4-1. c
2023 / 11 / 01 ( Wed )
 そう言って断ったのに、目線を外したのと同時に、右手に指が絡まってきた。ぬるま湯に似た体温だったので、不意打ちだと少し冷たいとすら感じる。
 驚いて振り返った。
 ナガメが舌を出して悪戯っぽく笑っている。彼がよくやる、蛇のように舌をちろちろと動かす風にして。

「なあ。ゆみは、子供ほしいん」
 語尾の捻り方が曖昧で、質問なのかすぐにはわからなかった。動揺を悟られまいと視線を逸らす。
「どうだろ。好きだとは思うけど、ほしいかどうかはわからないよ。相手もいないし」
 なぜ動揺しているのか自分でもわからなくて、早口に続けた。

「お兄さんがね、家族がいるほうが人生に張り合いが出るみたいなこと言ってたな。あれ、張り合い? 潤いだったかな。わたしはコレって言える生きがいがあるわけでもないし、仕事も生活のためにしてるだけだし、平穏に生きられたらそれでいいかなって」
 言っているうちに、思い当たったものがあった。

 心の奥底では、厄寄せの性質から、周りに嫌われるのを恐れていたのかもしれない。祖母の術によって記憶を消されていた間も、他人と関わることに消極的だったように思う。
 子孫にこの性質は遺伝するだろうか。目にはっきりと見えない、来るかどうかもわからない厄災に怯える日々を、我が子が送らなければならないと思うとやりきれない。

(でも、わたしは)
 同年代の誰もが人生設計を進めているのにひとりだけ取り残された気分になる――のが、普通の感覚のはずだった。
 のんびりした性格だから、とか、まだ二十代で結婚を焦るには時間があるから、というのは違う気がした。

 今までにも増して家庭を持ちたいと強く願わなくなったのは、「死ぬまで一緒にいる」と言ったナニカが、手を繋いでくれているからではないか。寂しくなければ、退屈もしない。

 感謝している。話が迷走したけれど、これだけは伝えたいな、と思って立ち止まる。
 頭上から細かい振動の音がした。

 見上げると、青いトンボが旋回している。
「鉄紺」
 ナガメがトンボを呼ばわる声がどこか強張っていて、嫌な予感がした。

 青いトンボは主に語り掛けているみたいだが、唯美子にはもちろん聴こえない。
「いつまでに?」
 長い沈黙のあと、ナガメが静かに訊き返した。
 質問の答えをいつになく真剣な表情で聞いている。やがて右手に触れている指が、びくりと動いた。

「......わかった。今夜中に決めるって返しとけ」
 羽音が一瞬大きくなった。主の意図を受け取った僕は、そのまま上昇して遠ざかっていく。
 何の話だったのかと訊けずに、唯美子は足元に落ちている枯れ葉をしばらく見つめ続けた。

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