59.g.
2016 / 07 / 11 ( Mon )
「レティカ・アンディアですわ。イマリナ=タユスの町では大変お世話になりました」
 聖女は裾の長いスカートを抓み上げて優雅に一礼した。真っ直ぐな青銅色の髪が、ハラリと肩から流れ落ちる。
「どーも。元気そうで何よりだよ」

 心の篭らない挨拶を並べながらも、リーデンも腰を折り曲げて礼を返した。聖女レティカと会うのは去年以来だ。あの時の彼女は、護衛の二人が死んだばかりで自暴自棄になっていた。
 今の姿からはあの時のような影は無くなっている。護衛の男の形見であろう投げナイフを革の柄に収めて首から提げているが、それ以外の違和感は無い。教団の敷地で鉢合わせたのも、自然な成り行きだ。此処は大陸中の聖人・聖女たちにとっては、帰る場所のひとつだろう。

「貴方は、ラニヴィア様の石像を観賞しに来たのですか」
「そんな感じー。なんかわかんないけど面白いんだよね、このポーズ。本人もこんなことする人だったのかなーって想像すると楽しいんだ」
「ポーズがですか」
 レティカは石像を一瞥した。

「地上の人々は天上の神々に己の総てを曝け出すべし――跪拝とは何かを願う為にのみする行為でなく、『我は摂理の一切を受け入れる』と知らしめて、この身をどうぞよしなにお使い下さいと天に伝える意もあるそうですわ。聖画などでも、よく見かける姿勢です」

「……その話はさすがに僕の理解の範疇を越えているけど、なるほどね」
「わたくしも、完全に理解しているとは言い難いですけれど」
 聖女レティカは一瞬表情を綻ばせたかと思えば、皮肉そうに笑って続けた。

「実際のお人柄に関しましては、想像の余地がありますわね。アンディア家に伝わるお話では、ラニヴィア様は大層なおてんば娘だったそうです。それからもっと…………肉付きのよろしいお方だったとか」
「ぶはっ! そうなの!? 百年やそこらでここまで事実を捻じ曲げるなんて、教団も必死なんだね」
「それは言わないでくださいませ……」
 気まずそうに自分の髪の毛先を弄るレティカを眺めるのもまた、リーデンには面白かった。
 ふとその時、どこからか鐘の音が鳴り響いた。定時に鳴らされる時計塔の曲とは異なる、反復的で短い旋律だった。

「夕餉の鐘じゃないね」
「ええ。召集の合図です」
 聖女レティカの、彫りが深い横顔からは「ついに来たか」と腹を決めたような輝きが見え隠れした。
 カリヨン(組み鐘)の音が重要な会合の始まりを報せているらしいのは、なんとなく感じ取れる。

「そんなこと、部外者の僕にサラッと教えちゃっていいのかな?」
 半ばからかう口調で問うと、レティカは心外そうに眉を吊り上げた。
「部外者ではないでしょう。聖女ミスリアから何も聞かされていませんの?」
 質問を質問で返されて内心では不愉快だったが、微塵も顔に出さずにリーデンは適当な嘘を吐いた。

「最近彼女忙しいからさ、ゆっくり会う機会無くてねー」
「でしたら、仕方ありませんわね。ではお話の途中で失礼をすること、お許しください。わたくしは行かなければなりません」
 再びスカートの端々を抓み上げる礼をして、聖女レティカは歩み去ろうとする。

「待って」
 声を低くして呼ばわった。打たれたように、レティカは立ち止まった。
「君たちの議題ってさ」
 質問を脳内で構築し、舌や歯や唇などで言葉にしようとして、しかしリーデンは思い止まった。開いていた口を閉じ、肩を竦めて微笑む。

「やっぱやめた。後で、僕らの聖女さんに訊くことにするよ。じゃあね」
「それが良いと思いますわ」――レティカは小さく頷き、去り際に付け加える――「貴方の周りの空気は、以前に比べて随分と柔らかくなりましたのね。これからもどうかお勤めに励みますよう、わたくしからもお願いいたします」

「はーい」
 何を願われているのかイマイチわからずに、リーデンは間延びした返事をした。レティカにとってはミスリアは友情を築いた相手であるはずだから、護衛に頑張って欲しい、という心理だろうか。
(周りの空気か。性質だとか因子だとかに色が付いて見える、って話だっけ)
 イマリナ=タユスで関わった頃の聖女レティカは、リーデンやゲズゥを長く直視すると気分が悪くなっていた。それがいつの間にか、普通に会話をしても平気になったようだ。

 小さくなっていく後ろ姿を見つめる。変わったのはレティカではなく、自分。
 ついリーデンは下唇を舐めた。
 変化とは根強く継続される種の変化であるか、それとも聖女ミスリアとの繋がりが切れれば容易に白紙に戻る程度のものか。

 ――自分自身、どっちであって欲しいかがわからなくて、何故だかゾクゾクした。

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