α.3.
2018 / 07 / 06 ( Fri )
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 謎の光によって城から飛ばされて以降「初めて」だらけに見舞われているアイヴォリ・セレマイナ・シャルトランであったが、その流れにはまだまだ続きがあった。
 屋外で、しかも地面に腰を下ろして食事をするのは初めてだ。女神への祈祷をせずに食べるのも初めてだ。熱が届く範囲にむき出しの焚き火があって、こんなに近くに他人が座っている状態で食べるのも、食器が一組しかない状況で食べ始めるのもまた、初めてだった。
(ま……回し飲み!?)
 自称・家族の男女は順にお椀と木製レードルを取っては四、五回ほどスープを啜り、次の者に渡すという行動に出ている。アイリスからカジオンへ、そしてカジオンからアイヴォリへと回って来た。
「ほらよ。アイヴォリ」
 絶句して、青年の差し出す物を見つめた。確かに空腹がひどくて頭痛すらするが、いくらなんでもこれは受け入れられない。先に彼らが食べたから別の毒見役の人間が要らないという意味では得したけれども。
「遠慮すんな」
 ――遠慮の問題じゃ……。
 硬直が解けなくて、何も言い返せない。
 すると、強引に持たされた。アイリスが水筒を押し付けて来たのと同じだ――呆然とそんなことを考えていたら、ぶるりと手首から先がひとりでに震えた。
 原因に思い当たり、危うくお椀と落としそうになる。
(やだ、男の人に触っ――しかも下々の、)
 人を殺めるような野蛮人の手に。
 嫌悪感がこみ上げる。起きがけの時は疲弊していて意識しなかったが、この男は雑巾を顔に投げつけたのだった。たとえ助けてくれた恩人なのだとしても、決して長く一緒に居たい人種ではない。
 早く帰らねば。その強い想いを原動力に、勇気を振り絞る。
「あの、他に食器があるかしら。私、もう少し小さいお椀とスプーンの方が食べやすいかな」
 苦し紛れだが、嘘をついてはいない。レードルはスープをよそう為の代物であって、普通は食す為に使わない。
「そんなもんないわよー。隙を見て何かしら持ち出せたってだけで、悠長に荷造りしてる余裕なかったし」
 あっけらかんと答えるアイリス。隣のカジオンが片膝を立てた姿勢で――なんと行儀作法のなっていない――うなずく。
「なんとか略奪者《マローダー》をやり過ごせると思ったら、第二波が来ちまってな。命からがら逃げてきたんだぜ。ついでにオマエを担いで、な」
 びし、っとアイヴォリは指をさされる(礼儀の著しい欠如に関していちいち意に留めるのも面倒になってきた)。
「あなたがたにとってはついでだったとはいえ、助けてくれたことには、感謝してる」
 精一杯の笑みを添えて伝える。このような粗暴な男に担がれた事実が屈辱だったが、過ぎたことは考えても仕方がない。意識がなかった点だけが不幸中の幸いと言えよう。
「気にすんな。んなことよりアイヴォリよう」
「何でしょう」
 カジオンは改まって何を訊くつもりなのか――つい、丁寧な口調で応じてしまう。
「つーか、食いながら聞けよ。冷めちまうだろーが」
 威圧的な黒い双眸と一瞬目が合い、たじろいだ。
「う、は、はい」
 これ以上の抵抗は無駄だと諦める。汚らしい食事と飢え死にとでは、どちらを選択すべきは明白だ。
 スープから立ち上る湯気は、思いのほか香ばしかった。体は素直なもので、乾いた口腔の中はたちまちよだれで湿った。
 おもむろにレードルを動かす。
 驚くべきことに、スープは美味しかった。口当たりもやさしい。胃の奥から温まってゆく。
 ただし具が何なのかは、知らない方が幸せな気がする。下流階級の人間が手に入れられる食材など、たかが知れている。
 ふいに視線を感じて、顔を上げた。他のふたりがうれしそうにこちらを見ていた。
 なぜ、の問いを口にするのは憚れた。
「ちょっとは人心地ついた? めいっぱい食べて元気出しなね」
 自分と似ているからだろうか、アイリスの笑顔が変に眩しく感じられた。木漏れ日の下で改めて見ると、アイリスの瞳は赤みがかった橙色だ。アイヴォリの赤みがかった紫色の瞳とは、似て非なる印象である。
 なんとなく目を逸らした。
「…………うん。それで、私に訊きたいことがあったんだよね」
「おうよ。オマエ、どっから来たんだ? オレらが住んでた集落は全方位が森に囲まれててよ」
「もうあそこには帰れないけどねえ」
 と、アイリスが付け加える。
「ったりめーだ。で、まさか略奪者のニモツから逃げ出したわけねーよな」
「そりゃあないでしょ、カジ。襲撃に、足手まといになるモノ持って来るバカはいないわよ」
「待って」
 食べながら――どう答えるべきか、どこまで情報を開示していいものか決めあぐねていたアイヴォリは、そこでひとつ気になって、口を挟んだ。制止の声を受けたふたりが、じっとこちらを見つめ返す。
「まずはっきりさせてほしいの。ここは、どこの国なの?」
「くに」
 異口同音に訊き返された。彼らは、国という概念すら知らないようだ。
「もしかして、為政者の居ない区域なの」
 ふたりはきょとんとして顔を見合わせた。
「いせいしゃ? ってなんだよ」
「……質問を変えるね。地名が知りたい。あなたたちの住んでた森はなんていうの? それか、一番近い村や町の名前を教えて」
「森は森よ。近いのは、そうね。ウマンディの丘じゃない?」
 知らない地名だ。
「他には?」
「あと近いっつったら、スクリザフ山だろ。そんなに近くねえけどよ」
 聴覚がその地名を受け取り、脳に届けて、記憶の網を揺すった。こう見えて、アイヴォリはひと通りの世界地図を頭に叩き込まれている。城の広大な図書室に飾られていた地球儀を思い出し、子供の頃に山脈のある場所を嬉々として指でなぞったのを思い出し――
「うそ」
 うわごとのように呟いた。
「何だよ。オレらはウソなんてついてねーぞ」
「嘘だわ」被せるようにカジオンの文句を遮る。「スクリザフは、だって、遠すぎる」
 それこそ地球の裏側と言う度合いに遠い。どんな移動魔法でも転移魔法でも一瞬でそこまで飛ばすのは不可能だ。逆に、城を去ってから何か月も経っていて、無意識に移動に時間を取られていたとも考えられるが。
 ガタガタと全身が震えだす。
 恐ろしくて、難しい理論を整理する余裕がなかった。
「アイヴォリはそれじゃあどこから来たって言うのよ?」
「…………」
 囁きというほどに静かに、祖国の名を述べる。無知な彼らでもさすがに知っていよう。
 アイリスとカジオンは二の句を告げようとして、しかしそれぞれに顎をゆっくりと落とした。

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