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31.d.
2014 / 04 / 19 ( Sat )
 昔から自分は人よりも感情表現が希薄だというのは周りからの言動でわかっていた。心が空っぽと思われても仕方がない。

 唐突に、ミスリアが両目をかっ開いた。
 あまりに唐突だったのでゲズゥは疑問符を放ちながら身じろぎした。

「…………笑いました」
「は?」
「今、一瞬だけ貴方の顔の筋肉が笑顔をつくったように見えたんです」
「そうなのか」

「そうですよ」真剣だった眼差しに楽しそうな煌めきが灯った。いつの間にか涙も止まっている。「あの、もっとよく見たいので、できればもう一回笑って下さいませんか」
「……………………」
「いえ、言ってみただけです。すみません」
 少女は目を逸らしてどこか恥ずかしそうに笑う。

「リーデンさんのことは、私にはよくわかりません。あの少年との因縁もどうすればいいのか、簡単に答えが出るような問題ではないでしょう。私はお力になれるかわかりませんけど、でも今日はゲズゥが一杯お話してくれただけでもすごく嬉しいです」

「そうか」
「はい」
 再び目が合った。

 素直だな、とゲズゥはミスリアに聴こえないように囁いた。
 いつだったか、罪人の魂を救済できると証明したくて助けたのか、みたいに責めたことがあった。だが今となっては、知っている限りのミスリアの性質と照らし合わせて考えると、そんな傲慢な意図は感じ取れない。

 日頃からやっているように――顔も知らない、どこかで破滅に向かって生きている人間の話を聞いて――心を広げたのだろう。そう考えると納得が行く。
 もしも気が向けば、その内訊いてみようと思う。

 魂が救済されなくとも何かしらの救いを既に得ているのではないか――。
 そんな考えが芽生えかけるも、痛覚が発する荒波に流されて、形を成すことなく消える。

「行くか」
 ゲズゥは右手でミスリアの肩を軽くぽんと叩いた。
「は、はい」

 左手に巻きついていた温もりは今度こそ離れた。しかも少女は何故かこちらに背中を向けてしまった。
 名残惜しいような心持ちで、ゲズゥは己の左手を一瞥した。

_______

 ミスリアと旅をするまでは教会とはほぼ縁の無い人生を送っていた。
 そのせいかはわからないが、この巨大な建物をうまく形容する語彙をゲズゥは持っていなかった。

「空をそのままお城にしたみたいな……昔、絵本にもこういうの載ってるのを見ました」
 ため息交じりにミスリアが感想を漏らす。

 宗教施設を城と呼ぶのはいかがなものか。しかし規模だけで言えば城と呼んでもいい気がする。色合いは蒼穹か藍色か、透き通るような深い存在感を醸し出していた。「神秘的」の言葉が似合いそうである。
 目の前の教会は、ただでさえ色彩に欠かないこの町の中でも、異質に見えた。

「教団本部の建物はもっと大きいんですけど……綺麗さではどっちも……」
 と、尚も感嘆を表すミスリアを横目に、ゲズゥは別のことに意識を向けた。

 視界の端で、近くの建物の屋根の上を走る人間をみつけたのである。しかもこちらに向かって駆け寄ったかと思えば、屋根から身軽に跳び下り、宙で二回転して着地する。猿を連想させる動きだ。

「こんにちはー! 奇遇ですね」
 男は片手を挙げ、馴れ馴れしく声をかけてきた。

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07:34:30 | 小説 | コメント(0) | page top↑
31.c.
2014 / 04 / 17 ( Thu )
 あれほどまでに好き勝手に他人を害しながら、全く邪魔されない人間などそうそう居ないだろう。イマリナ=タユスを拠点とした裕福な商人の元に嫁いでからは悪化したようで、女の外面の良さに磨きがかかればかかるほど裏では非行が積み重なった。しかも、主に少数民族や貧窮の者を追いつめる類の悪事だ。
 経歴から態度まで、鬱陶しいと感じない点の方が少なかった。
 だがゲズゥはその程度で取り乱すような性分ではない。報いは相応に――怨みを方程式に当てはめるように、それまで葬ってきた仇たちにしたように、淡々とすら呼べる手つきで女に惨たらしい最期を迎えさせようとした――

 最中に、存在だけは聞き知っていた、その女の養子が現れた。夫の亡くなった知り合いの子供か何か、そんな縁だった気がするが、とにかく邪魔だからと気絶させて横にどけようと動いた。
 子供は抵抗した。養母を助けようと死に物狂いで暴れ叫んだ。

 二人の間を飛び交う言葉を聴いて、次第にゲズゥの胸の奥では「羨ましい」を通り越した憤りが渦を巻いて嵐を生み出した。

「……俺がリーデンにしてやれなかったことを、あの女は養子にできていた」
 重々しく呟く。事細かに思い出せば、やはり黒い感情も一緒になって蘇る。
 ミスリアは言を挟まず、真剣な面差しで続きを待った。

「夫のみならずあの女の身近な人間は全員が闇に生きていた。なのに共に暮らしていながら、子供の瞳は無垢だった」
 今でさえ、子供は親の身の潔白を信じている。或いは一生信じたままで、復讐心さえ乗り越えられれば親の生きた道を辿ることなく真っ当に成長するだろうか。

 女が養子に向けて怒鳴った「お前はこっちに来るんじゃない!」という警告の真意をゲズゥは瞬時に読み取っていた。
 一緒に暮らしていながらも汚れた世界から一線を画し、己の本性を隠しながらも子供を守り抜こうとしていたのだ。

 それは自分が弟に与えてやりたかった、理想の具現化だった。
 否、一緒に居られなくてもいいから、なんとしても闇から守ってやりたいと思っていた。

 拾ってくれた老夫婦は二人も子供を育てるのは無理だと断じた。選ぶならば、無愛想で不気味な兄ではなく、愛らしい弟の方を育てたいと。
 ゲズゥは異を唱えなかった。せめてリーデンだけでも平穏な暮らしができるなら、と考えて潔く身を引いた。

 離れることになってもいいから普通に幸せに生きて欲しかった。毎日腹一杯、温かい食事を食べて欲しかった。そして、一族との終わらない悪夢から解放されて欲しかった。
 結局願いは叶わなかったが。

 ――冷静に考えれば、あの女と比べても仕方ないことぐらいわかっている。

 離れようと判断をした時のゲズゥは僅か八・九歳程度で、しかも地位や収入源も無ければ頼れる知り合いすらいない、人間一人を庇護できるような状況ではなかった。

 そもそも、思い描いていた理想は都合が良すぎた。同じ屋根の下に住んでいながら世界を住み分けようなどできるはずが無かった。だからこそそれを成し遂げた女が余計に腹立たしく思えたわけだが。

 わかっていた。
 だが、無垢な子供の瞳に映る己の姿に不覚にも驚いたのだ。穢れた自分を睨む子供に弟を重ねてしまったかもしれない。ひどく惨めな気分になり、頭が混乱した。

 激昂した、かもしれない。
 一時の激情の所為か実はその辺りはよく覚えていなかった。女の息の根が止まったのを確認した後は速やかに惨劇の場を去って、養子がどんな様子でいたのかなんて見向きもしなかった。

 思えばこうしているのは罪滅ぼしではなく、自身の無力さを呪っての自傷なのだろう。気が済むまで血を流したいのは、自分の方だ。
 ――たった一人を守れなかった悔しさを紛らわせようとして。

 ぽつぽつと語り終えたゲズゥは、その時になってやっと傍らの少女に目の焦点を当てた。瞬く度に大粒の涙が次々と溢れる程、ミスリアの瞳は濡れている。

「何故泣く」
「貴方が、泣かないからです……!」
 わけがわからない返答に、ゲズゥは無言で眉を吊り上げた。ぽたぽたと涙が手の甲に落ちている。
「でも、ちょっとだけ、安心しました」
 ミスリアは目元を左手の袖で拭いながら続けた。

「私はずっと、ゲズゥが感情に乏しいとか何かが人として欠落してるとか、実は心の中が空っぽだったらどうしようって、思ったりしたんです。でも違うんですね。何の変哲も無い石を裏返せばその下にたくさんの虫が生きているとわかるように、空虚に見えても、心の奥では色々な想いが蠢いていたんですね」

「……正直だな」
「す、すみません。空っぽだとか虫だとか、ふ、不快にさせてしまいましたか?」
 露骨に怯む少女が、何故だか段々と可笑しく見える。

「いや、わかりやすい例えだった」

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13:05:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
31.b.
2014 / 04 / 14 ( Mon )
「ごめんなさい」
 少女はすかさず謝った。
 別に嫌に思ったから言ったのではないのに。そう付け足そうと思ったが、その前にミスリアがまた言葉を零した。

「……貴方はいつも……熱い、ってぐらい体温が高いのに……今は、冷たくて。それがなんだか怖くなって……」
 ふと、左手に巻き付いている温もりが逃げそうになる。ゲズゥは力なく横たわらせていただけの手に力を込め、離れつつある小さな指を握って留まらせた。

「重く考えすぎだ。これくらい、すぐ回復する」
 実際は「寒さ」に顎がガチガチ鳴りだしているのを精神力で制して、最小限に抑えられるようにゆっくり話している。
「……嘘です。本当は凄く痛いんでしょう。苦しいんじゃ、ないですか」

「お前に会う前と何ら変わらない」
 聖気などと言う、非現実的だが極めて有用な力が身近に無かった頃。運が良ければ痛み止めなどに使える薬草が手に入ったが、それ以外の時は、気を紛らわせるなり無理矢理にでも眠りにつくなり、自力で回復するまでは耐えるしかできなかった。

 ミスリアは唇を噛み締めて押し黙った。大きな茶色の瞳は新たに涙を溜めて潤い、葛藤を抱えている様子だ。
 少女の涙も気にはなるが、それよりも、ゲズゥは激痛と共に、再び意識が闇に押しつぶされそうになるのを感じた。また潜るのはまずい、と勘が訴えかける。

「――話を」
「はい……?」
「何でもいいから、気が紛れる話をしろ」
 意図がわからなそうに、ミスリアは小首を傾げた。それでも、わからないままでも、素直に応えようと決めたらしい。

「それでは、あの子は何処に去ったのでしょう。帰る場所なんてあるんでしょうか」
「さあ。元々の帰る場所は、俺が奪ったからな」
「……そうですか……」

 いきなり会話が終了していることに、ミスリアは困惑気味に俯く。そして意を決したように顔を上げたかと思えば、次には矢継ぎ早に質問を連ねた。

「どうしてこんなことをするんです? 罪滅ぼしですか? これまでは罪の意識を感じてる素振りは見せなかったのに、どうして、あの子に関してだけはけじめをつけたいなんて言うんですか? 本当は何があったんですか」

「…………それは……」
 ゲズゥは瞑目した。
 熱に浮かされつつある頭は、一斉に浴びせられた質問をどう捌くべきかのろのろと思考する――

 ――そうする内に、あの女と相対した夜を思い返していた。

 首から下の肌という肌を覆い隠した、シャスヴォル国特有の、古風で厳格な服装。結い上げられた長い髪。丸い顔に小さい両目、低い鼻や古風な化粧も併せて、初見では楚々とした空気を醸し出す中年女だった、が。

 少数民族を同じ人間ではなく下賤な生き物と捉え、卑しむ眼差し。
 折に触れて生唾と暴言を吐き出す、紅の塗りたくられた唇。
 政治家の妹という立場にあり、「呪いの眼」一族に滅びをもたらした内の一人は、性根の醜い女だった。

「…………奴らを残らず殺すと、従兄と約束した。だから俺は前々から計画し、さまざまな角度から裏付けを取って、熟考し、実行した。だが居合わせた子供に余計な絶望と憎悪を植えつけた点だけは、手違い――……いや」

 認めたのは、いつだったろうか。それを今口にしたのは、熱の所為だろうか。
 或いは相手がこの少女だから、話しても良いと思うのか――。

「ただの腹いせだった。理にかなっていない、一時の感情だ」
「腹いせ、ですか?」
「俺はあの女が、妬ましかった」

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14:00:55 | 小説 | コメント(0) | page top↑
31.a.
2014 / 04 / 10 ( Thu )
 桃色の液体に緑色の小粒とは、随分といかがわしい。そんな外見の薬だが、効果の方は期待できるのだろうか。
 ゲズゥ・スディル・クレインカティは手渡された小瓶を掌の上で揺らしたりしてみた。これまた、いかがわしい臭いが小瓶の蓋と口の隙間から漏れる――たとえるなら、草を汗で湿らせたかのような。

「そいつは強力な痛み止めですぞ。こっちは造血剤、食事の度に一つ、よく噛み砕いて飲みなされ。なに、若い男といえばただでさえ血の気が多くて、造血なんざ必要ないでしょうがね」
 ――ハッハッハ! と壮年の医者が豪放に笑いながら巾着を放り投げる。
 巾着を受け取ったゲズゥは、想定外に中身が硬くて重いことに目を細めた。

「ありがとうございます、先生」
 ミスリアが医者の正面に立って直角に倣った深い礼をする。
 医者は黒い顎鬚を一撫でしてニヤニヤ笑った。鋭い眉や鼻の高さ含め、猛禽類寄りの顔立ちなのがどうも気になる。胡散臭い雰囲気とは裏腹に、町内では名医として腕の良さに定評があるらしいが。

「それじゃあ、杖もつけてやりましょうぞ」
 そう言って医者は狭い診察室から廊下へとしばらく姿を消した。戻って来た頃にはその手に一対のT字形の杖が握られていた。

「その怪我でここまで歩く気合があったのは、結構結構。しかーし、せっかく縫った傷口が開いても困りますからな、なるべく安静にしてなされ。幸い、デカい患者様を診るのは初めてじゃない。この長さで足りますな?」

 ゲズゥは差し出された木製の杖を早速脇下に当て、試しに寄りかかってみた。重心は安定していて、脇に当たる部分も硬すぎず軟らかすぎずでちょうどいい。これなら負担も少なく歩けるだろう。

「問題ない」
 と、以上の旨を簡潔にまとめて答えた。
「よし。となると、支払いの話に移ってもいいですかな」
 猛禽類風の医者が椅子を引いてミスリアに勧める。はい、と頷いてミスリアは椅子にそっと腰をかけた。

 二人が金の話をする間、ゲズゥは無言で傍観に徹した。数字やら細かい交渉は面倒だ。必要な物はどうあっても必要なのだから、高い金を払うことになっても手に入りさえすればいいと彼は考える。ちなみに弟のリーデンは、必要な物の為にこそ完膚なきまでに値切る派ある。

 そんなわけで治療費の話はほどほど耳に入れつつ、己の身勝手な寄り道に文句ひとつ言わずに付き合ってくれている少女を、なんとなくじっと観察して過ごした。

_______

 夢を見ていたとしたら、内容は記憶に残らなかった。
 まどろみの中で唯一強く感じていたのは「寒さ」だけだったと思う。

 そんな膜のように薄い無意識から脱した時、まず最初に意識を射止めたのは左手に巻き付いていた柔らかい温もり、それから――

「あつい」
 ――手の甲を時々打つ、小さな熱。

「……え?」
 傍らで項垂れていた少女は、ゆっくりと頭をもたげた。その顔をおぼろげに認識して、ゲズゥは熱の源を知った。
「そういえば、涙ってのは、熱いんだったな」
 忘れていた訳ではないはずなのに、僅かな衝撃を覚えた。

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13:21:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.i.
2014 / 03 / 31 ( Mon )
「なに、すんだよ!」
「お願いです、思い直して! 一日だけでもいいんです、引いて下さい!」
 骨と皮と髪ばかりの栄養不足な子供が相手では、ミスリアでも取り押さえることは可能だった。
 揉み合いながらも説得を試みる。

「今日の行動が明日からの貴方をどう変えていくのか――まだわからないかもしれませんけど、信じて下さい! 大切な人の仇だとしても、殺すのは、それだけは、いけません!」
 並べ立てている言葉に説得力があっても無くても構わない。止めたい、ただそれだけだった。
 組み敷いたような体勢になり、ミスリアは少年の痩せこけた顔を見下ろした。昨晩は虚ろな印象を与えた瞳が、今日は怨念に血走っている。

「うるさいいいいいい!」
 少年のどこにそれだけの力があったのか。
 刹那の激怒。少年はミスリアの頬を引っ掻き、下アバラに膝蹴りを入れた。痛みに蹲るほかなかった。

 視界の端で、ゲズゥが屈んでいるのが見えた。片手で鉈を拾い上げ、長い柄から差し出す。

「落し物だ。返す」
 己の血液がべったりとこびりついた刃に対して、彼は平然としている。普通は自分がとめどなく血を流しているだけでも仰天しかねないが、それは一般人の定義であって、今更ゲズゥに当てはめられるものではないとミスリアは知っていた。

「――――なっ……」
 逆に少年の方が動揺した。
 ミスリアはかろうじて上体を起こして目を凝らす。仇討ち少年は、これまでの激しい意識状態から醒めかけているようだった。

「う、あ……あ…………」
 ガタガタと全身を震わせ、鉈を受け取ろうとしない。
(怯えてる?)
 自覚が芽生えたのだろうか。行為の恐ろしさを、理解したのだろうか。

 変化に気付いたとすれば、ゲズゥはそれらしい素振りを見せなかった。彼は空いた手で少年の右手を掴み、強引に鉈の柄を握らせた。
 その過程のどこかで細い手首に深紅が付着していた。少年は戦々恐々と血痕を見下ろす。

「ああああああああああ」
 正気の色を映し始めていた瞳は恐怖に一際大きく見開かれる。
 そして昨夜と同じく、少年は足早に逃亡した。辺りに草が繁茂しているだけあって小さな人影が消えてなくなるまでに一分もかからない。

 ぼんやりとその後ろ姿を見送っていたらしいゲズゥが、やがて短くため息を吐いた。レンガの山を背もたれに求め、地面にずるずると座り込む。
 ミスリアは蹴られた箇所をさすりながら、何度か咳をした。次いでふらりと青年の隣まで近寄った。

「頬」
 見上げる黒い瞳は相変わらず平静だ。
「ちょっと引っ掻かれただけですよ。痺れはしますけど、大丈夫です。それより脚の怪我を見せて下さい」
 治癒しやすいように、彼の左隣に膝をついた。

 ところが、伸ばしかけた手は止められた。濃い肌色をした大きな手がミスリアの右の手首を長袖の上から握り締める。
 驚き、探る眼差しをゲズゥに向けた。心なしか血色の悪くなった顔が視線を返す。

「いらない。これはけじめだ。治さなくていい」
 思わずミスリアは何か言い返そうと口を開きかけた。けれども手首を締める強い力からゲズゥの決意の固さがひしひしと伝わってきて、言い返すはずだった言葉も失われた。

「…………ではせめて、お医者様に診ていただきましょう」
 と提案すると、「わかった」と彼は頷いた。握り締められていた手首も解放される。
「しばらく休めば歩けるようになる。……多分」

 はい、と小声で相槌を打ち、ミスリアはショールを破いて応急処置に当たる。コートを開くと想像以上に革が濡れていて重く、その下に現れた麻ズボンに大きな赤い染みが広がりつつあった。
 決して長く放っておけるような傷ではない。

「やっぱり少しだけでも聖気を使わせて下さい」
 包帯代わりの布を巻きながら、不安を隠せない声で言った。止血の為、傷口には充分な圧力を加えて、巻き終わった包帯をしっかり結んで――

 ――反応が無い。

 見れば、気付かぬ内にゲズゥは瞼を下ろしていたらしい。 
 反射的に彼の首筋に人差指と中指を押し当てた。幸い、指先にはちゃんと生きた人間の血管が脈打つ感触が伝わった。しかし異様に速いのは気のせいではない。
 おそらく失血のショックで気を失ったのだろう。

 涙がこみ上がった。
 何とかしなきゃと思ってまた片手を伸ばすも、躊躇して何もできない。

 苦しみを少しでも少なくしてやりたいと思う反面、気持ちを汲んでやりたいとも思う。ここまで譲らないからには、何かしら深い理由があるはずだ。知らないまま踏みにじっていいとは思えない。
 この切なさは何だろう――妙な衝動に駆られ、ミスリアは青年の横顔に手を伸ばしていた。

(そういえば寝顔? を見るのは初めてなのかな……)
 ゲズゥは大抵の日はどこか目に入らない場所で寝ているか、ミスリアよりも遅く寝て早く起きている。
 よく人の寝顔は万国共通で無邪気だと言うが、これは厳密には寝顔ではないし、無邪気どころかやたら苦しそうである。

 ミスリアは余った布きれで汗の粒を拭ってやった。
 苦渋に寄せられた眉根も、不自然に速い胸板の上下も、見守るしかできないのがたまらなくもどかしい。

 衝動を生み出す渇望の正体を、ミスリアは知らなかった。
 知らないまま、ゲズゥの左手の下に己の右手を滑り込ませ、思いっきり握る。
 もう視界がぼやけてよくわからないけれど、その上に涙の滴が零れ落ちる気配を感じた。



以下あとがきになります


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14:09:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.h.
2014 / 03 / 30 ( Sun )
 硬直が解けたミスリアは大急ぎで水道橋から降り始めた。
 叫び声が止んでいる。少年は頼りない肩を激しく震わせながら、荒い呼吸を繰り返し、鉈を引き抜こうともがいていた。

 血が伝う鉈の刃に、無骨な手が重なる。刃は刺した対象に、その全長の四分の一も食い込んでいない。

「たとえ――」ゲズゥが発した声はひどく冷静だった。「腕が上がらなくなるまで俺を刺しても、或いは殺したとしても、お前の心は晴れない」
「はな、せぇ!」
 子供はひたすら鉈を引き抜こうとしているが、びくともしない。腕力の差は明らかである。

(ダメ。引き抜いたら出血が)
 焦り、ミスリアはレンガの柱を滑り落ちるようにして降りた。

「恨みとはそういう物だ。楽になりたければ、別の方法をみつけるんだな」
「なに、言ってんだよ。そんなんどうでもいい! おばさんをめちゃくちゃにしたオマエを、絶対、ゆるさない! わすれたとは言わせないからなぁ!」
 少年は全身から憎悪をほとばしらせながら一言ずつを恨みがましく吐き出した。

「……憶えてる」
 ぽた、ぽたり、と深紅の滴が草を濡らす。青年はそれを全く気にせずに静かに答える。

(こんな子供が仇討ちを……?)
 衝撃のあまり、身体の動きが一瞬止まった。そしてどうしてかそのことより気になる問題があった。
 ふいにミスリアはシャスヴォルの兵隊長だった男性を思い返した。あの時ゲズゥは何と言っただろうか。

「お前が慕っていた女には殺されるべき理由が多くあった。故郷の村を滅ぼした『実行犯』の一人でもある。あの日に遡って選び直せと言われたら、何度でも俺はあの女を苦しめて殺す方を選ぶ」
「うるさい! おばさんはすごく優しくて、おれにとっては親だったんだ! 殺される理由なんてあるわけない!」

 ゲズゥは少年の必死の抗言を完全に無視して続けた。

「だがあの場に現れたお前に見せつける必要は無かった。お前の憎しみを悪化させた責任は、確かに俺にある」――彼は鉈にかけていた手に力を込め――「だから、思う存分、やりたいようにやればいい」

 やっと水道橋を降り切ったミスリアは、その勧めを聴いて一層強い焦燥感に打たれた。何やら整理しきれない感情を持て余し、覚束ない足取りで二人の傍へ歩む。

(過去の罪に対して罪悪感を感じているのは、良い傾向だと、喜ぶべきかもしれない、けど……)
 そう考えながらも信じられないくらいに自身の動きは緩慢としていた。
 少年がゲズゥの手助けを経て鉈を引き抜く瞬間が、目に見えて間近に迫っているのに、ミスリアの足は速まることができなかった。

『お前が俺に復讐するのはお前の勝手だ。そこで返り討ちにするのは俺の勝手だ』

 シャスヴォルの兵隊長を相手にした時に比べて、ゲズゥの態度が違っている。原因を辿ろうにも、彼が今しがた語った責任の話だけでは釈然としないものがあった。
 今はそんなことより、目の前で繰り広げられかけている悲劇を止めなければならない。

(きっとあの子にとっての取り返しのつかない過ちになる)
 それは、無関係な人間ならではの意見だろうか。どちらにせよ、心の奥底から人を恨んだことの無いミスリアにはわからない。
 止めなければならないという意思の方が、今は迷いよりも勝っていた。

 黒いコートに身を包んだ青年の背中が視界の中で段々と大きくなっている。あと数歩もすれば手が届きそうな距離に達すると、鉄の臭いが鼻についた。
 なんとか仇討ち少年を説得できないだろうか。気を引き締めて、ミスリアは横を回り込んだ――

 低く、形容しがたい音がした。遅れて両目が脳へと映像を読み込む。
 少年は血に濡れた鉈を持ってよろめいていた。

 栓の役割を果たしていた凶器が抜けても、ゲズゥの左脚から劇的に鮮血が飛び出したりはしない。代わりに、真っ黒な革に開いた穴の周りが音も無く潤い、嫌な光沢を帯びる。

「や――」
 その時点でようやっと、ミスリアは声の出し方を思い出していた。
 少年は、鉈を両手で逆手に握って、大きく振り被っている。今度は腹部を狙うのだろうか。

「やめて下さい!」
 かなり危険な真似だと頭のどこかでわかっていたが、それでもミスリアは飛び出していた。
 自分と大して身長の変わらない華奢な少年に体当たりをする。二人して転倒し、鉈は少し離れた場所に落ちた。

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15:18:03 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.g.
2014 / 03 / 27 ( Thu )
 俯き、途切れ途切れに語り出す。

「親……を。引き取って育てて下さった方たちを……ある日、自分が殺した、と。あの人は、そう言って笑いました」
 ミスリアは心のどこかでは否定して欲しくて語っていた。ただのほら話だから早く忘れろ、とでも言って欲しくて。
 そしてゲズゥは返事をした。

「事実だ」
「――――!」
 がばっと彼の立つ方を見上げても、レンガを覆う蔓草がちょうど邪魔で表情が窺えない。
「俺はその場に居なかったが、視ていたから、知ってる」
 あくまで淡々と、言葉は重ねられる。

「おかしいです! その場に居なかったのに『見てた』ってどういうことですか」
「左眼の特性の一つだ。血縁関係の強い相手と、視界を共有できる」
「視界を……?」
 ミスリアは訊ね返した。ゲズゥ自ら「呪いの眼」について説明する気になっているのが珍しくて、つい話題の中心人物よりもそちらの方に興味が向いてしまう。

「別に、常にそうなってるんじゃない。何故か距離が離れた方が頻繁に同調が起こるが、意図的に遮断するのも可能だ」
「すごいですね。そんな風になってるなんて……」
 途方もない話なのに、ミスリアにはすんなり信じられた。今の説明を受け入れさえすれば、昨夜のリーデンの言動に抱いた疑問がことごとく解消されるからだ。

「もしかして相手がどこに居るのか、距離感覚も備わってたりしますか?」
「大して頼れはしないがな」
「それでもこの町まで追って来て、見つけられたでしょう。リーデンさんだって、そうやって昨夜は河のほとりまで来たんですよね」
「ああ」

 ――謎がいくらか解けた。
 頭の中で、ミスリアはいくつかの点と点を繋いでいた。視界の共有、距離感覚。遠い昔、リーデンが誰の目も届かない場所に隠れていながらゲズゥが迎えに来れたのは、そのおかげだろう。それに、世界でただ一人の家族と遠く離れていても平気でいられるのは、或いはこの不可思議な能力があるからなのかもしれない。

(裏を返せば、それってもしかして)
 ミスリアはあることに気が付いた。便利そうな力に思えるが、良い事ばかりなはずが無い。何せ自分一人の経験だけではなく、別の人間の味わった悲しみや苦しみを直に受け取ることになるのだから。
 自分に置き換えてたとえれば、魔物に魂を繋ぐ歌を使うのと同じだ。

 あれは他人の記憶と過去、と最終的に割り切れれば正気を保てるものであって、身近な相手と何度も経験を共有していたら、他人事でない分だけもっと引きずりそうである。
 そして振り出しに、リーデンの話に戻る。

(老夫婦を鈍器で殴った場面を同調して視てた――?)
 視ていただけで、手を出せる範囲に居なかったのなら。一体どんな気持ちで一部始終を観察していたというのだろう。全く何も感じなかったはずが無い。
 気分が悪くなり、ミスリアはそれ以上は想像したくなかった。強制的に思考回路を止め、深く息を吸い込む。

 会話が今度こそ止んだので、太陽が西の空を悠々と横切るのを眺めようと思って顔を上げた。いつの間にかもこもことした灰色の雲が青の上を滑っている。陽の光が遮られて弱まる度に、気温は下がって行った。
 流石に寒くなってきた。できれば屋内に入って毛布に包まるなりお茶を飲むなりして温まりたいと思う。

(そういえば私たちは何をしに来たんだっけ。えーと、子供に会いに?)
 思い出したのと時を同じくして地上からガサガサと何かが野草を踏み分ける音がした。
 柱に片手を付けたまま、対象を見下ろそうとやや身を乗り出してみる。小さな人影だった。本当に、件の子供が現れたのだろうか。

 人影は水道橋を振り仰ぎ、長い髪に隠れていない唇を動かした。
 何かを言ったのなら、突風で聴き取ることができなかった。しかしその唇は、「みつけた」という単語を形作っていたように見受けられる。
 重く硬そうな布が風に絡まれる音と共に、ミスリアの視界を、大きくて黒い物が通り過ぎて行った。

「ミスリア! お前はそこを動くな」
 と、黒い物が振り向きざまに命じる。
「何を……」
 唐突に、猛烈な不安が心を占め尽くした。既にゲズゥは地に足を付けている。同等の身体能力を持たないミスリアが同じ場所に辿り着くまでには、必ず数分以上はかかる。

 何に対する不安なのかはわからなかった。動くなと言われはしたけれど、やはり降りた方がいいのか。
 逡巡していた間、ミスリアは二人の人影から目を離せずに居た。

 その時、小さい方の人影がずかずか進むのをやめた――
 かと思えば、次には叫びながら走り出した――
 少年は両手に、長くて危険なナニカを握り締めているように見えた。ミスリアは目を見開いたまま硬直した。

(どうして!?)
 警告を伝えようとしても、声が出なかった。
 疑問は少年の行動というより、長身の青年の方にあった。彼は着地して以来、真正面から突進してくる少年を前にして、小指の先ほども動かない。

 まるで鉈の切っ先へ吸い寄せられたかのように、最初からそれが狙いだったかのように。
 ほどなくして二つの人影は重なった。

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13:29:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.f.
2014 / 03 / 25 ( Tue )
 レンガの積み上がった部分を足場に使い、何とか掴める箇所を順に見つけてよじ登った。五分ほどして腰を落ち着ける場所に着けた。その頃には爪が割れたり指先に多少の傷ができたりしたが、得られた成果はそんな煩わしさを掻き消すに十分だった。
 人の手が作り上げた絶景。そこには、大自然が魅せる光景とは別種の感動があった。
 故郷たる島国から一歩も出ることなく一生を過ごしていたら決して出逢えなかったであろう喜びに、思わずおののいた。

 視界いっぱいに広がる、手の込んだ造りの都には、どれだけの歴史とどれだけの人の夢や苦労が詰まっているのだろうか。ここから望める港や街道、住宅街や役所、果ては路地裏にまで。
 寒空の下、太陽が力強く照らすイマリナ=タユスの町では、さまざまな人生が行き交っている。その中にはミスリアにはとても想像できないような困難な人生も、燦爛たる人生も、多種多様に含まれていることだろう。

 彼等が思い描くままに道を往けるよう、妨げが少なければいいのに――と、ふとミスリアは手を握り合わせて祈った。

(でも、誰もがみんな望むままに進んだら、そのせいで衝突してしまう人生も出て来る)
 生きているというのは一筋縄では行かないものだ。自然界にだって、共生と相克がありふれている。人の世も同様に入り組んでいて、どちらの在り様が正しいのかなど、結論が出たためしは無い。

(せめて自分にできることを、聖女としての役目を、精一杯まっとうしよう)
 少なくとも大陸中の魔物を昇華していくことが人々にとってマイナスになるはずは無いのだから。

 物思いに耽り始めて数分、突風が周囲を吹き抜けた。ミスリアは長い袖と裾のドレスの上にショール型の外套を羽織っているがそれは薄地の部類に入る品物で、今の風に弄ばれはしても充分に防げた気がしない。特に背中や後ろ首辺りが一気に冷たくなった。
 フードが付いているのが幸いで、ミスリアはこれ以上髪が乱れないように、そして冷えないようにと目深に被った。

「ここ数日で急に冷え込みましたね」
 身震いしつつもミスリアはゲズゥが居る辺りを斜め上に見上げた。
 立っていれば余計に風が当たって寒いはずなのに、彼は平然そうな顔で直立していた。昨日使っていた膝まである黒コートをちゃんと乾かして着用しているからかもしれない。両手なんて、ポケットに収まっていて温かそうである。

「コレは貸してやれないが」
 こちらがコートに視線を集中させていたのに気が付いたらしい。
「わ、わかってますよ、リーデンさんのご厚意です。それに背丈が違い過ぎますし」そう答えると、ミスリアはあることを思い出して懐かしさに頬を緩ませる。「私には姉が居ましたけど、歳が離れていたので服の貸し借りはできませんでした」

「過去形」
 返ってきた一言の指摘にミスリアは苦笑した。
「お姉さまは私より先に聖女となって旅に出ました。そしてそのまま、失踪しています」
 一抹の淋しさに胸が痛んだ。

「つまり、お前のは捜す為の旅か」
 つとゲズゥが投げかけてきた憶説にミスリアは驚かない。以前から、自分は厳密には世界を救う為に旅立った訳ではないと、言明してあったからだ。

「そうではありません。いえ、全くそんなつもりが無いと言えば嘘になりますけど……」
 そこから先を語れなかった。裏付けを取れていない、ただの疑惑を口にするだけの勇気が足りなくて。
 ふらりと、心身の支えを求めてレンガの柱に背中を預ける。

 ミスリアが口を噤んだ後は静寂が続いた。否、人と動物の声が欠けただけで、静寂と呼ぶには風がうるさすぎた。まるで聴く者に何かを訴えかけるかのような高らかな風音が、間隔を置いて何度も周囲を揺さぶる。
 じっとしていると時々古城の映像がチラチラと脳裏を過ぎるが、今や無視できる程には慣れている。

 そうしてしばらく経ってまた口を開きたくなった時、再びとある名が舌の上を滑った。

「リーデンさんて複雑な方ですね」
 直後、上からは嘲笑に似た吐息が聴こえた。
「そういうのを婉曲と呼ぶらしいが」
「む、難しい言葉を知ってますね。婉曲表現になるんでしょうか」

「…………アレとの確執にお前を巻き込んだのは、悪かったと思ってる」
 いつもの感情に乏しい声とは違う、僅かだが確かに申し訳なさそうな声色だった。
「え? そんな、私は構いませんけど」
 条件反射でミスリアは答えた。

「いや。お前はアレを怖がって逃げ出した」
「――それは、だって……あまりに惨いことを言う、から……です」
 するとゲズゥは口に出しては何も言わなかったが、その沈黙にこそ「詳しく話せ」と求められているとミスリアは解釈した。

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13:23:39 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.e.
2014 / 03 / 20 ( Thu )
 地上へ続く階段を無心に駆け上がって、上り切ったら今度は路上に出るつもりで駆ける。
 その後はどこへ向かえばいいのか全く当てが無いけれど、ミスリアは足を止めなかった。
 案外、探し人はすぐに見つかった。リーデンが居を構える建物から数歩も離れていない位置に彼は佇んでいた。

(――っ、こんなに)
 ……安心するとは思わなかった。堪えていた涙が目元に少し滲み出たのは、午後の陽射しが眩しいからってだけではない。

 黒曜石に似た瞳が湛える静けさの中に、ついさっき露わになった激情は残っていない。だからだろうか、目が合った途端、さざなみ立っていた気持ちが少しだけ落ち着いた。
 長身の青年は、息を切らして膝に手をつけるミスリアを、怪訝そうに見下ろす。

「そんなに慌てずとも、別に置いて行ったりしない」
 彼は草か枝のようなものを一本口に咥えたまま無機質に言った。
「あ、はい。ありがとうございます」
 何故か熱が顔に集中したように感じて、思わず目を逸らした。そんな言葉をかけてもらえて――嬉しい、のかもしれない。言った方には喜ばせるつもりなど無かったとしても。

「そ、それで今日はどちらへ向かいますか?」
 気持ちを切り替え、笑顔を作って改めて訊ねた。今はまだ、地下に潜む銀髪の美青年について触れたい気分ではなかった。きっとゲズゥも話題にしたいとは思わないだろう。

「…………昨日の子供を探す」
 理由も無くなんとなく散策するのかと思っていたミスリアは、意外な答えに目を見開いた。
(あの子のことを心配しての行動なら感心するところだけれど)
 そう考えるのはどこか的外れな気がした。

「でも街に居るとは考えにくいですよね? 昨晩はあんな外れに居た訳ですし」
「おそらく高い所に行けば遭遇する」
「高い所?」
 訊き返したものの、返事は無かった。

 ゲズゥは黒いコートの裾を翻してさっさと歩き出していた。ミスリアもその後に続く。
 彼は時折止まっては周囲を見回し、行き先を決めているようだった。

(高い場所から町全体を見下ろして探す……? そんな言い方じゃなかったわ。おそらく遭遇する、ってどういう意味だろう)
 考えうる可能性があるとしたら、それは例の少年の方がこちらを探している場合――高い所に立って姿を見せるだけで近付いてくるはずだ。しかしそれならば何故探すのか、何故ゲズゥにその予想がついたのか、わからないことだらけになる。

 路地裏の迷路を抜けると今度は街をうろつき、やがて更なる紆余曲折を経てやっとゲズゥは立ち止まった。
 街の北端だろうか。草が繁茂した地域に、水道橋の一部がそびえ立っている。

 80フィート(約24.3メートル)をゆうに超える水道橋は、壊れた状態よりむしろ建設中に計画が放棄された風に見えた。一番高い所は二段目まで完成しており、一番低い所は一段目の柱のレンガが途中までしか積み上げられていない。

 ――悪い予感がする。
 おそるおそると隣のゲズゥを見上げると、彼は一言「のぼる」とだけ呟いた。

「あれを、登るんですね……!」
「嫌なら地上で待っててもいいが」
「……一番高い位置まで行く気ですか?」
「そうだな」
「わかりました。私は下で待ってます」

 とりあえずは妥協することにした。
 ああ、とだけ答えて、ゲズゥは古びたレンガに手を付ける。慣れた手つきで上へ上へと登っていく彼の後ろ姿を見届けてから、ミスリアは登りやすそうな所を探した。
 一番高いとまでは行かなくとも、少しでも登ってイマリナ=タユスを見下ろしてみたい気分である。

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13:19:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.d.
2014 / 03 / 17 ( Mon )
*注意:残酷というか、書きながら私もぞわぞわしたような歪んだ話があります。


「兄さんは僕を背負って走った。村から遠く遠く離れ、それからは二人で町を転々と移ろいながらゴミ山を漁り、拾い食いをし、時には盗みもして食いつないで……。意地汚い生き方と言っても、幼い僕には多分、家族が一緒ってだけで結構満たされていたんじゃないかな。不思議と、思い出はいつも温かい」

「なるほど、そんなことが……」
 今回のお茶は苦いなぁ、と思いながらミスリアは話に聞き入っていた。お茶以上に、リーデンの語る過去は苦い。
 しかしゲズゥの幼少時代を想像してみるのはどこか新鮮な感じがした。

「そんな生活も長続きせず、やがて子宝に恵まれなかった老夫婦の目に留まって、引き取られることになったんだ」
 リーデンが次に語った予期せぬ展開に、ミスリアは瞬きを返す。

(よかった、ずっと子供二人で生きていたんじゃなくて)
 そして僅かな安堵を覚えた。

「その方たちは今はどうされてるんですか?」
「ん? もう大分前に死んだよ」
「す、すみません。お気の毒でしたね」
「別に謝ることないよ。僕が殺したんだし」

「――やめて下さい! なんて冗談を」
 無意識にミスリアは席を立ち上がっていた。膝がコーヒーテーブルに当たり、突然の揺れでティーカップが落ちそうになる。それをリーデンが素早く手を出して防いだ。

「ん~、事実だけど」
 テーブルの上に身を伸ばした姿勢のまま、彼が上目遣いで告げる。
「その二人も、数年にかけて愛してはくれたと思うんだけど…………なんて言うか、ある日鈍器で殴っちゃったよ」

 突然窓が開けられた時みたいに部屋の気温が下がったような気がした。だがここは地下の一室であって窓は一つとて無く、空気の流れもほぼ皆無である。
 気のせいに違いない。にも関わらず、ミスリアは全身が小刻みに震え出すのを止められずにいた。

「なに、を言って……」
 膝が痛みにじんじん痺れるのにも構わず、声を絞り出した。
「そいつらの所為で僕ら兄弟は引き離されたんだ。当然の報いでしょ」
 ――悪びれず朗らかに笑っている。

(本気で言っているのだとしたらとんでもない道徳観だわ)
 今聞いた出来事が実際に起きたという確証は無いし、事件そのものの情報が絶対的に足りない。だが真実がどうであれ、目の前の美青年は「何かがおかしい」と、ミスリアは確信した。

「物心ついたのかついてないのかどっちとも言えない年頃の子供がやったことだよ。育てた人間の失敗が導いた結果と考えるのが妥当で、僕の咎だと誰が責められる?」
 ミスリアは答えられなかった。

 ある意味ではうなずけるが、同時にそれは責任転嫁とも取れる見解だ。
 心底リーデンは、自分のしたことが何一つ間違っていないと思っているのだろうか。当時はともかく、アルシュント大陸での一般男性の成人年齢である十五歳を過ぎた今でも、省みる所は何も無いのだろうか。

(この人の精神構造はどうなっているの)
 今ばかりは、弟の狂気と比べて兄の罪は些事に思えてしまう。
 罪の数ではなく感覚の問題だ。ゲズゥは人としてまだ戻れる場所がありそうなものだが、この青年は――血の繋がりはさておいて、親殺しという紛れも無い大罪を犯している。

 彼の主張通り、注がれた愛情の方に問題があったのか? それともリーデンの言い訳に過ぎないのか?
 わからない。わかろうはずも無い。吐き気がする――

「あー、そういえば聖女さん」
 相変わらずの澄んだ美声が思考を横切って、ミスリアは身構えた。
「な、何でしょう」
「たった今、兄さんが建物から出ちゃったけど。どうするの? 追いかけるの?」
 リーデンは地下室の天井を見上げて訊いた。

「それは困ります! すぐに追いますので、お話の続きはまた後ほどお願いしますね、すみません。失礼しますっ」
 場を逃げ出す口実が出来たことにとてつもなくほっとしたのも束の間、次の瞬間にはもう走り出していた。
 背後から聴こえる高らかな笑い声が夢にまで響きそうである。ミスリアはこみ上げそうな涙をぐっと堪えた。

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13:35:02 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.c.
2014 / 03 / 13 ( Thu )
 人を急かすのはマナーが悪い。そう考えながら、ミスリアは訊かずにはいられなかった。
 絶世の美青年はすぐには反応を示さなかった。どこへともなく視線をやりつつ、代わりに彼は不可解な問いを投げかけてくる。

「その前に、僕って幾つだと思う」
「歳の数ですか」
 言われて、真面目に考えてみた。弟と言うからにはゲズゥよりは年下でなければならない。それなのにリーデンの達観した雰囲気か眼光の所為か、どうにもよくわからない。腹違いなだけに実は同い年だったりするかもしれない。

(そういえば回想の中では五歳と言っていたかしら)
 あの出来事は十二年前に起きていると聞いているから……と、ミスリアは簡単な暗算をこなした。

「十七歳ですよね。お若いですね」
「君ほどじゃないけど」
「は、はあ」
 奇妙なやりとりにミスリアは笑うしかなかった。

「ねえ、聖女さんは臨界期仮定って知ってる?」
 リーデンはバノックの残りを切り分けながら問うた。その面には笑みが貼り付いている。

「生物の発育過程で、外的な刺激を絶対に必要とする時期のこと、ですよね」
 少したじろぎながらもミスリアは丁寧に答えた。
「よく知ってるねぇ。正直予想外だよ。教団の教育さまさまだね」
 ふんふん、と彼は何度も点頭する。

「教育の一環ではありません、言語学が好きな友人に聞いただけですよ。確か、臨界期の間に外的な刺激を受けないと、言語能力がその後の一生も完全には育たないって考えでしたよね」

「そ。大人になってから初めて人に話しかけられたんじゃあ遅すぎてちゃんと話せるようになれない、って特異な事例が幾つも確認される内に、そのように仮定が立てられた。放置された子供、無人の山の上で狼に育てられた子、耳が聴こえない人、などなど」
 物知り顔で語る青年を不思議に思い、ミスリアは小首を傾げた。

「リーデンさんこそそういうのに興味があるんですか?」
「興味っていうか身近な問題っていうのかなー。なかなかマニアックな話だけど、僕は詳しく調べ上げないと気が済まない性質でね」
 彼は再び頬杖ついた。左右非対称の瞳にまたもや妖しげな光が宿っていることに気付き、ミスリアは唾を呑み込む。

「一部の学者たちの間では、感情の発達についても似たようなことが説かれてるんだ」
「感情の発達……ですか」
「それの臨界期に該当する年齢については色々言われてるけど。細かいことを省けば、つまり子供でいる間に保護者に構ってもらわないと、誰かに愛情を注いでもらわないと、まともな精神が育たないって話」

 この会話は何処へ向かっているのか――ミスリアは疑問に思い、さまざまな方向に邪推し始めて、気を揉む結果となった。
 その心の揺れ動きをリーデンは敏感に読み取ったらしい。

「あはは、なんか勘違いした? そういうんじゃないよ。兄さんは昔からあんなノリだったけど、これでも小さい頃は可愛がってくれたよ」
「かわい――……?」
 ゲズゥと「可愛がる」が同じ文の内に示されていることに吃驚して、ミスリアは語尾のトーンを跳ね上げさせる。

「うん。あのあと確かに兄さんは、僕を迎えに来てくれたよ。半日後か或いは数日後だったのか、その辺りの記憶は曖昧だけどね。待ってた間に寝ては覚めての繰り返し、現実も悪夢も区別がつかないくらいどっちもひどかったもんだから」
 リーデンは一旦目を瞑って瞼の裏の映像を払うかのように眉間の皴を揉んだ。
 一拍置いて、続ける。


中世後期か直後らしからぬ思想の発達ぶりは主に私の好みの問題です。

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12:23:49 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.b.
2014 / 03 / 07 ( Fri )
「うわあああああん」
 知った顔に安堵したのか、一気に嗚咽が号泣に変わる。すると彼女は宥めるように笑った。
「ごめんなさいね。怖かったでしょう」
 おいで、と呼ばわる優しい声の方へリーデンは走り寄った。

 義母はリーデンを腕に抱き上げ、「終わった」二人の身体を見下ろして、悔しそうに彼女らの名を呟いた。

「……無念を晴らすことはできないかもしれないけど、この子だけでも必ず助けるわ。安心して眠りなさい」
 右手を伸ばして、義母は開かれたままの緑色の瞳を静かに閉じさせた。
 一度ため息をついてから、彼女は林の濃くなる方を見据える。

「リーデン、樹の登り方はわかるわね」
 そう問いかけた時点で彼女はもう走り出していた。
 何故それを今訊ねられるのかはわからないが、リーデンは小さく頷いた。

「わかるよ。こわくないよ」
 兄にくっついて遊んでもらっている内に気が付けば樹に登っている日が多く、それゆえに自信があった。高い場所への抵抗も全くない。
「よかった。だったら、ここにちょうど良いのがあるから、できるだけ高い所まで登ってちょうだい。これなら下からは見えないでしょう」

 義母は走るのを止めて、一本の樹の前に立った。たくさんの枝と木の葉を誇る、幹の太い、大きな樹だ。
 なんで、と訊き返そうとしたリーデンは、義母の真剣な表情を目にして言葉を呑み込んだ。

「わかった? 高く高く登って、それから静かにしているのよ。何を聴いても、見ても、絶対に動いては駄目」
「でも……」
 リーデンは口ごもった。疑問は多くあった。ありすぎて、何から訊けばいいのかわからなかった。

「いいわね――絶対に絶対に、動いちゃ駄目よ。眠くなったら寝てもいいけど。たとえ下の方でどんなことが起きても、降りないのよ」
「う、ん」
 嫌だとは言えない雰囲気だったので、つい同意してしまった。

「良い子ね」
 義母の温かい唇が頬をかすめた。顔面に付着したままの血の臭いもしたが、それはさほど気にならないことだった。

「いやだよ」
 地に下ろされたリーデンは意義を唱えた。泣いて暴れて癇癪を起こしても良かったが、本能的に、きっと無駄だと悟った。なので、静かに呟くだけに留める。「おいてっちゃやだよ」

「……わがまま言わないで。樹の上でずっと静かに、良い子にしてたら、そのうち」――彼女はどこか寂しそうに微笑んだ――「お兄ちゃんが、来てくれるわ」
 その言葉を聴いたリーデンは思わず顔を上げた。

「ほんと? にいちゃ、くる?」
「ええ。ずっとずっと待ってたら、迎えに来てくれるわ、必ず。できるわね?」
「できる! まってる!」
「えらいわ、リーデン」

 そうして五歳児は一心不乱に巨木を登ることにした。もうこれ以上は難しいと思った高さで止まって、辺りを見回す。太い枝を選んで、足をぶらぶらさせつつ座った。
 木の葉の隙間から覗ける地上の世界が、まるで遠い景色のように彼の目には映った。
 勿論、その景色の中に黒髪の女性の影はもう何処にも無い。

_______

 一息ついて美青年は、色っぽい仕草で茶菓子を食んだ。弾みで彼の腕輪が小気味良い音を立てる。
 ソファの反対の端に腰かけているミスリアは、小さく口をぱくぱくさせていた。

(まさか、それだけ? というよりそこで止めるの?)
 そんなはずはない、再開するはずだ、と信じてミスリアはお茶を啜った。
 しかし当のリーデンはのんびりと茶菓子を称賛している。

「バノックってモチモチした食感が嫌いだからあんまり食べないんだよね。でもこれいいね、しっとりしてて。流石は僕の好みをわかってるって感じ。ちゃんと後でマリちゃんを褒め称えなきゃ。ね、聖女さん」 (バノック=スコーンの原点)

「……そうですね、すごく美味しいです。…………ではなくて、あの、それでお話の続きは」
「んー?」
「ですから、その。大人しく待ったら、ゲズゥは迎えに来てくれたんですか?」

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14:30:27 | 小説 | コメント(0) | page top↑
30.a.
2014 / 02 / 25 ( Tue )
 その時にはまだ、リーデン・ユラス・クレインカティは「死」という現象を理解できていなかった。
 人間のみならず林の動物が時々動かなくなるのは知っていたが、それについては兄から「終わったからだ」と過去に説明を受けている。まだリーデンは物事の「始まり」と「終わり」をあまりよくわかっていなかったので、当然、兄の説明では不足だった。

「おかあちゃ」
 リーデンは地に横たわる女性を片手で揺さぶった。
「おかあちゃ、あついよう。すずしいとこいきたい……」
 言いながらも母の肌の冷たさに怯えた。

 先程から村に何が起きているのか、五歳程度のリーデンの頭はまるで理解していなかった。
 どうやら足音のうるさい人たちが沢山踏み込んできて火をつけて回っているようだが、もともと寒くなかったし、何故そんなことをしているのか謎である。家が燃え崩れるから止めて欲しい。

 とりあえずは混乱の中を走り回っていた内に遠くから妹の泣き声が聴こえたので、そちらに向かってみた次第である。
 ところが駆け付けた時には小さな妹はもう泣いていなかった。母の身体に覆い被された赤ん坊は、変な方向に体が捩れたまま、ビクビクと痙攣している。

 ――何かの新しい遊びだろうか。

「おかあちゃ、おかあちゃ、おきてよう。ちっちゃいのがつぶれちゃう」
 いつの間にかリーデンは両手で揺さぶっていた。手に何かぬるっとした物がつくのも気にしない。
「おきてよう」
 あまりもの反応の無さにしびれを切らし、力の限りに母の肩を引っ張る。

 伏せられていた顔が、少しだけ地面から持ち上がった。リーデンは深く考えずに覗き込んでみた。
 頬には涙の跡、口元には鮮血、そして血走った眼(まなこ)を見開いたままの必死な形相。
 我が子を守ろうとして儚く散った彼女の、それが最期の姿であった。

 幼いリーデンには初めて見る母のこの表情からそこまで読み取れるはずが無く――ただ、わけもわからずに嗚咽がこみ上げた。
 動かないのに、寝ているのとは違うのだという認識が、徐々に染み込んでくる。

 背後では誰かがガサガサと草を踏み分けて近付いている。でもそんなことはどうでも良い、今はまだ母の顔から目を離すことができなかった。

「おい、こんな所にガキが居るぞ」
「まだ生きてるのが居たか。殺せ! 何歳だろうと関係ない、化け物の一族は根絶やしにしろ」
 男の一人が幼子の首を片手で軽々と締め上げた。リーデンの喉から呻き声が漏れる。

「まったく見ろよ、この白い目。病気みたいだ。何度見ても気持ち悪いな」
「そうだな。早く殺しちまえよ」
 もう一人の男が嫌悪感たっぷりに同意する。

 突如、何か黒いモノが旋風のように二人の男に衝突した。リーデンはその勢いのままに吹き飛ばされ、全身を打ちながら地に落ちた。

「何だぁ!?」
 旋風を巻き起こした人物は男たちを蹴り倒し、その内の一人の上に馬乗りになって、黒光りする鋭いモノを両手で掲げた。
「うがあああ」
 その男は顔面をめった刺しにされてこと切れたが、目の前の行為の恐ろしさをみなまで理解できないリーデンは、ただ上体を起こして呆然とした。

「てめえ!」
 残された男が剣を抜くよりも早く、血まみれの加害者は動いた――敵の喉を掻っ切る必殺の一撃を繰り出して。
 鮮血が周囲に撒き散らされる。

 そこでようやくリーデンは恐ろしさを覚えた。
 ――怖い。知らない男たちも、急に現れたこの血まみれの人も、燃える家の熱さも、そこら中に漂う変な臭いも、何もかも。
 屈んだ姿勢のその人が、素早くこちらを振り向く。よく見れば女の人だ。

「リーデン!?」
 呼ばれて、その人が誰なのかすぐにわかった。
 まっすぐな黒髪、きりりと吊り上がった両目、右目に泣き黒子。母をいつも助け支えてくれる人で、厳しいけれど、なんだかんだでリーデンの世話もしてくれる――兄の母親だ。


 私はげっさんママに未練でもあるのか……

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00:15:04 | 小説 | コメント(0) | page top↑
29.f.
2014 / 02 / 18 ( Tue )
 仲裁をしてみようという心意気は最初から少なかった。でももう、残らず消え失せてしまっている。

「絶対、嫌」
 リーデンは動じなかった。
「……」
「そこまで僕にやらせたくないなら自分で先に片付けちゃえば? でも君はそういう気も無いんじゃないの」
 鮮やかな緑色の瞳がミスリアを瞥見した。

 ゲズゥは一度だけ口を開きかけるも、声を発することなく無表情に戻り、その場を後にした。
 扉の閉まる音が心に重くのしかかる。

(ど、どうしよう)
 長身の青年の後を追うべきかどうかわからずにミスリアは狼狽した。
 しばらくして深いため息が静寂を破った。

「大丈夫、あの人まだ近くに居るっていうか建物自体からは出てないと思う」
 リーデンはミスリアに別の部屋でくつろぐように勧めた。彼はバーガンディ色の布カーテンをめくり、幾つもの柔らかそうなソファが揃った部屋に案内してくれた。

 壁際の二人掛けソファの端々にそれぞれ腰をかける。ソファは少し内向けに曲がった楕円形になっていて、互いに端に座ると顔を見合わせる形になる。会談しやすそうな造りだとミスリアは思った。

「結局、いつもこうなっちゃうんだよね」
 リーデンは肘かけに頬杖をついた。切れ長の目と薄い唇はやや垂れ下がり、憂い顔を作っている。
「……あの、出過ぎた質問かもしれませんけど……リーデンさんはゲズゥのことを快く思ってないんですか?」
 遠慮がちにミスリアが出した質問に対し、リーデンの眉尻がキッと吊り上がる。

「嫌いだよ。自分勝手で、人の話を聴かないところなんて特に」
「勝手……だとは思いますけど、話を聴かないなんてことは――」
 ミスリアの経験からするとゲズゥはいつも遠くを見ていても瞑目していても、なんだかんだで人の話の内容を耳に入れているように思えたので、つい身を乗り出して反論しかけた。

 けれども幾月前からの旅の護衛と十余年来の兄弟とでは関係の深さは比較にもならない。やはり出過ぎた意見なのかもしれない、と複雑な心持ちになった。

「ああ、あの人よくわかんないけど聖女さんの意思は尊重しそうだね」
「それは……どうでしょう」
「ねえ、聖女さん。家族ってのはどれだけ引き留めようとしても、行き先を阻もうとしても、行ってしまうものなんだね」

 憂いを帯びた美青年の言葉にミスリアは、不意打ちを食らったような気分になった。
 この人はまさか――姉が家を発った日の記憶を嫌になるほど何度も思い返してしまう自分と、同じ心境に――。

「そりゃあね。広い世界でたった一人の血縁だよ? 大好きに決まってるじゃん」
 ミスリアは饒舌な絶世の美青年を、ただじっと見つめた。
「どっちが本音なのか訊きたそうだね」

「そう、ですね」
 なんとなく訊く前から答えの予想がついていた。
「どっちもだよ。だからめんどくさいんだ」
 彼はふうっと嘆息した。

「…………大好きだからこそ、勝手なのが寂しいんですね」
 そう指摘すると、リーデンは頬杖ついた姿勢のまま、面食らったように硬直した。
 数秒経つと彼は「へえ」と一言呟き、長い睫毛に縁取られた両目を瞬かせた。

「相手の気持ちをわかっているのに、自分のわがままを無理に押し通そうとしてる。聞き分けできない子供だよね、ホント」
「そんな……」
 ミスリアにも心当たりのある話だ。胸がズキンと痛んだ。

「ちょっと、暇つぶしにさ。昔話をしてあげようか」
 こちらが是非を言う前にリーデンは立ち上がり、奥のイマリナに声をかけていた。数分としない内に低いコーヒーテーブルがソファの前に現れ、その上にお茶一式が広げられた。

「故郷を離れざるを得なかった時、僕は五歳前後だったかな。その頃の記憶を割と鮮明に持っている理由に関してはまた今度説明するよ」
 リーデンは優雅な手つきでティーポットを傾け、カップを満たしていった。

「当の忌々しい出来事については知ってるよね」
「断片的にではありますけど……」
 ミスリアは差し出されたティーカップと小皿を受け取る。

「じゃあ君の認識に、僕の話も付け加えておいて」
 いつの間にか左眼のコンタクトを外していたリーデンは、凄艶な笑みを浮かべていた。
 はい、とちゃんと返事を口にできたかは定かではない。

 左右非対称の瞳が醸し出す輝きは狂気そのもの――
 ――そういう錯覚が見えるだけなのかはわかりかねるが、慌ててミスリアはティーカップを口につけて、お茶と共に不安を強引に胃の中へと流し込んだ。

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29.e.
2014 / 02 / 17 ( Mon )
「いいですよねレティカ様」
「わ、わたくしは構いませんわ。でも明日は用事が入りまして……明後日でよろしかったら」
「ふむふむ」

 レティカ達と連絡方法や待ち合わせ場所について短く話し合ってから、リーデンはミスリアの手を取った。
 指先がすっかり冷え込んでいたミスリアは微かな温もりに驚いた。

「じゃあ、そういうことで明後日ね。戻ろうか、聖女さん。マリちゃんに風呂沸かさせるし、ゆっくり温まってね」
「それでしたら私よりもゲズゥの方が寒そうです、お先に浸からせて下さい」
「寒中水泳なんかするからだよ」
 リーデンは肩から少し振り返り、棘を含んだ声音で兄に向けて言った。

(それも知ってるの)
 大雨の中では否応なしに誰もが濡れてしまっている。なのにゲズゥが泳いだと遅れて現れたリーデンに正確にわかるなど、何か自分の理解の範疇を越えた仕掛けでもあるのだろうか。

 レティカ、エンリオ、レイの三人と挨拶を交わしながらもミスリアはずっと考えを巡らせるのを止めなかった。

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 どこ行くの、と弟が問いかけ、街に出る、と兄が答えた所までは、昨日のやり取りと何ら変わりなかった。
 なのにこの剣呑な場面に何故いきなり転じたのか。ミスリアは横から見守りつつも、あわあわと変に指を動かすしかできない。

「そこをどけ」
「話があるから、ダメ」
 ミスリアの目には、出口に向かうゲズゥの前にリーデンがあたかも瞬間移動したかのように見えたのだった。

「俺には無い」
「やっとわかりそうなんだ」兄の言い分を無視して、弟はひとりでに語り出す。「共通点があるってことは前から気付いてたよ。それが何であるのか探るのに、裏付けをするのに、ちょっと時間がかかったけど」

 無言でゲズゥが眉根を寄せた。
 またもや何の話かはミスリアには想像もつかない。この兄弟は以心伝心を極めているのか、よく頓(とみ)に会話を切り出している。
 ゲズゥはリーデンの左を回り、扉の直前まで進み出た。

「仇の最後の一人がね」
「――!」
 歯ぎしりが聴こえたような気がした。
「兄さん、教えてくれたなら僕は迷わず手伝っていたよ」
「……止せ。お前は手を出すな」

「出したらどうするって言うの? 何を渋ってるのか知らないけど、僕にも十分その権利はあるし、別にキレイに生きてきたワケでも無いんだよ」
 美青年の無表情は、それはそれで背筋の凍るものがあった。
 ゲズゥが身体を振り向かせる。

「そういう問題じゃない。手を引け」
 最後の一言の、怒りが込められた囁きは蛇が吐く音とどこかしら似ていた。聴く者を本能的に隠れたい気持ちにさせる音だった。

「断る。別に応援してくれとまでは言わないけど、いい加減、保護者面は止めて欲しいね」
「聞き分けろ!」
 ――ドン!
 ゲズゥの左拳が背後の鉛の扉を叩いた。驚愕と恐怖にミスリアは小さく息を呑む。

(こ、んなに感情を爆発させる姿なんて……見たことないわ……)
 ぐわん、ぐわん、と衝撃音が反響がする間、心は怯えで満たされていった。

 知り合ってからこれまでの間で見てきた表情の内で、間違いなく今のそれが最も恐ろしい。

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23:52:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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