64.g.
2016 / 11 / 24 ( Thu )
「できる限りのフォローはするけど、あの人にとっての君は唯一無二だ。どうやったって欠けたものは埋められないよ。ついでに暴露すると、結構前から兄さん、不穏な感じがするんだよね。腹の底で負の感情がこう、ぐるぐると......うまく言えないや」
「負……」
「こればっかりは、僕は兄さんの味方だなぁ。てことで、あの辺で傍観してるねー」
 宣言通り、リーデンはさっさとその場から離れた。会話が聴こえない程度に距離を置きながらも、視線をしっかりとこちらに注いでいる。

 ミスリアは立ち竦んだ。リーデンが去ったことにより、空間に一人分の空きが生じたのである。
 遮蔽物が――つまり、黒い瞳と「呪いの眼」の凄味を隔てるものが、なくなっている。
 生唾を飲み込んで、こほんと咳払いをする。

「これまでお疲れさまでした。何度も私の生命と精神を救った貴方に、感謝してもしきれません。面倒なことも大変なこともたくさんあったと思いますけど、最後まで付き添ってくださってありがとうございます」
 無難な口上から始めた。そして、詰まった。目線を宙に彷徨わせる。意識せず、正面の人影を避けつつ、右へ左へと雪の結晶を目で追った。

(どうして……リーデンさんとの挨拶は、「楽しかった」だったのに)
 溢れる想いに、胸が潰れそうだった。
 口元を手で覆う。掌に吐息を吐き、その熱を鼻の頭に感じて、僅かながら心を落ち着けた。
(楽しいだけじゃ済まないような、旅だった)
 瞼を閉じて、さまざまな出来事を思い浮かべる。折々で自分がどんな気持ちでいたのか、ことのほか、よく思い出せる。

 初めの頃は怯えていた。
 人選を誤ったのではないかと不安になったのは一度や二度ではなかった。なんと言っても、この口数が少なくて感情表現の幅が極端に狭い青年は、普通に立っているだけでも、大抵の者を緊張させられる風貌なのである。
 一変して、その揺るぎない存在感に安心し――挙句、それを求めるようになったのはいつからだったか。飾らなすぎて、刃の如く胸に突き刺さる言葉の数々に、勇気を貰うようになったのは。

 彼の息遣いを、脈動を、体温を感じられるほどに。
 いつも、近くに。

「ここまで来れたのは、間違いなくゲズゥのおかげです」
 ――大切な約束をした。山羊の鳴き声と軽快な曲が流れていた、カルロンギィ渓谷での夜。どれだけ心強かったのか、この人は知っているだろうか――
 絡まり合っていた感情の糸は、澄み切った感謝の念に集束する。
「手伝ってくれて……ありがとう」
 今日この時までに、ゲズゥ・スディルに向けて謝礼を声にした回数は数知れず。その都度心を込めたつもりだったが、これまでのどの時をも超える想いを、言葉にのせて伝えた。

(私が聖女でなくても傍に居たいと、言ってくれた貴方は)
 なんと形容すればいいだろうか。
 他者でありながら己の存在を構築する一部であり、他者であるからこそ、絆を持てる。
 素敵なことだ。単純に、そう思った。

 気付かずに吐息を漏らしていた。
 直後、吐き出した息が微かに跳ね返るのを感じた。

「いくな」

 聞き慣れた声が脳を揺さぶった。ように、錯覚した。
 あまりに近い。
 目を開けて最初に見たものは――

(涙……?)
 まずは、白地に金色の斑点を特徴とする瞳の縁を彩る透明な煌めきに、呆気に取られた。

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