07.b.
2012 / 01 / 29 ( Sun ) 自殺行為だな、と思った。丸腰で魔物に近づいて無事で済むわけなかろうに。
だが聖女の真剣な目を見て、考え直した。 「好きにしろ。ただし、斬るべきと俺が判断したら躊躇なくそうする」 「……わかりました」 聖女は一瞬、抗議したそうだったが、言葉を呑み込んで頷いた。それもそのはず、今グダグダ喋っていていいほど敵の気が長くない。 再度飛び掛ってくる魔物。ゲズゥは咄嗟に少女を片腕で抱えて避けた。 血の涙を流し続ける魔物の瞳に、理性の欠片も映し出されてない。どうやって会話するつもりなのか見ものだ。 おろしてください、と聖女が頼んだので言われたとおりにした。しばらくは待つしかないと悟って、ゲズゥが剣を低く構えなおした。 魔物はまた喉を振動させて声を発している。 聖女が小声で何か歌い始めた。聖気とやらを出して、一歩ずつゆっくり歩み寄る。 歌に魅入られたように、魔物が動きを止めた。 「大切な人を、うしなったんですね」 聖女は歌うのをやめて語りかけた。 「よかったら何があったのか話してくれませんか?」 子供をあやすみたいな優しい声に、魔物は安らいだように瞼を下ろした。獺が何か返事をしたなら、それはゲズゥには唸りにしか聴こえない。 「そうだったんですか、恋人との旅の途中で詐欺に遭ったんですね」 聖女は、獺に向けて手を伸ばした。顎のひげにそっと触れる。 「慌ててその人を追ったら、忌み地の近くで迷ってしまったと」 聖女の一方的な受け答えから情報を拾うと、つまりこうだ。その男は襲い掛かってきた魔物から命からがら逃げたはいいが、いつの間にか恋人とはぐれていたという。探しに戻ったが、いくら探しても探しても彼女の衣服以外見つからず、気がつけば男は今の姿に成り果てていたそうだ。 本人は自分が何時頃「死んだ」のか、自覚していないらしい。 そこまで聞いて、「呪いの眼」ゆかりの者ではないとはっきりわかった。 ならばゲズゥにしてみればそれは最早ただの魔物、退治すべき対象でしかない。 ちょうど魔物が聖女に気を取られて静止している。今なら巧いこと倒せるかもしれない。たとえば足を六本残らず切り落とすか、頭部を胴体から切り離すか。 あまりに敵が大きいので、確実な方法を取りたい。 ゲズゥはさっと辺りを見回した。 教会の正面玄関からは綺麗に管理された土手道が伸びている。聖女と魔物はその道の上にいる。土手道の両側には並木が均等な間隔を取って植えられている。半年前に建った辺境の小さな教会の割には変に凝っているな、と違和感を覚えた。 今はそんなことより、高い足場になりそうな物を探す。並木はどれも細くて若すぎる。足場になるような太い枝が見当たらない。ならば、並木の間に揺れる申し訳程度のともし火はどうか。 ゲズゥと多分そう変わらない高さの街灯は、間隔が長く数が少ない。しかし運良く、そう離れてない距離に一本立っている。 「――大丈夫です。私たちにできることなら、力になります」 なおも対話を続ける聖女を尻目に、ゲズゥは音を立てずに移動した。 魔物の背後に回り込み、数歩離れた位置の街灯まで近寄った。街灯のてっぺんは三角錐みたいな形で、とがっている。踏むとしても一瞬しか立っていられないだろう。 十分だ。 ゲズゥは街灯の上目がけて高く跳び、右足だけで着地した。サンダルを通して、足の裏が街灯の尖がり具合を知ることになった。刺されはしないがやはり痛い。 構わず、そこを足場にして更に高く跳躍した。 獺の背に、剣を突き立てた。 金切り声をあげ魔物がのけぞり、後脚だけで立つ。振り落とされないよう足腰に力を入れながら、ゲズゥは長剣を抜いた。 もう一度高く跳ぶと、振り落とす力と重力を合わせて、魔物の横腹を切り裂いた。 裂け目から、血液と臓物に似た赤黒い塊がいくつも溢れ出す。見れば、臓物の一つ一つに人面が浮かんでいる。相も変わらず気色悪い存在だ。 獺が地に崩れるのを見届け、ゲズゥは聖女の方を一瞥した。少女が異臭放つ汚物にまみれる姿には、多少罪悪感を覚える。 「何を呆けている」 向こうが再構築する前にさっさと浄化に取り掛かれ、という意を込めて声かけた。 聖女は目を大きく見開いて、両手についた汚れと、深手を負った魔物とを見比べてわなわな震えている。一体何事だというのだろう。 大丈夫か、と訊こうとして一歩近づいたら、逆に一歩退かれた。 「い、」 聖女の向けてきた眼差しは恐怖と絶望に満ちている。 「いやぁあああああああああああああああっ!!!」 空気を裂くような少女の絶叫が響き渡った。 PR |
07.a.
2012 / 01 / 27 ( Fri ) 星明かりの下で、六本足の巨大な獺(かわうそ)と対面していた。ソレは、魔物特有の青白いゆらめきを発しながら、教会の正面玄関に向かって姿勢を低くしている。
小屋ぐらいの大きさだ。これが跳びまわっていたのなら、確かに地震と勘違いするほどの揺れが生じるだろう。末恐ろしい魔物が闊歩する世の中になってしまったものだ。シャスヴォルといいこのミョレンといい、近所の魔物狩り師どもは一体何をしている。 獺の姿をした魔物は、シャ―――――ッ、と大きく口を開いて威勢よく声を出した。前足で宙を引っかいたが、教会の結界に邪魔されてそれ以上進む事ができない。 しかしそれはゲズゥたちとて同じことだった。目に見えない壁に阻まれて、外に踏み出す事が不可能だ。 傍らに立つ聖女を見下ろすと、服の下からペンダントを取り出している。司祭が首にかけていたのとよく似た銀製の物だが、司祭のより大きい気がするし他にもどこか相違点がありそうだ。はっきりとは思い浮かべられない。 「用意はいいですか? 陣を消さずに結界を強引に解除します」 何を言ったのかイマイチ理解できないが、ゲズゥは一言ああ、と答えて長剣を鞘から抜いた。 ――もしもの話。 あの魔物が村の跡地の封印から出てきた個体なら、素となった人間が、ゲズゥの知る者である可能性が出る。といっても十二年前のあの日から帰ってきてないので、たとえそうだとしても思い出せるかどうか謎だ。 聖女はペンダントを片手で握ると、残る手で何か文様を宙に描いた。そうしてゲズゥの知らない言葉を唱え始めた。 南の共通語ではない。北の共通語でもない。他のどの国の言葉とも異なる響きを持っている。或いは、ヴィールヴ=ハイス教団内で使用される呪文用の言語やもしれない。 聖女が唱え終わった瞬間、空気が震えるような気配があった。 もう壁は消えたのだと、なんとなく感じ取れる。 獺が黄色い四つの眼を光らせた。 「下がってろ!」 あの巨体なら三回跳べば充分距離が縮まる。 聖女はすかさず従って玄関まで後退した。 巨体にしては信じられない速さで、魔物が飛び掛ってくる。どうせ聖女の方へ向かうだろうと読んで、ゲズゥはタイミングを見計らった。 ズン、と魔物の一度目の着地。二度目の跳躍。 二度目の着地―― ゲズゥは横へ跳び、獺の後ろに回り込んで長い尾に切りかかった。斬った部分は綺麗に本体から離れ、転がり落ちた。剣を研いだ成果が早速見れて少し楽しい。 獺はこの世のものとは思えない鳴き声を上げた。頬を、血色の涙が伝っている。 おーん、おーん、と動物のように鳴きながら、ソレは振り返った。 笑ったり唸ったり慟哭したり、忙しい声帯だと思った。これが全部人間的な感情に基づいているというのか。わけがわからない。 標的をすっかり変えて、魔物はゲズゥに飛び掛る。前足に絡まれないように、飛びのいた。一度でもあの爪か牙に当たれば大打撃を受けるだろう。 魔物が再び地を蹴ったが、今度はゲズゥは前へ走った。 奴の高い跳躍を逆に利用して、下に潜り込むように進み、剣を上へ構えた。切っ先は獺の腹部分を引っ掛けて、しばらくして抜けた。浅い。手ごたえでわかる。少量の魔物の血液が顔にかかった。 「オ、ノ、レ……」 またしても地震を起こしながら着地した魔物の口から、白煙とともに妙な声が漏れた。 「ノ……カ、……ェ……」 喉が大きく振動しているのが闇の中でも見て取れる。 「何だこれは」 背後にいるはずの聖女に向けて、訊いた。 「……かろうじて言葉を形づくるぐらいの知能が残っているみたいですね。貴方にも聴こえるほどに」 真剣な声が返ってきた。 「何を言ってるのかわかるか」 それは相手が「誰」であるのか判断する上で、重要になる。もし、知る人物であるなら――自分は果たして、どう対応するだろう。 ゲズゥは剣を構えて、獺の動きを警戒した。 「えーと……『おのれ、彼女を返せ』? 一体どういうことでしょう……」 さぁ、と答えたいところだが、止めた。 聖女の声が近くなっているからである。振り返ったら、すぐそこにいた。下がってろと言ったのにどういうことだ。 「あの、彼と少し話をしてきてもいいですか?」 暗い中、聖女の潤った茶色の双眸はねだるようにゲズゥを見上げてきた。 |
06.g.
2012 / 01 / 25 ( Wed ) 前触れなく地が揺れた。
ミスリアは飛び跳ねて、危うく食器を取り落としそうになった。 「じ、地震……?」 身を固くしてしばらく待った。しかし一度きりの揺れだったのか、あたりは静まっている。 安堵し、洗い終わったばかりの皿を向き直る。 頭上のキャビネットに手を伸ばした途端、また大きく揺れた。右手から皿が滑る。 (やだ、割れちゃう……! 自分の家じゃないのに!) 少しでも衝撃を和らぐために身を挺すべきだと頭ではわかってても、体は自己防衛本能に正直で、勝手に飛び退いた。 皿は割れなかった。突如現れた別の手によって支えられ、あるべき場所にしまわれる。 「あ、ありがとうございます。さすが速いですね……」 ゲズゥは淡々とキャビネットに食器を戻した。思えば長身の彼こそ、踏み台のお世話になる必要のあるミスリアよか、遥かにその作業に向いている。 食器が全部キャビネットに納まり、ゲズゥがそれを閉めた。 (食事の時に食卓を囲うのは嫌がるのに、片付けは手伝うんだ) 協調性があるのかないのか、相変わらず、何を考えているのかまったく読めない男である。 (美味しいとも不味いとも言わなかったけど、残さず食べてくれたわ) 今はそれだけでよしとしよう。そういうことを思いながらゲズゥの背中を見ていたら、彼が口を開いた。 「地震の揺れより、魔物じゃないのか」 「え……」 それはつまり、地を揺らすほど重いまたは大きい魔物がすぐ近くに来ているということ。 ミスリアは、出かける際に神父アーヴォスが残した注意を思い出す。 ――戸締りをしっかりして、教会の結界から絶対出ないようにしてください。「忌み地」の封印が古くなり、修復しきれない速さで綻びが生じています。この近辺の魔物は数こそ少ないんですが凶暴で、強大です。いいですかノイラート嬢、くれぐれも外へ出て行かれぬよう――。 そこでまた地が揺れた。 静かな夜に、身の毛がよだつような笑い声が響く。 気がつけばミスリアは、ガラス張りの戸に指を触れ、声の主を探るように闇を見つめていた。夢中で探したけども、どう目を凝らしても月明かりに庭しか見えない。もしやここのアングルが悪い? 「お前にはアレが、どう聴こえる?」 ゲズゥの低い声で我にかえった。いつの間にか隣に来ている。黒曜石に似た右目と呪いの左目が、じっとミスリアの答えを待っている。 芯まで見透かすような眼差しに落ち着かないけど、平静を装った。 「どう聴こえると言われましても……そうですね、説明しにくいんですが……」 笑い声が止んだ――と思えば今度は慟哭が響く。 「私たち人間は言語を持ち、自由に思考をする生き物です。けど魔物は『言葉』を扱う能力が崩壊してる場合が多いので、感情を形にできず放出してるとでも言いましょうか。私にはああいった奇声が、想いとして直接脳に届いてるような、心を打っているような、何ともいえない揺さぶりを覚えます」 言いながらも、胸が締め付けられて苦しい。 「『言葉』……?」 「多くの魔物は、死んだ人間の魂を素(もと)としてます。彼らはかつては表現できた感情を持て余しているのです」 それは教団に属する人間にしか語り継がれない真実だ。一般論では魔物は瘴気のある場所に自然発生する現象となっている。案の定、ゲズゥは瞠目した。 魔物の慟哭は獲物を威嚇するような唸り声に替わった。音量から判断すると、まさに教会の結界のすぐ外に待ち構えているのだろう。 「ご存知ですか? 魔物は決して他の動物を襲うことなく、人間のみを狙うんです」 恐怖よりも深い悲しみに打たれて涙が零れた。 「彼らの餓えは、肉体の空腹からくるものではありません」 地が再び揺れ出し、ミスリアはバランスを崩した。ゲズゥの腕に支えられ、なんとか転ぶことだけは免れる。咄嗟にその腕にしがみついた。 頻繁になった揺れだけで想像すると、大きな子供が地団太を踏んでいるみたいだ。結界に阻まれて、業を煮やしているのだろう。 ミスリアはゲズゥの顔を見上げた。するとさっきと同じ眼差しが、じっと彼女の次の動きを待っているように、見つめ返してくる。 時々、彼がこうして自分を観察していることは知っている。何をするわけでもなく、静かに見るだけ。 最初は狩人のような、野性の捕食動物のような視線だと思って冷や汗かいたものだが、慣れてくるとそれはどちらかといえば子供が蟻の行列を観察する眼差しと同じだと思った。悪意ではなく興味や好奇心に基づいている。 一呼吸してから、ミスリアは発話した。 「お願いがあります」 ゲズゥはミスリアから腕を離すと、内容を聞く前に頷いた。 「行くか」 どこに置いてあったのか知れないが既に長剣を手に持っている。心なしか声が楽しそうだ。理由が何であれ、一緒に外へ行く気になってるのは有難い。 ミスリアは胸元を押さえ、服の下のアミュレットを確認した。 |
06.f.
2012 / 01 / 24 ( Tue ) 開いた目に最初に飛び込んできたのは、絵画だった。
描いた者は青、赤、黄色の三つの原色に白を混ぜたりして色合いを調整したようで、他の色は使われてない。ディテールが一切描かれておらず、全体を見通せばぼやーっと何かがそこにあるような曖昧なものだ。印象派芸術と呼ばれるジャンルに該当するのだろうか。闇市で見たぐらいの認識だから自信は無い。 もしかして、描いた人物は飛翔する「聖獣」を表現したかったとか? 聖堂の天井に描かれる絵画といえば、まさか魔物を飾ってるとは考えにくい。少なくともゲズゥには、黄色い光に包まれた巨体が茜の空を飛んでいるように見える。その巨体の腹を見上げてるような気分だ。散らばっている青系の点が何なのかまでは彼には想像つかない。 翼を広げて輝くソレを見上げても、神々しいだの尊いだの思わなかった。芸術を解さない、感性に乏しい――と言われればそれまでだが。 ゲズゥは起き上がった。窓から射し込む陽の傾きからして夕方近い時刻らしい。 後ろを手で支えながら、首をならした。木製のベンチにしてはまずまずの寝心地だった。やはり木の枝の上が一番だ。 剣を研ぐに適してそうな石を庭から拝借して物置部屋に動かしたのを思い出し、立ち上がる。 廊下で聖女と鉢合わせした。聖女は小さく笑みを浮かべてから、書斎のある事務所みたいな部屋に入った。ゲズゥは特に何も考えずにその入り口に立って、聖女を観察した。窓からの陽射しが躍って幼い顔に影を作っている。 「結構いろんな本が並んでますね……何か読みますか?」 仮に観察されてることを気にしてるとしても、表に出していない。 「いい。俺は字が読めない」 ゲズゥの言葉に、聖女は本をめくる手を止めた。目を丸くしている。 字の読み書きができる人間が少数派であるアルシュント大陸では、珍しくないことだ。文字が、専門職に就く人間以外に開放されて二百年経ってない。大陸中に学校を普及させようという社会運動があるようだが、その夢が実現される日までまだまだ遠い。 中には庶民以下に読み書きの能力を断固として許さない国とてある。シャスヴォルはここ数年でその制度が廃止の方向に進んでいるが、元々そうだった。 ゲズゥは必要最低限に南の共通語とほか数ヶ国語が読めるが、それはあくまで実生活に直結するような単語ばかりで、文章となると別だ。 そうだったんですか、と聖女が困ったような表情を浮かべる。 しかしゲズゥは特に気にしてない。そんなことより剣のことを思い出し、物置部屋へ移動した。 小さな窓が一つしかない部屋だ。蝋燭を灯し、砥石と長剣と水を含ませた布を準備してから胡坐をかいた。 シャッ、シャッ、と丁寧に刃を研ぎ始める。 一分ほど経った頃、どういうわけか開いた扉にノックがあった。 「私もそっちに行っていいですか?」 躊躇いがちに訊く聖女は手に革張りの分厚い本を持っている。 「何で」 短く聞き返した。物置部屋は狭く暗く椅子も無く、読書には向かないだろうに。 「……り…………から……」 聖女は消え入るような声で何かしら呟いたようだが、聴き取れなかった。俯きながら、もじもじと挙動不審だ。 「は?」 「ひとりは、つまらないから」 茶色の瞳が濡れているように見えるのは、光の加減の所為なのか、それとも――? 「……好きにしろ」 女子供という無駄話の多い種の中で、この聖女はまともな方だった。物分かりが速くて余計な詮索もしない。そこにいられても邪魔にならないだろう。 「ありがとうございます」 聖女は踏み台に腰掛けて、本を開いた。 それ以上互いに関ることなく時が過ぎた。 ページの捲られる音が、こっちのシャッ、シャッ、という音の間を時折挟む。 単調な作業に心が安らぐようだ。 最初は緊張気味だったらしい聖女も、次第に本にのめり込んだのか外界を意識から除外している。同様に、ゲズゥも丹念に剣を研ぐことに集中した。 布で拭って刃の研ぎ具合を確かめた何度目かの時に、顔を上げた。小窓から夕焼けの端が見える。いつの間にかそんな時間になっていた。 「晩御飯にしましょう。私、つくります」 聖女が分厚い本を閉じる。 「何か食べられないものとかありますか?」 「…………味の濃いもの」 大真面目に答えたつもりだ。対する聖女は少し笑い、がんばります、と言ってキッチンへ向かった。 |
06.e.
2012 / 01 / 23 ( Mon ) 物置部屋の壁際のチェストに保管されてるだけあって、どの武器も大分前に手入れされて久しいようだった。種類こそ多く揃っているが、錆びれて使い物にならなそうなのばかりだ。教会が建ってまだ半年だというのだから、最初からこの状態で持ってこられたと考えるのが妥当か。
それにしても鎖鎌からメイスやモーニングスターなど、教会にしては物騒な武器まである。まともな状態に戻せれば魔物相手に十分健闘できるだろう。 魔物は他のどんな生き物とも違って、決まった急所が無いのが特徴だ。個体差あれど四肢を裂かれても動き続けることは可能だし、時間を置かずに元通りに再構築されることだってある。ゆえに徹底的に無力化する必要がある。 人間の敵は比較的脆く、両の手だけでも退けられる。魔物との戦闘を思慮に入れて武器を選ぶ方が賢明だ。しばらく、チェストの中を漁るのに没頭した。 リーチの長い武器が好ましい。投げるタイプの槍を手にとったが、やめた。チェストの底の長剣が目に入ったからだ。柄を掴み、引き上げた。鉄と鉄がこすれあう音がする。 ゲズゥの両腕を広げた幅と同じくらいの長さの剣は、決して鋭利な刃を持っていないが、研げば使えそうだ。裏を返したり、刀身に触れたりした。 ふと近づく足音に、ゲズゥは振り返った。 「あの、カイルの叔父様がお茶を出すそうです」 聖女は今朝と同じ水色の質素なワンピースのまま、髪を首元の右側に結んでまとめている。出会ってから今まで見た中で一番、目が穏やかだった。 「わかった」 通常ならばめんどくさいと感じて無視を決め込むところだが、叔父という男が引っかかるので、行くことにした。 ダイニングルームに、ハーブの香りのようなものが漂っている。ティーポットとカップは白地に多少の模様が入ったような一式だ。 テーブルに向かっているのは叔父ひとり。聖女がその隣の椅子に腰掛けた。面倒と思いながらも、ゲズゥがその隣の椅子に座った。偶然にも叔父と向かう形になる。 「改めて初めまして、私はアーヴォス・デューセと申します。聖人カイルサィート・デューセの父方の叔父で、この教会を受け持つ司祭です。ようこそいらっしゃいました」 司祭と名乗った男は一礼し、二人にハーブティーとクッキーを勧めた。事情を甥に聞いたのか、追及するような発言はない。その甥は祈祷の後に急用に出たらしく、結局茶の席にいない。 「ありがとうございます。私は聖女のミスリア・ノイラート、彼は私の旅の護衛です。昨日からお世話になってます」 差し出されたティーカップを受け取りながら、聖女は小さく礼を返した。 「ゲズゥ・スディル、『天下の大罪人』であって『呪いの眼』の一族の最後の生き残りですね。これはまたすごい用心棒を得られましたね」 その笑い声にゲズゥはかすかな濁りを感じた。 「確かにすごい人です」 聖女は微笑みを返している。 「今夜はお二人だけで大丈夫ですか?」 司祭は急に話題を変えた。チラリとゲズゥを一瞥した後、再び聖女と目を合わせる。 「それはどういった意味で?」 「実は今、隣の町で魔物が頻繁に出現していましてね。昨晩はその対応に出かけて戻らなかったんです。するとそこで病が流行っているともわかって、今晩カイルを連れて行こうと思っています」 やり取りを、ゲズゥはバタークッキーを食べながら静観した。 「私も手伝いましょうか?」 「いいえ、お気持ちだけで充分ですよ。ゆっくりお休みください」 「……ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」 ゲズゥの意見を仰がず答え、聖女は横目でこっちを見た。別に仰がれても是とも非とも助言するつもりは無いのでどうでもいい。 一度頷いてから薄い黄色の茶を味わい、思わぬ甘さにぎょっとした。 |
06.d.
2012 / 01 / 21 ( Sat ) 聖女の友人らしい青年の背中を、ゲズゥは座ったまま見送った。
因みになんて名前だったのかもう忘れた。ただでさえ他人の顔も名前も覚えられないゲズゥに、あの聖人のファーストネームは試練だった。 信用してない人間に友人を託すなど、判断材料を検討したとしても聖人の言い分は矛盾していると思った。聖人聖女は皆そういうものなのか? もっと、頭の固い連中かと想像していた。 或いは教えに反して動く聖職者にばかり、たまたまゲズゥが会っているだけかもしれない。 聖女もその友人という聖人もどこか「違う」気がした。何がどう違うのかとなると、漠然とそう思うだけで皆目見当もつかないが。 そんなことを考え込んでも仕方ないので、立ち上がった。そろそろタバコも終いだし、中に戻ろうと歩き出す。 フェンスの軋む音がした。 見ると、四十路ぐらいの男が庭の縁に立っている。独特の黒装束からして、聖職者っぽい。それに首にかけている銀細工のペンダントは、神に仕える者の象徴だった気がする。聖女も聖人も持っているのを見た。 「おや……お客様ですか?」 ゲズゥより頭一個分未満ほど背の低い男は、禿げた頭のてっぺんを手のひらでこすった。耳の上辺りだけ、プラチナブロンドの頭髪が生えている。整えられた顎鬚も同じ色だ。 ゲズゥが答えずにいると、禿げ頭の男は近づいてきた。 「ほう。その目はもしかして……」 男の琥珀色の瞳に――好奇心と、別の何かが混ざったような煌きがよぎった。それは過去に何度も見知っている感情。人道はそれを歪んでいるとみなすが、とても人間的だとゲズゥは思う。 口元がつり上がるのを男が手でうまく覆い隠したのを、ゲズゥは見逃さなかった。 「あれ? アーヴォス叔父上、お帰りなさい。お仕事お疲れ様です」 ガラスの戸を開けっ放しにしてた聖人が、中からひょっこり顔を出した。 「ただいま、カイル」 「玄関から入ればいいのに、そんなに庭が気になりますか?」 「いいじゃないか」 明るく談笑する男の面からは、さっきの表情がきれいさっぱりなくなっている。 「あとでお客様にお茶をお出しするから、ちゃんと紹介してもらうよ」 「はい」 聖人の叔父という男は、庭の方へ関心を移し、あちこちの葉っぱの色やら土の具合やらを確かめに歩き回る。マメな性格らしい。 現時点で、あれが警戒すべき人間かどうかはまだ見極められない。小さく頭(かぶり)を振って、ゲズゥは教会の中へ戻った。 ダイニングルームに、聖女の姿がなかった。 「ミスリアなら、お風呂場の奥の洗濯部屋だよ」 聖人はいつの間にか着替えている。最初に会ったときの軽装よりも、白いローブの裾が長い。手袋やローブの下に履いてるズボンまで真っ白だ。こんなに白い格好が様になってる男に出会ったのは初めてかもしれない。ゲズゥだったら一色だけ着るなら絶対黒を選ぶ。肌や髪色の合う合わないじゃなくて、性格に起因してるのだろうか。 「僕はちょっと聖堂の方に入るけど、君も来る?」 明るく誘われたが、ゲズゥは頭を横に振って断った。神とやらを祀った場所には別段興味がない。そもそも神が地上を去って聖獣が眠っているという設定の信仰なのに、一体何に祈りを捧げるのか、ゲズゥには理解できない。 「そう。何か他に必要なものあるなら遠慮なく言って」 「……武器庫」 「廊下を出て左の物置部屋。あそこのは全部誰も使ってないから、どれでも好きに選んでいいよ」 ひらひらと手を振りながら、聖人は身を翻した。 |
06.c.
2012 / 01 / 19 ( Thu ) カイルサィートは、ガラス張りのドアの前に置いてあるサンダルを履きつつ、ダイニングルームから中庭へと足を踏み出した。
「邪魔するよ」 先客のゲズゥが庭に敷かれた煉瓦に座っている。もちろん裸足だ。片膝を立て、その膝に片腕を置き、残った手で葉巻タバコを吸っている。クセのあるニオイだ。 (僕より一個年下なのに、渋いなぁ) ゲズゥはどこへともなく視線を庭にやっている。 木製フェンスで囲まれたこの広い中庭は、叔父によって手入れが行き届いている。縁に植えられた色とりどりの薔薇が蕾を出し、朝日に照らされて鮮やかな輝きを見せている。めいっぱい息を吸い込むと、タバコのニオイを凌駕して季節外れの茉莉花の甘い香りが肺を満たす。 煉瓦のパティオの中心に鳥用の餌台が立ち、そこで繰り広げられるリスとコマドリの取り合いが微笑ましい。或いはゲズゥはこの生存をかけた勝負の行く末を見守っているのかもしれない。 「肩の怪我、もう大丈夫?」 昨日会った時に彼が負っていた矢傷のことをカイルサィートは訊ねた。 数秒待っても返事がないので、構わずまた喋りだした。 「僕が治したので気になってね。ミスリアのようにはできないから」 近づきすぎず、なおかつ声が届くほどの距離に落ち着いて、カイルサィートはゲズゥの隣に並んだ。 「彼女は特別だよ。僕らは同じ時期に修行をしたけど、ミスリアは普通より遥かに幼い歳で教団に入ったんだ。他の子は歳相応にはしゃぐし、恋だってするし、自分の人生の選択を何度も迷う。…………ねえ」 静かに呼びかけてみた。すると前しか向かなかったゲズゥはようやっと、隣のカイルサィートに視線を移した。白地に金色の斑点で彩られる左目は、何度見ても慣れない。 「僕は、君の事を信用に足る人間と思わない。これっぽっちも、思ってないよ」 ゲズゥを見下ろし、カイルサィートは低い声で断言した。 瞬き一つの反応も返って来ない。対するカイルサィートも瞬かなかった。 「ミスリアが決めたことだから止めない。それでも僕はやっぱり反対だし、今でも考え直せと彼女を揺すりたい。友人として、心配なんだ」 ミスリアが取り寄せた「天下の大罪人」に関する書類を、カイルサィートもひととおり目を通してる。その上で、彼は彼女と違った結論に至った。 ゲズゥは視線をそらし、葉巻を口元から離し、長い一息を吐いた。 「……で? 俺にどうしろと」 抑揚のない、関心に薄いひとことだった。 (本当に不思議な人だ……) 決して礼節を弁えた態度ではないのに、腹が立たないのは何故だろう。静かで、冷淡で、夜の湖面のように落ち着いている。もしこの人に対して癇癪を起こしたら、醜いのは自分の方になってしまうのではなかろうか。 「信用はしない。でも、君が体を張って彼女を守り抜いた功績を、高く評価しているよ。だから、」 カイルサィートは深く礼をした。 「これからも、聖女ミスリア・ノイラートをよろしく頼みます」 顔を上げると、驚いたように片眉を吊り上げたゲズゥの顔が見えた。 表情を変化させられたことに心の中で、してやったり! とガッツポーズを決める。 「話は変わるんだけど――」 「わかってる。行けばいいんだろう」 本題に移り変わろうとしたカイルサィートは、鋭く遮られた。 「果てしなく気が乗らないが、行ってやる。里帰りに」 苦い顔でゲズゥが承諾の意を表した。再び庭の方を見ている。 説得するまでもなかったようで、カイルサィートは拍子抜けした。 「ええとじゃあ、明日の夜とかどう?」 連日の移動でまだ二人とも疲れてるだろうし、早くても明日まで待とうと考えての誘いだ。 試しに聞いてみたら、あっさり頷かれた。 |
06.b.
2012 / 01 / 19 ( Thu ) ミスリアは絶句した。
滅びた「呪いの眼」の一族がかつて暮らした場所。それが忌み地になるということは、彼らにひどい災難があったことを意味する。 「カイル、それは確かですか?」 「少なくとも僕はそう聞いている。あの地域はもともとシャスヴォル国の領内で、一族が滅びた後に国境がずらされたそうでね。ミョレンに押し付けようとしたみたいだけど、結局『忌み地』になったから放置状態。両国の民からも秘匿されている事実だね」 丁寧に語るカイルの声に耳を傾けていたが、別の音にふと気づいた。 ぽた、ぽたり、と水滴が零れ落ちるみたいな。ミスリアは音源を突き止めようと視線をさ迷わせ、そして見つけた。 ゲズゥのマグカップを持つ手が、激しく震えている。コーヒーが幾筋か、その手を伝って垂れ落ちている。今にもカップを握り壊しそうなのを堪えているようだ。指関節が心なしか白い。 そうだった。 当事者の彼にとっては、この話題は決して他人事ではない。瞳に、数日前に見せた憎悪の色が濃く浮かんでいる。ミスリアは知らず身構えた。 「あの時、何があったのかは公にされてないので僕も知らない。生き残ったのは、一人だけだと聞いているけどね」 カイルはまっすぐにゲズゥを見据えて言った。威圧感に応じて額に脂汗が滲み出ている。 「…………」 今やゲズゥの全身から強烈な怒気がほとばしっている。静かな感情が、かえってこちらの背筋を冷やす。 二人が下手に動けば躊躇無く噛み殺しそうだ。また、黒ヒョウのイメージが沸いた。 しばらく、三人とも静止したままだった。 やがて飽きたようにゲズゥが小さく息を吐き、コーヒーを一気に飲み干した。カップをテーブルに雑に置いて、立ち去る。 ミスリアはそっと胸を撫で下ろした。 「どこ行くんですか?」 まだ恐ろしさは残るけど、訊かずにいられなかった。 「煙草」 珍しくゲズゥから返事があった。中庭へと続く大きなガラス張りの戸を、横へ引いて開けている。 「ってそれ、叔父上の葉巻と火打石。いつの間に……」 ゲズゥが手にしてるものを見て、カイルは苦笑した。 ぴしゃり、と音を立てて戸が閉められる。 「――なんていうか、不思議な人だね」 カイルは別に、気を悪くしてないように見えた。額の汗をナプキンで拭き、片付けのために立ち上がる。 「ちょっと後ろめたいなぁ。ああいう言い方したかったわけじゃないんだけど、こっちだって情報の少なさに切羽詰っているんだ。あの魔物と対面すれば、きっとわかるよ」 ミスリアは頷き、片づけを手伝った。二人でシンクの中に食器を集める。 「君らと此処で会ったのも何かの縁かもしれないね。ミスリア、一緒に来てくれるかい? 君がいれば心強い」 食器を水で洗いながら、カイルがミスリアにそう頼んだ。 ミスリアは、チラリと中庭の方を一瞥した。煙以外、ゲズゥの姿が無い。 「私は構いませんけど……」 「君に戦闘能力がほぼ皆無なのは知っているよ。彼がいなきゃ不安だよね、きっと」 「えっ、そういうことでは――」 ――ないのだけど、なんとなく恥ずかしくなって俯いた。自分の運動能力の低さは自覚している。教団に居た頃、まったくといっていいほど剣技も筋力も身につかなかった。確かに、ゲズゥの桁外れの強さが無ければ今までに何度か死んでいる。 「まぁ、それでなくとも関係者が居ると何かわかるかもしれないし是非とも同行を願いたいね」 テキパキと手際よく、カイルが皿やコップを洗っていく。 「そうですね」 洗い終わった食器をタオルでミスリアが乾かし、磨いた。 「彼と話してきていい?」 「どう……ぞ……?」 説得でもするつもりなのだろうか。 思えば今までの短い間、ずっとゲズゥの方が主導権を握って旅を進めてきた。他人の言葉に左右されるのかどうかあやしいところだ。 ミスリアの力の無い返事にカイルはにっこり笑い、水道の水を止めた。 |
06.a.
2012 / 01 / 18 ( Wed ) ヴィールヴ=ハイス教団は、アルシュント大陸中のいくつかの「忌み地」の管理もしている。
忌み地とはすなわち過去に何か大きな惨事があり、今では瘴気と魔物に満ち溢れた場所を指す。人間が近寄ると骨も残らず喰われ、中には日中でも魔物が闊歩している土地もある。 対策の一つ目は単純。 内と外を隔てるために、教団の人員がまず封印を施す。魔物が逃げ出ないように、下手に人間が迷い込まないように近くで聖職者の誰かが常に見張る。 厄介なのはその後だ。忌み地を清めるには数日または数ヶ月、下手すれば数年の労力を要する。浄化が終われば、封印も解かれる。 しかし常に人手不足に苛まれている教団から、長い間誰も派遣されないケースもある。 よってそれらの忌み地は封印されたまま長年存在し続けている。 _______ 「つまりカイルサィートは、忌み地の浄化を手伝うために、叔父様の受け持つ教会に来たと言うわけなんですね」 ラズベリージャムを塗ったトーストを両手で持ち、聖女ミスリア・ノイラートが感心して友人に確認した。 明るいダイニングルームの小さな丸いテーブルを囲んで、ミスリアとカイルサィートが朝食をとっている。お互いに水色の質素な服装をしている。これは、教会から借りたものだ。 ミスリアの護衛のゲズゥ・スディルは、テーブルに座すことを拒否し、何故かキッチンの隅で立って食べている。食べかすが散らからないように、一応ゴミ箱の真上で。やはり似たような服を着ているが、肌色が濃いめの彼には、若干似合わない。 キッチンとダイニングルームはカウンターひとつ隔てただけで空間自体は繋がっている。ゲズゥは、ロールパンを食べながらテーブルの方向に視線をやっている。何に焦点を合わせてるのかここからではわからない。 「カイルでいいよ、ミスリア。そういうことになるね。特にここは教団が干渉しにくい国にあるし、ずっと無人で立ち入り禁止にされていただけだったみたい。半年前くらいに叔父上が来て、小さな小屋を教会に建て直したんだ。今、僕等がいるこの建物だね」 カイルは二人分のマグカップにコーヒーを注いだ。コポポ、と黒に近い茶色の液体が泡を立てる。 「大変そうですね」 トーストを皿に置いて、ミスリアは花柄のマグカップを受け取った。ありがとう、と小さくお礼を言ってから、ミルクと砂糖を少量加える。まだ熱すぎるので、嗅ぐだけにした。濃厚な香りが鼻に届く。 「聖獣を蘇らせる旅に出る前の準備運動と思えば悪くないよ」 カイルは気持ちのいい、爽やかな笑顔を見せた。 自然とミスリアも笑顔になった。 短く切りそろえられた亜麻色の真っ直ぐな髪に、小麦色の肌、琥珀の瞳、通った鼻筋、そして長くほっそりとした輪郭。数ヶ月前に教団本部で別れたきり、彼はまったく変わらない。 「君も、飲む?」 キッチンに立つゲズゥに、カイルが空いたマグカップを持ち上げて声をかけた。 ゲズゥはいつの間にか食べ終わっている。一度瞬いてから、ゆっくり歩み寄ってきた。 「なかなか解決の糸口が見つからないのだけどね。実は、強大な魔物が核となってあそこに居座ってるんだ。僕程度の剣の腕じゃあ相手は強すぎて迂闊に近づけないし、「対話」を試みても応じてくれない」 ゲズゥのためにコーヒーを注ぎながら、カイルが続けた。 数人の魔物狩りの専門家を伴っても、みんな途中で腰を抜かして逃げ出すのだという。彼等が優秀かどうかはさておいて、かなり手強い魔物らしい。 (対話、か……) 浄化するだけなら教団の他の役職の人間にも可能だが、対話は魔物の内なる「心」に触れられる、聖人聖女にしかできない芸当だ。教皇猊下を例外として。 「……ここからわずか東の、村の跡地か」 ブラックコーヒーの入ったマグカップを受け取り、ゲズゥが口を開いた。 「そうだね」 一瞬だけ驚いた顔を上げ、カイルが短く相槌を打つ。話した内容より、ゲズゥが急に喋ったことに驚いてるのではないかと思う。 どうして、ゲズゥがそんなことを知っているのだろうと、ミスリアは首を傾げた。 カイルはテーブルの上で両手を組んだ。 「そこはかつて、『呪いの眼』の一族が暮らしていたとされる場所なんだ」 |
05.f.
2012 / 01 / 16 ( Mon ) 青年は、昼の散歩と称して周囲を巡回するのが日課だった。
曇った空から陽射しが漏れている。 雨上がりの湿った匂いが気に障る人もいるそうだが、彼はそれが好きだった。 夏の虫や歌う小鳥、芸術性に富んだ蜘蛛の巣、地を這って花を咲かせる蔦――今日はどんな自然に出会えるだろうかと心をわくわくさせ、林の方へ向かった。 かつて木材を生産する目的で人間が作った林だ。十数年前に、とある事情で放棄された。 気分がいいので、青年は鼻歌を歌いながら歩いた。 しかし林に近づくと、なにやら騒がしいことに気付いて唄うのをやめた。 黒い鎧を身に纏った女性の背が見える。片手で細身の剣を持ち、片手を腰に当て、どこか芝居がかった雰囲気のある女性だ。河の中に立つ騎乗の男性と言い争っている。男性は体格がよく、褐色肌で黒いくせ毛が特徴だ。立派な白馬に乗っている。 (またあの二人か……大方、国境を超えた人間の身柄についてかな) うんざりして、青年は肩を落とした。せっかくの上機嫌が台無しである。同じ国境を守る者同士、どうせならもっと協力しあって穏便にできないのだろうか。 青年自身が仲裁に入った回数は多い。最近では干渉する気も起きない。 今日は様子見だけにしようと考えたが、ふと問題の入国者の姿が目に入った。 横たわる長身の男性は、見るからにして怪我人だった。その男性を鎧の女性から守るように、少女が間に立っている。忠実な犬が、飼い主の死体を守って自分が尽きるまで立ち続けたという童話を、何故か思い出した。 そっと、会話が耳に入るぐらいの距離に青年は近づいた。鎧の女性ことミョレン国の女騎士はシャスヴォル国の兵隊長との話をつけたのか、少女に話しかけている。 「ほう。貴様は命がけで、底辺クズ男を庇い立てするのか?」 低く濁った声で、女騎士が嘲るように喋る。いつ聴いても耳障りな声だ。 「します」 対する少女の声は澄んでいる。見たところ丸腰なのに、毅然とした態度だ。 ははは、と女騎士は口を大きく開けて笑った。下品だと思った。 「男冥利に尽きるとはこのことだな! 何故そこまでする? 貴様の護衛のようだが、替えなど他にいくらでも手に入るだろう。厄介ごとの種でしかない男をどうしてわざわざ連れまわす?」 金髪の三つ編みにまとめた長い髪を、女騎士は空いた手で後ろに払った。いちいち腹立つ挙動だ。 少女は背後を一度振り返った。 「理由は私だけ知っていればいいことです」 震える声を制しながらもはっきり告げる様は、青年の知る誰かを彷彿とさせる。 「くっくっ、いい答えだ。大した娘だな。構わんぞ、仲良く二人とも捕らえてやる」 そこで青年は慌てて、駆け寄った。させない。 「いい加減にしてください!」 新しい人物の乱入に、横たわる男性以外の全員が目を見開いて青年を見上げた。 「まったく貴女はいつも見境なく……。ちゃんと彼等の事情を聞きましたか? 身分証明書の確認は? この一帯で好き勝手をするのはやめていただきたいですね。それから、むやみやたらと人を捕縛したところで、首都の牢獄が一杯になるだけですからね。既に慢性的な問題でしょう。たまには頭を使ったらどうですか」 青年はさっきまで皆が話していた南の共通語ではなく、音節がより多いミョレンの母国語で、怒涛のようにまくし立てた。 女騎士は鬱陶しそうにヘーゼル色の双眸を逸らした。 「聖人デューセ、貴様か。厄介な奴め」 女騎士は長い溜息をつき、剣を収めて、胸の前で腕を組んだ。 「…………私はこれで、お暇しよう」 名残惜しそうだが、兵隊長が踵を返して去った。 少女はまだ、警戒を解かない。握りしめた拳が震えている。 栗色の髪が乱れ、服がところどころ破けて汚れていた。頬には幾筋か涙の跡がある。 濡れた大きな茶色の瞳の凄みを、青年は美しいと率直に思った。 急に、思い出したように少女が瞬いた。背後の男性に駆け寄り、その腹辺りに手を置いて、何かを小さく唱えた。 次に展開された金色の輝きに、青年は虚をつかれた。それは彼のよく知る性質の聖気だ。もう一度少女の横顔を見直した。間違いない。むしろ声で気付くべきだった。 「ミスリア!?」 青年の声が勝手に裏返った。 「はっ、はいっ!」 反射的に姿勢をただして少女は返事をした。 「ミスリアじゃないか。まさかこんなところで会うなんて」 「え、えーと……カイルサィート……?」 聖気を送る手を止めずに、ミスリアは自信なさそうに言った。 二人が知り合いらしいということに、横で女騎士は怪訝そうな顔をした。 「そう、幾月ぶりだね。とりあえず大体の事情は察したよ。あの女性(ひと)のことは僕が何とかするから、もう安心していいよ」 ミスリアは頬を緩めて頷いた。 それまで閉じられていた男性の両目が開かれて、聖人カイルサィート・デューセは、生まれて初めて「呪いの眼」を目の当たりにした。 |
05.e.
2012 / 01 / 15 ( Sun ) 一体何をどうしてこうなったというのだろう。
林の中を全力で走り抜けつつ、少女の頬の温もりを首筋に感じながら、ゲズゥはぼんやり思った。まさか今日こんなことをしていようなんて、数日前の自分は欠片も予想しなかったものだ。 生傷の焼けるような痛みと、聖女が発している不思議なエネルギーが混同して、神経が麻痺していくような手ごたえがある。 ふいにそれがなくなったと思ったら、左の前腕だけ完治したとわかった。流石に破けた袖は元に戻せないらしい。聖気とはもしかしたら無生物には作用しないものなのかもしれない。 「すみません。肩の傷の方は矢自体を抜かなきゃ治せないようです」 ゲズゥの首を抱いたまま、聖女は心底申し訳なさそうに言った。 ――おかしな女だ。恐怖の対象に何故、そんな風に振舞える。或いは、親切心ではなく自分の生存率を間接的に上げる為に行っているのか。 ゲズゥには、さっきの聖女の心の葛藤が敏感に読み取れた。彼女は自分の選択を、人選を、疑い始めている。 もしもゲズゥを捨てて次の護衛候補へ進むと聖女が決めたなら、彼はどうするだろう。自分のことなのに先が見えなかった。 まぁ、その時はその時だ。雑念を振り払って、ゲズゥは走ることにのみ集中した。 数分走ったところで、背後から馬蹄の音がした。あの煩い男が追い迫っているということは振り返らずともなんとなくわかった。 「まことに潔い逃げっぷりだな! 敵前逃亡など、男子たるもの情けないと思わんのか!」 ――いやまったく。 騎士道のような概念は、ゲズゥからみれば生死を前にしてくだらないものだった。汚らしく生き延びるより誇りを守って果てるのが美しいと思う人間もいるだろうが、彼はそうではなかった。 「聖女」 少し息が上がってきたので、囁くような声になった。 「!? は、はい」 呼びかけられて、聖女はやたら驚いた。 「あの煩い男は弓矢を持っているのか」 しばらくの間があった。 「……い、いいえ、持ってないかと」 それはよかった。 ゲズゥは急に走るのをやめて高く跳躍した。聖女が小さく悲鳴を上げる。 目の前に程よい高さの樹の枝があったので、それを着地地点に選んだ。また、程よい距離に別の樹の枝があったので、それめがけて跳んだ。 子供の頃、好きだった遊びのひとつだ。 煩い男がまた喚いているようだが、はっきりとは聴こえない。 十数分そうして樹の間を移動した。 何とか煩い男とは少し距離をあけられたらしい。聖女も大人しく黙っている。 河が見えてきたので、ゲズゥは樹から飛び降りた。ざっと見回すと、数歩流れを上ったところに歩いて渡れそうなほど浅い箇所がある。河はそんなに大きくないのが幸いだ。二十歩ぐらいでいける。 記憶の中の河に比べると、雨の直後にしては水位が幾らか低い。近年の雨の少なさに起因してるだろう。 聖女を下ろし、先に渡らせる。あとに続いてゲズゥも渡り始めた。ゲズゥにとっては膝ぐらいの深さで、聖女は太ももくらいである。 「――貴様! 逃がさぬぞ!」 半分くらい渡れた時点で、煩い男が追いついた。 ゲズゥは聖女を再び抱え上げて歩みを速めた。 煩い男は馬を走らせ、河を渡りながら槍を突いたが、それを前に跳んでかろうじてかわし、二人は向こう岸に着地した。 「つ、着きましたね……」 聖女は安堵したように言い、次いで兵隊長を向き直る。それをゲズゥは後ろから見守った。 「まだだ、まだ逃がしてなるものか」 「兵隊長殿、いくらなんでも諦めてください。シャスヴォル国の総統様はとんでもない大嘘つきで誓約の一つも守れないお方だと、大陸中に評判を広められてもいいんですか」 煩い男は言葉に詰まったように、ぐっ、と顎を引いた。 その時、ゲズゥはまったく別の気配を感じた。 横に跳んだが、思わぬ草のぬめりに足を滑らせてバランスを崩し、伸びてきた鋭く細い剣に突かれた。ドッ、と鈍い音を立ててそれが下腹部に刺さる。 何だか色んなものがよく刺さる日だ、と思いながら地に倒れた。 驚愕に満ちた顔で聖女が勢いよく振り返った。 「こっち側に渡るのを待っていたぞ、『天下の大罪人』。貴様を捕らえればきっと殿下はお喜びになる」 騎士風情の黒い鎧を纏った若い女が、剣先についた血を振り払いながら笑っている。 |
05.d.
2012 / 01 / 15 ( Sun ) 最初、なんて言ったのか飲み込めなかった。
次に頭が勝手に想像し、吐き気を催した。反射的に口元を手で抑える。 なんて、残酷なことを。 ミスリアは眩暈がした。なおこみ上げてくる吐き気を意思だけで制する。目に溜まる涙で視界が霞む。 すぐそばに、手綱を握るゲズゥの手があった。今までに何度もミスリアを助けた大きな手が、急に赤黒い血に塗れて見えた。動物や魔物ではなく、自分たちと同じ人間の血。悪臭が鼻をついた。 ――幻覚だ。すぐに消えたものの、悪寒は残る。 (私はもしかして、とんでもない間違いを犯したの) 彼が誰かを拷問にかけたということも、解体して捨て置いたことも、調書に記されてなかった。しかし本人が認めたからには、実際に起きたことと受け入れねばならない。 「一度きりだ。俺はいつもはそんな手間をかけない」 ゲズゥはそのようにも付け加えた。 「貴様――ゆるさないゆるさないゆるさない!」 兵隊長は逆上して突進してくる。 いつの間にか抜いた曲刀で、ゲズゥは槍を受け流した。ミスリアは巻き込まれないように縮こまる。間に一人いるので、ゲズゥは下手に間合いを詰められない。この場合、長い槍の方が有利だ。 兵隊長とゲズゥは何合か打ち合った。見た目ほど力の差は無さそうだが、兵隊長が押している。 ミスリアはチラリと目線を上へやった。相変わらず、ゲズゥは涼しげな顔をしている。いっそ、この男には心がないのではないかと危惧した。いや、そんなはずはない。人間なのだから、総ての行動は何かしら考えや気持ちに基づいているはず。きっと理由があって、残酷な真似をするのだ。そうでなければならない。 それでも、深い理由をもってしても正当化できない行為は確かにある。道徳を持たなければ人間とてただの獣だ。 (ああもう、わけわかんないっ) ややこしく考えてる場合じゃない。問い質すなら後にしないと。ミスリアはひとまず諦めた。 ――ギィン! 一際大きな音を立てて、鉄と鉄がぶつかり合う。その勢いで、ゲズゥの手元から曲刀が回転しながら離れていった。まずい。 ゲズゥの心臓めがけて、槍の先が迫る。 それを彼は、左腕を出して止めた。刃が前腕の肉に食い込み、骨に当たる。なんとも気色悪い音がした。 兵隊長がひるんだ隙に、ゲズゥは右手で槍に力を込め、横に押してずらした。引かれるようにして、兵隊長はドッサリと落馬する。体重と鎧の重さが合わさって衝撃も大きく、すぐには起き上がれないだろう。 躊躇なく槍を腕から抜き、ゲズゥは黒馬に蹴りを入れて逃げるよう促した。傷口から噴出す血にはお構いなしだ。 彼は周囲の兵を踏み散らしながら強引に進む。まさしく人の命をなんとも思って無さそうな振る舞いだ。止めようか迷ったけど、結局ミスリアは声が出なかった。否、出そうとしなかった。 「止めろ! 矢を射るんだ!」 兵隊長が命令した。 「しかし、聖女様に当たったらどうします――」 「背後からなら問題ない! 奴のほうが的が大きい」 すぐに、弓の弦が弾かれる音がした。背後から複数。 黒馬の足は速く、林の中では的を定めにくいこともあり、なかなか当たらない。 が、ついに一本の矢が馬の尻に刺さった。 馬が大きく嘶き、痛みに驚いて棹立ちになった。 立ち止まった一瞬のせいで、また一本の矢が的を捉えた。 音と衝撃に驚いてミスリアは身体をびくりとした。 例によってゲズゥは動揺ひとつ見せず、すかさずミスリアを右腕で抱えて馬から飛び降りた。 着地にわずかな乱れがあった。 ミスリアは後ろを振り向いた。 「矢が!」 ゲズゥの左肩辺りに、長い木製の矢が刺さっている。貫通はしてないらしいが、前腕の出血と合わせれば手当ては必須だ。毒矢である可能性だってある。 「ほっとけ。それより掴まってろ」 「そんな……えっ!?」 ゲズゥは右腕だけでミスリアを抱え上げて肘に座らせるように固定した。ちょうど、親が子供にするように。体格差のおかげでそういう体勢になれる。彼はそのまま疾走し出した。 吃驚して、とっさにゲズゥの肩を掴んだ。それが怪我の集中している左側だと気付いて、力を緩める。 傷を負った状態では長くもたないだろう。いつミスリアを取り落としても仕方ない。かすかに、腕が震えている気もする。それはきっとミスリアの体重を支える力が不足してるからではなく、激痛に耐えているから。 やむをえまい。一旦迷いも捨てることに決めた。 ミスリアは、ゲズゥの首に腕を回しながら、治癒のために聖気を展開した。 |
05.c.
2012 / 01 / 13 ( Fri ) 小刻みに震える体を制しながら、ミスリアは馬の首を懸命に抱いた。黒馬はいまだかつてない速さで駆けている。数秒もしないうちに林の中へと突入できそうだ。
多数の矢が、頭上を通り抜ける。まだ一本も当たらない幸運に感謝しつつ、おそるおそる、左のほうに視線をやった。すると、割と軽装の弓兵の背後に鉄の鎧を纏った数人の兵士の姿があった。右を向いたら、同じような光景が目に入る。 でも、正面には運良く誰もいない。 「つまらない誘導だ」 ゲズゥの呟きに、はっとした。言われて見れば、不自然な点が多い。 矢が当たらないのは、当てるつもりがないから? これではうまい具合に包囲されてしまう。 あまつさえ、林の中に入ったところに罠が待っている? 「そんな……じゃあどうすればいいんですか!」 最初から左右を挟まれていたなら、突進するより逃げるべきだったのではないかと焦る。 「…………」 密着した背中越しに伝わる鼓動は、少しも乱れていなかった。何だかわからないけどこっちまで強引に落ち着かせられる効力がある。 助かるという根拠がひとつもなくても、信じるだけが唯一の選択肢のようだ。 林に入ると、一気に周囲が緑色に塗り替えられた。樹の高さとまだ曇り気味の空が相まって、薄暗い。 矢の雨は止んでいる。 ふいに、右横から馬蹄の音が聴こえた。 ゲズゥは馬を操作し、さお立ちに仰け反らせて攻撃を避けた。槍の刃先がミスリアの目の前で空を切る。思わずたじろいだけど、声は出さずに済んだ。 ――人並みに乗れるなんて言ってた割に、実はゲズゥの馬術は結構のものではないかと思う。鞍なしに乗れるし、方向転換などスムーズだし巧い。どこで身につけたのかとかちょっとだけ気になった。 黒馬が着地したので、襲ってきた人をみやった。その者は自身の乗る馬を数歩下がらせ、右手に持った槍を構えなおし、二人の正面に立ちふさがった。 三十路くらいの体格のいい男性が口を歪に引きつって苦笑している。くせ毛の黒髪と褐色肌が印象的だ。鎧を纏っていることから、シャスヴォル国の兵とわかる。 「本当に此処で会えたぞ、天下の大罪人。閣下の書は真実だった。貴様を斬る絶好の機会にめぐり合えた私は幸運に恵まれている」 くくく、と喉を鳴らして男性は笑う。 他の歩兵と弓兵が辺りを囲う。 「私はシャスヴォルとミョレンの境目を守る兵隊長が一人だ。名は、」 男性は当然のように名乗った。ミスリアはもう聞いてなかった。 (逃げ場がないよっ! どうするの!?) 口で訊くわけにはいかないので、心の中で叫び、後ろのゲズゥを仰ぎ見た。 すると何故か、彼は少し下を向いてミスリアと目を合わせた。驚いて見つめ返したら、今度は二度瞬きをした。意味があるのだとしたらまったく伝わらない。 でも、少しだけ混乱と恐怖は和らいだ。 正面を向き直り、表情を整えてからミスリアは口を開いた。 「こんにちは。私はミスリア・ノイラートです。事情は既にお聞きのことかと思いますが、総統閣下は、五日の間に国境を超えられたら見逃してくださると誓約しました」 「聖女よ、そんなものを信じたのか? 子供の浅知恵だ。たとえ血で誓約を記したところで、所詮は報告書の操作など容易い。その男を今斬り、数日後に死体を首都まで引きずり戻したところで、誰も死した本当の日時を確認しない。事実上、期限に間に合わなかったと報告すればそういうことになる」 見下ろすように男は笑んだ。 その可能性に思い至らなかったミスリアは、唖然とした。 「他の者は皆貴様を恐れて乗り気でなかったようだが、私は違う。私はこの時を願っていたぞ、ずっと。公開処刑などではなく、私の手で貴様を屠る。楽に死なせはしない!」 兵隊長は、ゲズゥに向けて敵意をあらわにした。強張った空気に耐えかねたのか、樹の上にいたらしい鳥たちが飛び立った。 「どうして、そこまで……」 ミスリアの呟きに、兵隊長はカッとなった。 「私の父上はコイツに殺された! 偉大なる大将軍――」 兵隊長は父の名を叫んだ。 ゲズゥと兵隊長とを、ミスリアは交互に見比べた。 告発に、ゲズゥは何の反応も見せない。相手の話を解していないようにすら見える。 「忘れたとは言わせないぞ! 無残に切り刻んで殺しただろう! 決定的証拠がなく、貴様はすぐに姿を消したが、絶対に貴様がやったのだ。私にはわかる! 決して、戦死ではなかった」 兵隊長は一層怒気を発している。周囲の歩兵たちなどは居心地悪そうに武器を持ち替えたりしている。 証拠が無いのにそこまで言うには何か根拠があるのだろうか。違ってたらひどい冤罪である。ミスリアは会話に割って入る度胸がないので、はらはらしながら見守った。 ようやく、ゲズゥは思い出そうとしてるかのように眉をひそめた。口元が僅かに動いている。 何か思い当たったらしく、ああ、と小さく頷いた。 「――お前によく似て、褐色肌の、無駄に喚き散らすのが好きだった、ガタイのいいジジィか」 その言い方に、息子である兵隊長は怒りのあまり戦慄いた(わなないた)。 「アレには、俺の方が恨みがあった。命だけじゃ釣り合わなかったから、生きたままバラした」 夕飯のおかずを選んだ基準を話してるかのような、何気ない調子でゲズゥは語った。 |
05.b.
2012 / 01 / 12 ( Thu ) 雨粒が小から中ぐらいの大きさに変わりつつある。まだ朝なのに、夕方と勘違いしそうなほどに辺りが暗い。
草場がすっかり水分を吸い上げてしまい、人間にとっても馬にとっても進みづらくなっている。ベストについてるフードにも水が浸透してきた。農家の人に荷に詰めていただいたマントがありがたい。 そして履いてるのがローヒールの革ブーツでよかった――せめて、転ばずに済む。スカートは一部結んで短くしている。 ゆっくりと、ミスリアは黒馬の背にのぼる。 ただでさえ鞍が無くてやりづらいのに、いささか腕力も足りない。濡れた馬の背にのぼるのは難しく、途中でずるっと落ち始めた。 と思ったら、後ろから素早く出た手によって支えられた。大きな両手はそのまま難なく彼女を馬上へ押し上げる。 「ありがとうございます」 お礼を言われたゲズゥはフードの下から顔を見せること無く、普段通りにミスリアを無視した。馬の手綱を引き、歩き始める。 (うぅん。普段以上にそっけない……? 機嫌悪い、みたいな……) ミスリアは、しゅん、としおれた花の如く項垂れた。もちろん、前を向いてるゲズゥには彼女の様子が見えてない。 こげ茶色のコートに隠された背中が、遠く感じられる。 赤の他人に毛が生えたような関係に、これ以上遠いも何も無いはずだけれど。 (……昨夜の会話の所為?) ばちゃっ、ばちゃっ、という音を立てながら馬蹄が一歩ずつ丁寧に地を踏みしめる。 シャスヴォル国とミョレン国を画す国境たる河は、もうすぐそこの林の中にあるという。 来る(きたる)兵との対決に向けて緊張を一層研ぎ澄ますべき時に、違うことを思い浮かべている。 _______ 『そんな、誰が決めるかなんて……神々が定めた自然の真理に従って、生まれた時のまっさらな状態が一番……五体満足という言葉などがあるでしょう?』 あの時問われて、ミスリアは答えに窮した。 『なら、大きな欠陥を持って生まれたら?』 『欠陥……聖気も万全ではありませんから、生まれた時点で欠けてた部分を、埋めるに成功する場合は少ないです……』 『最良になれない者は、別の形を最良として受け入れるのが正しいのか? それとも手に入らない理想を求め続ければいいのか?』 ますます返答に困って、ミスリアは頭を横に振った。そういう風に、考えたことがないのだった。 _______ 饒舌になるのは、それだけ彼にとって意味のある内容だからなのではないかと思う。 やはり表情に変化は無かったけど、語尾など声の調子がいつもと違っていた。何を思って問うたのだろう。ここを突き詰めて考えなければ、距離は縮まらない気がした。けど情けないことに、思考回路が回らない。諦めて、馬の上でバランスを取ることだけに集中した。 雨、蹄、吐息、の音だけに包まれてゆったりと時と景色が流れる。やがて小雨も止んだ頃、ついに鬱蒼と茂った林が眼前に広がった。 樹の一本一本が、ミスリアの十倍を軽く超えた身長だ。ためしに林の中を覗き込んだら、まったく終わりが見えなかった。本当にこの中に国境があるのだろうか。むしろどうしてこんなところにあるのだろう。 考えうるメリットといえば、林の中にいる人間に先がまったく見えないので、待ち伏せて襲撃しやすいということ、とか? もうちょっとよく見たくてフードをおろした。次の瞬間、ゲズゥの舌打ちが聴こえた。 「どうしまし――」 「前にかがんで動くな」 有無を言わせぬ命令口調にわけがわからず、とにかく従った。馬のたてがみにしがみつく様に前のめりになる。 するとゲズゥは唐突に高く跳躍してミスリアの視界から消えた。 次に背中辺りと、脚の間から一瞬の衝撃を感じた。馬が嘶く。 後ろに乗ったようだ。濡れた外套越しに伝わるかすかな温もりを感じる。 「黙って摑まってろ。飛ばす」 彼は低く言った。 ここ数日あった出来事を振り返れば、状況は簡単に飲み込める。 どこからか知らない声がした。 そうして、水の雨に替わって矢の雨が二人に降りかかる。 |
05.a.
2012 / 01 / 11 ( Wed ) さらさら流れ行く雲の網の隙間から見え隠れする細い月が、地上を這う生き物を嘲笑っているようだ、とゲズゥ・スディルは感じた。
心身ともに相当疲れているからそういう幻が見えてるだけだろうか。 彼は短刀を布切れで拭ってから、収めた。両腕が肘まで、どろどろとした紫黒色の液体にまみれている。これも拭った。 馬が魔物に過剰に怯えるので、わざわざ残さず倒さないと落ち着いてくれなかった。ゲズゥが魔物を無力化し聖女が浄化する、の繰り返しで、骨の折れる作業である。 この晩、既に計六体が襲ってきた。おかげで二人とも消耗は激しく、馬の足があっても昼間ほど進まない。 特に聖女の疲労困憊には尋常じゃないものが見て取れた。 魔物を浄化する度に、明らかに前より足元がふらつく。視線もおぼろげだ。やはり「聖気」を扱うには何かしら使い手が払う代償があるらしい。 「一旦止まるか」 珍しく、彼のほうから休憩を提案した。魔物の慟哭は止んでいる。 聖女は弱々しく頷き、立つ気力が抜けて後ろにいた馬の腹にもたれ掛かった。 二人の前には、日中見たのと似たような眺めがある。ひたすら農地。農地を囲うように丘があるので、辺りを見回しやすいように見晴らしのいい高地を走った。民家だけがずっと遠くにあって、幸い誰にも遭遇してない。 農地を抜けて林に到達するまで多分もう数時間も要らない。まさかたったの二、三日で済むとは思わなかった。馬が手に入ったのは好運だったし、寝る間も惜しんでがむしゃらに進んだのが功を成した。ただし、この過労から回復するに数日かかりそうだが。流石のゲズゥでも限界近い。 国境がもうすぐとなると、両側にそれを守る兵力が配置されてると考えるのは妥当だ。気軽に近づけるものでもない。ひと悶着以上の戦闘に備える必要があろう。 「シャスヴォルの北側の隣国って……」 聖女が乱れた髪を結いなおしながら言った。頭がはっきりしなくて思い出せないのか、難しい顔をしている。 「ミョレン」 ゲズゥは水筒の水を少しだけ喉に流してから答えた。 えっ、と聖女が驚きを声にした。 「ミョレン国といえば王族が治める小国で、先代王様が一年前にお亡くなりになってから王位争いが絶えないという? 確かそれで、国全体の生活水準が落ちる一方だと聞きました」 「ああ」 ゲズゥは否定しなかった。聖女の言葉が事実だからだ。過去はともかく、現在のミョレンは権力者が王位争いにかまけて政治をほったらかしにしてるという国だ。 それにしても島育ちと言ったことといいミョレンを直接知らないことといい、聖女はもしかしたら大陸の東海岸沿いに来たのかもしれない。 「治安が心配ですね……」 聖女は暗い声で呟くと、膝を抱えるようにして地面に座り込んだ。気分が悪そうだ。 もし急に体調が崩れるようならどうしようか、など考えながらゲズゥは無意識に彼女を観察した。世話をするか、勝手に回復するまで放っておくか、はたまた馬に縛り付けて連れ回すか。 後者がもっともな選択に思える。ゲズゥは少女の看病など記憶の限りしたことがない。 「私の顔に何かついてますか?」 見られている時に出る典型的な質問を、聖女は口にした。 「……」 沈黙から、何故か聖女はゲズゥの考えを汲み取った。変に鋭い。 「大丈夫ですよ。休んでいれば治ります。普通に怪我を治すより、魔物を浄化する方が気力を使うだけです」 聖女は笑って見せた。 「聖気はものの本来あるべき、または最良の形に届く力とされています。魔物の場合は、天へ昇華させるのが最良ということですね。怪我や病気が治るのも、元の健康な状態がその人にとっての最良だからです」 膝の上で組んだ腕に頭をのせて、こっちが訊いていないことを聖女は勝手に喋り続ける。 「押し付けがましい」 ふとゲズゥが口を挟んだ。 「はい?」 すぐに返事をせず、ゲズゥは足元を通りかかろうとしたネズミに向かって短刀をサッと投げた。かすめたが、逃げられた。短刀が地に刺さる。 「ものの最良の状態が何なのか、誰が決める」 |


