43.e.
2015 / 05 / 22 ( Fri )
 隣を歩く女性に視線を移し変えた。彼女は桃色のチュニックに麻ズボンと、いつものように動きやすそうな格好をしている。
 あの強烈な蹴りを繰り出す脚を、焦げ茶色の革の長靴を、ミスリアはじっと眺めた。布越しに薄っすらと窺える太ももの筋肉の盛り上がり以外に、この脚の真の破壊力をにおわせる特徴は見られない。

「初めて会った時も思いましたけど、ティナさんってすごい身体能力ですよね」
 感心して言うとティナは「あら」と上機嫌に応じた。
「これでも物心つく前から鍛えてたのよ。母親は傭兵だったから、毎日のように訓練に付き合わされたわ」

「お母様の影響だったんですか」
 その母親とは何年も前に死別したのだと思い出し、ミスリアは気まずい想いで表情を曇らせた。当事者のティナは一度寂しそうに笑って、次の瞬間には明るく大声を出していた。

「それは良いとして、ちょっと暴れすぎたかな……明日筋肉痛になったら面倒ね。でもやっと外に出られたんだから、じっとしてるよりはマシだわ」
「あ! そういえばお久しぶりです」
 攫われかけた衝撃の方が大きくて失念していた。実際のところ、ティナとは二ヶ月近く会っていない。会いたくても会えない場所に彼女は居た。

「おつとめ終わってたんですね。またお会いできてよかった」
 閣僚をつけ狙った事件の後始末の一端として、ティナは短期懲役を言い渡されたのだった。屋敷を何度も襲う内に大怪我をした衛兵も居たため、どうやっても処罰なしでは済まなかったのである。

「出た後も当分は強制労働を義務付けられてるわ。無償で働かせられるのはキツいけど、このくらいで済んだのは幸運だったと思ってる。聖人さんや司教さまのおかげね」
「はい」
 ミスリアは深く頷いた。約束通りカイルたちは大臣や役人相手に奮闘してくれたので、ティナにとっての好感度も上がったようだ。それがまるで自分のことのように嬉しい。

 特に目的地もなく歩いていたら、気が付けば一同は街道を外れて見晴らしの良い一角に出ていた。帝都ルフナマーリの城下町がよく見渡せる。あれだけの数の人々が忙しなく生活するのを少し立ち止まって眺めているこのひとときに、何故だか特別な気分になれる。
 自分たちの居る位置の思いがけない静けさと目線の先の騒々しさとの落差を味わい、浸った。

「『施設』はひどい場所だったわ」
 ふとティナが俯き加減に呟いた。伸びてしまった髪を、右手で梳いて左肩に流しまとめる。
 ミスリアはハッとなった。無意識からの仕草だったのか意識的に見せてくれたのかはわからないが、チュニックの襟下の小麦色の柔肌に青黒いアザが幾つも浮かんでいた。一体何の痕なのだろうか、訊くのが怖い。

「それでも母さんが死んだばかりの頃とは比べられないくらい気が楽だった。だって、耐え抜く意味があるのだもの。出てきたらまた子供たちと暮らすんだって、あの子たちの成長を見守るんだって強く想っていたら何だって平気だった。待ってる人がいるだけで何もかも違ってくるのね」

 かける言葉に窮し、ミスリアは視線ばかりを彷徨わせた。するとゲズゥの闇のように深い黒目がじっとティナを捉えているのが見えた。

「母さんが居なくなって司教さま――あの頃は神父さまか――の元から逃げ出した後、のたれ死ぬのも悔しくてさ。否が応にも生きようとしたわ。でもあたしね、すぐにやる気がなくなっちゃって。食べ物を探すのも盗むのも満足にできなくて。良心が空腹に勝ったのかな。生きる力そのものが足りなかったのかな。よく倒れてたわ」
「……どうして神父さまから逃げたんですか?」

「怖かったの。神父さまは底なしに優しかったけど、あの優しさが怖かったというか――ううん、あの世界が怖かった。普通の人が生きる普通の生活に入っていけると思えなかったのよ。母さんは絶対に他人を信じるなと釘打ってたし、普通の人の世では私たちは生きていけないよって、ずっと言ってた」

「戦闘種族だからか」
 いきなりゲズゥが会話に割り込んだ。
「そうね。本名はティナ・アストラス・クレインカティ。あなたたちとは同系統ね」

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