14.c.
2012 / 07 / 07 ( Sat )
「ミスリア、少し下がろう。巻き込まれたら困るからね」
 ふいにカイルの声がした。
「でも……」
「心配いらないよ、きっと。この場合、周りが見えてる方に分があると思う。その点、彼は十分に冷静だから」
 
 戦闘に関する知識に乏しいミスリアには、カイルの示す理論に異を唱えられない。引かれるままに、馬を下がらせる。ついでにカイルの手を借りて、馬上から降りた。
 鉄と鉄のぶつかる音。傍目にもゲズゥよりも筋力の優れた男が、勢いに任せて剣を弾き飛ばした瞬間だった。
 
 ミスリアが息を呑むのとほぼ同時に、ゲズゥは元兵隊長の懐に踏み込んだ。左手で槍を制し、右肘で腹を押さえ込む。そういえば前にも、似たような展開があった。得物を失うとゲズゥはうろたえるどころかそれを逆に利用するらしい。
 元兵隊長にできた隙は、短かった。ゲズゥはその内に飛び上がり、相手の顎に頭突きをくらわせた。見るからにかなり痛そうだ。
 
「がはっ……!」
 元兵隊長は呻いた。
 普通ならば衝撃で身動き取れなくなりそうなものの、彼は報復に燃える両目を光らせ、後ろに倒れつつも足で槍の柄を蹴った。
 
「――!」
 ゲズゥは声ともいえない呻き声を漏らした。槍の刃がちょうどこめかみ辺りにぶつかったようである。
 血飛沫に驚いて、ミスリアは小さく悲鳴を上げた。
 しかし斬られた当人は体勢を崩していない。むしろ、体勢を崩した元兵隊長にすかさず踵落としをくらわせている。
 
「……あんな早業、初めて見たよ」
 呆然と感心を表すカイルに、ミスリアは頷いた。
 
 それでも元兵隊長はよく粘る。鎧を着込んでいない分だけ身軽であり、彼は地面から跳ね上がった。
 再度槍による攻撃を繰り出すが、それをゲズゥは淡々と避け続ける。まるで、突かれる位置を先読みしているようだ。
 
「逃げるな! 貴様、なんぞに! この私が! 敗れていいわけがあるか!」
 いっそ彼が瘴気でも吐いているかのように見える。急に背筋が寒くなって、ミスリアは身震いした。
「……そうか」
 いつの間にまた相手の背後に回ったゲズゥが、興味無さそうに言う。
 
 これもまた早業だった。瞬く間に、あんなにも図体の大きい元兵隊長が宙を飛んでいる。運が悪いのかゲズゥが狙って投げ飛ばしたのか、彼はそのまま小岩に激突した。多少の土やら草やらが跳ねる。
 
 ゴツッ、という音に思わずミスリアとカイルは顔をしかめた。
 元兵隊長は岩を背にぐったりしている。タフな彼も流石に動けないのか、口を半開きにして息も荒い。意識はあるようで、瞳は未だに憎悪に燃えている。
 
「お疲れ。といっても、彼みたいに憎しみに振り回される方が疲れる気がするけどね」
 カイルは爽やかな笑顔を浮かべて、佇むゲズゥに声をかけた。
 確かに、元兵隊長がぐったりしているのは身体的なダメージだけが原因とは思えない。彼は父親を失って悲しかったのだろうか。それとも家が没落した事で受けた屈辱の方が、大きかったのだろうか。
 
「嫌味か」
 冷淡な返事が返ってきた。
 
(そういえば将軍さんを殺したのは憎しみからだって言ってたわ)
 ならばゲズゥも憎悪に振り回される感覚を知っているのだろう。カイルの言葉が自分に対する嫌味と受け取るのも不思議ない。
 
「え? そういうつもりで言ったんじゃないけど……」
 困ったようにカイルが苦笑いをする。ゲズゥはそれ以上は何も言わず、弾き飛ばされた大剣の回収に向かっている。本気で気にしていないのかもしれない。
 
「まあそれはいいか。それよりどうする? このまま置いていくのはひどいし、だからといって治癒を施すのも何だか気が進まないな」
「そうですね……」
「気になるなら、近くの人里に捨ててくればいいだろう」
「……君が言うと、段々それが最善に思えてくるのは何でだろうね」
「無責任です! それでは罪も縁も無い人に厄介ごとを押し付けることになります」
「うん。ここまでの執着心、適当に捨てただけじゃあまた追ってきそうだしね」
「では誰かに身柄を引き渡すべきと?」
「そうだね……。ねえ、ところで耳からものすごい血が出ているよ」
「あっ! 私が治しましょうか」
「ほっといても塞がる」
 
 目前の危険が消え、三人とも緊張を緩めて話をしていたからか。
 樹の後ろから滑り出てきた新しい人影への対応が遅れてしまった。
 
 勿論、最初に気付いたのはゲズゥだった。彼が目を細めたことに、次はミスリアが気付いた。あろうことか彼は何の行動にも出なかったので、視線の先を追うだけにした。
 人影は元兵隊長の横に立つと、長く細い物を伸ばした。
 
「シューリマ……セェレテ!? 何故――」
 驚愕に彩られた声は、それだけしか言えなかった。すぐに喘ぎ声と、何かおぞましい音が続いた。
 何が起きたのか理解した時にはもう終わっていた。
 
「ミスリア! 見ない方がいい」
 カイルに頭を抱き抱えられ、彼の胸に額を押し当てられた。
 けれども、既に映像は目に焼き付いている。
 
 シャスヴォル国の元兵隊長の喉元に細い剣が生えていた。
 あれでは間違いなく事切れていた。聖気を展開するまでも無い。
 ミスリアはカイルのシャツを握り締め、体が震えるのを止めなかった。吐き気を通り越して、頭がぼうっと麻痺している。

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00:23:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
14.b.
2012 / 07 / 03 ( Tue )
 一人で追ってきて、一人であとをつけてきたというのなら、凄まじい執念である。
 それもそのはず。ゲズゥこそがこの人の、偉大なる将軍だった父親の、仇だと言う。
 国境で交わされた会話を思い出してミスリアは吐き気を催した。それを押さえ込むため、口元に手の甲を当てた。
 
 ――大丈夫? との、カイルの気遣わしげな目配せに何とか頷く。
 
「貴様が父上を惨殺してからというもの、我が一家は没落の一途を辿り続けた。公開処刑が決まり、貴様さえ死ねばようやく立て直せると思った――だが貴様は生き延びた。しかも、無事に国外に逃れたという! あれから我が一家がどれほど笑いモノにされてきたのか、わかるまい! 聖女、貴様とて同罪だ!」
 
 元兵隊長は、瞬間的に矛先をミスリアに変えた。長い槍の刃が煌いたのは、恐怖でそう見えたからなのか実際に光を反射していたからなのか、わからない。彼の一突きが届くような距離にいなくとも、ミスリアは体が強張った。
 
「役職を辞してまで国境を越えたのはひとえに復讐を果たすためだ。今日は逃がさぬ。貴様ら全員の屍を踏み躙るまで、私は止まらない!」
 鬼気迫る様子で元兵隊長は叫ぶ。
「言い訳をするなら今のうちだ。したところで、もっと無残に殺してやるとも」
 元兵隊長は今度は大きく体を揺らしながら笑った。
 
 もはや彼には常識が残っていないのだろう。「天下の大罪人」はともかくして、聖人や聖女にまで死の脅迫をしていいものではない。
 
 ゲズゥは、つまらなそうにため息をついた。そして元兵隊長の方には目もくれずに、何故かこちらを伺っている。
 一度瞬くと、ゲズゥは復讐を唱える男と再び正対した。
 
「何を言い訳しろと。アレを殺したのは元は従兄との約束がきっかけで、いわば村の仇討ちであっても、結局は俺が自分自身の憎しみに基づいてやったことだ」
 そう話すゲズゥが、いつもの無機質な話し方と違ってひどく面倒臭そうなのが印象に残る。
 従兄との約束とはどういうことだろう。村の仇討ちだったならば、かの将軍は村を崩壊させた実行犯の一人であったと? 
 疑問を抱きながらも、ミスリアはゲズゥとのとある会話を思い出していた。
 
『俺は生きるために必要なら他者を喰らう。生存本能に倣って』
『――今までが全部そうだったとは言わない』
 
 村の仇討ちのため。
 それは即ち復讐心と憎しみに駆られて、生きたままの将軍を苦しませて殺したと。親類縁者の復讐のためといってもそれは非道な行いであり、果てしなく間違っている。
 
(でもそれが人間っぽく思えるのは、どうしてかしら)
 何を根拠にそう思うのか自分でもよくわからなくて、ミスリアは首を傾げた。
 生き物の命を奪うという行為は、何よりの至悪であるはずなのに。拷問にかけるなど、もってのほかだ。
 
「黙れ! 下種が――」
 元兵隊長は顔を紅潮させて、益々激昂した。
 
「お前が俺に復讐するのはお前の勝手だ。そこで返り討ちにするのは俺の勝手だ。そうなっても恨むなよ」
 あくまでゲズゥは冷静に告げる。
 彼は手首を巡らせ弧を描き、剣先を鞍上の男へ向けた。
 
「……ミスリア、お前は殺すなと言うのだろう」
 体の向きを変えずに、ゲズゥは静かに問いかけた。
「はい。お願いします」
 ミスリアはできるだけ毅然として答えた。傍らのカイルを瞥見すると、彼は励ますようにただ微笑んだ。
 
「わかった」
 短い返事の後、ゲズゥが地面を蹴る。傍観しているこちらの目では追えないほどに速い。
 見事な瞬発力をもってして、彼は相手の背後に回った。樹の幹を足場にしている。
 
 元兵隊長が慌てて槍を回転させるが、ゲズゥは姿勢を低くして槍頭をかわした。次いで飛び出し、大剣の柄で馬の後ろ足を殴った。
 白馬が嘶き、咄嗟に逃げ出す。乗り手が振り落とされるのを狙って、ゲズゥが剣を薙いだ。
 
 元兵隊長は槍の柄(え)部分で刃を受け流した。地面に槍を突き立て、それを支えにして後退した。その内に体勢を立て直している。
 すぐ後の攻防で彼は勢いを付け、僅かにゲズゥを押している。しきりに何かを叫んだり、吼えたりしながら。

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14.a.
2012 / 06 / 30 ( Sat )
「ミスリア、絶対に聖女になってはだめよ」
 彼女は強い口調と硬い表情で言った。自分が、聖女になる目標を嬉々と話した直後だ。
「どうして……?」
 そんな反応をされると思っていなかったから、喜んでくれるとばかり思っていたから、ミスリアは悲しくなった。
 
 それが顔と声に出たのだろう。その人は、ミスリアの目線の高さに合うよう膝立ちになった。
 優しい手に、そっと両肩を掴まれた。
 
「ごめんなさい。いつか、あなたにもわかる時が来るわ」
 その人は泣きそうな笑顔を浮かべた。見ているこちらが泣きたくなる。
「わからないよ、おねえさま」
 
「今はそうでしょうね」
 姉はそう言って抱きしめてくれた。
「いいからお願いよ。聖女にはならないで。幸せに、なってね」
 抱きしめる腕に力が入った。
 
 それでも、ミスリアは是と約束できなかった。
 肩に落ちた熱い滴が姉の涙だとわかったのは、もう少し後のことだ。
 
_______
 
 姉が家を出た日の夢を見るのは、久しぶりだった。昔はもっと頻繁に見たかもしれない。
 
(まるで聖女になったら幸せにはなれないみたいな口ぶりよね)
 今でも姉の言葉の意味が見つからない。
 ミスリア・ノイラートは出かける支度を手伝いながらぼんやりそんなことを思った。携帯食の入ったこの荷物を馬につけて最後だ。
 
 今朝も曇天である。
 雨が降ろうものなら進みが今より遅くなるので、心配だ。
 心配事といえば、昨夜通りかかった気配の話をカイルから聞いている。結界を解いた瞬間に襲って来ないとも限らないので、朝から慎重にもなる。
 隣でゲズゥが背中に背負っている剣の柄を片手で握り締めた。警戒に、目を細めている。
 
「それじゃあ結界を解くけど、準備はいい?」
 カイルの問いかけに、ミスリアもゲズゥも頷いた。
 短い呪文の後、カイルの手のひらにのった青水晶が淡く光った。次いで、目に見えない隔たりが完全に消えてなくなる。
 
 いきなり物音がして、誰かが凶器を手に飛び掛かるのではないかと身構えた。しかし数分経ってもそんなことは起こらない。
 
「どうしましょうか」
 ミスリアがゲズゥに訊いた。
「気配が無い。とりあえず進むべきだな」
「じゃあ、そうしようか」
 カイルも同意し、かくして三人は再び歩き出した。
 
 一時間半ほど進んだら、ちょっとした丘に辿り着いた。丘の上の大きな木の根が歪な形で伸び広がるのを、避けて通るようにとミスリアは馬の手綱を繰る。
 あまりに地面と木の根にばかり注意していたからだろうか。右横から現れた影にまったく気が付かなかった。
 
 ――ヒュン。
 空気が切られる音にはっとして、ミスリアは顔を上げた。
 馬が緊張したように嘶き、後退る。
 
 すぐ近くに、銀色に光る平面があった。自分の横顔がおぼろげに映っている。
 ミスリアは戦々恐々と、宙に止まったままの大剣の先を視線だけで探った。
 すると見事な白馬に跨った、がっしりとした体格の男性が伸ばしかけた腕を引くのが見えた。その腕を阻むために振り下ろされたと思われる大剣の方はまだ動かない。
 
「…………」
 突如現れた三十歳かそこらの男を、ゲズゥが無言で見据えていた。男は舌打ちをして、長い槍を構え直した。
 黒いくせ毛と褐色肌。憎しみに支配された眼差しと表情は一度しか見たことが無いけれど、すぐに思い出した。鎧を含まない軽装になっている点だけは以前と違う。
 
(この人、シャスヴォル国の兵隊長……!)
 驚きを顔に出さないように必死に堪えた。
 いつの間にか左隣に来ていたカイルを見下ろすと、彼は片手に抜き身の直剣を構えていた。空いた右手でミスリアの乗る馬をそっと宥めている。
 
「ついにまた、この機会を手にしたぞ」
 兵隊長が下唇を舐めた。
 以前にも増して、纏う気配は危険な熱を帯びている。

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15:07:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
13.f.
2012 / 06 / 28 ( Thu )
 時折弾ける焚き火を見張っていた。
 傍らでは、毛布に包まった少女が安らかな寝息を立てている。
 
(年頃の女の子に、道端での野宿はできればあんまりさせたくないな……)
 眠るミスリアになんとなく微笑みかけてから、カイルサィートは正面にいる長身の青年を見上げた。
 
 程よい大きさの石をどこから見つけ出したのか、ゲズゥはその上に座って瞑目している。腕を組み、右足を曲げて踵を左の膝にのせた姿勢だ。瞑想しているのか寝ているのかは知れない。
 どちらでも構わない。言いたいことを一方的に言いたいだけなので、カイルサィートは口を開いた。ミスリアを起こしてしまわないよう、小声を用いる。
 
「ゲズゥ・スディル、或いは『天下の大罪人』。ミスリアは君が『語られているほど凶悪じゃない』と見ているみたいだけど、僕は少し違う解釈をしている。君は背徳に、何も感じないんだ。祖国にすら見捨てられ、何もかもを奪われた境遇――結果として君が人間として何か欠如しているのかもしれないという話を聞いたけど、実際に会ってみてあながち外れていないと思う」
 
 カイルサィートは目を閉じた。自分の言葉の重さは十分に理解している。いっそ、一方的に言い捨てるだけで終わってもいい。
 逆上されて殺されるなら、せめてミスリアが逃げ切れるまでの時間は稼ぐ。
 
「別に君の生き方が間違っているとか、そういうことが言いたいんじゃない」
 彼の生き方自体を全て理解できているなんて思わない。まだまだ気になる点は多いし、誰も他の誰かを全て理解できやしない。そんなものは驕りだ。それでも、他人を理解しようと努力をし続けるべきである。
 
 ふと視線を感じた。
 目を開けると、色の合わない両目が炎越しにカイルサィートの姿を写していた。といっても黒い右目はともかく、白地に金色の斑点と縦に細長い瞳孔の左目では、写っているものがはっきりとは見えない。
 
 その双眸は威圧的でありながら静かだった。背筋が凍り、微動だにしてはいけないと本能が訴える。
 本能とは裏腹に、不思議と頭では恐れることは無いとわかっていた。出会ってからの時間を思い返せば、簡単に納得できる。彼はむやみに暴力を振るわない。
 
「……ほら、ミスリアって道端の虫の死骸にでも心を痛めるから……危ういと思ったんだ。君が傍にいて、いつかはそういう意味で傷付くんじゃないかと思って」
「遅い」
 低い声が短く答えた。返事をくれるとは思わなかったので少しだけ驚く。
 
「うん。確か、ミスリアが対話していた最中の魔物を君が豪快に斬ったらしいね? まぁ、相手が生きた人間じゃなかっただけ幸いかな。でも、何だろうね、要するに」
 カイルサィートは自分の言いたいことをまとめようと、一息ついた。
 
「僕はミスリアを信じているし彼女の選択を応援するけど、やっぱり君の方からも少しでも気を遣って欲しい。ということを、頼んだところで聞いてもらえなくても、せめて記憶のどこかに留め置いてくれると助かる」
 言い終わると、軽く頭を下げた。
 しばらくして頭を上げると、ゲズゥは訝しげな顔をしていた。
 
(何か皮肉を吐きそうな雰囲気だな)
 確かにゲズゥは口を開けている。が、彼が何か言う前に森の方から物音がした。
 刹那、ゲズゥの顔から表情が消え去った。
 
 残るのは敵を探す獣の瞳だ。
 カイルサィートも、己の吐息を静めた。

 最初の音がしてから、二人は動かずにただ待ち続けた。
 どれほどの間、そうしていたのかはわからない。
 はっきりとした音はもうしなかった。草がふみしめられるような、微かな音なら聴いたかもしれない。
 
 やがて、ゲズゥが興味をなくしたように目を伏せ、剣の柄を握っていた右手を開いた。
 
「通り過ぎたな」
「……そう」
 張り詰めていた息を吐き出した。どの道、結界があるのでどんな敵だったとしても簡単に入り込んだりできなかったろうが、だからといって無視できない。
「狐か何かかな。それとも魔物?」
 一定のリズムで寝息を立てているミスリアを眺めながら、呟いた。
 
「人間」
「え? よくわかったね」
 彼には音の大きさや間隔か何かで判断できたのだろうか。カイルサィートに聴こえなかったような音か、空気の揺れか、はたまた臭いのひとつでも感じ取った可能性もある。
 
「ただの勘だ」
 返ってきた答えはあっさりとしていた。ただの勘でいいのか。
 夜盗やら賊の類を懸念して、カイルサィートは眉をしかめた。何かしら対策を立てるべきかもしれない、と相談を持ちかけようと思った途端。
 
 ゲズゥが道端に生える樹を登り始めたのである。
 考えうる理由としては――見晴らしがいいので危険要素をいち早く発見できそうだからか、それとも単に寝るつもりなのではないかと思う。
 
「三時間したら起こせ。交代する」
 頭上から降ってくる声。見張りの話だ。どうやら登った理由は後者の方が当てはまるらしい。眠気に抗う方法なら多く持ち合わせているので、こちらとしては断る理由は無い。
「わかった。お休み」
 樹の上に向かって答えた。

 不審な気配を、ゲズゥ・スディルが気にしないと決めたのならこちらとて過剰に気にしても仕方ない。
 カイルサィートは日記帳と羽ペンを荷物の中から取り出した。

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12:49:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
13.e.
2012 / 06 / 26 ( Tue )
 ――主のために行ったらしい所業だというのに、最終的にそのせいで主に切られた女。
 ゲズゥは不敵な笑みを絶えずたたえていた女騎士に思いを馳せた。滑稽である。
 といっても、オルトはいわば海か空のような、広いような深いようなとらえ所の無い男だ。かつて一年以上と行動を共にしただけに、ゲズゥは直感でわかっていた。
 
「どうだろうな」
「何が、ですか?」
 力なくミスリアが訊く。
「……あの女に利用価値を見出す限り、オルトは多分そいつを助ける」
 
「どうやって?」
 ある程度抑制しているとはいえ、聖人の目は興味深々だ。
「顔や背格好が似た人間を代わりに処刑すればいい」
「そんな――」
 
「あの男はそれくらい何とも思わん」
 ますます気分が悪そうなミスリアに構わず、ゲズゥはまた歩き出した。
 オルトが女騎士に対して見出した利用価値に関して、あの女と刃を交えた時からゲズゥには密かに思うところもあった。しかしそれを理解できない相手に教えても無益だ。

 食べ終わった林檎を森の中へと投げ捨てた。
 トスッ、と落ちた瞬間の控えめな音がする。その衝撃か音に驚いたらしい小動物が、ガサガサと逃げ回る音が聴こえる。
 そういえば聞きそびれたことがあると思い出して、ゲズゥは歩く速さをゆるめて背後の聖人を振り返った。
 
「うん? どうしたの」
 すぐに気付いて、聖人の方が声をかけてきた。馬上のミスリアもこちらに注目している。
「夜の魔物をどうしのぐ気だ」
 
 ゲズゥはミスリアと聖人の二人に問題提起をした。まさか夜通し移動を続けるつもりは無いだろう。しかも小さな村が点在しているとはいえ道から大分外れてしまうため、宿泊先を探すより野宿の方が手間が少ない。
 
 野生の動物は炎などで近寄らせないなどと対策は立てられるものの、魔物除けに効くのは「結界」といった術だけのようだ。それらの類は専門家こそがどうにかすべき問題である。
 そうでなければ、交代で寝ずの番をするしかない。
 
「カイル、考えがあると言っていましたよね」
 ミスリアは聖人の方へ視線を向けた。
「そうだね。例の水晶をまだ持ってる?」
 
「はい、ここに」
 ミスリアは懐から何か小さな袋を取り出した。細い指で引き紐を解いている。
「村の封印が解けた時、空から降ってきた石のようなものを覚えていますか? これがあの時の水晶です」
 
 覚えている。空が歪んだかと思えば一点の石に収まった、という不思議現象。あの時は母を見送った直後であっただけに深く気に留めなかった。
 こちらからも見えるように、ミスリアが手のひらを差し出す。
 
 水晶といえば面の多い宝石みたいなものを想像した。ところがミスリアの手のひらにのっている青みがかった透明のそれは飾り物の石みたく、滑らかだった。人の手によって磨かれたものに思える。
 ゲズゥは今まで生きた年月の間にさまざまな石を見てきた。見た目で似ているのはガラスの小玉辺りだが、この青水晶は何かが根本的に違う。何がとなるとはっきりとわからない。どうにも教団やら聖気がらみとなると曖昧な感想ばかりになってしまう。しかし、近づいて確かめたいほどでもない。
 
「これを使って簡易式の結界を練るんだけど。聞く?」
 理解できるかどうかあやしいが、いつかは生きるために役に立つ知識となるかもしれないという可能性を検討してから、頷いた。
 前を向き直り、歩き出す。背後からゆるやかな馬の蹄の音と聖人の声が続く。
 
「今は込み入った説明は省くよ。即ち水晶とは、とある何かを別の何かに『繋ぐ』のをより簡単にする、媒体なんだ」
 聖人は軽い調子でそう始めた。
 端から理解の範疇を超えているが、ゲズゥは何も言わないでおいた。道端の倒木を踏んで、ひとり先頭を黙々と進む。
 
「村の封印の要だったのはこの水晶で、核の魔物が消えれば封印も解けるように二重に術がかかっていたんだね。封印と魔物という二つの不安定な存在を繋ぐのは難しい。でも如何に高等な術でも既に解けた今では、この水晶は空白状態に戻っている」
「術が書き込まれていない空白状態なので、私たちが新たな術に使えるわけです」
「そういうことだね。水晶が無くても術を練ることは可能だけど、それだと成功しにくいからね。それで、封印と結界の原理については別の機会に話せばいいかな」
 
「大体わかりましたか?」
 遠慮がちにミスリアが問う。
「…………」
 振り返って、頷いた。わかったといえばわかった。
 でもこの話はもういい、とも思う。

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14:48:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
13.d.
2012 / 06 / 19 ( Tue )
「そうだな」
 ルセナンは深く頷いた。
「噂だと、睨んだだけで人を呪い殺す力を持った眼って説もあるぜ。どうなんだろうな? あの兄ちゃん、そんなことしてたか?」
 好奇心と畏怖の入り混じった目で、ルセナンが訊く。
 
「いいえ」
 頭を振って否定した。ミスリアの知る限りではゲズゥが睨んだだけで相手がどうこうなるなんて現象は起きていない。だからといって、知らないところでそれをやっていないとは言い切れない。真実であれば末恐ろしい能力だ。
「噂は、あくまで噂に過ぎないでしょう。でも貴重な情報を有難うございました」
 信じていないといった具合で、カイルが笑んでいる。もとより、俄かに信じられる話でもない。
 
「それより僕らもそろそろ出ないと。下手すると置いていかれるかも」
 ミスリアにしか聴こえないようにカイルは小声で言った。
「え」
 一瞬想像して、硬直した。
「冗談。でも、一人で先に行ったとしても余裕で自分で生活できそうだよね、彼」
 カイルがあまりに爽やかに笑うので、ミスリアも釣られて破顔した。
 
「……では、お話の途中ですが私たちはもう行きます。色々とお世話になりました」
 二人は揃って会釈した。
「いや、こちらこそ世話になったな」
「お気をつけて。旅、頑張ってくださいね!」
 ルセナン夫婦が会釈を返す。そして明るく手を振って送り出してくれた。
 
_______
 
 ラサヴァの町での馬の入手は困難だった。数が少なく、値段が高い。そのため、買ったのは一頭だけである。荷物を背につけて、鞍にはミスリアが乗っている。一人で乗るのに不安そうな顔をしているが、聖人が手綱を引いているので問題無いだろう。
 町から伸びる一本の道を、旅装姿の三人と一頭は無言で進んでいる。まもなく町から出るため、道のレンガの舗装が途切れ、前方に続いているのはただの土手道である。
 
 談笑が無いのは気にならないどころか、むしろ理想的だった。
 背後の二人は料理屋を出てからずっと何か聞きたそうな様子である。言い出しづらいのだろう、時々こちらに視線を投げかけては口を開き、しかしとて問いを形にすることなくまた目を逸らす。
 察していながらも思いっきり無視を決め込んで、ゲズゥは歩を進めた。
 
 彼は多少の荷物を腰に提げ、大剣を背負い、片手の林檎を時々かじりながら程よいペースで歩いていた。いつしか周囲の景色は人間の建てた建築物から大地より伸びた木々に切り替わった。記憶の中の周囲の地理・地形を、実際のそれと比べながら、脳内の地図を書き換えている。
 この先には森、丘、岩壁、低い山。ミョレンの国境を抜ければ、視界に収まりきらないような高山が現れ、山脈を成す。
 
 国境を抜ける手前で聖人とは道が分かれるらしい。
 そこからの行き先への地図はミスリアが持っているが、地図と方位磁石を読んだだけではあの山脈の抜け方を知ることはできない。最後にあの付近へ行った頃のことを、ゲズゥは思い返した。夜な夜な襲ってくる魔物は当然のこと、獰猛な野生動物が居た気がする。山賊などもおそらくまだあそこで縄を張っているだろう。
 
「……結局、流行り病騒ぎは、全部の責任をセェレテ卿と某商社に押し付けて円満解決に仕立て上げたみたいだね、町長と役人たちが」
 ようやく口火を切った聖人が最初に触れたのはラサヴァの話題だった。
「そうですね」
 未だになんと感じればいいのか決めかねているような声で、ミスリアが答える。司祭の名誉は守られたということだ。
 
「商社の人間は牢入りだったり死刑判決になったりしたけど、セェレテ卿は、数日のうちに公開処刑にされるそうだよ。やっぱり、そうしないと元が騎士だから示しが付かないのかな」
 聖人が抑揚の無い声で言うと、ゲズゥはぴたりと足を止めた。
 振り向けば、ミスリアが血の気の引いた顔になっていた。鞍を掴む手に力を込めたのか、間接が白んでいる。この少女は、敵の立場だった人間の死を聞いても動揺するのか。

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13.c.
2012 / 06 / 15 ( Fri )
 思わず、ミスリアは顔をしかめた。その言葉に思い当たる節が無いでもない。
 
「……そういうことだね、多分」
 カイルは目を閉じて同意し、それ以上は何も言わなかった。
 ミスリアは両手を握り合わせた。かける言葉が思い付かない。
 
 結果、ぎこちない静寂が広がる。
 
「……食って寝てればそのうちどうでもよくなる。心がいくら落ちようが体の方は生きるのを諦めたりしない」
 そう言い残して、ゲズゥは宿屋の中へ戻っていった。パタン、と裏口の戸が閉まる。
「あれ、もしかして慰めてくれたのかな?」
 ゲズゥの姿が見えなくなってから、カイルが訊ねた。
「私にもそのように聞こえました」
 
「いいアドバイスだったね。ひとまず僕は、寝ることに再挑戦するかな」
 カイルは身を起こし、そのまま立ち上がった。
「はい、私も」
 ミスリアは差し伸べられた手を取った。
 
 柔らかい風に打たれ続ける湖を、二人はあとにした。
 
_______
 
 料理屋の夫婦に向けられた憐憫と後悔の眼差しを、ゲズゥは快く受け止めなかった。彼にとっては何の意味を持たないものだからだ。
 面倒くさい方向の話だ。
 踵を返し――曇天の朝に出発して大丈夫か、崩れないだろうか――などと天気の問題へと思考を切り替えた。
 
「当時のシャスヴォル政府があんたらの村に何か不穏なことをしようと考えてたって、隣町のオレらは本当はわかってたぜ。何もしなくて、悪かったな……なんて言っても仕方ないか」
 今更謝罪しても無意味だということを、役人は理解しているようだった。
「事情に気づいたのはほんの一握りの人間だった。騒ごうものなら、オレらは間違いなくシャスヴォル軍に口封じとして消されたはずだ。みんな、怖かっただけなんだ」
 役人は更に話し続ける。
 
 あの日、「呪いの眼」の一族を抹消するつもりでやってきたのはシャスヴォル軍だった。
 近隣の村や町の人間は一族をまったく助けようなどとしなかった。こちらがひっそりと隔絶されたように暮らしていたとはいえ、昔から物々交換などの付き合いはあったというのにだ。
 
 そうしてゲズゥは人類に失望したと同時に、納得した。人は、自分以外の誰かを助けたりしない。それが醜いのかというとそうではなく、ただそれが当たり前の在り様なだけで、生き物はいつでも自分のことだけで精一杯だったのだ。
 
「私たちは『呪いの眼』の一族を嫌ったり怖がったりしなかったわ。本当よ」
 役人の妻が必死な声で訴える。
 
 詮無きことだ。誰が何を言おうと時は遡らない。
 驚愕の表情を浮かべる聖人と聖女ミスリアの間をすり抜けて、ゲズゥは店から通りへ出た。
 
_______
 
(えーと……)
 一度も振り返ることなく去っていったゲズゥの後姿を、なんとなく見送った。
(うぅ、気まずい)
 ミスリアは知らず後退っていた。目立たない程度にカイルの背中側に回る。
 出立の朝だというのに、天気だけでなく旅の先行きもあやしい。
 
「彼らの村を滅ぼしたのは、自国の軍だったんですね」
 沈黙を破ったのは、カイルだった。
「ああ。知らなかったんだな」
「彼は語ってはくれませんでした」
 俯き、ミスリアはそう答えた。
 
「どうしてそうなったのかご存知ですか? 僕なりに考えはありますが」
「さあ……詳しくは知らない。政府が村と『呪いの眼』を危険視してたのだけは間違いないな」
「でも明確な危険性を示す証拠は無いです」
 ゲズゥの処刑を止めた日に総統閣下に言ったのと同じ言葉を、ミスリアは繰り返した。
 
「そうは言っても、人は得体の知れないものを駆除したがるよね。証拠やはっきりとした結果が出るのを待つほどの勇気が無いから、先にどんな不安の種をも潰そうとする。あとになってそれが過ちだったと知ってもね。為政者としてそのやり方が最善なのかどうかは、一概には言えないと思う」
 カイルは重いため息をついた。

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23:54:43 | 小説 | コメント(0) | page top↑
13.b.
2012 / 06 / 12 ( Tue )
 しばらくして衣服の擦れる音がした。静まるのを待ってから、視線を戻す。
 幸いゲズゥはズボンを穿き終えたようで、上半身だけ夜風に晒している。デッキに脱ぎ捨ててあった服を淡々と拾い集め、肌に付着した水をシャツで雑に拭っている。タオルを使えばいいのに、と思ったけど言わない。
 
 ミスリアは風に揺れる水面を黙って眺めることにした。
 静かな夜だった。結界に覆われていないこの町ではなかなか味わえない、魔物の騒がない夜。主にここ数日での魔物狩り師たちの働きのおかげである。勿論、ミスリアも討伐の手助けをしてきた。数が減った今では、余計な聖気の気配が遠くの魔物を惹きつけないように注意を払っている。
 
 ラサヴァを初めて訪れてから一週間半ほど経った。
 諸々の騒ぎの後始末を手伝いつつ、ルセナンの料理屋を手伝ったり、図書館や評判の菓子屋へ寄ってみたりと、ちょっとした観光もしている。
 
 本来の目的を思えば進んだ方がいいのに、ついカイルに気を遣ってしまう。それに、彼も近いうちにこの町を発つそうなので、途中まで一緒に行く約束をした。
 ゲズゥはというとずっと、意見一つ漏らさずに見守っていた。何も言わないのは肯定の意か、それとも関与したくないだけか。護衛らしくほとんど行動を供にしてくれるけど、付かず離れずの距離で数歩後ろを歩く形だ。
 
(でも……なんとなくだけど、何も言わないからって何も考えてないわけじゃない、気がする)
 むしろ彼が呆然と遠くを見つめるのは、色々と物思いに耽っているからだと思う。日頃、何を考えているのかものすごく知りたい。
 
「あと一人って何? なんか意味深だね」
 爽やかな青年の声にはっとなって、ミスリアは後ろを振り向いた。
 ミスリアにとってのたった一人の友人、カイルサィート・デューセが宿屋の庭からデッキに踏み出している。ゲズゥは問いかけを無視すると決めたようで、無言を保った。
 
「カイル。今晩は魔物討伐の予定は無いはずでは」
 深夜にどうして起きているの、という意味合いで訊いた。けれどもカイルが近付くにつれて彼の服装が目に入り、的外れな質問であるとわかった。
 彼は寝巻きとも取れるような無地の大きめなシャツとズボンに、上着を羽織っているというだけのラフな格好だ。とても今から出かける風には見えない。
 
「うん、知ってるよ。風に当たりに来ただけ」
 カイルは笑って、隣に腰掛けている。やはり夢見が悪くて目が覚めたのだろうか、などと考えた。
「そんな薄着じゃ冷えるよ」
 彼は自分が着ていた上着を脱ぎ、ミスリアのキャミソールワンピースの上にかけた。
「ありがとうございます」
 上着に残る温もりを素直に受け取った。
 
「で、そういう君らは何してるの? 水泳の特訓?」
 シャツを使って髪を乾かす半裸のゲズゥに対して、カイルは不思議そうに首を傾げている。
「私は眠れなくて……」
 ミスリアの返答にカイルは「そっかー」と頷いたかと思えば――いきなり上半身を後ろに倒して、デッキに仰向けになった。片腕で顔を覆っているので表情が見えない。
 
「え、どうしたんですか?」
 心配で友人の顔を覗き込む。もしや相当に疲れが溜まっている?
 確か今日は、午後からの役人たちの集まりにカイルも出席していたはずだ。ミスリアは部外者だし、聖女として慰問の仕事もあったので参加していない。その会議が半日以上にも及ぶ長さだったらしいのはルセナンの妻に聞いている。
 
「あーあ、おうちに帰りたいな」
 彼にしては珍しく子供っぽい言い回しに、ミスリアは伸ばしていた手を止めた。
 カイルは五年前に一番近しい家族を失っている。直後に父とは疎遠同然になり、そして今度は、叔父とは二度と会えない流れになっている。もうすぐ二人で暮らしていた教会をも離れる。

 教団の思い出では集中的に修行ばっかりしていたから、あそこはおうちって雰囲気でもない。
 彼の帰りたい家はどこにも残っていない。だからこそ、この一言は重い。
 
(私は両親ともに息災だけど、どっちかといえばあの家にはあまり帰りたくないし……)
 これでは友人の気持ちを汲んでやれない。
 
「ごめん。君らに言うことじゃないね」
 カイルは特にゲズゥに気遣わしげな視線を向けた。そのゲズゥは視線を返さないで、腕の柔軟をしている。
「謝らないでください」
「僕がもっと早く気付いて、行動に移していれば叔父上を止めることくらい出来たかもしれないけど。それを言えば『全部私の咎なのに、君は真面目すぎる』って返されそうだなって思った」
 
「……お父様にはお会いできそうに無いんですか?」
「無理だよ、多分。父上は僕に会いたくないはずだから」
 カイルは腕を組んで枕代わりにした。
「どうしてですか、ご自分のお子さんなのに。残った家族を大事にしたいと思うでしょう?」
 
「それは違うよ」
 目を閉じて、カイルは静かに告げた。どういう意味なのか、ミスリアにはわからない。
「つまり……」
「残った人間を見ると失った家族がどんなだったか思い出すから、会いたくないんだろう」
 言いかけたカイルを、ゲズゥの低い声が遮った。

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13:16:09 | 小説 | コメント(0) | page top↑
13.a.
2012 / 06 / 07 ( Thu )
 衝撃は、解放感に似ていた。
 泡の音。水の中を落下する時のみに味わう独特の重圧。
 
 人間の体温より遥かに冷たい水に全身を包まれ、芯まで震える。浮上し、水面を突き破って息を吸い込んだ。ひんやりとした空気が肺を満たす。淡水の臭いは割と好きだ。
 目を開けたまま、再び夜の湖に潜り込んだ。視界の曇りから察するに、藻で月明かりが湖底まで届きにくいとわかる。小魚が足の指を掠めた。長い水草が左手首に絡みつくのを、右手で剥がした。
 
 暗闇自体は気にならないどころか、むしろ安寧を与えてくれるものに感じられる。
 時折、闇の中に浮かび上がる記憶と言う名の映像だけが余計だが。
 昔から幾度となく、繰り返し思い出してきた場面の一つがまた脳裏にちらついている。瞼の裏に焼き付く光景を払いたいがためにとにかく体を動かす。
 
 十代半ばの少年が地面に横たわり、血にまみれた手を伸ばしていた。
 いつだって、少年の全身を汚す血と煤と体液よりも左の眼窩(がんか)から溢れる赤黒い血ばかりが気になる。
 
 ――頼む、――してくれ。――――ったら、かならず――――を―せ――
 途切れ途切れに記憶を波打つ、少年の必死な声。
 
 ゲズゥ・スディルは息を止めて二十秒ほど泳いだ。
 苦しいのは、息をしていないからではない。彼は柄にも無く悩んでいる。

 目が覚めて仕方が無い時は、体を動かすに限る。疲労感だけが確実に深い眠りの世界へ沈ませてくれるからだ。普段はそういう睡眠ばかり取っているので夢すら見ない日が多い。
 気分は未だ晴れないが、諦めて水面を目指した。
 
「眠れないんですか?」
 湖から頭を出した途端に、背後から少女の澄んだ声が聴こえた。
 
 振り返るとそこには、デッキの端に腰をかけた聖女ミスリアの姿がある。縁に手をかけ、白い素足をぷらぷら揺らしている。栗色の髪を後頭部で束ね、身に着けている淡い色のワンピースは暗くてよくわからないが橙か黄色だろう。
 
 小柄な少女は僅かに上半身を傾け、湖面を見つめた。手すりに囲われていないデッキだからできることだ。
 見たところ、眠れないのは寧ろミスリアの方なのではないかと思う。
 ゲズゥは岸に向かってゆるやかに泳いだ。
 
「……夢を、見ていました。怖いというとそうでもなかったんですが、後味が悪くて目が覚めたんです」
「そうか」
 いつもなら相槌を打たなかったかもしれない。今夜はたまたま自分も似たような気分だったからか、つい先を促すような視線を向けた。その意図を受け取って、ミスリアは話を続けた。
 
「螺旋の階段を、のぼる夢でした。目指す先は雲の上にあって見えないんですけど、そこに欲しいものがあると確信を持って走り続けるんです。でも息が切れるまで走っても、たどり着かなくて。疲れて立ち止まって階下を見ると、幸せそうに笑う人が一杯いて、楽しそうだなって羨ましくなって。引き返して階段をくだるんですけど、今度はどんなに頑張っても下の方へいけないんです。いつの間にか上へも下へも進めないんだって解って、自分だけ取り残されたと解って、階段に座り込んで泣き崩れました」
 
 そこで目が覚めたのだと予想がつく。
 ミスリアは両膝を抱き抱えて、膝の頭に顎を乗せた。ワンピースの裾が柔らかい風になびく。
 
 世界に一人取り残される気分なら、ゲズゥには覚えのある感情だった。そんな夢を見るくらいだからミスリアにも何か心当たりがあるのだろう。多少の興味は沸いたが、訊きたいほどでもない。
 ゲズゥは岸まで泳いだ。
 
「夢なら、俺も見た」
 居心地悪そうに目を潤ませる少女に、同情したのかもしれない。気がつけばそんなことを呟いていた。
「どんな夢でしたか?」
 茶色の瞳には驚きが彩られた。
 しかしその質問には答えず、ゲズゥはひとりごちた。
 
「……約束を果たすまで、あと一人……」
 両手を岸にかけ、水の中から上がった。
 
_______
 
 湖から岸へ上がってきた青年は全裸であった。ミスリア・ノイラートは一瞬遅れて顔を逸らした。
 下半身に何か穿いていると思ったから吃驚だ。
 
「ご、ごめんなさい」
 デッキに灯りが灯されていないからおおまかなシルエット以外は何も見えなかった訳だけど、一応直視した形になったので、謝罪せずにはいられない。
 視界の端を、細かい傷跡だらけの足が通り抜けた。向こうは気にしている様子は無い。

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08:33:56 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.k.
2012 / 06 / 01 ( Fri )
「お二人とも何だか辛そうです」
 独り言のように小声で、ミスリアは呟いた。カイルと神父アーヴォスのやり取りを指して言っている。
「兄弟、か……」
 すると同じく独り言のような小声で、ゲズゥも呟いた。何か後に続くのかと待っても、彼のは本当に独り言らしい。兄弟という単語で何を連想しているのか、表情を見ても想像できない。
 
「カイルにも、妹さんが居たそうですよ。五つ年下の」
「死んだのか」
 グラスの水を飲み干して、ゲズゥは無機質に訊いた。
「……お察しがいいですね。お母様と妹さんはカイルが修道士見習いになって間もない頃、魔物にかかってお亡くなりになっています」
 五年ほど前の話で、その時ミスリアはまだ彼と出会っていなかった。
 
「妹はお前に歳が近いな」
 そう言われてみれば確かにそうだ。カイルには妹のように接されたことがほとんど記憶に無いから、常に対等に話してくれたから、意識していなかった。
 
 厨房からまた女性が現れ、「失礼します」と言っていくつかの料理を運んできて手際よく並べている。
 
「お兄さん、左目の色珍しいですねー」
 女性は軽い調子で指摘した。
 ミスリアは小さく呻いた。そういえばゲズゥの包帯が外れている。店まで来る道中、誰かに見咎められれば問題になりそうだったけれど、誰ともすれ違わなかった。
 
 今はなき「呪いの眼」の一族が住んでいた村はラサヴァから近い。ルセナンの妻は事情を知っていそうなものの、知らないふりをしているのだろうか。
 入り口の扉の軋みによって、短い沈黙が破られる。
 
「おかえりなさい、アナタ」
 夫を迎え入れる彼女の声は明るい。
「おうただいま」
 役人ルセナンがカイルたちのテーブルの椅子を引き、腰掛ける。
 
 彼らの分の食事が揃うのを待って、神父アーヴォスは身の上話から静かに語り出した。
 
_______
 
 兄上は私の憧れでした。
 ここよりずっと北の不便な田舎村。生まれつき体の弱かった私を守り、気分が悪くて外に出られない日は私の代わりに駆け回り、いつもたくさんのお土産話を持ってきてくれたので、不自由に思うこともありませんでした。
 
 両親の農園を手伝いながら慎ましく暮らしていた私たちの元に、ある時教団の一味が通りかかりました。慰安の旅を続ける聖人様たちは、聖気を受け賜わり続ければ私も元気になれると、仰ったのです。ならば聖人を目指すと、兄はその時に決心致しました。
 自らの足で村を去る姿を羨ましく想いながらも、私は兄上の教団入りを応援しました。
 
 数年後凛々しくなって戻ってきた兄上は、幾月かけて私に完全な健康を取り戻させてくださいました。あの時の感動は何年経っても忘れられません。
 私も奇跡の力を望みました。
 けれどもどうしてか、兄上にはあっても私には聖気を扱う素質がまったく無かった。
 
 ――アーヴォス、気を落とすな。聖人になれなくても他にいくらでもご奉仕をする方法はある。
 ――そうですね。では私は教役者(きょうえきしゃ)となって社会に貢献します。
 
 受け入れるしかなかった。
 
 私の心にさざなみが立ったのはそれからいくらか後のことでした。
 兄上はある魔物討伐の旅にて知り合った魔物狩り師の女性と、恋に落ちたのです。
 聖人・聖女に配偶者は許されません。その女性と結婚するために、兄上は聖人の位を返上しました。
 
 どれほど妬ましかったことか!
 私がいかに切望しても決して手に入れられない物を、いとも簡単に手放したのです。兄の選択は私には浅はかに見えました。家庭を守りたいという兄上の主張に私は納得できなかった。
 
 ところが五年前。またしても兄上に大きな変化が起きました。そう――カイル、君の母上とリィラのことだよ。気の毒だったね。
 
 義姉上とリィラを失ってから兄上はどこかおかしくなりました。今まで以上に教団に傾倒し、妻と死別したことによって特別に修道司祭への道を進む許可を得たのです。教区司祭である私と違って今後の一生を修道院で過ごすでしょう。私は兄上が同じ司祭になると知って、嬉しいよりも暗い予感しかしませんでした。
 
 そうして数年後。兄上がもうすぐ司教になると聞いた時、私は不公平を嘆きました。何故私は、自分と違ってこれほどまでに才ある兄の後に生まれなければならなかったのか。羨望のあまり、今までに受け取った多くの恩さえ忘れそうでした。
 
 私は、「忌み地」付近への配属を自ら志願しました。
 何か大きな手柄を立てたくなったのかもしれません。でも同時に、自分の原点であった故郷みたいな村や町に何かをしてあげたかった。そうすれば心安らげると思ったのです。
 
 自分から問題を起こそうと考えたのは、ある時の偶然に始まりました。
 死者の魂が溜まりやすい場所に居て、水晶を誤って壊してしまったのです。封印されていた中の瘴気が解放され、数時間のうちに魔物が溢れると予想がついたので、魔物狩り師を呼びました。予め魔物が出没する位置を知っていたのでうまく彼らを導けました。
 
 その後、彼らと町民が向けてきた感謝や尊敬が、どうしようもなく心地よかったのです。
 味を占めるべきではなかった。
 それからのことは、カイル、君の想像している通りだと思う。魔物の発生を密かに促してはタイミング良くその場を救う、を繰り返した。
 
 セェレテ卿を誘ったのは、単に彼女が私のしていることに勘付いたからであって、口をつぐんでもらうために巻き込んだことになりますね。せっかく協力者ができたので、新しい手法――流行り病のことです――を試してみました。セェレテ卿はこのやり方がうまく行けば、他の町でも実行して、全て第三王子殿下の手柄に仕立てようと企んでいたようです。
 
 上辺だけでも私が活躍していた姿を、なんとしても兄上に見せ付けてやりたかった。しかし兄上は俗世との縁を切った修道士の身。面会を願っても、手紙を出しても、返事はありませんでした。
 叶わないならばと、代わりに私は甥を呼び寄せたのです。憎くも、聖人と成り得た彼を。
 
 カイル、私は君に止めて欲しいとか、助けて欲しいとか、そんなことは考えなかったよ。他の者と同じ尊敬の眼差しを、兄上に似た君の顔に見たかっただけなんだ。
 目論見は失敗に終わったけれど。君の表す尊敬は熱っぽくなくて、ただ暖かかった。
 
 でも振り返れば共に暮らした数ヶ月間は、それなりに満ちていたと思う。
 
_______
 
 叔父が口を閉じ、辺りに重い空気が満ちた。話し終えた本人だけ、やけに穏やかですっきりした顔をしている。
 カイルサィートは天井を仰いだ。ちょうど、蜘蛛が視界を通りかかる。
 
「以上が、貴方の本音ですか。叔父上」
「そうだね」
「……本当に?」
「君は何を疑っているんだい? この期に及んで嘘をついたりしないよ」
 叔父の笑い声に偽っている様子は無い。
 
「さて、それは判断しかねますが。僕は、物の本質を見詰められる人間を目指したいと思います」
 天井から目前へと視線を戻した。
「いいんじゃないかな。君なら達成できると思うよ」
 本心から言っている風に聴こえる。
「でもオルト王子の言葉を借りると、今は自分の望むように解釈します。叔父上はやっぱり後悔していたから僕を呼んだんです」
 カイルサィートはにっこり笑った。
 
「貴方は言い訳をしませんね。誰かの所為だとは言わずに、始終、自分の気持ちと行動の責任を自分で受け止めようとしています。
 結局実害が残ったのは、最後の疫病騒ぎだけでした。それも、もともとは死に至らないはずの病が数人の内で突然変異したもののようですね」
 既に調べが付いている。命を落とした最初の四人は体質的に共通点があって、同じ病状でも過去に例の無い結果だ。
 
「人が死んだのは確かなのだから、その違いにはあまり意味が無いよ」
「それでも叔父上に悪意が無かったことは、教団への報告書には記させていただきます。町長や役人方の結論がどうであっても、教団からの罰は逃れようが無いでしょうけど」
 予想としては、残りの一生を閉じられた空間でひたすら償いながら過ごすことになると思う。でももしかしたら報告書の内容次第で多少は罰が軽くなるだろうか。書いたのが対象の甥となると信憑性を疑われるかもしれないけど、試してみるのに害は無い。
 
「……どうしてかな、君は意外と私に甘い気がする」
「数少ない肉親ですから、普段より若干やさしめですよ。ここ何年かで、僕の誕生日を祝ってくれたのは貴方だけでしたし」
 肩をすくめて答えた。ルセナン夫婦が驚いた顔を見せているが、事実なのだから仕方ない。
 
「なるほどね。…………もう、確実に兄上に会えないな」
「あまり気にしないで下さい。僕だってほぼ五年は会えてませんし、今後も会えそうかあやしいです」
 しばしの間、笑い合った。
「すまなかったね、色々と」
 叔父は一度深く礼をした。某商社の威嚇という名の暴行についても詫びている。
「いいえ。残念には思いましたけど、もういいです」
 カイルサィートは立ち上がった。
 続いて立ち上がった、自分とそう変わらない身長の叔父を、肩から抱き寄せる。
 
「二度と会うことは無いでしょう。でも、どこに居て何をしていても家族である事に変わりありません。どうかお元気で」
「ありがとう。私は悔いるばかりの人生になりそうだけど、君の進む道には幸多からん事をいつも願うよ」
 声が微かに震えている。叔父の腕は縛られたままだが、僅かな動きを感じた。自由であったならば、きっと抱き返してくれただろう。
 
「短い間、お世話になりました。さようなら、アーヴォス叔父上」

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13:22:40 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.j.
2012 / 05 / 29 ( Tue )
 何度か顔を合わせた程度で、もともとそんなに仲は良くなかった。だから名指しで呼び寄せられた時、目には見えない別の意図があるのではないかと真っ先に疑ってしまった。
 敢えて応じることを選んだ。理由は単純である。家族だから、何かしら手助けになれるならと思ったからだ。
 
 四人座れる大きさの四角いテーブルにて、カイルサィートは叔父と向き合い、テーブルの上で両手を組んで様子を伺っている。料理屋の店内は外からの日差しで明るく、それゆえに大分暖かい。
 
「失礼します~。せっかくなんで、藻入りスープでもどうぞ。健康にいいですよ」
 人の良い笑顔を満面に広げて、髪を結い上げた女性が間に入った。丸い盆から底の浅いボウルを下ろしている。
 キュウリをはじめとする調和の取れた香りを発するそれを見下ろす。クリーム色の液体に所々鮮やかな緑が混じっているものだ。
 
「暑いだろうと思って冷やしたスープ持ってきましたよ。昼時だし、食事もされます?」
 同じようにボウルを下ろして、役人ルセナンの妻たる彼女は隣のテーブルに座すミスリアとゲズゥの方に、声をかけている。
 チラリとこちらに問いかけるミスリアの目に、カイルサィートは頷きを返した。
 
「ではお願いします」
 ミスリアが笑顔で受け答えた。注文の内容を細かく話し合ってから、女性が厨房の方に戻った。
 
 ミスリアの向かいに座るゲズゥがすかさずスープに手をつけた。食器などを使わず、ボウルごと空いた片手で持ち上げて啜っている。一方でミスリアは、木製スプーンを駆使して少しずつ口に運んでいる。どちらかというと乳状に近そうなスープだ。
 二人を横目に眺めてカイルサィートは束の間、和んだ。
 
「……少し、僕の話をしましょうか」
 視線を前へ戻し、自分のスープにも手を出してから、そう切り出した。
「――うん?」
 拘束されたままの叔父の前に、ボウルは置かれていなかった。多くを語られなくとも、ルセナンの妻は状況を大方把握したようだ。
 
「聞いてくださるだけで結構ですよ」
「ではそうしようか」
 叔父の揺るがぬ笑顔に、落ち着き払った態度に、カイルサィートはもの悲しくなった。しかしそんな気持ちは顔には出さず、淡々と語り出す。
 
「どうして他の誰かではなく、僕に声をかけたのか、ずっと考えていました」
 定期的に連絡を取っていた訳でもなかったし、こと「忌み地」の浄化に関してカイルサィートは実践経験が少なかった。ミョレン国との縁も浅く、わからないことだらけの人選であった。
 
「本当は、止めて欲しかったのでしょう?」
「何を?」
「……今更ごまかしても、仕方がないと思いますよ」
 叔父ののんびりとした口調に、カイルサィートはため息をついた。
 
 はじめは何も裏が無いことを願いながら、叔父の手伝いをしていた。教会の業務や運営に手を貸し、ラサヴァの町人や他の近隣の村の民を支えた。時には魔物の討伐隊にも加わった。元はあまり親しくなかった叔父の園芸をも手伝ううちに、打ち解けられた。
 それがいつから、歯車が狂いだしたのだろうか。或いは最初からかみ合っていなかったのかも知れない。
 
 何故、いつ、気付けたのかというと、今となってはよくわからない。叔父の頻繁な外出を変に思った頃から? 教会の参拝者との接し方に違和感を覚えたから? 討伐に向かった日にのみ決まって魔物が異常に多く現れるようになってから?
 きっかけはきっと小さな何かだった。気付いた後は、ひたすら執拗に事実を追い求めた。
 
「追い詰められなければ認めないだろうと、本当はどうしてこんなことをしたのか話しはしないだろうと、思いました」
 人の心の澱(おり)は幾重にも巧みに隠されているものだ。浮上させるためにはそれなりの準備がいる。
 
 当面の問題は、相手が追い詰められたと感じるか否かにある。カイルサィートにとっては、この場合は動機を知ることが一番大事だからだ。
 
 今のところまだ叔父の作り笑いに変化は表れない。隣のテーブルの二人はというと、さりげなくこちらの会話に意識を向けている。
 カイルサィートはそこでスープを一口すくって味わった。ヨーグルトをベースにしたさっぱりとした味わいが更なる食欲をそそる。
 
「美味しいです。僕は叔父上の作る鶏がらスープも好きでしたけど」
「もう私よりも君の方が美味しく作れるんじゃないかな」
「かもしれませんね」
 スプーンを置いて、カイルサィートはそっと笑った。思い返せば家事は二人で手分けしたけど、お互いに教え合うことも多かった。もう、その日々も終わったのだと思うと寂しい。
 
「あなたが……」
 一呼吸挟んで、目を合わせた。自分と同じ色の琥珀色の瞳からは、感情が読み取れない。
「……僕を選んだ理由は、父上と関係がありますね」
 そこで初めて、叔父が瞬いた。曇ったように読み取れなかった瞳に異変が表れる。
 
「父は兄弟仲が良いと言っていましたけれど、双方ともに共通した感情でないことは、子供心ながらに知っていましたよ」
「……カイル、君は昔から聡明で鋭い子だったね」
「ありがとうございます」
 叔父の琥珀色の瞳もいつしか物悲しさをたたえていた。

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14:33:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.i.
2012 / 05 / 23 ( Wed )
 それとも今後同じようにつけこまれないように、教訓として真実を教えるべきか? 人々の美しい思い出を汚していいものだろうか。親族を亡くした者たちは、愛する人たちが死んだ本当の理由を知って、心が晴れるだろうか。病という理不尽な急死を、更なる理不尽な死因と入れ替えて、彼らは救われる? 否、悲しみは深まるのではないか。
 
 きっと教団や神々への信仰心も揺らぐことになる。教団や神々の方針は別問題としても、信仰心は人間の精神を安定させる重要な役割を担う。失えば、この町はこの先どうなる?
 
(頭が爆発しそう……)
 ミスリアは肩を落とした。間違いなく自分は政治の類に向いていない。
(でも神父様の邪な名誉欲は満たされたままだから、やっぱり真実を隠すのは間違ってるんじゃないかしら?)
 悶々と思考を巡らせるけど、答えが出ない。
 
「公にならずとも誰かがこうして追い詰めさえすればそれでいいと、僕は考えていました」
 静かに、カイルが話を続けた。
「叔父上に良心が残っているのなら、一生消えない罪の意識が付いて回ります。良心が残っていないのなら、それこそ止めなければなりません。おそらく似たようなことを、過去にもしたのですから。以前は流行病などではなく、魔物を意図的に呼び寄せるなどしたそうで」
 
「ユカイな神父だな」
 そう言って、王子殿下は空を見上げて笑っている。今の話に笑えるような点は無かったはずなのに。
 この人は苦手だ、とミスリアはなんとなく思った。
 
 その時王子がミスリアと目を合わせたので、考えを読まれたのかと疑って身構えた。同じ威圧的な視線でも、彼の鋭い藍色のそれはゲズゥの空虚な眼差しと違って総てを射抜いている。ミスリアは背筋が凍ったような、内側から溶け始めたような、言い難い気分になった。
 彼は足早に近寄ってきたかと思えば、ゲズゥの隣で止まった。
 
 背を伸ばして身長差を埋め、ゲズゥに何かを耳打ちしている。それが済むとサッと身を引いて離れた。勢いで髪が揺れ、王子の右耳の軟骨にはめられた銀細工のピアスが光って見えた。
 ゲズゥは珍しく表情を動かした。しかめっ面をしている。一体何を言われたのだろう。
 
「聖人、形ある証拠が無くても十分な立場にいる人間が信じれば事足りることもある。私はお前の言い分を受け入れる。この先どうするかは、お前たちで決めろ。私の助力が必要なら町長と話をつけてから乞え」
 王子はカイルに向けてそう伝えた。
 
「私の言い分は? まだ何も弁明していませんが」
「不要だ。人の言葉の真偽ぐらい、見分けられる」
 神父アーヴォスが何気なく訊いても、王子は笑ってあしらった。
 
「タリア」
 呼ばれた馬は素直に歩み寄ってきた。乗り手が鞍を掴み、紺色のマントを翻して飛び乗る。流れるような動きにどことなくゲズゥを重ねてしまう。
 
「悪いが私はそろそろ去る。西部で兄上たちが諍いを起こしているからな。この機会に私はより『王』に近付けるかもしれん。むしろ争う内にほかが全滅してくれれば願ったりというもの」
 二人の兄だけでなく、妹姫なども面倒ごとを起こしていてな、と王子殿下は付け加えた。
 
(カイルが言ってた先王の「条件」が関係あるのかしら。あとで聞いてみよう)
 
「遠方より有難うございました」
 カイルは丁寧に敬礼をした。
「ああ、お前の読み通りだったな。私は旧友に会えそうだと思ったから、わざわざ足を運んだというのも理由の大部分を占めていたが……」
 馬上の人となった王子はゲズゥを一瞥し、次に配下を見下ろした。
 
「そいつはくれてやる。今のうちに捕らえておけ」
「殿下、お見捨てにならないで下さい」
「お前が私に逆らうのか?」
「いいえ! 誓ってそのようなことは致しません」
 セェレテ卿は跪いて主に深く頭を下げた。
 
「なら今は大人しくするんだな。最終的に王都に搬送されれば、或いはまた拾ってやってもいい。父王がお前に与えた騎士の称号と馬はどうしようもないが、命くらいはどうにかなるやもしれん」
「身に余る幸福です……」
 彼女は涙ながらに感謝を表した。
 
 随分な忠誠心だわ、とミスリアはぼんやり思った。見たところ、王家ではなく第三王子個人に心酔しているようである。何がそうさせるのか知りたい気もする。
 
「くくっ、まぁいい。ある意味面白かったぞ」
 王子は手綱を引き、馬の向きを変えた。
「重ねて言うが、人は表面しか――己の望むようにしか物事を見ないし、見たがらない。後始末に関しては町長や他の役人たちとよく話し合うんだな」
 肩から振り返り、王子が付け加えた。
 
「また、縁があればどこかで会うだろう」
 砂埃が舞い、馬蹄の小気味いい音が遠ざかる。ミスリアは思わず咳き込んだ。
 視界がはっきりした頃には王子の姿はもうどこにも無かった。
 
(全体的に、よくわからない人だったわ)
 ミスリアはそういう結論に至った。
 傍らのゲズゥを見上げると、未だに複雑そうな顔をしている。「旧友」という関係は、本当なのだろうかと気になった。
 
「ルセさん、彼女を役所に届けてもらえませんか?」
「いいけどよ。神父さんの方はどうするよ?」
「もう少し話をさせてくださいませんか」
「聖人さんの頼みなら構わんよ。なんなら店使うか? うちのに頼んで開けてもらうといい」
 
「ありがとうございます。そうします」
 さらっと交わされた会話の方へミスリアは注意を向けた。いつの間にか、セェレテ卿も神父アーヴォスも縄に縛られている。二人の縄の続く先を手馴れた様子で手にしているのは役人のルセナンだ。捕らわれた二人は暴れず大人しくしているが、たとえ暴れてもルセナンの腕力から逃れるのは難しいだろう。
 
 神父アーヴォスの縄をゲズゥに持たせ、四人はルセナンの経営する料理屋へ向かった。

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01:21:22 | 小説 | コメント(0) | page top↑
12.h.
2012 / 05 / 18 ( Fri )
 もしかしたら姿かたちが似ているだけの別人だったりするのだろうかと懸念しながら、ミスリアはその人を見た。
 黒装束に身を包んだ中肉中背の男性は頭髪が少なく、耳周りにだけプラチナブロンド色の髪が生えている。雲の影に隠れて顔ははっきり見えない。
 
 さく、さく、と砂利と靴裏が接触する音を聴きつつ、顔がよく見えるまでの距離に男性が近づくのを待った。
 
「おや、皆様おそろいで。騒ぎがすると、角の店の住人が仰っていたので来てみれば……」
 にっこり笑う様も、琥珀色の瞳も、髪と同じ色の整えられた顎鬚も、知っている通りの神父アーヴォス・デューセと相違ない。けれど何か、妙なものを感じた。それが何なのかわかろうとして、ミスリアはつい見入った。
 
(作り笑い……?)
 笑顔の内の、細められた目。いつもの優しげな目元が、ほんの僅かに引きつっている。
 木の上から二人の会話を盗み聞いたあの時から今までに、抑えていたいくつかの疑問が沸き起こった。カイルの、神父アーヴォスに対する言動も思い出す。そう、最初に忌み地に出向いた日にも、欲望の話をした。
 
「叔父上、これは貴方からしてどんな状況に見えますか?」
 カイルが苦々しい表情を浮かべている。
「さて……」
 王子殿下とセェレテ卿を認めて、神父アーヴォスはまず敬礼をした。
 
「オルトファキテ王子殿下、王都からいらしたのですか? ご足労ありがとう存じます」
「ああ、気にするな」
 にやにやと笑いながら王子殿下が軽く礼を返す。すっかり面白いものを観察する目になっている。
 
「それでこれは、どういう状況なんだい?」
 神父はカイルの問いに問いで返した。やはり作り笑いを顔に浮かべて。
「そうですね……」
 カイルはまず目を閉じた。数拍過ぎてから開き、周りを見渡した。その目線を追うように、ミスリアも場に集まっている全員を見渡した。中でもルセナンが一番驚いた顔をしていると気付く。
 
「そこにいるシューリマ・セェレテ卿の悪事の一端に言及していたところです。その件で彼女には共犯者がいたという話になりまして、ちょうど叔父上が現れました」
「だから私が問題の共犯者であると?」
「タイミングよく現れたからといって事件に結びつけるのは安易過ぎますよ。流石にそんなことはしませんって」
 白々しい笑い声で、カイルが答えた。彼のこんな声を聴くのは初めてかもしれない。
 
「ふむ、そもそも何の悪事かな?」
「ラサヴァの疫病騒ぎが仕組まれていたという、信じがたい話です」
「それは確かに信じがたいね」
 本気でそう思っているのか疑いたくなるような、わざとらしい言い方だった。
「…………できれば僕は逆であって欲しかった」
 カイルは深いため息をついた。
 
(いつの間に、何の話になったの?)
 例によってカイルは話題転換が急すぎる。ミスリアだけでなくルセナンも、ついていけていないような顔をしている。セェレテ卿は警戒心むき出しの表情を、王子殿下はにやついた顔を保ったままで、ゲズゥに関しては確認するまでもなく無表情である。
 
「セェレテ卿にそそのかされて道を外しただけならまだ良かった。でも、元は叔父上が提案したのですね。僕を殴りつけて拷問などにかけた彼らが洩らしていましたよ。これが事件に結びつける理由の一つです」
「拷問? 話が見えないな」
「疫病騒ぎの首謀者が叔父上だったと言っているんですよ」
「形ある証拠が存在しないならただの言いがかりだね」
 神父アーヴォスの笑顔は崩れない。
 
「某商社が雇われていた金額も聞きましたので、それを上回る額を出せば買収できるかもしれませんけどね。供述を書かせるなどして」
 一方でカイルの纏う空気が、普段の彼の秋風のように涼しく爽やかなものからは想像もつかないほど、冷ややかになっている。
 ミスリアは両手をそっと握り合わせて、見守るしかできなかった。介入したいとは微塵も思わない。
 
「なぁ、神父さんの反応。甥っ子にひどい容疑をかけられてんのに、ショックを受けるより罪を否定することを優先してる。全然うろたえてないのも変だ。やっぱり事実か」
 ミスリアとゲズゥにのみ聴こえるように、ルセナンが小声で指摘した。
「だろうな。買収より、とっ捕まえて吐かせる方が効率が良さそうだがな。沈黙を守る義理など奴らに無いだろう」
「それは、そうでしょうけど……」
 ゲズゥの提案に、ミスリアは渋々賛同した。
 
「別に僕は、町民のために貴方のしたことを明るみに出そうとか、然るべき罰を受けて欲しいと思っているわけではありませんよ。それは役人方の仕事で」――カイルはちらっとルセナンの方を見やり――「僕はそこまで正義感が強いわけではないんです」
「人は、表面しか見ないものだ。糾弾しても、民は神父の方を選ぶかもしれんな。ものの本質を見つめる人間など稀」
 ふいに口を出したのは、王子殿下だった。
 
「では町民には真実をまったく伝えなくてもいいと?」
 ルセナンが王子殿下に訊ねた。
「神父は異動になったとでも言って、連れ去ればいい。行為自体が間違っていようと、もしも真実が明るみに出ることなく済むなら、人々の心の中に残るのは英雄の思い出だけだ。たとえそいつらの英雄が遠いどこかで牢に入っていようとな」
 
「一理ありますね」
 カイルがそう言うので、ミスリアも考えてみた。確かに、余計な混乱を予防するのは統率者として正しい判断に思える。

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02:31:01 | 小説 | コメント(2) | page top↑
12.g
2012 / 05 / 12 ( Sat )
「よう。悪いな、オレは喧嘩はともかく武術はからっきしなんで隠れさせてもらった。ま、もしさっきの奴らが動くようなら出てくるつもりだったんだ、ホントだぜ」
 にしし、と役人が歯を見せて笑う。
 
「どうも。度々お世話になりますね」
 役人の姿を認めた聖人が、畏まって礼をした。
「それはお互い様さ。無事で良かった」
 役人が礼を返す。
 
 ゲズゥはオルトの方を向き直った。ミョレンの第三王子は腕を組んで馬に寄りかかった状態で、かすかに口元を釣りあがらせている。傍らでは、既に剣を収めた女騎士が警戒した面持ちで控えている。いつでもまた剣を抜けるように柄に片手を置いて。
 
「オルトファキテ殿下」
 今度は自国の王子に向かって、役人が最高級の敬礼をした。
 姿勢を正してオルトが簡略式の礼を返す。どうやら立場が上の者が、下の者を認めたという挨拶になるらしい。
 
「私に書状を送った役人はお前か」
「確かにこのルセナンが殿下に一連の事件をまとめた書状をお送りしました。提案し、書いたのはこちらの方です」
 ゲズゥたちと並んだ役人が、隣の聖人を手のひらで指した。
「ほう」
 
「神父アーヴォス・デューセの甥、聖人カイルサィート・デューセ氏です」
 役人が聖人の紹介をする。ついでにミスリアをも紹介している。
「ああ、神父の名は書状にあったな。林の方の教会の主だったか」
 役人の話を丁寧に聞き、書状にもしっかりと目を通したとわかるオルトの姿勢は、傍から見れば真摯である。国境付近の小さな町にまで気を回す、或いは賢君とも錯覚できる。
 
「甥は、何やら面倒な目に遭ったようだな」
 オルトは聖人を頭から爪先までじろじろと見た。
 ミスリアに大体治されているので目立った外傷は残らないが、破けた服、泥水や血の汚れなどはどうしようもない。元の服の色が真っ白であったがためにこれは目立つ。
「恐れ入ります」
 聖人は爽やかに笑って礼をした。事情を細かく説明する気が無いのは明らかだ。オルトも特に追究しない。
 
「それで? 何故、告訴などの手続きを踏まず、私に直接連絡を取った? 私は王でもなければ王太子でもない、ただの第三王子だ。直訴や王国裁判とも繋がらない」
 オルトは聖人を真っ直ぐ見据えて言う。
「正常に機能しなくなった国だからこそ、正当な手続きでは不足に思えたからです。彼女――シューリマ・セェレテは貴方の信者だそうですので、もしかしたら貴方なら難なく止められると思いました」
 一呼吸置いてから、聖人は揺るぎない口調で応じた。
 
 信者という表現に対して、オルトは「違いない」と言って喉を鳴らして笑った。女騎士が聖人を睨むが、主君が見ているからか口出しをしない。
 オルトを殿下などと呼ばず貴方と呼んだのにはどういう意図があったのか、ゲズゥにはわからない。聖人はミョレンの国民でないから敬称で呼ばなくてもどうということはないが。
 
「私がシューリマを庇う可能性は考えたのか?」
「考慮はしましたけど、僕は先王が貴方がたに出した『条件』を小耳に挟みまして。噂に過ぎませんけれど、賭けてみる気になりました」
 話題に上がった「条件」は次代の王を決める基準か何かのことだろうと思う。
 聖人の言葉に、オルトは口元を右側だけ上に釣り上がらせて笑った。しかし次の瞬間、真剣そうな表情に替わった。
 
「よかろう。その読み通りに動いてやる。コイツは騎士の位を剥奪され、牢に入れられるか最悪処刑されることとなる」
 しばしの沈黙が続いた。
「殿下……!?」
 主が冗談で言っていないと遅れて理解して、女騎士が声を裏返した。
 
「黙れ。お前、国境の警備はどうした?」
 女騎士の動揺も構い無しに、オルトが責めるように問う。声を荒げない代わりに、目元がいくらか険しい。
「……兵士を配備しています」
 女は目に見えて怯んだ。
 
「隊を置いて、統率する長が持ち場を離れてどうする。頭を使おうとしないのは、お前の悪い癖だな」
「申し開きもございません」
 ついさっきまで自信満々だった女が今では泣きそうになっている。
「私には使えない駒など不要だ」
 
 普段から見下したような藍色の瞳が、今は本当に相手を見下ろしている。昔と同じ鋭い目線に更に拍車がかかり、不遜を許さないものとなっている。
 ――なるほど、過去に知っていたあの男を王族にするとこうなるのか。
 否、おそらくはこれが本来の態度で、あの頃のオルトは制御していたのだろう。
 
「……と、この通りコイツは頭脳の面が割と弱い。巧妙な計画を立てられる人種では無いぞ」
 不意に視線を外し、オルトは再び聖人に話しかけた。
「それは……共犯者、が」
 何故か聖人が急に口ごもる。表情が一転して暗い。
 
「ならばちょうどこちらに向かって歩いて来ている奴がそうか?」
 後方からゆったりとした、静かな足音。オルトに言われ、一同がその方を向いた。
 人物が影から人の姿へとはっきりしてくる。
 
「神父様?」
 距離を縮めようと一歩踏み出したのは、無意識のことだろう。半ば反射的に、ゲズゥはミスリアの肩を掴んだ。
「ミスリア」
 驚いて、彼女は体を震わせた。
「近づくな。その男の顔をよく見ろ」
 戸惑いを隠せぬ様子で、ミスリアが歩み寄る男を見上げた。

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12.f.
2012 / 05 / 06 ( Sun )
 王族の知人など居ただろうか。
 名を馴れ馴れしく呼ばれたからには記憶を探ってみた。顔は見えないしそもそも他人の顔など覚えられないゲズゥなので声を頼りに思い出そうと試みる。
 一分ぐらい頑張っても思い当たらない。その間、場は静まり返っていた。
 
「お知り合いですか……?」
 ミスリアが遠慮がちに訊ねる。
「…………」 
 知ってる知らないと言い切るにも、思い出せないのである。
 
「この私を見忘れたとは薄情な男だ」
 男は馬から飛び降りた。わざとらしい優雅さは無く、極めて自然な、流れるような動作だった。どこかで見覚えた気はする。
「お前に馬術を教えてやったと言うのに」
 若干芝居がかった口調で、男は残念そうに嘆いた。
 そのひとことで、何かが脳裏で閃いた。
 
「…………オルト……?」
 が、やはり他人の名前を覚えるのは苦手ゆえ、自信に欠ける。
「いかにも。私がオルトファキテ・キューナ・サスティワ、ミョレン王国第三王位継承者だ」
 思い当たった人物で正解だったようだ。男は黒に近い濃い茶色の前髪を片手でかき上げて微笑した。
 
 顔の造りだけだとおそらく世間一般の目からは美丈夫と呼ぶには一歩及ばない。だが褐色肌の第三王子を包む空気の凄みが、見下したような藍色の双眸が、他者の注目を惹いてやまないだろう。だからこそ顔を隠すのかもしれない。
 
「お前、ミョレンの王子だったのか」
 ゲズゥはほんの僅かに驚いていた。昔は知らずに接していたのだから。
「だったのさ」
「なるほど」
 
 ふーん、とこの上なく興味無さそうにゲズゥは相槌を打った。衝撃も感心も無い。一方で多少の警戒が生まれたが、それを相手に気取られたくない。
 ゲズゥの知るオルトという人物は、常に己の力で築き上げたものだけで勝負に出られるような男だった。たとえば生まれ持った財を徒(いたずら)に貪るような無能な王族とは違う。ならばオルトの性質に王族という強力な背景を加えたら?
 
「かつて私はお前に裏切られて大敗し、結果として居場所を失った。お前にしてみれば最初から味方でいたつもりは毛頭無かったのだろうがな。そんな敗者など、記憶には残らないか?」
 馬にもたれかかり、何気ない調子で過去を語るオルトの様子は懐かしむようで、いっそ楽しそうである。
「そんなことしたの?」
 聖人の爽やかな声が、好奇心に似た何かを帯びている。
 
「知らん」
 無機質に、ゲズゥは答えた。
 実際はよく覚えている。今、その話に移ってもこじれそうなだけだと判断してのことだ。
 
 変わっていないならば――オルトは許していると見せかけて、何食わぬ顔で闇討ちをしかけて来る男だ。
 そんな考えを見透かしたように一層深い笑みを浮かべ、次いでオルトは足元で跪いている女に声をかけた。
 
「シューリマ。そいつらを下がらせろ」
「はっ、ただいま」
 素直に主の命令に従い、女騎士はまだ何の動きも見せていないゴロツキの連中を潔く引かせた。
 ゲズゥは背後のミスリアと聖人を一瞥し、とりあえずは乱闘にならずに済んでよかったと思った。二人は歩み寄り、ゲズゥと並んで立った。
 
「それにしてもどうしてこのタイミングでこんな所に第三王子様が?」
 お互いにしか聴こえない音量で、ミスリアが疑問を口にした。ゲズゥとオルトの関係に関する疑問は保留らしい。
「オレが呼んだのさ」
 建物の柱の傍から体格のいい男が姿を現した。殺気が無かったので放置していた気配だ。
 
「ルセさん!」
 嬉しそうにミスリアが呼びかける。

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