6. a.
2026 / 02 / 12 ( Thu ) 沈黙が永遠のように感じられた。 ワイングラスがサイドテーブルに下ろされるところまでをシェリーは見届けたが、いたたまれなくなって、俯いた。次いでソファクッションを抱きこんで顔を覆う。 (や、やっぱり「今のは忘れて」で、なかったことにしよう) ――男は好きでもない女とセックスはできても、キスはしたがらないのでは? 情報源は思い出せないが、そう言われていた気がする。いくらぽかぽかと酔ってきたとはいえ、付き合ってもいない男性に口づけをねだったのは間違いだった。 『真実の気持ち? 簡単だよ。知りたければ、キスをすればいいよ。火花が散って、相手との化学反応(ケミストリー)を感じたなら、あんたにとって『アリ』寄りってこと。色々考え込むのもいいけど、さっさと唇と唇を触れさせれば、結論が出るでしょ。ダメな奴は何も感じないっていうか、ただ気色悪いだけだよ』 ルームメイトがそう言っていたのを思い出したせいだ。 彼女の話を聞いた当時、まさかそんなわけがないと思っていたし、交際前の相手とのキスにかこつけるのはなかなか至難の業に思えたものだ。それで気が付けば現状に至ってしまったのだから、人生とはよくわからない。 化学反応なんて言われても「そう」だとどうやって確信が持てるのか。熱に浮かされて、最高の恋だなどと勘違いして、痛い目を見る人の話ばかりを、ずっとシェリーは聞いてきた。 「おい」 「ひいっ!?」 クッションがものすごい力で引っ張られている。しばらく抗ったが、破けても申し訳ないので、手の力を抜くしかなかった。 視界が明るくなる。 「言い逃げか、コラ」 「そんなつもりは」 シェリーは床にぽすんと気の抜ける音を立てて転がり落ちたクッションを目で追った。四角いので転がり方が一直線にならない。 その時、外でひと際うるさく、強風が吹いた。背筋を通り、心臓を冷やすような恐ろしい音だった。この建物は大丈夫だろうか、窓が割れる場合を想定して廊下に避難した方がいいのではないかと思考する。 雑念のせいか頬に触れた手に気付くのが遅れた。 ぐいと首の向きを変えられた。右に。やや上向きに。 反射的に目を閉じた。ほつれ毛と思しき何かが睫毛をくすぐったからである。 今までにない密度で、至近距離にいる男の香りを取り込んでしまう。 それから、触れた感触に驚いた。予想よりもずっと滑らかで柔らかいし、熱い。見た目では薄そうな唇をしているのに。比較して、自分の唇の分厚さを思って、シェリーは変な居心地の悪さを感じた。リップケアも怠っていたからカサカサで感触が悪いはずだ。 こんなこと、きっと、彼には何のメリットもない。 (もういい。もう放して) 手を上げて相手を押し退けようとする―― 唇の僅かな隙間を、ちろりと何かが掠めた。と思ったら、強い力で押し入ってきた。唇よりももっと柔らかく、生ぬるく濡れていて、ほんのりピノノワールの味がする何かが。 逃げようにも絡めとられてしまった。 (他人(ひと)の舌ってこんななんだ......) 半ば好奇心、半ば返礼。己の舌を押し出して擦り合わせた。 ――きもちいい 否が応でも息が荒くなる。股間に火が付いた気がして、身じろぎした。 ようやっと放された時、息を整えながらも真っ先に思ったのは「どうしてやめるんだろう」だった。まだシェリーの左頬に添えられたままの親指が、頬骨を撫でた。その手に、自身の左手を重ねる。 青緑色の双眸に浮かんだ感情を読み解けるだけの人生経験が、自分には無い。 「……ベッド、いかね」 囁くように提案されて、小さく首肯した。 |
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