α.4.
2018 / 07 / 10 ( Tue ) ←前の話 →次の話
今回文字数多めですが、会話割合も多いです。 この「地球」は、我々の地球よりも体積が二回りくらい小さい感じをイメージしてます。 マスリューナ王国。 国民の八割が生まれつき「元素魔法」を扱う素質を持っているという、この世界で唯一無二の在り様を誇る一大国家だ。優れた知識と魔法がもたらすアドバンテージにより、千年前には既にその権威を周囲に知らしめ、いつしか他国の方からこぞって交流を持とうと競い始めたほどである。あれからさらに数百年経って、世情は移ろい、現在ではマスリューナの影響力も以前ほどではなくなっているが。そういった情勢の副作用のひとつが、言語の統一だった。遠い世界の裏側の、国にすら発展していない地域にまで、かの大国の母語が浸透した次第だ。 さて、魔法大国に住む民にとって、摩訶不思議な現象を引き起こす「魔法」とは、日常的で当たり前に生活に組み込まれているものである。 では風聞のみを知る外の人間にとってはどうか。アイヴォリは今まさに、それを新たに発見しているところだった。 「マスリューナって! 呪文唱えるだけで大地を爆発させられる超ド級に変な奴らが住んでんでしょ? 人間の皮をかぶってるだけの化け物だって、血が紫色だって聞いたわよ!?」 「そんな噂があるの!? 私たちは人間で血が赤いよ! 魔法は使うけど!」 ずいぶんな言われようだ。アイヴォリは涙目になって抗議した。 「つってもよ、いくらオレでも知ってっぞ、世界の裏側じゃねえか! バカにしてんのか!」 「してないわ! 本当に私はマスリューナにいたの! 生まれてから十六年間、首都を出たこともなかった!」 「箱入りかよ!」 「は、ハコイリの意味がわからない」 「言葉通りだろ、他にどんな意味があるってんだ」 「それがわからないって言ってるの!」 「箱に閉じ込められて大事に育てられたっつーんだろ、バカじゃねーの!」 「バカって『頭悪い』に代わる罵り文句だよね!? 『国』の意味も知らないあなたにだけは言われたくない! それと箱じゃないわ、王城だもん!」 「オマエ、城に住んでたんかよ!?」 「そうよ! 悪い!?」 口を利くべき相手ではないとひそかに思っていたのが嘘みたいに、気が付けばお互いに肩で息をして怒鳴り合っていた。呼吸が苦しくなりしばし休戦していたら、横合いから、しばらく発言していないアイリスが手を伸ばした。 「まあまあ。脱線したわね。訊きたいことが一気に増えたけど、要するにアイヴォリは魔法でここまで来たってこと?」 ――返答に窮した。 色々な意味で、なんと言えばいいか、アイヴォリは言葉に詰まった。やむなく正直にそれを伝える。 「ごめんなさい……自分でもよくわからないの。頭ぐちゃぐちゃで。もうしわけないけど、あなたたちをどこまで信用していいものかも、わからない……」 後半部分を聞いても、アイリスたちが気分を害することはなかった。隣の青年はただ肩を竦め、彼の右隣の少女は真っすぐな短髪を左右に揺らしながら、頭を振った。 「旧知の人間でも信用できるかは別問題だし、言葉の裏を疑うくらいでちょうどいいんじゃない。そっかあ、あなたでもどうなってるかわからないんじゃあたしらにはもっと意味不明よ」 「世界の裏側な、想像つかねーな。言葉通じてるだけでスゲーわ」 「ね。アイヴォリの知る魔法にそれっぽいのないの? 答えたかったらでいーわ」 「移動や転移ができる魔法はあるよ」 現在この世で使用される「魔法」は二つの枠に分類される。 まずは元素魔法。その名称が示唆する通り、四大元素――地、水、火、風――を意に添わせる方式の集大成だ。元素とは世の理の一部であり、人間の意識が媒体となって僅かに理を曲げることになる。 そしてそれを捻って、長い距離を楽に移動することは可能だ。が、たとえば風に乗って飛ぶにしても、人体が耐えうる速度限界のようなものが存在するし、魔法は利用するにあたってさまざまな制限もかかる。マスリューナからスクリザフ山をひとっ飛びしようにも、遥か及ばない地点で力尽きるだろう。 二つ目の分類――神聖魔法は、第五の幻の元素、創造の女神の分身と言われる精《エーテル》に呼びかけて奇跡を起こす力だ。元素魔法と違い、生まれ持った素質に頼らない分、厳しい戒律に従った生活を要する。戒律に従い正しく手順を踏めば理論上は誰にも使える。誰にも使えるその一方で、最も優れた神聖魔法の使い手は神官職に通ずる者ばかりとなる。 そのような神聖魔法であれば、転移魔法により瞬間移動は可能―― だが最も追究すべき問題は、方法そのものではない気がしてきた。 「できるかできないかより、誰が、何の為に、こんなことを。私を城から遠ざけて助けようとした人がいたとでも……」 言いながらもずきりと胸の奥が痛んだ。全世界で最も優れた魔法の使い手の内に含まれる、女王と王配が計らったとは考えにくい。他の誰かの仕業であっても、上述のふたりを優先的に救うべきであった。 思わず口元に手をやる。弾みで思い出してしまって、気分が悪い。人体は、裂かれればあんな風になる――帰らなければとあんなに切望していたのに、帰ったら息の根を止められるのではないかと、ドス黒い不安が頭の奥で渦巻いて広がった。 ――今の私には行き場がない。誰も、助けてはくれない――! 「なあ、オレらんとこに現れる前のことなんもおぼえてねーのか?」 カジオンの問いかけで、渦巻いていた黒い霧が薄まった。声のした方に顔を向けると、青年がじっと黒い視線をこちらに注いでいた。射すくめる鋭さではなく、観察しているような、値踏みしているような雰囲気だ。 アイヴォリは咳払いをして、答えを探した。 「直前にものすごく眩しい光に包まれたのはおぼえてる。そっか、それが発動の印……」こうやって冷静に思い返せば、新しい発見があるかもしれない。頭を抱え込んで、懸命に記憶の糸を手繰った。「あれはそう、白い光だったから、きっと神聖魔法だったんだわ。使い手の意思と自然に連動する元素魔法と違って神聖魔法は意思を『示す』必要がある……でも誰かの詠唱を聴いた記憶がない。もしや紀文で? 玉座の大広間にそんな、書けるものなんてあったかしら。あの混乱の中で」 「おぉう、何言ってるかゼンゼンわっかんね」 「そっとしてあげようね。アイヴォリは声に出して考えをまとめるタイプかもよ」 「大広間……血が飛んで……」 網膜に何かが閃いた。束の間の映像の再現だ。ひどく恐ろしく、吐き気のする光景だったが、耐えた。 「壁の方に。そうだわ、血しぶきがついて、その後に光……聖画が魔法発動の鍵だった? ううん、血がかかったのは玉座の背後を飾る女神の聖画じゃなくて横の――」 腕にそっと触れるぬくもりと「おい、そのくらいにしたらどーだ。真っ青んなってるぞ」の呼びかけが遠く感じられる。 ――流れるように長いひれと大きい目玉が美しい金魚が水彩絵の具で描かれていた、広間を飾る仕切り。 金魚の絵より下、小さく文字が書かれていたのをおぼえている。あれはただの詩だと思っていたけれど、もしも、魔法を顕現する紀文だったとしたならば。 (そんな方式、聞いたことない) 自分が知らないだけでは、存在しない確証たりえない。 (あの絵のモチーフとなった伝説は確か、訓話だった。なんてお話だったかしら……) ともかくも、もう少し熟考する時間が必要だ。 ――彼らの傍で。 青年の手をさりげなく払ってから、新たに話を切り出した。 「あの、アイリス、カジオン。ふたりはもう家に帰れないみたいだけど、これからどうするの?」 遠慮がちに訊ねると、彼らは顔を見合わせ、軽い調子で答えた。 「なんとかして生きるぜ、他にどうしろってんだ」 「当たり前のことから答えてんじゃないわ、カジ。そうね、あたしたちだけで森で暮らすのも悪くないけど、やっぱり他に人間がいた方が便利ね。どっか次の村か町でも探すわ。あんたはどうすんの?」 赤橙色の双眸が、まるで魂の奥まで見透かすように見つめる。その力強い輝きに気圧されて、アイヴォリはうなだれた。つくづく同じ顔なのが信じられない。 「……どうしたいか決められるまで、一緒にいてもいい?」 消え入りそうな声で願う。 さんざん心の中で彼らを見下ろしていながら、調子のいい頼みだとは思う。現状、他に縋れる相手がいないのだ。ひとりで森に残されたら明後日まで生きていけるはずがないことくらい、自覚の上だった。 返事を待つ間、胃がきりきりと痛んだ。幸い、待たされたのは数秒程度だった。 「別にいんじゃね」 「あたしもさんせー」 「あ、ありがとう」 拍子抜けするほど簡単に受け入れられた。 |
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