5. g.
2026 / 02 / 07 ( Sat ) どうしてこんなに心揺さぶられるのだろう。水辺でのレジャーは人並み以下にしか楽しんだことはないし、水路での貿易や軍事の歴史に興味を持ったことも、今までなかった。 扉が開閉する音で、短い白昼夢から醒めた。 タバコの残り香を纏って戻ってきた家主が、おそらくシェリーの泣きそうな顔に気付いたのだろう、視線だけで「大丈夫か」と訊ねてくる。 「このライトハウスの写真、好きだな。アレクスみたい」 目元に滲んだ余計な水分を手の甲で拭き取りながら、感想を述べた。 「は? 灯台に似てるだなんて、初めて言われたぞ。六フィート越えはそんな珍しくなくね」 「身長の話じゃないよ。うん、ごめんね、うまく説明できないや」 「……?」リクターは靴を脱いでソファまで歩み寄ってきた。「なんでライトハウス行ったんだっけな。眠れなくて徘徊してたっけ……こういうのってだいたい時代の流れで取り壊されるのに、ここのは文化財の保護協会が尽力して、なるべく元の状態で維持してるって話だったっけな」 「そうなんだ」 「行ってみたいのか」 彼はライトハウスの名を口にした。ここからは車を一時間走らせれば届く距離にある。シェリーもかつてはこの町が地元だったので名前は知っていたが、州内の灯台の中では比較的地味で、人気の集まらない箇所だ。過去にそこを訪れた記憶はなかった。 「……そのうちね」 胸中に芽生えたこのよくわからない感情は、まだ人に語れるものではなかった。 旨そうな匂いが室内に充満し、そろそろ昼食の時間になったところで、外では雪がしんしんと降り始めた。 「うぅわ、激うま。やるじゃん」 「えぇ、そんなに」 トマトビーフシチューを口にしたリクターが瞬時に絶賛したので、信じられない気持ちでシェリーもひと口、ライスに絡めて食べてみた。 本当に美味だった。肉はとろけるように柔らかく、トマトの酸味と旨味が絶妙で、塩味もちょうどよかった。これまでに幾度となく同じ料理を作ってきたはずなのに、まるで新発見をしたような心地である。 「すごい。このメニューをこんなに美味しくできたことっていまだかつてないよ」 「大げさだな」 「ほんとだもん。きっと、一緒に作ったからだね」 「そんなわけあるか」 「あるよ」 具体的な理由はないし、なくてもいいと思っている。 (美味しく食べてもらいたいって願いを込めたからかも、ね) キッチンカウンターで隣り合いながらの立ち食いスタイルなのに、スーパーで買ったピノノワールも相まって、不思議と特別感があった。 こんなにも食事を楽しめたのはいつぶりだろうか。ワイングラスの中の赤い液体をじっと見つめながら、思考に耽る。 楽しいと感じる度に、後ろめたさもあった。 この時期に、心を躍らせるのは不謹慎ではないか。母がまだ生きていれば、かつて住んでいた町を訪れることも、ましてや昔の知人と再会してこんな風に過ごすことも、無かったはずだ。 スプーンを持つ右手が、微かに震えた。 幸せになりたいだけ、なのに。きっと、ただそれだけなのに。急に、何もかもを過っている気がして、視界が滲んだ。 「――腕輪」 隣からもごもごとした一言を、投げかけられた。シェリーは必死に取り繕い、応じる。 「うん、何て」 「なんかトライバルな腕輪してるな。さっき買ったやつ?」 リクターが指さした先は、確かに先ほどの服飾店で手に入れたばかりの木製の腕輪だった。横幅があって見た目は分厚いながら、着け心地は軽い。鳥や踊る原住民のような絵柄が彫られている。 「こういうちょっとはっちゃけた感じのアクセサリー、実は十代の時に着けてみたかったんだ。おかしいよね」 照れ隠しに右手の腕に触れた。実をいうと少し家事の邪魔になってしまっていたが、左手には腕時計をしているので、こういう着け方に落ち着いたのである。 |
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