28.h.
2014 / 01 / 11 ( Sat )
「危ない!」
 突然のエンリオの叫びで、地に落ちたエイを浄化していたミスリアは顔を上げた。新たに迫り来るエイの列が目に入る。
 そして次の瞬間には黒い背中が視界を遮った。

 横薙ぎに振るわれた大剣は銀色の弧を描き、その軌跡に絡めとられた魔物たちは紫色の液体と断末魔を辺りに撒き散らす。
 ゲズゥは速やかにまた攻勢に入った。敵の数には限りがあるように思えない。すぐに打開策を考える必要がある。

(弧…………?)
 とりあえず今思い付いたことは――剣に聖気を纏わせ円弧を伸ばせば、通常よりも多くの魔物を一薙ぎで掃討できることだ。しかしそれだけでは何かが不足している気がした。
 ならば展開した聖気を円形に組み替えれば、自分に惹かれてやってくる敵を残らず倒せるだろうか。

(でもそれは地を転がる個体ならともかく、上空から襲ってくる魔物には効かない)
 加えて、広範囲に聖気を展開させるということは、それだけ自身の消耗も早くなることだ。
(足りない。まだ何かが足りない)
 ミスリアは懸命に考えながらも四方に視線を飛ばし、ヒントを探した。

 いつの間にか気温が大分下がったのだろう、吐く息が白い。無意識に体が寒さに震えた。
 あちこちで、倒された魔物たちは腐臭と湯気を立ち上らせつつ、口のような箇所から泡を噴いている。

(泡? 違う、泡じゃなかった――)
 それを見た途端、カイルが話していた応用方法を思い出せた。彼は「シャボン玉」にたとえて説明したのだった。
(そうだわ、球体……半球なら!)
 内側が空洞となっている球体ならば消耗を最小限に抑えられる。そのぶん明確なイメージと集中力を要するが、死角無しに敵に対応できる利点を思えば、試す価値は十分にあろう。

 当然、薄い聖気の壁だけで魔物を完全に浄化できるとは考えていない。弱らせる程度でいいのだ。
 ミスリアは未だ冷静に敵を斬りさばいているゲズゥの傍まで駆け寄った。

「――提案があります!」
 そう叫べば、ゲズゥが肩から振り返った。ミスリアはたった今の思い付きの要点をかいつまんで伝えた。
「……理解した」
 黙って聴き終えた彼は短い言葉で同意を示す。
「お願いします!」
 間髪入れずにミスリアは聖気を展開した。いつもとは違う形を丁寧に、詳細に思い描く。

 まず自分の周りに黄金色に輝く、空っぽの球体が出現した。
 次にはそれを自然に広げるイメージ――。

 こうしている間にも二種の魔物は休むことなく迫り来るが、それらは黒衣の青年に任せて、ミスリアは焦らずに己の作業に集中した。

(まだ、有効範囲を広げられる)
 いつの間にか聖気の球体は半球に変わり、大人の人間を十人は覆える大きさになっている。
 限界はこんなものじゃない、と自分を奮い立たせると、一気に広がりは加速した。

 そうして黄金色の波動は半径10ヤード以内の魔物たちを通過した。
 想像通りにそれは、敵の進攻を揺らがせるには事足りた。
 急に動きが鈍くなったエイや団子虫を次々にゲズゥが両断していく。小さい個体などは、手を出さなくとも既に浄化が始まっていた。

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11:43:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.g.
2014 / 01 / 06 ( Mon )
 レイがレティカの前に立ってロングソードを構えた。その横をエンリオが走り抜ける。走りながら彼はレインコートを脱ぎ捨てている。
「お任せ下さいレティカ様!」
 コートの下からナイフベルトが現れた。腰や脚や腕にまで、びっしりとナイフが収納されている。
 まるで呼び寄せられたかのように、タイミングよく上空に影が三つ浮かんだ。カイト(凧揚げの凧のこと)みたいにひし形から線が伸びている。三つの影はそれぞれ回転しながら急降下してきた。

「アレって魚の一種じゃないですか? 魚のくせに空飛ぶなんて生意気な!」
 変な文句を言いつつもエンリオはナイフを三本放っていた。どれも見事に的中し、魔物たちはけたたましく叫びながら地に落ちる。

(そうだわ。図鑑で見た海の――エイという動物に似ている)
 それを思い出した所で何の役にも立たないだろうけれど。
 次いで、上流の河辺から何かが複数現れ転がり落ちるのが見えた。よく見えない、何だろう、と思っていたらエンリオが素早く後退った。

「ぎゃああああ! 人面団子虫ぃいいいいっ」
 転がって来る何かの姿が彼にはそう見えるらしい。人面が外殻に現れているせいか、魔物たちの転がりようは不自然にぼこぼことしていて一直線ではない。
「うるさいぞ、エンリオ。夜中に叫ぶな」
 やっとレイが喋ったかと思えば、第一声がこれだった。

「叫ばずにいられますか! 気持ち悪すぎですよ! だーもうっ、こっち来るなあああ」
「前衛のくせに気の小さい男め」
「どうせボクはビビりですよ! でも気持ち悪いのは関係ないですっ」
 小柄な護衛は口数が多かったけれど、それと同じくらい手数も多かった。叫んだり悶えながらも的確にナイフを放ち、敵の進攻を止めている。そして隙を見て投げたナイフを回収するのも怠らない。

「注視せずにさっさと倒せばいいだろ」
 そう言うレイは近くまで転がって来た一体を斬っていた。
「むり! 目が良くてすいませんね」

「二人とも、喧嘩していないで集中しなさいな」
 前に出たレティカが静かにたしなめる。彼女は動きを止めた魔物を次々と浄化して回った。
「はい。すみません」
「レティカ様がそう言うならわかりましたよ……」

 慣れた様子で動き回る三人を、始終ミスリアは口を開けて眺めていた。

(すごい……)
 多分自分も参加すべきだろうと思いながらも、見とれて動けない。
 そういえば、ゲズゥがこの時点でまだ戦闘に参加していないのが意外だ。そう思って見上げると、彼は大剣を構えて突然体をくるりと前後に反転させた。

「一応、後ろを引き受ける」
「え」
 ミスリアも後ろを向き直った。大小さまざまな空飛ぶエイの群れが向かってきている。数は軽く三十を超えていた。
 戦慄せずにはいられない数だ。

(聖女を二人も一箇所に集めると、それまで遠くに居た魔物も一気に引き寄せられるのかしら)
 人数が多ければ心強い反面、そういった問題も浮かび上がる。が、わざわざ獲物を探しに行かなくていい点では、楽なのかもしれない。それで倒しきれないほどの大群が来たのなら本末転倒だろうけれど。
 それにしたって、異常な数である。

「だ、大丈夫そうですか?」
「さあな。こういうのは、リーデンの方が得意だな」
「それは……残念ですね」
 魔物退治に出かけると伝えた時、リーデンも一緒に行きたそうだった。ただ、今夜も何かしら用事が忙しくて都合が合わず、だから明日なら一緒に行けると彼は言った。

「試しに呼んでみるか」
「呼んでみる、って?」
 ゲズゥは既に臨戦態勢に入っていて、答えなかった。跳び上がり、近付いてくる敵を順に斬り伏せている。レティカに倣って、ミスリアは落ちた敵を浄化していった。

(もっと効率的なやり方が無いかしら……カイルは何て言ってたの)
 咄嗟に思い出せないのが悔しい。



エンリオっていい名前だと思うんだけどなぁ……どうも「サンリオ」と「エンリケ」を混ぜたみたいな感じがするのは何故だろう。

レイは本当はレイチェスって名前です。本人が面倒なのではしょってレイって名乗ってます。

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23:28:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.f.
2014 / 01 / 05 ( Sun )
 いつまで経ってもゲズゥは黙ったままなので、その内聖女レティカは気まずそうなため息をついた。
「聖獣を蘇らせることがかなえば、どんな穢れも清算されるでしょう。それだけの偉業ですものね。お互い頑張りましょう」
「そうですね」
 とミスリアが頷けば、ちょうどその時に馬車が止まった。
 キャリッジの戸が外向けに開く。フードを目深に被った大柄な人が姿を現し、レティカに手を差し伸べた。おそらくレイと言う名の寡黙な女性だろう。

「足元注意して下さいね」
 喋ったのは聖女レティカの護衛の一人、確か名前をエンリオと言った男性である。彼はレイが開けたのと反対側の戸を開いて、ミスリアに手を差し伸べた。

「ありがとうございます」
 その手袋のはめられた手を取り、言われた通りに下を見ながら足を踏み出した。両足とも地面についてから彼と目線を見合わせる。するとエンリオはフードの下で何か意外そうな顔をしていた。

「……小さい聖女様ですねぇ。このボクの目線よりも下に頭があるなんて――」
「エンリオ! 女性に対して失礼ですわよ」レティカの叱る声が馬車の向こう側から響く。「そもそも人の真価は見た目などで定まりません」

「す、すいません。いえ、ほら、ボクも小さい部類ですから、決してバカにしてるんじゃないですよ。純粋にびっくりしただけです」
 と、彼が慌てて弁明した。レティカが厳しい声で「先入観をお捨てなさい」と釘をさす。

「私は気にしてませんよ。事実ですし」
「ならいいです。ホントすいませんでした!」
 そう締めくくってエンリオは馬車の御者へ声をかけた。支払いがてら一時間半後に迎えに来るように指示している。この場で待たせたら危険に晒されるかもしれないと配慮してのことだ。

(……精進しなきゃ)
 ミスリアは自分が小さいだけでなく聖職者にしては異例の歳なのは自覚している。世間一般が描く聖女のイメージはどちらかと言えば聖画に住む聖母や聖人たちのような、理知的で神秘的な大人たちだろう。時々向けられる人々の目が「こんな子供が大陸の命運を変えうるのか」と訝しんでいるのはわかる。

(誰にどう見られようと、実力が無ければはじまらない)
 聖女ミスリア・ノイラートは夜の闇の中を一歩、踏み出した。ぐしゅ、っとたっぷり濡れた地面を長靴が踏みしめる。

 河のほとりは夜の雨という膜に完全に覆われていた。月明かりが雲の向こうから漏れているゆえ真っ暗ではないけれど、視界は阻まれ、物音を聴き取ることも困難で、しかも土や濡れた緑の匂いが濃くなっていて腐臭に気付けないかもしれない。いきなり何かが襲い掛かかったとしても、反応が遅れてしまうだろう。

 こういう時に最も頼りになる青年の隣まで歩み寄った。

 真っ黒な革製コートに全身を包んだゲズゥは静かに周囲に視線を巡らせている。コートは一旦リーデンの元に戻った時に持ってきた代物だ。夜も出かけると伝えたら、リーデンはどこからかそれを取り出した。フードの下は詰襟で、裾はふくらはぎまで届くほど長く、リーデンの着ていた服のように右肩と脇辺りにボタンが付いていた。どう見ても高価な物だろうに、彼は何でも無さそうに貸し出したのであった。

「――多いな」
 脈絡なくゲズゥはそう言った。
「敵の数がですか」
 どうやって探っているのかは、考えても仕方ない気がするので訊かない。

「ああ、すぐに囲まれる。本当にやるのか」
 じっと見つめられる気配を感じた。ミスリアは視線を返して答える。
「討伐の為に来たんですから。できる限り倒しましょう」
 そう言うと、背後からレティカが相槌を打った。

「ええ、その意気ですわ。この一帯を一掃しますわよ」
 後ろに居た彼女は進み出て、開始の合図が如く右手を振りかざす。

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15:19:14 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.e.
2014 / 01 / 03 ( Fri )
「私たちよりも魔物狩り師と連携した方が良いのでは」
「難しいんですよ、コレが。いかんせん町が大きいだけに、彼らは東西南北いろんな方向に散らばって活動しますから。持ち場を離れさせるのも悪いです」
 小柄な護衛の男が横合いから口を出した。

「お忙しいのでしたら無理にとは言いませんわ。いかがなさいます?」
 振り返ったミスリアに、好きにしろ、の意を込めてゲズゥは点頭した。どちらにしてもリーデンに頼まれた買い物を届ける以外に予定がある訳でもない。目の前の聖女一行に付き合うことに対しては面倒臭そうな予感がするが、魔物退治自体には興味ある。

「お誘い下さってありがとうございます。ご一緒しましょう」
 ミスリアがそう答えたのとほぼ同時に、いつの間にか雨の気配を漂わせていた空から、小さな水の粒がぽつぽつと降り出した。

_______

 夕暮れより三時間程過ぎた時刻に聖女レティカと町の外れで落ち合い、彼女が手配した馬車に乗り込むこととなった。レティカの護衛たるエンリオとレイはそれぞれ馬に騎乗して馬車を護っている。キャリッジの中にはミスリアとレティカ、そしてゲズゥが座し、三人とも雨具を抜かりなく装備している。

 馬車は河の上流をずっと遡った先のほとりまで行くという。段々と道が険しくなってきているのが、激しい揺れと車輪が石に当たる音でわかる。
 雨音がキャリッジの屋根を忙しなく打つ。

(魔物狩り師たちに持ち場を離れさせたくない、って言い回しからきっと人気の無い場所まで行くとは思っていたけれど……)
 ミスリアは膝の上で手を握り合わせた。誰も居ないのなら魔物退治をしに行く意味があるのだろうか、と最初は懸念していた。そこでレティカは、この周辺に魔物がたくさん潜んでいてやがて町に近付くのではないかと人々が怖がっているそうだ、と説明した。

 理屈には合っている。けれども何故か妙な不安を覚える。
 向かいに座るレティカを見上げると、彼女はちょうど展開していた聖気を閉じた所だった。白い手袋をはめた手は、ゲズゥの右手を握っている。

「もう大丈夫ですわ。痛みはありませんか?」
 レティカはゲズゥの手を放して、微笑んだ。どこか既視感を覚えるやり取りかと思えば――そうだった。初めてゲズゥに会った日、ミスリアもこうやって掌の傷を治してあげたのだった。

 聖女の礼服の上にコートを着込んだレティカは、長く真っ直ぐな青銅色の髪を首のすぐ横で束ねていた。こうして近くで微笑まれると、高貴な生まれの人なのだろうと、初見で思い込ませるような顔立ちだと感じる。人の持つ物を欲しがっては駄目だ、そう自分に言い聞かせつつもミスリアの胸の内では劣等感に似た何かが芽生えていた。
 なるべくして聖女になった人。まるで、姉のカタリアみたいに――。

 掌を凝視していたゲズゥは、前髪に隠れていない方の黒い目を聖女レティカの碧眼に合わせた。
 彼はお礼を言わなかった。むしろ、細められた目は煙たそうにレティカを見下ろしている。

「小さな傷だからと油断してはなりません。貴女も聖女なら、ちゃんと気付いて差し上げなさい」
「いえ、私は……」
 思わず苦笑した。ゲズゥが隠したがっていたので手を出さなかっただけで、気付いてはいた。でも彼女の先ほどの言葉を借りるなら、力を温存するのも得策だ。魔物の浄化は当然のこと、いつも戦闘の過程でゲズゥがひどい怪我ばかり負うので。

 ふいにレティカの微笑みが引きつり、彼女はサッと顔を逸らした。

「……いけませんわ。だいぶ慣れたつもりでしたのに」
「どうしたんですか?」
「わたくし、生まれつき人の周りの空気や因子の性質が視覚化されますの。色がついて見えるんですわ。たとえば聖女ミスリア、貴女の周りは淡い黄金色に輝いていて」
 聖女レティカはチラッと視線をゲズゥの方へ走らせた。上向きの長い睫毛が瞳と一緒にぱちぱち瞬く。

「そして彼の周りは……黒。いえ、淀んだ色ではなくて、いっそ清々しいくらいの漆黒。虚空のようで呑み込まれそうですわ。その状態になるまでどんな罪を犯したというのです? もしくは、ご先祖様の業を背負われているのですか?」
 訊ねられたところでゲズゥが応えるはずもなく、ミスリアといえば曖昧に笑うしかなかった。

(先祖の業……「呪いの眼」かクレインカティ一族関連で何かあるのかしら)
 そこに自身の罪も重なれば。
 どれほどの穢れなんだろう、と想像してみて、ミスリアは訳もわからず気が沈んだ。

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23:39:16 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.d.
2014 / 01 / 01 ( Wed )
 護衛の二人が聖女に駆け寄る。よく見れば、大柄な方は薄茶色の髪を短く切り揃えた強面の女だ。
 青ざめた聖女はゲズゥを見上げて声を絞り出した。

「なんという穢れ……それだけの業を背負ってよく生きていられますわね。普通は耐えられなくてとっくに発狂か魔物化してますわ」
 民衆相手に語りかける時と比べ、聖女の口調はきつかった。

「何だって!? レティカ様に近付くな、罪人め! 穢れた空気に当てられたらどうしてくれる」
 小柄な男が牙をむく。
 ゲズゥは特に反応しなかった。まず何を言われたのか理解できない。代わりに、背中に隠れていたミスリアがひょっこり出てきた。

「あのっ、何か誤解があるようで……私たちはお話がしたいだけです」
 例の聖女はミスリアの姿を認め、はたと止まった。口元に当てた手が離れる。
「あら、まあ。こちらは稀に見る清浄な気ですわ。もしかして『同業者』かしら?」

「聖女ミスリア・ノイラートと申します。彼は護衛のスディル氏です」
「あら! 失礼しました。わたくしは聖女レティカ・アンディア、それからこっちは護衛のエンリオとレイです。以後お見知りおき願いますわ」

 聖女はスカートを広げる礼をした。ヴェールの下から、青銅色の髪が一房漏れる。
 ミスリアもその礼を返し、ふと顔を上げた。

「アンディアと言ったら、まさか……」
「ええ。アンディアの姓を持つ現・枢機卿の一人は、わたくしの大叔父様です。ちなみに聖女アンディアと言ったら、先年亡くなられたひいお祖母様のことですから、わたくしのことはレティカ、と名前で呼んでくださいな」
 聖女は誇らしげを通り越して自慢げに言った。彫像の聖女を思わせる、まるで鏡の前で長い時間練習して完成させたかのような、よく整った笑顔だ。

「わたくし一年も旅していますけれど、同業者に出会えたのは数えるほどしかありませんのよ。うれしいですわ」
「こちらこそよろしくお願いします。ええと、私のこともミスリアと名前で呼んで下さい」ミスリアは演壇の方へ目配せした。「聖女レティカは毎日このようなことを?」

「民にはどんな暗い夜にも仰げる月が、希望が必要ですもの。聖職者を多く輩出してきたアンディア家に相応しい聖女であれますように、わたくしは立ち上がらなければなりません」
 聖女は言い終わるなり小さなお辞儀を付け加えた。その弾みで薄紫色のショールが肩からずれ落ちたのを、護衛の女がすかさず直す。

 どうにも、ゲズゥには聖女の主張が滑稽に思えた。何せこの町が抱える、現在進行形で絶望に打ちひしがれている大半の人間が、演説を聴けた訳でも奇跡に立ち会えた訳でもない。本気で人々を救いたいと思うなら路地裏や貧しい区域へ行くべきである。これでは自己満足にしか聞こえない。

「それで、どうして一日一回なんですか?」
 聖女の主張には触れずに、次にミスリアは別のことを訊ねた。
 そこはゲズゥも気にかかっていた点だ。もしかして出し惜しみすることでより劇的な演出を狙っているのではないかと推測したが、返答は意外なものだった。

「力を温存しなければなりませんの。夜は、町の外れに出る魔物を退治しに行きます」
「では町の結界の外へ?」
「ええ、イマリナ=タユスの結界が覆っているのは都の中心部だけ。結界の外で過ごす夜はとても危険ですわ。神職に携わる者、民の安らかな暮らしを守るのが務めです」
 聖女の碧眼が気合に燃え上がっている。面倒臭い女だ、とゲズゥは率直に感じた。

 突然、聖女はパンッと両手を打ち合わせた。

「そうです! もしよろしかったらご一緒にどうでしょう? 人数が多い方が心強いですもの」
 問われたミスリアは目に見えて怯んだ。

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23:21:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.c.
2013 / 12 / 31 ( Tue )
「そうなんですか。教えてくださってありがとうございます」
「おう、まいどあり。ユラスのダンナにもよろしくな」
「はい」
 袋を受け取ったミスリアが女の声のする方を見上げたまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。

「――ですが! 恐れることはありません! 私たちヴィールヴ=ハイス教団ゆかりの者が、命をかけてこの世界を変えてみせます!」
 また歓声が沸き起こった。「聖女様――!」「おれたちを救ってくれ!」「救世主が光臨なさった!」などの叫び声がする。

「布教活動」
 と、一言ゲズゥは呟いた。
「みたいですね。聖人聖女(わたしたち)はそういう活動はしないはずなんですけど……」
「偽者か」

「どうでしょう。行ってみてもいいですか?」
 ミスリアの問いに頷きを返した。
 二人は階段を上り、演壇の前にできている人だかりの端に紛れる。

 人々の注目の的はここからでは遠くて良く見えない。かろうじて、白いヴェールの下に隠れているのが肌の白い女だとわかる程度だ。女の左右には護衛と思しき人物が一人ずつ佇んでいる。片方は小柄で軽装、片方は逞しい体格に鎧を着こんでいる。

 護衛二人の内の小さい方が大袈裟に手を動かしながらまくし立てた。声からして若い男だ。

「さあさあ、今日はどなたが『奇跡の力』を体験されます!? レティカ様の恩恵を賜るのは一人だけですよ! 慢性的な頭痛から最近の怪我まで、何でもよくしてみせます!」
 すぐに、オレだ私だと喚きながら飛び跳ねる人間が続出した。人だかりそのものが振動しているようだ。

 やがて一人の足腰の悪そうな老人が選ばれた。片足を引きずりながらの酷く不安定な足取りで、周りの人間に手を借りながら、老人は演台の前に出る。
 ヴェールを被った白装束の女はしゃがんで両手を組み合わせた。ぼそぼそと何かを祈りながら、長い間その姿勢でいた。

「……あ」
 隣のミスリアが何かに気付いたように口元に手を触れた。それが何なのか問い質せる前に、聖女とやらが声を張り上げた。
「さあ、もう一度歩いてみて下さいまし」
 促されるがままに老人は立ち上がり、歩き出した。今度は誰の手も借りない、しっかりとした足取りである。

「お、おお……痛くないです! 腰も足もどこも痛くないですよ、聖女様!」
「おめでとうございます。奇跡は起こりました」
「ありがたや、ありがたや」
 老人は地に膝をついて聖女を拝んだ。するとまた人だかりが騒ぎ出した。我々にも奇跡を、と望む声が次々重なる。

「下がって下さい! レティカ様の奇跡は一日一回のみという決まりです。下がって! 明日もまたこの時間、この場所に来ますから」
 護衛の男が民衆に呼びかける間、もう一人の護衛が盾の如くして聖女の前に立った。押し寄せる人の波はそこで進みを止めざるをえない。
 が、人だかりは大して粘らなかった。数分の内にほとんどの人々は散開して去った。ゲズゥとミスリアは去り行く人間を避けつつも、その場に残った。

「インチキには見えなかった」
 ゲズゥはずっと聖女一行を観察し続けている。お布施を集めるつもりかと思えば、それらしい素振りが無い。
「距離が離れているので自信はありませんけど……僅かに聖気の気配を感じました。彼女はれっきとした聖女だと思います」
 ミスリアは物思いに耽りながら栗色の髪を指先でくるくるともてあそんだ。

「わかりません。結局あの方は何がしたいんでしょう」
「直接訊けばいい」
「はい」
 誰もがその場を去る中、二人は敢えて聖女の傍に近付いた。

「すみません、本日の活動はもうお終いで――うっ」
 言いかけた聖女が振り返る。そしてゲズゥを向いた途端、あからさまに気分を悪くしたように、白い手袋をはめた手で口元を押さえた。

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14:38:15 | 小説 | コメント(0) | page top↑
28.b.
2013 / 12 / 30 ( Mon )
 地図のままに進み、四十分ほどして二人は東街道に着いた。半分は路地裏の迷路から出るのに要した時間である。
 イマリナ=タユスの構造は縦に厚く、特に河近くとなると三段以上に町が重なっている。街道の東側、階段を下りた所には一番低い段があって、そこは港に繋がっている。

 西側は階段を登れば更に高い段――先程居た噴水広場や大通りを含んだ場所――へと繋がる。が、階段を登らずにアーチをくぐればまだ町の二段目の続きが広がっている。流石は都と呼ばれる規模の町、地図があっても十分に迷えた。

 はぐれないようにかミスリアはずっとゲズゥの裾を握っていた。てくてく歩きながらも物珍しそうな顔で周りの店や屋台、道端で演舞を披露する踊り子、地面に座り込んで賭けチェスに熱中する連中、鍋から揚げ物を掬い出して売る老婆、などを観察している。

「それにしてもリーデンさんが買って欲しいと言うこの――ちゃく……チャクラム? って何なんでしょうか」
「大量に身に着けている鉄の輪」
「え? あの輪っかをあと二十個も買うんですか? よっぽど好きなんですね」

「……?」ゲズゥは立ち止まってミスリアを見下ろした。「まさかお前には装飾品にでも見えたのか」
「装飾品じゃないんですか」
 不思議そうにミスリアが訊ねる。
 返事の代わりにゲズゥは右手を開いた。そこには掌よりも少し小さい、チャクラムと呼ばれる鉄の輪が乗っている。

「血……!?」
「刃物だからな」
 雑な受け取り方をしたため、外側の刃によって皮膚がザックリと切れてしまっていた。面倒臭くて手当ては後回しにしている。これくらいの傷でミスリアの聖気に頼るのも馬鹿げているので、彼女が言い出す前に己の拳を再び握って閉じた。

「アレは全身凶器。本質では俺よりもずっと物騒だ」
 そう断言しながらチャクラムをミスリアに渡した。ミスリアは戦輪を注意深く受け取って眺めた。鋭利さを確かめる為に、白い指先をそっと刃に押し当てている。

「本当に凶器なんですね。腕輪や耳飾まで全部刃物だなんて……あ、帯にも」
「指に挟んで投げたり指で回して飛ばす、中・遠距離用の飛び道具だ。よく切れる」
 そしてゲズゥの記憶が正しければ、リーデンは懐にナイフを隠し持ち、ブーツの先と踵にも刃物を仕込んでいるはずだった。まさに全身凶器である。

「何だか、リーデンさんの印象を思い直さないといけない気がしてきました」
「そうしておけ」
 その方がお前の身の為でもある、とまでは言わなかった。

 数分後、リーデンの地図に記された一角を見つけた。屋台の武器商人は最初は強気な態度だったが、リーデンのチャクラムを目にした途端にみるみる青ざめ、こちらの言い値にあっさり従った。ついでに二個、オマケしてもらった。
 品物の詰められた革袋を商人から受け取り、ミスリアが紙幣を払い渡していると、上から何やら女の声が降ってきた。

「この世界は今、病んでいます」
 直後に観衆か何かの応援の喚声が響いた。
「演説ですか?」
 商人から釣りを受け取る最中のミスリアが振り返る。

「――大陸を蝕むこの病に罹らない地などありません! 一見平和そうな村にも、戦に明け暮れる国にも、魔物は現れます!」
 声は音量を上げてまた響いてきた。

「最近この町に来た聖女サマだってよ。民衆の支持なんか集めたって魔物は倒れないだろーに、何のつもりだかね。いつもはあそこの演台はニュースとかお触れを伝えるおっちゃんが居るはずなんだ」
 商人は演説を聞いても感銘を受けなかったのだろう、不満そうにぼやいている。

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28.a.
2013 / 12 / 29 ( Sun )
 ゲズゥ・スディル・クレインカティは、弟が苦手だった。小さい頃はあんなに素直で可愛かったのに、今となっては同じ空間に居るだけで気疲れする。たまに会うことはあっても、好んで行動を共にすることはない。

 どこかで元気に生きていればそれで十分――ずっとそう思っていたのにわざわざ今更リーデンを捜したのは、ミスリアに言われた言葉に思う所があったからだ。
 そうして無事に会えたはいいが、これからどうしたいのかまでは、まだゲズゥ自身にも整理しきれていない。

 一方、リーデンの告白を聞いてから数分、未だにミスリアは新事実を飲み込めずにいるのか、難しい顔をして唸っている。

「呪いの眼の一族の生き残りはたった一人だけでは?」
「厳密には一人じゃない、と前に言った」
 これにはゲズゥが答えた。数ヶ月前、まだ故郷の村の近くに居た頃の話である。

「…………そういえばそうでしたね。全然話題に上らないので接点の無い遠い親戚の方かと思ってました。まさか弟さんとは」
「僕は普段は正体隠してるしねー」
「今しがた、軽く明かしたが」

「聖女さんは特別。表情も口数も少なくてつまんない兄さんと、飽きずに一緒に居てくれてる人だもんね」
 兄の抗議に対し、弟はふふっと笑った。
「つまらないだなんて思ってません」
 ミスリアの大きな茶色の瞳が困惑気味に瞬(しばた)く。

「そう? 女の子はもっとこう、お喋りするオトモダチが欲しいでしょ。こーんな愛敬の無い人と歩いても楽しくないよ、間が持たないよ」
 などとリーデンが言うと、ミスリアは苦笑交じりに「楽しさを求める旅では……」と答える。

「…………」
 胡乱な目でゲズゥは弟を見つめた。
「どうかした?」
 緑色の右目と「呪いの眼」たる左目が視線を返す。

 相変わらずこの男は、人を馬鹿にしたような笑い方をする。しかし何故かそういった印象を受けるのはゲズゥだけで、周りの人間は老若男女共にこの笑顔の前では魂を奪われたように無防備になる。奇怪な現象だと常々思う。
 それはそうと、確かにゲズゥは一つ気になっていることがあった。

「クレインカティの名を浮上させたのはお前か」
「えー? 何のことかなー?」
 わざとらしいとぼけ方がいちいち癇に障る。行いを認めているようなものだが、意図までは見えて来ない。

 ――舌はよく回るくせに、肝心なことだけは言わない。
 他人の本心を勘で探り取るタイプのゲズゥにとってリーデンは接しにくい相手だった。

「兄さん、そんな話よりさー」
 リーデンの声が急に低くなった。
「僕に助けを求めたならいつでも出してあげたのに」
 弟の独り言なのか質問なのかよくわからない呟きに、ゲズゥは答えないことにした。

「今回も脱獄するのかと思ってたから放置したんだよ。まさか処刑台まで行くなんて思わないじゃん」
「…………」
「本気で殺されてやるつもりだったの?」

「あのまま処刑が進行していれば死んだだろうな」
 どこか他人事のようにゲズゥは抑揚の無い声で言った。
 ――疑う余地も無く、ミスリアが到着していなければ、その日に人としての一生が終わっていた――。

「僕はそーゆーことが聞きたいんじゃない」
 苛立ちを隠さない声が返ってきた。リーデンは左手で頬杖ついて、右手の指先でトントンとテーブルを弾いている。

 リーデンが怒る理由はわかっている。その上で、どうしてやるのが一番良いのかがわからない。わからないままもう十二年も過ぎている。
 そして今もまた、ゲズゥは背を向けるしかできない。

「どこ行くの」
「街に出る。……ミスリア」
「あ、は、はい」
 背後から少女が急いで立ち上がる音が聴こえた。

「はあ、もう、しょうがないなぁ。話はまた後ね、どうせ僕も用事で忙しいから」
 諦めたようにリーデンが言った。
「で、街に出るんなら買い物頼まれてくれないかな。君たち、この国の紙幣持ってる?」
「ゼテミアン公国で使っていた紙幣ならあります」

「うん、共通してるからそれで大丈夫。どうせしばらくイマリナ=タユスに滞在するでしょ? ココ泊めてあげるかわりに、ちょっとパシられてくれない」
 振り返ると、リーデンはミスリアに何か手描きの地図とメモを渡していた。

「東側の街道で、ここに書いてある品物をこの値段以下で買ってね。相手が渋るようならコレ見せればいいから」
 リーデンの左手が素早く動いて、何か煌めく物を飛ばしてきた。ゲズゥは片手でそれを受け取ると、一瞬の鋭い痛みを覚えた。掌を開かなくても何であるのかは察しが付く。

「じゃあ、気を付けていってらっしゃい~」
 まるで普通の家族が交わす普通の挨拶みたく、やたら整った顔が笑ってみせた。
「いってきます」
 ミスリアが律儀に挨拶を返す。
 その頃にはゲズゥはもう扉を押していた。

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14:12:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.h.
2013 / 12 / 10 ( Tue )
「そう……ですか」
「んん、怖がらないで。別に取って食ったりはしないよ? 僕に何の用なのか知りたいだけ」
 またあのとろける笑顔を向けられて、ミスリアはあっさり気を抜いた。

「でもその質問の答えを私は知りません」
「そうだろうね。そんであの人はゼンゼン語る気無いだろうね」
 リーデンはゲズゥが佇む部屋の隅に一瞬視線をやってから、「とりあえず君にわかることから話してもらおーか」と言ってミスリアに座るようにと椅子を引いた。

「ありがとうございます」
 ミスリアは素直に腰を下ろした。それとほぼ同時に、イマリナが再び台所の方へと姿を消した。さすがは元奴隷とでも評すべきか、足音一つしなかった。ヤシュレ出身の奴隷はその存在を誰にも悟らせることなく主人の身の回りを世話すると、そう聞いたことがある。それゆえに気配がしなかったのかもしれない。その気になれば誰にも姿を見せずに黙々と仕事をこなすだろう。

 ティーセットを持って再びイマリナが現れた。
 三人分のお茶がカップに注がれ、茶菓子が盆からテーブルへ置かれてゆく。イマリナの動作の一つ一つは、流れるように速くて静かだった。彼女を見るリーデンの目はどこか誇らしげだ。

「ホントはね、僕が一目惚れしたから、奴隷商の荷馬車を襲ったんだよ。絶対お持ち帰りしなきゃ後悔する! って直感がね」
 これにはミスリアは頷きだけを返した。彼の「ホントはね」をどこまで信じていいのか、疑問が芽生え始めている。

 テーブルに近寄ろうとしないゲズゥをイマリナが不安そうに眺める。そんな彼女にリーデンが手話で何かを話しかけた。イマリナも手話で応え、お茶と菓子を一人分、盆に戻しては再び台所へ消えた。

(下げたのかな……それとも後でまた持ってくるのかな……人と食べたがらないゲズゥの性質をリーデンさんが知っているなら……)
 とはいえ、考えてもわからないし、口を挟む気にはなれない。
 ミスリアは湯気の立つお茶にそっと息を吹きかけ、飲んでみた。土を思わせる芳醇な香りがする。包み込むような深い味わい、それでいて後味は若干甘い。
 お菓子のバタークッキーはアーモンド入りで、ちょうどいい具合に焼けている。

「で? 何で僕を追って来たの?」
 数分後にリーデンが口火を切った。
「何でと訊かれても……誰かを追っていたなんて私は知りませんでした。お二人はどういう関係で?」
 思えばゲズゥのミスリアへの頼み事は「寄り道がしたい」の一言だった。何故、何処へ、は訊いても答えが無かったので、深く考えないことにしていた。目的を果たせた今でも、謎は謎のままだ。

「切っても切れない縁」
「え……」
 リーデンの笑顔が消えた。ミスリアは更に質問をしようか迷ったが、あっという間に美青年の顔に愉快そうな表情が戻る。

「ふうん。つまりそこの人が急に言い出したから聖女さんは付き従った、と」
 リーデンはミスリアたちが何故旅をしていたのかまでは問わなかった。或いはもう知っているのではと思う。
「わっかんないなぁ。何で今なの? 直前までどういう状況だったの」
「直前は……」

 ミスリアは顔中の筋肉から力が抜けていくのを感じた。
 あの時の状況――ゼテミアン公国領の城に連れて行かれた日――を思い出すのは憚れた。やっと、悪夢に見る回数が減ってきたというのに。
 すみません、その話はできません、と断る気力も無かった。城主の顔を思い出してひどい吐き気を催したからである。

 向かいに座るリーデンはまるでお構いなしに呑気にお茶と菓子を堪能していた。ミスリアの様子がおかしいことに気付いていながら気付かない振りをしている風だ。

「そーだね、変わったこととか無かった?」
「……変わったことですか」
 色々あったのは確かだけれど、ゲズゥがいきなり寄り道がしたくなるようなきっかけがあったか、改めてミスリアは考え直した。

「――あ」
「なになに?」
「そういえば聞いたことのない単語を耳にしました。クレイン、とか何とか……クレイカ? でしょうか」

「ああ、『クレインカティ』ね」
 美青年が緑色の瞳を妖しく光らせた次の瞬間、それまで微動だにしなかったゲズゥが突然目を開かせた。やはり重要な言葉なのだ、きっと。
「何ですか? その、クレインカティ、って」

「戦闘種族の系統の一つだよ。生まれつき他の人間よりも頑丈でスタミナあって、脚力とか腕力とか全部平均以上なんだけど、一番の特徴はズバ抜けた瞬発力だってね」
 リーデンが美声を発する程にゲズゥの視線が鋭くなっている気がしてならない。それでもリーデンは気にせずに喋っている。

「幾つかの戦闘種族の中でも特にクレインカティは兵士や暗殺者として求められた。それはもうしつこく狩られ続けて、ついに嫌になった彼らは姓を捨てたらしい。半世紀前から誰もクレインカティを名乗ってないはずだよ。まあ、そもそもそんなに生き残ってないだろうけど」

「なるほど……」
 ならばあの時、ウペティギを黙らせるように気絶させたゲズゥは、自分の系統を言い当てられて不快だったのだろうか。
「そんなクレインカティの女の人が、何世代か前に『呪いの眼』の一族の村に流れ着いて、匿ってもらったそうだよ。そのまま居付いちゃって結婚までして、おかげさまで呪いの眼の一族の人間の一部には戦闘種族の血が混じってるってワケ」

「え、ええ?」
 つい、ミスリアはお菓子をぽろぽろと口元からこぼした。話の内容以上にリーデンがそんな話をしていること自体に驚いた。どう考えても一般知識ではない。
(これも適当についている嘘……?)
 などと疑ってしまう。

「随分と詳しいですね」
「そりゃそうだよ。だって――」
 ふいにリーデンは頭を下げて、左目に人差し指をやった。ミスリアはその手の動きを目で追った。彼の左手の人差し指の上に、小さな物がのっている。透明に見えるが、よく目を凝らすと、何か色が付いているようにも見えた。

「ガラス玉……?」
「薄く伸ばしたガラスに色をつけた代物だよ。『カラーコンタクト』と呼ばれてる技術」
 ミスリアは視線の先を上にずらした。そして、目を丸くした。
 それまで緑色に見えていたリーデンの左目が白いのである。白地に金色の斑点、縦長の瞳孔。

「リーデンさん、その目は……」
「うん。ほら、僕も『呪いの眼の一族』だから」
 彼は首を傾げて無邪気に笑う。
 彼の斜め後ろに居るゲズゥは未だに会話に介入して来ない。

「君もこういうの使った方がいいんじゃない、兄さん。前髪で隠してるだけじゃあね」
「……………………」
「ご、ご兄弟? ですか?」
 驚き過ぎてミスリアは混乱した。もう何がなにやら。
 でもよく見比べてみると、二人の体格や切れ長の目や鼻の形など、似ていると言えなくも無い。

「そ。改めて初めまして聖女さん、僕はリーデン・ユラス・クレインカティ。そこのやたら図体のデカい人――ゲズゥ・スディル・クレインカティ、の血の繋がった弟だよ。腹違いではあるけどね」

 左右非対称の瞳をした絶世の美青年が微笑む。
 何と言えばいいのかわからず、ミスリアは二人の青年を交互に見た。そうして訪れた沈黙の中、リーデンのお茶を啜る音だけが響く。

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01:02:15 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.g.
2013 / 12 / 05 ( Thu )
 ついに六つの錠を外したリーデンが、扉の取っ手を九十度ほど時計回りに回して、引いた。ガゴゴ、と鈍い音を立てて扉が地面を擦る。

「さー、どうぞいらっしゃい」
 楽し気にリーデンは言う。
「お邪魔します」

 扉が全開になると、ミスリアは驚きに目を瞬いた。扉の向こうは明るかった。殺風景な部屋のたった一つのテーブルの上には灯された蝋燭が幾つも置かれている。初めて見るような細かい形の蝋燭立てばかりで、それだけでテーブルにはどこかお洒落な印象が出る。
 数秒経って扉は自動的にまた閉じた。

「ただいまー、マリちゃん」
 リーデンは奥の方に向けて声を飛ばしている。人の気配は相変わらず無いのに、人が居るのはミスリアにもわかっていた。そうでなければ蝋燭が点いてなどいない。溶けた蝋の量は少なく、出かける前にリーデンが点けっぱなしにしたという線は可能性が薄い。

「あれ、聴こえてないのかな。マリちゃーん」
 再度リーデンが呼ばわる内に、ミスリアは部屋の中を一通り見回してみた。

 四方の壁に、布カーテンのかかった棚らしきものが所狭しと並べられている。家具と言えば楕円形の食卓とそれを囲む六つの椅子、それから奥の壁際に長椅子が一つだけ。後は床に水瓶や盥があるだけで、まるで娯楽性や生活感すら漂わない居住空間である。寝室や台所が別の部屋にあるのだとしても、パッと見では見つけることができない。

 それもカーテンの所為かもしれない。別の部屋と繋がる出入り口が一貫して布に覆われている。
 そのバーガンディ色の布の一つがめくれ、背の高い女性が姿を現した。それと共に香ばしい料理の香りが流れてきた。

 女性は脇下まである長い紅褐色の髪を三つ編みにまとめ、前髪をヘアバンドで抑えている。黄褐色の肌色が蝋燭の灯りに照らされて輝いたように見えた。
 彼女はリーデンの姿を認めるなり、頬を緩ませた。次いで、一跳びでその胸の中に飛び込む。

「あはは、マリちゃんは甘えん坊だなぁ」
 リーデンは女性の額に口づけを落とした。平均的な成人男性より少し身長のあるリーデンの目線に頭が届く程だから、女性もかなりの高身長だ。

「ヤシュレに居た時、奴隷商を襲ったついでに拾ったんだよ。名前が無かったからこの町の名前から取ってイマリナ。略してマリちゃんだよ、よろしくね」
 リーデンがイマリナの頭に手をのせて半ば強引にお辞儀させている。と言ってもイマリナも素直に従っているが。

「よ、よろしくお願いします。ミスリア・ノイラートです」
 何とも反応し難い紹介内容に困りながらも、ミスリアはスカートを広げて礼を返した。

(奴隷商を襲ったついでって、どういうことなの……!?)
 ヤシュレ公国もまたディーナジャーヤの属国の一つであり、かつては数多くの少数民族が住んでいた地である。しかし時代の流れは残酷で、彼らはやがて奴隷として狩られ、今となってはヤシュレからの帝国への献上品として認識されている。

 イマリナの喉元にも焼印の跡がある。リーデンに解放された奴隷、ってことになるだろうか。
 ――喉元?

「マリちゃんは口が堅いから、ここではどんな内緒話をしても平気だよ。ぶっちゃけ、大昔の喉の傷で声が出ないらしいんだよね」
「そんな、ひどい……」

「気にしなくていーよ。この子も今は全然不自由なんてしてない。手話なら通じるし、文字も多少はわかる」
 まるで見計らったかのように、イマリナがにっこり笑った。少し吊り上がった細い眉、丸い上瞼、垂れ気味の黒い瞳、厚めの頬骨、低い鼻、大きな唇。それらが全部、彼女の微笑みをより柔らかく優しいものに見せていた。

 ただ、リーデンよりは年上に見える彼女を彼が「子」と呼んでいるのは何かの愛情表現かな、と疑問に思った。

「それより僕は君の話が聞きたいな? 聖女さん」
 一瞬にしてミスリアの首の後ろが硬くなった。
「……私、自分が聖女だって言いました?」
 服装も普通の町娘と何ら変わらないはずである。

 何故こんなに焦るのか、わからなかった。
 一方で部屋に入ってからずっと隅に陣取っていたゲズゥは、腕を組んだ姿勢で微動だにしない。

「言ってないよ。でも『天下の大罪人』が小さな聖女さんのおかげで命拾いしたって話は小耳に挟んだし、そうかなって思ってね。シャスヴォルはこのことが外に漏れないように隠蔽しようと動いたみたいだけど、見物人の口にまでチャックをするのは不可能だね」
 呆れたように肩を竦めてリーデンは頭を振った。弾みでしゃらしゃらと輪っかの耳飾が鳴る。

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14:16:10 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.f.
2013 / 11 / 28 ( Thu )
(……自分の足で立とうとしない人間に厳しいのは、彼自身が乗り越えた問題だから?)
 ふとそう思った。
 そして「僕ら」と言った以上、彼らは過去に一緒に生活していたのだろうか。
(飛躍しすぎかしら。二人ともそれぞれに同じ風に生きていたってだけかもしれないし)
 訊きたい――でも未だにゲズゥからは不機嫌そうな波動が発せられている。今は諦めるべきだとミスリアは判断した。

 やがてリーデンは一階建ての建物の前で足を止めた。
 人の気配はしない。建物は廃棄されて久しいようで、壊れた扉が開けっ放しになっている。

 ギッ、ギッ、と扉が揺れ軋む音が小さく響く。
 訳もなくミスリアは生唾を飲み込み、忍び足で踏み込んだ。

「ここがリーデンさんのご自宅ですか?」と訊ねると、「違うね。たまに、色々な用途で他人に貸し出している場所の一つだよ。誰も使ってない時に泊まったりするけど」などと微妙に要領を得ない説明が返る。

 そんな建物の中には真っ暗な空間が広がっていた。
 火を灯さずとも外はそこそこ明るい午後の曇り空であり、普通なら全くの闇にはならないはずである。即ち建物には窓一つ無い。
 壊れた扉から伸びる淡い光が、ゆりかごみたいにゆらゆらと優しく揺れている。

「居住空間は地下ね」
 躊躇いなくリーデンはゆりかごから踏み出し、闇に呑みこまれて行った。

(あ、待って)
 呼び止めようと手を伸ばしかける。止まってはくれないだろうとわかっていながら。
 数秒ほど立ち尽くしたが、背後にゲズゥの視線を感じ、仕方なく歩き出した。リーデンの足音を追って慎重に進む。

 ようやく下り階段を見つけて降り始めると同時に、ミスリアは独り言を漏らした。

「全員救えなくとも、たった一人の為にできることがあるなら、私はそれを無駄な試みだとは思いません」
 それはさっきの地上での会話を思っての言葉だった。
「お前はそうだろうな」
 背後から相槌があった。
「でもやっぱり……総てを守ろうと、理想を追い求める人間もこの世界には必要ではないでしょうか」
 ミスリアは教皇猊下と友人のカイルを思い浮かべた。ミスリアの知る中で一番、大きな目的を果たせる人たちだ。町一つの状態を改善することだって、きっとできる。

「偽善だと思いますか?」
「実現できれば偽善の域を出る」
「……そうかもしれませんね」
「目指す気か」

「いいえ、私は一人ずつ向き合うのが精一杯ですよ」
 ミスリアは小さく苦笑した。
「――ああ」
 一瞬、何か違和感を感じた。

(……笑った?)
 振り返った所で暗闇の中からその顔を見出すことはできないし、はっきりと笑い声を聞いたわけでもない。ただ、そんな気がしただけである。
(まさか、ね)
 話を打ち切り、二人は階下まで降りた。

 先に下に着いたリーデンがいつの間にか火を点けている。
 鉛色の、見るからに重そうな、大きな扉の前に出た。扉の取っ手の周りには何か特種な錠が施されているらしい。

「ちょっと待ってねー。ダイヤルを回して五桁の暗証番号を揃えるだけだから」
 とリーデンはにっこり言って、早速錠を外しにかかった。中指だけで手早くダイヤルを弾いている。
 取っ手は六角形の額みたいな物に囲まれ、角に一つずつ錠が位置している。つまりリーデンは五桁の数字を六つ記憶していることになる。

 素直に凄いと思った。長い詩や聖歌は暗記できても、ミスリアは数字にはそこまでの自信が無い――と言っても、これほどまでに厳重な仕掛けも初めて見るけれど。

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23:37:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.e.
2013 / 11 / 23 ( Sat )
 リーデンに先導されて風の通らない路地裏に入った。そこら中に、行き場を持たない汚臭が漂っている。
 ミスリアは足を踏み下ろす度に泥や生ゴミを踏まないよう、注意する必要があった。なのに軽やかに先を行くリーデンのブーツには何故か全く汚れが付かない。

「この先を左に曲がって、更に先で右に曲がったら、一番奥の建物だよ」
 振り返り、美青年は励ますように明るく言った。
 ミスリアは頷きを返した。

 噴水広場からここまでの道、既に何度曲がったのかミスリアには思い出せない。最初こそは覚えようとしたけれど、今となっては完全に方向感覚が麻痺している。それだけ複雑な路地裏だった。しかも大体の建物は似た高さと造りで、平凡な外装をしている。何か一つでも目印になるものを探し求めて視線を彷徨わせるも、徒労に終わりそうである。

(また居る……)
 時々、建物の間に隠されたゴミの山を通ると、その中をガサゴソと潜る人間の姿を見つけた。
 ゴミ山を住処としているのか、別の住処はあってもゴミを漁らなければ生活できないのか、一目見ただけではどちらとも言えない。

 他には、路頭で寝そべる人間を見る。誰もが痩せこけていて、生気が無い。彼らには冬を越せる場所がちゃんとあるのだろうか。
 やるせない気持ちがこみ上げてきて、ミスリアは足を止めかけた。それに気付いて、物を乞う手が伸びる。それまで寝そべっていただけの男性が、身を乗り出している。

 ミスリアは親指を欠いた手を凝視した。自分がこの手に何を与えられるのか、懸命に思索した。

「お前の考えていることはわかるが、無駄だ。都市そのものが対処しないとどうにもならない」
 答えが出ない内に、背後のゲズゥが口火を切った。
「そん、なこと……そうと決まっている訳では……」

「決まってるよ。こういう連中にはいくら渡そうと、お金は酒や娯楽に消える。そうでなければ自ら収入源を確保して、衣食住を手にしているはずだからね。この辺だったら最低生活費はめちゃくちゃ安いし、選り好みしなければいくらでも『収入源』は見つかる。浪費癖はどうしようもないけど」

 リーデンが付け加えた。
 これまでと同じ爽やかな話し声なのに、どうしてかゾッとした。

「自分の足で立とうとしない人間に同情する必要は無いよ。そもそも、よほどの大富豪でないと一度に全員を救えないから。そういう町なんだよ。食べ物をあげたって一時の空腹の解決にしかならない」
 リーデンの言い分に対する反論をミスリアは持っていなかった。しばらくして三人はまた歩き出した。

(教会が子供しか引き取らないのは……)
 自分の足で立てない大人を甘やかさない為かな、と一瞬だけ思った。大人ともなれば当然、教会に住み込む人間にはご奉仕という名の労働が義務付けられている。最低限の衣食住を得ても、給料ももらえず、自由にできる時間は少ない。好んでそんな生き方を選ぶ人間はごく僅かだった。

 ヴィールヴ=ハイス教団が無条件に民に食事と宿を与える日は月に一度だけである。
 ただ与えるだけでは、相手に対する配慮が、思いやりが足りないのだろうか。かつて授業ではどう教えていただろうか――。

(……それにしても、リーデンさんの人生観って)
 理由ははっきりしないけれど、ゲズゥのそれとどこか似ている気がした。割り切っている所だろうか。

「んー、懐かしいねー。ずっと昔は僕らもああやって生き延びてたね」
 遠目にゴミ山を漁る人間を見つつ、ふとリーデンが言った。
 ゲズゥは返事こそしなかったが、しばらく目を細めてその方向を見つめていた。

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08:09:38 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.d.
2013 / 11 / 15 ( Fri )
「知らない人間についていくな」
 親が子供に言い聞かせるようなありふれた言葉なのに、彼の低い声が呟くと、極めてシビアに聴こえる。
「すみません。でもせっかく親切にして下さった方にそれは失礼です」
 ミスリアは負けじと言い返してみた。
「親切な人間にこそ警戒しろ」
 そう答えたゲズゥはミスリアではなく隣の青年を見下ろしていた。表情の険しさは増している。

「リーデン」
 意外にもゲズゥの様子には敵意でも警戒でもなく、不機嫌、が表れているように見えた。これまでに見たことの無い表情である。
 どういうことかと憶測をするよりも、ミスリアは二人のやり取りを大人しく見守ることにした。

「う、うん。久しぶり」
 一方で絶世の美青年は唇を噛み締め、笑いを必死に堪えているかのような歪んだ顔になっている。
 そしてついに、堪え切れずに爆笑し出した。何事かと周囲の人間がチラチラとこちらを一瞥する。

「あー、ダメ、もう。保護者っぽい君とか、ナニソレ、面白すぎ。あーはっはっはっは」
 リーデンは仰け反って膝を叩いた。咳き込みそうな勢いで笑っている。
「…………」
 それに対しゲズゥの眉間に更に皴が増える。

(旧知の知り合いだとして、あまり仲が良いとも言えなそうね)
 一方は相手をずっと睨んでいて、もう一方は相手を思いっきり笑い飛ばしているのだから。

「ふー、笑った笑った」
 十数秒ほど経つとリーデンは笑い過ぎで滲み出た涙を指で拭い――打って変わって、企みを含んだ妖しげな笑顔を浮かべた。そういう顔も、息を呑む程魅力的だった。

「で、何の用? 僕を探してたんでしょ? 途中からゴメンねー。気付いたからにはちょっと遊んであげようかなって、あちこちうろついちゃったよ」
「お前は相変わらずだな」
「いいじゃない、それでも君は追いつけたんだし」
「…………」

 話の内容について行けなくなったミスリアは、あることに気が付いた。リーデンのとろける笑顔は、どうやらゲズゥの心を動かすには至らないらしい。「何の用」という質問の答えを、彼はいつまで経っても口にしようとしない。
 そんなゲズゥを放って置いて、リーデンはミスリアの方を向いた。

「とりあえずウチ来る? お茶ぐらい出すから。ゆっくり話でもしようか」
「でも……」
 ミスリアは未だに不機嫌そうなゲズゥを一瞥した。彼は無言のままだったが、何となく、断って欲しい訳ではない気がした。

(この人を探してたのが本当だとするとやっぱりここは受けるべき……よね)
 どう返事をしようか一考する。
 ふと、象牙色の指がミスリアの白い指に絡まってきた。思いがけない温もりに手が硬直した。温かいよりはぬるいと言えるような体温だが、そんなことは今の状況に関係が無い。

「あ、あの――」
「愛らしい女の子に出逢えたからには、もっと一緒に居たいからね」
 狼狽えるミスリアをよそに、リーデンは急に耳打ちする。

 それに伴って爽やかな香りが漂った。森だか石鹸だか洗剤だか、よく思い出せない何かの匂いが、鼻腔を満たす。
 頭がぼうっとする。
 何だか何も考えられない。耳にかかる熱がじわじわと近付いている――

 ――唐突に、熱が消えた。
 視覚が二つの動きを捉えたけれど、動きが速すぎてそれが何であったのか脳はまだ解釈できていない。
 瞬けば、リーデンの長い裾がはためいているのが見えた。

「いきなり蹴りかかるなんてひっどいなぁ。そういう物騒なトコ、何とかなんないの」
「なるか」
「だよねー。今更ねー」
「…………」
「ちょっとした挨拶だってば。怒った? 勘弁してよ、いくら僕でも君の蹴りはそう何度も避けられないからね」

 秋風に弄ばれる髪に片手を添えるリーデン。その他愛ない笑みをミスリアはまだぼうっとする頭で見つめ、何処か浮世離れた存在を観賞しているような不思議な気持ちになった。



果たして読者様の何人が、嫉妬イベントに期待していたのでしょうか…w。
げっさんはちなみに嫉妬してるとかじゃなくて「コイツうぜぇ」が主な感想だと思います。


拍手返事: えではじまる…の人
でんでんでででん~

今作はじめての女たらしではなかろうか

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13:44:47 | 小説 | コメント(0) | page top↑
27.c.
2013 / 11 / 12 ( Tue )
 そのまま二人は滑らかに人混みの中を通り抜けて行った。というよりも、人々が青年の為に道を開けるのである。しばらく経つと視界は開け、水音が響く場所に出た。

 大きな白い円型の噴水、その中心の魚のオブジェから水が噴き出している。縁に座るのは食べ物を手にした男女のカップルか子連れの家族という組み合わせ、又は一人で誰かを待っているらしい人たちが大多数である。

「さ、ここだよ。本当は冬に備えてそろそろ噴水も停止されるんだけど。まだやってるとはね。寒かったらゴメンね」
 青年は縁の空いてる場所にまずはミスリアを座らせてから、自分も隣に優雅に腰を下ろした。太腿同士が触れる近距離にである。
「ご親切にありがとうございます。もう私は一人で大丈夫です」
 ミスリアは努めて平静に言った。それから、もう少し距離を離そうと身をよじる。

「そう?」
 せっかく離れようとしたのに、青年は自ら顔を近付けてきた。
「は、はい。貴方の貴重なお時間をこれ以上取る訳には……行きませんし……」
「気にしなくていいよー、そんなことは。僕が君の連れに会ってみたいってだけだからね」
 意気揚々と答える青年に対してミスリアは笑みだけを返した。どうあっても彼は付き合う気らしい。

 それからは、静かに広場の人々を見回す時間になった。と言っても、ミスリアはどうにも落ち着いて座っていられなかった。本当にゲズゥが此処に来るのかという不安もあるが、単にこの青年の隣に座っているのが落ち着かないのである。通り過ぎる人々を観察するはずが、逆に皆がこちらに好奇の視線を向けてくる。時折、青年の顔見知りらしい人間が手を振ったりもする。好奇の視線を受ける度に、きっと自分のような小娘がこんな美青年の隣に座っているのがおこがましいのだ、みたいな苦悩がミスリアを苛む。

 サァァ――という噴水の音が背中に当たり、時々水しぶきが後ろ髪に飛びつく。

(早く来ないかな)
 隣の青年の横顔を目に入れると何故かドキドキするので、人混みを眺めるのに疲れた時には、代わりに地面などに視線を注いだ。
(……指輪が)
 青年が右手の小指に宝石をあしらった指輪を付けているのが視界の端に見えた。小さな宝石の複雑な光沢は初めて見るものだ。眺める者の心を奪う輝きである。まるで、持ち主の瞳と同じ――。

「この指輪が珍しい?」
 いきなりの青年の声に、ミスリアは肩を震わせた。
「デマントイド・ガーネットって石だよ。僕の目の色に似ているからって、商人に強引に売り付けられたんだ」
「そうなんですか。綺麗な緑色ですね」

「……んー、やっぱ女の貢物だったかなぁ。自分だと思って大切にして下さいって泣き付かれてさー」
 青年は思い出す素振りを見せた。真剣なのかどうかよくわからない表情だった。
「す、すごく情熱的な方だったんですね」

「あははは。ホントはね、どっかの町で見つけて、気に入ったから適当に買っただけ。その程度の、大して面白くも何とも無い話だよ」
 悪びれずに青年はころころ笑う。

(……この人は何なの)
 次々と嘘を吐かれ、終いには何が本当なのか見失ったというのに、怒る気が起きなかった。
 彼の一挙一動にいちいち動悸がおかしくなる。笑顔を目にする都度に目がくらむ。ミスリアは膝の上で両手を握り合わせ、気をしっかり持とう、と自分に言い聞かせた。

「あ、そういえば名乗ってなかったね。僕はリーデン・ユラス。君は?」
 ふいに顔を覗き込まれ、やはりミスリアはどきりとした。
「私はミスリア・ノイラートと申します。リーデンさん」

「ふうん。かわいい名前だね」青年は目を細めて笑った。「ところでさ、お迎えさん来たみたいだよ。良かったね?」
「えっ」
 リーデンの目を追った。すると二人の正面に、いつの間にか大きな人影が立っていた。

(――!?)
 常に無表情なゲズゥにしては鬼の形相である。
 驚きのあまり、ミスリアは怯んだ。というより純粋に怖い。

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27.b.
2013 / 10 / 31 ( Thu )
 ――絶世の美青年!
 そんな言い回しが許されるなら、まさにこういう人の為に使うべきなのだろう。むしろ、他に何と表現すればいいのかわからなかった。

「まあ、君が転んだのは僕がぶつかったからだよね。謝らなくていいよ」
 青年がとろけるような笑顔を浮かべたせいか、ミスリアは見惚れて返事を返せない。

 歳は十代後半くらいだろうか。明るい緑色の瞳は宝石よりも美しく、長い睫毛に縁取られている。スッと通った鼻筋や艶やかに吊り上がる薄い唇、全ての顔のパーツは絶妙に位置付けられ対照的に並んでいる。

 どちらかといえば繊細な美貌でも、涼しげな目元や輪郭や眉の形など、随所に男らしい凛々しさも表れている。本来ならば女性らしく見えるであろう大きな輪っかの耳飾が、この人の場合は不思議ととても似合っていた。

 ミスリアは自分は人の造形美に執着しない方だと自覚している。けれども、この青年のそれには絶対に無視できない引力があった。周りの人々も、彼の前をすれ違う一瞬だけ、サッサと歩く足をつい止めてしまう。
 人の顔に見惚れて腰を抜かすこともあるのだと、生まれて初めてミスリアは思い知った。

「あの……ええと、いいえ。す、すみません。ジロジロ見られるなんて不快ですよね」
 未だかつてない程しどろもどろと返事をしつつ、目を泳がせつつ、差し出された手を取る。意外とその皮膚はタコや傷やらでざらついていた。
「ううん、別に? 慣れてるよ」
 青年はあっけらかんと答えた。それを聞いて、躊躇いがちに目を合わせた。

(……本当にキレイな人)
 大陸中によく見るプラチナブロンドとは明らかに異なる、銀色に輝く柔らかそうな髪が印象的だ。段の入った髪型で、首筋に沿った襟足の毛先が不揃いに流れている。

(衣服は麻じゃない……見たことの無い生地。華やかだわ)
 青年は、この町に入ってから時々目にするようになった、地方の衣装と思しき珍しい服を着ている。

 光沢を放つベビーブルー色の布地に白と銀糸の刺繍。紺色の詰襟は首元から右脇へと続き、その境目には花の模様みたいな形のボタンが二個、交差している。袖口は広く、手の甲にかかるほど長い。角度によっては腕輪が袖に隠れて見えない。腰を回る紺色の帯からは、掌よりも大きい銀の輪がいくつか下げられている。

 服との統一性が高い装飾品の中に一つだけ、浮いている物があった。
 幾つもの逆三角型の黒曜石――よく見たら中心の一番大きいのは矢じりに似ている――をターコイズのビーズで挟んだネックレスである。本人にとって何か特別な物かな、と何となく思った。

 青年はにこにこ笑いながらミスリアをぐいっと地面から引き上げた。繊細な美貌からは想像付かない力だ。
 ミスリアは感謝を込めて一礼した。その手を、青年は何故か離さない。

「ところでお嬢さんは何か困ってるのかな。顔に書いてあるよ」
「はい?」
「よかったら相談にのるけど?」
 透明な声に、甘やかな笑顔に、ミスリアは抗うことができなかった。抗いたいとも思わない。

「……実は旅の連れとはぐれてしまって」
「どんな人?」
「二十歳ぐらいの、背の高い男の人です。漆黒の髪と瞳と、濃い肌色をしています。顔は端整……だとは思うんですけど、凄く不愛想で……後は、大きな剣を背負ってるはずです」

「ふう、ん。なぁるほどねぇ」
 彼は一体何に納得したのだろう? ミスリアは僅かに首を傾げた。
「ザンネン、僕は見てないな。見てたら、忘れないと思う」
 青年は悪戯っぽく笑った。

「こんな所で大変だねー。向こうの噴水広場で待つのがいいと思うよ。有名な待ち合わせ場所だから、連れの人もその内気付いて目指すんじゃないかな」
「待ち合わせ場所ですか……」

 町の地図を買わなかったのは、何故かゲズゥには必要が無かったからである。訊かなかったけれど、彼はこの町を知っているのかもしれない。だったら、有名な集合スポットも知っていると考えられる。

 ミスリアにはどちらとも判断できない。ゼテミアン公国を出て以来、ゲズゥは何かを探っているような、追っているような曖昧な道筋を進んだ。行き先を最初から決めていなかったのか、何度も方向を改め、やっとイマリナ=タユスに着いたのである。

「うん。こんなとこで人波に揉まれててもしょうがないんじゃない? とりあえず行ってみようね」
 青年はごく自然にミスリアの手を引いた。



補足:この人の着てる服は満州民族衣装にインスパイアされてます。裾が長いです。
あー大陸で一番普及してる織物は麻、ウール、その他、って感じになります。多分。

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