59.a.
2016 / 06 / 28 ( Tue )
 アルシュント大陸の最も有名な無国籍地帯、ヒューラカナンテ高地地方。
 住民は漏れなくヴィールヴ=ハイス教団に在籍する者であり、この地域を訪れる客もまた、必ず教団の寄宿舎に宿泊する。
 客用の部屋は敷地の外れに集中していて、そこから中心の建物へ伸びる道は、上階からよく見下ろせる。

「ねえ見て。聖女ミスリア・ノイラートが通るわ」
「本当だ。噂通りに若い……ううん、幼いのね。小さくて可愛らしいわ」
「あたしたちと同い年って信じられないね。教皇げいかに特別に気にかけていただいてるらしいよ」
「それはそうだろう。彼女は最年少で聖獣を蘇らせる旅に出立したんだから、教団の最高責任者としては心配なはずだ」
 早朝――既に日課の雑用を終えて講義室の窓の前でたむろしている修道士見習いたちの興味を惹いてやまないのが、現在滞在中の聖女の一行であった。

「それより護衛の二人よね。遠くから見ただけだけど、なかなかの美丈夫だったわ」
「わかる! 話してみたいわ。ううん、近くで見るだけでもいい」
「興味津々ね。そりゃああなたは聖職者になるためじゃなくて学を身に着けるために親に教団に送り込まれただけだものね」
 浮かれてもいいだけの余裕があるわよね、と修道女見習いが友人に嫌味っぽく言う。そこに第三の友人が口を挟んだ。

「だめよ、あの人たちは! 毎日ミソギを義務付けられてるんでしょ? どんな穢れを負っているのか知れないわ」
「そりゃあ一朝一夕じゃ禊ぎ落とせないような穢れなんだろ。よほどの悪事を働いてきたと考えられる」
「よほどの悪事って、例えば何かしら」

「さあ……窃盗とか」
「殺人もありうるな」
 面白半分に他人の罪を想像して修道士見習いの男子が盛り上がる中、女子は青ざめていく。
「怖いわ。殺人者が敷地内で息を潜めてるなんて、絶対いやよ。一番信じられないのはそんな人たちを連れ歩いている聖女さまだけど」

「でも護衛の黒い噂はともかく、実際彼女が一番、聖獣に近いって話も聞いたぜ。巡礼も残すところ聖地がひとつやふたつか」
「うそ! すごいじゃない!」
「最年少で旅に出たのも伊達じゃないんだな。早い内に目的を見定めて、それを追う力をぐんぐん身につけたんだよ、きっと」
「そういう人は歴史を探れば、他にも居たじゃないの。だからってそれでうまく行くわけじゃないわ」
「じゃあどうすれば達成できるかしら。講師さま、わかる?」

 ちょうど今しがた講義室に到着したばかりの講師役の年配の修道女に、見習いたちの視線が集まる。

「知っていれば、自ら旅に出ていますよ。でもそうですね――自分にわかっていることが全てだと思い込まないことです。わからない部分の方が、真理に近いのかもしれません」
 講師は眼鏡を押し上げて、寄宿舎の方角をちらりと一瞥した。
 気を取り直して、講義の開始を呼びかける。見習いたちは一斉に窓辺から散って、各々の席に収まって行った。

_______

 懸垂運動に夢中になりすぎたあまりに、ゲズゥは弟が近付いたことに全く気付けなかった。
 気付いたのは、足の裏に触れた球体の感触に虚を突かれ、木の枝を手放して転げ落ちた後だった。砂埃が気管に入り、数秒ほど噎せた。

「こんな悪戯にやられるなんて心の乱れだねえ」
 どこからくすねたのか、娯楽に使うような大きなボールを拾って、不敵に笑うリーデン。この弟に見下ろされるのは滅多に無いことか、妙に腹が立った。
「…………」

「何悩んでんの? つーか最近兄さんずっと機嫌悪いでしょ」
「……別に」
 ズボンについた砂を払って立ち上がると、足元にカランと何かが落ちた。よく見ると、リーデンが木剣を投げつけたのである。

「相談とかより君はこっちだよね。発散しちゃえばいーんだよ。ミソギまで暇あるし、相手するよ」
「それはつまり、お前が暇を潰したいだけか」
「当然」

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