24.e.
2013 / 07 / 26 ( Fri ) ズボンを軽くはたいてからスッと背を伸ばした。直立してしまえば身長差はより際立ったものになり、女はあんぐりと口を開けたままゲズゥを見上げた。
何か頼みたいことがあるのなら早く言え、とゲズゥは視線で威圧する。女はみるみる青ざめていったが、両手を握り合わせ、ごくりと喉を鳴らしては発話した。 「そ、その、男性の方が今誰も居なくて。窓の外側を拭きたいのですが、二階の窓は私たちだけでは届きにくいのです。貴方は十分に背も高いですし、もしお時間があればお願いします……」 言い終わると女は恥ずかしそうに視線を地に落とした。 ゲズゥは首を鳴らしつつ考慮した。窓拭きぐらいなら、メリットさえあれば手を貸してやらないこともない。 「……勿論、ただでとは言いません! お礼に焼きたてのケーキやクッキーをいくらでも」 こちらが何か条件を言い出すより先に女が提案した。 「肉がいい」 と、答えた。ゲズゥは味の濃い食べ物が苦手である。とりわけ、女が作る焼き菓子は甘すぎると決まっている。腹にたまりもしないくせに胸やけばかりする。 「わかりました。市場もまだ開いてますし、お好きな肉を買ってきます」 「じゃあ、鳩」 この町で奴らが飛び回ってるのを見てる内に食べたくなってきた、というのは短絡かもしれないが、事実だった。 「はい! ありがとうございます!」 女は快諾した。 かくして、ゲズゥは長い梯子に上り、教会の窓を酢と古紙で磨くことになった。 わざわざこちらの望む物を買って礼をするほどである。それに見合う労働をさせられるだろうと頭の片隅では予想していたが、まさしくその通りだった。変な形の窓や体勢的に届きにくい位置にある小さい窓、終いにはあの聖堂に面している大きな染めガラスの窓が、ゲズゥに苦戦を強いた。 そして気が付けば夢中になっていた。ゲズゥは自分を結構大雑把だと評しているが、なかなかどうして、この類の作業だけは何故か本気で取り組まなければ気が済まない。 剣の手入れも一度たりとも手を抜いたことは無い。毎度、刃が眩い煌めきを放つまで徹底的に磨いてしまう。 もう陽も傾きかけているのに、ゲズゥは構わずに目の前の細かい汚れとばかり戦った。ガラスに顔を寄せ、酢の入った瓶を左手に、丸めた古紙を右手に握って。背後ではカラスがのんびり鳴いている。 「なあ、そんなに睨んだらせっかく磨いた窓に穴が開くんじゃねーの」 聴き慣れたハスキーボイスが頭にかかった。 チラリと視線を上へやると、にやにや笑うエンがいつの間にか屋根に立っていた。無造作な黒髪が微風に撫でられ揺れている。 「うーわ。酢くさっ」 「……お前もやるか」 「やらねーよ。それよりもうすぐ終わるん?」 エンは時計塔の天辺を飾る教団の象徴に肘を乗せ、狭い面積の屋根の上でバランスを取っているらしい。片腕だけを十字架から離し、肩にかけたずだ袋から小さいボトルを取り出した。仄めかすようにボトルを振っている。 「コイツで最後だ」 「じゃあ待ってるから終わったら付き合え。この町で作ってるシェリー酒だってさ」 そう答えてエンは時計塔から広い屋根の上へ移ってごろんと横になった。 シェリーといえば果物の甘味が難点だが、強い酒で、しかも安くは無い。興味は惹かれる。 すっかり興味の対象が窓から酒へと移ったことで、後は適当に拭いて終わらせた。 「こんなもんどこで手に入れたって訊きたそうだな」 屋根に上ると、エンは上体を起こして言った。 「それより使える金があったのか」 その隣に、ゲズゥはどかっと胡坐をかいた。 「んー? 日払いの工事の仕事とかで稼いだ」 「…………仕事?」 「後は町の端の麦畑が人手不足って言うから、行ってみたぜ。単調な作業ばっかだけどそれがまた面白いな。子供の頃は身体が弱かったから望んでもそういうの手伝えなかったし」 心底楽しそうな笑顔を浮かべ、エンがボトルを差し出してきた。言われてみれば、前より少し肌が日に焼けている気がする。屋外で仕事していたからだろう。 ゲズゥはボトルを受け取り、一口シェリーを喉に流し込んだ。次いでボトルの中を覗き込んだ。ドライタイプで、色は濃く、予想していたほど甘くない。嬉しい誤算である。 「実は夜も食物庫の門番の仕事引き受けてんだ。身元とか関係なく雇ってくれるのが助かるよ」 エンは屈託のない笑顔を満面に広げている。 働きづめな生活をこれほど喜べる人間を、ゲズゥは他に知らない。 この男は余程賊の生き方が性に合っていなかったように思う。ぶっ倒れるまで働き、物を生産して恍惚になる種の人間の話しぶりである。というよりも、これまで働く機会が無かったからこその反応か。洞窟の中では時折退屈そうな目をしていた理由が、今ならわかる気がした。 「にしたって、いい町だよなー。安全だし」 「確かに、そうだな」 後半に対してゲズゥは賛同した。町の良し悪しなどわからないが、治安が良いのは間違いない。強力な結界で魔物は中に入れないし、人々からは犯罪の気配が薄い。それはもう稀に感じる薄さだ。妙な町である。 「あ、あれって確か」エンは唐突に道を歩く人を凝視し出した。「おーい、鍛冶屋の弟子の兄ちゃん。ラノグ、だっけかー?」 呼ばれた人物は頭を振り仰ぎ、意外そうな顔をしてから、笑って手を振り返した。 |
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