25.a.
2013 / 08 / 02 ( Fri )
――油断した、と悟った時にはもう遅かった。
 顔面めがけて斬り付けてくる剣をしゃがんで避け、左手を地面について側転の動作に入った。蹴りあげた足首を敵のうなじに絡ませ、回転に巻き込んで水面に叩きつける。

「すばしっこいな、このっ……」
 背後から襲い掛かる二人目の敵に足払いをかけ、更に三人目を肘で殴り飛ばして、ようやくゲズゥ・スディルは現状確認をする為に一息つけた。

 水が岩を打つ音が周囲に反響している。正面には高さ10ヤード以上の滝があって、その水が流れつく小川の中にゲズゥは直立していた。かなり冷たい水が脛の周りを通り抜けているが、その冷たさは淡水であるからだけではなく秋の訪れが近いからだろう。
 両岸は隙間なく緑に覆われ、朝日が漏れる箇所もまばら、襲撃者が身を隠すにはもってこいの場所だ。

 それでも雑魚が三人ぐらい来たって、数十秒で倒せたが。
 一度深呼吸して、滝水の音の壁より外へ意識をやった。音が邪魔で感じ取りにくいが、どこにも人の気配がしない。紛れも無くもう遅かった。
 ゲズゥが油断したのはこの雑魚ども相手にではない、ミスリアの方への注意を怠ったことにある。

 鋭く舌打ちした。
 着替えたいと言ったミスリアから離れたのは数分程度。普段なら背を向けて待ったものの、ちょうど水筒が空になっていたからその間にゲズゥは滝の水で水筒を補充しようと考えたのだ。
 それが彼女の傍で何か異変があったと気付いて戻ろうとした途端、奇襲されてこのざまだ。

 ――この状況は何だ。さらわれたとでも言うのか。

 その瞬間、確かにゲズゥは眩暈を覚えた。少なからず動揺している。
 旅する聖女の護衛という肩書に甘んじている以上、護るべき対象が失われた場合、どうすればいいのかわからなかった。

 真っ先に思い浮かんだ選択肢は二つある。
 解放されたと喜び、このまま行方をくらまして好きに生きるか。
 護るべき少女を取り戻す為に奔走するか。

 思わず右手でこめかみを抑えた。
 するとこちらの思考とは無関係に、青緑に輝くトンボがぶぶーんと羽音を立てて視界に入った。まるでゲズゥを睨むように正面に止まって忙しなく羽ばたいている。何故だか、決断を迫られている気がした。

 例えば前者を選んだとする。三度目の投獄以前の生活に戻ることになるだろう。
 ……生活? 
 果たして自分には戻るほどの日々があっただろうか。もはや遠い昔のように感じられた。

 やはり後者しかないかと考え――こんな時だが、少し前の会話が脳裏に蘇った。

 ――オレとお前は確かに境遇が似ているし、だからこそそれなりに気が合った。だけど覚えとけよ、お前を救える人間が居るとしたらそれは外側からでないとダメだ。
 ――そういうお前はこれからどうする気だ。
 ――くすぶる恨みはまだ残ってるけどな、ケジメつけるよりこの町でぼへーっと過ごしてた方が多分オレには合ってるんじゃないかな。
 ――ぼへー……。働き過ぎて過労死するなよ。
 ――しないって。その前にヨン姉に叩き殺されるだろーし。ま、とにかく、嬢ちゃんをちゃんと大事にしてやれよ。役目なんだろ?

 エンが言っていた「外側」の意味はわかりそうでわからなかった。
 ただ、ここで何もしなかったら自分の今後の一生、一切の選択肢がなくなりそうな気がした。そして、行方をくらますのは急がなくてもできるが、ミスリアを救いたければ一時も立ち止まっていられないだろう。

 気が付けば襲撃者の一人の胸ぐらを掴んでいた。ざばっと音を立てて男を水中から引き上げる。冷たい水飛沫がそこら中に跳ねた。

「どこへ向かった」
 主語を抜いて、抑揚の無い声でゲズゥは問い詰めた。奴の両手がゲズゥの手首にかかるが、全く問題にならない程度の腕力である。次に蹴ったり暴れたりして抵抗を試みているようだが、体勢が不利なせいかこれまた弱い。
「私は何も話しませんっ」
 賊のような身なりに似合わず丁寧な発音の南の共通語だった。

 「そうか」とだけ呟いてゲズゥは片手で素早く短剣を抜き、日頃からよく研いでいる刃を男の顎の下に当てた。

「ひいっ。ちょ、殺しちゃったらわからないんじゃないですか!」
「お前が死んでも後二人いる」
 刃をぐいっと押し当て、近くで呻いている他二人の襲撃者を目頭で示した。殺しは駄目だとミスリアにさんざん念を押されているが、どうせ今この場に居ないのだから多少は妥協してもいいとゲズゥは考える。

「わ、わかりましたよ! 言いますから! 殺さないでください!」
 男は青ざめて叫んだ。ゲズゥはただ男を射抜くように睨んだ。
「……ウペティギ様の城です」
 冗談みたいな名前だと思いつつ、誰だ、と訊き返すと男は小ばかにするように鼻で笑った。
「大公家と縁ある血筋の貴族さまですよ、知らないんですか?」

「城はどこだ」
 無視して問うた。貴族の血筋などどうでもいい、そんなものを聞いても名前と一緒にすかさず忘れそうである。
「誰がそこまで喋ると思っ――いたた、痛い、血が出てる! やめて! 言います!」
 押し当てた刃を僅かに引いたのが効いた。

 涙浮かべる男の返答を聞いて、これは面倒なことになった、とゲズゥは顔には出さずにげんなりした。

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