60.f.
2016 / 08 / 05 ( Fri )
「自分が属している組織だと言うのに、辛辣ですね」
「泥臭い部分を見過ごしてでも尽くす価値があるが、泥自体は消えない」
 男がそう答えると、嘲るような笑いが双方から漏れた。蝋燭の炎が突然の吐息に揉まれて、揺れる。

「……もっぱら当面の問題は、実際に洗脳紛いの信仰を広めている、あの連中ですけどね」
「同感だ」
「どうにもあの子を、猛獣をおびき寄せる餌代わりにしているようで、気分が悪いです」
 教皇は首を後ろへ傾(かし)いで、小さくため息を吐いた。

「引き受けたのは本人だ。ならば同情は不要」
「おや、さっきと言っていることが違いますけど」
 へにゃりと笑って教皇が指摘する。すると、男は教皇を見下ろして歪に笑った。
「あれは個人の感傷。そしてこれは、人の上に立つ者としての覚悟。人を使う、覚悟だ」

「お止めなさい。大切な聖女を道具のように使い捨てるのは許しませんよ」
「語弊だ。自己犠牲の精神に敬意を払って、最大限に有効活用してやるのさ」
「生き延びる心積もりで挑むなら、自己犠牲ではないでしょう。ものの見方がとことん合いませんね、君とは」
「大義の為に人命を費やすところは同じではないか。ただし貴様らは本人自らそれを望むように推奨して、我々は命令している」
 結果にいかほどの違いがあるのか――と男は笑った。

「個人の一生を尊重する君が、逆らえぬ部下たちに残酷な命令を下して組織を前進させる様は皮肉ですね。その矛盾をどう消化しているのです」
「簡単だ。命令に従うことに疲れたら出世すればいい、とのように下っ端どもを慰めている」
 男は不敵そうに言い切った。

「…………君は、なんていうか――長生きしそうだね」
 元の砕けた口調に戻り、教皇は呆れ気味に目を細める。
「安心しろ。少なくとも貴様の倍以上は生きるさ、寝首さえかかれなければな」
「ふふ。その寝首をかかれなければ、が難しいんじゃないか。せいぜい頑張りたまえ」
 直後、二人を取り囲む闇を満たしたのは、気を許した者同士の間に流れるような暖かい空気だったのか。少なくとも、悲壮感などでは決してなかった。

 誰が言い出したわけでもなく、二人は似たタイミングで歩き出した。
 通路を抜けて、隠し扉の前の本棚を押し戻し――責務と重荷が待ち受けている、現実世界へと再び足を踏み入れる。

_______

「というわけで、当初の予定通りに北に向かいます。問題は、当初の予定よりも時間がかかるかもしれないことですね」
 ミスリアはコーヒーテーブルの傍の席から、部屋に居る仲間たちと聖女レティカの顔を順に見回した。

「このヒューラカナンテから見て北東に都市国家、北西にウフレ=ザンダ。けれど真っ直ぐ北上した先は、ほぼ未踏の地になります」
「そうですわね。緻密な地図は手に入りにくく、地形と天候が厳しいのですものね」
 テーブルの向かいに座る聖女レティカがさりげなく補足する。

 更には、おそらく危険な集団による不穏な動きが予想されると、幾度に渡る召集によって警告されたのである。現に案内役を伴って調査に出かけた組織の成員からの連絡が途絶えたと言う。
 そのことと、旅の一行に組織の同伴者が加わることを話すと、護衛たちは黙り込んでしまった。
 こちらの話を今も聴いている様子であるが、お喋りなリーデンでさえ数分ほど発言をしていない。

(もしかしたら二人で秘密の談義を……?)
 呪いの眼を共有する兄弟の特殊な会話方法を思い浮かべた。

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