05.b.
2012 / 01 / 12 ( Thu ) 雨粒が小から中ぐらいの大きさに変わりつつある。まだ朝なのに、夕方と勘違いしそうなほどに辺りが暗い。
草場がすっかり水分を吸い上げてしまい、人間にとっても馬にとっても進みづらくなっている。ベストについてるフードにも水が浸透してきた。農家の人に荷に詰めていただいたマントがありがたい。 そして履いてるのがローヒールの革ブーツでよかった――せめて、転ばずに済む。スカートは一部結んで短くしている。 ゆっくりと、ミスリアは黒馬の背にのぼる。 ただでさえ鞍が無くてやりづらいのに、いささか腕力も足りない。濡れた馬の背にのぼるのは難しく、途中でずるっと落ち始めた。 と思ったら、後ろから素早く出た手によって支えられた。大きな両手はそのまま難なく彼女を馬上へ押し上げる。 「ありがとうございます」 お礼を言われたゲズゥはフードの下から顔を見せること無く、普段通りにミスリアを無視した。馬の手綱を引き、歩き始める。 (うぅん。普段以上にそっけない……? 機嫌悪い、みたいな……) ミスリアは、しゅん、としおれた花の如く項垂れた。もちろん、前を向いてるゲズゥには彼女の様子が見えてない。 こげ茶色のコートに隠された背中が、遠く感じられる。 赤の他人に毛が生えたような関係に、これ以上遠いも何も無いはずだけれど。 (……昨夜の会話の所為?) ばちゃっ、ばちゃっ、という音を立てながら馬蹄が一歩ずつ丁寧に地を踏みしめる。 シャスヴォル国とミョレン国を画す国境たる河は、もうすぐそこの林の中にあるという。 来る(きたる)兵との対決に向けて緊張を一層研ぎ澄ますべき時に、違うことを思い浮かべている。 _______ 『そんな、誰が決めるかなんて……神々が定めた自然の真理に従って、生まれた時のまっさらな状態が一番……五体満足という言葉などがあるでしょう?』 あの時問われて、ミスリアは答えに窮した。 『なら、大きな欠陥を持って生まれたら?』 『欠陥……聖気も万全ではありませんから、生まれた時点で欠けてた部分を、埋めるに成功する場合は少ないです……』 『最良になれない者は、別の形を最良として受け入れるのが正しいのか? それとも手に入らない理想を求め続ければいいのか?』 ますます返答に困って、ミスリアは頭を横に振った。そういう風に、考えたことがないのだった。 _______ 饒舌になるのは、それだけ彼にとって意味のある内容だからなのではないかと思う。 やはり表情に変化は無かったけど、語尾など声の調子がいつもと違っていた。何を思って問うたのだろう。ここを突き詰めて考えなければ、距離は縮まらない気がした。けど情けないことに、思考回路が回らない。諦めて、馬の上でバランスを取ることだけに集中した。 雨、蹄、吐息、の音だけに包まれてゆったりと時と景色が流れる。やがて小雨も止んだ頃、ついに鬱蒼と茂った林が眼前に広がった。 樹の一本一本が、ミスリアの十倍を軽く超えた身長だ。ためしに林の中を覗き込んだら、まったく終わりが見えなかった。本当にこの中に国境があるのだろうか。むしろどうしてこんなところにあるのだろう。 考えうるメリットといえば、林の中にいる人間に先がまったく見えないので、待ち伏せて襲撃しやすいということ、とか? もうちょっとよく見たくてフードをおろした。次の瞬間、ゲズゥの舌打ちが聴こえた。 「どうしまし――」 「前にかがんで動くな」 有無を言わせぬ命令口調にわけがわからず、とにかく従った。馬のたてがみにしがみつく様に前のめりになる。 するとゲズゥは唐突に高く跳躍してミスリアの視界から消えた。 次に背中辺りと、脚の間から一瞬の衝撃を感じた。馬が嘶く。 後ろに乗ったようだ。濡れた外套越しに伝わるかすかな温もりを感じる。 「黙って摑まってろ。飛ばす」 彼は低く言った。 ここ数日あった出来事を振り返れば、状況は簡単に飲み込める。 どこからか知らない声がした。 そうして、水の雨に替わって矢の雨が二人に降りかかる。 |
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