15.h.
2012 / 09 / 17 ( Mon )
 ゲズゥは魔物狩りの専門家でなくとも、勝つ為に何が必要かに関しては自分なりの考えを持っていた。
 たとえば慎重さと持久力。得体の知れない化け物相手に、性急に踏み込みすぎるのは危険だから、根気良く長期戦に持ち込まねばならない場合も多い。
 同時に、変化し続ける状況に瞬時に対応する反射神経と判断力も必須である。

 羊女が食事を娘の脳髄から手足の肉の方へと移していたのが視界に入った。全部食べ終われば、おそらくは次の獲物を探すだろう。そうなればゲズゥは二体とも相手にしなければならない。
 驚異的な再生力が羊女にも共通しているとしたら、益々厄介だ。

 見れば、山羊男は思い出したように次から次へと傷を治している。
 奴が一旦思い立ったからには、これからはマメに再生するだろうと仮定しなければならない。不公平なことに生きた人間のゲズゥにそんな再生能力は無い。怪我を負わなくても、長引けば体力の消耗は免れない。

 手数の多さで圧倒すればどうにかなるだろうか、と試しに大剣から短剣へと得物を替えた。魔物の背後に回り、黒い毛に覆われた体を幾度と無く斬り付けた。容易に振り返られない魔物は悲鳴を上げるが、結局傷は数秒で消える。この分では全体を両断したとしてもくっつきそうである。

 ゲズゥは一歩下がった。
 これっぽっちも打開策が浮かばない。
 こうなったらミスリアだけ拾って全速力で逃げるか、と真面目に検討し始めたら、転機は思わぬところから降って沸いた。

「うおおおおお!」
 魔物がゲズゥに向き直ったちょうどその時、死角から集落の人間が一人飛び出てきた。振り下ろされた鎌が、魔物の尻にザックリと突き刺さる。直後、その男は魔物の後ろ足に蹴られて吹き飛んでいたが、そんなことよりも。

 ――なるほど、凶器が体内に突き刺さったままの状態なら再生は遅れるらしい。

 とはいえ、刺すより斬るのが主な攻撃手段であるゲズゥにはあまり意味の無い発見だった。
 素人どもが勢いづいて一斉に山羊男に襲い掛かっている隙に、ゲズゥは羊女の方へ目をやった。もはや赤い髪の毛以外は原型を留めていない娘の、内臓を引きずり出して喰っている。もうあまり猶予は残っていない。

 山羊男の方はあっという間に周囲を一掃していた。三、四本の鍬や鎌が突き刺さっているためか動きが鈍いが、素人どもを爪で裂いたり蹴飛ばすには十分な体力が残っているようだ。引き千切った誰かの腕を、音を立てて骨ごと咀嚼している。
 大剣を構え、ゲズゥは宙を跳んだ。

 空中で一回転して勢いをつけてから、山羊男の胴体と下半身の付け根めがけて剣を振り下ろした。
 すんでのところで魔物は飛び退いた。
 着地をしたゲズゥはまた舌打ちをして――異変に気付き、目を細めた。

 手応えが無かったので空を切ったとばかり思っていた。それなのに、魔物の胴体と下半身の付け根はまるで斬られたかのようにぱっかり開いている。紫黒色の血液は流れておらず、代わりに銀色の素粒子が零れていた。
 胴体の素肌では、人面がざわついている。

 銀色の粒子、といえば。
 思わずゲズゥは剣の先に目をやった。するとそこには付け足されたように金色の光があった。
 どうやっているのかはわからないが、ミスリアが聖気で剣の切っ先を有りのままのそれよりも少し長くしていると察しが付く。

 ――聖気によって浄化された部分ならば、再生できない。
 すぐにピンと来て、ゲズゥは剣を構え直した。
 しかも魔物はうっとりと銀色の光を眺めるだけで、周りへの注意も疎かだ。これならば倒せる。

 念のためにまた魔物の後ろに回り、剣を振り下ろした。
 左右に均等に分かたれた山羊男は、それでもくずおれることは無かったが。くっつきなおすことも無く、切り口からどんどん銀色の素粒子を放っている。そうして質量が見る見るうちに減っていく。
 振り返り、ゲズゥはミスリアの姿を確認した。目をきつく瞑り、左手で首飾りを握っている。

 実質、今最も役に立つのが十四歳の小娘とは皮肉なものだ。やはり聖女であるだけにこういう時は肝が据わるのだろうか、と僅かばかり感心をしていたら――
 横から何かが衝突してきた。

 そのままとんでもない重量によって地面にうつ伏せに押し付けられた。
 ゲズゥは、己の肋骨が折れる音を聴いた。内臓もおそらくいくつか潰れている。激痛に何度か失神しかけるが、何とか意識を保った。

 文字通り、息ができない。口の中で草と土と鉄の味が混じり合う。
 羊の鳴き声に目を開けば、血に塗れた雌羊の頭がすぐ近くにあった。緋色のつぶらな瞳に覗き込まれ、ゲズゥはなんともいえない気分になる。

 というより、臭い。至近距離でのあまりの腐臭に、流石のゲズゥも吐きそうになる。
 羊女の両手の爪に頭を掴まれ、これは今度こそ死ぬだろうなと予感がした。

 唐突に、羊頭が離れた。魔物は怒りに悲鳴を上げている。次いでゲズゥは、重りから解放された。
 的を捉えられなかった矢が地面に舞い落ちるのを見て、何が起きたのか把握した。どうせなら当たっていれば尚良かったが。
 ゲズゥは這って起き上がった。ミスリアが離れた場所から治癒をしてくれているため、痛みがいくらか和らいでいる。

 羊女は次の標的を決められないのか、叫びながらぐるぐると同じ場所を飛び回っている。山羊男よりは頭が悪そうで何よりだ。
 魔物が立ち止まる一瞬を狙い、ゲズゥは跳躍した。

 まるで馬の背に跳び乗るような形で羊女の首に片腕を回し、後ろから絞めた。馬と違って柔らかい羊毛の座り心地が、若干気味悪い。
 ゲズゥの腕を引き剥がそうとして女の黒い爪が食い込む。唇を噛み締め、耐えた。
 羊女はひたすら暴れ回った。振り落とされまいと、ゲズゥは脚に力を込める。こうも動かれては短剣を抜くことが出来ない。

 揺れる視界の中から、黒い巻き毛のガキが弓矢を構えているのがチラッと見えた。
 ひどい顔だが、戦う気がある限りは使えるかもしれない。残る力を振り絞り、ゲズゥは女の首をギリギリと締め上げた。そうして、ガキの次の行動を待つ。

 放たれた矢は二本ほど外れた。
 乗り物酔いのような気持ち悪さが襲ってきているため、ゲズゥはそう長くは待ってやれない。もうダメかと腕の力が抜けかける。

 ドッ、という音と共に横から衝撃があった。
 羊の横腹に該当する部分に、淡い金色に光る矢が刺さっている。

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16:41:27 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.g.
2012 / 09 / 12 ( Wed )
 再び息ができるようになった頃、まだあの音は止んでいなかった。
 その上、額を割られた少女の映像が目に焼き付いている。
 ミスリアは何とか思考を巡らせようとした。しかしパニックで考えは何一つまとまらなかった。

(なんて――なんて理不尽)
(羊って上顎に歯が無いはずのに、あんな牙ありえないわ)
(ツェレネさんは若くて夢があったのに。出会ったばかりなのに)

 ――違う、そんなことを考えている場合じゃない――
 羊頭の魔物は、山羊頭の魔物と似た体の構造をしていながら、胴体は女性だった。ふっくらとした乳房に鮮血が滴っている。

(助けなきゃ。まだ間に合う?)
(キモチワルイ)
(理不尽だわ)
(山羊の方はどうなったの、ゲズゥは無事かしら)

 ――違う、違う、早く聖気を。
 魔物がふと、啜るのを止めた。
 緋色の双眸が宙をさ迷い、やがてミスリアの上に焦点を定めた。獣の顔に表情は無いが、何故か笑っているように見えた。
 
(こわい。死にたくない)
(体が動かない)
(死にたくない)
(助けなきゃ)

 アミュレットに触れさえすれば聖気は展開できる。幸い、羊の魔物が動きそうな気配は無い。
 なのに全身に全神経を集中させても、やはり動けないものは動けなかった。
 途方に暮れていたら、聴き慣れた声が耳を打った。

「やめておけ、アレは助からない」
 ゲズゥはミスリアの心を読んだかのような発言をした。

(そんな残酷なこと言わないで)
 助ける努力くらいするべきでしょう、と抗議しようにも声が出ない。泥沼に浸かっているみたいに体がだるい。
 絶望が、見えない錘となって降りてくる。

 もう間に合わない。
 とっくにそれを知っていた、それでも受け入れられなかった。
 否、現実感が無いのだ。吐き過ぎた疲れもあって、熱があるように頭がぼうっとする。目の前の惨状を、呆然と眺めるしかできない。

「のた打ち回っても無駄だ。強くなりたいなら戦え」
 ゲズゥが珍しく声を荒げている。
 すぐ隣で誰かが咳き込む音に気付いて、今の言葉がトリスティオにかけられていたのだと知った。
 ミスリアは目だけを動かしてトリスティオの姿を探し、うずくまる少年を見つけた。肩で息をしながらしきりに呻いている。

「死にたくなければ、動け!」

 その言葉を聴いた途端、ミスリアは叩かれたみたいな衝撃を受けた。
 泥沼に浸かる錯覚が霧散した。

「何だ! 魔物が出たのか!?」
「ツェレネ!? いやあああああっ」
 今になって長老の次男夫婦が家の中から出て、現状にそれぞれ反応をした。気を失った妻を、顔面蒼白な夫が支える。
「どうした!」
 周りの家からも、人が出て来ている。ぽつぽつと松明の明かりが増えて、魔物の青白いゆらめきが目立たなくなった。

(このままでは犠牲者が増える)
 ゲズゥが山羊の魔物に何度も斬りかかるのを目の端で捉えながら、ミスリアは深呼吸した。脱力している場合では無い。
 自分がまず生き延びなければ、誰かを助けることなんてできやしないのだから。

 「聖女」ならば、一般人を守るのが当然の役目だ。
 ミスリアはその為の術と経験を持ち合わせている。他の誰が怖気づいたとしても、自分だけは最後まで立っていなければならない。
 既に失われた命に関しては、ひとまずはもう考えないようにした。

 今度は体のどれかひとつでも、動ける部位を探すことに集中した。
 そして発見した。
 震えがひどいが、何故か左手だけは動かせるようだ。

(お願い、動いて。動け!)
 左手の中指の先が、曲がった十字に似た形のアミュレットに触れた。

_______

 山羊男は、思ったよりなかなかにしぶとい。
 いくつかの傷口から体液をダダ漏れにしながらもまだまだ動き回る。あの血液だと思っていたモノは本当は奴らにとってさして重要でもないのだろうか、などとゲズゥは考えた。
 腕を一本切り落としてやったのだから少しは怯んで欲しいところである。

 羊女の方は赤毛の娘を食べている間は大人しくしているだろうと踏んで、ゲズゥは先に山羊男を相手にしている。
 今のところ二体ともまだミスリアに興味が行っていないのが救いだが、それも時間の問題だろう。

 山羊男は一度雄叫びのような声を出してから、突進し出した。その僅かな間にゲズゥは思案した。
 魔物の爪や角も問題だが、何よりもあの足に踏み付けられたらまずい。ゆえに奴の攻撃を避けつついかに隙を誘えるかが今一番の課題である。

 仁王立ちになって剣を構え直したゲズゥは、にわかにあることに気付いた。
 茂みの中から集落の民が何人か、鍬や鎌などを持ってこちらへ近づいている。
 勇敢で結構だが、動きを見る限りは皆まるっきりの素人のようだった。これでは、惚れた女の死を目の当たりにして使えなくなっているそこのガキよりも足手まといかもしれない。

 ――いや、逆に利用できるとすれば。
 何か名案に辿り着ける気がしたが、もう山羊の角がすぐそこまで迫ってきているのでやめた。

 ゲズゥは左下へ跳び、剣を薙いだ。そうして、魔物の前足を刃で捉え、切り離した。
 馬であれば、そのまま地面へ崩れたことだろう。だが期待外れなことに、そうはならなかった。

 山羊男はいつの間にか新たな、しかも前よりも明らかに倍は長い、腕を生やしていた。その腕を地面に立てて体勢が崩れるのを防いだ。緋色の目以外は何も考えていないような寝惚けた顔をしているのに、それくらいの知能はあるということか。
 ゲズゥは畳み掛けに攻撃をしようとまた構えた。ところが山羊男はものの数秒で無くなった足を再生し、振り下ろされる剣をかわした。

 まったく魔物と言うのはデタラメで面倒な存在だ、とゲズゥは舌打ちした。

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07:28:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.f.
2012 / 09 / 11 ( Tue )
**注意**

珍しく注意喚起をします。
今回は今までより突き抜けてグロイ描写がありますので、心してお読みください。

_______

 本来ゲズゥのような接近戦に特化した人間は、魔物狩りに向かない。
 魔物と対峙する時の戦法は、まず中距離または遠距離から攻撃を繰り出し、対象を弱らせるか拘束してから、接近して止めを刺すのがセオリーだ。そして常に二人以上のチームを組んで連携するのが理想だ。

(でも魔物が怖くて護衛を頼んだんじゃないから……)
 そうだったならば普通の魔物狩り師を雇っていた。
 個人的な興味も混じっているとはいえ、わざわざゲズゥ・スディルこと「天下の大罪人」を探し出したのには違った理由がある。

 これまでの旅で誰もトリスティオと同じ指摘をしなかったのは、きっとミスリアがいずれ供を増やすだろうと想像していたからに違いない。
 ミスリアも、せめてあと一人は増やしたいと考えてはいる。

(残念ながら、そんなアテなんて無いけど)
 協調性に乏しいゲズゥが誰かと組むのを嫌がったりしないだろうか、とも思う。たとえゲズゥが平気だとしても、どちらかというと相手の方が嫌がるかもしれない。

 カイルはああいう温和で立ち入り過ぎない性格だからか、何の衝突もなく三人で旅ができた。果たして他の人間を仲間に迎えてそううまく行くかどうか。

「今までは彼一人だけでも十分でした。けれどもそれも運が味方しただけかもしれませんし、道中にいい人材に出会えたら勧誘しようと私も考えています」
 嘘は言っていないけれど、ミスリアにとっては実現性の低い話である。

「そうっすね。飛び道具を扱う魔物狩り師はやっぱり必須でしょう」
 その返答に納得したのか、トリスティオは深く頷いた。
「トリスの弓みたいなー?」
 ツェレネが首を傾げて無邪気に問う。

「おれの腕じゃまだ旅は無理だって。大体、皆を置いていけるかよ」
「うん、置いてかないでね」
「何だその言い方」
 えくぼを浮かべてツェレネが笑うと、トリスティオは頬をかすかに紅潮させた。

 ミスリアが手元のハーブティーの甘い香りを嗅ぎながら「仲が良くていいなー」、みたいな感想をぼんやりと思い浮かべていた、その時。

 蒸し暑いとも言えるような夜を、不似合いに冷たい微風が吹き抜けた。
 その風に乗って、鼻がひん曲がる程の悪臭が届く。
 それが何を意味するのかは疑いようも無かった。

 テーブルを囲う三人は一斉に立ち上がり、ゲズゥも刀身剥き出しの剣を構えて前へ進み出た。トリスティオがツェレネを自らの背後に押しやった。

 虫の声がいつの間にか止んでいて、奇妙な静寂が庭に満ちている。
 吐息すら無意識に潜めてしまう。
 前方の深い茂みを睨み、ただ待つしか出来ないその数秒が無限に続くように思えた、が。

 葉と葉の擦れ合う音がした。
 茂みの奥から、緋色の双眸が燃え盛る。
 原始的な――捕食者に睨まれた獲物の――恐怖を制御するため、ミスリアは奥歯を噛みしめた。

 前方の茂みから巨大な影が飛び出たのとほぼ同時に、トリスティオが弓に矢を番えた。
 現れ出た異形のモノの左の眼球を、彼の矢が的確に射抜く。
 魔物は、聴くに堪えない絶叫をしつつ仰け反った。
 
 蝋燭の炎に照らされるソレは山羊の頭に人間の男の胴体と続き、そして下半身は山羊の毛並みに覆われた、馬を思わせる体躯をしていた。
 両手にはそれぞれ指が三本しかなく、黒い爪が恐ろしく長い。

 魔物が体勢を立て直しては地面を蹴るが、右の掌と左肩に次々と矢が刺さる。半人前と自分では言っていても、トリスティオは十分に戦力になった。
 痛みに悶える魔物を一刀両断すべく、ゲズゥが迅速に接近している。

 彼が残る一歩を踏み込んで大剣を振るうだけで、この緊迫した場面も終わる。
 そんな風に後方の三人が安堵した、瞬間。

 ゲズゥが踏み留まった。
 素早く振り返った彼は大きく目を見開いている。
 斬るべき敵を目前にして一体どうしたというのか――

 ――ゴキッ。ギィッ。

 何かが噛み砕かれる音と、何かが抉じ開けられるような音が背後から連続して響いた。
 そのどれもがひどく鈍いものだった。

「え?」
 ツェレネの突拍子も無い疑問符に、ミスリアも振り返って、そして。

 総ての言葉を失った。
 全身から力が抜けて、地面に尻餅をつく。
 五感からの情報が巧く噛み合わなくて、場に対する飲み込みもまたちぐはぐになる。

 今日までに、人間の頭蓋骨が開かれる図など見たことが無かった。

 赤毛の美少女だったはずの彼女は足が地面から浮いていた。
 美しい目や口や鼻から溢れ出るナニカ。
 彼女の脳天に長い牙を立て、両手の爪でそれを果実にするように開き、中身を啜る羊頭の異形。

 それはそれは大きな音を立てて、夢中で啜っている。
 ――生きた人間の脳髄を。

 理解した途端、胃の中の物が喉を逆流した。

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06:07:07 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.e.
2012 / 09 / 09 ( Sun )
 親しげに呼ばれたトリスティオも一度だけ手を振り返す。
 どこか照れているように体を強張らせているが、口元は確かに笑っている。 

「おー、レネ。元気か」
「私はいつも元気だよ? それに昨日も会ったじゃない」
「そういえばそうだったな」
 照れ隠しのためか、彼は黒い巻き毛の前髪を指先に絡めている。

「変なの。それで、見回りどう? 何か居た?」
「や、居たら騒ぎにしてるって」
「じゃあトリスも一緒に食べようよ。魔物居ないなら外でもいいよね」
 ツェレネが笑顔で誘う。ツェレネの両親はというと、仕事で疲れているから屋内で食べるらしい。

「それは……」
 トリスティオは気遣わしげな視線を向けてきた。客であるミスリアたちに遠慮しているのだろう。
「是非、私からもお願いします」
 ミスリアが微笑みを返すとトリスティオはしばし考えるような素振りをし、頷いた。

(何か聞けるかもしれないし)
 こんな誘い方はずるい気もするけれど、かといって急に「この集落の諸々の事情を聞かせて欲しい」と詰め寄っても不自然である。

 一同は裏庭のテーブルの席に腰掛け、食卓を整えた。ティーセットを並べ、皿とスプーンを配り、プディングを盛り付ける。
 当たり前のように、ゲズゥだけが離れた位置の樹に寄りかかって立っている。

「ツェレネさんはお料理が上手ですね」
「ありがとうございます。でも聖女さまの奇跡の力の方が凄いですよ」
「それは、凄いのは私ではなく教団の教えです」
「謙虚っすね」

 三人はブレッドプディングとハーブティーを楽しみ、しばらく雑談をした。
 頃合を見て、ミスリアはさっきと同じ質問を繰り返した。

「それでトリスティオさん、巡回をしていたというのは?」
 訊かれて、彼は目を瞬かせた。やや垂れ気味の目に、森のように深い緑色の瞳が揺れる。
「トリスティオさんは魔物狩り師なのですか?」
 ミスリアは質問を変えてみた。

「まさか。確かに、ついこの前までココに住んでた魔物狩り師に師事してたんっすけど。おれはまだまだ半人前で、教えてもらえてないことも多くて」
「彼らは王都に発ったんですよ」
 ツェレネが付け加えた。

「ミョレン国の王都のことですか」
 ティーカップを口に引き寄せながら、ミスリアは確認した。
「はい。二人のうち一人は王子サマに呼ばれて、もう一人は聖人サマの旅の護衛に指名されたって言ってたっす」
 それらの時期が重なった所為で、集落は今は魔物狩り師が不在という状態になったのだと言う。

「王子って……第三王子ではありませんよね?」
 なんとなく背中にゲズゥの視線を感じながら、ミスリアは訊ねた。
「第一じゃなかったかしら、ねえ」
 ツェレネは思い出すように顎に手を当て、トリスティオを見た。

「第一でしたよ。何かあるんすか?」
「いいえ、なんとなくです」
 ミスリアは笑ってごまかした。ゲズゥをチラリと盗み見れば、彼はどこへとも無く視線を遠くへやっている。

「それより、ミョレン国に聖人の呼びかけがあるんですね」
 教団との関係が芳しくない国なのに、意外に感じる。
「すっごい強い人ですから、いろんなトコから声かかってたんすよ。こんな辺境でひっそりと鍛えてただけなのに、いつの間にか噂が広まっちゃって」
 トリスティオは師のことを誇らしげに語る。ツェレネもうんうんと頭を縦に振って同意している。

「なるほど」
「方々からの話を聞いてて、一番ついて行きたいと思った人を選んだって言ってました。やー、おれもいつかはああなりたいっす」
「頑張ってください。きっとなれます」
 ミスリアはそっと微笑んだ。

 ツェレネにも励ましの言葉をかけられ、トリスティオが照れくさそうに笑う。
 その後続いた会話は、あまりミスリアの耳に入らなかった。

(また、夢を追ってる人……それにその聖人様も立派だわ)
 自分は、人がついて行きたいと思えるような人間では決して無い。
 そんな方法では人を集められないし、むしろ考え付きもしなかった。

 心のうちに広がる暗い波を自覚して、ミスリアは焦燥感を覚える。
 自分の良さを提示して呼びかけた訳でもなければ、潜在的な何かで引き寄せた訳でもなく。

(私は)
 また、斜め後ろのゲズゥを盗み見る。今度は気付いて、彼が視線を返す。黒い瞳には何も映らない。
(死ぬ間際の……実質、追い詰められていた人を)
 他に選択肢の無い人間に半ば押し付けるような形で取引を持ちかけた自分は、間違っていたのかもしれない。
 意図して打算的な方法を取ったんじゃない――なんて、説いた所でただの言い訳である。

「――は、一人だけなんすか?」
「はい?」
 トリスティオに何か話しかけられている。ミスリアは悶々とした物思いから抜け出た。
「聖女さん、護衛は一人だけなんすか? 普通、聖人や聖女の旅は最低でも魔物狩り師が一人、戦士や兵士が二人は護衛についているって聞いてたんすけど」

「はい、普通はそうですね」
 なんて的を射たことを言うのだろう、と内心では苦笑しながら、とりあえず同意した。

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20:04:05 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.d.
2012 / 09 / 03 ( Mon )
「ところで聖女様」
「は、はい。何でしょう」
 ツェレネに話しかけられ、ミスリアは視線を移した。
「デザートは、何が食べたいですか!?」
 青く澄んだ瞳がぐいっと近づいて来る。それがとてつもなく重要な問題であるかのように、彼女は興奮している。

「え、えーと」
 ミスリアは自分よりも背の高い美少女に気圧されていた。
 間近で見るツェレネは羨ましいくらいに可愛い。顔のパーツは形もバランスもよく、小顔で輪郭は柔らかい。鮮やかな赤い髪が色白の肌に冴え、長い睫毛まで綺麗な赤だ。

「たとえばパイとブレッドプディングのどちらがいいでしょう」
「で、ではブレッドプディングでお願いします」
「はい、すぐできますからね!」
 満面の笑顔でツェレネは請け負い、足軽に台所へ向かった。ミスリアが食器の片付けや洗い物を手伝おうとすると、客人は何もしなくて良いと家主は言う。

 そう言われれば仕方ないので、ミスリアは玄関先に出た。そこのベンチ型ブランコにそっと腰掛ける。ぎぃい、と木製ベンチの軋む音が響いた。
 昼間よりも空は晴れ、星の煌きが見えつつある。湿気が多いのか、ベンチがどことなくべた付いている気がする。
 薄闇の中には四角い家と、道を行き交う人間の姿があった。

(魔物は現れていないようだけど……)
 胸騒ぎはおさまらない。やはり長老の次男に問い質した方が良かったのだろうか。何故、魔物狩り師が一人も居ないのかを。
 ミスリアはブランコの鎖に手をかけ、ゆったりとベンチを揺らした。キィ、キィ、と鎖の軋む音がする。

 右を見上げれば、ゲズゥがいつの間にか隣に来ていた。
 彼は手に持った皿一杯の食べ物をみるみるうちに食べ尽くしていった。
 何だか緊張感が無い――そう思った途端、目が合った。

「羨ましそうに、あの娘を見ていたな」
 静かに彼は言った。食べ終わった皿を地面に置いている。
 その言葉に、ミスリアの心が揺れる。

 「そんなことありません」と否定するべきか、「よくわかりましたね」と肯定するべきか。
 嘘のつけないミスリアは、諦めて頷いた。
 さて、ツェレネの何が一番羨ましいのか絞ると――あの容姿も、家族も、確かに羨ましいけれど。

「……夢、を追っているのが素敵だなぁと思います。眩しいくらいに」
 同じように静かな声で、ミスリアは本心を語った。
「…………」
 ゲズゥの黒い右目は探るように細められている。こちらとしても何故か目を逸らせない。

(そう思う私が変なの?)
 ミスリアには夢と言えるような夢は無い。顔を輝かせて他人に話せるような、そんなモノは。
 今の自分を形成しているのは美しい未来への期待などではなく、たった一つの果たさねばならない目標だ。使命と呼んでいいのかすらわからない。当然、果たした後のことも考えていない。

 しばらく、二人は無言で見詰め合った。
 ふと、ゲズゥは何かに気付いたように目を見開き、頭を巡らせた。
 思わずその視線の先を辿ると、そこには人影があった。足音が静かだったせいか、存在に気付けなかった。

「こんばんは」
 人影は軽く会釈をした。声変わりを経ても、まだ少年っぽさの残る声だ。
「こんばんは」
 ミスリアはベンチに座ったまま、礼を返した。

 少年は通り過ぎるのかと思いきや、どういうわけか彼は一直線に歩み寄ってくる。
 玄関の灯りに映し出された顔はゲズゥよりも年下の十七か十八くらいに見える。長袖のシャツに革のベストを着ている。
 彼もまた、広場では会わなかった人間だ。

「確か、旅の聖女さんっすよね。自分はトリスティオと言います」
 少年はもう一度会釈した。肩には弓を、背には矢筒を持っている。
 平均的な成人男性より背が低く、多分ツェレネと同じか少し高いくらいだろう。
「はい。ミスリア・ノイラートと申します」
 ブランコから降りて、ミスリアはスカートを広げる礼をした。

「彼は私の護衛を務めるスディル氏です」
 ゲズゥをも紹介し、ミスリアは振り返った。
 するとゲズゥは無表情に、トリスティオと名乗った少年を眺めている。

(何か興味を引くものを見つけたのかしら?)

「……なるほど、よろしくっす」
 一方でトリスティオは食い入るようにゲズゥを見上げている。
「なんか、メチャクチャ強そうっすね」
 独り言とも感想とも言えないような呟きを漏らした。ゲズゥの体格を見ているのか、装備を見ているのか、それとも雰囲気からそう感じているのかは判断できない。

「そうですね」
 うまい返し方が思い付かないので、ミスリアは無難に笑って答える。
「トリスティオさんはこの家に何か御用があるのですか? 皆、中に居ますけど」
「あー、いえ。巡回のついでに顔見せようかなーと思ってただけっす」

「巡回ですか?」
 何か重要なことを聞いたような気がして、ミスリアは訊き返した。答えが聞ける前に、玄関の扉が開いた。
「デザートできましたよ! せっかくですし外で食べますか――って、トリス、やっほー!」
 エプロン姿のツェレネは、トリスティオの姿を認めるなり空いた手をぶんぶんと振った。

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01:30:01 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.c.
2012 / 08 / 26 ( Sun )
「神話ですか……。今でこそヴィールヴ=ハイス教団が大陸の唯一の宗教集団と広く認識されていますが、その昔はもっと様々な信仰があったそうですよ。それぞれの団体が崇拝する神の名の下、大勢の人々が争い合うほどに」
 口元にかすかな笑みを浮かべて、ミスリアがそう語った。多少は気が紛れているらしい。

「ところが百年前にとある人物によって統一されて――」
「すみません」
 ふいに戸がノックされ、話はそこで切り上げられた。

「お夕飯できましたので良かったらどうぞお召し上がりください」
 言われてみれば、何かの煮物の濃厚な香りがここまで届いている。
「有難うございます。今行きますね」
 そうして赤毛の少女が誘うままに、ゲズゥとミスリアはダイニングルームへ向かった。

_______

 階段を降りる途中で、ミスリアは思わず立ち止まった。
 さっきからずっと胸の奥がざわついている気がしてならない。

「何だ」
 背後から聴こえてきた低い声は普段よりもいくらか低くなっている。流石、気付くのが早い。
「魔物って神出鬼没で一見何もないところから構築されるだけあって、気配を前もって察知するのは難しいんです」
「……いるのか」
 ゲズゥはその前振りからミスリアの言いたいことを読み取った。

「わかりません。でも胸騒ぎがします」
 ミスリアは服の下のアミュレットを知らず握り締めていた。
「おそらくこの集落に魔物狩り師はいない」
 淡々と告げる彼を、弾かれたように振り返る。前髪に隠れていない方の黒い瞳と目が合った。

 どうしてそんなことがわかるんですか? と訊ねようとして、結局その言葉は飲み込んだ。広場の中心に居たミスリアには人間観察をする余裕は無かった。しかしゲズゥが歩き回っていたのは知っている。

 魔物狩り師というのはぱっと見ただけですぐにそれとわかる。彼らは常に武器を持ち歩き、特に夜が近付くと獣のように鋭い目線で周囲を巡回する。いつどこに現れるか知れない化け物が相手である以上、そうしなければ遅れをとるからだ。その反面、道行く普通の人間には見向きもしない。

 見れば、ゲズゥも部屋では下ろしていたはずの剣をいつの間にか再び背負い、腰に短剣を携帯している。

(準備がよくて守られる身としては頼もしいけど、敵に回したらどうなるかなんて、それは考えない方がいいかな……)
 背筋が冷たい手で撫でられたような錯覚を覚え、頭を横に振った。
(そんなことより魔物狩り師がいないとなると……この集落に結界は張られてないし、今までどうやって魔物を退けていたというの)
 黙々とそんなことを考えながら、食事の席に辿り着いた。

 ちょうど長老の次男夫婦が帰ってきていた。二人とも日に焼けて泥に汚れている。彼らは先ほどは広場に居なかったのか、ミスリアにとっては見知らぬ顔だ。俗に言う濃い顔立ちではあるけど、娘と同じくはにかむ時に笑窪が出来て、とても好感を持てる。三人揃って、瞳が空のように青い。
 互いに軽い挨拶を交わした。ミスリアらの事情なら誰かから伝え聞いたというらしく、詳しい説明は省けた。

「お父さん、お母さん、お疲れ様です」
 長老の孫娘が微笑みながらコップに水を注ぎ、それを両親にそれぞれ差し出す。
「ありがとう、ツェレネ。助かるわぁ」
 二人はコップを受け取って一気に飲み干した。

「私だって畑仕事くらい手伝うのに」
「何言ってるんだ。お前は町の学校に行くんだろーが、できるだけ勉強してた方がいい」
「……うん。そうだね!」
 短いやり取りを娘と交わした後、二人は着替えに行った。

「さあ! 遠慮なくお召し上がりください。お父さんたちを待たなくていいですからね!」
 ツェレネと呼ばれた少女はくるりと振り返った。真っ直ぐな赤い髪がふわっと広がり、ついつい見取れてしまう。
「ではお言葉に甘えて」
 ミスリアは椅子を引いて座った。
 四角いテーブルに並べられたご馳走が食欲をそそる。パンとチーズ、野菜炒めに鶏肉の煮物。これなら旅の道中に食べていた保存食の味を忘れられそうだ。

「あ、あの……スディル、さん? どうぞ席へ」
 ダイニングルームの片隅に立つゲズゥへ、ツェレネが声をかける。ミスリアと一緒に降りてきたはいいが、食事の席に着く気配がまったく無い。
 ちなみに身元が集落の人間に知られると面倒そうだからと、ゲズゥのことは苗字だけで紹介しておいた。
「一人分残しておけば彼は後でいただくと思いますから、今はお気になさらないでください」
 微笑みながらミスリアが代わりに答えた。ゲズゥが他人と一緒に座って食事を摂りたがらないのにいつの間にか慣れてしまっていたので、他の人がそれをおかしいと思うだろうことを失念していた。

「そうですか……?」
「ところでツェレネさん、町の学校に行かれるんですか?」
 やたら残念そうな眼差しをした少女に、ミスリアは違う話を振ってみた。すぐに彼女は我に返り、ミスリアの皿を盛り始める。
「おかしいですよね、いい歳して」

「え? そんなことありませんよ――――と、野菜はそのくらいで十分です、有難うございます」
 ミスリアは食べ物の盛られた皿を受け取った。
「まだその資金が貯まってないんです、あとちょっとってところで。私、先生になってここで学校を開くのが夢なんですよ」
 ツェレネはぱあっと顔を輝かせた。

「十年前くらい前でしょうか、とある旅の研究者様がここの集落にしばらく留まって下さって、字の読み書きや歴史など色々教えてもらったんです。書物も一杯いただいたんですよ! 私もああいう風になりたくて」
「素敵な夢ですね。きっと叶います」
「有難うございます、聖女様! あ、何かいらないご本とかあったら……」
「祈祷書しか持っていませんけど、それで良ければ差し上げましょうか?」

「いいんですか!?」
 両手を合わせて喜ぶ少女を前に、ダメと言うわけが無い。
「はい。私は中身はもう暗記していますので」
 ミスリアは懐から小さな本を取り出し、それをツェレネに渡した。何年か前に暗記してあるものを、形だけ持ち歩いていたのである。

(祈祷書でそこまで喜べるなんて凄いわ……)
 ご飯そっちのけでページを捲っている様子が微笑ましい。
 隅のゲズゥへチラッと視線を巡らせてみたら、彼は腕を組んで目を閉じていた。無関心なのは間違いないが、寝てはいないのだろう。

 ミスリアはパンを千切り、口に運んだ。硬い外側と柔らかい内側の調和がいい。二口目には、煮物の汁を少しつけてから食べた。鶏肉の旨みが染み込んで、想像以上に美味しい。自分も家事はよくやる方だと思うが、彼女の料理の腕はもっと上かもしれない。
 着替え終わったツェレネの両親も戻ると、食卓は更に賑やかになった。食べきれないのに、ミスリアの皿はどんどん盛られていく。

「ツェレネ、お前ももっと食べなさい」
「え~、肉体労働してないのにあんまり食べたら太っちゃうよ」
「年頃の娘が何言ってるんだか。お母さんなんてアンタぐらいの歳じゃあ……」

 ミスリアは微笑んで見守っていた。
 互いを思いやる家族、そして夢見る娘とそれを応援する両親。幸せな家庭とはこういうものなのかな、としみじみ思う。
 確かに昔は自分の家もこうだったはずだけれど、すっかり忘れていた。

(お姉さま)
 唇をぎゅっと噛み締めたのを周りに見られないように、ミスリアは俯いた。
 視線を感じて顔を上げると、黒曜石を思わせる瞳がこちらをじっと見ている。揺らぐ蝋燭の炎が映っていて綺麗だなと思った。

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23:15:07 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.b.
2012 / 08 / 22 ( Wed )
 自分らしくない考え事などやめて、ゲズゥは足音一つ立てずにその場を離れることにした。
 広場から数えて三軒目の素朴な石造りの家が今夜の宿泊先だ。長老の次男の家だと聞いた。素朴とはいえ集落の数少ない二階建ての家である。
 中に入ると、長老の孫娘が台所で一人忙しなく家事をこなしていた。
 
「ようこそいらっしゃいました」
 ゲズゥを認めて、十代後半ぐらいの歳の少女が振り返った。鮮やかな赤い髪を大きなリボンでまとめ、膝丈のワンピースにエプロンという出で立ちだ。ここの他の娘たちに比べると際立って肌が白い印象がある。
 
「お夕飯でしたらもうすぐ出来上がりますので、くつろいで待っていてくださいね」
 はにかむ少女には返事を返さずに、ゲズゥは二階の客室へ向かった。階段を上り始めたところでまた話しかけられた。
 
「あ、あの! 一晩だけでよろしいんですか? 明日出発と言わずにもう少しのんびりしてからでも……。何もないところですが」
 精一杯おもてなしします、と消え入るような声で孫娘が続けた。
 一応足を止めていたゲズゥは、話がそれだけだとわかってまた動き出した。
「――本当に! ほんとに、ユリャン山脈を越えるつもりなんですか? あそこは危ないんですよ!」
 娘は今度はいきなりわけのわからないことを訴えた。
 
 つもりも何も行路を決めるのはミスリアだ、とゲズゥは割り切っている。彼に主体性が無いという訳では決してない。意見は勿論必要ならば出すが、それでも大抵の決断は委ねる気でいる。この旅はこれで良いと、いつの間にか自分で判断していた。おそらくは命を拾われたあの日に。
 
 やはり答えずに、ゲズゥは部屋の方へ進もうとした。
 その時、タイミングよく玄関が開いた。
 
「山脈の向こうに行かなければなりませんので、仕方ありません。迂回すれば一ヶ月以上は余分にかかります」
 入ってきたミスリアがたしなめるような口調で言う。
「……聖女様。そう……そうですよね。過ぎたことを言ってごめんなさい」
 
「いいえ。お気遣い有難うございます」
 しおらしく謝る孫娘に対して更に、ミスリアは宿や食事など色々と世話になることへの礼を言った。ミスリアの方が孫娘よりも年下だろうに殊勝なものだ。
 二人の少女をよそに、ゲズゥは二階へ上がった。
 
 狭い客室にベッドが一台あって、その他の家具といえば小さな鏡台が一台だけ。窓もまた一つしかなく、ガラスにも網にも覆われていない。壁には燭台がある。
 ゲズゥは背中から剣を下ろしてベッドに背中を預け、床にあぐらをかいた。
 
「お疲れ様です」
 扉が開き、ミスリアが姿を現した。疲れるようなことをしていないのにお疲れと言われるのは変だと思いつつ、
「戻るのが早かったな」
 とゲズゥは返した。
 
 広場のあの様子ではまだまだ働かされそうだと勝手に予想していた。
 他と隔絶された集落であるだけに、住人は最初こそはゲズゥたち余所者をしっかりと警戒していた。ところがミスリアが聖女という身分を明かした途端に歓迎されたのである。聖女・聖人どころか医術に通じた人間すら滅多にお目にかかれない辺境の地だという。
 
「はい。『もう休みたいです』みたいなことを言ったら解放して下さいましたよ。そりゃあ疲れてるだろうしお腹も空いているだろう、って長老様の一声で皆も納得しました」
 ふぅ、とミスリアは声に出してため息をついた。心なしかふらついた足取りでベッドに歩み寄り、腰をかけた。ゲズゥからは腕を伸ばせば簡単に届く距離である。
 
「……血って、どうしてあんな色なんでしょうね。もっとこう、瞼の裏に残らないような無難な色であればいいのに」
「…………」
 例えば人間の体内から淡い水色の液体が漏れるのを想像してみたが、それはそれで気色悪い気がする。そもそも瞼の色に残らない色というのがわからない。
 
 目を擦るミスリアの投げやりな呟きを聞いて、何かに思い当たった。朝のうちに目撃した男が刺し殺される場面、そしてその死体の有様――臭いごと、否応無く脳裏に焼きつく類の映像だ。一日に何度でも思い出すような。
 ゲズゥとてふとした時に思い出すが、そういった場面に既に何も感じなくなって久しい。これでも子供の頃は、生理的な拒否反応やら嫌悪感があった。
 
「血の色が赤なのを理由付ける神話でもありそうだが、知らないのか」
 気を紛らわせられるかもしれないと踏んでくだらないことを訊いてみた。
「あるとしても私は知りません」
 苦笑い交じりにミスリアは答える。

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08:26:17 | 小説 | コメント(0) | page top↑
15.a.
2012 / 08 / 12 ( Sun )
 首筋を伝う汗を手の甲で拭った。夏らしい蒸し暑さがきっと夜になってから増すだろう。そういう空気の匂いだった。
 夕暮れ時の虫の声を聴いていると、何かの催眠術をかけられているような気分になる。短い間隔を置いて繰り返される鳴き声は一度意識すればなかなか消えてはくれず、気が付けば頭の中をそれに支配される。

 そろそろ戻ろうと考えて、ゲズゥ・スディルは麓の集落の方へゆっくりと歩き出した。人の出入りが多いのか、はっきりとした道が地面に浮き上がっている。といっても奥深く入るのではなく民家がまだ見下ろせるような距離まで登って、食物を採集する為のものと見受ける。

 ゲズゥは集落の広場へ向かって山を降りた。木製の屋根に覆われたそこはさっきからずっと視界の中に入れたままで、山の上からも広場の様子を観察していた。

 宗教画や石像の聖女のような慈愛に満ちた表情を民衆に向けるミスリアを眺めて、何故だか釈然としなかった。
 彼の目には小柄な少女が愛想を振りまいているようにしか見えないのに、民衆の誰もがまるで神の御前に立ったかのように涙を浮かべて感動している。ミスリアに最も近い位置の老婆が、触れるのもおこがましいとでも思っているのか、白いスカートにおそるおそる手を伸ばしている。
 
 信仰心というものは、よくわからない。
 あの盲目さは果たしてどこから来るものなのか。何かに縋りたいと願っていた人間の前にたまたま現れて手を差し伸べれば、お手頃な信仰対象として認識されるのだろうか?
 いくら崇め立てようと、あれは生身の人間だ。奇跡の力にだっておそらくは限りがある。
 
 人が王を戴くのと似ているのだろうが、違うのは聖女や聖人には血なまぐさい背景が一切無いことだ。
 ゲズゥにしてみれば、宗教という概念は気味の悪い洗脳手段に思える。大衆を操作するために誰かが作り出す物だ。特にどこそこで新しい邪神教が興されたなんて話を聞くと、真っ先にそういう感想が浮かぶ。教団とやらが違うのかは知らない。
 
「ありがとうございます、聖女さま」
「お大事に」
 例によって人の怪我や病気の治癒に勤しむ聖女ミスリアが、柔らかく微笑む。
 ゲズゥは音一つ立てずに、広場の隅に滑り込んだ。
 
 どうにも不可解だ。
 宗教の象徴とも言える立場のこの少女が、人を洗脳したがっているようには見えない。ならばそれが目当てで聖女という職を選んだのではないのだろう。
 
 では、人を「救う」ことこそが唯一の目的か。
 何の迷いも無くそういった生き方を貫けるはずが無いと、ゲズゥは確信していた。純真無垢で居られるのは子供の頃までだ。皆、どこかで人間の不安定さをも併せ持っている。あの司祭がいい例だ。人間は常に善意と愛想を完璧に振りまけるようにはできていない。
 
 もう一つ考えうるのは、ミスリア自身が救われたがっているという可能性だ。宗教に溺れる人間の多くは、他の手段では解決できない悩みを抱えている者だ。
 根拠などどこにも無いが、これが一番しっくり来る。
 
「ヴィールヴ=ハイス教団はなんと素晴らしいのでしょう。山の向こうの輩もこの感覚を知ればいいのに」
 目を潤ませて、集落の長老らしい男が熱弁を振るう。
「そうですね」
 微笑を崩していないが、その一言を発したミスリアの声はどこか冷たかった。周りの他の人間はうんうんと強く頭を上下させるだけで、気付いていないらしい。
 
「この力があれば病も減り、そして聖獣が蘇れば世界から魔物が消えるのでしょう? 苦しみがなくなれば人間は皆幸せになれる。仲良く暮らせる。真の楽園が地上に顕現しますよ!」
 長老に寄り添う息子らしい男がそう言って拳を握った。
「ええ、そうなるよう努めます」
 ミスリアはにっこり笑って頷いた。周囲の人間は感心や励ましの声を連ねる。
 
 知り合ってまだ日が浅いが、今の笑みが本心からではないとゲズゥは直感した。
 
 ああそうか、と何かが腑に落ちる。
 彼女にはあの盲目さが無い。友人だというあの聖人にもだ。二人の何かが「違う」と思っていた原因がこれでわかった。
 二人とも何かから救われたがっているようでありながら、教団の話をしている時はどこか理性的だった。客観しているような、分析しているような、疑り深さが僅かにあった。
 
 まるで、救われたいのに救われるとは本気で信じきれていないような。だからこそ、ミスリアも聖人も周りに布教しようなどとしないのかもしれない。今のミスリアは熱心に神や聖獣を讃える信徒を前にして、ただ穏やかに笑うだけだ。
 信心深さとは別の問題で、教団の教えを総て鵜呑みに出来ない理由があるのだろう。聖気という現象を扱えても、少なくともそれで誰もが幸せになれるとは思っていないようだ。
 
 ならば何故、世界を救う為の旅になど出るのか。何を目指してこの道に人生を捧げたのか。なんとなく、半端な覚悟で旅しているとでもいうのか。
 そこまで考えて、ゲズゥは誰にも聴こえないような吐息を漏らした。

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23:46:14 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.j.
2012 / 08 / 03 ( Fri )
 カイルサィートは、言葉の一つ一つに決心をこめた。
 そう、ミスリアと再会した当初は一緒に旅に出ようと提案するつもりだった。自分の方の護衛は道中雇うなりして、共に聖地を巡礼したかった。かつての同期生であり友人である人間と一緒なら心強いし、よりスムーズに旅が出来ることは想像に難くない。
 
 ミスリアは口を不自然に開いたと思えば、数秒後に気付いて閉じた。説明を求めるべきか決めかねているのか、唇を揺らしている。
 
「色々と思うところがあってね。前からだけど、叔父上の教会に来てからもっと」
 訊かれる前に、カイルサィートは自分から説明し始めた。
「聖獣を蘇らせることの重要性は理解している。ただ僕の目指す目標は、それだけではきっと手に入らない」
 忌み地やラサヴァの町での騒ぎと、叔父の成れの果てを思い返す。そして教団関係の人間以外ほとんど誰も知らないという、魔物が発生する原理。
 
 ――本当に、このままでいいのか?
 
「カイルの目標って確か……『魔物に怯えずにすむ世界』でしたよね?」
「よく覚えてるね」
 自然と顔がほころんだ。目標を語り合った日々が大昔のように感じる。
 
「その思うところが何なのかまでは、話してくれないんですよね」
「今はまだ閃きに過ぎないから……時が来たら話すかな。ごめん、約束は出来ない」
 カイルサィートは苦笑いした。
 そもそも今の教皇猊下の指揮下で、教団が聖獣を蘇らせることを最優先しているというのに、この決断は褒められるものではない。
 
「わかりました。ではここでお別れ、ですね」
 俯いたミスリアの様子がいつになく暗い。
「こらこら、そんな顔しないの」
 つい子供をあやすような声色になって、少女の肩を叩いた。
 
 ミスリアは間髪居れずに抱きついて来た。
 まるで今生の別れを惜しむような抱擁に、驚かざるを得まい。行き場の無い両手をさまよわせる。
 やがてカイルサィートはため息混じりに微笑んで、小さな体を抱きしめ返した。
 
「生きていればまた会えるよ」
 優しく告げた。こっちだって感極まらないように必死だ。
「違う」
 それまで馬の手綱を手に持ち、傍観していただけのゲズゥが発話した。無表情に、一言だけ。言わんとしている事は多分伝わった。
 
「訂正するよ。お互いに生きていて、再会したいという心意気と手段・縁・機会があれば、必ずまた会えるよ」
「…………はい」
 くぐもった声は、泣いていない。
 
「旅、頑張ってね。教団を通して手紙を出せば通じるはずだから、たまには書いてみる」
「はい」
 ようやっと離れたミスリアは瞑目している。次に茶色の目が開いた時は、笑っていた。
「私もできれば手紙を書きます。今まで、有難うございます。カイルの進む道がどうであっても私は貴方の味方です」
 
「ありがとう。僕も同じ気持ちだよ」
 そこでカイルは、ミスリアの向こうに立つ黒髪の青年に声をかけた。
「ゲズゥ、君もありがとう。ミスリアをよろしく頼むよ」
 名で呼ぶ約束をしていないので不思議な感じがしたが、気にせず続けた。
 
「君には再会したいという心意気が無いだろうから、これが最後になるかもしれないよ。最後くらい、名前を覚えて欲しいな。できれば呼んでくれても」
 他にも言いたいことはたくさんあるが、口から出ていたのはそんな言葉だった。
「断る」
 素っ気無い返事。ミスリアが目を丸くした。
 カイルサィートはどうしてか、怒りよりも笑いがこみ上げる。
 
「あはは! そういう率直な物言い、結構好きだよ」
「俺はお前は苦手だ」
 やはり無表情にゲズゥが言い切った。
「え。どうして?」
「話し方が知った人間を彷彿とさせる」
「それって僕自身に非が無いんじゃない。その人とはどういう関係?」
「……」
 
 表情に変化は表れなかったが、ゲズゥはそっぽを向いた。どうやら答えたくない質問らしい。
 追究はせずに、カイルサィートは荷物をまとめることに移った。ミスリアには馬を使うよう強く勧められ、やんわり抵抗したものの最終的には折れた。
 馬に飛び乗って、彼はついさっきまで旅の連れであった二人を見下ろし、微笑みかける。
 
「それじゃあ行くけど、二人とも元気で。無茶しないでね」
「はい。カイルこそ!」
 ミスリアは大きく手を振った。彼女の背後に立つゲズゥは腕を組んでいる。
 最後にもう一度笑って、頷いた。
 
 ヤァ! と馬に声をかけて向きを変える。
 前方の青く茂る平原と、美味しそうな綿雲の点在する空を見据えた。遠くから鷹の鳴き声が響き、呼応したかのように暖かい風が吹く。
 聖人カイルサィート・デューセは己の次なる行く先に向かって迷わず駆り出した。

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16:34:12 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.i.
2012 / 08 / 03 ( Fri )
 二人がすぐに振り返る。大雑把な切り出し方なのに随分と食いつきが良いようだ。
 軽く咳払いをした。
 
「亡き先王は戦で散った兄の王位を継いだ人でね。ゆえに短い間だったけど、ミョレンの歴史を顧みれば珍しく賢君だったと思う。聞いた話だとね」
「そうだったんですか」
「そんな国王が病床についた時、腹心である宰相を呼び寄せたんだ。次の王になる人間は、有能な彼に見極めて欲しいと」
 
「それが例の『条件』に繋がると?」
 ミスリアはポニーテールから逃げた髪の一房を耳にかけ直し、訊いた。ラサヴァで、カイルサィートが王子殿下に言った言葉を覚えているのだろう。
 
「そうだね。王冠は宰相が隠し、彼だけが在り処を知っている。そして彼は継承者候補たちに王の遺言を伝えた――『国民に最も支持される人間が王冠を戴く』と」
 カイルサィートは話を続けながらも周囲への注意を緩めなかった。もとより肌の露出が少ないため枝などに引っ掛けられて怪我をする心配は無いが、それでも蜘蛛の巣や大きな虫、そして蛇などを避けたい。
 
「果たして宰相が王の真実を語っているのか、これが彼自身の謀(はかりごと)なのかは僕にはわからないけど。宰相殿には親類縁者が一人も居ないし、本人は国以外の何事にも無関心。彼を強請ったり尋問にかけたりして王冠の在り処を聞き出すことは不可能に近いらしい」
 しかも王冠を託されたからには自分自身が王になりたい、とは決して考えないような誠実な人物だと聞く。
 
「では条件に従うしかないのですね。国民の支持と言っても解釈は多々ありそうです」
「だから手持ちの領地や利益を増やそうとする者もいれば、慈善事業に励む者もいるのかな。シューリマ・セェレテは、オルトファキテ王子の名の下で偽の活躍を積もうと狙ってたんじゃないかな。王子はそういうのをいらなかったみたいだけど」
 
 自国よりも聖獣が欲しいと言った第三王子を思って、カイルサィートは数秒ほど立ち止まった。
 ミョレン国内のイザコザだけならこちらにとっては関係無いのひとことで済ませられるが、聖獣が絡むとなるとそうは行かない。しかし途方も無さ過ぎて警戒する必要があるのか怪しい。教団に報告しても信じてくれない気さえする。
 
 思考を巡らせても答えが出ない問題はひとまず忘れて、カイルサィートは自分が聞いた他の噂を話すことにした。止めていた足を動かす。
 
「現在のミョレン王国で王位継承権を有しているのは、先王の兄弟姉妹が何人か、あとは先王の直系の子が四人。その四人の中で唯一、オルトファキテ王子だけは母親が平民以下の身分で、詳しい経緯は知らないけど、どうやら母親は王子を産んだ一週間後に自害したらしい」
 ミスリアがはっと息を呑む。大分先を歩くゲズゥが、まるで話に興味を持ったように振り返っている。
 
「……とまぁ、王子ははじめから王位継承権を持っていなかったってね。ところが彼は成人してからの数年間、消息を絶った。死んだんじゃないかって噂が出回るほど長い間が過ぎるといきなり城に戻って王と謁見し、その直後に王は第三王子にも継承権を与えると言って譲らなかったそうだよ」
「どうして王様はそんなことを言ったんでしょう。王子殿下の才気を知って考えを改めた……とか?」
 
「その読みはいい線行ってると思うよ」
 勿論、実際の正解は知らない。
 カイルサィートは無言で藪を払う長身の青年の、後ろ頭をじっと見つめた。
 
(おそらく、彼らが出会ったのは王子が城から失踪していた数年の間)
 王子のそれまでの人格とそれからの人格に如何ほどの差異があるのか、知ってみたいような知りたくないような、微妙な意欲が沸く。
 少なくともその数年がどんなだったか、訊ねてみればゲズゥ・スディルは答えるだろうか。
 
(またの機会があれば訊くかな)
 たとえその機会がいつ訪れるのか、想像がつかなくても。
 そろそろ時間切れである。
 
 岩壁に挟まれてた道が、視界が、急に開けた。
 前方では少々の平野の先に、濃い緑色に覆われた低い山が連なる。山々の麓には畑と民家が並んでいる。
 ミスリアが情景に感嘆の声を上げた。
 
「何だか大陸のこの辺りは地形がめまぐるしく変わりますね。綺麗です」
「南西へ行くとただの平地の方が珍しいね」
 カイルサィートは右隣に目配せした。
 数歩先で道がちょうど別れている。民家に近づきすぎない距離から、平地を進められる。
 
「僕はここから北へ行くよ」
 笑ってそう伝えたら、ミスリアが落胆に表情を曇らせた。鞍上からおもむろに降りて、彼女はカイルサィートの正面に立った。
「ちょっと残念です。できればもっと一緒に旅をしたかった……」
 
「それは僕も最初はそう提案したかったけどね」
「と言いますと?」
 小柄な少女が首を傾げた。ウェーブのかかった栗色の髪が風になびく。
「考えが変わったと言うのかな。僕は聖獣を蘇らせる旅には出ないよ」

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16:30:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.h.
2012 / 07 / 30 ( Mon )
 浮かんだ映像を打ち消すため、ゲズゥは目を開いた。
 ちょうどミスリアが地面に膝をついたところだった。
 
 彼女は手のひらを上にして両手を合わせ、聖人が小瓶から垂らす水を受けた。その水を使って手を洗うようにこすり合わせる。
 そこで歌が終わった。
 
「地上での生を終えた器から、魂が穏やかに旅立ちますよう――」
 聖人が十字に似た銀細工の首飾りを左手で握り、言葉を紡いだ。先ほどのよくわからない言語と違って、これはシャスヴォルの母国語だ。考えうる理由としては、死した対象と縁深い言語を選んだのだろう。
「清めます」
 呼応したのはそっと手を広げたミスリアだ。こちらは南の共通語。
 
「旅立った魂が聖獣に導かれ、天上の神々へ辿り着けますよう――」
「祈ります」
 今度は祈るようにして両手の指を絡め、握り合わせる。
 
「そうして地上に残された器が、生命の輪に循環できますよう――」
「授けます」
 ミスリアは素手で墓石の前の土をどけて小さな窪みを作った。
 いつの間にか首飾りを離していた聖人が身を屈め、手のひらから何か小さな物を滑らせた。ちょうど窪みの中へとそれは落ちた。
 
「どうか、健やかに」
 土を戻し、最後にまた水を少しかけてから、二人が同時にそう言った。立ち上がり、互いに向けて軽く礼をする。
 それからしばしの間があった。
 
「終わりましたよ」
 振り返り、ミスリアがゲズゥに声をかけた。手ぬぐいで土のついた手を拭いている。
「君も、手伝ってくれてありがとう」
 聖人が爽やかに笑う。
 ゲズゥは一度頷き、樹から離れて二人に歩み寄った。
 
「今のは、種か」
「はい。生を終えた肉体が還りやすいように植えるのです。これでこの場からは瘴気が発しにくいようになりました。歌は、死した魂に敬意を表し、天へ昇華するように説得するためのものです」
 神妙な面持ちでミスリアが答えた。
 
「といっても本人の業や穢れが重すぎると、結局は魔物に転じるかもしれないけどね。あくまで可能性を減らす手段であって、絶対ではないよ。でも少なくとも周囲の他の魔物が近寄らなくなる。魔物同士がむやみに絡み合えば最悪、君の故郷のようになりかねないからね」
 聖人は服に付いた土を払いつつ言った。植える種は花や木などと、種類は何でも良いらしい。
 さて、と呟いて聖人は空を見上げた。雲が減り、日の光が漏れている。
 
「随分と時間を取られちゃったね。そろそろ行こうか」
「はい」
 そうして三人は樹に繋いでいた馬の元へ行き、荷物をまとめて再出発した。
 
_______
 
 見知った葉っぱを見かけてカイルサィートは一瞬、立ち止まった。
 三枚ずつ生えている点や、色、蔦の形などでわかる。
 
「そこ触らないようにね」
 前を歩くゲズゥに注意喚起したが、言い終わる前に彼はそれを避けて進んでいた。先に気付いていたのだろう。
「どうしました?」
 馬上からミスリアが訊ねる。
 
「ツタウルシだよ。触れたらかぶれる」
「あ、知ってます。発疹や皮膚炎になるそうですね」
「葉の油が厄介だな。洗っても洗ってもかゆい」
 振り返らずにゲズゥが付け加えた。
 と思ったらいきなり、ゲズゥの姿が消えた。カイルサィートは瞬いて、何が起きたのか考えた。
 
(素早くしゃがんだから消えた風に見えたのかな)
 三人が進む道は既に獣道であり、薮に覆われている。長身の彼でもしゃがんでしまえば姿が隠れる。道の側面にはいつしか岩壁が現れ、視界が狭まっている。
 カイルサィートは歩み寄って、様子を伺った。
 
「何かいた? 蛇?」
「……キノコ」
 ゲズゥが指差した箇所に視線を落とした。
 倒れた樹の幹の影に、確かに茶と白のキノコが群れて生えている。
 
「こいつは生で食っても美味い」
「なるほど、いいね。でもできれば洗えるといいな」
 それが毒キノコであるかは、疑わなかった。カイルサィートの持つ知識の中には無い種だが、ゲズゥの育ちを思えば彼が森の中の食べられる物とそうでない物を見分けられないはずが無い。
 
「さっきの水は」
「聖水は貴重だからダメですよ」
 ミスリアが苦笑した。その返答にゲズゥは肩をすくめた。
 仕方なく布で拭くだけにして、歩きながら食べた。パンなどと合わせると生のキノコに含まれる水分で、パンによって乾いた喉が潤う。
 
 先頭のゲズゥが慣れた手つきで道を作っている。短剣を振るい、必要な分だけ藪を払っている。
 ザシュッ、と言う枝の斬られる音と足音や衣擦れ以外は、静かだった。前後に人の気配はしない。
 
「そういえば、ミョレン国だけど」
 カイルサィートは雑談をしだした。

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22:51:01 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.g.
2012 / 07 / 22 ( Sun )
 言っている意味が通じなかったのか、ミスリアはきょとんとしていた。次に小首をかしげ、次第に複雑そうな表情になった。
 
「聖獣を……手に入れる……? って、どういう風にして手に入れるんですか?」
 腕を組み、ああでもないこうでもないと唸った。イメージできないらしい。
「さぁ。制圧するか、捕まえるか、滅ぼすか何かじゃないか」
 とりあえず思いつくままに言ってみた。オルトの考えることなど、昔からわかるようでわからないものだと諦めている。
 
 大きな樹脂の欠片で土を掘る手を止めて、今度は聖人が眉をしかめた。
 
「途方も無い話だね。聖獣の居場所すら知らないだろうに」
 そう言って袖を捲り上げて、聖人は作業を再開した。
 死体を埋める為の穴を掘る作業だ。ゲズゥも樹脂の欠片を用いて、土をどけた。あと程なくして大の男が入るような穴になる。
 
「誰も知らないのか」
「それは少し違うよ。教団が管理してきた重要機密として、知識は断片という形で広く存在している」
 聖人の言い方に、謎かけか、とゲズゥは呆れた。
 
「知っている人がたくさん居るのに本当は誰も知らない、という状態です。情報を繋ぎ合わせないと、北の一体どこに聖獣の安眠地があるのか割り出せないようにしているのですよ」
 少し離れた位置に立つミスリアが補足した。
「でしたら私たち聖人聖女さえも最終目的地を知らないのではないかって話になりますけど、進むべき道ならあります。それに偽の情報の中から真実を探し出す方法も」
 
 ミスリアは落ち着いた声でそう言って、遠い何処かを見上げた。実際の曇り空の中にある何かを見つめてはいないのだろう。
 聖獣に到達するまでの道のりが、既に途方も無いのだということはなんとなくわかった。
 それなのにそんな道に人生を捧げる人間が目の前に居る。付き合おうとしている自分もやはり、おかしいのかも知れない。
 
 穴を掘り終わり、ゲズゥは聖人と協力してその中へと元兵隊長の死体を放り込んだ。聖人の表情は硬く、人がやりたくない作業をあくまで仕事だと割り切ってこなす時の、真剣な顔だった。傍らに立つミスリアはまだ気分が悪そうだが、それでも目を逸らさない。
 放り込んでから土をかけ直す作業は、ゲズゥが一人で引き受けた。本音では埋葬してやりたいとは特に思わないが、あの二人が魔物が発生しないようにちゃんと弔いたいと提案したのである。
 
 それに対して、ゲズゥはどういう弔いの儀式なのか見てみたいと興味本位に考えた。
 柳の樹の下に埋葬するだけが故郷の村の風習であり、その後の人生でもゲズゥはあまり複雑な葬式に立ち会ったことは無かった。ましてや、聖職者の関わった葬儀など。
 
 聖人がどこからか石を持ってきた。人間の頭ほどの大きさのそれを墓石代わりに置く。
 ミスリアは懐から取り出した小瓶を、聖人に渡した。受け取った聖人は地面に片足立ちになり、小瓶の蓋を回して開けた。
 
 透明な水が一滴零れる。
 それは不自然なほどゆっくりと垂れ、瓶を離れて落下し、そして石に当たって弾けた。
 いつの間にか、折り重なる声が耳を打っていた。
 
 二人が何かを唱えている。正確には歌っている? それもまったく同じ歌という訳ではなく、合唱になるようにそれぞれ音を分担している、ように聴こえる。音楽に通じていないゲズゥにはそういう認識になる。
 近くの樹に背中を預け、心地良い音に目を閉じた。
 
『――多分、俺はそういう目的の為に、生きていない』
 
 つい先ほど自分が口にした言葉を頭の中で反芻する。
 どうしてそのように答えたのかは自分でもはっきりとわかっていない。ただ、あの女やオルトについて行っても、きっと変われないと思った。
 
 おそらく、一生に一度だけ与えられた機会。
 処刑されるはずだった自分と同じ生き方では、誰も守れやしないのだ。
 
 ゲズゥは自嘲気味に笑った。
 ――アレはとうの昔に庇護を必要としなくなったというのに、未だに守ってやりたいと思うなど馬鹿げている。
 
 あまりに綺麗な顔が嫌味ったらしく微笑むさまが脳裏に浮かんで、ゲズゥはイライラするようなモヤモヤするような、なんとも言えない心持になった。

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23:12:33 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.f.
2012 / 07 / 17 ( Tue )
 まともな王子と知り合っていたなら、もしかしたら違った思い出を共有できたかもしれない。
 黄昏の頃に国の未来を憂えていた姿やら、理想の王像を語る輝かしい笑顔やら。勿論そういった人物にゲズゥが縁を持てるはずも無いが。
 
 残念ながら命がけの場面での思い出ばかりだからか、まさかその男がどこかの国の王族だなどとはつゆほども思わなかったわけだ。
 
「……お前の原動力って一体何だ」
 その日は巷の縄張り争いが激化したからと、侵入者の掃除にでかけたのだった。何人かで行動していたはずだが、気が付けば二人しか生き残っていなかった。
 
 夢中で闘っている内に周囲が死屍累々になるなど、ゲズゥにとっては驚くような経験ではなかった。そして彼は味方の立場の人間を守ったり手を貸すのも普段からあまりしないので、一緒に赴いた人間に勝手に死なれることも多かった。
 
 だがオルトは生き延びた。
 それまでに何度か関わったことはあっても、記憶に残るような関わり方はしていない。
 聞いた話だと奴は騎馬戦に強く、白兵戦だと中の下程度の実力らしい。実際に組んでみてわかった。手ぶらでやり合えば十回に九回は必ずこちらが勝つだろう。
 
「何だ? お前が私に興味を持つとは珍しい。それどころか、自分から喋り出すとは珍しいな、ゲズゥ。頭でも打ったか?」
 オルトは倒れ伏せた人間と死体の間を器用に縫って、金目の物を漁っていた。口元が斜めに釣りあがっている。しゃがんでいるため上目遣いになり、藍色の双眸が挑戦的に光る。
 
 ――この男は賢い。そして冷静だ。
 周りが乱闘を繰り広げる中で、一人だけ冷めた目で状況を分析し、他人を巧く盾に使って立ち回っていた。息が上がっているようにも見えない。
 
 そんな中、時折見せる愉悦の表情は何だったのか。生き延びる事を最優先する自分とは違う何かを感じて、何故だか気になった。
 
「別に答えたくないなら構わないが」
 ゲズゥは顔に付いた返り血を手のひらで擦り取った。
「答えないとは言っていない。そうだな、私を動かすのは好奇心、いや探究心? それも少し違う。私は、自分の限界を試したいのだ」
 立ち上がり、オルトは速やかに次のカモを定めた。
 
「限界?」
「そうだ。誰もやっていないことをやりたいからと、私の望みはそんなモノではない。誰かが既に果たして居ようが居まいが、私自身にそれが出来るか否かが総てだ。行為自体に、意味は無くてもいい。ただ、出来ると、自分に証明したいのさ」
「……変な望みだな」
「ああ、私もそう思う。それも、楽しいのだから仕方あるまい。で、どうだ? 手始めにこの領域の『頭領』に取って代わりたい。私のささやかなクーデターに手を貸さないか、ゲズゥ・スディル」
 
 その誘いに頷いたのが何故かと後に問われれば、オルトに触発されて「楽しそうだと思ったから」と答えるだろう。楽しさを求めて何かをするのがいつ振りだったか、もう自分にもわからない。
 どうかしていた。しかし、後悔は生まれなかった。二人だけで始まったその運動は勢いを増し、数ヶ月後確かにその領域はオルトの所有物になったのである。
 
「私は答えたから、今度はそっちの番だ。お前の原動力こそ何だ?」
「……」
 無意識に左目を押さえた。
 ゲズゥはそのまま黙り込んで、いつまでも答えなかった。
 
_______
 
「……オルトはああ見えて、周りの競争を面白がっているだけだ。自国の王位など本気で欲していない」
 数年も会わずじまいで再会してもすぐに名前が思い出せなかった人間のことを、ゲズゥは淡々と語る。
「…………ラサヴァで、耳打ちされたが」
「はい、覚えています。何を言われたんですか?」
 ミスリアが訊ねた。
 
「あの時あいつは俺に、『聖獣とやらは面白そうだな。手に入れてみようと思う』と言った。『割と本気』なら、そのうち行動に出るだろう」

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12:49:56 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.e.
2012 / 07 / 16 ( Mon )
(大陸を手に入れようだなんて、小国の第三王子に出来るわけが無いわ)
 一体彼女は何を血迷った事を言っているのだろう。
 呆れて何も感想が出ない。きっとゲズゥだって「くだらない」の一言で一蹴してくれるだろう。
 
 けれども前方に立つ彼は何も言わなかった。しばらく経っても、僅かに首を傾げるだけだ。
 徐々に不安が、ミスリアの胸中に広がった。
 
 旧友からの誘い、大陸が手に入るという誘惑。ゲズゥが応じる可能性は完全に否定できない。
 もしも彼がそれを望むのならば、引き止める言葉をうまく並べられるだろうか。
 もともとなし崩し的にミスリアについてきているような印象はあった。護衛を引き受けてくれた理由は未だに聞き出せていない。
 
(やめて。おいていかないで――)
 今度こそ道が分かれる予感がして、ミスリアは両手をきつく握り合わせた。
 ゲズゥの返事を聞き届ける勇気を己の中からかき集める。
 
「それはお前からの勧誘か」
 恐れていた肯定の言葉は無く、ただ無機質な問いがあった。
「……何故?」
「オルトは俺にそんなことは言わない」
 ゲズゥは差し伸べられた手を凝視している。
 
「……何だと?」
 明らかにムッとした顔になり、セェレテ卿が不快そうに訊き返した。
「俺の忠誠など、望まない」
 
「――貴様が殿下を語るな! 名を呼び捨てるな! 知り合ったのが先だったからって調子に乗るなよ!」
 途端に、セェレテ卿が怒りに任せて怒鳴りだした。そうしていると、彼女が毛嫌いしていたらしいシャスヴォル国の元兵隊長とどことなく似ている、とミスリアは密かに思った。隣のカイルが反射的に身構える。
 
 対するゲズゥは、興味無さそうに肩をすくめただけである。
 
「……ならば殿下ご自身の望みであれば、貴様は応えるのか?」
 幾分か落ち着いてから、セェレテ卿はもう一度口を開いた。ゲズゥの勧誘にオルトファキテ殿下が関与していなかったことを認めるような発言だ。
「いや、別に」
 
「何故だ? これほど心躍る話は無いだろう。あのお方が如何に素晴らしいのか、貴様なら知っているはずだ。ついていけば満ち足りた人生を得られる。少数派である我々だからこそ」
 セェレテ卿は心外そうに熱弁を振るった。地位やお金で釣る気はないらしく、仕えるべき主君の素晴らしさをひたすら推している。
 
 最後辺りの、「少数派」という単語にのみゲズゥは眉を吊り上げるという反応を示した。
 
「オルトに不満がある訳じゃない。ただ――」
 彼は肩から振り返り、ミスリアを一瞥した。黒曜石を思わせる瞳に、思わず心臓が跳ね上がる。
 何かを確かめるような、伺うような視線だった。
 
「――多分、俺はそういう目的の為に、生きていない」
「世界征服よりも世界を救う為、などとくだらない使命感か? いくら命の恩があっても、仕える人間は選ぶものだ」
 それはミスリアが仕えるに値しない人間だと暗に仄めかしているようだった。
 こちらとしてはゲズゥを自分に仕えさせるつもりでも無いので、怒る気も起きない。
 
「誰かに従えというなら、それこそがくだらない。俺の主は、俺だけだ」
 彼はキッパリと断言した。
 
(確か、亡くなったお母様が言っていた……)
 聞き覚えのある言葉に、ミスリアは納得した。もしかしたら彼は幼少の頃からそれを守り続けてきたのかもしれない。
 何であれ、ゲズゥが申し出を受け入れる気が無いのだとわかって、こっそり安堵する。
 
 反論の代わりに、セェレテ卿がゲズゥを睨んでいる。やがてまた、鼻で笑った。
 
「なら、損をするのは貴様の方だな」
「そうだな」
 何の感情も篭っていない返事。
 
「ふっ、まあいい。実は殿下から貴様への伝言を預かっている。本来の用事は、こっちだ」
 そのためにミスリアたち一行を探し出したのであって、某氏への長らく続いた鬱憤を晴らしたのとゲズゥを勧誘したのはついでらしい。
「伝言?」
 
「そうさ。『私は割と本気だ』――何の意味かは、自ずと知れるだろうと。私にはさっぱりわからんが」
 セェレテ卿は腰に手を当てた。主を全面的に信頼しているのか、隠し事をされても欠片も気にしている風に見えない。
「確かに伝えたぞ。私はこれで去ることにする。死体は放っておけ。また、何処かで会うことがあるかもしれんな」
 楽しげに言い捨てると、彼女は現れたのと同じぐらいに迅速にその場をあとにした。
 
 残された三人が、顔を見合わせる。
 傍には人間の死体が一体と、草を食む馬が一頭。
 なんともいえない沈黙が降りた。その沈黙を最初に破ったのは、カイルだ。
 
「嵐みたいな人だなぁ……。とりあえず、伝言の意味はわかった?」
 どこか好奇心の混じる声色で、彼はゲズゥに問いかけた。
 ゲズゥは大きく嘆息した。

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14:09:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.d.
2012 / 07 / 11 ( Wed )
「ははははは! 貴様はずっと前から鬱陶しくてならなかったんだ。お互いに自由の身になれた今だからこそ、こうしてやれたのさ」
 聞き覚えのある声は紛れも無く彼女のものだ。返事のできない相手に好き放題言い放っている。
 
 ミスリアはこみ上げてくる感情の名を知らない。何故だか息のし方が思い出せない。
 今までで人が死ぬ場面にも、生まれる場面にも、立ち会ったことはある。けれども人があからさまに殺される場面は、初めてだった。
 
(どうしてあの人は、簡単にそんなことをするの。どうして、笑っているの)
 訊ねたところで、どんな返答が返ってきても自分に理解できるとは到底思えない。
(ゲズゥなら、殺した後はどういう反応をするのかしら――)
 脈絡も無いことを思った。大分混乱しているらしい。
 
「セェレテ卿、貴女は近いうちに処刑されると聞いたのですが」
 口を挟んだカイルの声は普段よりも低く、警戒に満ちている。
「聖人デューセ、残念だったな。私が死人に見えるか?」
 彼女はそうして高笑いをした。
 
「見えませんね。貴女は魔物ではなく生きた人間です」
 冷ややかにカイルが答える。
「ならそこの男の仲間に入れてやってもいいが」
「それはしなくていい」
 ゲズゥが何でも無さそうに提案したら、カイルが即座に却下した。
 
 ミスリアは目を瞑り、口から一度大きく深呼吸をする。カイルのシャツを握る手の力を抜いた。今度は鼻だけで深呼吸をする。そうしていくらか気持ちが落ち着いたら、カイルの腕の中から抜け出た。
 
(よく人がいきなり現れる日だわ)
 ため息を飲み込み、ミスリアは倒れた男の首から剣を抜く女性の後姿を捉える。奥歯をかみ締め、目を逸らさずに見届けた。
 
 女性はベージュ色の麻のブラウスに群青色の麻ズボンといった、身軽そうな格好をしている。
 顎までの長さの、薄茶色の髪は毛先が微妙に揃っていない。――薄茶色?
 彼女はこんな容姿だっただろうか?
 
 くるりと、素早く女性が振り返る。
 不敵な笑みをたたえている二十代半ばほどの女性は、紛れも無くシューリマ・セェレテ卿だった。
 
「化粧か何かでそばかすを誤魔化しているのですか?」
 カイルが訊いた。
「まあ、そんなところだ。顔を知る人間なら近づけばすぐにわかるだろうが」――彼女は息絶えた元兵隊長を顎で指し――「遠くからはわかるまい。処刑が済み、人々に忘れ去られるまでは、一番の特徴を潰しておけと殿下のご命令だ。染め粉を手に入れるのには苦労したな」
 
「処刑が済むというのは、貴女の身代わりに立てられた罪無き別人のことですか?」
 己の舌から転がり出た言葉と声の冷淡さに、ミスリア本人さえも驚いた。
「さて、別人ではあるが、罪の有無はどうだろうな。何かしら裏のある人物をついでに私に仕立て上げて消すのかも知れん。殿下ならば一つの石で二羽も三羽も鳥を打ち落とすのが常だ」
 セェレテ卿は自慢げに答えた。どうやらオルトファキテ殿下が彼女の解放に手を回したのは間違いないらしい。
 
「それよりも、私はちょうど貴様に用があったのだ、『天下の大罪人』」
 剣で空を切り、セェレテ卿が血に濡れた剣先でゲズゥを指した。といっても、剣先は彼より五歩以上は離れている。
「……貴様、『戦闘種族』だろう?」
 楽しそうに彼女は笑う。新しい遊びを見つけた子供のようだ。
 
 聞いた事のない単語に、ミスリアは首を傾げた。カイルを仰ぎ見ても、彼の瞳にも疑問符がちらついている。
 ゲズゥは、一見何の反応も表していない。ところが剣の柄を握る右腕に力がこめられるのを、ミスリアはしかと見た。
 
「剣を交えた時に確信した。私の速さについて来られる人間などそう多くない」
「確信したということは、お前もそうか」
 抑揚の無い声でゲズゥが応える。
「ほう? とぼけるな、貴様とて私に気付いただろう。我々は互いに互いを認識できる。まさか『呪いの眼』の末裔に戦闘種族の血筋が混じっているとは思わなかったが」
 セェレテ卿が鼻で笑う。
 
(戦闘種族って、呼び方からして戦いに特化した人間のことかしら?)
 アルシュント大陸での「人種」とは――血の繋がりによって遺伝する、身体的な特徴を共有した少数派人間を意味する。それぞれを、共有する特徴で括って「何々種族」と呼ぶが、その分類の仕方は結構おおまかである。どれもが呪いの眼の一族のようなわかりやすい特徴を有している訳ではない。
 
 総ての種族で共通しているのは、どれも少数派であることだけだ。そのため、本人たち以外に存在を知られていなかったり、歴史の流れと共に埋もれることが多い。
 
「――共に来い」
 セェレテ卿の次の発言は意外過ぎるものだった。剣を下ろし、空いた手をゲズゥに差し出している。
 ミスリアとカイルは目を瞠った。
「殿下に従え! 貴様の実力なら我々にとっては即戦力となりうる。どうだ、オルトファキテ・キューナ・サスティワ殿下の下でゆくゆくは大陸を手に入れようじゃないか」
 
「無茶苦茶なことを仰いますね」
 苦笑交じりにカイルが呟いた。
「別に貴様らは誘ってないぞ。何処へなりとも行けばいい、私は追わない」
 セェレテ卿はカイルに向けて、しっしっ、と追い払うように手を上下に振った。

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