53.i.
2016 / 02 / 28 ( Sun )
 初見では見分けがつかないくらいに人の形をしている。ただし首は前後百八十度に捩れ、あちこちの関節が外れていた。身体を地面に縫い付ける槍の束縛から逃れたくてひとしきり暴れた後、力尽きてしまったのだと考えられよう。

(むごい…………)
 いたたまれなくなり、ミスリアは手をかざした。
 黄金の輝きが異形のモノを銀粒子へと還す瞬間、残留思念のようなものが脳裏に閃く。

 その者は、窃盗を繰り返して生活していた。「稼ぐ」際に被害者と揉めて、暴力沙汰に発展することもあった。一つ一つの罪はそれほど重くなくても、彼は幾度となく首都の警察から逃れた。それでジュリノイの手配犯リストに載るに至ったようだ。

 罪に対して罰の方が重すぎたのである。
 あの四人組に捕まり、非を認め罪を告白するまでいたぶられ、それでも解放されることなく死に追いやられた。
 絶望はそこで終わらない。元々背負っていた業に彼自身の世界を憎む負の感情などが重なり、窃盗犯は魔物に転じた。

 対象が魔物となっても、少年たちの暴行は止まるどころかエスカレートした。むしろ彼らは、それを期待して待っていた。要するに、罪人の魔物化を促したのである。

(懲罰なんかじゃない。折檻という枠にすら収まらない。ただの拷問だわ)
 ミスリアは左手で口元を押さえ、嗚咽を押し殺した。飲み込まれてはいけない。集中が乱れてしまえば正しく彼の魂を救済することは叶わないのだから。

 まるで呪縛のように「快楽殺人」の概念が、その場に漂っていた。
 思えば少年たちは逃げはしても、言い訳は述べなかった。抵抗したからやむなく殺した、みたいな嘘の一つすらなく。彼らは全てわかっていて行為に及んだのである。
 沸々と喉の奥に溜まる澱が、憤りが、ミスリアを蝕んだ。

 ――ガッ!
 衝撃音で、我に返る。
 足元の闇が残らず銀色の燐光になったことを認め、ミスリアは踵を返した。音は階段の方からだ。地上に逃げようとする魔物を、ゲズゥが追っている。二つの影はあっという間に見えなくなった。

 追いかけて、階段を駆け上がる。
 女性の悲鳴が夜を裂いた。

(しまった、人が!?)
 急いで階段を上りきると、想像していた最悪の事態とは違う場面に遭遇した。
 人間と見間違うような小柄な魔物が、胴体らしき部分と下半身らしき部分をすっぱりと切り離されて、どす黒い液体を傷口から噴いている。勿論、それは大剣を振り下ろした青年の仕業であった。
 その体液をまともに浴びせられているうら若い女性が一人。恐怖のあまりに硬直している。

(何か言わなきゃ)
 と思うのに、ミスリアは金縛りにあったように何もできなかった。
 二分(にぶん)された魔物は呻いている。ゲズゥは再び剣を振り上げた。
「ひとごろしっ」
 女性は呟くような小声で吐き捨てた。けれども鋭い非難を無視して、剣は軌道を辿り切る。ドロドロとした液体がまた散った。

「ひいいいい」
 叫びながらも女性はその場に腰が抜けた。それでも這って離れようとしている。
「待ってください! 違うんです」
 やっと声を取り戻せたミスリアが呼び止める。思わず腕を伸ばし――そして女性の向こうの闇から、すうっと松明を持った背の高い男性が現れるのを見た。

 厳かそうな、彫りの深い顔立ち。白と青銅色の混じった髪の上には茜色の丸い帽子(カロッタ)を被っている。男性は状況を把握せんと、ぐるりと辺りを瞥見した。

「猊下!」
「何事です」
 女性は跪いた体勢で年配の男性に縋った。男性は聖職者特有の、裾の長い黒装束を身に纏っている。
「あの男が! その者を真っ二つにぃ! ひっ、ひと、人殺しです。お逃げください!」
「なんと」
 猊下と呼ばれた男性の碧眼に強い警戒が宿る。女性を庇い、彼は力強い足取りで前に進み出た。

 よく見ると、黒装束に茜色の絹の帯が巻かれていた。
 高位の聖職者だけが身に纏う衣装。彼が何者であるかを認めて、ミスリアは青ざめた。

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