1-1. d
2018 / 03 / 07 ( Wed )
(さすがまきちゃん)
 真希は男性陣と自然な会話を続け、間が開けば誰かに話を振っていた。残る二人の女性にも自己アピールする機会を差し挟んだり、空いたグラスにビールをテキパキと注いでいくなど、気配りにも余念がない。

 媚びた印象がしないのが、すごい。
 これを「出しゃばってる」と評する女子もいるだろうけれど、唯美子には感心しかなかった。
 ちなみに会話の内容はというと、男性側が自身の趣味を語り終えたところだった。

「きゃー! 笛吹《うすい》さんってサーフィンやってるんですか? 今日見せてくれればよかったのにぃ」
 眼鏡をかけた同期の山本女史がやや大げさにリアクションをした。普段よりも、頑張って明るく話しているのがわかる。

「夏は日中混んでて思うように楽しめないかな。だから僕は最近、ナイトサーフィンにはまってるんだ」
 男性陣の中で抜きんでて顔立ちが整っている二十代後半の彼は、名を笛吹秀明という。鋭そうなタイプのイケメンだが、笑うと目元が柔らかくなって、こちらの好感を誘う。

 雑誌のモデルが務まりそうなスラッとした長身、均整のとれた体格。スポーツで汗を流している姿がよく似合う彼は、一方で社内でも周囲の信頼が厚く、仕事ができる男として知られている。
 どうやら真希は彼を狙っているらしかった。

(美男美女で、お似合いだよね)
 のんびりと缶ビールを啜りながら、唯美子は蚊帳の外から見守る。もともと奇数の集まりで自分の居場所はないし、真希のついでに来ただけだ。引き立て役として連れてこられたのだと指摘されようと、これといった反論はない。

「夜のサーフィン!? うそー、超ステキ! 見にきちゃだめですか?」
「どうかな。今夜は曇りそうだから、難しいね。ここの浜辺は夜は灯りが少なくて、月光に頼らないといけないんだ」
 笛吹は嫌味のないジェスチャーを添えてしゃべった。そこに、黒髪をロングボブにした田嶋女史がうっとりと言う。

「月明かりのサーファー、いいですねえ」
「ありがとう。やってみるかい」
「初めてが夜って危なくないですか? 私、そんなに運動神経よくないですよぉ……でも先輩が教えてくださるなら安心かな」
 田嶋女史が上目づかいに言葉を紡ぐ。この流れで二人は約束を取り付けるかのように思えた、が。

「笛吹さんって現在フリーなんですよね。めちゃくちゃモテそうなのに、信じられないわ。あ、ビールもっとどうぞ」
 横から真希がさりげなく割り込んだ。笛吹の腕にそっと触れるなど、ボディタッチも抜かりない。
 ありがとう、と彼は満杯になったビールを嬉しそうに受け取る。

「買いかぶりだよ。僕はこれでも女性にはうるさいんだ。深入りすれば、いつも相手の方から逃げちゃうんだよね」
「お前そういや誰とも長続きしないよな」
 笛吹の隣の男性が肘でつついた。正直、名前はおぼえていない。

「そうなんですか? じゃあ試しに、理想のタイプがどんなか、教えてくださいよ」
「大して面白い答えは持ってないんだけどね」
「そんなこと言わずに、お願い! 条件がものすごく多いんですか? それともニッチな……ハーモニカが吹けるとか、スパイスの香りがするとか?」
「あははは! 八乙女さんこそ、発想が面白いね」
 こんな風に、男性の羨望の眼差しを集めるイケメンと女性の嫉妬の視線を集める美女の言葉のキャッチボールはしばらく続いた。

 いつしか会話に飽きていた唯美子は、先ほどの子供のことを思い返したりと思考を別の場所へ浮遊させた。時折、ふと笛吹と目が合った気もしたが、適当に微笑を返して、気に留めなかった。
(月か……街が近いし、見えないかな?)
 後でおぼえていたら民宿の窓から探してみよう、とこっそり思うのだった。


 満月を見上げていた。
 予報通りに、夜空は曇っている。昼間よりも風が出ているのか、雲は速やかに形を変え続けていた。
 月が幾度となく見え隠れした。その都度、表情を変えたようである。とてもではないが、街の灯りとは比べるべくもなく、心を惹き付けるものがある。

 冷たい感触が太ももを撫でる。
 首を下に動かし、深い闇を見つめた。その濃さは重い質感を伴っているようで、水面に踊る月光とはあまりに対照的だ。

(あ、パジャマ濡れちゃう……)
 潮水が勢いを増して戻ってきた。膝丈のボトムスの柔らかい布が水を吸って、肌にくっつく。
 それから意識が明晰になり、ここが海の中だと気付くまでに、数秒かかった。
 ――海。

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00:00:03 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. c
2018 / 03 / 04 ( Sun )
「知ってるっつーか、まあ、うん。仲良くはなかったけど。いちおう、報せを受けたから」
 少年は頬をかいてぶっきらぼうに答えた。
(そっか、ひよりおばあちゃんのお友達だったのかな)

 祖母は県内に、それも車で三十分という、頻繁に会いに行ける距離に住んでいた。週に何回か会っていたが、この子が話題に挙がったことはなかった。祖母はあまり写真を飾るような人ではなかったし、日記の類も目にしたことがない。二人に縁があったかどうかなど、どちらとも判断がつかない。しかしそうであれば彼が唯美子を知っているのもうなずける。

(おばあちゃん……教えてくれればいいのに)
 どんなに仲が良かったつもりでも、誰かが持つすべての顔を知ることはできないのかもしれない。もっと話せばよかった、もっと会いに行けばよかった。こみ上げる後悔に、ぐらりと視界が歪んだ。

「だいじょうぶか、ゆみ」
 ぺたり。今度は頬に小さな手の感触がした。柔らかくて、ほんのりと温かい。
「うん、気遣いありがとう」
「ちげーよ。そういう話じゃない」

 否定する声は険しい。びっくりして少年を見下ろす。
 赤い舌が一瞬、歯の間からちろりと出入りした。
 ――まただ。また刹那の間に、少年の両目に黄色い環《わ》が浮かんだように見えた。

「いいか、ゆみ。ひよりはおまえをまもるための『不可視の術』をかけてたんだ。いわゆる、まじないってやつ。けど術者が死んだ時から、効力が徐々に弱まってる」
 突拍子のない話に、呆気に取られた。「術」や「呪い」と言われても思い当たる節がない。
 子供のごっこ遊びかと思って笑い飛ばそうにも、そんな雰囲気ではなかった。少年は難しい単語をさも当然のように扱ったし、表情や声音には大人びた深刻さがある。
 問い質すしかなかった。

「なに、言ってるの」
「要するにだな。これからおまえ、何かとめんどーな目に遭うぞって話」
「面倒な目……?」
 どういう意味、と訊き返そうとしたその時。浜から「おーい」と呼ばわる者がいた。見れば、社の同僚たちが浅瀬から引き揚げている。
 ふいに頬に触れていたぬくもりが消えた。

「なあ、ゆみ。みず恐怖症はもう克服できたか」
 浜辺の喧噪が一瞬だけ耳朶から遠ざかり、少年の声だけがやけに大きくきこえた。そしてやはり「ゆみ」の発音が独特だ。
 ――きみはそんなことまで知ってるの。

 口を開きかけて横を振り向いたら、そこには誰も居なかった。浴衣姿の男の子も、異様に大きいトンボも。
 人込みの中に視線を走らせる。ビーチチェアの下も思わず探った。
 まさか暑さにやられて幻覚を――否、妄想の産物にしてはディテールが凝りすぎていた。自分にはそこまでの想像力も独創性もない。

「今の子、知り合い?」
 水着姿で歩み寄ってきた真希の問いかけで、幻ではなかったと確信する。友人にも少年の姿が見えていたのだ。砂に目を凝らしてみれば、確かに子供サイズの下駄の跡があった。
「ううん」
「えー。迷子に絡まれてたのぉ」

「迷子じゃなかったけど……なんていうか、よくわかんない子だったよ」
 祖母の友達だったという可能性を話そうかどうか迷ったが、結局どう説明しても謎が増えるばかりな気がして、断念した。
「そう? みんなが、そろそろバーベキューの準備しようってさ。行こうよ」
「わかった」
 謎の子供の件をひとまず意識の隅に追いやって、唯美子はチェアから立ち上がった。

     *

 女性四人、男性三人という組み合わせで食卓を囲んでいた。女性陣は全員が事務員、年齢も二十代前半、とほとんどとスペックが似通っている。
 こう表現してしまえば野暮だが、顔のレベルは(唯美子含め)およそ平凡。唯一、都会暮らしが長かった八乙女《やおとめ》真希が例外的に垢ぬけている印象だ。
 ポニーテールを下ろして化粧を直した真希は、昼間の彼女以上に、華やかな空気をまとっている。

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00:05:25 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. b
2018 / 03 / 02 ( Fri )
 ぺたり。

「え、なに!?」
 突然触れたぬくみに飛び起きる。おそるおそる、デニムショーツから覗く膝に触れているものに焦点を定めた。
 小さな手、だった。

「みぃつけた」
 蛙柄の青い浴衣を着た溌溂《はつらつ》そうな子供が、死角からひょっこりと顔を出してきた。
 七か八歳くらいの、大きな目と小麦色の肌が特徴的な、東洋系の顔立ちをした男の子だ。子供にしては彫りが深く、どこか東南アジアっぽさを感じる。

 首元までの長さのボサボサの黒髪は毛先が不揃いで、左右のもみあげの部分だけがやたら長い。前髪も長いが、斜めに分け目があってなんとか目が隠れていなかった。
 トンボが子供の頭にとまった。少年は眼球をぐっと上に巡らせつつ虫たちに話しかける。

「鉄紺《てつこん》、栗皮《くりかわ》。ごくろーさん」
「きみのトンボなの? 大きいね」
 渋いネーミングだとこっそり思いながら、指さした。
「ん、こいつらはおいらの僕《しもべ》だよ」
 少年は得意げに笑った。上列の歯に中心から少しずれた箇所に隙間があって、愛嬌を感じる。

 そうなんだ、とつられて笑みを返した。
 この年頃の男の子だ、虫を僕と見立てて遊ぶのもうなずける。それにしてはトンボらが本当に従順そうに翅を畳んでいるのは気になるが。
「ねえぼく、お父さんとお母さんは?」
 辺りに保護者らしい人物が見当たらないので、訊ねてみた。

「お父さん、お母さんんん? んなもん、いたことねーよ。なに言ってんだ、ゆみ」
 男児は不可解なものを見るように眉を捻った。ごく自然な質問だったはずなのに、彼はなぜ声を裏返すのか。
 いや、そんなことよりも。独特なイントネーションだったが、もしや名を呼ばれたのではないかと耳を疑う。

「なんでわたしの名前を知ってるの」
「なんでっておまえなぁ」
 我が物顔で少年はチェアの上によじ登ってきた。探るようなまなざしで、じっと唯美子の瞳を覗き込んでくる。思わず見つめ返した。
 少年の双眸は濃い茶色だ。底知れぬ深みに、瞳孔が溶け込んでいるみたいな――

(茶色……だよね)
 瞬きの間にちらりと薄い色が見えた気がした。瞳孔を縁取る黄色だった。見間違いだろうか、次の瞬間には元に戻っていた。
「ははーん、何十年も前の話だから忘れてんのか」
 その言葉で我に返る。
 少年は得心したとばかりにニタリと笑っている。

「な、なんじゅうねん? わたし、まだ二十五歳だよ。それじゃあきみは何年生きてることになるの」
「五百年とちょっとかな」
 彼は一文字ずつ、大げさに唇を動かす。
 少年は砂の上に跳び降りると、なぜかくるくると側転をし出した。鮮やかな青い袖がはためいている。二匹の大トンボが、所在なさげに空を舞う。

 不思議な子供だ。おかしな嘘のことはともかく――話し方や間の取り方に子供離れした様子がある。気ままそうに見えて、自らの言動や挙動を意識している風だ。
 最近の子は皆こうだったかな、と甥や姪を思い浮かべて比べてみたが、どこか違和感があった。
 別の問いを投げかけてみる。

「ねえ、『みつけた』って言ってたよね。きみはわたしを探してたの?」
「そーだよ」
 即答だ。唯美子は続く言葉につまずいた。
「……どうして」
 すると少年は側転をやめた。
 振り返った顔は、可愛らしい蛙柄の浴衣とちぐはぐに、ひどく真剣である。

「ひよりが死んだんだろ」
 その声に悲しさはなく。静かな、労わりだけを含んでいた。
 唯美子は無意識にパーカーの裾を握る。
「おばあちゃんを知ってるの……?」
 正確には「知ってたの」だが、心の整理がついていないところもある。咄嗟に口から出てくるのは過去形ではなく現在進行形だった。


最初だったので二日連続更新しましたが、次からは3~4日に一度ペースになります。
よろしくお願いします(o*。_。)oペコッ

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00:02:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
1-1. a
2018 / 03 / 01 ( Thu )
 まどろみがじわじわと冷気に侵される感覚に――またこの夢だ、とぼんやり思った。
 大好きな祖母が亡くなってしばらく経ってから、繰り返し見るようになったものだ。

 風景は涙で滲んだようにおぼろげで、向かい合っているのが自分と歳の近い男児だというのがわかるだけである。
 なぜか夢の中の自分は悲しい。理由はわからないが、息苦しいほどに悲しくて、消えてしまいたい。

「なくなよ。おいらがゆみをまもるから」
 水音のような雑音が混じる中、そのセリフだけはちゃんと聴き取れる。涙に暮れる自分を、男の子は根気強く慰めてくれているのだ。
 やがて安心して、彼にうなずきを返す。

「うん。ありがと」
 少年の顔はぼやけて不明瞭だ。なんとなく懐かしく感じる声も、ひとたび目を覚ませばどんなものだったか思い出せなくなってしまう。
 けれど、温かい。
 握った彼の手がぬるま湯みたいにやさしかったのは、いつも起きてからも鮮明におぼえている。

     *

 耳元に響く虫の羽音にびくりと震えた。
 漆原《うるしばら》唯美子《ゆみこ》は眠気の抜けない頭をゆっくりと仰向ける。
 白いビーチパラソルの向こうでは、薄い雲に縁どられた太陽が輝いていた。

 七月半ばの今日は、風が弱く、ひたすらに暑い。傘の下から出たら、たちまち茹で上がってしまうことだろう。
 ビーチチェアの上で足を組み直し、唯美子はスマホの表示を確認した。まだ午後の三時を回ったばかりである。
 漏れ出すあくびを手で覆った。

(うたた寝でも、あの夢みるんだ)
 ここまで何度も見るとは意味深だ。夢という形の記憶の再現かもしれない。
 そうであれば、あの男の子は一体誰なのだろう。心当たりはまるでなかった。

(昔のアルバムを探せば出てくるかな? こんど、お母さんに頼んでみよう)
 あるいはこの夢は唯美子の秘めたる望み――守ってくれる幼なじみが欲しいとか――を映し出しているとも考えられるが、それこそ心当たりがない。

 まあいいか、と両肘を抱いて大きく伸びをした。
 浅瀬で会社の同僚たちが男女混合でビーチボールを飛ばし合っている。
 こちらの視線に気付くと、友人の真希がポニーテールを揺らしながら大きく手を振ってきた。

「ゆみこもおいでよー!」
「ごめん、むりー」
 声を張り上げて応じた。

 こんなにも暑い中、太陽の下を動き回る体力がないとか、もうしばらくくつろいでいたいというのも一因だが、唯美子は基本的に海に入らない。海に限らずとも、水深が身長を超えるのであれば河もプールも入りたくない。

 なにしろ泳げないのだ。基本動作は学校でちゃんと身に付けたのだが、過去に溺れて死にかけた体験があって、そのトラウマが脳裏に刻み付けられたのがいけない。
 浅瀬ならかろうじて入れなくもないが、気乗りしないのであった。

 真希もその辺りの事情を了解しているため、残念そうに眉を垂れ下げたものの、食い下がらなかった。
 ボンッ! と爽快な音を立ててビーチボールが天高く飛び上がる。

 楽しそうだな、と思う。交ざりたいとまでは思わない。元より唯美子は今日のイベント自体に乗り気ではなかった。
 こういった騒がしい場は得意ではない。休日は屋内で静かに過ごす方が好きなのだが、友人が「内陸県はつまらないわね! 経理課の先輩方を誘ってさ、海行きましょ、海!」と意気込んだので、気圧されてついてきた。

 男性陣とお近づきになりたいという明確な目的を持った真希と違って、唯美子は恋愛や婚活にそれほどやる気がない。入社二年目、彼氏いない歴、三年。周りの心配はともかく、現状ではおおむね独身生活に満足している。

(もっかい寝ようかな)
 ぐるんと横を向いてみた。
 ところが、妙な邪魔が入った。
 先ほどの虫がしつこく付きまとう。どれほど振り払おうとしても、戻ってくる。
 改めてよく見てみたら、それぞれ深い青と茶色の立派なトンボが二匹、寄り添うように飛んでいた。
 立派過ぎる。

 これでも田舎育ち田舎住まいだ、虫にはそれなりに耐性がある。が、手の平の大きさともなると、さすがに背筋がぞわっとした。
 ビーチチェアの上で精一杯、後退った。


久しぶりすぎて操作の仕方をやや忘れていた管理人は私です。

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03:13:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - f.
2017 / 12 / 01 ( Fri )
「おい! この状況で眠れるか、普通。とんでもないな」
 起き抜けに呆れた声が耳に入った。セリカは、寝ぼけ眼を瞬かせる。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない。馬の上で寝るな、危ない。何度言えばわかる」

 初めて会った時と同様の風変わりな格好をしたエランが、責めるような目で振り返る。筒型の帽子やボタンの多い詰襟の黒いチュニック、半袖の羽織り物。ヌンディーク公国に多少は慣れてきた今だからこそわかる、この服装は特異なものだ。
 聞けば、ルシャンフ領の先住民族から贈られたものだという。動きやすくて楽だからと彼は宮殿の外ではこちらを好んで着るらしい。

「だって眠くなるのよ……。いいじゃない、一応つかまってたでしょ」
 手首を布で結び合わせるという、保険はかけてあった。セリカは馬の手綱を持ったエランの後ろに乗って、振り落されないようにその腰につかまっていた。
 荷物はあまり多くない。後ろを走る荷馬車に必需品を積んである。二人で先行したいと言い出したのはエランで、その為に身を軽くした。
 現在、馬は速歩(はやあし)で野を横切っていた。やや遅れて、タバンヌスも続いている。
 エランは大げさにため息を吐いた。

「それより、もうすぐ着く。上を見てみろ」
「うえ?」
 言われた通りに上空を振り仰ぐ。
 時を同じくして、清々しい風が吹き抜けた。春が夏と出会うまでもう少しと言ったところの、暖かい風が袖口を撫でる。

 呼吸を奪われた。そう感じるほどの絶景であった。
 抜けるような青空を見上げたのは、いつぶりだっただろうか。遠くでは、絹を思わせる柔らかそうな白雲が並んでいる。
「空に落ちたら飲み込まれそう」
 自分でも変な感想だと思う。深く息を吸い込んでみると、肺は優しい夏の香りに満たされていった。

「まだ驚くのは早い。下も見てみろ」
 セリカは首を戻した。
 若葉色の地平線が、群青を受け止める。大草原が視界を占領していった。
 際限なく美しい眺めだ。奥に向かってなだらかな丘陵が展開しており、そこまですっきりと見渡せるほどに、平地が広々としている。

 後ろを振り返っても同じだった。いつの間にか森が途切れていたのだ。まばらな常緑樹だけが残っている。
 進行方向には木という木の姿はほとんどなく、あるのは草花と――白くて丸い人工物。てっぺんだけが尖っている。

「あの円柱、何?」
 指を指すと、形は指の爪ほどの大きさもないように見えた。いかに遠くにあるかを実感する。
「移動式住居だ。ルシャンフ領の民は冬は山や谷の近くに定住するが、暖かい間は放牧しながら天幕に寝泊りする」
 なるほど目を凝らしてみれば、住居の影に羊が見えた気がした。

「あたしたちも?」
「当然」
「遊牧民って排外的だって聞いたけど」
 泊めてもらえるだろうか。近くで天幕を張ることすら嫌がられるのでは、との疑念を込めて指摘する。

「一概にそうとも言えない。まあ私は、受け入れてもらえるまでに色々とやらされたな」
 そう言った青年の横顔には、領主の余裕みたいなものが感じられた。果たして領民はどんな人たちなのだろう。
「色々って何よ」
「それは後で話そう。酒でも入れないと、語る気になれない」
「えー。どんだけ恥ずかしい思い出なのよ」
 エランは誤魔化すように笑って、取り合わない。馬の走行を調整しているようだ。

「駆けるぞ。ちゃんと掴まってろ」
「うん」
 限界までに密着した。首筋と髪に顔を近付けると、もはや慣れつつある香油の匂いがした。夫の、とても安心する匂いだ。
 のびやかな風が草花を揺らす。目の前で黄色い蝶が二匹、ひらひらと舞っていた。
 掛け声と共に、エランが馬の腹を蹴った。

 ――穏やかな昼下がりだった。
 そんな世界を、息苦しいほどの速さで駆け抜ける。
 景色が勢いよく通り過ぎていった。胸が高鳴る。この手応え、爽快、としか評せない。

 ――ああ、ほんとうだ。あたしの知らなかった「自由」がある。

 約束がひとつ果たされた。それゆえに、溢れんばかりの幸せに浸る。
 これからいくつ約束を繋ぎ、そして果たしていくのか――楽しみだ。
 咳き込んだ。空気の流れが速すぎて、肌から熱がさらわれている。余計なことを一切考えられなくなる。余計なことを取り除くと、後には鮮烈な想いが残った。

「エラン! ありがとう! すっごくたのしい!」
 叫んだ。唾が少量、風に乗って消えていく。
「よかった! けど、まだこれからだ! セリカを楽しませるのは私の役目で歓びだ!」
 わかっている。が、これ以上喋ったら舌を噛みそうだったので、相槌を打つのは断念した。

 ――わかってる。あたしたちは二人でひとつの魂だから。

 きっと二人でなら、悲しいこと辛いことは分かち合うことができて、そのぶん楽しい遊びは倍楽しくなること、間違いなしである。
 面白そうだ。面白い人生に、これからなりそうだ――。





<了>



ちょっとこれからホットヨガ行くのであとがきはまた後ほどにw

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21:19:10 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - e.
2017 / 11 / 30 ( Thu )
ここまで来ていまさら回れ右したい人がいるかは謎ですがw 
それなりにいちゃつきます。苦手な方はご注意ください。



「任せなさい」
 嫌なことがある分だけ、優しくしてあげよう。半年ばかり年下の夫を見下ろして、そう決意する。
 当人は気持ちよさそうに目を閉じている。
(幸せそうな顔しちゃって、もう)
 ――満たされる。
 この感覚は何だろうとセリカは不思議に思った。胸が膨らんだようだ。誰かが嬉しそうにしているのを、こうも感化されて喜んだのは初めてだ。

「なら私は、お前に何をしてやればいい」
「え。元気にしてくれれば、十分だけど」
「それ以外で頼む。もっと欲を出せ」
「だってねえ……遊び相手になって、はもう言ったし、構って、も言ったわよ。対等に接してくださいとか? あ」
 エランはぐりっと首を巡らせてこちらを見上げた。変な感じがした。できればあまり動かないでほしい。
 窮屈だったのかなと思って、手を放す。

「笛、また聞かせてほしいな」
「わかった。約束する。今は取り込んでいて無理だが」
 むくりと彼は上体を起こした。
 別に今じゃなくても、と言いかけたところでふいに唇を塞がれた。

(この男! 取り込んでるって、そういう意味)
 脳内で悪態をつけたのはそこまでだ。瞼を下ろすと気分が良かった。たとえるなら、まろやかなぬるま湯に浸かっている風だ。
 もっとこうしていたい。ところが、ほどなくして温もりが口元から離れた。名残惜しそうに目で追うと、今度は頬に、耳に、首筋に、肩に、胸元に、口付けが落とされる。

「……や」
 触れられた箇所が火照る。何かにしがみついていたかった。エランの左上腕を掴むと、ただでさえ緩かったローブがずれて、肩が露になる。色素の濃い点があった。
 セリカは謎の衝動に駆られて、はむっと唇を付けた。ぱくついて、世にいう甘噛みに転じる。なんとも満足のいく歯ごたえであった。
 青灰色の瞳が自身の肩口に向かった。エランは特に何も言わないし、止めない。

「あんたこんなとこにほくろあったんだね」
 気が済んだら、放してやった。
「お前は顔に小さいのが結構あるな」
「鼻の横とか頬骨の周りにいくつかね。みっともないから白粉で隠してなさいってお母さんは言うんだけど」
「そうか? 味があって、私は好きだな」
 好きと言われるとそわそわする。セリカは目線を逸らして自身の髪をひと房、指に巻いた。

「ありがと。隠すと言えばこの髪、この国では一生隠して過ごすのかぁ。自慢の赤なのにな」
 エランは答える代わりに髪に顔を近付けた。ジャリ、と微かな音がする。
「こら。食べ物じゃないわよ。そりゃああんたは、さくらんぼみたいな色だって最初に言ったけど」
「……独り占めできるから、私はこれでいい」
 見上げる瞳は湿っぽく煌く。客観的にではなく主観的に見て、色っぽい。奥深くまで揺さぶられるような錯覚がした。

「そ、そう言われると、うわあ。ドキドキする。独り占めかあ」
「事実だろう」
「何よ、勝ち誇ってんじゃないわ。あんたがあたしを独り占めできるんなら、あたしだってエランを独り占めするんだからね」
 言ってから、張り合うところだっただろうかと首を傾げる。恥ずかしいことを口走っている自覚はあったが、もう言ってしまったものは仕方がない。
 それに――楽しそうに口角を吊り上げる彼を見てしまっては、前言を撤回する気になれないのであった。

「そうか。そういうことなら、もっとナカヨクしませんか」
「うん、する。……してください」
 でもどうすればいいかわからないんですけど、とセリカが囁く。
 彼は面食らったように一拍を置いた。

「力を抜いて、好きにしてればいい」
 ――適当すぎる。
 むくれようとして、ふと手の中の布に注目する。視線を落として、青年の、結び目がほどけかかっている帯を目に入れた。
 するりと手を下へ滑らせる。

「じゃあこれ、脱がせますね」
 問いながらも手は帯を解いていた。
「お願いします」
 答え、エランは距離を縮める。
 次なる接吻はより熱く、激しく、そして深かった。息をつく暇がない。つかせたくも、ない。

 お互いの柔らかい部分が交われば交わるほど、脳が蕩けるようだ。
 痛苦も、快楽も、困惑も、幸福も。共に過ごす全てが特別な渦を成して――夜は更けていった。

_______

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23:32:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - d.
2017 / 11 / 30 ( Thu )
「セリカ。ふてくされてないでこっち向け。私が黙って別の部屋で寝るとでも思ったか?」
「ふてくされてない! ほっといてよ」
 枕を下から両手で握り、顔を深く埋めた。

「構えと言ったり放っておけと言ったり、忙しいな」
「みゃっ」
 腕を掴まれたのだが、指の触れた位置が脇の下に近くて、くすぐったい。足をバタバタさせると、布のようなものに当たって、動きを制限された。
 力づくで裏返される。

 仕返しがてら、砂色の衣を脇腹辺りを狙って鷲掴みにした。堪えたような笑い声が返る。目線を上げて、ハッとなった。
 近い。覆い被さる体勢で見下ろされている。石鹸とタバコの匂いに酔いそうだ。

(わ、わ。視界いっぱいにエランだ)
 男に強引に組み敷かれているのに拒否感が全くなくて、むしろ嬉しいくらいで、そう感じる自分に戸惑う。
 こういうのを「目のやり場がない」と言うのか。内着がはだけて、左肩が布の下からのぞいている。首都を逃れた時や川で水浴びをした時にも目にした肌だ。着やせする方なのだろう、じっくり観察すると、筋肉の盛り上がりや筋がきれいだと思った。
 目のやり場がないというよりもこれは、眺めたい、気がする。

(さわってみたいな)
 触る口実が欲しい。首筋や鎖骨を、指の腹でなぞってみたい。だが首を触らせてもらえるような口実とは一体何なのか。
 ふと、青い涙型の耳飾が目にちらついたため、気が逸れた。
 付けたままお風呂入ったの? と訊ねると、外すのを忘れてた、と彼が答えた。セリカは手を伸ばして留め具を外した。ラピスマトリクスの耳飾を、そっと寝台横の家具にのせる。

「案外軽いのね。宝石」
「重かったら左右で耳の長さが変わってくるからな」
 そう返されて、噴き出した。
「ごめんごめん……想像したら可笑しくて」
 ほーう、とエランは目を細める。右手を動かしたのかと思えば、セリカの耳たぶを引っ張った。

「いたっ! ちょ、伸びる伸びる」
 足をばたつかせるも、抑え込まれていて思うように動かせない。かたい。うっかり蹴った太ももの触感も、拘束も。
「伸ばそうとしているからな。片方だけ」
 じゃれる程度の力で、実際伸びる心配は無いと思うが。面白がって覗き込む顔に向けて、セリカは歯の間から威嚇音を出す。

 お前は蛇か。彼がくつくつと喉を鳴らして笑った時、また少し距離が縮んだ。
 セリカは抵抗を止めて、目の前の青年を改めて見上げた。
 目の前にそれがあったから、手を伸ばした。訊き出す勇気をついに持てたというよりも、弾みだった。

「これ、お母さんがやったって」
 盛り上がった皮膚に指先が掠る。青年は身を引いて、表情を曇らせる。
「聞いたのか」
「聞いたっていうか聞かされたっていうか…………ごめんなさい」

「いや……いつかは話すつもりだった。気分のいい話じゃないが、聞くか?」
 セリカは力強く頷いた。
 それから彼は簡潔にあらましを語った。異国人であった母親が、世継ぎを産むのに執着していたこと。だというのに、第一子の後に何度も子が流れたこと。
「……女は子孫を精製する機械じゃないわ」
「さあ。人は男女等しくみな己の役割を探し求め、得て、全うしようと生きている。母は、それでしか居場所が得られないと思ったのだろう」
 深いため息をついて、エランは話を続ける。

「せめて私が大公に気に入られていれば違ったかもしれないが、この通り、外見も内面もほとんど似なかった。三度目の流産を経て情緒不安定になっていた母は、周りに突然当たり散らすことも多くなった。煙たがられて、親子揃って軟禁されたのが六年前。その折にハティルが生まれたとの報せが宮中に流れて、何かが壊れたというわけだ。六歳だった私にそこまで母の心境に気が回るはずがなく、ある時普通に構って欲しくて近付いたら……癇癪を起こされた。たまたまその場に果物ナイフがあった」

 ――ナイフは誰かの不注意か、思惑か。
 結局答えが出ることはなかったし、本気で調査してもらえたわけでもない、と彼は言う。
 狂人のレッテルを貼られた妃はそれからも隔離され続けたが、その後は緩やかに衰弱していった。意識は薄れ、我が子の顔も忘れ、侍女のヤチマ以外の誰かとまともに言葉を交わすこともなくなった。

 そうしてある夜。彼女は誰にも見咎められることなく部屋を抜け出て、静かに逝った。おそらく事故だった。ヤチマは己を責めて自害を試みたが、お前のせいではないと、エランは繰り返し言い聞かせて宥めたという。

「…………」
 セリカはしばらく二の句が継げずにいた。確かに、気分の良い話ではない。
 胸の奥がむかむかする。怒りをぶつけたい相手が多々いたが、何より腹が立つのは――
 首の後ろに両手を巻き付ける。力いっぱいエランの頭を抱き寄せて、胸に沈めてやった。

「わかってると思うけど。あんたは何も悪くない。お母さんが追い詰められたのは環境のせいで、元々そういう傾向があったとは限らないし。だからあんたが周りに疎まれてるのって、理不尽以外のなにものでもないわ」
 母親に顔を忘れられたのも、彼のせいではないのだ。セリカはこれでもかと手に力を込める。
 胸元を温める息遣いは、僅かに乱れていた。

「めいっぱい愛情を注ぐからね。寂れた子供時代なんかあたしが忘れさせてあげる。だから、そんな泣きそうな顔しないで」
「そうしてもらえると、助かる」

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00:51:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - c.
2017 / 11 / 28 ( Tue )
 慣れと言われても、今すぐにはどうしようもない。セリカは毛布に突っ伏した。タバコの匂いも、意図せずお揃いになってしまった石鹸の残り香も、意識しないように必死だ。
 とにかく間を埋めよう。何でもいいから話を振るのだ。

「それで退位後の、後継者の件は解決のめどがつきそう――]
 言った直後に後悔する。
(ああもう。日頃の激務に追われてるエランに、私的な空間でまで政治の話を振ってどうするのよ)
 毎日結婚式の行事が済んだ後に執務室にこもっていたのも知っている。
 己の至らなさに嫌気がさした。これでは気の利かない女だと呆れられそうだ。やっぱり今のはナシ、って続けようとして顔を上げた。

「二人で決めろと、あいつらに課してからなかなか結論が出ないな。セリカは、どうした方がいいと思う?」
 予想外に質問が返ってきた。話題に気を悪くした様子は感じられない。
 ならばと唇を湿らせて、考えを述べる。
「そうね、適正についてはあんたの方がよくわかってるし。あたしが気になるのは……第六公子なら大公即位までが三年、第七なら九年。空位が長く続いても、周りから付け込まれる隙ができてしまうとこね」

「他の三国で、遠くない未来に動きそうなのがいると思うか」
「少なくともうちは無理よ。知ってるでしょ。あんたんとこに街道を設けたいのは、ヌンディークの主要都市と、果てはヤシュレとの通商を強めたいからよ。大陸の南西海岸四か国の戦争に首突っ込んで以来、食糧難の兆しが見えてきたからね」

 ゼテミアン大公は懇意にしている国への義理立てに、南西海岸に遠征軍を出している。食糧難と言ってもまだ先のことだろうが、父は呑気そうな顔に反して抜かりない君主だ。数年先の情勢を見据えて交易の道を開こうとしているのだ。
 ゆえに、祖国にはヌンディーク公国との友好関係が必要だ。セリカはその為の人質でもある。攻め入るなどありえない。

「協定があるとはいえ、ディーナジャーヤ帝国とヤシュレ公国がどういうスタンスかはよくわからないわ」
「まあ他国の思惑はともかく、いつか帝国の傘下から抜け出たいのが有権者たち過半数の意見だ。協定は恩恵も多いが、最も望ましい形ではないと。長い目で見るなら、独立も視野に入れたい」

「エランがそういう考えだったの、なんか意外だわ」
「私は戦という手段に反対であって独立という目標には反対していない。で、戦を介さずして果たすなら――長期に渡る繊細な交渉が必要だ」
 ふう、と彼は白い霧を吐いた。燭台の光を受けながら、幻想的な形がうねる。

「ベネ兄上は臣下や州民からの信望が厚いが、腹の探り合いに向かない。人格破綻者のアスト兄上、ウドゥアル兄上は論外」
「わかりやすい消去法ね」
「扱いが面倒な親類や貴族をまとめた上で、外交官を管理し、宰相が力をつけすぎないように牽制できるとすれば……ハティルしかいない。父の件で誰より動揺しているのもあいつだが、平静に戻ればもっと広い視野で物事を見渡せる奴だ」

「その線でいくなら、役割分担してアダレム公子を大公にした方が良くない? 九年待つのは痛いけど」
「それもひとつのやり方か。どの道、ここがハティルの檻だ。混沌を根こそぎ失くそうと極論を目指したあいつは、結局は、混沌を宥める中心人物となる。目指していたものはそう違わなかったはずだがな。私に負けたから、私が敷く道を歩むしかない」
 霧越しにエランが笑うのが見えた。この男、実は鬼畜な一面があるのではないか。

「できることなら当人たちに決めさせてやりたいが、いっそサイでも投げるか。結論を先延ばしにして、得られるものなど何もない」
「サイコロって、あんた。投げやりすぎでしょ」
「優柔不断よりはマシだ」
「…………」
 亡き大公を指したのだろう。非常に返答しづらく、セリカはまた毛布の上で横になる。目線だけ、夫の後ろ姿を捉えたままにして。
 ガリヤーンを置いて、エランは後処理をし出す。

「安心しろ。どんなに面倒だろうと、逃げるつもりも見捨てるつもりもない」
「うん。あんたは、優しいからね」
 自分ではわかっていないのかもしれないが、根が真面目で責任感も強い。温かい人だ。心底そう思う。
 エランが唇を噛んだ。つられて、照れくさく感じる。

 会話が止まってしまった。心地良いはずの沈黙が、今夜ばかりは気をそぞろにさせる。
 ――カタン
 喫煙具を片付ける際に、小さく物音がした。それだけのことに驚いて、セリカはびくりと身じろぎした。振動がベッドを通して伝わる程度に。

 物入れに向かって歩き出したエランの背を、よくわからない気持ちで見つめた。怯え、ではない。暴行されかけた時に味わった底冷えのする恐怖と屈辱とは、似ても似つかない心情だ。
 怖いもの見たさとも違う。怖いけれど、先にあるものを望んでいるのか、いないのか。いずれにせよ青年の動向が気になる。

「セリカ、一応言っておくが」棚の前で、彼は肩から振り返った。「何もしてほしくないなら、私は何もしない」
 ――立ち去ろうとしている?
 心臓が見えない手に握りしめられた気がした。
 ――待って。行かないで。
 落胆と、傷付けてしまったのかという懸念で、顔からサッと血の気が引いた。起き上がり、ベッドから飛び上がろうと床を踏む。

「何も、だなんて思ってない……!」
 けれども足の指が絨毯に降り立った瞬間、迷いが生じた。「で、でも、何をするにも、何があるのかわからない……し。何かをしてほしいとは思うけど、たぶん」
 言葉がうまく出てこないどころか途中から共通語ではなく母国語になってしまった。まるでダメだ。泣きたい。

「まずどうして欲しいかを具体的に言ってくれ。私に読心術の心得は無い」
 対するエランの言葉ははっきりとしていて、丁寧だ。
 優しさが眩しい。なんとなく俯いて視線から逃れた。
 ローブの締め付けが緩んで前が開きすぎているな、直さなきゃ、とぼんやり自分の胸を見下ろす。やがて口を開く決心がつく。

「…………もっと近くに来て……構って、ください」
「いいですよ」
 ちらりと目に入った微笑までもが眩しくて、セリカは身を翻してまた突っ伏すしかなかった。
 毛布がずれ、ベッドが軋むのを感じる。



なっげえ。でも多分完結までこんな調子です。
誰だ、イチャイチャさせるとか言ったやつ。甲はHPがすり減っています。

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03:51:29 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - b.
2017 / 11 / 26 ( Sun )
 離宮の一角を二人だけで占拠できたのは、新婚だからではなく大公特権からだろう。
 静かでなおかつ警備は万全で、都に幾つと見られない風呂設備が内包されている。破格の待遇らしい。浴場が珍しいという感覚に慣れないセリカにも、内装の華やかさからして、ここが特別であることが伝わった。

(生き返ったー)
 うつ伏せに寝そべり、組んだ腕の上に顎をのせる。寝室のベッドの広さも、以前あてがわれた部屋のそれとは比べものにならない。
「一週間もお風呂に入れなかったなんて信じらんない」
 気が緩みすぎて、うとうとする。召使たちは既に下がらせており、気楽だ。

「お前の国の浴場は大抵、温泉を引いたものだろう。ここにそんなものはない」
 独り言に返事があった。
 入り口にかけられた仕切り布がめくられ、同じく湯上りのエランが入ってきた。被り物以外は、羽織って前を重ね合わせるだけの、砂色のローブを身に纏っている。セリカが着ているものと色違いの内着だ。
 入ってすぐに、彼は物入れの棚を漁り始めた。

「うん。お湯を沸かすのって大変だったのね。水も貴重だし……」
 先ほど使用人たちに、この建物の風呂場にお湯を張らせる過程を見せてもらった。実に大掛かりな作業だった。セリカは何やら申し訳ない気持ちになり、これから冬までは水浴びで済ませようかと検討中だ。
 更には地形や風向きの関係上、ヌンディークの領土は雨が不定期で、一度に得られる水量もそう多くない。降る度に貯蓄するのが常識らしい。水道橋は建てられておらず、主に井戸や貯水槽が生活を支えている。幸いと、この間の大雨のおかげで都の河川と蓄えは当分潤う。

「昔は首都が河沿いにあったくらいだ。戦略的に山の方が護りやすいからと今の位置になったが、国の名が『河の恵み』だからな」
「へえ」
 セリカは感心した。ヌンディークの名にそんな意味があったとは知らなかった。名といえば、と思って首をもたげる。

「エランディーク」
「? はい」
 虚を突かれた表情で、青年が面を上げた。
「呼んでみただけ。いい響きよね」
 どうも、と言ってエランは微妙な顔をした。

「父がつけた。意味は河の星――正確には『河面に浮かぶ星明かり』か。母親譲りの瞳の色から思いついたそうだ。ついでに、国の名と揃えたかったらしい」
「ロマンチストね」
「どうだか」
 壁際の物入れから、エランは喫煙具ガリヤーンを一式取り出していた。部品を腕に抱えて、こちらに近付いて来る。それから彼は絨毯に胡坐をかいて、ベッドの側面に背を預けた。

(母親譲りの瞳の色、か。訊きたいな。お母さんと……傷痕のこと)
 あれからまだ、問い質す機会を得られていない。どうやって切り出せばいいかわからなかったのだ。
 思わず起き上がった。
 今なら自然に話題を繋げられるだろうか。しかもちょうどエランは、ターバンを片手で解いて無造作に脱ぎ捨てたばかりだ。

(どうしよう。せっかく? 新婚……とかいうアレなわけで。暗い話は良くないわよね)
 だが訊き出すタイミングを逸しては、今後もこっそり気にしながら接さなければならない。
(いつまでも黙ってられる自信がないわ)
 かといって相手を傷付けない言葉選びにも、自信がない――。
 悶々と小難しく考え続ける。次第に脳が疲れたのか、大きく欠伸をしてしまった。

「眠いなら、もう寝るか?」
 ガリヤーンを組み立て終えて、エランは石炭に火を点けていた。振り返らずに話している。セリカは、涅色の後頭部に向かって返事をした。
「…………まだ」
 おそらく数日ぶりに二人きりになれたのにあっさり就寝してはもったいない、という思いがある。その他に「寝る」の単語が彼の口から出た途端、変に目が冴えたというのもある。

 この部屋のベッドは相当に広い。広いが、一台しかない。
 世の中の夫婦――政略結婚ともなればなおのこと――は同じ部屋同じ寝具で夜を過ごさなければならない決まりではない。しかし夫が我が物顔で寝室に入ってきた以上、追い払う道理も無いのである。
 エランは答えずに、水蒸気を立ち上らせている。

(声かけもノックもせずに入ってきたってことは、自分の部屋と思っているも同然で。つまり……どういうこと? そもそも「初夜」とかにどういうことも何もないような。あ、うん、頭ぐるぐるする)
 こういった場面での心構えを教わった気はするのに、いざとなると何もまともな考えが浮かび上がって来ない。
 さっきまで気分が良かったのが転じて、吐き気がしてきた。

「吸ってみてもいい?」
 苦肉の策だ。何とかして神経を落ち着かせたい。物入れから酒瓶を探し出すよりも、用意が済んでいる喫煙具を試してみた方が早いと判断した。
「どうぞ」
 エランはガリヤーンを持ち上げて、枝のような長い管部分を向けてくる。
 セリカは管の先を指で摘み、口に付ける。見よう見まねで吸ってみた。すぐに手を放し、咳き込んだ。

「不味かったか?」
「だっ……! 甘いし、美味しいと思うけどね、熱い! うう、水蒸気吸った」
 途切れ途切れに抗議した。苦しい。今更ながら――水蒸気を肺に吸い込むのは、水に噎せるのと同義ではないか。
「お前は何を当たり前のことを。要は、慣れだな」



もしかして旧都はイマリナ=タユスだったかもしれませんね(・∀・)?

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07:44:42 | 小説 | コメント(0) | page top↑
終 - a.
2017 / 11 / 23 ( Thu )
 雨は一週間、ほとんど絶えず降り続けた。
 故郷ゼテミアン公国には四季があり、降雨には慣れていたものだが、こうも継続的な雨は新鮮に思える。そんなセリカの個人的な感想はさておいて、雨続きで、ただでさえ慌ただしいムゥダ=ヴァハナの宮殿はますます大変だった。

 古来より火葬の習慣のあったヌンディーク公国だ。教団の教えが大陸に浸透してからは土葬を選ぶ民も増えているが、大公家は未だ火葬を主流としている。
 だが今回ばかりは天候がそれを許さなかった。やむなく、大公の亡骸は燃やされずにありのままで土の下に還されることとなった。

 司祭の祈祷の声が止んで、葬儀も終わりつつあった頃――夫となる男の横顔を盗み見た。
 葬儀に参列していても、セリカにとっては一度しか会ったことのない他人だ。粛々と悼むことはできても、悲しむことはできなかった。最も気がかりだったのは、エランの心の内だった。
 赤みを帯びた目元で、泣いていたのだと知った。大丈夫かと訊ねると、彼はこう答えた。

 ――喪ったのが悲しいんじゃない。私は最期まで父が好きじゃなかったが、好きになれなかったのが、悲しいのかもしれない。好かれようとした頃はあったと思うが。もっと歩み寄ればよかったか……今となっては、どうしようもないことだ。

 エランが父の為に泣いたのは、後にも先にもその一回だけだった。


 ヌンディーク公国大公崩御の報せがまだ大陸中に伝わりきらない間に、次期大公の即位式が内々に執り行われた。一時的な措置であることは、しばらく公にされなかった。
 いくつかの宣誓が並べられただけの、あっさりとしたものだ。即位式に関してセリカの記憶に残った点は二つ、冠が無駄にキラキラしていて重そうだったことと、エランの作り笑いにますます磨きがかかっていたことである。


 連日の雨が上がった頃に、結婚式が始まった。こちらも内々に行われたため、通常に比べると小規模だったらしい。
 と言っても宮廷人とその身内のほとんどは招かれ、三日三晩と宴会が続いた。遠方から戻ってきたベネフォーリ公子の無事な姿もあれば、顔面の腫れがまだ引かないアストファン公子の姿もあり、リューキネ公女も体調の良い間は楽しげに参加していた。
 各々のしがらみはまだ取り除かれないままに。

 さすがは公族貴族といったところか、腹の中にどんな企みを抱えていようと、みな表面上は和やかに振舞った。
 宰相を暗殺しようと目論む人間とて片手で数えられない程度にはいるだろうに、彼も相変わらず平然としていた。密かに暗殺者集団を育成していると噂されるだけあって、一筋縄ではいかない男だ。

 祝いの席に水を差す者が現れないよう、衛兵やイルッシオの兵が終始目を光らせていた。
 その甲斐あってか、無事に最終目を迎えることができた。

_______

(あつい……。エランが言ってた通り、衣装はめっちゃ重いし、裾長いし。被り物は顔まで覆ってて、目鼻口の穴が無いし。おなかすいた)
 花嫁はある種の宴会場の飾り物で、身動きが取れずにひたすらに忍耐を強いられた。ヴェールの中からでは外の様子は全くうかがえなかった。
 そして、食事できる時間が限られていたのだ。何とか隙を見つけられても、かき込める量はそう多くなかった。

(やっと終わる)
 終息が近づいているとはいえ、まだ気を抜けない。
 結婚式典の核である儀式に同席できるのは当事者以外に聖職者のみだ。それでも緊張する。手順は頭に入っているのだが、いざとなると間違えそうなのである。
 法式は地域の古い慣習と教団の教えを混合したものだ。
 セリカは被り物の暗闇の中、絨毯の上で膝を揃えて座り、司祭の聖歌奏上を静聴した。歌が止むと、いよいよ式辞が始まる。

「……天上の神々と尊き聖獣が見守ります中、今日この時をもってして、男と女、ふたりであった者がひとつとなります。エランディーク・ユオン・ファジワニ、そして、セリカラーサ・エイラクス。共にあなたがたの肉体がこの地上に在ります限り、魂はひとつで在りますことを――ここに、誓いの証を立てなさい」
 司祭の指示の後に、静寂があった。
 カチ、と陶器がぶつかり合う音がする。微風と衣擦れで、正面にあった気配が動くのを感じ取れた。

 セリカは瞼を下ろし、意識的に静止した。心臓だけが場違いに大きく動いているようだ。
 やがて、ふわりと被り物がめくられる。酒の香りが鼻孔をくすぐった。セリカは明るさに慣れる為に、何度か瞬いた。
 向かい合って座すエランが酒瓶と空(から)のゴブレットを差し出してきた。いつもと違って、ターバンから垂れる布が顔の右半分を隠していない。

 真剣そのものの表情を見て、「こいつも緊張してるな」と内心で笑ってやれるほど、セリカには余裕がなかった。
 差し出されたものを受け取り、少量の酒を注ぐ。酒瓶は司祭に渡して、ゴブレットを丁寧に持ち直した。右手で持ち上げて、左手を下に添える形だ。エランも、自身が注いだ方のゴブレットで同じ動作をした。

 膝の前にゴブレットを置き、相手が注いだ方の酒と交換する。
 再びゴブレットを持ち上げると、互いに小さく礼をしてから、右腕同士を絡める。
 絡めた状態で、同時に酒を飲み干す。

「ふたりの魂は混じり合い、境を失くしました。おめでとうございます! ヴィールヴ=ハイス教団を代表して、私が証人となりましょう。あなたがたは、夫婦となりました」
「ありがとうございます」
 二人で声と体の向きを揃え、司祭に深々と頭を下げる。
 これから来客に個別に挨拶をしなければならない。改めてのお披露目を経て、ようやく結婚式は終了となる。

 にしても、よほど強い酒だったのか。
 頭の奥が甘く痺れた――。




半ばダイジェスト形式でお送りしました結婚式(
腕を絡めて酒を飲む儀式は確か中国風をなぞってます(もちろん私の好みです

余談、ハリャもたぶん暗殺者集団の一員。

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08:16:21 | 小説 | コメント(0) | page top↑
十 - m.
2017 / 11 / 16 ( Thu )
「……違うわね、もうちょっとしたら大公サマか。ね、エラン、あんた大丈夫なの。あんなに嫌がってたのに、それでいいの」
 ふいに近付いてきたと思ったら、セリカはぽすんと肩に頭をのせてきた。被り物がずれているせいで前髪が垂れ出ている。
 エランはなんとなくそのひと房の髪を見つめながら、彼女の背中をそっと撫でてやった。

「大丈夫じゃなかったら、セリカが骨を拾ってくれ」
「やだ」
 駄々をこねる子供のように、首筋に顔を擦り付けてくる。
「どうせ一時的だ。約定通りに街道を開設できなかったら、お前の国に何をされるか」
「それもそうね」
 異国の姫はくすくすと静かに笑った。

「ところでお前……身だしなみに不可解な点があるが」
 再会してからずっと気になっていたことを口にした。腕の中のセリカはびくりとなって姿勢を正した。
「え、うん? 色々あってスカートが破けちゃって……その、深く考えないで」
「鎖骨あたりに傷もあったような――」
「転んだのよ! 転んで擦りむいたの」
 そうか転んだのか、とエランは反射で答えたが、全く納得できなかった。何故しどろもどろとしているのか、まるで隠し事をしているようではないか。

「失礼いたします。ご報告が」
 見計らったかのように、タバンヌスが部屋の入口から、姿を見せずに声だけをかけてきた。
 入口まで行って、続きを話すよう促した。背後でセリカが「ちょっとあんたは黙ってなさい!」と騒いでいる気もするが、後回しだ。

 実は先ほど――タバンヌスから切り出された話はそのようにして始まった。
 問題は後に続いた内容だ。耳朶を通り、脳に至って、言葉の羅列が意味を成した時。胃から煮えたぎるような熱さがほとばしった。
 部屋から飛び出る。控えていたタバンヌスを押し退け、廊下の床に横たわる男を蹴った。
 無心で。どこを狙うわけでもなく。蹴った。
 その内に、男は目を覚ました。

「――ずいぶんな……ご挨拶だね……!」
 鼻血を垂らして何か言っているようだが、構わずに蹴り続ける。
「ちょ、ちょっと! エラン! やめ――ねえ、あんた止めなさいよ!」
「止めてよろしいのですか」
「よろしいっていうかこれ死んじゃうでしょ!?」
 後ろからタバンヌスに羽交い絞めにされてやっと、エランは息をついた。まだ腹の虫は収まりそうにない。血まみれになって苦しげに咳き込んでいるクズ男を見下ろし、吐き捨てる。

「おはようございます、アスト兄上。私の妃に暴行を加えてくださり、大変ありがとうございます。私から心ばかりのお礼です」
 体内では腸が煮えくり返っていながら、舌が練り出した言は凍てついていた。最後にもう一度だけ、顔を蹴っておいた。

「お前、は……やっぱ、いい性格……してるね」
 自慢の美形も鼻が折れていては影も形もない。何かを言われているが、無視する。
 廊下を見回すと、異変を聞きつけた者が遠巻きにこちらの様子をうかがっている。
 タバンヌスに放されたと同時に、袖が引っ張られた。振り向くと、セリカが申し訳なさそうな顔をしていた。

「あんた、自分がめちゃくちゃにされても冷静だったのに……。あたしは平気よ、タバンヌスに間一髪で助けてもらったし。怒ってくれて、ありがとう。本当に平気だからね」
「…………わかった」
 今、彼女に不安そうな顔をさせているのは自分だ。そう思うと、頭は多少冷えていった。
 壁に片足をかけ、身を屈めて、第二公子本人とすぐ近くの数人にしか聴こえないように囁く。

「どう対処するかは、大公家の威信と尊厳、そして外交に関わる。秘密裏に処理するなら死刑は論外か」
「生ぬるいよ」
 アストファンは嘲笑ったが、エランも嘲笑で返す。
「安心してください。牢に投げ込む以外にも、自由を奪う方法なんていくらでもある。きっとご期待に添えますよ」

 衛兵を呼びつけて、これでこの件はひとまず終いとする。必要以上に奴と同じ空気を吸っているのも嫌だ。セリカの手を引き、歩き出す。
 まだ、父への最後の挨拶をせねばならないのだ。エランには、別れに対して特に感慨が無いように感じられたが、本人を前にすればまた違ってくるだろう。

「きっと大変なのはこれからよね」
 廊下を度々振り返りながら、セリカがぽつりと言った。
「他人事みたいに言うが、お前もだ」
「え?」
「葬式、即位式、結婚式と息をつく暇もない。大体お前、この国の服にまだ慣れてないだろう。結婚式の衣装は相当に息苦しいんじゃないか」
「う、わぁ。ドタバタしてて忘れてた……絶対めんどくさい……」
「今更やっぱり帰るってなっても、帰す気はないが」
「わかってるわ。結婚式のひとつやふたつ、やってやろうじゃないのよ!」

「頼もしいな」
 本心からの感想だった。この先の人生にどんな難事が降りかかろうとも――この娘が共に居るのならば、それだけで頼もしい。
 エランは口元が緩むのを止めなかった。

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01:02:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
十 - l.
2017 / 11 / 15 ( Wed )
 視線の重さを質量に換算できるなら、きっと馬十頭分はあっただろう。
 決断を迫られていると言っても、エランの返事は決まっていた。問題はそれが喉まで出かかって止まっていることだ。
 身に纏うものの感触が急に意識を占める。母から贈られた耳飾の重さ。顔の右半分を覆う布の、濡れた肌触り。鼻先から垂れる水滴。

 喉の奥が引き締まって息がうまくできない。そんな中、視界に動きがあった。先ほどアダレムを背負ってきた女が、すぐ傍まで近付いてきた。
 肌の白い女はヌンディーク公国にあふれているが、これほど色素の薄い瞳はあまり見ない。橙色のアクセントが美しい、ヘーゼル色。角ばった目の形も特徴的だ。
 女は数歩の距離を残して立ち止まった。微かな笑みを、朱色の唇にのせている。

『好きだけどね。そうやってかっこつけないとこも』

 彼女の微笑につられ、遠くない過去を思い出す。
 目が合うと、セリカはパチリと片目を瞬かせた。意味のわからない仕草を前に、あっという間に肩の力が抜けていった。
 腹から呼吸をして、声を張り上げる。

「暫定! 空いた大公の座はこの私、エランディーク・ユオン・ファジワニが埋める」
 数秒の静寂。次いで、今日一番のどよめきが上がった。押し寄せる人波を、タバンヌスとイルッシオ公子の兵士たちが身を挺して食い止めてくれる。
 有象無象の考えが手に取るようにわかる。兼ねてより、数ある公族の中で一等大公を任せられない男だと思われていることくらい、知っていた。
 だからどうした、と一笑に付す。

「――最後まで聞け! 暫定と言ったのが聴こえなかったのか。ひと月……三十日後に私は退位する。だがひと月の間に、ハティルかアダレムか、大公世子を必ずや決定してみせる。それからの数年間、世子が成人して大公に即位するまでは、代理を立てて政を回せばいい。資力・人材が集中している都はそれで十分回せる。対して、属領ルシャンフの領主は簡単に替えられるものじゃない。私はいずれ元の役目に戻る」

「ご英断にございます!」次なる抗言が飛び出るより早く、宰相が大げさに手を叩いて感嘆した。「これで我が国はしばらく安泰です!」
「ご即決、ありがとうございます。どうか我らファジワニ家を率いてくださいませ」

 流れに乗って跪いた者が意外にももうひとり。殊勝な弟だった。正確にはハティルはアダレムをも――後頭部を押さえつけることで――平伏させているため、二人か。状況を理解しているのかいないのか、アダレムは呑気そうに「ひきーてくださいませ!」と復唱している。

 更にはセリカとタバンヌスが跪いた。特にそんな必要もないだろうに、イルッシオ公子の兵までもがくるりと身を翻して、それに倣う。徐々に、群衆の中からも後に続く者が出始める。

 奇妙な空気になった。直立したまま異論を唱えたそうにする者、その場を去る者、最後まで流れに乗らない者も少なからずいた。
 当のエランと言えば、頭を下げる人々に囲まれても、優越感も何もあったものではない。早く終わらせたい、それしか考えられない。

「尊き聖獣と天上におわす神々に誓って、私は国と民に尽くす。ヌンディーク公国の未来に、栄光あれ」
「栄光あれ!」
 大抵の者が沸き立つ中、
「すぐにでも即位式を……!」
 と誰かが呟いたのが聴こえた。

「即位式よりも葬式だ。まずは聖職者を手配しろ。差し当たり父上の件に関しては、進行は宰相殿に一任する。よろしいか」
 謹んで拝命いたします、と宰相が深く礼をする。
「さあ皆、濡れて冷えているだろう。早く中に入るぞ」

 そっちはお前が仕切れ、とエランは第六公子に伝えた。命じられたままに、彼はアダレムを連れてテキパキと屋上から人を追い払う。第二公子はどうなされたのかと問う者も居たが、それを言葉巧みにあしらったのもハティルだった。
 屋内に入ったところで、人だかりから密かに離れる。
 誰もいない一室に滑り込む。後についてきた足音はひとり分だけだ。ちょうど三歩後ろから、静かに。

 部屋の中央に至ると、エランは唐突に前後反転した。背後にあった人影が、驚いたように立ち止まり、輪郭を揺らした。
 ――なんなの? 
 小さく発せられた疑問に覆い被さるようにして、抱き寄せる。

「わっ! もう……びっくりした」
「悪い」言葉とは裏腹に、腕の力は勝手に増した。衝動のままにかき抱く。「無事でよかった」
「それは、こっちのセリフよ」
 拘束を逃れようとセリカがもぞもぞ動いている。解放してやると、真っ先に手が伸びてきた。躊躇いがちな指先が顎下を撫でる。くすぐったい。

「公子サマが顔に傷増やしてんじゃないわよ。ばかじゃないの」
 心配する声がひどく切なく、胸を打った。薄闇で表情が見えないのが悔やまれる。
「好きで増やしたんじゃな」
「口答えしないの」
「スミマセン」
 手を優しく包み込もうとしたら、叩かれた。邪険にされているのとは違うのだと直感した。照れ隠しが可愛くて、愛おしい。




どばっと出して終わらせたかったんですがむりでした。
次回、m記事で今度こそ十話は終わりです。

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11:41:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
十 - k.
2017 / 11 / 11 ( Sat )
「必要とされているかどうかなんて知ったことか。私が国と民にどうしてやりたいか、のみ追求する。今はそれでいい」
「そう考えられる時点で、あなたは強いのですよ」
 ハティルはやはり呆れたように嘆息した。

「逆に訊くが、天候が神々の祝福の表れなら……今日は何が生まれるんだ」
「兄上は何だと思います?」
「さあ」エランは空を見上げ、意味深な間を置いてから、視線を戻す。「それより、忘れてないだろうな」
 声を低めて念を押すと、ハティルは苦い顔で、もちろん、と応じた。

「負けた方が勝った方に無条件に従う。期限は本日からひと月、ですよね」
 決闘開始の際に交わされた約定――それこそが、思想を擦れ合わせるほかに、戦わなければならなかった理由だ。
「笑っていられるのも今の内だ。馬車馬に生まれ変わった方がまだマシだと思うくらい、働かせるぞ」
「嫌な言い方をしますね」
「それが罰だ」

「僕は己の選択を後悔してません……が、負けは認めます。しでかしたことの代償を払うつもりです」
「聞き分けが良くて何よりだが、お前は何かと苦労しそうだな」
 真面目すぎるのも考え物だ。心中で苦笑する。
「お構いなく」
 しれっと答えてハティルは被り物を整え直した。少年の所作や表情からは、先ほど「何も考えたくない」と口走った時の危うさも緊迫感も抜け落ちている。

(それでこそ、正面からやり合った甲斐があったというもの)
 顎から首に垂れる血を、エランは手の甲で拭った。
「さて……」
 大公の側近だった者や大臣たちの表情が醜く歪むのを、エランは確かに見た。奴らの不安を煽る為に、会話は敢えて周りにも聴こえるような音量で行っていたのだ。

(これを機に炙り出せたら好都合だな)
 ――じきに蹴散らさねばなるまい。
(結託できる相手が宰相だけなのは今後問題となるだろうが、対応はおいおい考えるか……)
 視線を向けたのがきっかけだった。宮廷人の人だかりは、押し寄せるようにして一斉に騒ぎ出した。

 幸いと、イルッシオ公子に借りた兵も薔薇園に上がってきていた。彼らが間に飛び込んで壁となってくれたが、喧噪はしばらく収まらない。
 エランは絶えず、敵意や思惑の気配を探った。察しの良い輩なら、さっそく傀儡化せんとする対象を切り替えようと、検討しているところだろう。
 ついでに投げかけられている言葉を断片的に拾う。どれも失笑せざるをえない内容だった。

「聞いたかハティル。『陛下の近くで血を流すなど、悪ふざけが過ぎる』『混乱に乗じて悪巧みか』と言われているぞ。心外だ」
 悪巧みをされた側として、少々嫌味を込めて言う。聡い弟はバツの悪そうな顔をする。
「この騒ぎ、どう収めればいいんですか」
「それは――」
 だしぬけに、どよめきが上がった。
 最も騒がしい方へと目を凝らす。ほどなくして、図体の大きい男が、人垣をかきわけて前へ出た。

「タバンヌス、どうしてお前が」
 旧知の男の登場に留まらず。驚愕を誘う顔ぶれが次々と集まった。人だかりの方も、気圧されて場所を開ける。
 タバンヌスによって地面に投げ出されたアストファン公子。次に歩み出たのは、宰相。
 宰相が痩せ細った長身を折り曲げて地面に膝をつくと、彼の背後から色白の若い女が現れた。女の背中から、五・六歳ほどの男児が飛び降りる。

「アダレム!」
 意図せずハティルと声を揃えて、末弟を呼んだ。男児は無邪気に笑って駆け寄ってくる。
 目線を逸らしたハティルを尻目に、エランはしゃがんでアダレムを迎えた。幼児は抱き着く一歩手前で転び、わっと声を上げながらエランの右膝にもたれかかった。

「無事だったか。少し痩せたな、ちゃんと食べていたか」
 細い両腕を掴み、立たせる。
「たべてたです。ごはん、おいしくなかったです」
 アダレムはこくこくと首肯した。先ほどの走りっぷりといい、五体満足で間違いないようだ。

「そうか、よく我慢した。後で好きなだけ美味しいものを食べような」
 頬をむにっと軽くつまんでやる。アダレムはくすぐったそうにした。
「あい。えらんあにうえ、またりすさんといっしょに、あそんでください」
「ああ、約束だ。……リスの分まで約束はできないが」
 動物は気まぐれだ、餌付けしても戻ってきてくれるとは限らない。深刻そうに断っておくと、アダレムは楽しそうに笑った。

 そしてふいにむくれた顔をする。どうしたのかと問う間もなく、アダレムは隣へ逸れた。
 隣のハティルはいつの間にか背を向けている。その背を、末弟が遠慮なしにぽかぽかと殴った。

「ははうえが、かわいそうです。はやく、だしてあげてください」
「わ、わかった。わかったから、落ち着け」
 六歳児なりの本気の拳を、ハティルは困惑気味に受ける。
「ほんとですか」
「ああ。この後すぐ、なんとかする」
「ほんとのほんとですか。じゃあ……ゆるします」
 殴る手を止め、第六公子は「いーっ」と歯を見せて笑った。それを受けたハティルは、苦しげに唇を震わせる。

「アダレム、僕は……、ごめん。許してくれなくてもいいよ……でも、ごめん」
 幼児が唖然となって兄を見上げた。
「わ、わ。だいじょぶですか。やまい、ですか? あにうえも、ごはんおいしくないですか」
「別に僕は病じゃないし、宮殿のご飯はいつも美味しいよ! ああクソ! はなれろ!」
「だいじょぶなんですか。じゃ、あそびましょう。あにうえ、あにうえ、はてぃるあにうえ、あそんでください」

「連呼するな! くっつくな、服がベタベタして気持ち悪い!」
「えへへ」
 まるで木肌にひっつく虫の容貌だ。再三怒られて、ついにアダレムが離れた。
 そんなやり取りを眺めながら、エランは口元を覆って笑みを隠した。決して仲良くないはずの兄弟はこれからも、複雑な想いが拭えない関係であり続けるだろう。

(溝が完全に埋まらなくても、境界線が残ったままでもいい。探り探り、きっとやっていける)
 おせっかいだと思われようが、今度はできるだけ手助けをしたい。
 エランは首を巡らせて、依然として跪いている宰相に楽にするよう声をかけた。宰相は頭を垂れたまま立ち上がる。

「ありがとうございます。ではご報告いたします。先刻、大公陛下がご崩御なさりました。エランディーク公子殿下。法定にのっとりまして、お願い申し上げます――ご決断を」
 風雨の響きを除いて、場はすっかり静まり返った。誰しもが、まるでエランの息遣いすら逃さぬように耳を傾けている。



アダレムは自分が閉じ込められたことに関して恨みを感じてない風です。その延長で、逃げ出したことを後ろめたくも思ってないです。ああだめだうまくいえないw まあ子供の思考も刹那的だよねって話。

ハティルは相変わらずアダレムが好きで嫌いでもうほっといてくれよって感じだけど、誤らない限りは、そのうち大人になって「嫌い」の方の感情との付き合い方を覚えていくんだと思います。

ところでタバさんって片腕しか使えないのによくアストファンを担げたよね...? 逆側の膝とかで蹴り上げた疑惑。(すいません、改稿する時にでも直しますw

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09:05:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
十 - j.
2017 / 11 / 06 ( Mon )
_______

 ――信念の重さだ。
 刃の重さは、意思の強さゆえだった。剣術や動きの切れも筋力もこちらが勝っているのに、なかなか決定打を打ち込めないのは、相手の覚悟がそれだけ強固であるからだ。

(ハティルは心の底から、他勢力を排除しての統率が真の平和に繋がると信じているんだな)
 十二歳の弟によって振り回された長いナイフを、自身のそれで受け止める。
 型に多少の不安定さはあっても、少年が日頃からよく鍛えられているのがわかる。動揺を最小限に抑え込んで、勝つ為にどう動けばいいのかを模索しているのだ。

(敵対してるんじゃない。目的地が同じで、そこに至るまでに辿ろうとする道のりが違うんだ)
 つばぜり合いをしたのは数秒に満たない間のこと。体重を乗せて押し切り、次のひと突きを送り込む。僅かに遅れてはいたが、ハティルは体勢を崩しかけたままで何とか受け流した。
 鉄が擦れ合うひどい音が、しばし響いた。このままではまずいと直感する。エランは己のペシュカブズの変化に気付いていた。

 刃こぼれしている。皮肉だが、戦闘経験が浅いぶんハティルの持つ凶器はほとんど使用された形跡がなく、新品に近い状態で戦いに臨めているのだ。
 何度となく激しく衝突していれば、どちらの得物が先に音を上げるかは明白だ。
 そうこうしている内に、屋上薔薇園に人影が上って来るのを、視界の端で捉える。

(横槍が入る前に決着を)
 稲妻が走った。雷の爆音が、一瞬の隙を示す。
 瞬く間に決断した。武器を手放す。姿勢を低くして踏み込み、左手でハティルの右手を制し、右手で左肘を掴む。
 勢いに任せて倒れ込んだ。
 それからは揉み合いになった。偏った視界の中で、トパーズの青が光るのが見えた。

「ぐっ……!」
 己の喉から漏れた呻き声で、顎を切られたのだと遅れて知る。痛みの度合いからして、傷口はきっとそれほど深くはない。
 今一度、ハティルを見やった。被り物はほどけて息が荒いが、その瞳には静かな決意の炎が灯っていた。狂乱の兆しはどこにもない。この者は、理性を保っている。
 ならばと名を呼び、再度訴えかける。
 
「聞いてくれ。敵対しているように錯覚しているだけだ。距離があるように見えるだけだ。私たちは、わかりあえる」
 ハティルは目を細めただけで、返事をしなかった。
「この距離なら錯覚しようがないな」
 そう言ってやると、怯んだように見えた。

「……上に立つ者の妥協は破滅への第一歩です」
「妥協なくして複数の人間が、複数の群がりが、ひとつところで暮らせるわけがない」
「そうとも限りませんが」
「武力による支配を指してるなら、長年制御のかなわなかった我がルシャンフ領の先住部族の例を、反論とする」
「ぐうの音も出ないですね」

 ――イィイン。
 異論が出なくても、手は出るらしい。突然の一撃を凌げたのは、培った経験で磨かれた反応速度のおかげだった。
「笛……?」
 ハティルは眉根をひそめて、渾身の攻撃を止めた短い鉄の棒を睨んだ。

「いい音色だぞ」
 何故か自慢げに答えてしまった。エランは笛の両端に両手を添えて、本来の倍の力を乗せる。元々腕力はこちらが上だ、この体勢でハティルが持ち堪えるのは至難だった。
「そんなもので……!」
「固定観念だ。鉄笛も、立派な武器になる」
 エランは手の中の笛を巧妙に捻って、ハティルの宝刀を遠くへ弾き飛ばした。

 その時点で既に、二人は大勢の宮廷人に取り囲まれていた。身を起こして周囲を一瞥した後、エランは無言で弟に手を差し出した。
「……発想の柔軟さでは、僕の完敗でしょうね」
 第六公子は呆れたような疲れたような顔でため息を吐き、差し出された手を取る。

「こんな大雨、何年ぶりですか」
 立ち上がっても、ハティルはすぐには目を合わさなかった。
「私の記憶だと六年だ」
「そうでしたね。アダレムが生まれた時、三日三晩は雨が降り続けましたね」

「よく憶えてるな」
 ふふ、とハティルは暗い笑いをする。
「怖かったんですよ。雷がじゃない。僕は、天の恵みに恐れをなしたんです。こんなに祝福されて生まれる公子が羨ましくあり、そして恐ろしくもあった。どんな人生を背負わされるんだろうって。もう自分の入る余地はないのかなって」

「へえ。存外、私も大して違わないことを思っていたぞ。いよいよこの国にとっては用済みか、とな」
「……――エラン兄上、今もそう思ってますか?」
 ようやく目が合った。年相応の好奇心がそこにあり、エランは思わず笑い出した。

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07:59:18 | 小説 | コメント(0) | page top↑
十 - i.
2017 / 11 / 03 ( Fri )
(誰か来た?)
 脱力してうまく起き上がれない。せめて横に転がってみると、気絶させられたと思しきアストファン公子の輪郭が目に入る。
 嫌悪感が原動力となって、セリカは急いで上体を起こす。壁に背が当たるまで後退った。

 おそるおそる、顔を上げる。
 どこかで見たような筋骨隆々の戦士風の男が佇んでいる。左腕が三角巾につられていて、鎧もところどころ欠けているが、眼光は相変わらず鋭い。男は殴るのに使ったらしい剣の柄を一度見下ろしてから、あるべき場所に収めた。
 何で、とセリカは口に出さずに唇だけで訴えかける。見えたのか察したのか、男は抑揚の無い口上を述べた。

「主の意思は己が意思。己が剣(つるぎ)は、主の剣」
 そして淡々と動く。アストファンの手足を縛ってから、背を向けたまま、マントを差し出してきた。
 セリカはゆっくりと手を伸ばしてそれを受け取った。よろよろと立ち上がり、破けたスカートの代わりにマントを腰に巻き付ける。
 微かな香りが鼻孔に届いた。

(あ、このひと……エランと同じにおいがする)
 以前外套を借りた時は気が付かなかったが、衣服に染み込んだ香の種類や組み合わせ、食べるものが似ているからだろうか。
 親近感は安心感を連れてやってくる。ついさっきまで胸中で渦巻いていた悪感情のことごとくが、浄化されていく。

「濡れて不快でしょうが、申し訳ありません」
 ぼそりと彼は謝った。
 言われてみればマントはかなり水を吸っていて重いし、冷たい。言われるまでわからないほど、気が動転していたともいう。
「いいわよこれくらい。ありがたく使わせてもらうわ」
 外は大雨だ、怒れるはずがなかった。
 そろりと傍らに行ってみた。近付く気配に気付いて、大男が振り返る。

「助かったわ、タバンヌス」
「役回りです」
 無表情な男の返答はそっけない。が、次の瞬間ぐっと眉間に皺を寄せた。「当然のことをしたまでです」と続けて、それも思い直したのか、頭を振った。

「……失礼」
「どうしたの? 何を謝ってるの?」
 うまく言葉にできないのを嘆いているのだろうか、とセリカは首を傾げた。
 すると彼はザッとその場に跪いた。

「え、何? ちょっと」
「エランディーク公子は現在、ハティル公子と対峙中です。鬼気迫る様子で刃を交えています」
「!」
「主が、自分がどんな人間であるかを思い出せ――……いえ、取り戻せたのは、公女殿下のおかげです」 
 頭を下げたまま、タバンヌスがまたしてもぼそりと言った。

「エランには、あなたが必要だ」
 それきり彼は沈黙してしまった。
(思い出した? 見失ってたって……?)
 どんな人間であるかを取り戻した――そう言われると、なんとなく思い当たる節があった。

 父と兄が「性根が真面目」だの「責任感が強い」と評したのを嫌そうにしていたのは、エラン自身が思い込んでいる「自分」の像と周りの人間に見えているものとの食い違いがあったからか。
 無気力だが、無関心ではなかった。家族と国を想っていながらそれに見合った行動をしていなかったのだ。

 ――そうか、今は戦っているのか。
(あたしのおかげかどうかはわかんないけど……)
 もっと必死に生きてみたらと言ったのは憶えている。どんな形であれ力になれたのなら、嬉しい。

「ありがとう。でも、あなたも必要だと思う」
 大男はふいっと顔を背けた。照れたのだろうか。
「その話、後で詳しく聞かせてね。昔のエランがどんなだったかとかも、興味あるわ」
「…………」
「返事は!?」
「承知」
 渋々だがようやく返事があった。よろしい、とセリカは満足げに笑った。

「行きましょうか」
 もはや脅威ではなくなった第二公子をタバンヌスが担ぎ上げるのを見届けてから、踵を返した。
 震えはもう止まっている。

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