60.h.
2016 / 08 / 11 ( Thu )
「聖地を保護する団体の拠点が、これまた聖地の上に建てられたのは、自然な流れなんだろうね。どっちにしろ、近場みたいで安心した」
「すみません。何かと移動ばかりでは疲れますよね」
「んーん。のんびり時間に余裕を持って移動してるから、疲れるなんてことは全然無いよ。むしろ、此処に着いてからは君に比べて遥かに暇かな。ねー、兄さん」

 ああ、との返事があった。
 たったそれだけの声を聞くだけで、どうして心が掻き乱されたように感じるのだろう。唇の端を軽く噛んで、ミスリアは雑念を振り払った。

 ――出発は来週。
 明後日は典礼に出席し、それから聖地を訪れる。
 予定を伝え終えると、ミスリアは話を切り上げて部屋を出た。聖女レティカを伴い、大聖堂の方へと緩やかに歩を進める。

(カルロンギィ渓谷から此処までの道のりに関しては、何も訊かれなかったな)
 訊かれたとしてもどう答えたものかわからないのだから、それで良かった、はずだ。
 悶々と思考が絡まって足を止めると、ふいに行き先の変更を提案された。

「わたくしの部屋に行きませんか。よろしければ、心中をお話しくださいな」
 レティカから優しく声をかけられた。彼女の宝石のように美しい碧眼を見つめ返して、逡巡する。相談に乗ってもらえるなど願っても無い話である。
 旅の仲間とは別の、友人というものの有難さ。本当は、近くに居るだけで、わけもなく心強く感じていた。ミスリアは礼を言って承諾した。

 そうして二人は小さな個室に行き着いた。
 見習いから修道士までは共同寝室を利用するが、聖人以上となると個室を申請することができる。個室と言っても家具は最小限であり――窓ひとつに、ベッド、机、上開きのチェスト――修道院の独房と大差ないらしい。
 窓枠に置かれたポプリの小瓶から、ローズマリーの香りが漂っている。落ち着ける場所に入った反射か、小さなため息が唇の間から漏れた。

「どうぞ」
 机に付いている椅子を引き出して、レティカは座るように勧めてきた。ぎっ、と短い軋み音を立てて腰を下ろす。一方のレティカはベッドの方に腰を掛けたので、見下ろすような形になってしまった。低身長なミスリアは、どうも人を見下ろすのに慣れない。
 咳払いで気を取り直して、口火を切った。

「私の姉も聖女だったという話はしましたよね」
「ええ、聞きましたわ」
「実はこの前、ウフレ=ザンダという国に行ったのですが……」途中で言い渋る。あの辺りの旅の記憶を遡るのは、容易ではなかった。「すみません、順序を考えてもいいですか」

「構いませんわ」
「ありがとうございます」
 まずはカルロンギィ渓谷で見知ったことを話すことにした。そしてそこから生じた疑問点も。
 最初に巡った数か所の聖地は、次に向かうべき場所を視覚などに訴えかけて教えるという、直線的な情報をもたらしてくれた。
 しかし、カルロンギィ渓谷のあの岩壁からは違った。

「確かに導かれました。遠くから『話しかけてきた』どなたかが、私に言葉を授けて下さったのです」
 聖獣のものと思しき意思は、そこが次の巡礼地かどうかは教えては下さらなかった。その点が曖昧だったが、姉が命を賭して守った地に足を踏み入れたら、またしても声は接触してきた――。

 静聴していたレティカの面差しに、共感の色が広がった。やはり彼女も、聖獣に至るまでの聖地巡礼とはただ一直線にこなすものではないと理解しているようだった。

「本人が聖獣さまと同調しやすいかどうかが決め手みたいですわ。わたくしは貴女よりも同調しにくいようなので、聖地を七つ巡ってもまだ、かろうじて途切れ途切れに声が聴こえた程度です」
「教団はこのことは……」
「伝えませんわ。伝えられないのでしょう」

「……はい」
 隠蔽とは必ずしも、悪意と謀略を背景にしていない。聖獣と同調した果てに待つのが何なのか、教団が知らないはずが無いのだ。
 頭ではわかっていても、心の方はまだ、追い付かないのである。

「それ即ち『死』と同義。恐れをなして誰も旅に出なくなりますものね」




今回の60話ってなんも起こってねーなー、とか思って最初から読み返してみたら、全然そんなことは無かったw

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