27.a.
2013 / 10 / 25 ( Fri )
「ひとりが好きなの?」
 母にそう訊ねられた時、首を傾げたのを覚えている。確か、林の中の樹を登って回って、数時間も家に帰らなかった日のことだった。探しに来てくれた母は、怒っているのか呆れているのか、どちらとも言えない微妙な顔をしていた。

 ――気が付けばいつも誰かが傍に居たし、でも逆にふと気が付けば一人になっていたこともある。特に意識していなかった、独りが好きか嫌いかなんて。

「わからないのね」
 答えずに居たら、母が納得したように呟いた。
 ふと、興味深い物を見つけたのか、母は近くの樹の枝から何かを摘まんだ。

「手を出しなさい、ゲズゥ」
 言われた通りに両の掌を上にして差し出した。母はそこに、柔らかい毛の生えた何かを落とした。
 小さな命が、掌の上で身をよじり、這い出す。緑色に黒い斑点のついた細い体にゲズゥの視線は釘付けになった。

「芋虫、かわいいでしょう」
「くすぐったい」
 粘着質な虫の足の裏が、手の皮膚をひっかけては放す。

「この子は大人になったら空を飛べるのよ。でも今は小さくて足も遅いから、簡単に食べられたり潰されたりしてしまうわ」
 その話を聞いて訳もわからず胸がもやもやした。当時はまだ「かわいそう」という言葉を知らなかったのだと思う。

「そうなってしまっては悲しいけれど。でもね、一瞬でもいい。この世に生きるというのは素晴らしいことなの。生を、世界を経験する奇跡は、何にも代えられないわ。いつか終わりが来るとしてもね」
「すばらしいって、なに?」
「とてもすごいとか、ステキって意味よ」
 母はどこか得意げに笑った。

「私は生きている歓びを誰かと分かち合えるのが、一番素晴らしいことだと思うわ」
「よく、わかんない……」
 話の内容についていけなくなって、とりあえずゲズゥは芋虫を樹の枝に戻した。

「いつかわかればいいのよ。さあ、帰りましょう。呼んでるわ」
 そう言った母の視線の先に、銀髪を風になびかせて走り寄って来る小さな子供が居た。子供は「にーちゃー」と叫んでいたかもしれない。

「走ったら転ぶわよー」
 口元に右手を添えた母が楽しそうに言うと、数秒後、その通りのことが起きた。
 子供の後ろについてきていた女性は困ったように微笑んだ。

_______

 河沿いの都イマリナ=タユスは、大帝国ディーナジャーヤの属国であるヌンディーク公国の、最も人口の多い町と言われている。
 貿易が盛んであり、帝国や近隣諸国からの船が毎日のように入港する。大勢の商人たちが陸や河を通って行き来し、その上、数百年の歴史と文化を誇る町ゆえに観光に訪れる人間も多い。

(大通りに出れば歩く必要が無い、とも言われているのよね)
 呆けて立っていれば押し寄せる人の波に流されるからである。ミスリア・ノイラートは今まさに、それを身をもって体感していた。

(どうしよう)
 焦燥感ばかりが募る。全方位を人に囲まれている所為で、身長の低いミスリアの視界は相当に限られている。
 ――袖を握っていたはずなのに。忙しなく歩き回る商人にぶつけられたり横切られたりしている内に、離してしまったのだ。

(あんなに目立つのに見失うなんて)
 どっちへ行けばいいのかわからないまま足を竦ませていると、次々と人がぶつかってきた。香草や陶器、ワインや木材など、商品と思しき物の匂いが通り過ぎる。

 ミスリアには土地勘が皆無である。今から地図を買ったところで、よく考えたら落ち合う場所を決めていた訳でもないから、役には立たない。

「きゃ!」
 突然、前方から歩いてきた人の肘が肩に当たり、尻餅ついた。こんな場所では落ち着いて考え事もできない……。

「ゴメンゴメン、大丈夫?」
 涼やかで透明な、少年か青年の美声がした。彼はこれまでミスリアにぶつかってきた人たちと違ってそのまま去ったりせずに、象牙色の手を差し伸べてきた。手首周りのいくつもの鉄の腕輪が朝日を反射させて輝いている。

「は、はい、すみません」
 声の主を見上げた途端、ミスリアは開いた口が塞がらなくなった。

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08:06:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.k.
2013 / 10 / 12 ( Sat )
「架け橋は下ろしてある。正門から帰りたまえ」
「……それは助かる」
「お互い様だ。私はこれから囚われた奴隷たちを解放し、この城を正して見せる。やることは多い」
 そうか、と答えてゲズゥは一歩歩き出す。

「助けて下さってありがとうございました。再び会う日があれば、その時はまた歌を聴いて下さいますか?」
 すれ違いざまに、ミスリアが設計士に話しかけた。
「ああ、その時は私からも頼む。……二人とも、達者でな」
 設計士が一瞬だけ笑った。
 ゲズゥは頷きを返し、次には走り出していた。

 廊下を進み、城の中心の巨大な階段を降りて架け橋へ出るまでの道のりを、邪魔をする人間は誰一人現れなかった。設計士が手を回したのだろう。
 幅広い架け橋を走り抜けるのにも大して時間がかからなかった。来た時の苦労と比べると、いっそ笑いたくなる。

 橋の向こう側に着いてゲズゥは一旦歩を緩めた。進むべき方向を確認する為と、単に休みたいからだ。
 どこからか梟の鳴き声が聴こえる。

「寒いか」
 夜風が肌を冷やす時期になりつつある。一応訊いて置いた。
「いいえ。上着が温かいです」
 ミスリアはゲズゥの首からぶら下げられたままのペンダントを、左手に取った。空いた右手でゲズゥの左鎖骨にそっと触れ、そこから、微かな聖気の波が広がった。

「どうしてわざわざ……こんな苦労をしてまで、助けて下さったんですか?」
 囁きは夜の静寂を僅かに震えさせた。
「理由に如何ほどの意味がある」
「意味ならあります。私が、貴方を理解したいからです」

 闇の中では、見つめ上げてくる瞳から感情を読み取るのは難しい。きっと真剣な眼差しだと想像した。
 返答を自分の内から掬い上げるまでに、数秒かかった。

「シャスヴォルを抜けた後、お前を殺して行方をくらますのは簡単だった。そうすればしがらみ一つ無く生きられた」
「どうしてそうしなかったんですか?」
「……飽きたから」
 口に出したのはミスリアと出逢った日から度々気にかかっていた問題の答えだと、何かが心に落ちる手応えを覚えた。

「ただ生きる為だけに生きるのには、疲れた」
 村や家族を失った時から、同胞の分まで生きなければならないと、それが己の義務だと無意識に思っていたのかもしれない。
 従兄との約束を淡々と進めながらも自分自身はどう在りたいのか、深く考えたことはあっただろうか。

 ――いや、無い。一日、また一日、「死なずに済んだ」日々を連ねていただけだ。自ら、未来に何かを望んだりはしなかった。

「貴方は本当は、機会さえあれば真っ当に生きたいと願っているのではありませんか」
「――――」
 俄かに息が詰まった。
 その願いが形になりつつあると自覚したのは何時だったろうか。この少女がそれに気付いたのは、何時だ――?

「一緒に、その道を探しませんか」
 澄んだ声がそう囁きかけた途端、言葉では表せない衝撃を受けた。
 こてん、とミスリアはその小さな頭をゲズゥの肩にのせた。柔らかい髪からは汗と埃と、微かな花の香りがした。

 ゲズゥは是とも否とも答えられず、無言で再び走り出した。
 その間ミスリアは黙り込んで、微動だにしない。眠っているのかと思えば、時折見上げられている気配はあった。
 数分の沈黙が続く中。あることを言い出そうかどうか、悶々と迷った。

「……ミスリア」
「はい」
「頼みがある」
 視線を宙に彷徨わせ、続きを言うまでに数秒かける。何度か口を開いて、不発に終わり、深呼吸だけをした。

「遠回りをさせることになるが――」
「構いませんよ」
 返ってきたのは即答だった。
「ゲズゥにとって、そこまで悩むような大切なことなら、私は力になりたいです」

「…………悪い」
「こういう時は、謝罪よりも、嬉しい言葉がありますよ」
 それが何であるのか少し考えて、思い当った。

「ああ――…………ありがとう」
「はい。私の方こそ、助けて下さってありがとうございます」
 あの寝室で再会して以来、初めて安堵したかのように、ミスリアの小さな身体から緊張がほぐれた。

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22:32:41 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.j.
2013 / 10 / 11 ( Fri )
 こういう時にかけるべき言葉が浮かばなかった。
 これが別の人間なら「無事で良かった」か「大丈夫?」を筆頭に、労わる言葉が出てくるだろうに、ゲズゥといえば「やっと見つけた」か「殺してはいないから安心しろ」のどれかを言いそうになっている。

「……存外、そういう格好も似合うな」
 結局舌から転げ落ちたのは、ろくでもない感想だった。
 無駄にだだっ広い寝室の中の無駄にだだっ広いベッドの上で、少女は瞬いた。余程気が抜けているのか、乱れた髪や衣服や姿勢を直そうとしない。

「行くぞ」
 ゲズゥとしてはもう一分たりともこんな埃臭い城にいたくなかった。いつもやるようにミスリアを抱き抱えようと手を伸ばす。
 ところが、ミスリアは小動物並の素早さで距離を取った。

 恐怖に彩られた両目で伸ばされた手を凝視している。ゲズゥもまた、血に穢れた無骨な右手を凝視して、納得した。そうか、今だけは、全世界の男を敵と認識しているのかもしれない。
 ヒビの入った割れ物に似ている、と何故かそう感じた。ぞんざいに扱えば簡単に割れる、儚くて脆い少女。

 まだ羽織っていた借り物の上着を脱いで、ミスリアに被せるように投げつけた。この布で阻めば触れているという意識は減るはず。うまく被せられたはいいが、サイズが大きすぎて体の輪郭が埋もれ、波打つ栗色の髪だけがはみ出した。
 数秒経って、ミスリアがのろのろとベッドから下りた。ゲズゥはその傍らに歩み寄り、剣で手枷を断ち切ってやった。

「待って下さい……私の他にも助けていただきたい女の子が二人……」
「不可能だ」
「え」
「物理的に、三人も抱えてここを出るなど、俺には不可能だ。諦めろ」
 それでなくとも疲労や怪我で機動力は落ちている。ミスリアも察したのか、悔しそうに下唇を噛んだ。

「反乱を起こしそうな人間が居る。女たちも解放してもらえる日が来るだろう。でなければ、時機を見極めて乗じて逃げるって手もある」
「でも、私と同い年か年下に見えました。そこまでできるでしょうか」 
「歳は関係ない。お前だって、それぐらいやる気だったんじゃないのか」

「……ええ、でも、私はそんな人間が居ると、反乱の兆候に気付けませんでした。一人ではどうにもできなかったかもしれません」
 上着の下から小さい手が出て、フードを引き下ろした。その下からミスリアの悲しげな顔が現れる。
「そうだとしても、お前は己を助けられる人間を選び、探しだして、得た。その成果は確かにお前の力によるものだ」

「それは、ご自分のことですか……?」
 か細い問いかけに、ゲズゥは答えなかった。
「……貴方がそう思うのなら、私はきっと貴方が守り続ける価値を見出せる人間であるべきなのでしょう」

「そういう解釈をするところは嫌いじゃない」
 本心からそう言った。すると、始終暗い表情を浮かべていたミスリアが、驚いた顔の後、微かに微笑んだ。
 気が付けばゲズゥは自然と手を差し伸べていた。今度はちゃんと、掌に温もりが重なった。

「侵入者め! ここか! ウペティギ様、ご無事ですか!?」
 ドタバタと弓兵が二人寝室に走り込んできた。
「逃がさんぞ!」
 より扉に近い方の一人が矢を番え、もう一人は短剣を抜いている。腕の中のミスリアが、緊張に身体を強張らせるのがわかった。

「まあ、待て」
 低い声がそう命令したと同時に、矢を番えた兵士が、生唾を飲み込んだ。
「その者たちを見逃してもらおう」
 弓兵が乱暴に前へと押された。背後に現れた設計士が、兵の後ろ首に斧の先端を押さえつけている。兵士といえど、弓兵の薄い鎧では斧の攻撃を無効化できやしない――。
 もう一人の兵士が、短剣を構えたまま、思わぬ展開にオロオロしている。

「貴方にそんな権限があるとでも――?」
「権限など必要ない。私はこの城の正しい在り様を取り戻してみせる。住民の大多数と、ゼテミアン公国の民がそれを望んでいる」
 ブラフなのか、それとも実際に民の意思を聞いてあるのか、これから民の声を集めつつ説得する気なのか、第三者に過ぎないゲズゥには判断できなかった。ただ、設計士が既に一切の迷いを捨てたことだけがわかる。

「の、乗っ取るってことですか!? 城主様が黙ってはいませんよ!」
「黙らせればいいだけの話。ほら、ちょうど今意識が無いな、牢に閉じ込める絶好の機会だ」
 またドタバタと人が入ってきた。設計士の味方なのか、新たに入り込んできた数人の男は城主の体を引きずって去った。

「抵抗が少なければ手荒な真似はしない。安心してくれ」
 兵士たちも拘束され、連れて行かれる。
 一人だけ残った設計士が、ゲズゥたちを向き直った。

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23:46:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.i.
2013 / 10 / 10 ( Thu )
 包み込むような柔らかい感触があまりに気持ちよくて、意識が遠のきそうになる。
 ふかふかのベッドなんていつぶりだろうか。ここしばらくは、野宿か安宿の硬いベッドばかりを体験していた気がする。

「気に入ったか?」
 しゃがれた声が真上から降ってきた。
 ミスリアは手枷付きでベッドに投げつけられたという現状を思い出して、即座に身を撥ねさせた――が、何か重いモノによって体を押さえつけられた。

 それが何であるのかなんて、考えてはいけなかった。人肌の熱も感触も、酒臭い息もくぐもった笑い声も、到底受け入れられるものではない。
 両手に枷をはめられていながらもミスリアは無中で身をよじった。圧迫感からなんとか滑り出て、広すぎる程広いベッドの上を、後退した。

「ぐふふ。逃げられるのも、たまらん。逃げ場など無いのだからな」
 まさにその通りに、ミスリアの小さな背中は羽毛枕に当たった。もうその後ろにはベッドの背板と壁しかない。
 部屋のたった一つの扉の外には相変わらず武装した兵士が控えているだろう。

(やめて、来ないで)
 心の中で繰り返し念じても、懇願がどこかに通じる気配は無い。
 これから自分に何が起こるのか、実際のところ、ミスリアは把握し切れていない。然るべき知識に乏しいからだ。それでも言い得ぬ拒否感が恐怖と相まって腹の奥底で渦を巻いている。

(たすけて――――!)
 知らず、瞳から涙が零れた。
 歪に肥えた手が、ミスリアのスカートをめくろうと伸びる。

「いやあっ」
 その手を蹴ったのは条件反射だった。けれども震える足ではダメージを与えることはかなわず、しかも両の足首を捉えられてしまった。

「ムダだムダだ。さあ、可愛い声で啼け」
「…………!」
 抗いようもない力で強引に股を開かれた瞬間。羞恥ではなく突き刺すような恐怖が全身を支配した。

(たすけて、だれか、おねがい、だれか、)
 声が出ないどころではない。
 溺れる。そう、溺れているように息が出来ない。

 現実から少しでも逃れようと、ミスリアの視線は上へ上へと彷徨った。蝋燭に照らされた天蓋の刺繍が、淡く幻想的で美しい、などとどうでもいい発見をした。

(お姉さま、お母さま、お父さま、カイル、先生方、猊下、イトゥ=エンキさん…………)
 自分と縁のあった人間を、誰でもいいから思い浮かべた。
 どんな絶望に出遭っても嘆いてはならない、と語った優しい声を思い出した。

「つっ!」
 下腹部に冷たく硬く、微かに濡れた何かが触れた。視線を落とすと、ウペティギが、歯を使ってミスリアの下着をスカートごと引きずり下ろそうとしているのが目に入った。

 甲高い悲鳴が部屋の空気を切り裂いた。
 それが自分の声だったと、意外に声がまだ出るのだと、遅れて気が付く。

(たすけて――)
 するり、布が脚の柔肌を擦る。
(ゲズゥ――――――――!)
 崩れそうな心は、ただ、その名に縋るほかなかった。

 いっそショックで失神できればいいのに、不幸なことにミスリアはそういった体質ではなかった。
 ただ、目を瞑って恐ろしい時間が過ぎ去るのを待つしかできない。いずれは過ぎ去るのだと、信じるしかできない……。

 ――ゴヅッ。
 骨が骨を打ったかのような、大きな音がした。
(………え?)
 今度はどんな恐ろしいことが起きたのだろうか、とおそるおそる目を開けると。

 黒曜石のような右目と白地に金色の斑点が散らばった左目、この世に二つと無いであろう瞳の組み合わせと視線がぶつかった。
 二度と会えないと思っていた青年は、相変わらずの無表情で、右膝を城主ウペティギの顔面にめり込ませていた。

 どうやらミスリアが目を瞑っていた間に城主はどうしてか振り返り、そこにやってきたゲズゥが膝から跳び蹴りを食らわせたらしい。
 肥満体が後ろに倒れかかる。しかしゲズゥは続けざまにその脳天に肘鉄を決め、更に体を翻して、城主を蹴飛ばした。ウペティギは、綺麗なラッグに飾られた床に顔を突っ伏した。

「これで何発か殴ったことになるか」
 着地したゲズゥの無感動な呟きが意味するところをミスリアは知らない。それにしても、殴ったのは一発だけで後は蹴ったことになるのではと突っ込んでやりたいけれど、声がまた出なくなっている。

「ぐっ……貴、様……」
「ひっ」
 ウペティギがずるずると起き上がったので、ミスリアは悲鳴を漏らした。元々美しいとは言い難い顔は鼻が折れ、血にまみれている。

「堀の罠をどうやって……あれは人間の反応速度ではどうしようもない、はず。まさか――つまりお主は、戦闘種族、なのだな!」
 いきなりウペティギの声色が明るくなった。一方、ゲズゥは眉間に皴を寄せたようだった。
「前から一人手元に欲しかったのだ! 今やその希少価値は計り知れない! 速さ自慢の『セェレテ』か? それとも瞬発力を強みとする『クレインカ――」

 言い終わることは無かった。ゲズゥの拳が醜い顔にめり込んだからである。城主は今度こそ気絶して倒れた。
 そして寝室に奇妙な静寂が訪れた。

(なにこれ……助かった、のかな……)
 目の前の光景を飲み込めず、この上なく情けない体勢のまま放心する。
 ほどなくして、漆黒の髪と色素の濃い肌が特徴的な青年が、ミスリアを振り返った。

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22:22:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.h.
2013 / 10 / 09 ( Wed )
 会話が途切れ、警鐘の音がより大きく耳に響いた。
 衛兵が何処を探して回っているのか不明だが、あろうことかこの部屋には来ない。入っていく所を誰かに見とがめられたのは確かなのに。やはり闇の中の城ともなると、パッと見ただけではどの窓がどの部屋に繋がるのか、瞬時に判断できないものらしい。

「果たして自由の無い人生に価値があるのか、私は常々考える」
 男は俯き、ぼそりと呟く。対するゲズゥは眉をひそめた。
「お前の悩みは理解できない。お前の手足には枷が無い。十分、自由じゃないのか」

 ゲズゥは昔から生き方を制限されたが、それでも自分の足で何処へでも行けたし、いつでも自分で選んで行動してきた。どんなに絶望的な状況でも、確かにそこには選択肢があった。
 この男はきっと、幾つもの苦しい選択肢の内、より楽な方を選んできたのだろう。結果、己にそぐわない道を行き、それを「不自由」と錯覚している。

「逆らう勇気と、実践する手段が揃えば、お前の望みは叶うはずだ」
「手段、か。まず何より共に抗ってくれる味方が要るな」
 この男は頭の回転が速いらしい。すぐに何かを思い描き始めた。

「何人か、思い当る人間は居るが……恐怖からではなく自主的にウペティギ様についていく人間も大勢いる。そういった性根が腐っている輩は当てにならない」
 そのまま男は考え込む仕草をした。もしかしたら、反乱を起こす筋書を日頃から妄想しているのかもしれない。本当に後は、「勇気」だけである。

 そして、まるでこの沈黙を狙っていたかのように、廊下から足音や喚声が近付き始めた。
 もう悠長に話している暇は無いと察して、ゲズゥは意を決した。

「手を貸せ」
「何を――」
「代わりに城主を何発か殴ってやる。その先はお前が自分で何とかやれ」
「殴っ……いやしかし」

 男は思惑うように廊下とゲズゥを交互に見やった。
 これはもう戦闘も余儀ないか、とゲズゥは大剣の鞘の留め具に手を伸ばしかけ――

「羽織れ!」男は自分の上着を手早く脱いでゲズゥに渡した。「フードは深く被って! あとは、これを床に広げて読み解くふりをしていろ!」
 大人しく言われた通りにしながら、ゲズゥは納得した。床に膝をついていれば体格も目立たないだろう。

 渡された巻物を広げてみると、笑えるぐらいに全く読み解けそうになかった。円や線や三角、それとミミズ腫れみたいな文字がびっしり書かれていて、何かの図案であるのは間違いないが。

「設計士殿! 夜分遅くに申し訳ありません」
 ちょうどその時、兵士が三人、部屋に入ってきた。
「何だ、何かあったのか? さっきから警鐘が煩くて仕事にならん」
 設計士と呼ばれた男は無機質に応じる。

「すみません。侵入者を追っているのですが、何か心当たりはありませんか?」
「私は何も見ても聴いてもいないが」
 キッパリとした返答に、兵士らは落胆に肩を落とした。

「そうですか……おや、そちらの方は? 見慣れませんね」
 問いかけに含まれていたのは不審なものを詮索する厳しさではなく、単なる好奇心だった。よほど設計士は信頼されているらしい。
「新しく入った弟子だ。顔を隠しているのは病で膿が酷いからで、今でこそ治っているが、未だに触れると感染する可能性も否めないと言われている」

「えっ。設計士殿、そんな人間を城に招き入れては城主様のお怒りが……」
 スラスラと並べられた巧みな嘘を、兵士らは鵜呑みにしている。
「この者は聡明で一生懸命で、必ずや我々の役に立つ。貴重な人材を、低劣な差別で弾き出すのはよせ。ウペティギ様は私が説得する」

「は、はい。すみません。では何かあったら教えてください」
「ああ、早く侵入者を見つけたまえ」
 三人の兵士は礼をしてから踵を返し――ふと、三人目だけが立ち止まった。

「お弟子さん、腕に火傷があるようですが、大丈夫ですか……?」
「待て!」
 制止の声も空しく、兵士は上半身を捻ってゲズゥのフードを覗き込んだ。
「あれ? 膿なんてありませんよ」

 嘘を吐いたことが露見するとわかって、設計士の顔に焦燥が走った。
 説明を求めて兵士が振り返る、その隙に。ゲズゥは兵士の後ろ首に強烈な手刀を食らわせた。
 直後、何があったのかと思って不思議そうに他二人の兵士が戻ってきた。

「おい――」
 奴らが大声を上げるよりも早く、ゲズゥはそれぞれを部屋に引き込んでは一撃で気絶させた。その間、設計士は目を見開いて見守っていた。鮮やかだな、の一言だけを漏らして。

「何処へ行けばいい」
 ゲズゥはのびている三人を部屋の隅にさっさと重ねていった。設計士の協力あってか、まだ騒ぎにせずに済みそうである。

「夜宴は早目に切り上げられただろうから、そなたの探す彼女はきっと今……」
 目指すべき場所の位置を聞き、ゲズゥは部屋を飛び出した。
 健闘を祈っている――そう言った設計士の双眸には、ほとばしる熱意だけが映し出されていた。

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22:20:04 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.g.
2013 / 10 / 08 ( Tue )
 窓から部屋の中に飛び込むと、埃臭い室内には先客が居た。三十代前後の、身なりの整った男だ。片目しかない眼鏡をかけ、棚の書物の整理でもしていたのか、両腕一杯に巻物を抱えている。
 男は僅かに身じろぎしただけで恐怖の感情は見せなかった。代わりにその瞳には他のさまざまな感情が複雑に絡み合って映し出されている。

 ――カラン、カラン、カラン。
 責め立てるように警鐘がうるさく鳴り続ける中、二人はなんとなく目を合わせたまま動かなかった。

「あなたが、侵入者か」
 しばらくして、落ち着き払った低い声が問うた。いつもなら黙って無視するところだが、男の濃い灰色の瞳に走ったさまざまな感情に興味が沸いてのことか、ゲズゥはつい返事を返した。
「見ての通りだが」
 窓から城を訪問する客などどう考えても普通は居ない。

「そうか。尋常ならぬ姿だな……返り血か、怪我か」
 男は頷いただけで動じない。むしろ同情しているようだった。
「両方だろうな」
 返り血はアリゲーターや魔物のものである。

 後者については――思えば、魔物の背に短剣を突き刺して、壁を上らせたのだ。進む方向を操る為には何度か魔物を刺し直す必要があった訳で、その過程で「乗り物」が暴れてゲズゥが怪我を負ったのは必然だった。
 城壁に叩きつけられて、左鎖骨まで折った。数々の怪我の中では、これが一番、際立って痛い。立っているのも辛い程に。

「何故? そこまでして……傷を負った時点で諦めて帰ればいいだろう」
 静かな声だが、語尾に向けて責めるように語気が強まった。男は腕の中の巻物を長い長方形テーブルの上に下ろしている。
「奪われたから、取り返すだけだ。取り返すまでは、帰らない」
「大切な人が攫われたのか。それは……すまない」
 ゲズゥは床に片膝を付いた姿勢で、男をじっと見上げた。この男が謝る理由がよくわからない。

「人間が反応できる速度の限界値に設定してあったはずだがな……」
 ブツブツとひとりごちる男もまた、ゲズゥをじっと見下ろしている。その目がなぞる先をなんとなく追ってみた。
「……お前は、あの罠と関係があるのか」
「何故そう思う?」
「罪悪感に満ちた目で、俺の怪我を眺め回している」
 そう指摘してやると、男はグッと歯を噛み締めた。

「そうだ。その通りだ。そなたの火傷や骨折や痣も、あの堀の中で骨となった人々も、みな私の設計した罠のせいだ」
 男はせき止めていた感情がついに溢れたかのように、言葉を次々と吐き出した。

「私の家は代々、この城に仕えて来た。私は幼少の頃からウペティギ様のお父上の提案の元、たくさんの機械を設計した。その多くは、ゼテミアン公国の民の生活を支える為だったり、帝国に輸出する品物だったりと、誇れる仕事ばかりだった!」
 握り拳が力強く壁を殴る。

「それが今はどうだ! 数年前にウペティギ様に代替わりしてからは、くだらない罠を作る毎日……!」
「不満があるなら、本人にぶつけて来ればいいだろう」
 男の言っている意味が、激怒する理由が、ゲズゥには見えなかった。

「そんな――できるはずが無い。先祖に顔向けできなくなる」
「…………父親がどうだったとして、その性質を引き継いでいないのなら、血が繋がっていようがただの別人だ。従う理由には足らない」
 ゲズゥがそう断言すると、男の口元は少しだけ吊り上がった。

「それは、考えようによっては潔い意見だが。私にはしきたりに抗う意志の強さが足りないのだ」
 そう言って、男は力なく頭を振った。肩までの長さの灰茶色の髪が揺れる。

 ゆっくり床から腰を上げつつ、ゲズゥは正面の男の言い分を疑問に思った。
 強い意志の力なら備わっているように見える。足りないのはおそらく、率先して行動する為の自発力か何かだ。こういう人間は後押しさえあれば走り出せるはずである。

「ところで、そなたが探し求めるのはどの女性だ? そういえば今夜は、初めて見る娘が何人か居たな。修道院で学を修めたと言う珍しい少女もいた。歌が上手で、大きな茶色の瞳が印象的な」
 男は最初は少し楽しげに語っていたものの、ふと黙り込んでため息をついた。「このような城に閉じ込められて一生を終えるには、あまりにも惜しい……」

「アイツは、教養があるだけじゃなく、聖女だ」
 話の内容を聞く限り、対象がおそらくミスリアであることは想像が付いた。
「聖女!? しかしそれならそうと、ウペティギ様に伝えていれば――」男は自分の言わんとしていたことに自信を失くしたように、途中で言葉を切った。「いや、聖女だと知れば、ますます手放したがらないだろうな。そういう人だ」

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26.f.
2013 / 10 / 07 ( Mon )
 その言葉を噛み締めるミスリアを、再度呼ばわる声があった。城主ウペティギだ。
「まだか?」
「は、はいっ。ただいま!」
 ミスリアは酒瓶を掴み、早足で貴族たちの元へ戻った。精一杯の作り笑顔で応じ、長椅子の空いた箇所に腰をかけた。すぐ隣の男性に酌をする。

「栗色の! お主、詩を諳(そら)んじられないか」
 何度か酌をする内にウペティギから呼びかけがあった。ミスリアは再び笑顔を作って振り返る。
「詩、と言われますと?」
「そうだな。ゼテミアンやディーナジャーヤの物はわからないだろうから、教典からでいいぞ。創世記でも何でも。それくらい学んだであろう?」
「はい。では創世を詠った詩からの小節を……」

 よく知った詩であるだけに、ミスリアは余裕を持って諳んじることができた。ついでにその間、周囲をよく観察してみた。
 楽師や踊り子はミスリアが詩を諳んじる間もその働きを止めず、音を少し静めているだけである。貴族の男性たちは聞き入る者も居れば酒をあおる者も居たり、各々くつろいで過ごしている。ウペティギなどはうっとりした顔で、酒杯を指の間でくるくるもてあそんでいる。

(……あれ?)
 一人だけ虚ろな目で遠くを見る男性を見つけた。ウペティギの右膝に座る女性の更に向こう側で、つまらなそうに片肘ついている。先ほど会った、「設計士」と呼ばれた人だ。
 ゲズゥもいつも虚ろな目で遠くを見ていたけれど、それとは違う印象がある。

(諦めているような、呆れているような)
 底知れない嫌悪感を押さえ込もうとした結果、虚ろな表情になってしまった――そんな感じがする。
(設計士さんは、無理矢理付き合わされているみたい)

 そういえば彼が先ほど城主に持ってきた案は、「新しい罠」とは遠く無関係なものだった。なんとなく聞き耳を立てていただけだが、設計士は領民の生活をより豊かにする道具を開発したがっていたようだった。それを頑なに拒んだのは城主やその他の貴族たちであって。彼の抗議を遮っては黙らせるように、酒と宴に縛り付けたのである。

 一連のやり取りを聴いたミスリアの中では、設計士の株は上がっていた。
 他はともかく、彼は善人である。その事実をどうにか自分の逃亡に有利につなげられないだろうか――。

 やがてミスリアの諳んじる詩に終わりが来た。すぐさま観衆から拍手があがる。

「お主、気に入ったぞ! 学があって、礼儀正しく控えめで大人しく、容姿も及第点だ。たまにはお主のような娘も良い。今夜はワシの寝室に来い」
 酔いの赤みを帯びたガマガエルに似た顔が、下品な笑みを浮かべた。

「い、いいえ、謹んでご遠慮いたします」
「なに、遠慮するな。ワシは女には優しいぞ」
 
 がははと笑うウペティギの横で、設計士が嫌そうに顔を歪めるのが見えた。
 次いで彼はがばっと長椅子から立ち上がる。

「ウペティギ様。私はお先に失礼します」
「何だと? まだ夜は始まったばかりだぞ、座ったらどうだ」
「いいえ。色々と仕事も溜まっておりますので。また今度お誘いください」
 それ以上の追及を許さず、設計士は衣を翻して去った。それなりの立場があるのだろうか、出入り口を警備する兵士は僅かにたじろいで、彼を止めることはしない。

「まったくつまらぬ男だ。何かあればすぐ『民の為に』などと抜かしおるし。あの優秀な頭脳がなければ、追い出してもいいところだがな」
 設計士が去って数十秒後、ウペティギがそう切り出した。

「そうですよ、ウペティギ様。あんな口うるさい男追い出してしまえばいいでしょう。代わりなんて探せばいくらでも居ますよ」
 貴族の客の一人が口を挟む。
「しかし奴の家は代々我が城に仕えて来たからな。何だかんだでワシに逆らえやしない」
「確かにそうですけどねぇ……」

 突如、警鐘がカランカランと大きく音を立てた。
 浮ついた雰囲気の部屋に一気に緊張感が走る。
 廊下から慌しく誰かが駆け込み――その武装した青年に対し、鬱陶しげにウペティギが声をかけた。

「何事ぞ」
「し、侵入者です!」
「侵入者だと? 罠に任せれば大丈夫だろう」
「いいえ、罠が全て突破されて! 若い男が窓から城内に入っていくのを見た者がいます!」

「そんなこと不可能だ! どうやって壁を上ったというのだ? いや、それより見張りはどうした!」
「す、すみません。油断しました」
 青年は目を泳がせる。

「もういい! とにかくソイツをひっ捕らえよ!」
「はいっ!」
 報告に来た青年が慌ただしく部屋を後にした。

(若い男って、まさか)
 その言葉にミスリアの鼓動は一度だけ、大きく跳ね上がった。
 下手に期待をすれば後でひどくガッカリするかもしれないとわかっていながら、良い方に憶測せずにはいられなかった。

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21:39:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.e.
2013 / 09 / 25 ( Wed )
(もう、こうなったら仕方ない)
 ミスリアは手に持っていた皿をテーブルに下ろして、二人にサッと近付いてしゃがんだ。
 褐色肌に黒髪といった色素の濃い少女と、白い肌に黄金色の髪をした少女。全く似ていないところを考えると、二人は姉妹ではなく同じ家で育った奴隷かもしれない。

「なに、するの」
 色素の薄い方の子から、震えた声が漏れたようだった。驚いてミスリアは少女の橙色の瞳を見つめた。

「よかった、南の共通語が通じるのね。そっちの彼女、兵士に蹴られて怪我をしたでしょう? 痛くなくなるおまじないをするの」
 褐色肌の少女がヒョコヒョコと足を引きずって歩き回る様が、痛々しくてならなかったのだ。何とかしてやりたかった。

「おまじ……? なに?」
「いいから」
 説明する時間が勿体ないからと、ミスリアはそのまま手をかざした。

 アミュレットを身に着けていなくても聖気を練るのは可能である。日頃から幾度となく展開しているのだから、感覚を思い出して再現すればいい。時たまやっているので、要領はよくわかっている。

 一瞬だけ瞑目した。その間に、ミスリアは全神経を集中させた。
 聖気の温かさが腕を通る感覚を思い出し、それを掌から通す時の微かなうずきを思い出す。やがて、密度の高い聖なる因子が、対象へと流れゆく。

 元々聖なる因子とはそこら中に溢れているものである。それらが神々と聖獣の奇跡によって結晶化した状態を「水晶」と呼ぶ。
 聖人や聖女たちはいつも聖気を展開する際、まず水晶を現象の核に据えて、純度の高い聖気を引き出して周囲の因子と共振させる。聖なる因子は引き寄せられ、増殖し、はっきりとした流れを作って対象物へ注がれる。

 今回はアミュレットの水晶が無いので、ミスリアは己の内に在る聖気を引き出して核の役割を果たさせた。聖人・聖女という枠の中でもミスリアは内包している聖気の量が多く、だからこそ成せる業である。
 しばらくして少女の膝周りから、腫れが引いた。

「え? どうやったの?」
「すごい。あたたかいよ、いたくないよ」
 二人の少女がそれぞれ感嘆の声を上げる。

 慌ててミスリアは口元に指を当てた。急な大声を出した所為で注目されたらたまらない。
 が、既に遅かった。

「おい! そこの三人、何をしている! 早くおかわりを運ばんか」
 案の定、兵士から怒声が飛んできた。
「おおう、そうだぞ。もっと近う寄れ」
 しゃがれた声。城主ウペティギから直々に呼ばれている。

(傍で相手をしなきゃならないの? あの媚びたお姉さんたちみたいに)
 嫌悪感が腹からぞわぞわと上がってくる。
(だめ、笑わなきゃ。変な顔で振り向いてはだめ。楽しいことを考えよう……)
 ミスリアは必死で自身にそう言い聞かせた。すると、一つの記憶が何故か色濃く脳裏にチラついた。楽しいと言えるかどうかはわからない。

 まだナキロスに居た頃の話――

「もし教皇猊下にお会いできたら、訊いてみたいことがございました」
「何です? 聖女ミスリア。遠慮なくお訊きなさい」
「どうして、私の案を、許可して下さったんですか」
 ミスリアの質問に対し猊下は顎に手を当てて、ふむ、と頷いた。詳しい説明を言わずとも、この方には伝わったらしい。
「そのことですか。強いて言うなれば……面白そうだったから、でしょうか。あんな特殊な人と知り合える機会なんてそうそうありませんよ。人生何事も経験です」
「ほ、本当にそんな理由で……?」
「ええ。我々人間が生きている間に経験できることはあまりにも少ない。だからこそ他人に出会い、触れ合い、話を聞いて、彼らを通して経験するのですよ。人と関わることは、即ち世界を広げることそのものです」
 そう言って、猊下は目を細めて穏やかに笑った。
「よく覚えておきなさい。彼は貴女の人生にとってプラスとなるかもしれませんし、マイナスとなるかもしれません。けれどそのどちらであっても、それは貴女がた二人の間にのみ生じる縁(えにし)。何があっても、特別な経験であると受け入れ、できる限り学ぶことです。どんな絶望に出遭っても、嘆いてはなりませんよ」

 ――この旅の何もかもが、特別な経験――。

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12:52:46 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.d.
2013 / 09 / 24 ( Tue )
 鉄串の罠よりも発動するのが速い。とはいえこちらの罠も岩に重みを乗せた所為で発動した。試しに、ゲズゥは高く跳び上がってみた。
 すると炎の威力が心なしか弱まったように見えたが、それでも、容易に飛び越えられる高さにはならなかった。一度発動するとしばらくは解除されない設定なのかもしれない。

 実に驚くべき技術力である。そして、驚くべき技術力の無駄遣いである。
 精密な機械を編み出せるのなら、その力を生産的な用途に応用するか、せめて戦場を制圧できる兵器を創るぐらいをすればいいだろうに。己の城を守る為に使っているのを見ると、どうにも城主は臆病な性格に感じられた。罠が多ければ多い程、城主が外出をしない閉鎖的な生活を送っているとも推測できる……。

 そんなことよりも今は、至近距離からの高熱に応じて滲み出る汗が、シャツを濡らしていく。時間が惜しい。ゲズゥはもう一度跳び上がってみた。
 炎を消す術が無いのなら、無理矢理にでも突破するしかない。崖上の町で買ったこのブーツも多少は耐熱性があるだろう。そのまま次の岩めがけて跳んだ――形からして今度は鉄串の罠が来るはずだ。

 着地しても、何も起こらなかった。誤作動だろうか、音もせず、罠も発動しなかった。理由はわからないがこの岩は安全なのだろう。
 ゲズゥはこの機会を利用してズボンに水をかけた。炎の檻を強行突破した際に点火していたからだ。火が移ったのがズボンだけだったのは、運が良かったとしか言えない。何度か水をかけるうちに火はおさまり、しかし皮膚には軽い火傷が残った。

 突然、背筋がざわついた。
 反射的にゲズゥは全身を硬直させる。
 縦長の瞳孔を含んだ黄ばんだ双眸が、闇の中に何組も浮かんでいる。それだけなら良かったが、それらが急速に迫って来ている。アリゲーターは、その巨体からは想像つかないような速さで動く。

 ――戦うか、逃げるか――
 ゲズゥは素早く背中の方へと左手を伸ばした。パチン、と背負っていた剣の鞘の留め具を外す。留め具が外れると、大剣を収める二枚合わせの鞘が、バネを使った仕掛けによってパカリと開いた。

 そして右手で柄を握り、剣を抜いて構える。それとほぼ同時に、黒い塊が一つ、こちらに向かって突進して来た。

 水飛沫が四方に跳ねた。
 ゲズゥは無心に剣を振り落した。すんでの所で襲い掛かるアリゲーターを一刀両断し、かくして水飛沫に大量の血飛沫が混じる。そのさなかに立つゲズゥは勿論、濃厚な血の臭いを浴びた。

 またしても命を落としたのが己ではなく獣の方で良かった。が、そう何度も巧くことが運ぶはずがない。しかも血の臭いでアリゲーターたちは興奮し出している。ゲズゥは残る岩の道を急いで渡った。

 それから更に何度も罠に翻弄され、獣の顎をかわし、数分後には城の外壁に辿り着いた。既にその頃には全身に打撲や火傷を負っている。全くもって面倒臭い堀だ。帰りは何とか架け橋の下ろし方を探すべきだろう。

 石造りの壁に歩み寄り、思わずそこに左手を付いた。
 視線だけ先に壁を上らせると、見張りの兵士らしい人影が幾つか見える。皆、どこかだらけた姿勢である。これならすぐに矢で射殺される予感はしないし、或いは発見されずに壁を上れるかもしれない。

 問題は、壁を上る手段が無い点ではあるが。
 今更ながら、あの曲刀を国境に置いて行くんじゃなかった、とゲズゥは舌打ちした。

「ケタケタケタケタケタ」
 歯を鳴らす音と笑い声が混じったみたいな変な音が頭上からしたかと思えば、何とも形容しがたい腐臭が鼻孔に届いた。
 思えば、堀の罠にかかって死んだ人間は少なくないだろう。それらが魔物と化しても何ら不思議はない。

 随分と長い夜になりそうだ、とゲズゥは疲労を蓄積しつつある身体に対して苦笑した。
 ところが件の魔物の姿を両目で捉えると、意外な作戦を思い付いた。

 アリゲーターなどよりも遥かに巨大な化け物が、ずるずると外壁を伝って降りてきている。蛇のようにも見えるが、所々、不自然な位置に左右非対称に人間の手足が生えている。

 決して俊敏な動きとは言えない。
 こいつは利用できる――そう確信して、ゲズゥは返り血のこびりついた手で剣を構え直した。

_______

「大丈夫。大丈夫だから、そんなに怖がらないで。じっとしてるだけでいいの」
 ミスリアは怯える小さな少女たちに精一杯優しく声をかけたものの、通じた自信は無かった。反応が無いと見ると、今度は北の共通語でもう一度語り掛けた。それでも二人は身を寄せ合うだけで何も応えない。

(困ったわ。この子たちずっと一言も話さないし、周りの会話もわかってる風でも無いから、言葉がわからないって可能性も)
 奴隷だからなのか、まだ幼すぎて共通語を習う機会を与えられなかったからなのか。怯えて声が出ないだけかもしれないけれど、いずれにせよ通じ合うことは明らかに難しい。

(助けてあげたいのに。今しかチャンスが……)
 宴も進んで貴族の男性たちはかなり酔ってきている。音楽や話し声で部屋全体の騒々しさが上がり、兵士の注意も散漫になって来ている今の内。ミスリアは城主に差し出す食べ物皿のおかわりを盛る振りをして、隙を見て少女たちに近付いていた。

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13:50:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.c.
2013 / 09 / 15 ( Sun )
 夜にしては物の輪郭が捉えられるほどに明るい。
 ゲズゥ・スディルは息をひそめて周囲に注意していた。目当ての場所に辿り着けたはいいが、何かが腑に落ちない。

 目と鼻の先に立派な城がある。基盤は四方形で、それぞれの角には円錐型の屋根をした塔がそびえ、城の半径100ヤード(約91.4メートル)以上は空き地がある。空いて見える箇所は堀だと考えるのが妥当だろう。

 見たところこの城には外堡(バービカン)が建設されていなかった。城と外界を隔てるのは堀だけで、城壁や塀のようなものも無い。だからといって護りが脆弱なのかとなると、そうとも言えないだろう。四隅の塔には弓兵が潜んでいるだろうし、堀を渡るには架け橋を内から下ろしてもらう必要がある。

 ――では、その堀を泳いで渡るか?
 100ヤードなど、ゲズゥならば余裕で泳ぎ切れる距離だ。ましてや波や流れの無い水だ、バタ足だけでも充分に行ける。渡り切ったら外壁を登って窓から侵入すればいい。

 そこまで考えていながら、未だに行動には出ずにゲズゥは用心深く堀の外側を回っていた。
 腑に落ちない点は二つある。

 まず、水が汚れているからという理由では説明し切れないような、妙な臭いがする。平たく言えば獣の臭いだ。何かが、堀の中に棲んでいるのは間違いない。
 次に、架け橋の反対側には一定の間隔で岩が突き出ていた。まるで徒歩の侵入者に「こいつを使って渡ってくれ」と誘いかけているかのような不可解な岩の道が、城まで続いている。

 泳ぐにしろ岩を踏むにしろ、どちらにも罠の気配が濃い。こういう場合は空を飛ぶ能力でもあれば楽だったろうに、とぼんやり考えた。

 とりあえずゲズゥは堀の淵まで歩み寄った。水面を覗き込んでも自分の姿がほとんど映らない。暗い上に水が濁りすぎている。が、首にかけた銀色のペンダントだけは、煌めきでその存在を主張していた。

 ミスリアが落とした銀細工のペンダントだ。ポケットに収めていると動き回っている内に落としかねないので、失くさないようにゲズゥはチェーンを結び繋げて身に着けていた。それも始めは麻シャツの下に着けていたのだが、何故か段々と重く感じるようになって、出した。肌に触れれば触れる程重苦しく感じる。何度確かめても質量は変わっていないのに、全く奇妙な話である。

 ゲズゥは意を決し、水の中に入る準備をした。一応いつでも岩の道に飛び移れるように、その近くの場所を選ぶ。それから蛭対策に、ズボンの裾をブーツの中に詰め直し、靴紐を上までしっかり結んだ。最後に、声を殺す為の猿ぐつわも結び直す。

 ――剣は置いて行くべきかもしれない。泳ぐには邪魔だ。
 数秒の間逡巡し、結局背負ったまま踏み入った。短剣だけでは対応し切れない何かが現れると想定して。

 つうっ、と水面にさざ波が広がった。獣の臭いが一層濃くなる。
 足が地に着いても、水位は膝下までしかない。予想していたよりも浅い。ゲズゥはなるべく静かに左足をも水の中に下ろした。そうして数歩進むと、水は腰まで上がり、やがて胸辺りまで来たが、それ以上深くならなかった。

 どこかで急に切れ落ちるのだろうか。ペンダントが濁水に浸るのをチラッと眺めつつ、ゲズゥは慎重に歩を進めた。ずっとこの深さなら泳ぐまでも無いが――。

 ふいに、右足の裏が変な感触を捉えた。これまで踏んでいた土の柔らかさと打って変わって、でこぼことしていて、弾力のある何か。すぐに警戒した。何故なら、踏んだモノが動いた気がしたからだ。

 刹那、雲間から月明かりが射した。
 映し出された水面下の景色に、ゲズゥは目を大きく見開いた。
 いかに水が濁っていようと、見間違えられない。長く黒い塊が無数に重なり合って蠢いている。浅い水に棲む全長10フィート(約3メートル)以上の生き物、となると。

 ――アリゲーター。
 肉は揚げるのが一番美味いとか、本来なら人間を無視するはずの生き物だとか、もっと南の方の沼に棲んでいるはずだとか、そういう考えが同時に過ぎったが、すぐに我に返ってゲズゥは飛び上がった。幸い、噛み付かれる前に逃げられた。

 黒い塊が一斉に動き出すのが見える。さっき食べたリスの残骸を囮に使えるように取って置くべきだった、と後悔しても仕方がない。
 ゲズゥは空中で一回転して、一番近い岩に飛び下りた。

 ガコン、と岩が音を立てて下にずれた。
 それが何を意味するのか――結論を待たずにまたゲズゥは高く跳ぶ。そんな彼を捕えようと飛び上がったアリゲーターの一匹が、獲物をギリギリ逃して顎を噛み合わせた。

 あんなのに捕まったら脚の一本は失うだろう。そう思ったのも束の間。
 水の中から長い棒のようなモノが五、六本、素早く伸びた。棒は岩の上に収束し、アリゲーターを無残に貫き殺した。

 ――そうか、これが、「罠」。
 納得したゲズゥの脳裏に「鉄に貫かれて苦しめ」と高笑いした男の声が蘇る。岩を踏むと串刺しにされる仕組みになっているのか。

 しかし全部の罠がたった今のような速度で発動するならば、生き延びる勝算はある。ゲズゥは先祖から受け継いだ瞬発力に頼って、次から次へと罠が飛び出る前に岩を跳び渡った。間隔がやや長いので跳ぶ疲れは溜まるものの、これも100ヤード程度なら余裕で行ける――。

 距離の半分も進んだ時点で、ふと、ゲズゥはしゃがんだまま足を止めた。
 今しがた乗った岩が他のそれと違う。削り磨かれたように平になっていて、幅が広い。大人が三人、肩を並べて立てるだろう。しかも岩は鉄の輪みたいなものに縁取られている。何かの罠には間違いない。

 ドゴン、とやはり不自然な音がした。
 次に視界が赤と橙に満たされた。信じられないことに、鉄の輪から火柱が立ったのである。中心のゲズゥに火が迫ってくる様子は無いが、数十秒待っても炎の檻は消えない。

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07:56:11 | 小説 | コメント(0) | page top↑
26.b.
2013 / 09 / 05 ( Thu )
「ほほう。それは聴きたいな。楽器を使うか?」
「では竪琴(ライアー)をお貸し下さいませ」
 楽師たちが扱っていた楽器は一通り見ている。その中で一番扱い慣れた物を選んだ。
「よし、楽師ども! 聴こえただろう、貸してやれ」

 ウペティギの命令に応じて、楽師の一人が歩み寄ってきた。同時に、ミスリアの手錠が兵士の手によって外される。
 竪琴を受け取ると、ようやくミスリアは少し顔を上げた。

 城主ウペティギを含む五人の貴族風の男性が瞳を期待に輝かせている。彼らの視線が自分の腰周りに集中している気もするけれど、それに関しては考えないことに決めた。

(聖歌の類は避けるとして……民謡がいいかしら。共通語版)
 いくつか暗唱できる歌から適当に一曲を脳裏に浮かべ、音程を確認する為に竪琴の弦を専用の爪(プレクトラム)でそっと弾いた。足を少し横にずらして床に座す。スカートがふわりと大理石に広がった。

 部屋の中は既に静寂に包まれている。弦の音色だけが響いた。
 ミスリアは弦の音程に合わせて少しだけ声を出した。喉が渇いているゆえ、歌う時に音をきれいに伸ばせるか不安はある。せめて声量だけでも高めようと、腹式呼吸を繰り返した。

 もう準備もこれくらいでいいだろうと思えた時。
 聞き手に向かってまず小さく礼をした。
 それから短い序奏の後、歌い始める。

 ――それは浜に打ち上げられた人魚姫と、彼女を見初めた平凡な漁師の悲恋物語を綴った歌であった。

 とある辺境の島、何の取り柄も無い漁師はある日、仕事帰りに美しい人魚姫を見つける。漁師は人魚のこの世のものとは思えない美しさに心奪われ、思わず連れて帰った。そしてなけなしの金で広いバスタブを買い、村の反対を押し切って人魚を家に住まわせた。

 漁師は彼女の気を引こうと毎日のように花を贈り、手作りの料理を食べさせ、自身の知る限りの面白い話をたくさん聞かせた。人魚姫はそんな漁師の一途な想いに心打たれ、いつしか同じ想いを抱えるようになるが――。

 十数日も過ぎると人魚は唐突に病に臥した。元々深い海で生活していた人魚には、水圧の低い世界は毒だったのだ。これまでは元来の強い生命力が支えだったが、人魚とて不死身ではない。
 海に帰すべきか、無理にでも傍に留めるか。漁師は迷い苦しみ、刻一刻と死に近づく恋人を泣きながら看ていた。人魚はそんな漁師を最期まで憎まなかった。

 ――憎いだろう、私が。独りよがりで愚かで、こんなになってもお前を手放せない私が――

 ――いいえ、わたくしは幸せです。自由を失っても、あなたさまに愛されて、とても充たされた日々を過ごせました。故郷もとても楽しい所でしたけれど、きっとこんな想いに出逢うことなく、長く平坦な一生を生きたことでしょう。わたくしに後悔はありません。短い間でしたが、とてもとても感謝しております――

 やがてその瞬間は訪れた。
 後に漁師は、人魚の遺体を浜辺で燃やし、灰を海に還した。彼女は以前から、そのように葬送して欲しいと話していた。

 漁師は最愛の者の鱗だけを何枚か集めて、首輪を作った。彼は己が土に還る日まで、それを肌身離さず付けていたと言う――。

 竪琴の音色の余韻が空気を震わせる。
 部屋中の誰もがそれに浸るように身動きしない。
 微かな振動すら消えてなくなった時――力強い拍手がミスリアの背後から聴こえた。

「見事な歌だ」
 低いバリトンの声。振り返ればそこには、三十歳程度の中肉中背の男性が立っていた。男性は脇に巻物を抱えている。灰茶色の口髭と肩ぐらいの長さの髪、そして右目にかけているモノクルが印象的だ。服装や立ち居振る舞いに不思議な気品が漂っている。

「漁師の選択は残酷だな。心底愛しているのならば、別れが辛くとも海に帰すべきだった」
 真剣な面持ちで男性は言った。ミスリアは突然現れたこの人に相槌を打って良いものかわからず、笑って礼だけを返した。彼もやんごとなき身分であるならば、「奴隷」の身では軽々しく返事をできない。

「民謡か? 人魚を題材にしたお伽話などあまり聞かない。そなた何処の出身だ?」
「ファイヌィ列島です」
 こちらははっきりとミスリアに向けられた質問だったので、躊躇せずに答えた。俯いたまま、目線を合わせることなく。

(しまった。嘘をつくべきだったかな)
 そう考えて、すぐに思い直した。嘘の故郷を挙げて何か踏み入った質問をされれば、どのみちボロが出る。

「設計士。来ていたのか」ウペティギはモノクルの男性に向かって一度頷いてから、ミスリアに向き直った。「確かに見事な歌だった。して、お主いくつになる」
「次の春には十五になります」

「ほほう。歳の割には言葉遣いが丁寧で発音がはっきりしているな、学があるのか?」
「………………修道院にて何年か学びました」
 迷った末に、ミスリアはそう答えた。

(嘘はついてないわ、嘘は)
 確かにアルシュント大陸では、平民以下が修学できる場所といえば修道院、と言うのが一般常識である。ただし主に字の読み書きの為に何年か送り込まれる大抵の人間と違って、ミスリアは聖女過程まで修了しているが。

「そうかそうか。それは良い――」
「ウペティギ様、少しお時間頂けますでしょうか」
 設計士と呼ばれた男性が臆せず城主の言葉を遮った。

「何だ、こんな時に。新しい罠でも考案したのか?」
 城主は若干苛立たしげに答える。
「そのようなものです」
 対する設計士の返答は早口で曖昧だった。

 ふいに背後から紙がカサカサと乾いた音を立てたかと思えば、誰かが脇を通る気配を感じた。
 すれ違いざまに、ミスリアの頭上にバリトンの声がかかる。

「本当に、見事な歌であった。機会があれば、また聴かせてくれ」
 思わずミスリアは視線を動かした。
 一瞬だけ、目が合う。

 彼の濃い灰色の両目を過ぎった感情は、何故か「憐れみ」に見えた。

(悲しそうな人)
 気が付けばミスリアは「設計士」に対してそんな感想を抱いていた。

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26.a.
2013 / 08 / 29 ( Thu )
 煌びやかな光景には現実味が伴っていなかった。
 いくつもの大きなシャンデリアに照らされる華々しい部屋。テンポの速い陽気な音楽。輪になって踊るたくさんの踊り子たち。豪華な食卓には何種類ものみずみずしい果物や豚の丸焼き、色とりどりのチーズなどが並べられている。

 その一切を、たった数人の男が独占している。ふかふかの長椅子にてくつろぎ、自分たちを中心に回る踊り子の輪を眺め、ワインを口に運び、大声で談笑する貴族風の五人。

 広い部屋を満たす他の数十人の人間のほとんどが、彼らの為だけにこの場に居る、奴隷や召使や兵士だった。たとえ飢えていても許可無しではチーズの一口も味わうことが許されない身分。当然、多くが虚ろな表情をしていた。
 皆、強制されてこの場に居るのが瞭然としている。膝をつく奴隷たちの列の後ろからミスリア・ノイラートはそう評価した。

 中心の長椅子に座す男こそが、城主の「ウペティギ様」。
 首もとの開けた緩やかな衣に包まれているのは、首も腰もどこにあるのかわからないような肥満体だった。太陽と無縁そうな、血管が透けるほどに色素の薄い肌。細い両目の周りは薄紫色に腫れ、唇も不自然に分厚い。最初に姿を目にした時、何故かガマガエルを思い浮かべ――否、比べてしまっては蛙の方がかわいそうである。

 城主ウペティギは、下品な笑みを浮かべた。
 歳のほどは四十路半ばだろうか。短く剃られた頭髪は白髪の割合が多いし、顔には皴が刻まれている。
 彼は始終立ち上がることも無く、食べ物は召使が運んであげている。ウペティギが踊り子に拍手を送る都度、高価そうな首飾りや腕飾りが弾みで鳴った。その音色さえどうしてか耳障りに感じた。

 そんな怠慢の権化のような男に、早くも先程話した女性たちが群がっている。どうやら既に気に入られている娘は手錠を外してもらえるらしい。そして自由の身になる代償は、貴族の男たちに酌をしてやるなり食べ物を食べさせるなり、とにかく媚びることだと見て取れた。

(貴族って、何だったかしら)
 平民の出のミスリアには貴族の人間と関わる機会は少ない。教団で出会った上流階級の人間は何人か居るが、どれも、こんな風ではなかった気がする。しかし関わったのが教団という限られた場所であったため、彼らが城に帰るとどう振る舞うのかまでは知る由が無い。

(この人数が結束すれば逆らうことは簡単そうなのに。誰もその気が無いのは怖いから? それとも別の理由が……)
 奴隷や召使はともかく――兵士に至っては、たった数人の貴族に抗わないのは幼少の頃から従うべきと刷り込まれたからなのか、それとも何か褒美をもらっているのか、定かではない。

 ミスリアは視線を大理石の床の上にさまよわせた。
 危険な考えである。
 仮に皆を奮い立たせることに成功しても、それは後先考えずに下せる判断ではない。

 自分よりも小さい少女二人を横目に見た。彼女らの上腕にそれぞれ、古い焼印がある。それはつまり、二人がこの城に連れて来られた以前から誰かの所有物だった事実を示している。そんな人間がこの部屋に他に何人も居ることは容易に想像が付いた。彼女らの将来が何処にあるのか、逃げ出した先に生きる術があるのか――。

(私だって、ここから逃げ出しさえすれば終わり、でもない)
 城の位置もわからなければ土地勘も無いし、地図や身分証明書はいつの間にか紛失している。更に最悪なことに商売道具のアミュレットも無い。

(ゲズゥを探そうにも、もう遠くに消えている可能性だってあるものね)
 考えたくはないが、現実的にありうる話だった。
 八方塞がりである。ミスリアは膝だけでなく拳も静かに床に付いた。手錠に繋がる鎖が無情に音を立てる。

 ミスリアの心の葛藤は人知れず続いたが、一方で貴族らの会話が盛り上がっていた。

「聞いたか? 大公閣下がそろそろ次女を嫁がせるらしい」
「ほう、相手は誰だろうな。ヌンディークの公子か、それとも帝国……」
「それよりもどうやら都市国家郡の情勢に変化が……」
「ミョレン王国の人間が絡んでいるという噂は本当だろうか」
「南西海岸の戦火が広がっていると聞いて……」
「帝王陛下の次の側室候補が……」

 貴族の男たちは噂話を交わしている。ミスリアは耳を澄ませて内容をできるだけ拾った。どこぞの王室や貴族の結婚事情はあまり気にしても仕方ないけれど、政治的な問題は旅路に影響を及ぼさないとは限らない。
 ――旅が続けられると前提して。

(都市国家郡とミョレン国がどうしたの?)
 何か引っかかるものを感じたが、それが何なのか特定できなかった。空腹のせいか頗(すこぶ)る気分が悪く、集中しづらい。

(もう何時間も、何も口にしてないから)
 それでも、考えることを諦めるのだけはできない。ぼうっとしそうになる度に手錠を揺らしてその重みを確かめた。

「そういう話もほどほどにしようぞ。さあ、宴だ宴! 新しい娘が入ったというのは、どれだ?」
 ウペティギのしゃがれた声が響いた。
 その声を合図に、ミスリアと二人の幼い少女らの鎖が引っ張られた。

(い、痛い……!)
 一瞬だけ表情を歪めてしまった。すぐにミスリアは無表情に戻る。

「この三人です」
 鎖を引いた兵士が無機質に答えた。
「おお、これはまた小さいな! だがどれも充分に可愛い。よし! 何か面白いことをしろ!」
 音楽もいつの間にか止まっており、広い部屋はしんと静まり返った。

「どうした? 芸だ。誰一人何もできないと言うなら兵士に玩具としてマワすぞ?」
 ウペティギが「まわす」と口にした瞬間、部屋中の兵士が気味悪い笑みを浮かべた気がして、ミスリアは震えた。何をされようと最終的には殺されるだろうと直感した。

 二人の少女はやはり寄り添ったまま、激しく震えている。心の中では声も出せずに泣いていることは、彼女らの目を見れば明らかだった。それはミスリアの心を揺さぶるには十分だった。
 ――自分が生き延びる為だけでなく、二人の為にも何とかしなければ――。

「……う」
「う? どうした、栗色の髪の娘よ。はっきり言え」
「……歌が、得意でございます」
 声が消え入らないように腹に力を込めつつ、ミスリアは力強く答えた。

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12:15:59 | 小説 | コメント(0) | page top↑
25.f.
2013 / 08 / 16 ( Fri )
 やがてゲズゥは、物音がすればいつでも目を覚ませるような、浅い眠りに落ちた。
 虫の鳴き声が一匹、二匹と数が増えていく。これまでは警備兵のひそひそとした話し声以外は静かだったが、忽(たちま)ち虫の合奏が周囲を満たした。夢現をさ迷う意識の中にも届く程である。

 しばらくして、夜風の香りと共に淡い霧のように――夢が訪れた。
 夢の中の少年には左目が無い。地に横たわり、眼球があるべき場所には空洞しかなく、そこからとめどなく鮮血が流れ出ている。少年は苦しげに胸を上下させて、青白い顔でこちらを見上げる。

 いつも、どうしてやればいいのかわからなくて同じ行動を取る。ゲズゥは従兄の手を両手で掴み上げ、無言で強く握った。
 湯気の上がる息を吐きながら、従兄は恨めしそうに呟く。

 ――頼む、約束してくれ。大人になったら、かならずこの五人を殺せ――

 目の前の惨状や従兄に頼まれた内容よりも、ゲズゥは掌に伝わる温度が怖かった。周りが燃え上がって熱くて気がどうにかなりそうだったのに、握った手からは温もりがどんどん失われていく。自分が総てを失うのだと、それを止める術を持たないのだと、否が応でもわからせた。

 ――任せたよ。族長の長男、お前なら、大丈夫だ――
 掠れた声から生気が抜け落ちていく。

 突如、いくつもの鋭い鞘音に目が覚めた。
 夢が霧散した。辺りはどっぷりと暗くなっている。
 国境に異変があったのだと瞬時に気付き、ゲズゥは騒ぎの中心を探した。

「出たぞ! こっちだ!」
「弓兵、番え!」
 十五人ほどの警備兵が二重に弧を描くように二列を組み立てている。「放て」の号令で、後列から一斉に矢の雨が飛ぶ。

 矢を浴びた、樹の如くそびえる青白い異形は、刺さった矢を煩そうに払うだけで怯まない。
 二本足で立って二本の長い腕を垂らしている姿はまるで人に見えた。と言っても、似ているのはそこまでだ。肩はあっても頭部が無い。
 胴体から短い咆哮が響き、同時に腕から何本もの太い枝が伸びた。

「うああああ」
 前列の人間が三人、枝によって貫かれた。痙攣する手から剣が落ち、金音がした。
「前衛、まだ交戦するな! 下がれ! 松明を投げろ!」
 指示を出している人間はまだいくらか冷静さを保っていた。植物に構造の似た魔物なら炎がダメージを与えると考えたのだろう。

 魔物に飛び移った炎が激しく燃え盛った。腐臭と煙と共に焦げた臭いが広がる。
 しかしダメージを与えるには至らないのか、魔物は平然と火の伝う枝で警備兵らを次々と地に叩き伏せた。

 赤く燃え上がる戦場を見ているだけで体温が上がりそうだった。ゲズゥは何度か深呼吸する。夢に出た光景と似ているせいで波立つ心を、鎮めねばならない。

 最初から壁を越えられる場所は限られていた。門の近くは、論外。そして三ヤード以上の高さの壁はおそらく外にも内にも兵士が配置されている。壁を越えようとしても、登る間に誰かに見咎められて射落とされるのがオチだ。

 だからこそこの場所である。
 兵士が不自然に多く待機していたため、過去に魔物が出た事がある場所と踏み――期待通りに今夜も現れた。
 これだけ混乱していれば人間の侵入者の一人や二人、気付けた所で迅速に対応できないはずだ。

 ――魔物を利用して人間を退ける。
 以前ミスリアが聖気で魔物を呼び寄せたと思しき時があったが、もしかしたら似たような理由からかもしれないと思う。
 ゲズゥは自らに手ぬぐいを巻いて猿ぐつわにした。何かに驚いたり怪我をしても咄嗟に声を上げない為である。

 
 地上を見下ろすと、燃える巨大な塊がさっきよりも壁に近付いていた。近くから増援も到着し、警備兵は前衛と後衛を巧く連携させて善戦しているようだが、魔物を倒せたとしてもそれまでに多数の犠牲が出るだろう。
 かくいうゲズゥも挑んでみたいとは欠片も思わない。

 ひゅっと息を吐いた。
 次の瞬間には樹の枝から飛び降り、地に一回転し、戦場のすぐ横を全力で駆け抜けた。

「何だ!? 新手か!」
 条件反射で矢が飛んできた。掠りもしなかった。
「あんな速さ、ヒトじゃないぞ!」
 誰かがそう叫んだ。どうやらゲズゥは警備兵らに新手の魔物と認識されたらしい。

 立ちはだかろうとする奴らの鎧を踏み付けて、跳躍した。
 勿論、飛び越えるには高さが足りない。うまく行くかは賭けである。タイミングを見極め、ゲズゥは腰に提げた短剣を壁に垂直に突き立てた。奇跡的に剣は折れなかった。

 ――これがエンだったら、鎖とフックを使って簡単に登れただろうに。
 そう思いつつも、武器屋から借りていた曲刀を抜いた。修理の終わった大剣を鍛冶屋から受け取った際、なんとなく曲刀も手元に残そうと思って武器屋に代金を支払ったのである。持ち歩く荷物は増えたが、その苦労も今、報われる。

 短剣と曲刀を交互に突き立て、壁をよじ登った。
 背後では魔物の咆哮と、侵入者に驚く人々の声が上がる。それでも矢は飛んでこなかった。魔物を相手にするだけで精一杯なのだろう。

 一分もしない内に登り切った。
 曲刀は壁に残して踏み台にし、後は壁の内側に飛び込むだけって時に――何か熱いモノが右腕に絡みついた。肌に触れるそれの感覚は乾いていて、細く、硬い。

 振り返った刹那、肩に激痛が走った。ボキッ、って音もしたかもしれない。
 とにかく夢中で枝から逃れようとして、気付いた。右腕が動かない。

 ――脱臼か!
 戻している暇は無かった。利き手ではない左手に短剣を握り、枝を斬り落とす。自分の皮膚も何度か斬ってしまったが、構っていられない。

 右腕を解放した直後にまた枝が伸び、それをすんでの所でかわして跳んだ。
 壁の内側に着地すると同時に背の大剣を鞘から出さずに振り回した。内側に居た八人ほどの警備兵は魔物が現れるのをよほど緊張した様子で待ち構えていたのだろう。一方で人間の侵入者は予想外だったらしく、唖然としている。おかげで苦も無く全員を倒せた。

 すぐに身を隠せる物影を求めて走る。登れそうな樹が無いので、低木の群れに紛れてしゃがみ込んだ。
 動き回った所為で余計に肩が痛い。脈も息も荒くなっている。大きな汗の粒がいくつも顎から垂れた。幸い、口に含んだ布が功を成して呻き声一つも漏らさずにいる。

 少しだけ、ゲズゥは呼吸が落ち着くのを待った。
 さて、自分で脱臼を戻すのは非常に気が進まないが、利き手が使えないままでは不便である。後で聖気で完全に治してもらえば後遺症は残らずに済む。
 それは、まずはミスリアを無事に助け出すのが絶対条件だが。

 歯を食いしばりながら、ここまでする価値が本当にあの少女にあるのか、思いを馳せずにはいられなかった。
 相変わらず何度考えてもわからない。どちらにせよ、この段階で引き返すことはできない。

 動かせる方の左手で右腕を九十度に折り曲げ、脱臼した肩を戻す手順を辿った。決定的な一瞬まで、激痛の波に耐え続けた。
 何故かその間、死の淵から還った時に見たミスリアの泣き顔と、握った小さな手の温もりを思い出していた。

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10:06:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
25.e.
2013 / 08 / 12 ( Mon )
(ねえ、待って、スカートがほぼ透明なのに下はコレなの)
 上の部分と色が合っているといえば合っているが、色々と大丈夫だろうか。心の内には疑念しか沸かない。

 すうっと深呼吸した。スカートは履いたまま、素早く下着を着替える。兵の(と思われる)視線が突き刺さるが、恥じらっていられる心の余裕がもう無かった。できるだけ早く済ませたかった。最後に、一応変な箇所が無いように身なりを確かめる。

 既に今日一連の展開がミスリアの常識の範疇を超えていた。
 意を決し、声をひそめて女性たちに訊ねた。

「訊いても良い? 私たちは、これから何をさせられるの?」
「アタシたちは愛玩奴隷よぉ。ナニをさせられるかなんて決まってるじゃなぁい」
 唇をすぼめて、黒髪の女性が答えた。

 ミスリアは首を傾いだ。
 「愛玩奴隷」とは人が使うのを聞いたことはあっても意味をあまりよく知らない、馴染みの無い言葉だった。愛玩動物ならわかるけれど。

「そんでねえ、特に気に入られたオンナは愛人にしてもらえる。そうしたらもっと金も贅沢も自由にできるんだからねーえ、アタシら必死にもなるワケよ」
「愛人……」

「おい、時間だ! 並べ。順番に手錠をつける」
 兵士が張り上げた声により、会話が中断された。驚くほど速やかに、そして静かに、部屋中の女性が出入口へ向けて一列に並んだ。ミスリアも慌てて列の最後尾に続く。
 隅に蹲(うずくま)っている小さな少女二人だけが立ち上がらなかった。

「耳が聴こえないのか!?」
 兵士の一人がズカズカと彼女らに歩み寄った。

(――!)
 次には信じられないことが起きた。兵士が少女の一人を蹴り飛ばしたのである。鮮やかな衣を纏った小さな身体が化粧台にぶつかって跳ね、残った少女が鋭い悲鳴を上げた。

「うるさい! お前もだ!」
 今度は兵士は、少女の白い頬を叩いては腕を引っ張り、無理に立たせた。そして別の兵士が蹴飛ばされた方を半ば引きずるようにして列の前に投げ出した。

 そこからは痛いほどの沈黙が続いた。
 定期的に、ガシャン、と手錠が一人一人に付けられる音、ジャラ、と歩かされる女性たちの鎖が引きずる音、その両方が部屋に響き渡る。

 音が一個ずつ重く胸に沈む内に、あわよくば逃げられないだろうかと心のどこかで考えていたのだと、ミスリアは自覚した。

 体が小刻みに震えるのを抑えられなかった。あと五人もすれば自分の番になる。
 手錠をつけられればもう終わりだ――本当にどうしようもなくなる――こんな故郷から離れた城の中に閉じ込められて一生を終えるのではないか――

『死にたくなければ、動け』
 ふいに頭に響いた声が考えを遮った。
 次いで、何度も見てきたクシェイヌ城のイメージが脳裏にチラつく。
 それらが消えると、後に残った強い使命感が胸の内に燃えていた。

 ――だめだ、弱気になるのだけは。自分に何ができるか今はまだわからなくても、諦めたら本当に希望の一つも浮き出ては来ない。
 唇を噛んで俯いていたのは、数秒だったかもしれないし数分だったかもしれない。

「次!」
 呼ばれて顔を上げたミスリアは、自分がどんな表情をしているのかわからなかった。手錠を持った武装兵と目を合わせると、向こうは露骨に驚いて一瞬身じろぎした。物言いたげに眉間に皴を寄せている。

 何か不自然だったかと疑問に思って目を逸らし、手を差し出した。兵士は結局何も言わなかった。
 それからすぐに、両手首に冷たく硬い鉄が絡みついた。泣きたくなる重さだ。

「よし、全員手錠を付けたな。このまま一列に歩いて宴会室に向かうぞ。変な真似をしたら鞭で罰する。貴様らは奴隷だ、それだけは忘れるなよ!」

_______

 落日がゼテミアン国境の壁を緋色に染め上げる様を、木の葉の合間から見下ろしていた。
 木々の枝を渡り、かなり高い場所に身を隠したゲズゥは、警備兵の数や装備を確認している。

 警備が手薄な場所を探すのではなく、むしろその逆で、不自然に兵が多く配置されている場所を探していた。
 全体を見渡せば、人が通れる門からは遠いのに兵士の多い箇所がいくつか見えた。

 それらを目標と見定め、ゆっくりと枝の間を一本ずつ降下していく。ギリギリまだ全体の状況を把握していられるような高さに留まった。

 後はもう、陽が完全に地に潜るのを待つだけである。

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12:41:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
25.d.
2013 / 08 / 07 ( Wed )
(絶対嫌! ……でも、抵抗したら……どうなるんだろう)
 扉の前で陣取る兵士たち四人を見やると、彼らは槍を手に目を光らせている。部屋に窓は無いし、扉は一つしかない。逃げ道があるとは到底考えられなかった。例えばゲズゥのように兵を斬り伏せる技量があれば話も違ってくるだろうに、生憎とそんな方法はミスリアには取れなかった。

 唾を飲み込み、手の中の衣装を握り締める。背に腹は代えられない。

「好きなの選んで着替えてねぇ」
 黒髪巻き毛の女性がウィンクする。
「う、うん……って」
 部屋中を見回し、ミスリアは重要なことに気が付いた。

「身を隠す場所がないんだけど……」
「そりゃあ見えない所で着替えたら、何か凶器とか隠し持っちゃうかもしれないじゃない? しょうがないのよぅ。我慢してねえ」
 豊満な体つきの茶髪の女性がひょいっと横から口を挟んできた。

「こ、こんな大勢が見る前で脱ぐんですか!?」
 衝撃のあまりに思わず口調が元に戻った。部屋中の視線がミスリアに集まった。そのほとんどが陰鬱なものだったが、兵士からは厳しい目とたしなめる怒声が飛んできた。
「大声出しちゃだめよう」
 三人目の、金色の髪を縦にぐるぐる巻いた女性がしーっと唇に指を当てた。

 ごめんなさい、とミスリアはとりあえず謝る。納得はしていないけれど、どうしようもないのだろうと諦めねばならない。下着姿とどちらがましかと問われれば言葉に詰まるけれど。
 結局最初に渡された赤と銀色の服を選んだ。付け方を確かめるように慎重に眺めて、部屋の隅に行ってからまずは上の部分を下着の上に付けた。

「ソレ、そんな風に着るんじゃないの。下着付けたままじゃだめデショ」
「わかってるよ」
 金髪縦ロールの女性の指摘に、ミスリアは振り返らずに答えた。

 元々上は、体を締め付けない緩いキャミソール型の白い下着を着ていた。普段は外出時は夏であっても何段にも重ね着をしているから、一番下の段は誰かの目に入る心配が無く、簡素な物を好んで使用している。

 その上に衣装を付けてから、体を捩ってキャミソールだけを引き抜いた。肌に残った、布の面積が少ない衣装を、ちゃんとぴったり合うように結び目を調整した。

(ううううううううう、恥ずかしい)
 面積は少なくてもせめて胸に当てられる部分はそれなりの厚さである点だけが救いだ。肌触りも悪くない。
 ただしほとんど無い胸を強調するデザインがどうしようもなく恥ずかしい。一方で何だか悔しくなって、掌で胸の脂肪をかき集めたりしてしまう。

 そしてミスリアははたと動きを止めた。
 背中に冷や汗の粒が浮かび上がり、顔からは血の気がサアッと引いた。

 ――アミュレットが無い!
 下着の中や自分が転がされていた周辺の床を目で探ったが、やはりどこにも無い。
 森の中で着替えていた時はまだ首にあったから、きっと攫われた最中に千切れて落ちたのだろう。

(何で……私の為に造られた唯一の物なのに――)
 手元を離れたのは今回で二度目だ。しかも前回のように急いで取り戻す選択が無い。きっと教団に戻ったら説教され、罰掃除などさせられ、最低でも一週間の断食を強いられる。
 ふっ、と自嘲げに笑った。

(そんな心配をするのは、教団に戻る以前に……ここから生きて帰らないと……)
 迷走気味の思考がすぐに現実に着地し直した。口の中が妙に乾いている。
 叱られる場面を想像して現実から逃避していた方が、まだ気分が良かった。

(でも、困ったわ)
 アミュレットが無いのが、どれほど不自由なことか。あれが肌に触れている状態でないと、聖気はほとんど扱えない。全神経で集中しても、かろうじて触れている相手のかすり傷を治せるか治せないか程度。当然、魔物の浄化はできないし、カイルに教えてもらった応用の術――その一つは魔物を意図的に呼び寄せる方法――も使えない。

 のろのろと、ミスリアは衣装の下半分を手に取った。八割以上の透明度を誇る銀色のふわふわとしたスカートを、直視せずに履く。

「あ、ごめん。それもう一つパーツがあったわぁ」
 金髪の女性が何かを投げてきた。もう何を見ても驚いてやらない、と意気込んで受け取ると、それはレースをふんだんにあしらった真紅の下着だった。
「…………」
「セットだからね、絶対揃えて着なきゃだめだかんね」

 ミスリアはものも言わずにそれを見つめた。

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