07.b.
2012 / 01 / 29 ( Sun )
 自殺行為だな、と思った。丸腰で魔物に近づいて無事で済むわけなかろうに。
 だが聖女の真剣な目を見て、考え直した。

「好きにしろ。ただし、斬るべきと俺が判断したら躊躇なくそうする」
「……わかりました」
 聖女は一瞬、抗議したそうだったが、言葉を呑み込んで頷いた。それもそのはず、今グダグダ喋っていていいほど敵の気が長くない。

 再度飛び掛ってくる魔物。ゲズゥは咄嗟に少女を片腕で抱えて避けた。
 血の涙を流し続ける魔物の瞳に、理性の欠片も映し出されてない。どうやって会話するつもりなのか見ものだ。

 おろしてください、と聖女が頼んだので言われたとおりにした。しばらくは待つしかないと悟って、ゲズゥが剣を低く構えなおした。

 魔物はまた喉を振動させて声を発している。
 聖女が小声で何か歌い始めた。聖気とやらを出して、一歩ずつゆっくり歩み寄る。
 歌に魅入られたように、魔物が動きを止めた。

「大切な人を、うしなったんですね」
 聖女は歌うのをやめて語りかけた。
「よかったら何があったのか話してくれませんか?」

 子供をあやすみたいな優しい声に、魔物は安らいだように瞼を下ろした。獺が何か返事をしたなら、それはゲズゥには唸りにしか聴こえない。

「そうだったんですか、恋人との旅の途中で詐欺に遭ったんですね」
 聖女は、獺に向けて手を伸ばした。顎のひげにそっと触れる。
「慌ててその人を追ったら、忌み地の近くで迷ってしまったと」

 聖女の一方的な受け答えから情報を拾うと、つまりこうだ。その男は襲い掛かってきた魔物から命からがら逃げたはいいが、いつの間にか恋人とはぐれていたという。探しに戻ったが、いくら探しても探しても彼女の衣服以外見つからず、気がつけば男は今の姿に成り果てていたそうだ。
 本人は自分が何時頃「死んだ」のか、自覚していないらしい。

 そこまで聞いて、「呪いの眼」ゆかりの者ではないとはっきりわかった。
 ならばゲズゥにしてみればそれは最早ただの魔物、退治すべき対象でしかない。

 ちょうど魔物が聖女に気を取られて静止している。今なら巧いこと倒せるかもしれない。たとえば足を六本残らず切り落とすか、頭部を胴体から切り離すか。
 あまりに敵が大きいので、確実な方法を取りたい。

 ゲズゥはさっと辺りを見回した。
 教会の正面玄関からは綺麗に管理された土手道が伸びている。聖女と魔物はその道の上にいる。土手道の両側には並木が均等な間隔を取って植えられている。半年前に建った辺境の小さな教会の割には変に凝っているな、と違和感を覚えた。

 今はそんなことより、高い足場になりそうな物を探す。並木はどれも細くて若すぎる。足場になるような太い枝が見当たらない。ならば、並木の間に揺れる申し訳程度のともし火はどうか。
 ゲズゥと多分そう変わらない高さの街灯は、間隔が長く数が少ない。しかし運良く、そう離れてない距離に一本立っている。

「――大丈夫です。私たちにできることなら、力になります」
 なおも対話を続ける聖女を尻目に、ゲズゥは音を立てずに移動した。
 魔物の背後に回り込み、数歩離れた位置の街灯まで近寄った。街灯のてっぺんは三角錐みたいな形で、とがっている。踏むとしても一瞬しか立っていられないだろう。

 十分だ。
 ゲズゥは街灯の上目がけて高く跳び、右足だけで着地した。サンダルを通して、足の裏が街灯の尖がり具合を知ることになった。刺されはしないがやはり痛い。
 構わず、そこを足場にして更に高く跳躍した。

 獺の背に、剣を突き立てた。
 金切り声をあげ魔物がのけぞり、後脚だけで立つ。振り落とされないよう足腰に力を入れながら、ゲズゥは長剣を抜いた。

 もう一度高く跳ぶと、振り落とす力と重力を合わせて、魔物の横腹を切り裂いた。
 裂け目から、血液と臓物に似た赤黒い塊がいくつも溢れ出す。見れば、臓物の一つ一つに人面が浮かんでいる。相も変わらず気色悪い存在だ。

 獺が地に崩れるのを見届け、ゲズゥは聖女の方を一瞥した。少女が異臭放つ汚物にまみれる姿には、多少罪悪感を覚える。

「何を呆けている」
 向こうが再構築する前にさっさと浄化に取り掛かれ、という意を込めて声かけた。
 聖女は目を大きく見開いて、両手についた汚れと、深手を負った魔物とを見比べてわなわな震えている。一体何事だというのだろう。

 大丈夫か、と訊こうとして一歩近づいたら、逆に一歩退かれた。

「い、」
 聖女の向けてきた眼差しは恐怖と絶望に満ちている。

「いやぁあああああああああああああああっ!!!」
 空気を裂くような少女の絶叫が響き渡った。

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