5.混乱と混乱 - b
2021 / 05 / 19 ( Wed ) 次々と空を切るナイフをゲズゥは弾いてみせた。鉄と鉄がぶつかる短い音が何度も響く。音ばかりで、凶器の影を認めることは、数度に一度くらいしかできない。 (水場なら星明かりを反射するはずなのに)伸び放題の水草や木々などの遮蔽物が多すぎるのか、沼の位置を知る術がない。闇の濃さは緩和されずに、辺りを、心すらをもじわじわと呑み込まんとする。 「さしずめ向こうの男は、貴様が囚われのその女を探し出すまでの時間を稼ごうとしていたのだろうが」 攻める手をまったく休めずに、敵が口を開いた。飛び道具は無数に持っているのか、尽きる予感がない。 「涙ぐましい話ではないか」 男の言葉には嘲笑が含まれていた。 「時間を稼いでいるのが私たちの方だとは考えないんですか。たとえば、町長さんが兵を連れて戻って来るまでの」 「一理あるな。報復も視野に入れるべきか。ならば、さっさとお前たちを始末してここを引き上げればいいだけの、話!」 ミスリアを狙ったらしいナイフを、ギリギリのところで大剣が防いだ。ガキン、と鋭い音と共に火花が散る。 (音……そうだわ、相手だって松明を持ってないんだから、私の声のした方を狙ったはず) 一方でゲズゥはしばらく声を発していないが、もともと的としては大きい。敵が適当に投擲していても当たりかねない、それだけで牽制になる。加えて、周囲が濡れているせいでどうやっても足音を立ててしまっている。だいたいの位置が知れてしまっても仕方ない―― 足音と水音からひらめくものがあった。ミスリアは足元を手探り、小石をいくつか拾い上げては投げた。 別段、誰かを狙っての行為ではない。むしろ人には当たらないように、低く、けれどもできるだけ遠く、石を一個ずつ飛ばしてみせた。 ミスリアの動きを怪訝に思った男が「小賢しい」と呟いた。無視した。なるべく計画的に、一度投げた場所を再びなぞらないように、左から右、手前から奥へと、小石を投げ続けた。この行動の意図を正しく理解する者はひとりだけでいい。 そうしていると、願った通りに彼は初めて「前」へ進み出た。 ゲズゥ・スディルは耳が良く、また、空間認識力と記憶力も良い方だ。小石の立てる音の具合から既に脳内に地面の図を構築できていることだろう。どこを踏めば水が浅く、どこならば深いのか。把握できたならば、これで防戦一方であった状況から脱せる。 彼は大胆に距離を詰めては横薙ぎに剣を振るった。実際の歩の進め方はかなり紆余曲折していたが、そこに迷いはなかった。 大きな鉄の塊が空気を裂く勢いを前に、ほとんどの人間は反射的に退くか避けるかするだろう。しかし男は懐から棒のようなものを取り出して、その一撃を仰け反りながらも半ばで受けた。 余った衝撃が発散し、男の髪を切り払う。 背を後ろに曲げた姿勢のまま、棒を放し、またナイフを繰り出した。 ゲズゥは避けなかった。男の持っていた棒を弾き飛ばした姿勢からさらに一回転して、斜め下へ剣を奔らせた。その際にさばききれなかったナイフは外套を裂いたが、肉に刺さるまでには至らなかったようだ。 今度は男は舌打ちしながら横へ跳んだ。近接戦闘への備えはしていなかったらしい。数度跳んでゲズゥの間合いから逃れ、嘆息した。 「まさかそんな方法で沼を攻略するとはな。だがさすがに逃げ道の確保にまでは至るまい、地道すぎるし、そもそも我々が妨害する」 男は大げさに両手を挙げた。まるで見計らったかのように、背後から二人の人影が歩み出た。一方は、何か大きなものを雑に引きずっている。 ぐったりとした様子のそれは成人男性に見えた。彼が何者なのかは、ゲズゥが動きを止めたことから、察しがついた。 「貴様らとこいつの間柄は知らんが、捨て置けないだろう? 回収にきてはどうだ」 やはり雑に、悪漢たちが男性を見せびらかすように引き上げた。 (なんて卑怯な連中なの) たとえばゲズゥが残る敵を全員倒せたなら、逃げ道云々は問題ではなくなっていた。朝を待って、日さえ昇れば、罠があろうと何だろうと安全な帰り道を選ぶのがぐっと簡単になる。魔物との乱闘で敵の数は減っているのだから、現実的な解決法と言えよう。 (けれどその人を盾にされたら、反撃しづらい) 自分は本当にもう祈ることしかできないのかと、ミスリアは歯噛みする。 これ以上悪くなりそうにない状況で、更に辺りに分厚い水滴が降り始めた。 「天まで貴様らを見放したようだな。大雨では、川辺を伝って町に戻る難易度も格段に高くなる」 こちらのあらゆる退路を見透かしていたのか、男は嫌味っぽく笑った。 「貴方は! ……楽しんでるんですか? お金を払われたからではなく、ただ人を追い詰めるという行為を」 たまらず、叫んだ。 瞬間、男の微笑が雷光に照らされる。 「むろん」 |
|