60.g.
2016 / 08 / 08 ( Mon )
 だからと言って当人たちに問い質すわけにも行かず、ミスリアは手の中の方位磁石を回して暇を持て余した。
 その内、壁際の本棚にもたれかかっていたリーデンが顔を上げた。

「ほぼ未踏の地だけど、案内役を頼める人間がいるくらいなら、完全にそうじゃないんでしょ」
「はい、時季によってはあちこちに野営地が見られるみたいです」
「集落じゃなくて、野営地なんだね」
「現地人は主に遊牧民が多いそうです。跡地の位置ですら地図に載ってないそうですけど」

「ふーん、それは知らなかったな。僕は聖女さんに会うまでは、ヤシュレより北に行ったことなかったからさー」
「私もあまり詳しくは無いですね」
 ミスリアは思わず苦笑した。遊牧民のことは、召集を通して聞き知ったのである。
「でもこの地で修行したんでしょ。ファイヌィから此処までだと、なんだかんだ色んな場所を通過したんじゃないの」

「私は九歳の頃に教団本部に来たんですけど、何ヶ月も馬車に揺らされて気持ちが悪かった以外の記憶は無いですね……。全く寄り道しませんでしたし」
 そして去年――教団を発って一度里帰りを、ついにはゲズゥと出会うまでの道のりでも、道草をする余裕は無かった。
「それは勿体ない気もするね。そっちの聖女さんは? 『北』は行ったことあるの」
 話を振られた聖女レティカは、真っ直ぐな青銅色の髪を揺らして頭を振った。

「アルシュント大陸をそれなりに旅しましたけれど、それでもヒューラカナンテより北は、わたくしにとっても未知の領域ですわ」
 聖女レティカの返答を受けて、リーデンは唇に親指の先を当てた。
「気になることはイロイロあるんだよねぇ。魔物信仰、遊牧民、それと……九人、だっけ」

「何がですか?」
 突然の数字が指すところがわからず、ミスリアは首を傾げた。
「前に枢機卿の人が言ってたよね。旅に出ている聖人聖女の中で、現在でも連絡が途絶えてないのは、君含めて九人って」

 リーデンが掌でミスリアを指した。彼の手首に連なる腕輪(チャクラム)が、しゃらん、と耳障りのいい音を立てたのと同時に、ミスリアの脳裏にグリフェロ・アンディア枢機卿猊下の声が蘇った。

『三十六名が過去二十年以内に聖獣を蘇らせる旅に出て、未だに旅を終えていません』

 旅を終えていないと判じられる基準に想いを馳せる――おそらく、一に聖獣がまだ蘇っていないことと、または二に、本人がヴィールヴ=ハイス教団に帰還していないことだろうか。

「その数字ですが、わたくしが先日聞いた限りでは、五名になったそうです」
 横合いからレティカが静かに口を挟んだ。「一人は死が確認されて、残る三人は先月を最後に、音沙汰が無くなったそうですわ」
「まあ、そういうこともあるよね。焦点を移そう」
 何故かリーデンは消えたかもしれない三人については何も言及しなかった。彼はもしかしたら既に耳にしているのかもしれない。
(消えた三人の内の一人が、北に向かったってことを)
 その者は年配の聖人だったそうだ。それ以上のことは、詳しくは聞かされていない。

「二十年の間に行方不明者が二十人以上出てるんだよね」
 問われて、首肯した。
 本棚から身を起こしたリーデンが、にっこり笑って近付いて来た。

「さて、聖獣を蘇らせるには、『幾人』の聖人聖女が要るのかな」
「――」
 無意識に、ミスリアはひゅっと喉を鳴らす。
 またもや無意識に、目が泳ぐ。扉の脇に佇むゲズゥを一瞥すると、底なしに黒い瞳と視線が絡み合った。数瞬ほどそのままだったが、どこか責められているような気がして、目を逸らしてしまう。
 台所にて鍋を火にかけているイマリナの後ろ姿を眺めながら、どう答えたものかと思案する。

「白状しますと、そのように考えたことがありませんでしたわ」
 幸い、レティカが先にそう言ってくれた。後に続く形でミスリアも口を開く。
「……私は少しくらいはあります。でも行ってみなければ答えに至ることはできないと、思います……」
「ん。それもそうかー」
 くるりと裾を翻して、リーデンはあっさり引き下がった。

 ――どうしてこんなにも察しが良いのだろう。
 いっそ寒気がするほどだった。
 そしてまた話題は移り変わる。

「ねえ教えてよ、聖女さん。聖地を巡っていた順番に何か意味があったんだよね。これから北上するってことは、もう巡礼はいいの?」
「まだひとつ、聖獣の元へ向かう前に訪れなければならない聖地があります」
 件(くだん)の場所は他ならぬ教団の敷地内にあるのだと、ミスリアは語った。

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