5. f.
2026 / 02 / 06 ( Fri )
(好きか嫌いかって言うと、好きじゃない寄りだと思うけど……顔に出てたなんて)
 最初の晩から、気を遣わせていたことになる。灰皿もいつの間にかコーヒーテーブルの上から消えていた。
 自宅なのに――。謝ろうと口を開いたシェリーを、これも先にリクターが制した。

「気にすんなって、これくらい。煙たいだろ。んじゃちょっと行ってくる」
 ――あのね! とシェリーは大声で呼び留めた。
「写真、見ててもいい?」
「……勝手にしろ」

 玄関扉がゆっくり軋みながら閉じた。その扉を数秒見つめてから、シェリーはビーフシチューの鍋に蓋をして火を弱め、そろりとリビングの棚に向かった。
 苦笑まじりとはいえオーケーが出たので、早速あの段ボール箱を手に取ってソファに腰を下ろす。枚数が多く、上から下まで順に見るのは大変そうだった。
 数枚ごとにまとめてめくっていく。

 景色や動物の写真が主で、人物がちゃんと映っているものは例の高校(ハイスクール)の頃の彼女を除いて、見当たらなかった。かと思えば、束の半ばくらいで女性がもう一人出てきた。
 こちらも過去の恋人だろうか――少し化粧が濃いめでアイシャドウの色が紫、その派手さがショートの黒髪に映えている。出るところが出ていて引っ込むところが引っ込んでいる体形の、肌色からしてヒスパニック系に見えた。顔つきや立ち方からして自信家っぽい。

(前の人とは違うタイプの美人さんだなぁ)
 あまりじっと眺めても劣等感に沈みそうなので、シェリーはめくり続けた。ポラロイド以外に、普通に現像された写真もある。

 それから廃墟の風景がたくさん出てきた。こんなところで撮って大丈夫なのだろうかとハラハラしながらも、物悲しい美しさに見入ってしまう。森林の写真も、靴が片方映ってたり、鳥や鹿を追っていたりと、視点が面白かった。これを撮った時の様子を想像すると、くすっと笑いが漏れた。

 時計の音と共に、穏やかな時間が過ぎていく。
 そのうちにひとつの考えが頭をもたげた。

(私にとってのあの人は……)
 アレクス・リクターは特別な、唯一無二の存在なのか。過去に共に過ごした二年とここ数日を足し合わせても、一緒にいたのは人生のほんの僅かな時間でしかない。互いに認識しているのは氷山の上部分、水面下にどんな本質が潜んでいるのか、計り知れない。

 シェリーが感じている愛着のような何かがまやかしだとしたら。
 たとえば彼が選びうる百人の男性の中の一人だったとしても、同じ気持ちでいられるだろうか。結局自分は他に男を、人間を知らない。好いた人と一線を越えるのは怖いはずなのに、そこまで気負っていないのは、異性への「好き」という感情に至っていないからだとしたら。

 母が死に、元々狭かった世界が閉ざされて、別の狭い世界に移ろうとしているだけではないのか。雛鳥が最初に目にした者を親と見定めるのと似た現象だったとしたら。
 ――この「好き」は実質、依存ではないのか。友達に向けていたはずの「好き」が孵る先は――?

 傷心中の隙に付け入ったようだと彼は言ったけれど、むしろこちらこそ傷心を癒さんと人肌を求めたとも言える。
 今後拒まれたら、どうなるのか。
 背筋がゾッと冷えた。と同時に、ある写真が目に入った。

 灯台だ。
 この州は巨大な湖に接しているため、古くからの灯台もいくつか残っていた。現代ではほとんどが使われておらず、取り壊されていなければ観光地化している。
 日中ではなく、夜で撮影したらしいのが印象的だ。
 写真の表面を指先でなぞった。

 全体的に映像が暗いが、陸の輪郭、灯台の白い外壁がちゃんと見てとれる。水面は荒々しく、風の強い夜に訪れたのは想像に難くない。シャッターが落ちた瞬間の空気の温度、波の音と水飛沫の感覚を想像した。
 辺りを照らして回転した光の、普遍的な心強さを想って、息が詰まった。

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