62.d.
2016 / 09 / 15 ( Thu ) リーデン・ユラス・クレインカティは、流されて埋もれて轟音が止むまでの間、一秒たりとも気を失わなかった。 視界と同様に思考も真っ白である。ずっと呆気に取られていた。雪崩の勢いが引いてきた今になってから、ゾッとする。 (……兄さんは生きてるみたいね) 気絶していながらも生きている。優先事項を確認した後、リーデンは今一度思考を整理する。 が、息苦しくてかなわない。 (空気が要る) 口の周りの雪を押し退けて空気のやり取りができるスペースを作る。革の手袋のおかげで指の感覚は活きていた。 空気の保ち方はユシュハたちからの講座で得た知識だ。雪崩が完全に止まると、雪はみっしりと沈んで、埋もれた者は身動きすら取れなくなるらしい。自分を取り囲む雪を圧し、肺や腹を広げる分だけの隙間を、最低限の動きでなんとか作る。 他には何を教えられたか。幸いと、息がしづらくなくなったおかげで頭は冴えてきた。 こういう時は、冷静さが肝なのはわかっている。体を落ち着け、呼吸をゆっくりにした方が体力も空気も温存できる。 (埋もれそうだと思ったら沈まないように泳げ。或いは腕を上げろ、だっけ) これは既にやりそびれた。腕を上げる主な理由は「方向感覚を保つ」為だという。もう一つの理由は、救護してくれる者の目に付く為だ。 (上下感覚か) 生き埋めというのは、窮屈さに、得体の知れない不気味さがある。 前もってこうなる可能性があるとさんざん頭に叩き込んでいなければ、間違いなく取り乱していただろう。 大声を出そうかと考え、止める。そんな体力を消耗する前に、自分の居る深度を確かめたい。 両目をパチパチと瞬かせ、髪や手足を見つめる。長い時間こうしていれば、充血具合でどっちが「下」かわかるようになるだろうか。 だがもっと簡単な方法を教えられていた。眼前に、小さく唾を吐きつける。それが垂れる方向を確認し、どっちが「上」かを見定めた。 いつの間にか轟音は静まっている。地上があるらしき方向からは、くぐもった風音がするだけだった。 風音が耳に届くというのは、自分がそんなに深く埋もれていないことを示唆しているのではないか。 賭けに出るか。しかし、選べる行動はひとつだけだ。叫ぼうにも上ろうにも、ひとしきりそれを頑張った後は、おそらく二度目は―― (ええい、やってやるよ、自力で這い上がってやろうじゃないの) まごついても事態は進展しないどころか、悪化するだけだ。 絶賛気絶中の兄はともかく、他の二人が助けに来てくれるとも限らないのだ。イマリナは馬の傍についているだろうから、期待していない。 (せっかくだから僕の手で兄さん助け出してみるか) それに、ミスリアがどうなったのかがはっきり言って全くわからない。生きていると信じるしかない。助けが必要そうならそちら方面でも活躍して、二人揃って恩に着せてやろう。 雪の中は、水の中を泳ぐのとは大分勝手が違う。ひたすらに動きづらい。息は浅くしていればかろうじてできるが、それでも苦しい。 それに、分厚いコートが重い。南方出身のリーデンには防寒用品のほとんどが煩わしかった。これらを装備していなかったらきっと何もできなかっただろう、というのはわかるが。 (関節曲げにくいなあ) 手袋の指先の革が磨り減りそうなくらいに掘る。 (体勢的に「上」に向けて掘れてよかった) もしも両腕が身体にぴっしり揃ったポーズで埋まっていたら、どうなっていたか知れない。 息苦しくなる度に、死にたくないという想いが強まる。 まず自分が助からなければ一貫の終わりだ。 後は無我夢中になってもがいた。その時間が一体どれほど続いたのかは不明だが、最中に窒息しなかったということは、数分程度で済んだのだろう。 ひゅう、と左手の指に寒風が絡まった瞬間。 泣き出しそうなほど安心した。 (出られた!) そこでようやっと、始終自分の中で渦巻いていた恐怖を自覚した。四つん這いで近くの木まで這い寄り、幹に背中を預ける。 初めて味わうような疲労感に呑まれつつある。 「な、なんだ……思ったより全然大したことないじゃん、雪崩なんて」 独り言で強がりを呟く。辺りはもはや夜の闇に包まれていて、魔物が飛び出しそうな雰囲気をかもし出していた。強がらなければ立ち上がる力すら沸いて来ない。 「そうか、大したこと無いなら何よりだ。体力余ってそうだな、貴様も手伝え」 少し離れた場所から――さく、さく、と続く規則的な音の合間に、無感動な声が降ってきた。 |
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