62.f.
2016 / 09 / 20 ( Tue )
 そうは言ったものの、ユシュハの変わらぬ冷静さは救いだった。決して手順を間違えたりしないだろうという安心感がある。癪だが――自分ではこの場を仕切るのは無理だったし、パニックでまともな判断ができなかったはずだ。
 差し込まれたプローブが何かに当たるまでに、あまり時間はかからなかった。呪いの眼から得られた位置情報は、誤差はあれど当てになる。

「三フィート(1メートル未満)前後か。雪も固まって重くなってきたし、骨が折れそうだ」プローブに記された目盛りを確かめて、女は嘆息した。「銀髪、横に並んで同時に雪をどかすぞ」
「同時?」
「ああ、このように」
 プローブを刺した場所から数歩丘を下り、フォルトへの持つ松明の明かりの元、女は立つべき位置を示した。
 下流から、実際に埋まっている深度の倍近くの深さの雪を動かすとのことだった。

「腰への負担を減らす為に、膝立ちで始める。こうして長方体のブロック型に切ってから横にどかすと楽だ」
「わかった」
 ――俄かにそれは始まる。

 女が言った通り、フォルトへを掘り出した時よりも遥かに作業が大変だった。雪を横に放る度、顔に吹きかかる冷たい粉が煩わしい。
 それでなくとも空から次々と新たな雪が降りかかっているのだ。こんな地に住まう遊牧民の気が知れない。

「おい、手袋を脱ぐな、指が壊死するぞ」
 堀りながらもこちらの様子を視野の端から窺っていたのか、注意された。
「……そうは言うけどねぇ。動かし辛くて」
「我慢しろ」
 一蹴された。リーデンは舌打ちの後、言われるがままに従う。
 そんな時だった。背後から明かりを照らし続けていたフォルトへが「あの~」と声を出した。

「九時の方向から魔物の臭いがしますー。小物みたいですけど……自分が雪かき誰かと代わるんで、退治お願いしてもいいですか~?」
「私が代わろう。松明、借りるぞ」
 ふっと暗くなり、隣に立つ者が豪腕の女から中肉中背の男になった。
 ニット帽を雪の海に失くしてきたのか、男はフードを被っただけの姿となって、寒そうにガチガチと歯を鳴らしている。

(寒がりなのに極北までついてくるなんて、仕事熱心だなぁ)
 ざく、ざく、と雪をかく。既に立ち上がって作業できるほどに穴が広がっている。
(鼻水ずっと流してるのに、僕らよりも嗅覚いいのってほんと面白いよね)
 雑念は抑えようとしても溢れ出るのを止めない。
(聖女さんは、無傷だといいな。一分過ぎるほどに、不安が増すばかりだ)
 そしてその想いはやはりゲズゥにも共通している。鉛が気管に引っかかっているかのような苦しさが、自分から生まれたものではなく、同調から感じられる。

 ――ゴッ。
 衝撃に伴い、思考回路が切断された。 
 前方から雪が噴き出したのである。勢いで後ろに飛ばされたフォルトへが、わっと声を挙げた。
 リーデンは、白から湧き出た黒いモノに向かって話しかける。

「……お帰り、って言うべきなのかな。さっき気を失ってたみたいだけど、怪我してない?」
「軽い脳震盪」
 答えた声は、とんでもなく不機嫌そうだった。

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23:59:45 | 小説 | コメント(0) | page top↑
62.e.
2016 / 09 / 17 ( Sat )
「…………僕は君や君の部下の安否にこれっぽっちも興味は無いけど?」
「気が合うな。私も、貴様らが野垂れ死んだところで痛くもかゆくも無い。むしろ天下の大罪人がこれで世から消えるなら願ったりだ」
 しばらくの間があった。女はおそらく雪を掘っているのだろう、あの規則的な音だけが響く。
 リーデンはため息を吐いて我が身を起こした。
 女の考えは既知の通り、変わっていなかった。そしてそれを再確認したところで、リーデンの中の優先順位も変動しない。

「わかってるよ。共通の保護対象の話でしょ。聖女さんを救うなら、人手が要る」
「そういうことだ。貴様、携帯式のシャベルを持っていただろう」
「僕としては先に兄さんを発掘したいなぁ」
 率直にそう返したら、女は手を止めた。

「呼び方で疑問に思っていたが、貴様は奴と義理か縁があるのか」
「母親違いの実弟だよ。色合いが違うからすぐには気付かないだろうけど、目元とか輪郭とか、よく見れば似てるでしょ」
「罪人の顔を注視しても気分が悪いが……よもや、大罪人の弟ということは貴様も罪を……いや、その話は今は余計だな」

「余計だね」
 女はくるりと前後反転した。
「いいから手伝え。この場合、ひとりずつ掘り起こす方が効率が良い。作業を交互にやれば体力消耗を抑えられる」
「了解。自分が経験の無いことで、とやかく言いすぎてゴメン。指示に従うよ」
 早速女の位置まで丘を上り、隣に並んだ。携帯式のシャベルをコートの内ポケットから取り出し、開く。

「……素直だな」
「合理的と言ってー」
 無駄話はそれきりとなった。最低限の意思疎通に留めて、作業に専念する。
 フォルトへが腰に結んでいたあの異様に長い縄が雪の上でうねり、存在を主張している。縄を辿れるだけ辿って、そこを中心に掘るのである。ユシュハは既に大量の雪をどかしていた。
 そんな彼女を休ませる為に、交替する。ざく、とシャベルの先で雪に切り込んだ。

(これはひどい)
 すぐに腰やら肩やらが軋み出した。
 リーデンは自身は腕力も体力もある方だと自負していたが、先ほど生き埋め状態から這い上がったばかりで、慣れない作業を延々と繰り返していては、きつい。夜風の冷たさが鼻先に染みる。

(団体行動って大変だな。自分が助かっても、全員の無事が確定するまでは気が休まらない)
 腕が上がらなくなるまでやって、また交替。あっという間に二度目の自分の番が回ってきて、またもやザクザクと雪を掘り上げてはどける。
 ぐ、と雪を掘り起こそうとして何かに当たったのはそれから数分後。

 すぐさま横からシャベルを奪われた。必死さの滲み出る勢いで、女は忽ち部下を掘り起こしてみせた。
 リーデンもしゃがみ込み、引っ張り出すのを手伝う。

「せん、ぱい。来てくれたん、ですね~」
 苦しげな息と弱々しい声。それでも意識ははっきりとしているようだった。上司の腕にもたれかかるようにして、男はふらふらと立ち上がる。
「お前は自力で脱出できないからな」
 ぶっきらぼうな言葉遣いは相変わらずだが、女の表情は、安堵のためか少し和らいでいた。まるで母親が子供にするような手付きで外傷の有無を確かめ、問題ないと判断すると、女は無表情に戻ってシャベルを回収する。

「先輩の居た辺り、だいじょうぶ、でしたか」
「私は胸騒ぎがして――お前たちを追い始めて、ソリから少し離れていた。雪崩が始まって間もなく近くの樹に引っ付いた。運が良かった。縄を目印にして、お前が流れる場所をしっかり見ていた」
 わ~い、となんとも気の抜けた返事があった。
 女はリーデンの方を向き直る。

「次に行くぞ。だが目処はどうやって付ければ……」
 固有名称が出ずとも、誰の話かは伝わった。
「任せて。何でかは言えないけど、兄さんの居場所ならわかるよ」
 長い縄を付けていなくても、所有物が雪の中に見当たらなくとも、リーデンにはもっと確実な方法がある。

「どういう奇術だ」
 女は訝しげに眉根を寄せた。
「うんだから、教えないー」
「……まあいい、位置を指定してくれ。プローブを使う」女は腰に提げていた折り畳める棒を取り出す。「フォルトへ、お前はソリに戻って休んでいろ……と言いたいが、一人では戻れないだろうな」
「すみません~」

「謝るな。力が回復してきたら掘るのを手伝えばいい」
 女は部下の手を引っ掴んで歩き出した。いい年した男女が手を取り合って雪の中をちょこちょこと慎重に歩くさまを眺めるのは、こんな状況で無ければ面白い――ではなく、微笑ましいが。
 ついてきて、と言ってリーデンは歩き出す。フォルトへが埋もれていた位置より丘を下り、更に自分が埋もれていた位置から左斜めに下りる。

「この辺」
 と、人差し指で示した。
「わかった。当たるまで刺すぞ。そっちは、もし道具があるなら灯りを頼む」
 宣言した直後にはもうユシュハは手を動かしていた。プローブを組み立てて、早速雪の中に刺している。長い棒が雪に飲み込まれ、真下に何も無いとわかると、次の場所に刺す。
 スタート地点から外へ向けて、渦巻き模様を作って進行している。こうすれば、一度確かめた箇所を二度確かめずに済む。流石は然るべき訓練を受けた者、やることに躊躇も無駄も無い。
 その間リーデンは手頃な枝を見つけて火を点けていた。

 ――前触れもなく、背筋がぞわりとした。つられて両手が震え、 危うく松明を取り落としそうになる。
 ムカデが背中を這っているような具合だ。次いで、架空のムカデが通った箇所だけが焼けたように熱い。その感覚は一瞬で肌から消え去ったが、代わりに胸焼けみたいな後味が心臓に取り付いた。

「……お姉さん。気を付けてね」
 作業を見守りながら、リーデンは短い警告を発する。
「なんだ。魔物か、猛獣か」
「えっとねー、さっきまで気を失ってたんだけど、たった今起きたみたい。そんで、この山ごと融かせそうな勢いでブチ切れてる。出会って十数年、こんなに怒ってる兄さんは初めてだ」

「…………」
 女は腰を折り曲げたままこちらを振り返り、妙な顔をした後、結局何も言わず作業に戻った。
「ちょっと怖いんで、急ごうね」


筆が進む進むw リーデンの生き埋め描写はもっとガッツリやりたかったけど、長引かせても読者は辛い(?)でしょうし、さくさく助け出します。

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05:57:34 | 小説 | コメント(0) | page top↑
62.d.
2016 / 09 / 15 ( Thu )
 リーデン・ユラス・クレインカティは、流されて埋もれて轟音が止むまでの間、一秒たりとも気を失わなかった。
 視界と同様に思考も真っ白である。
 ずっと呆気に取られていた。雪崩の勢いが引いてきた今になってから、ゾッとする。

(……兄さんは生きてるみたいね)
 気絶していながらも生きている。優先事項を確認した後、リーデンは今一度思考を整理する。
 が、息苦しくてかなわない。
(空気が要る)
 口の周りの雪を押し退けて空気のやり取りができるスペースを作る。革の手袋のおかげで指の感覚は活きていた。

 空気の保ち方はユシュハたちからの講座で得た知識だ。雪崩が完全に止まると、雪はみっしりと沈んで、埋もれた者は身動きすら取れなくなるらしい。自分を取り囲む雪を圧し、肺や腹を広げる分だけの隙間を、最低限の動きでなんとか作る。
 他には何を教えられたか。幸いと、息がしづらくなくなったおかげで頭は冴えてきた。
 こういう時は、冷静さが肝なのはわかっている。体を落ち着け、呼吸をゆっくりにした方が体力も空気も温存できる。

(埋もれそうだと思ったら沈まないように泳げ。或いは腕を上げろ、だっけ)
 これは既にやりそびれた。腕を上げる主な理由は「方向感覚を保つ」為だという。もう一つの理由は、救護してくれる者の目に付く為だ。
(上下感覚か)
 生き埋めというのは、窮屈さに、得体の知れない不気味さがある。
 前もってこうなる可能性があるとさんざん頭に叩き込んでいなければ、間違いなく取り乱していただろう。

 大声を出そうかと考え、止める。そんな体力を消耗する前に、自分の居る深度を確かめたい。
 両目をパチパチと瞬かせ、髪や手足を見つめる。長い時間こうしていれば、充血具合でどっちが「下」かわかるようになるだろうか。
 だがもっと簡単な方法を教えられていた。眼前に、小さく唾を吐きつける。それが垂れる方向を確認し、どっちが「上」かを見定めた。

 いつの間にか轟音は静まっている。地上があるらしき方向からは、くぐもった風音がするだけだった。
 風音が耳に届くというのは、自分がそんなに深く埋もれていないことを示唆しているのではないか。
 賭けに出るか。しかし、選べる行動はひとつだけだ。叫ぼうにも上ろうにも、ひとしきりそれを頑張った後は、おそらく二度目は――

(ええい、やってやるよ、自力で這い上がってやろうじゃないの)
 まごついても事態は進展しないどころか、悪化するだけだ。
 絶賛気絶中の兄はともかく、他の二人が助けに来てくれるとも限らないのだ。イマリナは馬の傍についているだろうから、期待していない。

(せっかくだから僕の手で兄さん助け出してみるか)
 それに、ミスリアがどうなったのかがはっきり言って全くわからない。生きていると信じるしかない。助けが必要そうならそちら方面でも活躍して、二人揃って恩に着せてやろう。

 雪の中は、水の中を泳ぐのとは大分勝手が違う。ひたすらに動きづらい。息は浅くしていればかろうじてできるが、それでも苦しい。
 それに、分厚いコートが重い。南方出身のリーデンには防寒用品のほとんどが煩わしかった。これらを装備していなかったらきっと何もできなかっただろう、というのはわかるが。

(関節曲げにくいなあ)
 手袋の指先の革が磨り減りそうなくらいに掘る。
(体勢的に「上」に向けて掘れてよかった)
 もしも両腕が身体にぴっしり揃ったポーズで埋まっていたら、どうなっていたか知れない。

 息苦しくなる度に、死にたくないという想いが強まる。
 まず自分が助からなければ一貫の終わりだ。
 後は無我夢中になってもがいた。その時間が一体どれほど続いたのかは不明だが、最中に窒息しなかったということは、数分程度で済んだのだろう。

 ひゅう、と左手の指に寒風が絡まった瞬間。
 泣き出しそうなほど安心した。

(出られた!)
 そこでようやっと、始終自分の中で渦巻いていた恐怖を自覚した。四つん這いで近くの木まで這い寄り、幹に背中を預ける。
 初めて味わうような疲労感に呑まれつつある。
「な、なんだ……思ったより全然大したことないじゃん、雪崩なんて」
 独り言で強がりを呟く。辺りはもはや夜の闇に包まれていて、魔物が飛び出しそうな雰囲気をかもし出していた。強がらなければ立ち上がる力すら沸いて来ない。

「そうか、大したこと無いなら何よりだ。体力余ってそうだな、貴様も手伝え」
 少し離れた場所から――さく、さく、と続く規則的な音の合間に、無感動な声が降ってきた。

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23:57:35 | 小説 | コメント(0) | page top↑
62.c.
2016 / 09 / 14 ( Wed )
 驚くべき速さでプリシェデスはいなくなっていた。
「――待って!」
 叫びは空しく、戸の無い出入り口の闇に吸い込まれるだけだ。できることならばもっと強気に出て「待ちなさい」ぐらいは言いたかったのに。懇願になってしまった。

 闇に、静寂に、取り残されるのが嫌で。
 数分の間、柄にもなく喚いた。
 しかしどんなに騒いでも人影は現れず。人の気配は遠ざかったまま戻らない。

(いや、やめて、こんな……こんなところは嫌……!)
 孤独が怖いだけならばその方がどんなに良かったか。
 ――ォオオオオオ。
 空気が唸る音に紛れて、声のような何かが耳に届くのである。

 ウラメシイ。カゾクヲカエセ。
 アノ女、喰イ破ッテシマイタイ。
 イタイ。カエリタイ。イタイ。サムイ。

(お願いやめて、聞きたくない!)
 実体を持つことを余儀なくされた亡霊の恨み節。幻聴などでは決してない。同じ建物の中で、魔物が暴れているのだ。彼らは生きた人間の耳に届くような言語を発せないが、聖女には、それらが断片的に伝わってしまうのである。
(人間は数時間も一人にされると発狂するそうだけど。真の意味で独りだった方が良かった……!)
 発狂するだろうか。できるだろうか。目を閉じることはできても、両手は椅子の手摺りに縛られていて耳を覆うことはできない。

 彼らの有り様は、明白な予感をもたらす。自分がこれからどうなるかへの悪い予感。
 よからぬ想像の力を吸って肥大化する、不安の渦。
 どこからか響く水音が、血の滴ではないかとわけもなく疑ってしまう。
 それにしても魔物の悲鳴は真実このような感情をのせて響いているのか。自分が悪い方へ解釈しているだけとも言えよう。

 シニタクナイ。
 シネ。
 シネしね死ね死ね死ねシネ死ねええええええええええ!
 ――…いで、こっちに、おいで。あなたも、いっしょに――――
 カエリタイ……。
 ――死ねない! みんないっしょだよ! 永遠に! あはははははははははははは!

「やめてええええええ!」
 絶叫していた。束の間、己の声が頭の中で反響する不協和音を凌駕する。そのことに安堵し、喉が枯れるまでに叫ぶ。噎せる。
 何処にも届きようが無いとわかっていながらも、「助けて」と繰り返し泣き喚いた。
 ――ああ、なんと世界は残酷であろうか。

 死ぬこともできずに生き続けるのは、恐ろしい。滅ぶこともできずに現世をさ迷うこともまた、恐ろしい。
 まだ見ぬ恐ろしい未来を待つ時間は尚のこと――。
 この場所が悪いのだろうか、状況が悪いのだろうか。どの方向に思考回路を向けようにしろ、恐怖が付きまとう。

 寒い。
 身体中の筋肉が、痙攣してこのまま使い物にならなくなりそうなほどに、過剰に震えている。
「かえりたい……」
 帰る場所は失われた、と告げた声が脳裏に蘇る。

 憎い。なんとなしに現れて、何もかもを奪った女が。
 そうだ、抜け出さねば。抜け出して、あの女をくびり殺さねば。仲間たちの仇を討たずして、何の為に生き延びたといえよう。
 抗う。無駄だった。
 縄が肌に食い込み、激痛をもたらすだけだ。

(ダメ。これはダメ)
 何処かに残る理性が訴えかける。
 負の感情が瘴気と混じって、自分は生きたまま魔性に転じるかもしれない。

(此処が聖地ならよかったのに。そうしたら、私は意識を手放せた。聖獣という大いなる存在に満たされて、ちっぽけな私は何も考えなくて良いのに)
 そこまで思い至って、ようやく胸元の重みに意識が行った。
 所持品は大方剥がれている。どういうわけか、教団より賜ったアミュレットは残っている。

 感謝する。
 聖気を放つと魔物がおびき寄せられるため、今は使えないけれど。
 祈りの言葉を捧げるだけの正気が残っていることに、深く深く感謝する。これが一体いつまで保てるものなのかはわからない、が。
 ミスリアは誰も見ていない闇の中で笑みを浮かべる。

_______

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03:10:53 | 小説 | コメント(0) | page top↑
62.b.
2016 / 09 / 12 ( Mon )
「ぼくはこの手鏡、気に入ってしまったんだ。おくれよ」
「勝手言わないでください」
 ふつふつと、嫌悪感が腹から喉を上り、首筋を這い上がる。寒さによる全身の激しい震えに、怒りの感情が追加された。
 普段ミスリアは物欲に乏しいが、プリシェデスの細い指が撫でるそれはリーデンからの生誕祝いの贈り物だった。
 世界にたったひとつしかないのだ。くれと言われて、はいどうぞと笑顔で明け渡せるようなものではない。

「気が強くて結構。でも状況を見たまえよ。きみに拒否権なんて、存在しない」
「――――は」
 突然近付いて来た美貌を前に硬直する。美女は唇を湿らせ、ニタリと笑った。
 ――ガシャン!
 縛り付けられている身でも、びくりと身じろぎした。
 咄嗟に閉じた目を見開いて確かめると、恐れた通り、鏡が地面に叩きつけられた音だった。割れたガラスの破片の煌めきは、ミスリアをひどく落胆させた。

「そうそう、尿意を催したらその場でしていいよ。ぼくらは気にしないから」
 脈絡なく投げつけられた一言。
「……貴女は人としての尊厳を、何だと思って」
 ミスリアは声を低くして返した。威嚇、呆れ、蔑み――いずれにせよ、昏(くら)い感情を込めて。
 対する女性は身を引いてさも楽しそうに大笑いした。あまりに首を後ろに傾るため、まるで天井に向けて笑っているようであった。

「さほど価値の無いもの、だよ」
「な、ぜ……そう思うのですか」
 理由を問う。理解しようと試みる。無駄に終わるとわかっていても、それは押し寄せんとする恐慌の波を御する為に必要な努力だった。
「あのね、聖女サマ」
 ――これまでの人生で呼ばれた際のどの「聖女さま」よりも、嫌味が込められていたように聞こえた。

「人間の肉体に閉じ込められての一生というのは、魔物となってあらゆる面で解放される一生に至るまでの『序章』に過ぎないのさ。魔物こそが究極。ヒトのあるべき姿だよ」
 ミスリアは絶句した。彼女の提示する主張の意味が飲み込めなかった。
 翡翠色の瞳に、見入るだけである。

「人間として生きる限り、社会というものに縛られる。たとえばこのアルシュント大陸中、悪女ラニヴィアの作った教団や、旧き神々を掲げる対犯罪組織の監視から外れる場所なんてほぼない。それでなくとも、誰の強制が無くとも、ヒトはひとりでは生きられないものだからね……群れに紛れ、体裁を気にし、面子を守ろうとする。此処にいるぼくらとて例外ではないよ。多少はタガを外しているつもりだけれど」

「……悪女……?」
 己が属する教団の創始者への言われようが引っかかり――短く訊き返すも、無視された。
「だからこそ魔物は素晴らしい。人類は魔性と生まれ変わっての第二の人生を目指し、容認すべきだ」
「シェデさん。貴女が魔物に対して甚だしい夢想を抱いていることはわかりました」
 突飛過ぎる話を耳に入れる内に、ミスリアの心中には辺りの気温よりも冷ややかな平静さが生じていた。
 ちちち。プリシェデスは頭を振りながら舌打ちした。

「誤解だよ。この夢想は実現可能な楽園……乗り遅れているのはむしろ、きみたちの方なのさ」彼女は上目遣いに笑ってこめかみを指で指した。「古臭い思想は捨てた方がいい」
「古臭いだなどと――」
 反論の途中に入り口に人の気配が増えた。
「おっと、呼ばれているようだ。また後で話そうね、かわいい聖女サマ」

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62.a.
2016 / 09 / 09 ( Fri )
 死とは恐ろしいものだ。
 誰に教えられなくとも、人は成長の過程でその観念に辿り着く。
 死とは境である。
 その先に何があるのか、わかっているつもりで生きながらも、真の意味では経験するまで何もわからない。魔物の声を聴くことができても、それは同情(シンパシー)であって共感(エンパシー)ではない。

 聖女になる課程で経た臨死体験と、果たして「本番」は似ているのだろうか。
 望まぬ形であっても、覚悟をした形であっても、そこに恐怖は等しく待ち受ける。

(お姉さま……貴女はどうやって乗り越えたのですか。どうして、あんなに穏やかな想いを残せたのですか……)
 何よりもどかしいのは――己の一切を代償として投げ出しても、大義が果たされないかもしれないという可能性だった。
 引き継ぐ者への信頼。それがあったからこそ姉は心を強く保てたのではないかと、思うけれど。

 ミスリアは思い浮かべてみる。たとえば教皇猊下、たとえば聖女レティカ、そしてカイル。自分が居なくなった後、彼らが居るこの世界なら、きっとなんとかなると漠然と思う。
 最期の瞬間を怖れる必要はない。
 けれどその時期は、今ではない。これだけは絶対に譲るわけにはいかなかった。

(諦めない……諦めちゃダメ……!)
 全ては現実を直視しない為の思考であった。
 薄着姿で椅子に固定され縛り付けられ、両手両足の自由を失ってしまっているという、現実を。

 息を幾つか吸い込む度に、左の腰関節に刹那の痛みが走る。それも足が完全に動かせないわけではないようで、もしかしたらヒビが入っているのだろうか。痛みに耐える方法がわからず、その都度変な喘鳴を繰り返す。
 暗い部屋の中は寒い。それなのに全身はびっしょりと汗に濡れている。
 眠りから覚めたばかりだというのに、早くまた意識を手放したいのが正直なところだった。

『私は弱いですね』
『知ってる』

 心が折れそうな時。思い出すのはいつも、青年にかけてもらった言葉。
 この激動の一年を送る内に――嵐の中の大木のように――彼はミスリアにとっての揺るぎない支えとなっていた。
 今はただ、無事で居て欲しいと祈るしかできないのが辛い。頭痛がするほどに、辛い。
 ふいに、新鮮な空気がふわっと身を通り過ぎて行った。

「やあ。お目覚めかな」
「!」
 頭の奥でカッと何かが燃え上がる。
 噎せ返るようなユリの香りと共に現れた二十歳くらいの女性は、暗がりでもやはり美しかった。しかし美しさは全てへの免罪符ではない。彼女は悪辣だ。決して、許しはしない。
 どう答えても毒素を吐いてしまいそうなので、ミスリアはひとまず黙ることにした。

「改めて初めまして、聖女ミスリア。ぼくはプリシェデス・ナフタ、このムラを仕切る者だよ」
 肩から足首まで、もこもことした毛皮のワンピースを纏ったしなやかな肉体を捻って、彼女は腰に手を当てる。
「さて、あれから数時間経ってるよ。きみのお仲間はとっくに窒息してるね」
「……私の仲間を見くびらないでください。雪に溺れようと絶望に溺れようと、あの人たちなら絶対に起き上がってみせます」
 黙ることにしたはずの矢先、思わず言い返していた。

「うん、そうだね。そうだといいね」
 プリシェデスは嫌らしい笑い方をした――かと思えば、ポケットから何かを取り出して顔の前にかざした。見慣れた仕草である。そう、手鏡に映る自分の像を見つめているような。
 手鏡は部屋の外から漏れる僅かな光を反射した。正面ではなく、裏面の黄銅からの反射だ。
 ミスリアは目を瞠った。

「それ、は――……! 返して!」


サラッと登場しましたけど、全編中トップクラスの悪人…?

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11:33:24 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.h.
2016 / 09 / 05 ( Mon )
「自分はどうしましょうか、先輩」
「そうだな……」
 ユシュハが顎に手を当てて考え込む姿勢を取った。

「よし。フォルトへ、お前はついて行け。私はとりあえずソリの傍に残る。戻りが遅いと感じたら、自己判断で追うぞ」
「了解です~」
 言うが早く、フォルトへは身に携帯している武器や防具の確認をした。更に、例の異様に長い縄を腰に結び付けて垂らしている。

「ありがとう……旅人の方々、ありがとうござい、ます……わたしはプリシェデスと申します。シェデ、とお呼びください」
 助けを求めて来た女性が、雪の上に平伏した。
「私はミスリア・ノイラートです。シェデさん、取り急ぎご案内をよろしくお願いします」
「はい、ついて来てください! 急がなければ、皆喰い尽くされます……!」

 女性はひとりでに立ち上がり、滑らかな丘を慣れた足取りで上り始めた。彼女のすぐ後ろにフォルトへが続き、その後ろにリーデン、ミスリア、ゲズゥが並んだ。転ばない程度に、早足に歩く。
 丘を上り切るまであと数歩のところで、フォルトへが何故だか露骨に鼻をすんすんと鳴らしている。それも、先導する女性のうなじに寄せるようにして、だった。

(何か匂うのかしら)
 疑問に思ったのは自分だけではなかった。
「あの、何か……?」
 ぎこちない表情でプリシェデスが振り向く。
「いいえぇ。魔物以外に、何か不思議な匂いがするなー、と。花の可憐さの中に潜む凶暴性さとでも表現しましょうか」
 どうしてか、女性は返事をせずに前を向き直った。

「ユリの一種だったと思うんですけど~。胡椒っぽくてスパイシーな、ツンと鼻に残る芳香」
「え、ユリって言っ――」
「見えてきました、あちらです!」
 問い質そうとするリーデンの声に、プリシェデスの叫びが重なった。丘を上り切った先には、僅かな平面の後、より険しい傾斜が待ち受けていた。

 あちら、とは。現在地から三十フィート(約9.1m)先を意味している。
 白や茶色ばかりの景色の中、目前の峰の麓だけが幾つもの派手な赤い模様に彩られていた。人々を蹂躙する巨大な異形の姿が見えて、背筋から震える。

 異形はこちらに気付いて、跳躍した。
 巨体の着地時の振動が、足から這い上がって腰を揺さぶる。
 毛むくじゃらの魔物の巨大さに愕然としたこと、数秒。静かな時間の中、魔物の首と思しき辺りに鎖が巻かれているように見えて、それの意味するところを思うと戸惑った。
 思わず現状をも忘れる。意識の範囲内には己と魔性しか居ない。

 ――ビィキッ。ギキキ、ビキビキ。

 凄まじい音の連鎖が地面の奥深いところを伝った。ハッと目が覚める。
 たとえるならば導火線。
 亀裂の入る音がどんどん遠くへ去ってゆく。無意識に目で追っていたら、行き着く先は、峰――

「傾斜三十度以上!」
 そう叫んだのは多分、リーデンだった。
 ――崩れる。
 理解の追いつかない頭でぼんやりと。息のし方も忘れるほどに夢中で。峰の側面に付着していた雪が、崩れ落ちるのを眺めた――

 押し飛ばされた。
 内蔵がぐっと圧されて潰されるような感覚が伴うほど、強い力で。
 この突然の力には覚えがあって。鋭く囁いた「逃げろ」の声にも当然、覚えがあって。危機に瀕した際の自分の反応の悪さにもいい加減、覚えがあった。

「がはっ」
 落下の痛みが全身を打つ。
 この身を包む地面の冷たさが、叱責に思えた。けれど、何も生み出さない自責の念に捉われている場合では無かった。

「――う」
 ひどい眩暈と咳がするのも構わずに、急いで起き上がった。暗いはずの視界にチカチカと火花が散っている。治まれ治まれと念じる内に視界は何とか晴れてきたが、聴覚は未だに使い物にならない。股関節を蝕む激痛があり、骨折したのではないかと疑った。

 けれど、そんなことよりも。何処だ。皆は、何処に――
 しばらくして迎えてくれた映像に、ミスリアは絶句した。

 洪水だ。雪崩という名の、雪の奔流。
 自分は流れの外まで飛ばされたらしく、一連の恐ろしさを横から一望できるようになっていた。
 峰から丘へ、丘からもずっと下へ。流れ、ひたすらに流れる。
 大切なものが掌から零れ落ちて、二度と戻って来れないところまで落ちてしまうと、直感した。

 必死に探した。彼らは何処へ流されたのだろうか。怪我をしていないだろうか、意識を失っていないだろうか、助けに行かねば――!
 けれども立ち上がれない。
 何故か、嘲笑が聞こえた。

「ばかだね、きみは。見ず知らずの人間を助けようとしたばかりに、大事な仲間を死なせるんだ」
「ぅ、あ」
 耳元に囁きかける声に、何も返せなかった。振り返ると、人影はひとつだけだった。
 どうして彼女だけ此処に居るのだろう。どうして他には誰も、奔流の外に居ないのだろう。声も涙も出せないまま、ミスリアは瞼と口を空しく開閉する。

「救いようのないばかだけど、才能を見込んで、殺さないことにしたんだよ」
「シェデさん、あ、なたは、一体」
「ぼくと一緒に来なさい、聖女ミスリア・ノイラート。嫌とは言わせないよ」
「――! いやっ」
 脇下から引っ張り上げられている。抗った。精一杯、暴れた。

「放して! 皆さんを助けないと、埋もれて、し、早くしないと、死ぬかもしれないんです!」
「今や歩けもしない非力なきみに、彼らを助けることなんてできやしない。諦めた方が賢明だよ」
「放して……這ってでもいい、私は、行かない、と――」
 突然喉を圧迫されて、それ以上何も言えなくなった。驚いて目を見開くと、首を絞める細腕が目に入る。
 細い腕には似つかわしくない力だ。

「きみの帰る場所は失われた」
「――っ」
 後ろ首にとてつもない衝撃が走った。

(認めない。これが、お別れだなんて、嘘)
 遠ざかる意識の中で、ミスリアは絶望と悲しみを凌駕する悔恨の念に押し潰されていた。
 視界が闇に落とされても、雪崩の轟音はいつまでも続くかのように思われた――。

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08:45:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.g.
2016 / 09 / 04 ( Sun )
「これか」
 リーデンが指差す物を拾い上げるユシュハ。六本の棒切れは紐によって連なっており、両端の二本は先端が円錐状に尖っている。
「プローブだな。暴力目的の代物ではない」
 使い方を見せようとしたのか棒を広げかけて、しかし彼女は考え直し、折り畳まれたままで腰のベルトに挟んだ。次いでシャベルを拾う。同じく折り畳み式らしく、全長四フィート以上が携帯できそうな大きさになる。

「とりあえずこれは貴様が持っていろ」
 ぽいっとシャベルをリーデンの投げ渡した。
「雪崩対策に関しては、フォルトへ」
「はい~。まず、雪が流れてくる方向が確認できた場合は流れの外まで逃げることです。そんな猶予が無いのがほとんどですね。埋もれることを前提とすると、救援者が少しでも見つけやすいようにすることです」

 雪崩に対する心構えなどを、彼らはそうやって説明していった。ミスリアたちは素直に静聴する。
 いざ埋もれた後にどうするかまでに至ったところで、説明会は中断された。遠くから人の呼び声がしたからだ。
 皆一同に声の源を探し、難航する。ここはもはや雪原。毛布のように大地を覆う雪が音の勢いを吸い取るため、人間の聴覚では頼りない。

 やがて宵闇の果てに影が現れた。
 野営地から見て北東の丘から、痩せ細った人影が覚束ない足取りで向かってくる。狂ったように泣き叫び手を振り回してるさまに、呆気に取られる。その人は丘を下り初めて転び、そのまま斜面を転がり落ちてきた。
 遅れて我に返り、ミスリアは走り出した。

「大丈夫ですか!?」
 慣れないスノーシューズを履いているせいかうまく進めない。転がり落ちてきた人物までの距離があと十歩というところで、黒いものに遮られた。持ち前の運動センスの違いか――既にスノーシューズでの走り方を会得したらしいゲズゥが、間に入ったのである。

「迂闊に近付くな」
 振り返る黒い瞳がじっと見下ろしてくる。何を責められているのか思い当って、すみませんと返すしかなかった。焦っていた自分を一旦落ち着かせた。そしてゲズゥの肘から回って顔を出し、下りてきた人物をゆっくり観察する。
 華奢そうだと思っていたら、若い女性だった。

「ひ、人! よかった――たすけッ、お願いです! 助けてください……!」
 女性は長い巻き髪を乱したまま、四つん這いで近付いて来る。濡れそぼった髪はつむじの赤黒い色に始まって、毛先は薄茶色だ。翡翠色の双眸や彫刻並みに整った輪郭と相まって、吸い込まれるような美しさを持った女性だった。

 それだけに、衣服が所々に破れ傷んでいるのが目に付く。露わになっている白い腕から、鮮血が滴るのも。
 加えて、疎らに付いた紫黒色の泥から漂う腐臭。
 ミスリアは全身が硬直するのを感じた。

「魔物に襲われたんですね」
「はい……はい……。わたし自身、放牧していたエルクの世話をしていまして、その隙に…………! 戻ったら野営地、が!」
 恐怖に激しく震える女性の様子に、心が痛んだ。
 なんとかしてやりたい。なのに傍に行こうとすると、旅の連れである者たちが何故か行かせてくれない。

「危険な方へ自ら進む気か」
 と、ユシュハが無機質に問う。
「見過ごせるような話ではありません」
「貴様にとってはそうでも、我々は同意しかねるが」

「ではせめて私を止めないでください」
「貴様の命を護るのが我々の任務ゆえ、どうしても行くと言うのなら縛ってでも引き留めたいところだが……そうなると、忠実な護衛どもに噛み付かれそうだな」
「そうなるねー」
 答えたのはリーデンだった。

「わからんな。貴様らとて、護衛対象が自ら怪しい方へ行くのを止めたいだろう」
「勿論そうだよ。ついでに僕は、助けを求めてるっていうこの女の何もかもが演技だと思ってる。でも証拠が無い以上はねー……兄さん?」
「……要所で信条を曲げた事実が、今後の自分に影を落とす。罠だろうと危険を冒すことになろうとも、妥協できない局面がある、と」
 話を振られたゲズゥが、その低い声で一言ずつをハッキリと紡いだ。

「そういうことだから。マリちゃんは馬と残ってもらうけど、君たちは一緒に来るかどうか、自分で決めてね」
 細かく語らなくても心中を汲んでくれた二人に、ミスリアは小さく感謝の言葉を告げる――。

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23:57:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.f.
2016 / 09 / 03 ( Sat )
「貴様らにそこまで話す義理など――」
「どうするかは現場の状況次第で判断しろって言われてます~」
 拒絶で応えようとしたユシュハを押しのけて、フォルトへがあっさりと明かした。

「つまり、二人でどうにかなりそうならどうにかして、どうにもならなそうなら援軍要請を出しますねぇ」
「応援要請なんてどうやって届けるの」
 リーデンは周りの景色に目配せした。確かに人里離れているこの地では、連絡手段があまりに限られている。
「実は頂点(ケデク)さまの使いの大烏をお借りしてるんです。つかず離れず我々について来ているはずなんで、専用の笛を吹けば近付いてきます~」

「へえ、お利口なカラスさんなんだね」
「すごいでしょう! 頂点さま方はみんな飼ってま――あだっ!?」
 フォルトへのへらへらとした笑顔が痛みに歪んだ。ユシュハの肘鉄を背中に喰らったらしい。

「いい加減にお前は社外秘という言葉を理解しろ、阿呆が」
「すみませんんん……でも下手に隠して聖女さま方にいざという時に信用してもらえなかったら、生存確率が下がりそうじゃないですか~」
「ここぞとばかりに正論を出すな! 口の軽さを叱るべきか、思慮深さを褒めるべきかわからん!」

 じゃあ褒めて下さいよぉ、と何故か両手を差し出す部下の頭を、上司が思いっきりはたいた。
 この女性の第一印象を思い返し、ミスリアは苦笑する。傍若無人で威圧的な人だと思っていたのに、最近ではそれほどでもない。
(相変わらずゲズゥを見る目には殺意と憎悪ばかり篭ってるけど……)
 少なくとも、仕事に私情を挟まないとの一線を、守り抜くつもりであるのはなんとなくわかる。

「組織の大事な秘密だと言うのに話して下さってありがとうございます」
 礼を伝えてみると、ユシュハは一度こちらを睨み付けてから「ふん」と顔を背けた。
 リーデンが小さく咳払いをする。
「で、話を戻すよ。大人数を送り込まなかったのってやっぱ、敵の存在の有無と所在地が不確定だからなのかな」

「そうだ。大人数の行進ではより時間がかかる上、敵にも警戒されてしまうからな。その点、聖女の巡礼の形に便乗すれば、怪しまれるどころかむしろ標的にされやすくなる。そうだろう?」
 ユシュハがこちらを一瞥した。ミスリアは迷わず頷きを返す。

「はい。教団から魔物信仰集団に関する警告を受け、その上で敢えて踏み込めとの指示でした」
「餌をチラつかせて、連中を穴倉からおびき出すってとこね。おびき出せた後の作戦の詰めが甘い気がするけど」
「何も難しく考えることは無い。聖女を守り抜き、ついでに、魔物を崇める集団に付いてできるだけ情報収集をする」
 ――それだけだ。

 腰に手を当てて断言する女性はミスリアには大変頼もしく見えたけれども。
 魔物信仰。
 こうして改めてその呼び名を口にすると、心の内に冷たい物が落ちていくようだった。
 伝聞により認識するのとは果てしなく違うのだ。

 姉カタリアとエザレイ・ロゥンが関わったサエドラの町。その奥の森には魔物を造り出し、使役する人々が暮らしていた。それは独特の信仰心の表れだったのだろうか。彼らの所業を思うと、行為の根本にある思想や信仰を解明せずとも、絶対にわかり合うことは不可能だったと確信を持てる。

 では、これから衝突するやもしれない、魔物を崇める集団はどうか。
 言葉と交流を重ねてどうにか目線を合わせられるような人々であるだろうか。
 答えは十中八九、「否」だ。今からでも予想が付く。

 では、会話でわかり合えない相手をどう扱えばいい? この旅を始めてから、何度も似たような壁にぶつかっている。
 それなのに永久に解答に辿り着ける気がしなくて、ミスリアは目頭が熱を帯びるのを感じた。

_______

 次に人の痕跡を見つけられたのは、五日後のことだった。今度の野営地も無人である。
 申し訳程度の食糧を見つけ出し、そしてユシュハが両腕一杯の荷物をかき集めてきた。
 地面に投げ出されたのは、どれもミスリアにとっては見慣れない道具である。それらを囲って立つ面子の中ではフォルトへだけが使い道に即座に思い当ったらしく、スッと屈んで、一本の長い縄を手に取った。

「先輩~、これってアレですよね」
「ああ。景色の凹凸と積雪が増えて来たからもしやとは思ったが、雪崩の可能性が高い地域に入ったようだな」
「この野営した跡地が遊牧民のものだったなら、そう考えて間違いないんでしょうねぇ」
 極北についてそれなりの知識を叩き込まれてきたという二人のやり取りを、残る四人で黙って見守っていた。ほどなくして、組織ジュリノイの成員二人は意外そうな視線を向けて来た。

「なんだ。貴様らこういうのを見るのは初めてか」
「んー、流石に雪かき用シャベルは見たことあるよ、っていうかソリに積んであるんだし。そっちの棒は何? 三節棍って武器をどことなく連想させる……けど、棍棒にしては細すぎる」


更新遅れた申し訳なさで今回長めになりましたw

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13:05:30 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.e.
2016 / 08 / 29 ( Mon )
「うん、君たちもね」
 火も持たずに闇の中に消えたユシュハの足跡を一瞥してから、リーデンは数秒の間考え込んだ。
「僕はこっち行くから、兄さんは逆から回ってくれる」
「ああ」

 ソリが地面からぐっと浮き上がる。搭乗者の中で最も体重のあるゲズゥが降りたのだ。瞬く間に、兄弟も闇の中に消えた。
 待つだけと言うのはなんともやりづらい。ミスリアは気もそぞろに足元の荷物を整理したり、手袋に包まれた両手を擦り合わせたりした。

 前列のフォルトへが席を立ったのが見えたので、なんとなくついて行った。
 馬の世話をするつもりらしいのだと察し――彼が干し草と水を与える間、ミスリアはブラシをかけてあげることにした。

「えっと、リーデンさんでしたっけ。あの人はああ言いましたけど、近くに魔物は居ないと思います。気配に敏感な馬たちも無反応なんで~」
「無反応と言えば……動物の死体を積んでも、あまり嫌がりませんね」
「個体差ですよ。集落の人たちはそういった経験が豊富な、図太い子たちばっかり売ってくれたんです。大事にしなきゃですねぇ」

「はい」
 今晩に限らずこれまでにも数度、魔物から逃げる際に活躍してくれたのだ。感謝の意を込めて声をかけ、丁寧にブラッシングをしていく。
 手を動かしていれば、待つ時間は苦ではなくなった。二十分くらい経ち、逞しい体付きの女性が戻ってきた。

「食糧は見当たらなかったが、使えそうな竈を見つけた。そこで湯を沸かして水筒を補充しよう」
「お疲れ様です、それは助かります」
 ミスリアはそう言って出迎えた。

(食べられる物が見つからなかったのは残念だけど)
 野営地は放棄されて長いのか、それとも使った人々は何一つ残さずに持ち去ったのか。後者であるなら、竈だけを残したのはおかしい気もする。忘れてはいけないのがフォルトへが最初に漏らした、死の臭いがする、の一言だ。

 数分後には兄弟も戻ってきた。拾ってきたらしいスノーシューズを抱えて「敵影(てきえい)なしー」と弟が報告すると、「左に同じく」と兄も続く。今夜野宿するには安全だろうと結論付いて、全員は準備に取り掛かる。先ほど入手した肉の処理はユシュハたちが引き受けた。

「ところでさ。揉め事の跡があったよ」
 各人、テントも張り終わって食事を腹に収めた頃。リーデンが小声で切り出した。
「雪の下から何かが突き出てたのが見えてちょっと掘り出したんだけど、血痕の付いた桶だった」
「そんなものが……。他には何か見つかりませんでしたか」
 リーデンも、そしてゲズゥも否定の意で頭を横に振った。

「僕らの印象だとどうも、此処を使ってた人たちは中途半端に去ったみたいに感じるんだよね。推測すると、襲われて連れ去られたんじゃないかなー」
「我々が追い求めている『奴ら』が、近いのやもしれんな」
 発言をしたユシュハの方へとリーデンの身体が向き直った。
「そういえばお姉さんたちって、敵を見つけたらどうするの。二人で征伐しろって命令されてるとか?」

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08:25:10 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.d.
2016 / 08 / 27 ( Sat )
 既存の会話の流れに構わず、ユシュハが強引に話題を替えた。
 彼女に問われたことはもっともであった。主に夜に移動しているのは魔物に対して油断しない為であるのと同時に、星を見る為でもある。

 星座を追うことこそが、聖獣より授かった「行路」をなぞる方法だ。
 現在、馬ソリを走らせている方向は、昨晩の内に見定めた方角に合わせている。そろそろ再確認が必要になる頃合いだろう。それでなくとも星や月の明かりが無くては、馬を走らせるのが危険に過ぎる。

「これ以上闇雲に進めば、明晩には軌道修正が必要になるかもしれませんね。仕方ありません、野営できそうな場所を見つけて今夜は休みましょう」
 ミスリアが判断を言い渡すと、同行者たちは賛同の意を示した。

 食糧は三ヶ月分を想定して、乾燥させたパンなどをソリに搭載してある。途中で狩りや採集をして補ってはいるものの、冬場なので得られる物はあまり多くない。
 極北での旅の進行がこんな具合では、目的地に辿り着けるイメージがまだまだ遠い。

(着けるかしら、三ヶ月以内に)
 せめて現地人と出会えたなら、この漠然とした不安も多少は和らぐだろうか。フォルトへが言っていた通り、こうも誰も居ないとなると、この地そのものに大きな問題があるように疑ってしまう。

「ねえ、九時の方向に見えるのって野営地じゃない」
 静かな降雪も吹雪に加速せんとする頃、後列のリーデンが人の痕跡を見つけた。
「どうやらそのようだな。向かうか?」
 馬を御すユシュハが問う。お願いします、とミスリアは即答した。方向転換による遠心力に備えて、前列の背もたれをしっかり掴む。

 近付くに連れ、野営地に人の気配が皆無なのだとわかった。煙も立っていなければ炎の熱量もどこにも無く、そこはまさしく人が居た跡地でしかなかった。
 馬を止め、地に降り立とうと身体を傾いだ瞬間。

「微かに臭いが残ってます」
 いつになく緊迫した声で、フォルトへが言った。
 鼻を伸縮させて大気を嗅いでみたけれど、ミスリアには何も感じ取れなかった。他の者たちもピンと来ないような顔をしている。

「雪が被さっていくらか経つようですから、わかりにくくなってます。血と臓物……死、の臭いです~」
 よく嗅ぎ取れたね、とリーデンが褒めると、目が悪いので他を頑張っちゃうんですよぉ、とフォルトへは照れ臭そうに応じた。
「この地に何があったかはわからんが、一応警戒はしておくか。食糧など、使えそうな物資を手分けして探す」
 馬の手綱をフォルトへに渡して、ユシュハがソリから飛び降りた。

「んー、何で君が仕切ってるのと言いたいとこだけど、提案には賛成だからそうするよ」リーデンは毛深いフードを被った。「マリちゃん、聖女さんと此処に残っててもらっていい?」
「待って下さい。私も行きます」
 抗議したミスリアの前に、美青年が歩み寄った。至近距離で覗き込まれる形になり、不意打ちで心臓がドキッと跳ねた。

「聖女さんは待ってて。すぐ終わるから」
「でも……」
「死の残り香なんて不穏でしょ。君は降りちゃダメ。何か襲ってきたら、マリちゃんとそこの帽子のお兄さんとで対応してね」
「……わかりました。気を付けて下さい」

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22:24:18 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.c.
2016 / 08 / 21 ( Sun )
 魔物を大雑把に分解した状態で捨て置いて、ゲズゥとリーデンは食用としてコヨーテの躯(むくろ)を回収して戻ってきた。
 本来ならば魔物を浄化せずに放置するのは心苦しいが、遭遇する度に浄化していてはこちらの体力がもたない。今の隙に馬たちを宥めすかし、なんとかその場を離れた。

 夜の風はまた一段と辛い。髪が乱れぬようにミスリアはコートのフードを深く被った。ユシュハのそれと同じで、フードはふわふわとした狐の毛に縁取られている。極寒を越す為のコートの入手元は全員同様にヒューラカナンテ付近の集落なので、揃っているのはそれゆえだった。

「お疲れ様です」
 片手でフードを押さえつつ後ろの列に声をかけた。それにはリーデンが微笑みを返し、ゲズゥはどこか遠くを見ていて反応しない。
「ありがとう、でも労うのはまだ早いよ。夜はこれからでしょ」
 リーデンは目を細めて天を仰ぐ。白く冷たい、結晶化した水分の粒が降り始めている。

「そうですね。では、今晩もよろしくお願いします」
「任せてー」
 この護衛たちはいつもながら、昼夜逆転した生活にすんなりと順応する。職業の性質上、よく夜更けに出回っているはずの組織ジュリノイの二人は、それでも毎度寝起きに不機嫌そうにしているのに。

 地平線をしばらく見つめてから、再び振り返る。ついゲズゥの手元に目をやった。先ほど仕留めた獣の躯を逆さに吊るして、血をソリの外へと滴らせている。幸いにも矢が内蔵に命中したため、積む前にある程度血抜きができたのだった。

 純白の一面に血の道を残しているのは野獣を招きそうなものだが、雪の上を走りながらも新たな雪が降りかかっている。赤い跡はすぐに埋もれてなくなった。

(重くないのかな。片手で吊るすの大変そう……)
 などと思っていたら、黒い瞳がすうっとこちらを向いた。一瞬だけ目が合い、居心地の悪さを感じてしまう。なるべく自然を装って体勢を前向きへと直す。

「……魔物は動物を襲わないのに、コヨーテはどうして逃げたんでしょう」
 振り返らずに大声で問うた。
「襲われないのと怖いのとは、また別の話なんじゃない? アレが実は亡者で人間に対してしか捕食本能が発動しないなんて、知ってるのは人間くらいだし。たとえば動物が観察と経験によってその事実に気付いたとしても、やっぱ咄嗟に逃げるでしょ」

「あのぅ、自分も疑問に思ったことが……あるんでずが」
 前列のフォルトへが会話に参加した。
「はい」
「人間と魔物の関係ってフィードバック・ループなんですよね。死人の魂が瘴気に反応して、魔物が発生する。魔物は人間を喰らって、より大きくて凶悪な塊となる。じゃあ喰らう人間も居ないような無人の地では、どんどん存在が弱くなったりするんでしょうか~」

「いいえ、飢餓感が強まって周囲の瘴気をもっと呼び寄せてしまうという一説もあります。生きた人間を取り込んでも飢餓感がなくなるわけでもないのですけど……自然に弱まる例は無いはずです」
「そうなんですかぁ。いえね、毎朝霧散して毎晩また再構築されるんじゃ、人の魂か肉体を取り込まないと、徐々に存在の絶対量がすり減らされるものかと」
 フォルトへの言葉に、ミスリアは少し黙り込んだ。

(霧散と再構築のサイクルにより存在が弱まる……仮にそうだったなら)
 人口の少ない場所では凶悪な魔物が跋扈していないのが条理。死者の魂か、生者の魂か肉体を追加しない限りは――分解された後の再構築で、集まる負の因子が毎度少なくなる。
 例が確認されてないだけかもしれない。それか、物凄く長い時間をかけての減少かもしれない。

「貴重な見解をありがとうございます、フォルトへさん」
「え? よくわかりませんが、お役に立ててうれしいです~」
「しかしどうする、聖女。今夜は雪で空が曇っている。星を読んで道を定めていたのだろう?」

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23:05:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.b.
2016 / 08 / 20 ( Sat )
「そんな意味があったんですね」
 あの人がブローチをしていたかどうかまでは、思い出せなかった。相対した時は緊張のあまりか、あまり隅々まで注意して見ていなかった気がする。

「おっと」
 唐突にユシュハの声がした直後、ソリが何かにつっかえたような衝撃があった。馬が驚いて嘶く。ガシュッ、と柔らかい雪が跳ね上がった。
 前の席の背もたれを掴んで体勢を保った。隣から「大丈夫?」と手話で話しかけてくるイマリナに、大丈夫ですよと笑って答える。

「石か木の根ですかねぇ。見てきます~」
 前の席から軽々とフォルトへが飛び降りた。その間、ユシュハは馬を落ち着かせる為に声をかけ続けている。
 二人に任せれば安心かなと思い、ミスリアは座り直した。膝からずれ落ちた羊毛のブランケットの位置を整えて、空を見上げる。
 最初は己の白い吐息しか視界に無かった。それが冷たい大気に溶け込んで消えると、空に桃色が伸びているのが見える。

「……極北の夕暮れは、本当に早いですね」
 決して文句を言っているのではなく、率直な感想だった。むしろ今の自分たちは夜の時間にこそをソリを走らせている。日中は野営して睡眠を取り、午後の遅い時間に出発している。
「聖女ミスリアは南方出身でしたっけ~」
 地上から締まりのない声がする。

「はい。教団で修行を積んだ頃に、初めて本物の冬を知りました」
 フォルトへさんたちにそんなこと話したかしら、と不思議に思いながらも肯定した。それにはユシュハが反応した。
「夜が長いというのは、好都合だったろうな。魔物退治の実戦経験を積む機会がいくらでもありそうなものだ」
「まあ……そうですね……」

 教団で過ごす夜は、強力な結界に守られていた。そのぶん敷地から一歩踏み出せば、いくらでも遭遇してしまう。実戦は常に討伐隊編成が抜かりなかったため死人が出たことが無いが、初心者には全てが恐怖でしかなかった。それをある程度乗り越えられるようになるまでが訓練だった。
 ヴィールヴ=ハイス教団本部が北にある理由は聖獣の近くに在りたいがため、そして俗世から少し離れていたいためだと勝手に解釈していた。こうして考えてみると、ヒューラカナンテ高地地帯は聖人・聖女という特殊な聖職者集団を鍛え上げるに最も適しているのかもしれない――。

「終わりました~。もう進められますよ――……」
 引っかかっていた石を全部どけたらしいフォルトへが、何故か立ち上がる途中で言葉尻を切った。途端に馬の嘶きが激しくなる。
「先輩、右方注意っ」
 彼の緊迫した声に、動物が威嚇する声が重なる。

 続いて、パシュッ! と短い音がした。それがユシュハの右手に装着されたクロスボゥの音だと、一瞬遅れて気付く。
 恐々と右方を見た。
 少し離れた場所に、矢に撃ち倒された哺乳類の姿があった。

「コヨーテか。群集を好む動物のはずだが」
「この個体、何かから逃げてたみたいですよぉ。てことは――」
 彼がみなまで言わずとも、答えが横の針葉樹林から飛び出て来た。
 巨大で歪な影。異形。即ち、魔物。
 ミスリアの全身に緊張が走り、無意識に、服の下のアミュレットに手が行った。
 まだ地上に足を下ろしていたフォルトへは逃げようと判断したらしく、動かぬソリの最前列に跳び上がっていた。

「おい。戦え」
 敵に背を向けて逃げた部下に、上司が厳しく叱咤する。
「勘弁してくださいよぉ、先輩。自分の特技は人間の攻撃を先読みすることであって、行動が予測不能の魔物相手じゃあどうにもならないどころか、自分ド近視なんで超不利ですって」
 緊張感の無い返事が返った。

「情けないにもほどがあるぞ!」
「まあまあ。後ろのお二人にお任せしましょう」
 人差し指を弾くようにして、フォルトへはにこにこと最後列を指し示した。
 つられてミスリアは振り返る。

 まるで見計らったのかのように、ちょうど「呪いの眼」を有する兄弟が、ソリから飛び上がっていたところだった。
 大剣が閃く。鉄の輪が宙を舞う。
 ミスリアが息を吸い込み、次に吐き出したまでの短い時間で、魔物は無力化されていた。

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23:04:32 | 小説 | コメント(0) | page top↑
61.a.
2016 / 08 / 15 ( Mon )
 大陸の最北部は、冬の訪れが早い。
 ミスリアの知る暦の上ではまだ秋なのに、辺りは既に今年初の積雪を経ている。数インチではなくフィート(十二インチ、約30.5cm)単位の分厚さの雪は、常緑針葉樹林の床に繁茂する苔に重く圧し掛かっていることだろう。

 寒々しい向かい風が、乾いて赤みを帯びたミスリアの頬をチリチリと掠って行った。
 樹林と樹林の間を抜けると毎度こうなのである。この地帯の針葉樹は細長く伸びて群体となって密集しているため、中に居る間は風の勢いが削がれるが、その分、開けた場所を通るのが苦難であった。

 一行を乗せた屋根付きソリは筋骨が盛り上がった逞しい馬四頭に引かれて、広大な大自然を横切っていく。
 これから先も赤茶や緑よりも白の度合いが増す一方だと思うと、心中は複雑だった。

 昼夜の割合が何よりも気がかりだ。ヒューラカナンテの冬でも昼が短く夜が長かったが、極北の冬は更にそれが顕著だと言う。気温と過ごしやすさの問題はさておき、太陽の恩恵を受けられる時間が短いのは――反比例して魔物と遭遇する機会が多いということだ。

「豪雪地帯、恐るべし。なんにもないですね~」
 深刻な物思いに耽るミスリアをよそに、気が抜けるような呑気な感想が前方からもたらされた。たった今、鼻声で喋った男性を見上げて応じる。
「平和が一番だと思いますよ」

「ぞうでずげど」
 ずびっ、と鼻水をすする音。ソリの最前列に座る男性は、ハンカチで一度鼻をかんでから再びこちらを振り返った。
「あまりに何も無いと、逆に不安になりませんか? もう教団を経ってから三週間は経つのに、最初に小さな集落を幾つか通った以降は……現地人と遭遇しないどころか野営地の跡地にも当たらないなんて」
「それだけ広大な地で、人口密度が低いってことでは」

「どうでしょうね~」
「私も気になるな」
 男性の隣で馬の手綱を握っている剛腕の女性が、振り返らずに言った。灰色のニット帽を被った男性と違い、彼女は狐の毛に縁取られたフードを被っている。その所為で声はくぐもってこちらに届くのだが、それでも難なく聴き取れるほどに、力強い喋り方であった。

「あの……今更かもしれませんけど……組織からの同行者が貴方がただったのは驚きました。まさか私の護衛を引き受けてくれるなんて、夢にも思いませんでしたよ」
 不快感を隠し切れずに正直に話すと、フォルトへ・ブリュガンドという名の男性が、ふへへへ、と声に出して笑った。
「前に言ったじゃないですか~、自分は聖女ミスリア応援してますって。この話が来た時は、断ろうなんて微塵も考えませんでしたよぉ」
 好意的に答えた部下に対し、上司のユシュハ・ダーシェンという女性は平坦に言った。

「ケデクさま直々の命令だ、従うに決まっている。仕事に私情を挟んだりしない」
「その『ケデク』とは?」
「ほらぁ。聖女ミスリアもお会いしたはずです。全身を隠した怪しい感じのお方ですよぉ」
 瞬間、フォルトへの横腹にユシュハの肘が素早い打撃を与えた。ぐえっ、との呻き声が続く。

「不敬だぞ、弁えろ」
「え~、だって怪しいですもん。自分も初めて間近で見た時は、どんな不審者が入り込んだのかと思いました」
 部下の言い分を無視して、ユシュハがひとりでに話を続けた。

「組織ジュリノイの最高権力者は十一人居る。彼らは全員、黒い十一芒星(ウンデカグラム)を象ったブローチを身に着けていて、それぞれひとつだけ角が紫色になっているんだ」
「ケデクってのは、旧い言語で『頂点』って意味ですからね~。十一芒星の角を指して、頂点(ケデク)さまと呼ぶんです」

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60.i.
2016 / 08 / 13 ( Sat )
 ミスリアは目を伏せて頷いた。
 蓮の咲く池の傍でエザレイ・ロゥンと一緒に明け方を待った夜に、悟ってしまった。

「自ら答えを紐解き、それでも使命を果たす気持ちが萎まない者のみ、先へ進む資格があるのかもしれませんね」
「ええ。完全に同調できた果てには……至上の聖なる存在と語らい、ゆくゆくは教団を導く尊き大聖者になれる。などと、夢見ていた頃がわたくしにもありました」
 レティカの整った顔立ちに翳りが浮かんだ。白い手袋に覆われた細い指が、首から提げられた薄いナイフへと伸びる。す、と革の鞘をなぞる仕草が、哀愁を帯びている。

「わたくしは、一度は心が折れた者。二人の葬式の間、ずっと、ずっと考えていましたの。もう一度立ち上がるべきではないかと……けれどいくら悩んでも、この先新しい護衛を見つけて旅を続ける決意は、わたくしの中には見つけられませんでした」
 突如として彼女はナイフの鞘を握り締めた。手袋の絹と鞘の革が擦れ合う嫌な効果音が耳に響く。
 反射的にミスリアは身を乗り出し、己の掌をレティカの震える手に重ねた。

「その選択は……聖女レティカ、貴女だけのものです。どのような結論を出したところで誰も貴女を責められません」
「そう、そうですわね」
 レティカの手から力が抜けたのがわかって、こちらも手を放して椅子に腰を掛け直した。

「私だってどこかで切り離せたらなって思うんです。護衛が私たちと運命を――末路を、共にするのは――」
 いやです、と言い終わることはできなかった。
 途端に息苦しくなり、心臓辺りに右手の爪先を食い込ませた。
 ――嫌だ、嫌だ。耐えられない。置きざりにするのも――

「無理ですわね。魔物信仰を是とする輩が潜む以上、一人で旅をすることは、危険すぎますわ」
 レティカが諭すように柔らかく言う。
「でも切り離さないと、私は……」
 考えたくなのに、望まないのに、想像してしまう。
 別れの際にあの無表情の青年は、それこそどんな顔をするのか。いつも通りに動じないだろうか、それともずっと言えずに居た自分を軽蔑するだろうか。

『それがお前の願いなら、俺は手伝おう』
『お前の時間を少し貰えれば、それでいい』
 髪を引っ張られた時の痛みが鮮明に頭皮に蘇る。

(言わなきゃ。でもこのまま避け続けて、嫌われた方が正しいのかも)
 たとえそれが最善だとしても、どうしようもなく寂しい。既に何日も、まともに話していないのだ。
(せっかく心を開いてもらえたのに、今度は私の手でその戸を閉じなければならないなんて)
 嫌われるのは辛い。傷付けるのも辛い。傷付けることで自分が傷付くのも、泣き出しそうなほどに嫌だった。

「お辛いでしょう。せめて、かつて呆然自失としていたわたくしに貴女がそうしてくださったように、お力になれそうなことがあれば何でもお申しつけください。本当に、お話を聞くことしかできないかもしれませんけれど」
「いいえ、十分ですよ」
 心遣いが胸の内に染み渡る。

 レティカの優しさに甘えて、ミスリアはつっかえていたたくさんの想いを明かした。肝心な「先への不安」に関しては多くは語らなかったが、これまでの旅を声に出して振り返るだけで、いくらか気が軽くなる。
 果てには姉の話に至り――肩を震わせて大泣きをした自分をそっと包んだ温もりには、深く感謝した。

「わたくしは忘れませんわ、聖女ミスリア。貴女がどのように生きて、どのように戦ったか。わたくし自身、これからどうなろうと、絶対に忘れません」
「ありがとうございます。私も、絶対に忘れません」
 いつしか教皇猊下の仰られた通り、人と出会うことは、世界を広げることである。
 ――他人との縁は、人生の宝。
 レティカと固く抱き合いながら、ミスリアはその事実を噛みしめていた。

_______

 長い間、何故だか息をしていなかった。
 天井の中心を占める六角形の窓ガラスから差し込む力強い光が、瞼に「開け」と否応なく命令しているようで、ついでに意識を覚醒させてくれた。
 窓から入り込む光は、複雑な形の巨大な角柱(プリズム)を通り、虹の色を余すことなく壁に映し出している。それらに照らされし、壁に描かれた図形や模様もまた美しく、地に生きる物としてのあらゆるしがらみや苦しみを一時でも完全に忘れさせてくれた。

 太陽の角度から察するに、時刻はきっと正午だろう。
 聖女ミスリア・ノイラートが大聖堂の大理石の床の上で大胆にも仰向けに寝転がっていたのは、この地が大昔に聖獣と聖人が対話したという神聖な場所であるからだ。典礼に使われる聖堂の背後、敷地内の建物の並びで言うなれば中央の一点。

 ミスリアはまず、肺が機能を再開してから間もなく、指の関節を動かしてみた。次いで手首や足。
 衣越しに背中に触れる硬い床は、まるで血が通っているかのように微かに温かい。それは触れている内に移ってしまったミスリアの体温ではなく、太陽から授かった熱でもなく、聖気が集中しているがゆえの温かさであるのは、意識の奥深くから感じ取れた。
 次第にゆっくりと上体を起こす。

「旅立つ為に必要な知識は揃いましたか、聖女ミスリア」
 正装姿の教皇猊下が訊ねてきた。特徴的な大きな帽子の所為で、小柄な猊下がますます小さく見える。
「はい。道はちゃんと、頭に叩き込みました」
 我ながら覇気の無い声だ。
 必要なお導きは確かに得られた。

「予定通りに出発します」
「よろしい。どうかあなたがたに聖獣と神々のご加護がありますように。これからも長らく健やかに過ごせますように」
「ありがたき幸せにございます」

 猊下が差し伸べてきた手を取り、立ち上がる。シーダーの香りが鼻孔を掠めた。
 穏やかな碧眼からは何の裏も感じられなかった。けれどミスリアには、たった今いただいたばかりの言辞をどう受け取ればいいのかわからなくなっていた。
 得られたのは、安眠の地へのお導きだけではなかったからだ。


 ――聖なる資質を秘めたものよ、そう怯えるな。
 ――我はどのようにして活動しうるのか。汝(なんじ)ら人間どもは、仕組みを理解していない。
 ――希望と絶望はそれほど違うか?
 ――穢れし愚か者を携えた聖女。汝が鍵となろう。

 ――さあ、疾く我が元へ来るがいい。永き眠りから、我をヒトの蔓延る大地へと蘇らせてみせよ――!

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