53.h.
2016 / 02 / 27 ( Sat ) 「行きましょう」
その一言を絞り出した途端に走り出していた。通り過ぎる景色や建物の並びに一切注意を割かない。 (どこ……どこなの) もうほとんど距離は縮め切ったはずなのに、特定できずにいた。息が切れ切れになるまで走り回り、やっと別の可能性に思い当たる。 「地下! 地下への入り口を探してください」 指示しながらも自分も周囲を見回した。すっかり陽が落ちてしまって視界は闇に浸食されている。建物の傍に四角い出入口を求めるが、みつからない。 ふいに手を引かれた。 「向こうの廃屋の裏庭はどうだ」 夜目の利くゲズゥが先導する。確かに、手入れの行き届いていない小さな草原の端には植物の生えていない箇所があった。 木の戸に古びた取っ手がある。両手で掴んで引き上げてみたが、内から鍵がかけられているのか、けたたましい音を立てるだけでびくともしない。 「――っ」 ミスリアは汚れるのも厭わずに戸に耳を当てる。 すると、奥からは獣の慟哭みたいなものが響いてくるではないか。肺の深いところに鉛を落とすような痛切な音だった。 「ここで間違いありません!」 「どいていろ」 端的な言葉に素直に応じた。瞬く間に青年は高く跳び上がり、体重に落下の勢いを加えて戸を蹴り破いた。 破片を手早く退けてから、二人は地下へ続く階段を下りる。そこから先の会話は全て、囁く程度の音量でこなした。 「灯りが無い」 「火で照らすのは控えましょう。ちょっと邪道ですが、聖気を少しだけ使います」 ミスリアは黄金の燐光を微かに纏って、歩を進める。階段は二十段前後あった。二人並んで通っても余裕が残るくらいに広い。 息を潜めて歩く。 階下からは複数の笑い声がした。いつの間にか慟哭はぱたりと止んでしまっている。残る音は―― ――泣き声だ。 「たす……た、すけて」 「やーだね」 若々しい笑い声が必死な命乞いをはねのける。 「ひっ! たすけ……たすけてください! もうしません! もう、うっ。うあああああ」 耳をつんざく絶叫。 たまらなくなってミスリアは残る数段を駆け下りた。下には血の臭いが充満していた。 燭台がじんわりと照らし出す光景、それは。 地を這う男性、群がる人影。その内の一人がこちらに目を向けた。髪をかき上げる仕草が妙にさまになっていて、暗がりの中でも、見覚えがあるとハッキリわかる青年。 誰何するまでもなく、昼間出会った四人組だ。彼らは男性を踏みにじり、随所に剣を刺して身動きを封じ、蹂躙していた。もはや虫の息である。 (何をしてるの。なにを、してるの) 言葉が舌から転がり落ちることは無かった。 断末魔は産声となる。 肉体から命が喪われ、なのに魂の方は去ることができずに魔に変質する。変容は、新たな死体をも巻き込んでいった。 全身から鳥肌が立った。おぞましい。なんて、おぞましい。 「大きな音はあなたがたでしたか。思ったより早い再会ですね」 「やーいやーい、見つかっちった」 「ずらかるぜー」 「おい、さっさと行くぞバカども」 魔物の悲鳴にかき消され、四人の言葉はミスリアの耳に入らなかった。 強大過ぎる怒りの感情に、身体が押し潰される。 初めてだ。こんなに、誰かを、許せないと思ったのは。激情のあまりに、四肢が痙攣しかけた。 遠くで――ではなく、近くで呼ぶ声がする。冷水のように落ち着いた声が、たしなめるように命じた。 「ミスリア。呼吸」 「……わ、かってます」 燭台だけ残して、四人の姿はもう何処にも無かった。奥に別の出入口があるのかもしれない。取り逃がしたのは、己の失態だ。しかし彼らを追うよりもすべきことはあった。 前方で、唸りながら影がぎこちなく起き上がっている。この空間内には彼の他にも、まだ気配を感じる。 「斬るぞ」 ゲズゥが行動する前に告げた。深呼吸の後、答える。 「お願いします」 せめて早々に楽にしてあげねばならない。 数秒だけ、周りを一瞥する為の時間を使った。 おそらくこれは竜巻という天災が多発しやすい土地でよく見られる、地下避難所であろう。廃屋の傍だとしてもこの避難所は今でも使われているのか、日持ちの良い食物や飲み水の貯まった樽が壁にびっしりと並べられ、藁の枕などが積んであった。二十人、或いは四家族分の備えだ。 人命を守るのを本来の目的とする場所が、拷問に利用されていた。 信じられない所業である。 壁際にも、無数の槍を刺されて動けなくなっている人が居た。 ――否。人では、ない。 |
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