五 - e.
2017 / 05 / 18 ( Thu )
(口説かれているのだとしても……)
 検証の仕方がわからないのが本音である。これまでの人生を振り返ってみても、異性にこんなことを言われたのは初めてだった。
 それもそのはず、公女という身分が壁となっていたのだ。兄弟の友人も、宮殿に仕える使用人も役人も、たまに会話してくれた兵士や護衛ですら、一線を引いて接してきた。

 引き合いに出せるものと言えば、経験ではなく聞いた話か架空の物語。しかしそこからも役に立つ情報は得られない――相手の真意を測る為に欠かせないとされるのは「顔」で、この場合は、赤面をしているのか否かだ。
 残念ながら元々エランは褐色肌で顔色が窺いづらい上、もう日はほとんど暮れてしまっていて暗い。蝋燭の明かりの中では、誰であっても赤みを帯びているように見えよう。

(水蒸気も邪魔ね。払いたいけど、手で煽いだら挙動不審か)
 残された手段は言葉で本意を引き出すくらいである。
 いくら歯に衣着せぬセリカでも直接訊くのはさすがに憚れる。けれども、喋って欲しいと彼は言った。この機会に思い切ってひとつ核心に迫る問答をしてもバチは当たらないのではないか?

「……あのね。だったらあんたに……訊きたいことがあるわ」
 目線を彷徨わせて呟く。
「何だ」
 靄が僅かに薄まった。こちらに首を巡らせた青年は、いかにも答えてくれそうな姿勢を見せている。

 セリカはすぐには言葉を組み立てることができず、膝上に両手を握らせたり、貴金属の腕輪を触ったりした。
 沈黙が重い。
 間を置けば置くほど言い出すのが難しくなりそうだ。意を決し、勢い込んで声量を上げる。

「こ、この際だからはっきり教えて。エランは結婚相手に、何を求めてるの」
 青灰色の瞳を真っ直ぐに見つめて訊ねた。
 不意を突いたらしい。あれほど穏やかに続いていた呼吸が突如として乱れ、青年は二、三度咳き込んだ。散った水蒸気からタバコの甘ったるくて濃密な香りが漂う。他人の吐いた息をそっくりそのまま自分の中に取り込んでいるみたいで、セリカは落ち着かない心持ちになる。

「……――いきなりそれを訊かれると答えづらい」
 その声がどこか恨めしそうに聴こえたのは、気のせいだろうか。それとも噎せて息苦しいだけなのか。
「そうかしら」
「ならお前はどうなんだ」
 矛先を向けられて、セリカは怯んだ。

「う、わ……わかったわよ。じゃああたしから話す……から」
 今更ながら、なんて話を切り出してしまったんだと後悔した。相手に求める分だけ、己も本心を明かすのが道理である。
(ええと、何を求めているか、ね。あたしは婚約者にどうして欲しいんだっけ)
 言葉を探る。恥ずかしさに眩暈がする――酒が回ってきたからかもしれないが。やっぱりこの話は無かったことにしようかと、一瞬迷って、思い直す。

 ――取り消せない。だって自分は、知りたいのだから。
 そして多分、知って欲しくもあるのだろう。

「あたしは、ね。リューキネ公女が愛妾って名乗った時……まあ仕方ないと思ったわ」
 視界の端でエランが眉を吊り上げたのが目に入った。構わずに話し続ける。
「親が決めた婚姻だもの、不都合ばかりだろうなって最初から予想してたのよ。だから婚約者に、他に腕に抱きたい相手がいても……夫婦間に愛が育めなくても、義務を最低限果たせればそれでいいかなって」

 ここまで言って、空しさを覚える。
 セリカは膝を抱えて丸まった。宵闇を見上げて小さくため息を吐く。

「ほら、あたしってこんなだから、女社会にほとんど溶け込めないでいるわ。だからせめて結婚する男とはわかり合ってみたかった。恋愛じゃなくても良好な関係を――つまりあたしが欲しかったのは…………遊び相手? って言い方は、なんか変ね。えっと……相手をしてくれる人。姫らしさがどうとか言わずに、一緒に色んなことに付き合ってくれないかなって、ちょっと期待してた」

 愛情や友情が無くてもいい。足並みが揃わなくてもいい。時々構ってくれれば、それで充分だ。

「対等な関係じゃなくても我慢するから、女友達が付き合ってくれない遊びに――」
「何故、過去形で語る」
「え」
 反射的に視線を右横へ向けた。すぐ近くでエランは呆れたような顔をしていた。

「まるで望みを捨てたみたいに話すんだな。それくらいなら叶えてやれるが」
「え?」
 この独白は、笑い飛ばされるか流されるものかと思っていた。真剣に取り合ってもらえるものとは思わなかったので、セリカは間の抜けた返事しかできなかった。

「武術の稽古がしたくても、私は止めない。共に弓を引くのは無理だが……そうだ、遠乗りにでも行くか」
「ええ、遠乗り!? いいの!」
 食いつかずにはいられない提案である。思わず身を乗り出した。が、すぐに鼻先の近さに仰天して後退る。
 エランは苦笑して話を続けた。

「ルシャンフは限りない空と、雄大な大草原の地だ。馬を走らせると爽快だぞ。お前の知らない『自由』を見せてやろうか」
 挑戦的とも取れる笑み。
 対するセリカは、子供みたいに心が躍るのを自覚した。それはきっと双眸に、声や表情に、滲み出ていることだろう。

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