60.h.
2016 / 08 / 11 ( Thu )
「聖地を保護する団体の拠点が、これまた聖地の上に建てられたのは、自然な流れなんだろうね。どっちにしろ、近場みたいで安心した」
「すみません。何かと移動ばかりでは疲れますよね」
「んーん。のんびり時間に余裕を持って移動してるから、疲れるなんてことは全然無いよ。むしろ、此処に着いてからは君に比べて遥かに暇かな。ねー、兄さん」

 ああ、との返事があった。
 たったそれだけの声を聞くだけで、どうして心が掻き乱されたように感じるのだろう。唇の端を軽く噛んで、ミスリアは雑念を振り払った。

 ――出発は来週。
 明後日は典礼に出席し、それから聖地を訪れる。
 予定を伝え終えると、ミスリアは話を切り上げて部屋を出た。聖女レティカを伴い、大聖堂の方へと緩やかに歩を進める。

(カルロンギィ渓谷から此処までの道のりに関しては、何も訊かれなかったな)
 訊かれたとしてもどう答えたものかわからないのだから、それで良かった、はずだ。
 悶々と思考が絡まって足を止めると、ふいに行き先の変更を提案された。

「わたくしの部屋に行きませんか。よろしければ、心中をお話しくださいな」
 レティカから優しく声をかけられた。彼女の宝石のように美しい碧眼を見つめ返して、逡巡する。相談に乗ってもらえるなど願っても無い話である。
 旅の仲間とは別の、友人というものの有難さ。本当は、近くに居るだけで、わけもなく心強く感じていた。ミスリアは礼を言って承諾した。

 そうして二人は小さな個室に行き着いた。
 見習いから修道士までは共同寝室を利用するが、聖人以上となると個室を申請することができる。個室と言っても家具は最小限であり――窓ひとつに、ベッド、机、上開きのチェスト――修道院の独房と大差ないらしい。
 窓枠に置かれたポプリの小瓶から、ローズマリーの香りが漂っている。落ち着ける場所に入った反射か、小さなため息が唇の間から漏れた。

「どうぞ」
 机に付いている椅子を引き出して、レティカは座るように勧めてきた。ぎっ、と短い軋み音を立てて腰を下ろす。一方のレティカはベッドの方に腰を掛けたので、見下ろすような形になってしまった。低身長なミスリアは、どうも人を見下ろすのに慣れない。
 咳払いで気を取り直して、口火を切った。

「私の姉も聖女だったという話はしましたよね」
「ええ、聞きましたわ」
「実はこの前、ウフレ=ザンダという国に行ったのですが……」途中で言い渋る。あの辺りの旅の記憶を遡るのは、容易ではなかった。「すみません、順序を考えてもいいですか」

「構いませんわ」
「ありがとうございます」
 まずはカルロンギィ渓谷で見知ったことを話すことにした。そしてそこから生じた疑問点も。
 最初に巡った数か所の聖地は、次に向かうべき場所を視覚などに訴えかけて教えるという、直線的な情報をもたらしてくれた。
 しかし、カルロンギィ渓谷のあの岩壁からは違った。

「確かに導かれました。遠くから『話しかけてきた』どなたかが、私に言葉を授けて下さったのです」
 聖獣のものと思しき意思は、そこが次の巡礼地かどうかは教えては下さらなかった。その点が曖昧だったが、姉が命を賭して守った地に足を踏み入れたら、またしても声は接触してきた――。

 静聴していたレティカの面差しに、共感の色が広がった。やはり彼女も、聖獣に至るまでの聖地巡礼とはただ一直線にこなすものではないと理解しているようだった。

「本人が聖獣さまと同調しやすいかどうかが決め手みたいですわ。わたくしは貴女よりも同調しにくいようなので、聖地を七つ巡ってもまだ、かろうじて途切れ途切れに声が聴こえた程度です」
「教団はこのことは……」
「伝えませんわ。伝えられないのでしょう」

「……はい」
 隠蔽とは必ずしも、悪意と謀略を背景にしていない。聖獣と同調した果てに待つのが何なのか、教団が知らないはずが無いのだ。
 頭ではわかっていても、心の方はまだ、追い付かないのである。

「それ即ち『死』と同義。恐れをなして誰も旅に出なくなりますものね」




今回の60話ってなんも起こってねーなー、とか思って最初から読み返してみたら、全然そんなことは無かったw

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06:49:51 | 小説 | コメント(0) | page top↑
60.g.
2016 / 08 / 08 ( Mon )
 だからと言って当人たちに問い質すわけにも行かず、ミスリアは手の中の方位磁石を回して暇を持て余した。
 その内、壁際の本棚にもたれかかっていたリーデンが顔を上げた。

「ほぼ未踏の地だけど、案内役を頼める人間がいるくらいなら、完全にそうじゃないんでしょ」
「はい、時季によってはあちこちに野営地が見られるみたいです」
「集落じゃなくて、野営地なんだね」
「現地人は主に遊牧民が多いそうです。跡地の位置ですら地図に載ってないそうですけど」

「ふーん、それは知らなかったな。僕は聖女さんに会うまでは、ヤシュレより北に行ったことなかったからさー」
「私もあまり詳しくは無いですね」
 ミスリアは思わず苦笑した。遊牧民のことは、召集を通して聞き知ったのである。
「でもこの地で修行したんでしょ。ファイヌィから此処までだと、なんだかんだ色んな場所を通過したんじゃないの」

「私は九歳の頃に教団本部に来たんですけど、何ヶ月も馬車に揺らされて気持ちが悪かった以外の記憶は無いですね……。全く寄り道しませんでしたし」
 そして去年――教団を発って一度里帰りを、ついにはゲズゥと出会うまでの道のりでも、道草をする余裕は無かった。
「それは勿体ない気もするね。そっちの聖女さんは? 『北』は行ったことあるの」
 話を振られた聖女レティカは、真っ直ぐな青銅色の髪を揺らして頭を振った。

「アルシュント大陸をそれなりに旅しましたけれど、それでもヒューラカナンテより北は、わたくしにとっても未知の領域ですわ」
 聖女レティカの返答を受けて、リーデンは唇に親指の先を当てた。
「気になることはイロイロあるんだよねぇ。魔物信仰、遊牧民、それと……九人、だっけ」

「何がですか?」
 突然の数字が指すところがわからず、ミスリアは首を傾げた。
「前に枢機卿の人が言ってたよね。旅に出ている聖人聖女の中で、現在でも連絡が途絶えてないのは、君含めて九人って」

 リーデンが掌でミスリアを指した。彼の手首に連なる腕輪(チャクラム)が、しゃらん、と耳障りのいい音を立てたのと同時に、ミスリアの脳裏にグリフェロ・アンディア枢機卿猊下の声が蘇った。

『三十六名が過去二十年以内に聖獣を蘇らせる旅に出て、未だに旅を終えていません』

 旅を終えていないと判じられる基準に想いを馳せる――おそらく、一に聖獣がまだ蘇っていないことと、または二に、本人がヴィールヴ=ハイス教団に帰還していないことだろうか。

「その数字ですが、わたくしが先日聞いた限りでは、五名になったそうです」
 横合いからレティカが静かに口を挟んだ。「一人は死が確認されて、残る三人は先月を最後に、音沙汰が無くなったそうですわ」
「まあ、そういうこともあるよね。焦点を移そう」
 何故かリーデンは消えたかもしれない三人については何も言及しなかった。彼はもしかしたら既に耳にしているのかもしれない。
(消えた三人の内の一人が、北に向かったってことを)
 その者は年配の聖人だったそうだ。それ以上のことは、詳しくは聞かされていない。

「二十年の間に行方不明者が二十人以上出てるんだよね」
 問われて、首肯した。
 本棚から身を起こしたリーデンが、にっこり笑って近付いて来た。

「さて、聖獣を蘇らせるには、『幾人』の聖人聖女が要るのかな」
「――」
 無意識に、ミスリアはひゅっと喉を鳴らす。
 またもや無意識に、目が泳ぐ。扉の脇に佇むゲズゥを一瞥すると、底なしに黒い瞳と視線が絡み合った。数瞬ほどそのままだったが、どこか責められているような気がして、目を逸らしてしまう。
 台所にて鍋を火にかけているイマリナの後ろ姿を眺めながら、どう答えたものかと思案する。

「白状しますと、そのように考えたことがありませんでしたわ」
 幸い、レティカが先にそう言ってくれた。後に続く形でミスリアも口を開く。
「……私は少しくらいはあります。でも行ってみなければ答えに至ることはできないと、思います……」
「ん。それもそうかー」
 くるりと裾を翻して、リーデンはあっさり引き下がった。

 ――どうしてこんなにも察しが良いのだろう。
 いっそ寒気がするほどだった。
 そしてまた話題は移り変わる。

「ねえ教えてよ、聖女さん。聖地を巡っていた順番に何か意味があったんだよね。これから北上するってことは、もう巡礼はいいの?」
「まだひとつ、聖獣の元へ向かう前に訪れなければならない聖地があります」
 件(くだん)の場所は他ならぬ教団の敷地内にあるのだと、ミスリアは語った。

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05:46:38 | 小説 | コメント(0) | page top↑
60.f.
2016 / 08 / 05 ( Fri )
「自分が属している組織だと言うのに、辛辣ですね」
「泥臭い部分を見過ごしてでも尽くす価値があるが、泥自体は消えない」
 男がそう答えると、嘲るような笑いが双方から漏れた。蝋燭の炎が突然の吐息に揉まれて、揺れる。

「……もっぱら当面の問題は、実際に洗脳紛いの信仰を広めている、あの連中ですけどね」
「同感だ」
「どうにもあの子を、猛獣をおびき寄せる餌代わりにしているようで、気分が悪いです」
 教皇は首を後ろへ傾(かし)いで、小さくため息を吐いた。

「引き受けたのは本人だ。ならば同情は不要」
「おや、さっきと言っていることが違いますけど」
 へにゃりと笑って教皇が指摘する。すると、男は教皇を見下ろして歪に笑った。
「あれは個人の感傷。そしてこれは、人の上に立つ者としての覚悟。人を使う、覚悟だ」

「お止めなさい。大切な聖女を道具のように使い捨てるのは許しませんよ」
「語弊だ。自己犠牲の精神に敬意を払って、最大限に有効活用してやるのさ」
「生き延びる心積もりで挑むなら、自己犠牲ではないでしょう。ものの見方がとことん合いませんね、君とは」
「大義の為に人命を費やすところは同じではないか。ただし貴様らは本人自らそれを望むように推奨して、我々は命令している」
 結果にいかほどの違いがあるのか――と男は笑った。

「個人の一生を尊重する君が、逆らえぬ部下たちに残酷な命令を下して組織を前進させる様は皮肉ですね。その矛盾をどう消化しているのです」
「簡単だ。命令に従うことに疲れたら出世すればいい、とのように下っ端どもを慰めている」
 男は不敵そうに言い切った。

「…………君は、なんていうか――長生きしそうだね」
 元の砕けた口調に戻り、教皇は呆れ気味に目を細める。
「安心しろ。少なくとも貴様の倍以上は生きるさ、寝首さえかかれなければな」
「ふふ。その寝首をかかれなければ、が難しいんじゃないか。せいぜい頑張りたまえ」
 直後、二人を取り囲む闇を満たしたのは、気を許した者同士の間に流れるような暖かい空気だったのか。少なくとも、悲壮感などでは決してなかった。

 誰が言い出したわけでもなく、二人は似たタイミングで歩き出した。
 通路を抜けて、隠し扉の前の本棚を押し戻し――責務と重荷が待ち受けている、現実世界へと再び足を踏み入れる。

_______

「というわけで、当初の予定通りに北に向かいます。問題は、当初の予定よりも時間がかかるかもしれないことですね」
 ミスリアはコーヒーテーブルの傍の席から、部屋に居る仲間たちと聖女レティカの顔を順に見回した。

「このヒューラカナンテから見て北東に都市国家、北西にウフレ=ザンダ。けれど真っ直ぐ北上した先は、ほぼ未踏の地になります」
「そうですわね。緻密な地図は手に入りにくく、地形と天候が厳しいのですものね」
 テーブルの向かいに座る聖女レティカがさりげなく補足する。

 更には、おそらく危険な集団による不穏な動きが予想されると、幾度に渡る召集によって警告されたのである。現に案内役を伴って調査に出かけた組織の成員からの連絡が途絶えたと言う。
 そのことと、旅の一行に組織の同伴者が加わることを話すと、護衛たちは黙り込んでしまった。
 こちらの話を今も聴いている様子であるが、お喋りなリーデンでさえ数分ほど発言をしていない。

(もしかしたら二人で秘密の談義を……?)
 呪いの眼を共有する兄弟の特殊な会話方法を思い浮かべた。

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23:49:18 | 小説 | コメント(0) | page top↑
60.e.
2016 / 08 / 03 ( Wed )
_______

 一本の蝋燭に火が灯ると、細々とした明かりが、殺風景な空間を照らし出す。辺りはやたらと静かで、空気が微かに湿っている。
 明るい色の衣服を纏った華奢な男が持つ蝋燭に引き寄せられるかのように、暗い色の衣服を纏った男が歩み寄った。

「被り物をしなくていいのかい。君は素顔を隠すのが原則だろう」
 来訪者をゆっくりと見上げて、蝋燭を持つ彼はそう言った。
「問題ない、どうせ貴様は既に私の素顔を知っている。あまり被ってると息が詰まるのでな」
 暗い服の男は抑揚の無い声で応じた。掠れた声は、彼が公衆の面前で話す時と違っていくらかトーンが低い。こちらの方が地声であり、中性的な声は意図して出しているのだ。

 此処は数あるヴィールヴ=ハイス教団の隠し通路の中でも、とりわけ存在を知られていない。書庫の一角の隠し扉を越せば、この場所に至ることができる。
 教団そのものの歴史は浅いが、拠点は旧い城砦を再建・改造したものだ。こういった仕掛けは把握しきれないほどに残っている。それを私用で使うのは本来ならばあってはならないことだろうに――権力を持て余す彼らには、堅苦しくない秘密基地のひとつやふたつ、求めてしまっても仕方がない。

 二人は昔から特別仲が良かったわけではなく、たまたま同郷の者であった。
 歳が七つは離れているため、ほとんど会話を交わしたことが無かった。故郷を発った時期は別々であり、その後もそれぞれの人生を刻んで十数年――ある時、彼らは職務中に再会した。双方ともに正装をしていたが、互いを認識し、思い出すまでにそう時間はかからなかった。

 以来、歩み寄りと呼べるほどの動きでないにしろ、なし崩し的に話す機会が増えた。
 友人だなどとは決して思わない。失くしても心が痛まないような腐れ縁だ。しかし繋がっている内は、使いたくなる縁である。
 彼らに挨拶や世間話は不要であり、話し言葉も普段よりやや崩れる。

「例の小さき聖女と話をした」
 刺青の施された方の手で、男は燭台をかっさらった。己よりも体力の無さそうな相手に、物を持たせるのが落ち着かないからだ。
「それはそれは。彼女を怖がらせてはいないだろうね」
 燭台を奪われた男はふわりと笑みを浮かべる。

「私ごときに気後れをするようでは、この先身が持つまい」
「聖女ミスリアは勇敢だよ。けれど生命を脅かすものへの恐怖と、権力への畏怖は全くの別物だ」
 そこにしばしの間があった。対犯罪組織を率いる役割を負った男は、隠し通路の先にある行き止まりの方をなんとなく見つめる。聖女との会話を静かに振り返った。

「ほんの少しの才能を持って生まれ……それを伸ばせるような生き方を選んだのなら、祝福こそすれ、他人が哀れむのは野暮なものだとわかってはいるが。聖人や聖女というのは、酷な役職だな」
「では私と君の違いは、そんな人を可哀想だと思うかどうかだと、君は言うのかい」
「ほざけ。違いがその程度であったなら、組織と教団の協力体制はもっと早くに整ったはずだ」
「そう言わないで下さい。違っていながらも私たちはこうして協力できていますよ」
 からかうように、教皇は丁寧な言葉遣いに替わってくすくす笑う。

「現在はな……貴様の死後、どうなるかな」
 対する男は腕を組んで鼻で笑った。教皇の残り時間が如何ほどであるのか、他でもないこの者は知っている。
「大丈夫です。後任者候補の目星も付けてあるので、きっと私亡き後も誰かがうまいことやってくれるでしょう」
「個を捨てた筆頭が、貴様よな」

「失敬な! そんなこと、貴方にだけは言われたくありませんよ」
「ふん、我々は個人主義者の寄せ集めに過ぎぬ。組織としての体裁を保ってはいるが、指揮系統やら成員の管理やら、貴様らの団体とは非なるものだ」
「本当に? 洗脳紛いの『信仰』はそちらの専売特許ではありませんか」
「笑わせるな。組織は洗脳紛いの真似をしているかもしれないが、大して効力は無い。人が人を裁く為に神の名を借りているに過ぎない」



なんか思ってたようにはうまいこと進まなくて、予定より早くこの場面を前倒ししちゃいました。

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23:59:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
また流れぶちきってすんません
2016 / 07 / 28 ( Thu )
うあー、もう木曜日か。

今週末は帰郷&家族旅行(五大湖★)なので執筆する時間が取れるかどうかひたすらに怪しいです。

もしかしたら60は8月頭の内に終わらせるかもしれません。

頑張れば何かしらひねり出せるかもしれないけど、今回は情報整理回なので生半可な仕事はできません、すみませんー。じっくり書かないといけないのだよ…。戦闘とかただの会話回はすぱっと書けるんですがww


ではー。

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22:34:41 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
60.d.
2016 / 07 / 26 ( Tue )
「ありがとうございます」
 まとまったところで、皆で寄宿舎に向かう。三階廊下の突き当たりの部屋の戸を開くと、フリージアの爽やかな香りが迎えてくれた。
「どうぞ好きにくつろいで。すぐにお茶を淹れるからね、マリちゃんが」

 リーデンがそう言って掌を翻すと、足音も立てずに彼女は現れた。まるでひらひらと宙を舞った手の背後から現れたかのような錯覚を覚える。
 まるで手品みたいですわね、とレティカが楽しそうに称賛した。
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
 腰を落ち着ける場所を求めて視線をあちこちに巡らせる。

 客用の部屋はミスリアが見習いだった頃に寝起きしていた寮に比べて、かなり広くて快適そうだ。寝室のみならず台所と食卓、そして小さな居間まで付いている。低く丸いテーブルの上には、読みかけの本が無造作に開かれている。
 いかにも古そうな本をそっと手に取りつつ、ミスリアはテーブル横の椅子に座った。テーブル横のもう一つの席にレティカが座る。

「どんな本ですか?」
 問われてカバーを確認した。開かれたページの場所をうっかり失くさないように、親指を挟んで。やはりよほど古いのか、ぱりっ、と紙の軋む音がする。
「南の共通語ですね。『征圧された人民の歴史』……ですか」
 思わず二人して、近くの青年を見上げた。本棚に肩肘をのせて優雅な立ち姿を演出している彼は、とろけるような笑みを浮かべる。

「それはマリちゃんの私物だからね。読み書きの練習に欲しいからって、ずっと前に僕が買ってあげたんだよ」
「……この本を教材にしてその方は字を学ばれたのですか?」
 胡乱げな目で訊ねる聖女レティカ。
「他のお気に入りは、『奴隷無き世の実現性』とか『王制の存在意義を問う』辺りかな。どれもお役人さんに見つかるとその場で燃やされるようなヤバい作品で、元々の生産数も二十冊と無いよ」

「そんな危険な物を此処に持ち込んだのですか――いいえ、やっぱり見なかったことにしますわ」
「あははは、気にしちゃ負けだよ」
「……」
 沈黙に割って入るように、お茶とお菓子を運ぶ盆がすっとテーブルに降りてきた。その後、開けっ放しの本をイマリナに返すと、彼女は無邪気な笑みで愛読書を受け取った。

(無邪気、なんだよね?)
 なんとも言えない気分でミスリアは微笑みを返した。
 お茶に濡らして食べるタイプの硬いクッキーを、黙々と口に運ぶことに専念する。渋めのお茶を吸った甘いクッキーが、ちょうどいい口どけになっていて美味しい。

 やがて世間話が一通り終わる頃に、戸が開いた。
 思わず肩が跳ね上がりそうになるのを堪えた。視線をやらずとも、入って来たのが誰であるのかは察しが付いた。僅かばかり息が上がっているらしいことにも耳ざとく気付いて、何故か自分も呼吸が速くなった。

 入室したゲズゥの姿を認めて、開口一番にリーデンが「で、ユリって結局なんだったの」と問い詰めたのは、どういう意味だろうか。

「ユリ?」
「兄さん、ユリ科がどうとか言ってたじゃん」
「言ったか……?」
「えー、何で忘れてんのー」
 この旨の問答がしばらく続いたものの、結局要領を得ることなく終わった。何だったのだろう。

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22:34:50 | 小説 | コメント(0) | page top↑
60.c.
2016 / 07 / 25 ( Mon )
「観察力が足りぬな。まあいい、別人だと私が教えているのだから、そのまま鵜呑みにするが良い」
「わかりました」
 ミスリアが素直にそう答えると、相手は気が済んだように話題を変える。

「周知のとおり、我が組織とその方らの団体の関係は決して良好とは言えない。だがそんな悠長なことも言っていられなくなった。癪な話だが、我々の管轄とその方らのそれとの境界線が、近年曖昧になってきている」
 彼は刺青の施された右の拳をゆっくりと握り締めた。
「ゆえに……しっかり励め」

 顔は依然として見えないままだが、この人からは茶化したり見下ろしているような素振りは感じられない。これまでに会ってきた組織の他の成員に比べて、話が合いそうだなと感じてしまった。
 誠意を込めて応じるべきだと判断した。

「命ある限り、心身ともに使命に尽くすことをお約束します」
 通常の挨拶のスカートを抓み上げる礼ではなく、心臓に手を当てて深く腰を折る礼をする。
 すると、次に会話が続くまでにまた数秒の間があった。

「己の命の使い道が早い内に決まることは、神々からの祝福であり、そして呪縛でもある。その方にも、いつか決断を迫られる日が来よう」
「決断ですか?」
 顔を上げようとした。そこに、ぽすん、と頭に重みがのしかかる。

「抗うのもひとつの勇気だ。『個』を安易に手放すなよ、聖女」
 わしゃり、と一度だけ髪を撫でられる。
 言われた意味がわかりそうになった頃にはもう、深い紫色の後ろ姿が遠ざかりつつあった。

(もしかしてあの人は私を通して別の誰かを見ていたのかな)
 出会って間もない人間への接し方にしては、向こうの距離感が意外に近かった気がした。次に自然に思い当る節は、別人と重ねて接していたのではないかということ。
 ミスリアはのんびりと思考に耽りたい気持ちを振り払って、歩き出した。

 猊下による連日の召集は今日で最後だった。必要な情報も出揃ったところで、要点を忘れない内に、仲間たちの元に行かねばならない。
 寄宿舎の方を目指して歩を進める。その道中に、会おうと思っていた護衛の片割れを見つけた。

「リーデンさん、それに聖女レティカも。こんにちは」
 驚きを隠さずに話しかけると、二人が笑って振り返った。珍しい組み合わせだな、と思ってミスリアは首を傾げる。
 それぞれ挨拶のやり取りを終えると、どうやら彼らが教団の庭の造形を共に観賞する仲であることが判明した。

「えっと、今後の予定についてお話があります」
 そのようにして本題を切り出す。
「わかったー。僕らが借りてる部屋にでも集まる? 兄さん呼んどくよ」
「お願いします」

「ではわたくしはこれで」
「あ、待って下さい」
 話の流れで立ち去ろうとした聖女レティカを、なんとなく引き留めた。
「聖女レティカも同席してくれますか? 私一人で語るよりは貴女も居てくれた方が、色々と話が整理しやすいと思います。お忙しいのでしたら、無理にとは言いません」
「わたくしでお役に立てるのなら、喜んで」

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08:23:28 | 小説 | コメント(0) | page top↑
60.b.
2016 / 07 / 22 ( Fri )
_______

 近頃何かと気を張っているけれど、召集ではまた違った神経のすり減らし方をしたものだ。
 先ほどの話し合いを思い返し、ミスリアはため息を吐きそうになる自分を制した。考えを整理する為に一度深呼吸をすると、それはため息と大して変わらない気がした。

 此処は教団本部の中庭の一角である。大きく息を吐いて誰かに聞かれでもしたら、恥ずかしい――そう思って辺りを見回すと、こちらをしっかりと見向いている人物と目が合った。その者は、深い紫色の衣で何重にも身を覆っていた。目と口以外、露出している部分が無い。

 首に提げられている身分証が目に入らなかったとしても、この人を見間違えたりはしないだろう。

「こ、こんにちは」
 ミスリアは急いで敬礼をした。相手に声を掛けられるまでは、下げた頭を上げない。
 しばしの間があった。
「その方、疲れているようだな」
 男とも女とも取れない、中性的な声が頭上から降りかかる。ため息を指しているのだとわかって、頬に熱が走った。

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「気遣ってなどいない、疲労は期せぬ失態を引き起こすと言っている」
「気を付けます」
「そうしろ。ああそうだ、小さき聖女。その方は聖獣を求めて北上するそうだな。我が組織からも同行者を出す」

「え……!?」
 思わず顔を上げて目を見開いた。赤みがかった琥珀色の双眸が強い眼差しを返してきた。
「我々も、北に用があるからな」
「それは勿論わかっていますけれど」
 ミスリアは言い淀んだ。

 彼らが調査している案件とミスリアの旅路が交わる可能性は大いにあると、先刻の話し合いを通じて理解している。
 しかし対犯罪組織ジュリノイの人間には正直、いい思い出よりも悪い思い出の方が多い。有事の際にゲズゥたちとの連携がうまく取れるとも限らないし、この段階で旅の人数を増やすのは不安だ。どう断ればいいのか、逡巡した。

「その方らの総帥には既に話を通してある」
「総帥……? 教皇猊下のことですか」
「ああ、そういう役職名だったな。そうだ。人選も私が直々に下したゆえ、生死のかかった場面で信用できるかの問題は無い。その方の命に危険が及ばぬように動けと、命令してある」
 組織の上役にそこまで用意してもらったとなると、異を唱えることができない。しかも教皇猊下の承諾済みとあっては――
 ぐっと顎を引いて、頷いた。

「承知しました。わざわざ手配をして下さってありがとうございます。サエドラの件でも、お世話になりました」
 ミスリアが礼を言うと、相手は不思議そうに眉を吊り上げた。
「サエドラ? ああ、ウフレ=ザンダの辺境の町か。報告は聞いたが……もしや小さき聖女、人違いをしているな」
 相手は左手で右腕の長い袖をまくり上げて、拳を開いた。

「あの場に赴いたのは私ではない。その方が会った者は、刺青が手の甲にあったのではないか」
 ずいっと差し出された手は無骨で、骨格が男性寄りとも言えなくも無かった。
 組織の成員らしく、神ジュリノク=ゾーラを象徴した独特の刺青が彫られている。「総ての悪事と嘘を見通す眼」の部分が掌に始まり、「正義を執行する斧」が手首より少し下の位置までに続いている。

「……よく憶えていません」
 ジュリノイの代表者たちは基本的に顔を隠すものなのか――目の前の彼は瞳と唇しか見えないし、サエドラで会った人間に至っては、頭からローブを被っていて、息をする為の網みたいな部分があっただけだ。

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23:43:00 | 小説 | コメント(0) | page top↑
オフィス移動とか車とか
2016 / 07 / 21 ( Thu )
更新遅れてて申し訳ない。明日中には必ず。
ここからは近況なのか愚痴なのか。生きてます。はい。


今週色々ありすぎてもう、ええ。車の電池がお亡くなりになるし(一日以内には解決したんですけどね)、オフィス移動で荷物動かすのがめんどくさいし(この書類どう考えても捨てていいだろ…でも許可が下りない…めんどくせえ燃やしたい)

連日の大雨は楽しいんですが、友達と久しぶりにお会いし、散髪→居酒屋(酒は飲まず、食事とお喋りを楽しんだだけ)、夜の大雨に耐えながら高速乗って帰路……

来月の出張のことで、フライトとホテルのブッキングのやり方間違えたかも? やり直しかも? 本社が色々とあれやれこれやれと言っててなにがなんだかわからんけ。青二才でサーセン。誰かどうすればいいのかはっきりと教えてくれよ…


と、たぶん久々? に腕にストレス蕁麻疹出ました。数年くらい見てないですコレ。やだわー私の肌がー。(普通に暑いからの蕁麻疹かもしれない)(でもなかなか治らない)


そうそう、ポケモン集めてるよ★
サーバー安定しないから嫌いだよ☆ でも止められないw

余談の余談ですが、乙女ゲーやってて不覚にもときめいた。いえ別にストーリーや立ち絵の表情や声にときめくことはままあるんですが、別にすきでもなかったキャラに不意打ち… 私は大丈夫か。

では、またお会いしましょうwww


追記:腕のやつの正体がわかりました。ストレスでもなんでもない、腕にファイル(汚い)やらフォルダやら色々抱えているうちに切ったり擦ったり充血したりしてたようです。やだー勘違いー

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60.a.
2016 / 07 / 17 ( Sun )
 妙なモノに遭遇した。
 昼食後、教団の敷地から出て走り回っていた時のことだ。
 そのモノは何故か追ってきた。敵意は感じないが、ゲズゥ・スディル・クレインカティは警戒した。見知らぬ相手には警戒するのが定石であり、しかも気配は突如として現れたのである。

 怪しいの一言に尽きる。人の直感の源が胃袋であると誰かが言っていた気がするが、この場合はゲズゥの左眼から警告が発せられたように感じられた。

「やあ! きみ、いつも走ってるね」
 こちらと並走しながらも人影はありのままの事実を述べた。もしゲズゥに会話する意思があったなら、だからどうした、としか答えようが無い切り込み方である。
「ぼくも一緒してもいいかい」
 喋っている人物の方を振り向かずにゲズゥは走り続けた。この速さでも喋る余裕があるとは、見た目の華奢さによらぬ体力の持ち主だ。

 それにしても、左眼は何に反応したのか。
 魔物は言葉を操れないし、真昼間の太陽の下を堂々と活動できない。「混じり物」であればまた話が違うだろうが――
 よくわからない。面倒臭い。
 放って置いても、教団の近くだ。問題のある存在なら自ずと勝手に討伐されてくれるだろう。

「無視するなんてひどいね。ぼくはきみとお友達になりたいな。最初は一緒に走るだけの間柄からでいいよ。少しずつわかり合って行こう」
「興味ない」
 鬱陶しくなって、ついに口を開いてしまった。

「そうか、それは仕方がないね。やっぱり口数の少ないひととは心を通わせるのは難しいか。ではきみのことは諦めて、きみの大切なお姫さまの方とお友達になってみるよ」
「……!」
 足を止めて振り返ったら、人影は忽然と消え去っていた。
 残り香が鼻をついた。薬草っぽいような、肉っぽいような、甘ったるいような、鮮烈な花の匂い。何の花かは思い出せない。

 眩暈と頭痛がする。長く走った後の気持ち悪さや疲労感とは全く別の、沸いて出たような圧迫感が頭を蝕んでいる。
 どういうカラクリかはわからないが、あったばかりの邂逅を忘れそうになっているらしいのはわかった。
 歯を食いしばって耐えた。忘れないように、断片に縋ろうとする。

 ――聖女さんがこれからの予定を話し合おうって言ってる。戻って来てー。
 思考に割り込んだのはリーデンの呼びかけだった。それによって忘れかけていたものが完全に消えてなくなるが、同時に思い出せたものがあった。

 ――ユリ科。あの匂いは、間違いなく……。
 ――は? ユリって言ったら「肉体を離れた魂の無垢さ」を象徴することから、よく墓に添えられる花だよね。急にどうしたの、兄さん。
 ――わからん。今、戻る。

 左眼がズキリと疼きを訴えかけたが、教団の敷地に再び踏み入った頃には、一連の出来事をすっかり忘れ去っていた。

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02:37:48 | 小説 | コメント(0) | page top↑
かきとめ
2016 / 07 / 14 ( Thu )
「おや、誰かと思えばエランディーク。辺境の領地から戻っていたんだな。どうりで家畜のような臭いがするかと思った」

(んなっ、なんて失礼なことを薄ら笑いで言うのよ、この美形野郎は!)

「アストファン! 口が過ぎるぞ、エランに謝れ!」
「冗談ですよベネ兄上、私なりの挨拶です。それが暴言だったとしても、私に怒るべきは兄上ではありませんよ。本人が何も言い返さないのにあなたが私に謝れと要求するのでは、エランの立つ瀬を奪っているようなもの」

 悔しそうに拳を握るベネフォーレ。

(そういうものなの?)

 セリカには男どものプライドのぶつけ合いがよくわからなかった。

「……アスト兄上」
「何だ」
「家畜の臭いがするのであれば、源は私ではなく兄上が召し上がっている羊肉シチューではありませんか。きっと知らぬ内にご自慢の御髪についたのでしょう」
「ふっ、あははは! そいつはいい。顔を赤くして怒鳴るベネ兄上も捨てがたいが、眉ひとつ動かさずにそういう返し方をするお前もからかいがいがあるというもの。おかえり、エラン」

 エランディークはただいまと答えずに、無言で頷いて席に着いた。




という会話を妄想したんだ。


次回作候補その1。兄弟がわちゃわちゃ動くタイプに挑戦(?
腹違い含めて11人? ひどい設定です。

ちなみに候補その2は「たえよいつか」の続編、練度は候補1の方が上。

次回作は完結してからなろう投稿しようという自分ルールだったんですが、ブログに分割してちょこちょこあげる分ならそのルールに反さないのではないか!? と思い至っているこの頃。


ミスリア60はもうちょっとだけお待ちください。まだ練り練りしてます(臨場感あふれる物語づくり)

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02:19:35 | 余談 | コメント(0) | page top↑
59.g.
2016 / 07 / 11 ( Mon )
「レティカ・アンディアですわ。イマリナ=タユスの町では大変お世話になりました」
 聖女は裾の長いスカートを抓み上げて優雅に一礼した。真っ直ぐな青銅色の髪が、ハラリと肩から流れ落ちる。
「どーも。元気そうで何よりだよ」

 心の篭らない挨拶を並べながらも、リーデンも腰を折り曲げて礼を返した。聖女レティカと会うのは去年以来だ。あの時の彼女は、護衛の二人が死んだばかりで自暴自棄になっていた。
 今の姿からはあの時のような影は無くなっている。護衛の男の形見であろう投げナイフを革の柄に収めて首から提げているが、それ以外の違和感は無い。教団の敷地で鉢合わせたのも、自然な成り行きだ。此処は大陸中の聖人・聖女たちにとっては、帰る場所のひとつだろう。

「貴方は、ラニヴィア様の石像を観賞しに来たのですか」
「そんな感じー。なんかわかんないけど面白いんだよね、このポーズ。本人もこんなことする人だったのかなーって想像すると楽しいんだ」
「ポーズがですか」
 レティカは石像を一瞥した。

「地上の人々は天上の神々に己の総てを曝け出すべし――跪拝とは何かを願う為にのみする行為でなく、『我は摂理の一切を受け入れる』と知らしめて、この身をどうぞよしなにお使い下さいと天に伝える意もあるそうですわ。聖画などでも、よく見かける姿勢です」

「……その話はさすがに僕の理解の範疇を越えているけど、なるほどね」
「わたくしも、完全に理解しているとは言い難いですけれど」
 聖女レティカは一瞬表情を綻ばせたかと思えば、皮肉そうに笑って続けた。

「実際のお人柄に関しましては、想像の余地がありますわね。アンディア家に伝わるお話では、ラニヴィア様は大層なおてんば娘だったそうです。それからもっと…………肉付きのよろしいお方だったとか」
「ぶはっ! そうなの!? 百年やそこらでここまで事実を捻じ曲げるなんて、教団も必死なんだね」
「それは言わないでくださいませ……」
 気まずそうに自分の髪の毛先を弄るレティカを眺めるのもまた、リーデンには面白かった。
 ふとその時、どこからか鐘の音が鳴り響いた。定時に鳴らされる時計塔の曲とは異なる、反復的で短い旋律だった。

「夕餉の鐘じゃないね」
「ええ。召集の合図です」
 聖女レティカの、彫りが深い横顔からは「ついに来たか」と腹を決めたような輝きが見え隠れした。
 カリヨン(組み鐘)の音が重要な会合の始まりを報せているらしいのは、なんとなく感じ取れる。

「そんなこと、部外者の僕にサラッと教えちゃっていいのかな?」
 半ばからかう口調で問うと、レティカは心外そうに眉を吊り上げた。
「部外者ではないでしょう。聖女ミスリアから何も聞かされていませんの?」
 質問を質問で返されて内心では不愉快だったが、微塵も顔に出さずにリーデンは適当な嘘を吐いた。

「最近彼女忙しいからさ、ゆっくり会う機会無くてねー」
「でしたら、仕方ありませんわね。ではお話の途中で失礼をすること、お許しください。わたくしは行かなければなりません」
 再びスカートの端々を抓み上げる礼をして、聖女レティカは歩み去ろうとする。

「待って」
 声を低くして呼ばわった。打たれたように、レティカは立ち止まった。
「君たちの議題ってさ」
 質問を脳内で構築し、舌や歯や唇などで言葉にしようとして、しかしリーデンは思い止まった。開いていた口を閉じ、肩を竦めて微笑む。

「やっぱやめた。後で、僕らの聖女さんに訊くことにするよ。じゃあね」
「それが良いと思いますわ」――レティカは小さく頷き、去り際に付け加える――「貴方の周りの空気は、以前に比べて随分と柔らかくなりましたのね。これからもどうかお勤めに励みますよう、わたくしからもお願いいたします」

「はーい」
 何を願われているのかイマイチわからずに、リーデンは間延びした返事をした。レティカにとってはミスリアは友情を築いた相手であるはずだから、護衛に頑張って欲しい、という心理だろうか。
(周りの空気か。性質だとか因子だとかに色が付いて見える、って話だっけ)
 イマリナ=タユスで関わった頃の聖女レティカは、リーデンやゲズゥを長く直視すると気分が悪くなっていた。それがいつの間にか、普通に会話をしても平気になったようだ。

 小さくなっていく後ろ姿を見つめる。変わったのはレティカではなく、自分。
 ついリーデンは下唇を舐めた。
 変化とは根強く継続される種の変化であるか、それとも聖女ミスリアとの繋がりが切れれば容易に白紙に戻る程度のものか。

 ――自分自身、どっちであって欲しいかがわからなくて、何故だかゾクゾクした。

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59.f.
2016 / 07 / 10 ( Sun )
「善処します」
「うん」
 一通り言いたいことを言い終わったリーデンは、くるりと裾を翻して立ち去ろうとした。
「私は」
 背後から声をかけられて、ベンチから遠ざかりつつあった足が止まる。

「いつか訪れる別れの――形と、時期が。思っていたのと違いそうで、苦しいんです」
 暗に、それ以上の本音は存在しないと断言するような口ぶりでミスリアは伝えた。
 リーデンは何も言わずに目を細めた。そして微かな笑みを返してから、踵を返す。広大な敷地の中でも、比較的人気の少ない西側の庭へ向かった。
(違いそうじゃなくて、違う、って確信があるんだね。君は嘘が吐けない人だと思ってたけど……そんなこと無かったみたい)
 袖の中で、リーデンは人知れず拳を握る。

(他人事じゃないんだった。別れは、等しく僕も味わわなければならない)
 足の下の大地が沈んだように感じられた。重くなった足をなんとか激励して歩を進め、空を仰ぐ。綿のような雲が太陽にまとわりついているのが見えた。無意識にまた、足が止まる。
 改めて想像してみると、心中穏やかではいられなくなるものだ――

 出会いと別れは人生に於いて決して避けられぬプロセスである。なのにこんなにも受け入れ難いと感じるのは、愛着が沸いてしまったからだろうか。ミスリア本人へのそれだけでなく、「聖女ミスリア一行」という在り様への愛着だ。

 要(かなめ)である彼女が抜けてしまった後、自分たちはどうなるか。元のギスギスとした関係に戻るのだけは、御免被りたい。
 それどころか、兄が一体どんな行動に出るのか全く予測できない。できないからこそ、第三者として突いてみたのだが。

(何を言ったところで、当人次第だよね)
 リーデンは腕を振り上げて大きく伸びをした。こみ上げる欠伸をかみ殺して、緑豊かな庭を進んでいく。
 西の庭には教団の創立者たる、ラニヴィア・ハイス=マギンを象った石像があった。

 後世の彼女へのイメージがこういうものなのかそれとも実際の人物像の記録に準じてこうなったのか、リーデンの感性に言わせてみれば、石像はなかなかに奇異なデザインであった。
 躍動感に溢れている。助走をつけた跪拝、とでも呼べばいいのか。華奢で儚げな女が懇願するような表情で掌を天上に向けて伸ばし、片膝を地に着け、片膝を宙に浮かせている。石像の若そうな女は、現代の聖女が正装とする白装束とヴェールによく似た服装をしている。

 忘れてはならないのが、首から提げられた教団の象徴。腹部まで垂れる巨大なペンダントは恐るべき精密さで石像にも再現されていた。ペンダントの角度にさえも躍動感が満ちている。
 この愉快な石像を訪れるのは既に三度目くらいだが、今日は先客が来ていたらしい。
 まさしく現代聖女の礼装を着た人影はリーデンの足音に気付いて、肩から振り返る。白いヴェールが、ふわりとなびいた。

(あれ)
 驚き、瞬いた。思わず声をかけてしまうほどに、見知った人物だったからだ。
「聖女さん」
 と言っても、ついさっき会ったばかりの聖女ミスリア・ノイラートではなく、自身がこれまでの人生で関わりを持ったことのある、二人目の聖女だった。

「貴方は……」
 聖女は白い手袋をはめた手を口元に添えた。碧眼が見つめる先はリーデンの顔を通り過ぎて、輪郭の外側をなぞった。何を見ているのかは大体察しがついた。
「君、確かお猿さんと厳ついお姉さんを従えた聖女さんだったよね」




今になって思えば、ラニヴィアさまの人生だけで長編一本書けそうな感じが…。
次の記事で〆だと思います。今回の59は早目に切り上げて、次に入りますー。(短めとか言いつつも1万字近い…気分的には短いのに…

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09:29:04 | 小説 | コメント(0) | page top↑
59.e.
2016 / 07 / 08 ( Fri )
「うん、こんばんは」
 特に断りなく隣に腰を掛ける。ミスリアはきょとんとした表情で見上げてきた。
「あの……」
 消え入るような声の後、大きな茶色の目があちらこちらと泳ぎ出した。心の内にある質問を、口に出そうかどうかを決めかねているようだった。

「どうしたの」
 この正直者の少女が何を訊きたいのかなど、簡単に想像が付く。だが敢えて本人が自分から言い出すまでを待つのは、リーデンのちょっとした悪戯心であった。
「えっと、その……ゲズゥは、一緒じゃないんですか」
「さあ。それなりに近くに居る気がするんだけどね。その辺の樹でも揺すれば落ちて来るんじゃない」

「そんな、虫みたいに」
 ミスリアは苦笑した。
「心配しなくてもお腹が空けば勝手に出てくるよ。聖女さんは気になる――」
「いいえ」
 食い気味に返された否定の言葉に、俯き加減に傾かれる頭。これは早目に本題に入らないと口のみならず心の窓まで閉ざしそうだな、とリーデンは判断した。

「ずばり君の悩みってアレでしょ。『いつか来る別れ』に関係してるんだよね」
「…………」
 呼吸に僅かな乱れが生じたのが聴こえた。しかしそれを除けば、反応が薄い。胸板は規則的に上下を繰り返し、目線は隠れたままだ。

「こっちは否定しないんだね」
 ひたすらに、沈黙があった。
「ねえ聖女さん。もしもの話だけどさ」
「……はい」
 ようやく顔が上がった。光を映さない双眸がこちらを向く。

「もし君が兄さんの為だと思って何か大事なことを隠してるなら、思い直してね」
 ぱちり、ぱちり、と静かに瞬く瞳。
「知らないことを知った時にどんな反応をするかなんて、その時になってみないと本人にだって予想できない」
 リーデンがそう言ったのと、ミスリアの唇がぎゅっと引き結ばれたのは、ほぼ同時だった。

「こういうことに『前科』がある僕が言うのも説得力無いかな? 相手の為だと思ってやってることが、実際は相手の気持ちを完全に無視してるなんてザラでしょ。話し合って、ぶつかり合って、こじれてもまた歩み寄るのが人付き合いってもんじゃないの。先回りして向こうの気持ちを読んでるつもりでも、そういうのって、あんまりうまく行かないよね」

「そう……ですね」
 囁きのような肯定が返る。
「あの人が壊れたとしても、君がそこまで責任を感じる必要は無いんだよ? 結局のところ、どんな環境や出来事に直面しても、心の状態は本人の自己責任でしかないんだ」
 だから思い切って打ち明けてしまいなさい、とリーデンは言葉の裏から念じた。

「そんなつもりは、ありません。私が臆病で、楽な方へ逃げたがっているだけです」
「ふむ。君には君の心を守る権利がある。たとえそれで誰かが傷付いたとしても、ね」
 目が合うように、ミスリアの顎を指先でそっと方向転換させた。

「ありがとうございます。そう言われると、少しだけ楽になります」
「相談に乗ってあげたいのは別に僕がいい人だからってワケじゃないよ? 君の精神状態が気になるのは、君のことが好きだから、だよ。そこんとこ憶えといてね」
 ちょん、とミスリアの小さな鼻に人差し指を当てた。
 照れ臭そうに笑って、彼女は応じる。

「あ、ありがとうございます。私もリーデンさんのこと、好きですよ」
「それは嬉しいね。でも僕以上に君と付き合いが長くて、多分僕以上に君のことを見ている人を、いつまでも無知という闇の中に閉じ込めないであげてね」

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23:58:45 | 小説 | コメント(0) | page top↑
筋トレ覚書
2016 / 07 / 07 ( Thu )
このごろ上腕三頭筋のたるみがひどいのでチェア・ディップスと腕立て伏せを仕事の合間にやる甲です。

やはり腕の美しさといえば上腕三頭筋が肝だ。二頭筋なんて邪道よ。

相方:一日100の腕立て伏せと腹筋運動で治せない病は無い
私:腕立て、朝に12回やって今15回やった
奴:じゃあ残り100-(12+15)だな
私:73(゚д゚lll)

あと73回 や、やるか…? そもそも腹筋100回なんぞやだよ。
でも社会人ライフで握力落ちたからバイオリンとか練習してもスタミナ無くてすぐ疲れるんだよなー。 *握力と腕立ては関係ありません

昨日はLeg Dayだったので筋肉痛がやばいです。今日はおとなしくルームランナーだけにしようかなぁ。


ちなみに甲の構想練る際に一番はかどる時は
1.運動中
2.シャワー中
3.仕事OR断食中
4.編み物などの手作業中
5.眠れない時
6.読書・ゲーム・アニメなどその他のフィクションをインプット中
7.普通に執筆時

もし万が一にも作家になるチャンスが到来したとしても、兼業じゃないとやっていけない気がする。作家一本でやろうとしたら、たぶん私はアイデアが枯渇すると思います、割とマジで。生活の中に他のものがあるからこそネタが沸くのですね。


あ、そうそう。
前に行ってたアンソロ企画のサイトがオープンしました。つっても現在は非公開部分が多いですが。

http://muscadine2525.wix.com/chronicles

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