しい。

(そうだ、更新されてるかも)
 スマホを取り出し、漫画雑誌の公式サイトへアクセスしてみた。最新話が公開されたばかりの作品群の中に、いくつか追っている物語があった。可愛い動物が主役の日常系には、特に癒される。
 サムネイル画像にタップして、数ページほど夢中で読み進めたところで。

 画面に影がかかった。
 顔を上げると、見知らぬ人が立っていた。
 五十やそこらの小柄な男性、猫背で、表情もどこか卑屈そうな印象だ。何かの業者なのか青い制服を着ている。こんにちは、と唯美子は通常の挨拶をした。
 男性は応じなかった。細長い三角型の両目をこちらに合わせようともしない。

「あの、わたしに何かご用ですか?」
 努めて明るく問う。胃の底では、不吉な予感が渦巻きつつあった。男性の瞳が翳っていたからかもしれない。
「ず、ずるいぞ。おまえさえ来なければ、おれが……、おれだったのに」
「すみません。何を言ってるのかちょっと」
 わかりません、と続けられる前に飛びかかられた。

「はな、して! 誰か!」
 無我夢中で抵抗するも、男性はまったく怯まなかった。
「あの男は誰だあの男もじゃまだ。でもまずはおまえだおまえのせいだ」
 衝撃で頭がくらくらする。息苦しい。重い。こうしている間にも男性の呪詛のような言葉はどんどんうわずって速くなる。

「さびしそうにしてるかのじょをおれが慰めるはずだったおまえが来たからおまえが悪いおれのチャンスをせっかくのチャンスを」
 目が合った。戦慄した。
 日本人にありがちな、一見普通の茶色の双眸であった。怪しげな光を放つわけでも瞳孔がおかしいわけでもない、けれどもどうしてか狂気的な色を感じる。

 大声を出せば通行人が来るはずだ。声さえ出せば。頭ではわかっているのに、喉から音を出すことが叶わない。
 視界がぼやけていく――

 のしかかっていた重圧がフッと消えた。と同時に、鈍い衝突音がした。なんとかして起き上がると、小さな人影が男性を翻弄しているようだった。
 飛び蹴り、回し蹴り、肘落とし。さきほどまで唯美子を支配していた恐怖心も吹き飛ぶほどの鮮やかさだ。

(カンフーかな? かっこいい)
 ぐったりとなった男性の腕を背後に締め上げて、人影は満足そうに鼻を鳴らした。
 取り押さえたのはおかっぱ頭の少女のようだった。通りすがりの子供が格闘技の有段者(推定)とは、末恐ろしい世の中になったものだ。

「誰だか知りませんけどありがとうございま――うっ!?」
 振り返った少女の片目が複眼だったことに驚いて、お礼を最後まで言い切れなかった。よく見れば、顔や首の肌が不自然に滑らかそうで、白い蝋を彷彿させる。

(うう、わたしの子供の頃に似てる。なのにお人形さんみたいにきれい……ホラー感……)
 極めつけに服装は、膝丈の浴衣ときた。もしかしなくても、ナガメとの関係性を疑ってかかるべきであろう。

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08:06:20 | 小説 | コメント(0) | page top↑
α.5.
2018 / 07 / 19 ( Thu )
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 なだらかな丘陵を、鹿のつがいがのんびりとよぎっていく。方々から小鳥のさえずりが絶え間なく響いて、意識しきれないほど多くの生命が既に目覚めている事実を教えるようだった。
 雲間から漏れる太陽光に照らされ、点々と群生する野花が深緑の背景によく映えた。
 青空では、丸い練り菓子をかき集めたみたいなもこもことした雲が自由に泳いでいる。緩やかにぶつかり合って合体しては、また引き離される。
 美しい光景だ。絵本を彷彿させる、牧歌的な眺望であろう。
 木陰に佇んでいるアイヴォリは、ため息を漏らした。どうにも状況を心から楽しめないのである。
(肌に服がべたつく感じ、気持ち悪いわ。これでも裾を切ってもらったのに……着替えも風呂もなくて、ふたりはどうして平気なのかしら)
 明朝だというのに大気は既に熱をはらんでいて、しかも重く湿っていた。
 あまり多くの時間が過ぎていないと前提したうえで思い出すと、祖国マスリューナではちょうど冬に差し掛かっていたところだった。そうでなくとも、アイヴォリの知る夏季とは肌に届く感触が違う。聞けばこれから日々を追うごとにもっと暑く、もっと湿っぽくなるらしい。
 慣れないことだらけだ。
「アイヴォリよう、キノコ食うか?」
 別の樹の根元でしゃがんでいた青年が、大声で呼ばわる。彼の手には巨大な野生のキノコと思しき青い物体が握られていた。蛍光色の派手な青だ。とてもではないが、人が食せる物には見受けられない。
 背の半ばまでに届く長い髪が扇状に広がるほど、大げさに頭を振った。
「そか。気が変わったら言えよ、こっちで焼いてっから」
 返答の代わりにアイヴォリは作り笑いを浮かべた。暑いし食欲ないしで、あんな気持ち悪いものを食べたい気は全然しない。本音では、あの男となるべく関わりたくもない。
(うう、疲れた)
 次の村か町にはいつになれば着くのだろうか。徒歩での旅が始まって既に数日、一向に人里の気配に近付かない。
 地面に座るのが嫌なのだが、いつまでも立っているわけにもいかず、諦めて腰を下ろした。そこに黒髪を首の後ろでで縛ったアイリスがやってくる。手の平にのせた黄色い木の実を差し出してくれたので、いくつかもらい受けて口に含む。
 酸っぱい。黙って悶絶した。隣からアイリスの笑い声がする。
「この前採った果物は甘かったのに……」
「あはは、あれは日持ちしないからね。二日で食べ切ったでしょ。こっちは、非常食ってとこかな」そう言って、アイリスは残る木の実を巾着に詰めた。「今日は焼きキノコで腹ごしらえしてから、めいっぱい歩こうね」
「…………」
 青キノコから逃れられないのかと、知らず表情をこわばらせる。思えば、美味しかったのは最初のあのスープだけだ。ほんの少ししか持ち出せなかった調味料を節約して、あれからは味の薄い食事が続いている。
 王城での食事と比べると、毒見をしない分、食べ物はいつも熱すぎるくらいに温かい。その点は嬉しいが、どうしても貧相に思えてしまう。もともとあまり量を必要としないアイヴォリではあったが、自分は同じものを食べ続けていると早々に飽きてしまうのだということを新たに発見した。
 空腹を感じるのに、食欲がない。毎日歩き詰めで全身が痛くてだるい。なのに他のふたりは平然と、毎食同じような品並びでもいやな顔ひとつせずにガツガツと飲み込み、歩いても走っても疲労の色を見せずにひたすら元気そうだ。きっと自分が一緒でなければ、半分以下の日数で目的地に辿り着けたはずだ。
「ところでさー、アイヴォリってカジに対してゴミムシを見るような目をするわよね」
「ごみっ――そんなことない……よ」
 アイリスの突拍子のない話に狼狽する。
「即で否定できないのが証拠じゃん。触られたところを毎回払ってんのバレバレよ? まあ、本人は多分、汚いって思われてんだろうなって軽く流してるっぽいけど」
 返す言葉が見つからない。口をゆっくり開閉していると、アイリスはひとりでにしゃべり続けた。
「あんたがいいとこのおじょーさんなのはなんとなくわかるよ。ホントは悪いとも思ってなくて、下賤の者は『見下すのが当然』みたいな雰囲気するし。でもそれだけじゃあないわよね? あたしたちのことが、怖い?」
「私は……あの」
 図星であったため、やはり咄嗟に否定できなかった。あたふたしているアイヴォリに対し、アイリスはスッと目を細めた。この無遠慮に値踏みするようなまなざし、カジオンと同じだ。家族というのは仕草が似るものなのかとぼんやり考えた。
 口を開いても、言葉が出てこない。
 やがて、香ばしい匂いと共に「めーしー」と間延びした声がした。いまいくー、とアイリスがくるりと振り返り、陽気に答える。
 なんとなく、こんなところで会話を途切れさせたくない。手を伸ばした。アイリスの服は袖が無いので、チュニックの腹周りの結び紐を思わず掴んでほどいてしまった。
「ごめんなさい! いますぐ直すから!」
 そうは言ったものの、指先がもたついてうまく結べない。
「いいよ、自分でできるって。で、何?」
 目が合った。こうして向かい合うと、アイリスの方がわずかに上背があるんだとはっきりわかる。
 生まれ育った環境がどうあれ、こうして相対する彼女は、悪人に見えなかった。己と同じ顔だからそう思いたいだけかもしれないが……。
「あの、ね。最初に助けてもらった時、カジオンが略奪者の人を殺すのを見たの」
「ふーん」
 彼女の言葉を借りれば、「それが当然」と思っていそうな気のない相槌であった。
「その時の残像が目の奥にちらついて。うかつに近付けなくて、怖い……の。それでなくても私、男の人に……免疫……? なくて。傍にいられるのも顔を見るのも苦手で、それとあの人、口に恐ろしい傷痕が」
 なるべく顔を直視しないで日々を過ごしているが、それでもたまに目に入ったことがあった。唇の右端から上へ細く伸びて、頬骨に届くくらいに長い。
「きずあとぉ? ああ、唇のやつ。口裂けのお化けじゃないわよ。あれが何、なんかすごい闘いを生き延びたみたいに見えるとか?」
「え、そうじゃないの」
 怯えた声音で訊き返すと、アイリスは腹を抱えて爆笑した。息も切れ切れに「ぜんっぜんそういうんじゃないわ。しょーもなくアホな理由だから本人に訊いてみなよ」と言う。
 ――そんな風に言われてしまえば、気になるに決まっている。
 絶対無理だと思い込んでいた青キノコの秘めたる旨味に驚いている間、アイヴォリはずっと向かいの青年の口元が気になった。ついチラチラと目をやってしまい、犬歯が結構尖っているのだなという不要な情報まで拾うことになった。
「カジー、アイヴォリがあんたに訊きたいことあるってさ」
 ふと余計なひと言を発したのはアイリスだ。
「あん? なんだよ」
 黒い双眸に見つめられて、背筋がぞわっとした。咀嚼しきっていなかったキノコの破片をごくっと飲み込む。
 震えに耐えて、喉の奥に控える質問を吐き出してやる。
「その唇から伸びてる傷痕、どうやってついたのかなって」
「こんなんが気になんのか。大したアレじゃねーぞ」
「ね。ほら、教えてやりなよ」
「なんでか忘れたけど、ガキの頃に釣り針が引っかかってよ。まあガキだからよくわかってなくて、自分で引っこ抜こうとしたら、こう、がーっと」
 曲げた指の先で頬をなぞる。当時の様子を想像したアイヴォリは「ひっ」と声を漏らした。
「い、痛かったの」
「おぼえてねえな。失神して気がついたら周りすげー血だらけだったとしか」
「あとでめちゃくちゃ怒られたわよね。どうアイヴォリ、しょーもなかったでしょ」
「あはは……」
 ふたりは、過去の可笑しい思い出を語っているつもりのようだが、アイヴォリにはまるで理解できない。
(変な人たち)
 なるべく早く別れたいという気持ちに突かれ、急いで話題を切り替えた。
「ところでアイリス、カジオン。『鏡双子の金魚《リグレファルナ》』の伝説って、知ってる?」
 んー? とふたりは首を傾げる。
「初耳だな」
「あたしも聞いたことないけど」
 アイヴォリはいずまいを直してから、口を開いた。
「信じられないかもしれないけど、もしかしたらそれが、私たちが出会うことになった鍵ではないかと思うの」

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20:57:59 | 小説 | コメント(0) | page top↑
2-2. c
2018 / 07 / 14 ( Sat )
 会計を済ませ、おもむろに店を出た。外は曇り空で少し暗くなっている。
 人間観察がしたいと真希が言い出したので、先にある交差点へ向かい、歩道橋を上った。人が四人は並んで歩ける横幅がある。

 ここから不審者の気配を探れたらいいのにと思う。
 隣の真希は風にさらわれそうになる長い髪を片手で抑えながら、手すりに身を寄せ、楽しそうに地上の人の流れを観察している。当事者がリラックスできているなら、それでいいのだろう。

「どこかにイケメン落ちてないかなー。そんでこっちに都合よくひとめぼれしてくれないかな。ねえ、一緒に探してよ」
「そんな、落ちたお金を拾うみたいに。顔だけ良くても生活力が無かったらどうするの」
「よほどグレードの高いイケメンなら養ってもいいわ」
 冗談めかしているのかと思えば振り返った友人は真顔だ。絶対やめた方がいいよ、と言いたいところを、思い直した。

「この前とだいぶ意見が変わってるような……」
「だってさー! 疲れるじゃん、結婚を前提にしたお付き合いって。コレ! ってピンと来る相手がみつかれば別だけど。堅実で収入も安定してて更に顔が好みの男が選択肢にいないなら、せめて見た目だけでも好みの方がいいって。ゆみこも思うでしょ?」
 食い気味にまくしたてられた後に水を向けられて、唯美子は狼狽した。

「わたし? わたしは、うーん」
 今朝母に同じ話題を振られたのだと思い出し、あいまいに笑う。母にはそのうちお見合いするよと答えておいたのだが。本心では、独り身の方が気楽でいいじゃないかと思っている。
(子供は嫌いじゃないし、家庭を持ちたくないわけじゃないけど……)
 きっとなるようになる。少なくとも夏からは退屈していないので、急がなくてもいい気がしている。

「真希ちゃんがそれで幸せなら、いいと思うよ」
「思考放棄したみたいな結論ねえ。ゆみこは安定した将来の為なら心惹かれない相手と一緒になれる? さっきの映画の婚約者とかさ。あー、でもあの婚約者役も顔よかったし、たとえとしてはいまいちか」
 どうだろ、と唯美子は色あせた手すりを見つめる。

 安定した将来の為に誰かとゆっくり愛をはぐくんでみるか恋愛の為にすべてを捨てるかの二択なら、前者の方が性に合う気はする。では直感でダメそうな相手と、無理して一緒になるまでのことかと言うと、違うだろう。
 ――ほどよく末永くうまくやっていけそうなパートナーがいいな。でも見つからないなら見つからないままでも、いい。

「ねえ、あの人とか良くない!?」
 横から興奮の隠せていない小声がした。しきりに小脇をつつかれてもいる。
 どれ、と真希の目配せする先を追った。

 こちらに向かって歩いている、緑っぽいカーキ色のズボンの縁に右手をひっかけた青年を指しているらしい。身長は180センチ未満といったところか。シワ加工をされた黒いシャツの袖を肘までまくりあげ、ボタンを三個も外した首元からは褐色の素肌と胸筋が覗いている。まるでファッション誌から飛び出したような着こなし、悠然とした姿勢や歩き方が印象的だ。

 無造作に過ぎるボサボサの髪だが、もみあげを除けば長すぎず、本人が醸し出すワイルドさに似合っている。通った鼻筋、力強い顎のライン、やや厚めで滑らかそうな唇、いずれも彫りの深い東洋系の顔立ちを魅せてくれる。

(ん? もみあげ?)
 男性が上を仰いだ。斜めに流れる前髪の下から、濃い茶色の瞳が見上げる。
「なっ――」
 みなまで言う前に口を手で覆った。さすがに同じ名で呼べば、友人に不審がられる。
 青年の挑戦的な笑みが、とろけるような甘い笑顔に変わっていく。そんな表情もできたのかと驚いた。

(なんで大人の姿になってるの)
 思わず目を泳がせ、ついには逸らした。力になってくれるかなと期待して喫茶店の外に出たのは唯美子の方だが、予想外のアプローチである。  
「ねえちょっと、こっち来るんだけど」
「う、うん」
 どういうつもりだ。わからない。彼はいつも、何を考えているのかわからない。
 足音が近くで止まった。

「よ。そっちは、どーもハジメマシテ」
「……ゆみこの知り合い?」
 訊ねられてしまえば、精一杯に確答を避けることしかできなかった。いつ子供の方と似ていると気付かれるかヒヤヒヤする。

「ごめんね、今は説明を省かせて。信用できるとだけ言っておく」
 言ってておかしな気分になる。「ミズチ」を人間である自分たちが信用していいものか、真の意味では唯美子にも把握できていないというのに。
「いや説明してよ」

「お前を気にしてるやつがちょうどこっち見てるぜ」
 真希の詰問を、ナガメが遮った。
「えっ。どこ――」
 素早くナガメが真希の後頭部を抱え込み、動きを制する。突然のことに驚いて唯美子も心臓がドキリと跳ねた。

「自然にしてろ。いいか、あたかも親密そうに振るまうんだ」
「嫉妬させておびき出すってわけね」
「話が早くて助かる」
 二ッと唇の端を吊り上げて、青年は詰めていた距離を少し離した。

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03:38:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
α.4.
2018 / 07 / 10 ( Tue )
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今回文字数多めですが、会話割合も多いです。
この「地球」は、我々の地球よりも体積が二回りくらい小さい感じをイメージしてます。


 マスリューナ王国。
 国民の八割が生まれつき「元素魔法」を扱う素質を持っているという、この世界で唯一無二の在り様を誇る一大国家だ。優れた知識と魔法がもたらすアドバンテージにより、千年前には既にその権威を周囲に知らしめ、いつしか他国の方からこぞって交流を持とうと競い始めたほどである。あれからさらに数百年経って、世情は移ろい、現在ではマスリューナの影響力も以前ほどではなくなっているが。
 そういった情勢の副作用のひとつが、言語の統一だった。遠い世界の裏側の、国にすら発展していない地域にまで、かの大国の母語が浸透した次第だ。
 さて、魔法大国に住む民にとって、摩訶不思議な現象を引き起こす「魔法」とは、日常的で当たり前に生活に組み込まれているものである。
 では風聞のみを知る外の人間にとってはどうか。アイヴォリは今まさに、それを新たに発見しているところだった。
「マスリューナって! 呪文唱えるだけで大地を爆発させられる超ド級に変な奴らが住んでんでしょ? 人間の皮をかぶってるだけの化け物だって、血が紫色だって聞いたわよ!?」
「そんな噂があるの!? 私たちは人間で血が赤いよ! 魔法は使うけど!」
 ずいぶんな言われようだ。アイヴォリは涙目になって抗議した。
「つってもよ、いくらオレでも知ってっぞ、世界の裏側じゃねえか! バカにしてんのか!」
「してないわ! 本当に私はマスリューナにいたの! 生まれてから十六年間、首都を出たこともなかった!」
「箱入りかよ!」
「は、ハコイリの意味がわからない」
「言葉通りだろ、他にどんな意味があるってんだ」
「それがわからないって言ってるの!」
「箱に閉じ込められて大事に育てられたっつーんだろ、バカじゃねーの!」
「バカって『頭悪い』に代わる罵り文句だよね!? 『国』の意味も知らないあなたにだけは言われたくない! それと箱じゃないわ、王城だもん!」
「オマエ、城に住んでたんかよ!?」
「そうよ! 悪い!?」
 口を利くべき相手ではないとひそかに思っていたのが嘘みたいに、気が付けばお互いに肩で息をして怒鳴り合っていた。呼吸が苦しくなりしばし休戦していたら、横合いから、しばらく発言していないアイリスが手を伸ばした。
「まあまあ。脱線したわね。訊きたいことが一気に増えたけど、要するにアイヴォリは魔法でここまで来たってこと?」
 ――返答に窮した。
 色々な意味で、なんと言えばいいか、アイヴォリは言葉に詰まった。やむなく正直にそれを伝える。
「ごめんなさい……自分でもよくわからないの。頭ぐちゃぐちゃで。もうしわけないけど、あなたたちをどこまで信用していいものかも、わからない……」
 後半部分を聞いても、アイリスたちが気分を害することはなかった。隣の青年はただ肩を竦め、彼の右隣の少女は真っすぐな短髪を左右に揺らしながら、頭を振った。
「旧知の人間でも信用できるかは別問題だし、言葉の裏を疑うくらいでちょうどいいんじゃない。そっかあ、あなたでもどうなってるかわからないんじゃあたしらにはもっと意味不明よ」
「世界の裏側な、想像つかねーな。言葉通じてるだけでスゲーわ」
「ね。アイヴォリの知る魔法にそれっぽいのないの? 答えたかったらでいーわ」
「移動や転移ができる魔法はあるよ」
 現在この世で使用される「魔法」は二つの枠に分類される。
 まずは元素魔法。その名称が示唆する通り、四大元素――地、水、火、風――を意に添わせる方式の集大成だ。元素とは世の理の一部であり、人間の意識が媒体となって僅かに理を曲げることになる。
 そしてそれを捻って、長い距離を楽に移動することは可能だ。が、たとえば風に乗って飛ぶにしても、人体が耐えうる速度限界のようなものが存在するし、魔法は利用するにあたってさまざまな制限もかかる。マスリューナからスクリザフ山をひとっ飛びしようにも、遥か及ばない地点で力尽きるだろう。
 二つ目の分類――神聖魔法は、第五の幻の元素、創造の女神の分身と言われる精《エーテル》に呼びかけて奇跡を起こす力だ。元素魔法と違い、生まれ持った素質に頼らない分、厳しい戒律に従った生活を要する。戒律に従い正しく手順を踏めば理論上は誰にも使える。誰にも使えるその一方で、最も優れた神聖魔法の使い手は神官職に通ずる者ばかりとなる。
 そのような神聖魔法であれば、転移魔法により瞬間移動は可能――
 だが最も追究すべき問題は、方法そのものではない気がしてきた。
「できるかできないかより、誰が、何の為に、こんなことを。私を城から遠ざけて助けようとした人がいたとでも……」
 言いながらもずきりと胸の奥が痛んだ。全世界で最も優れた魔法の使い手の内に含まれる、女王と王配が計らったとは考えにくい。他の誰かの仕業であっても、上述のふたりを優先的に救うべきであった。
 思わず口元に手をやる。弾みで思い出してしまって、気分が悪い。人体は、裂かれればあんな風になる――帰らなければとあんなに切望していたのに、帰ったら息の根を止められるのではないかと、ドス黒い不安が頭の奥で渦巻いて広がった。
 ――今の私には行き場がない。誰も、助けてはくれない――!
「なあ、オレらんとこに現れる前のことなんもおぼえてねーのか?」
 カジオンの問いかけで、渦巻いていた黒い霧が薄まった。声のした方に顔を向けると、青年がじっと黒い視線をこちらに注いでいた。射すくめる鋭さではなく、観察しているような、値踏みしているような雰囲気だ。
 アイヴォリは咳払いをして、答えを探した。
「直前にものすごく眩しい光に包まれたのはおぼえてる。そっか、それが発動の印……」こうやって冷静に思い返せば、新しい発見があるかもしれない。頭を抱え込んで、懸命に記憶の糸を手繰った。「あれはそう、白い光だったから、きっと神聖魔法だったんだわ。使い手の意思と自然に連動する元素魔法と違って神聖魔法は意思を『示す』必要がある……でも誰かの詠唱を聴いた記憶がない。もしや紀文で? 玉座の大広間にそんな、書けるものなんてあったかしら。あの混乱の中で」
「おぉう、何言ってるかゼンゼンわっかんね」
「そっとしてあげようね。アイヴォリは声に出して考えをまとめるタイプかもよ」
「大広間……血が飛んで……」
 網膜に何かが閃いた。束の間の映像の再現だ。ひどく恐ろしく、吐き気のする光景だったが、耐えた。
「壁の方に。そうだわ、血しぶきがついて、その後に光……聖画が魔法発動の鍵だった? ううん、血がかかったのは玉座の背後を飾る女神の聖画じゃなくて横の――」
 腕にそっと触れるぬくもりと「おい、そのくらいにしたらどーだ。真っ青んなってるぞ」の呼びかけが遠く感じられる。
 ――流れるように長いひれと大きい目玉が美しい金魚が水彩絵の具で描かれていた、広間を飾る仕切り。
 金魚の絵より下、小さく文字が書かれていたのをおぼえている。あれはただの詩だと思っていたけれど、もしも、魔法を顕現する紀文だったとしたならば。
(そんな方式、聞いたことない)
 自分が知らないだけでは、存在しない確証たりえない。
(あの絵のモチーフとなった伝説は確か、訓話だった。なんてお話だったかしら……)
 ともかくも、もう少し熟考する時間が必要だ。
 ――彼らの傍で。
 青年の手をさりげなく払ってから、新たに話を切り出した。
「あの、アイリス、カジオン。ふたりはもう家に帰れないみたいだけど、これからどうするの?」
 遠慮がちに訊ねると、彼らは顔を見合わせ、軽い調子で答えた。
「なんとかして生きるぜ、他にどうしろってんだ」
「当たり前のことから答えてんじゃないわ、カジ。そうね、あたしたちだけで森で暮らすのも悪くないけど、やっぱり他に人間がいた方が便利ね。どっか次の村か町でも探すわ。あんたはどうすんの?」
 赤橙色の双眸が、まるで魂の奥まで見透かすように見つめる。その力強い輝きに気圧されて、アイヴォリはうなだれた。つくづく同じ顔なのが信じられない。
「……どうしたいか決められるまで、一緒にいてもいい?」
 消え入りそうな声で願う。
 さんざん心の中で彼らを見下ろしていながら、調子のいい頼みだとは思う。現状、他に縋れる相手がいないのだ。ひとりで森に残されたら明後日まで生きていけるはずがないことくらい、自覚の上だった。
 返事を待つ間、胃がきりきりと痛んだ。幸い、待たされたのは数秒程度だった。
「別にいんじゃね」
「あたしもさんせー」
「あ、ありがとう」
 拍子抜けするほど簡単に受け入れられた。

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