27.g.
2013 / 12 / 05 ( Thu )
 ついに六つの錠を外したリーデンが、扉の取っ手を九十度ほど時計回りに回して、引いた。ガゴゴ、と鈍い音を立てて扉が地面を擦る。

「さー、どうぞいらっしゃい」
 楽し気にリーデンは言う。
「お邪魔します」

 扉が全開になると、ミスリアは驚きに目を瞬いた。扉の向こうは明るかった。殺風景な部屋のたった一つのテーブルの上には灯された蝋燭が幾つも置かれている。初めて見るような細かい形の蝋燭立てばかりで、それだけでテーブルにはどこかお洒落な印象が出る。
 数秒経って扉は自動的にまた閉じた。

「ただいまー、マリちゃん」
 リーデンは奥の方に向けて声を飛ばしている。人の気配は相変わらず無いのに、人が居るのはミスリアにもわかっていた。そうでなければ蝋燭が点いてなどいない。溶けた蝋の量は少なく、出かける前にリーデンが点けっぱなしにしたという線は可能性が薄い。

「あれ、聴こえてないのかな。マリちゃーん」
 再度リーデンが呼ばわる内に、ミスリアは部屋の中を一通り見回してみた。

 四方の壁に、布カーテンのかかった棚らしきものが所狭しと並べられている。家具と言えば楕円形の食卓とそれを囲む六つの椅子、それから奥の壁際に長椅子が一つだけ。後は床に水瓶や盥があるだけで、まるで娯楽性や生活感すら漂わない居住空間である。寝室や台所が別の部屋にあるのだとしても、パッと見では見つけることができない。

 それもカーテンの所為かもしれない。別の部屋と繋がる出入り口が一貫して布に覆われている。
 そのバーガンディ色の布の一つがめくれ、背の高い女性が姿を現した。それと共に香ばしい料理の香りが流れてきた。

 女性は脇下まである長い紅褐色の髪を三つ編みにまとめ、前髪をヘアバンドで抑えている。黄褐色の肌色が蝋燭の灯りに照らされて輝いたように見えた。
 彼女はリーデンの姿を認めるなり、頬を緩ませた。次いで、一跳びでその胸の中に飛び込む。

「あはは、マリちゃんは甘えん坊だなぁ」
 リーデンは女性の額に口づけを落とした。平均的な成人男性より少し身長のあるリーデンの目線に頭が届く程だから、女性もかなりの高身長だ。

「ヤシュレに居た時、奴隷商を襲ったついでに拾ったんだよ。名前が無かったからこの町の名前から取ってイマリナ。略してマリちゃんだよ、よろしくね」
 リーデンがイマリナの頭に手をのせて半ば強引にお辞儀させている。と言ってもイマリナも素直に従っているが。

「よ、よろしくお願いします。ミスリア・ノイラートです」
 何とも反応し難い紹介内容に困りながらも、ミスリアはスカートを広げて礼を返した。

(奴隷商を襲ったついでって、どういうことなの……!?)
 ヤシュレ公国もまたディーナジャーヤの属国の一つであり、かつては数多くの少数民族が住んでいた地である。しかし時代の流れは残酷で、彼らはやがて奴隷として狩られ、今となってはヤシュレからの帝国への献上品として認識されている。

 イマリナの喉元にも焼印の跡がある。リーデンに解放された奴隷、ってことになるだろうか。
 ――喉元?

「マリちゃんは口が堅いから、ここではどんな内緒話をしても平気だよ。ぶっちゃけ、大昔の喉の傷で声が出ないらしいんだよね」
「そんな、ひどい……」

「気にしなくていーよ。この子も今は全然不自由なんてしてない。手話なら通じるし、文字も多少はわかる」
 まるで見計らったかのように、イマリナがにっこり笑った。少し吊り上がった細い眉、丸い上瞼、垂れ気味の黒い瞳、厚めの頬骨、低い鼻、大きな唇。それらが全部、彼女の微笑みをより柔らかく優しいものに見せていた。

 ただ、リーデンよりは年上に見える彼女を彼が「子」と呼んでいるのは何かの愛情表現かな、と疑問に思った。

「それより僕は君の話が聞きたいな? 聖女さん」
 一瞬にしてミスリアの首の後ろが硬くなった。
「……私、自分が聖女だって言いました?」
 服装も普通の町娘と何ら変わらないはずである。

 何故こんなに焦るのか、わからなかった。
 一方で部屋に入ってからずっと隅に陣取っていたゲズゥは、腕を組んだ姿勢で微動だにしない。

「言ってないよ。でも『天下の大罪人』が小さな聖女さんのおかげで命拾いしたって話は小耳に挟んだし、そうかなって思ってね。シャスヴォルはこのことが外に漏れないように隠蔽しようと動いたみたいだけど、見物人の口にまでチャックをするのは不可能だね」
 呆れたように肩を竦めてリーデンは頭を振った。弾みでしゃらしゃらと輪っかの耳飾が鳴る。

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