2. c.
2025 / 12 / 23 ( Tue )
「あ、の。ここに住んでるのは、あなただけなの?」
 ようやく勇気を出して、問い質す。
「見ての通りだけど」
「……ご家族はどうしたのかなって」

 歩道(サイドウォーク)に出るまでの間、応答はなかった。さらに角を曲がったら大通りに出た。
 雑踏と車の音が大きくなる。どこに向かえばいいのか知らされていないシェリーは、流れに任せて、男の一歩後ろを歩いた。
 交差点で信号待ちになった。その時になって、やっと答えが返ってきた。

「母と姉はとっくに家を出てった。父親は八年前に飲酒運転やらかして事故死......ほかに誰も巻き込まれなかったのが不幸中の幸いだな」
 白い息を吐き出しながらまるで他人事のように淡々と語る彼を、シェリーは驚愕した顔で見上げた。
「ご、ごめんなさい。辛いことを思い出させて」

「別に悲しむようなアレじゃなかったしな。むしろローンを残しやがった。ただ――」
 男の横顔は、強張ったように見えた。
 クラクションが鳴り重なっている。土曜日だというのにせっかちな人間ばかりだ、と頭の片隅で思った。

「クソみたいな幼少期とクソみたいな家族を反面教師にしてやるって、それをバネに生きてきたつもりだったのに……見返す相手が勝手にいなくなったってのは、なんつうか、モヤモヤしたもんが残るな」
 そんな、とシェリーは言いかける。
「渡れるぞ」

 一瞬、諦観した顔を見せた後、リクターは再び歩き出した。数歩遅れてシェリーはその後ろについていく。
 事故死したという彼の父親の顔はもうあまり記憶にない。たまに見かけてもいつも怒鳴っていて、酒臭かった、と思う。母と姉は、派手な感じだった、となんとなくおぼえている。
 横断歩道を渡り切ってしばらくすると、こちらの遅れを気にしたのか、男が振り返った。そして変なものを見つけたように、眉を吊り上げた。

「ひっどい顔してんな」
「そう、かな。ごめんなさい」
「謝ってほしいんじゃねえって。泣くなって話」
 呆れて言う彼に、憂いのようなものは感じられない。その心中を真に図るのは難しいが、家族のことで気を遣って欲しくないというのは伝わった。

「泣いてないよ、って、あれ」
 頬に触れると確かに濡れていた。同時に別のことを思い出して、シェリーは立ち止まった。
「なんだよ」
「お化粧し忘れた」
 母にメイクを教えられてからほぼ毎日、欠かしたことはなかった。ちょっとゴミを捨てに行くだけでも身だしなみには気をつけなさいと、厳しくしつけられてきたのに。

 他人の家で寝起きしたせいで習慣が崩れてしまうのも仕方はないのだが、それ以前に、自分の精神状態はもしかしてだいぶ不安定なのだろうかと疑問に思った。
「いらねえだろ。肌の状態良さそうだし」
「そ、そういう問題じゃないの。だらしない姿を人に見せるなって、お母さんが」

 言いつつも、男の人にはどうでもいい話題かもしれないなと思い当たった。少なくとも大学で関りがあった男性は、女性グループが服飾やらファッションやらの話で盛り上がっていても、興味が無さそうにしていた。職場の異性に至っては仕事に関わる会話しか交わしたことがない。

「自分の考えじゃねえじゃん。だらしない恰好したいなら、すればいいだろ」
「......え」
「おまえ自身は、どう思ってるんだよ」
「わ、私?」
 話にのってくれるどころか逆に意見を訊かれると思わなくて、しどろもどろになった。

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